2010年9月27日(月) |
4188(良いパパ) |
今日、料理が美味しいところで会合があった。今回は食後に出されたブランデー入りのイチジクのデザートがとても美味しかった。毎回違う料理を出す企業努力には敬服する。
さて、話は変わるがその席上での小話。
メンバーの一人が有料で車のナンバーをセレクトして新車を購入した。
新車の納入当日、車のナンバープレートを見ていると、横にいた奥さんが「良いナンバーね」といったので、彼は「そうだろう、よいパパ(4188)だからな」と内心満悦だった。
しかし、続けて奥さんが「本当に良い番号ね、良い母(4188)だものね」と言われ毅然としてしまった。
続いて遅れて来た彼の母にまで「良いババ(4188)、これは私の事かい?」と言われ、車のナンバーの選択が間違っていたと気付き彼は失望の色を隠せなかった。
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2010年9月26日(日) |
補聴器相談会開催 |
当店特設会場でメーカーから相談員を呼んで補聴器相談会を開催。
大盛況で、お客様の中には「この相談会を待っていた」、「知人に補聴器購入はここが良いと言われた」などと言って来店された方々もおられた。
日々の積み重ねをお客様は見ているのだ。これからも一人ひとりのお客様をより大切にしていくことの重要性を改めて感じた。 |
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2010年9月14日(火) |
柿崎からの米山 |
来店された柿崎の客様である片桐様から米山について伺ったが、柏崎とは少し違っていた。
例えば、片桐様御夫婦は今春に米山に登頂して戴いた米山寺(ベイサンジ)のお札を肌身離さず持っていたように、柿崎では柿崎側にある米山寺を中心として米山信仰が親しまれているようだが、柏崎では米山の山頂で買う薬師堂のお札が、柿崎の米山寺のお札である事は知らないだけでなく米山寺の名前さえ知らない人が多い。また登頂すると“トウキ”を買う人は多いがお札を買う人は少ない。(但し米山信仰である米山講の人達は買っている)
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その後片桐様から柿崎からの米山の資料を送って戴いた。
また資料によって、柿崎では下牧登山コースが米山表登山口であると記載されて初めて知った。それから米山の名称の由来である五輪山の民話も少し違っていたなどが参考になった。 |
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2010年9月8日(水) |
ほげびちゃる《方言8》 |
来店されたお客様が壊れた眼鏡を持ってきて「これ直るかのぉ、だめだったらほげびちゃるすけ」と言った。
“ほげびちゃる”とは“ほげる”と “びちゃる”が合わさった柏崎の方言。標準語では「放り出して捨てる」「投げ捨てる」で、“ほげる”が「放り出す」、“びちゃる”「捨てる」である。
“ほげる”は「捨てる」という意味の“びちゃる”をより強調したい時に“ほげびちゃる”という。
これと同じ「放り出して捨てる」や「投げ捨てる」という意味で使う、”ほげなげる”という方言もある。
また、方言で“雪ほげ”という単語があるが、この“ほげ”は、雪を“ほげびちゃる”が省略されたものかもしれない。
それから最後の「・・・・すけ」も方言で、標準語では「・・・から」。つまり「これ直るかい、だめだったら捨てるから」になる。
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2010年8月29日(日) |
みよける 《方言7》 |
お客さんの渡辺さんが来て、「来年、鈴虫がたくさん“みよけた”からあげようか」と言ったら「徳間さんも”みよけた”って言うのですね。”みよけた”って方言ですよね」と言われた。
この“みよけた”は“みよける”の過去形であり、“みよける”という標準語では“孵化する” で、鳥、魚、蛇など卵から孵化するものはすべて“みよける”になる。
つまり、“孵化する”は“みよける”で、“孵化した”は“みよけた”になる。
また、柏崎弁では“みよける”を“みおける”ともいう。
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2010年8月24日(火) |
不等比皿手動はかり |
鈴虫の森さんには「一般計量士」という資格があり、そこで早速、当店にある計りの検査を依頼。
当店の計りの正式名が「不等比皿手動計り」だと初めて知った。
また「50年程前の品で、今では骨董価値が出そうな珍しい物だ。しかし保存状態も良く、計量検査結果は今でも正確に機能している」とお墨付きを戴いた。
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2010年8月21日(土) |
鈴虫の飼育 |
昨日、知人の森敏昭さんから鈴虫15匹もらい、今日はそのうちの一匹が早々に鳴き始めた。
森さんは鈴虫を30年も飼育し、BSNラジオ、地元紙の柏崎日報、地元局FMピッカラなどに放送、記載されたりしている。
この度、鈴虫の飼育方法などが記載されてある「すずむしの心」を寄稿して戴いた。
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2010年8月20日(金) |
稲刈り始まる |
柏崎市と刈羽村のトップを切って、早期越路早生(わせ)の稲刈りが行われた。
昨年は新潟県内で最初の稲刈りだったが今年は少し遅れたようだ。
今年は昨年のようなスズメの大群に襲われず、米の出来もよさそうだと言われている。
お盆が終わりったかばかりでまだ猛暑が続いているのに、もう稲刈り。何時の間にやら秋の気配が忍び寄ってきている。
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2010年8月12日(木) |
クロス雲 |
台風4号の影響か、午前8時半頃クロス状の雲が見られた。
最初は竜巻のように一本の筋状の雲が垂直に立っていたが、だんだん左斜めに傾いてきた。
その雲が左斜め45度位になった時、何処からか右斜め45度の雲が東方向から現れ、その二つの雲が交差しクロス状の雲になった。
そのクロスの雲も10分ほどで東側に流れ建物などに邪魔にされ消えてしまった。
クロスの雲は地震で見られると聞くが、台風で見られるのは珍しいと思う。
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2010年8月1日(日) |
夕顔のクジラ汁 |
子供の頃、夏は夕顔と黒い皮のついたクジラ(さらし鯨)が入った味噌汁をよく食べた。
今でも夏になるとスーパーなどには、クジラのそばには夕顔が置かれている。 ところで 昔は安価な庶民の食べ物だったクジラの味噌汁は、夏バテ防止になる。
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味噌の麹はたんぱく質を吸収、消化しやすくする作用があり、弱った胃腸にはやさしい。 また、食欲がなく不足しがちな塩分やビタミン、ミネラルを補うことができるという。
この味噌汁に夕顔とクジラを入れると、動物性タンパク質と上質の脂質も補給でき、夏バテ予防の効果は大になるようである。
最近まで、これは全国何処でも食べていたかと思っていたが違ったようで、新潟県内でさえ食べない所があったが、今年のような猛暑には夕顔とクジラの味噌汁はお勧めだ。
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2010年8月1日(日) |
夕顔 《方言6》 |
友から「夕顔」を貰った。
この「夕顔」の名はどうも新潟地方の方言で関西生まれの妻には「朝顔でなく夕顔???食べられるの?」である。
「夕顔」は乾せば干瓢(かんぴょう)になる。
つまり干瓢にする前の瓜が「夕顔」だと聞くが、関西でいう冬瓜に近いが冬瓜とは違うみたいだ。
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2010年7月25日(日) |
柏崎民謡街頭流し踊り絵巻 |
24日から柏崎ぎおん祭りが開幕しました。
昨日は、昼の子供たちのマーチングバンドは仕事で見られませんでしたが、夜の街頭民謡流しは見てきました。
民謡流しには町内会やコミセン、子供会、企業・団体から47団体、3,600人近くが参加者が踊りました。
当日の天気予報は夕方から雨になるとのことでしたが最後まで雨も降らず、老若男女が踊りを楽しむ事ができました。
「ぎおん柏崎まつり」発祥の地は八坂神社です。
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2010年7月18日(日) |
よんでる 《方言5》 |
お客さんからトマトを貰った。
「よんでるトマトだすけ うんめーぞぉ」と言ったが、県外から来た妻には解らなかった。
“よんでる”は“標準語では、熟している”になる。
つまり「よんでるトマトだすけ うんめーぞぉ」は 「熟しているトマトだから うまいよ」である。
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2010年7月13日(火) |
中越沖地震から3年 |
7月16日、柏崎市では中越沖地震から満3年を迎えます。
あの日、それまで慣れ親しんできた整然とした街並みの風情が一瞬で激変、穏やかな生活が困窮生活へと豹変しました。
しかし、全国の多くの皆さまからのご支援で乗り越えることができました。
今後も復興への決意を新たにして頑張っていきたいと思います。
本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。
尚、当日は地震で亡くなられた15人の同地震3周年の合同追悼式、慰霊法要 震災時に多くの人からの支援を受けた感謝の思いを風化させないように と碑建立の除幕式などが行われます。
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2010年7月8日(木) |
「ぎおん柏崎まつり」と発祥の地「八坂神社」 |
柏崎市内15の海水浴場の海開きを兼ねた統一安全祈願祭が、14日に柏崎港ふ頭の「夕海」で柏崎観光協会で行われました。
これから海の柏崎は夏本番で、いよいよ「ぎおん柏崎まつり」が下記の通り開催されます。
7月24日(土)
午後2時~3時30分: マーチングパレード (*雨天25日に順延)
場所:東本町1~2丁目
市内の小学生や園児が日頃の練習成果を発表します
午後7時~8時45分: 民謡街頭流し (*雨天中止・午後3時決定)
場所:東本町2~ニコニコ通り~西本町1丁目
全国的に有名な三階節、米山甚句などを踊り、自由参加もあります。
25日(日)
午後6時~8時30分:たる仁和賀 (*小雨決行・午後3時決定)
場所:東本町2~ニコニコ通り~西本町1丁目
勇壮な山車や神楽が。またキャラクターの子供神輿などが繰り出します
26日(月)
午後7時~9時10分:海の大花火大会 (*小雨決行・午後3時決定)
場所:鵜川川口・みなとまち海浜公園・中央海岸
尺玉100発一斉打ち、3尺玉2発同時打ち、海中空大スターマインなど圧巻です。
また今年は柏崎市制70周年記念花火も打ち上げ予定です。
柏崎の花火は「山の片貝、川の長岡、そして海の柏崎の花火は新潟三大花火」と言われ有名です。
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「ぎおん柏崎まつり」発祥の地は、古事記に記載されている「おしの皇子」や「ぎおんさんときゅうり」などの民話がある西本町の八坂神社です。
同神社の祇園祭が、1950年(昭和25年)の柏崎市市制10周年を記念して商工祭と合体して催したのがはじまりです。
また、八坂神社の祇園祭の花火の歴史は古く、明治初年には既に花火奉納が行われていました。
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2010年7月4日(日) |
あの世まで(笑) |
母は痴呆が進み、半年前から二足歩行ができるのに 四足歩行をするようなりました。
それがある日突然、父の杖をついて二足歩行をしていました。
「何処に行くの?」
と私は 母が外に出て徘徊するのではないか と警戒して聞いて見ると
「うん、あの世まで」
と母は澄ました顔で答えました。
「???」
私は一瞬、母の思わぬ答えで 固まってしまいましたが、その後に声を出して 思わず笑ってしまいました。
母はまだら呆けで 時々正気に返ることもありますが、こんなジョークを言えるのは 痴呆症が回復してきたのでは と期待したくなりました。
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2010年7月3日(土) |
「毛利元就」と柏崎 |
戦国時代の武将である毛利元就の一族の出自と柏崎市について、広島県出身の梶谷恭巨氏から寄稿して戴きました。
毛利氏は、大江広元が鎌倉 幕府成立に貢献し、相模(神奈川県)の毛利庄、越後(新潟県)佐橋庄(鯖石、現在の柏 崎)、それに安芸(広島県)の吉田庄を得たことに始まる。
大江広元の嫡系は、三浦の 乱で、相模の毛利一族が族滅し、三男経光(ツネミツ)が、越後佐橋庄の地頭であったこ ともあり、唯一の生き残る。
結果として毛利氏は鎌倉幕府で、それなりの地位を維持す るのだが、それには、執権(得宗家)北条時頼の妻が、毛利季光(経光の父)の娘であっ たことが影響していると推測される。
その後、南北朝時代になると、毛利時親の代にな ると、北条氏の重臣(六波羅評定衆)として重きを成し、河内(大阪府)の加賀田庄を下 賜されている。
異説ではあるが、時親は、隠居地として加賀田に住み、その時、近隣で あった楠正成に兵学を教えたと云う。
また、時親の時(建武3年、1336年)、それ まで本拠地・佐橋庄から安芸吉田庄に親族から代官を派遣していたが、吉田の庄に本拠地 を移している。
越後に残った毛利氏は、上杉氏の跡目相続の騒乱では家を割り、一部は安芸吉田庄に移 り、一方は、越後に残り、またその後、一部を越後に残し、景勝の米沢移封に従って今に
至ると云う。
毛利氏の話が長くなったが、実は、梶谷家はこの歴史にも関係する云う。
梶谷家の苗字は本来、斎 藤という。 その経緯は省略するが、明治の時、跡目相続の問題があったようだ。
梶谷の実家 は、天文12年(1,543年)、今もそこ(広島県)に家があるが、毛利氏の対尼子戦の先兵として、 坪野に城砦を築いた。
今は、鎮の宮(我家では着の宮という)として、その城砦趾が 残っている。
実は、未だ詳細を掴んでいないが、越後斎藤氏との関係を推測している。 |
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