2016年6月30日(木) |
才能がない? |
某家庭である日、父が中学生の子供と進路について話し合ったそうだ。
その父曰く
「お前はオリンピックに出られる程に運動神経がなく、ノーベル賞をとれるような文学的才能もなく、世界的に著名な音楽家になれる才能ある訳でもない。 このように才能がないのだから、お前は医者になれ」
と子供に言ったそうである。
これに納得したした子供は仕方なく、その後医学部に入り、国家試験をとり医者になったそうである。
これを聞いた友人は 「それって、凄いことだよなぁ」と言っていた。
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2016年6月23日(木) |
形見No2 |
初老の男性が金の指輪を3個持参し、『一つにして印台に作り替えして欲しい』と仰った。
聞けば、この指輪は亡き奥様が使用していた品なので、金の印台に作り替えご主人が身に着けていたいからだと言う。
"#151225deta"
そういえば昨年の暮れにも、ご婦人が亡きご主人の形見の時計を持参して修理を依頼されたことがあった。
弊店では、「其々の人の思い出を残す」という仕事もしているんだと気付き、思い出の品に少しでも多くの思い出が残るように、より丁寧に大切に仕事をしなければと感じた。
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2016年6月7日(火) |
孔雀サボテン |
一昨年に頂いた孔雀サボテンに、僅かに甘い香り漂わせながら白い花が咲いた。
孔雀サボテンの分類は、夜に咲く妖艶な姿と強い香りが人気の月下美人(学名:Epiphyllum oxypetalum)(原種)の仲間であり、共にサボテン科エピフィルム属(クジャクサボテン属)だが進化の過程が違うため、育て方も違う。
孔雀サボテンと月下美人との違いは
まず花の色は、月下美人は白だけだが、孔雀サボテンは青を除く虹色の単色、複色混合がある。
次に花の咲く時間は、両者とも夕方から開き始めるが、月下美人の場合は大半が明け方まで、 遅くとも翌朝午前中にしぼむのに対して、 孔雀サボテンは午後になっても咲いており、大体丸一日、小ぶりなものだと2~3日持つ場合もある。
また花季は、一般的には孔雀サボテンが4月下旬~6月上旬なのに対して、月下美人は6~7月、9~10月の2回である。
それから耐寒は、孔雀サボテンは最低5度、月下美人は最低8度が目安とされ、共に霜に当てると1晩で枯れる。
その為に新潟で育てるには、冬は室内に入れて育てなければならない。
しかし、花を咲かせるには耐寒温度間際まで外に置いて寒さを与えた方が良いと聞いた。
そこで、昨冬は耐寒温度以下の初雪が降るまで外に出して置いて、葉に白い斑点が出来てしまってから室内に入れた。
白い斑点が出来たのは枯れる一歩手前であったと思うが、これが今年開花させた勝因のようでもある。
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2016年6月4日(土) |
もろこし流儀 |
親戚からトウモロコシが送られてきた。
早速食べる事にしたが、その調理方法はとても簡単になった。
それは、トウモロコシの皮を取りサランラップで包んで電子レンジに入れ、出来上がったら後はラップを取り除き熱々を食べるだけである。
今回戴いたトウモロコシは特に甘く、バターなしの方が美味しかった。
ところで、この食べ方にはそれぞれの流儀がある。
一方はトウモロコシが熱くて持てないので、上の写真のように割り箸を下から突き刺しこれを持って上から食べる。熱々のトウモロコシを食べるにはこれが一般的だ。
もう一方は、熱くても我慢しハーモニカを持つ様に両端を手で持ち、まず横一列に食べ、次に二列目、三列目と食べていく。
これは最初の一列目の道筋を作るのが大変で時間も掛かるが、二列目からは次の列との間に下の前歯を軽く当てるだけで一粒、一粒のコーンの実がきれいに外れ時間も掛からなくなる。
また、この方法は歯に力をかけずにコーンの実を外せるので、前者のように食べ終わった後にコーンの実が歯と歯の間に引っ掛かって取れなくなる事は殆どない。
このように優れている後者は私の考案であり、これは特許が取れると息巻いていたら、すでに友人も同様の食べ方をしていた。(笑)
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2016年6月2日(木) |
Windows10による情報の漏洩 |
Windows10をインストールすると情報が漏えいしてしまう。
Windows10だけではなく、Windows8をインストールしているパソコンを使用している人も、自動的にNSA(米・国家安全保障局)があなたの通信やパソコンのハードディスクに格納されているデータを覗き見することを許可していることになる。
(Windows7まではこのようなことはない)
Windows10は、Windows8をさらに強力にしたスパイウェアだ。
その為に「ドイツが警告、中国もWindows8の使用禁止令を出した」
と警告をしているホームページがあった。
これを読み、これがWindows10への強制更新の本音だったのか?とも考えた。
そこで、これらが真実かどうか定かではないが、今はWindows10はインストールせずにWindows7のままで使用するのが無難のようである。
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2016年5月27日(金) |
ウィンドーズ10の強制更新 |
1週間ほど前、我が家のPCが勝手に最新の基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」に自動更新されてしまった。
これは、マイクロソフトが「ウィンドウズ10」の普及を促そうと、利用者向けに許可の確認もせずにアップグレード開始日時を自動的に決め、直前の15分間に利用者の許可がないと自動的にアップデートが始まるようにしたからである。
つまり、アップグレード開始日時が自動的に決められたことも知らない利用者はPCを立ち上げ後に、この日時にPCを見ないでいると、本人の意思を無視して強制的に15分後に自動的にアップデートが始まり「ウィンドウズ10」に自動更新されてしまうのである。
「ウィンドウズ10」は使い勝手が悪いほか、「10」に未対応のソフトや周辺機器が使えなくなるなどの不具合が生じた。
、これによる利用者の「勝手に更新された」との苦情や非難が殺到し、マイクロソフトはアップグレードが完了してしまっても、1カ月未満であれば現状復帰を希望する利用者向けの動画をサイトに公開するなどして元のOSに戻すことを可能にした。
そこで、元のOSのウィンドウズ7に戻したが、今度は学会発表で使用したパワポなどのソフトが使用できなくなっていた。
その後、パワポは更新手続くをやり直し使用ができるようになったが、その他のソフトで使用できないものがあるかは今後の課題である。
それにしても何故このような徒労をしなければならないのか、マイクロソフトの信用が失墜したと考えるのは私だけではないだろう。
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2016年5月9日(月) |
私生活に蛇 |
今日は定休日なので松之山のナステビュ湯の山に行ってきた。
新しくなった露天風呂に入りのんびりと初夏の山の景色を眺めていると、お爺ちゃんとそのお孫さんらしき男の子の二人連れが入って来た。
暫くすると、その二人は話し出した。
「あのね。先日、友達が素手でシマヘビを捕まえたんだ」
「ほう、それはすごいな。噛まれなかったかい?」
「うん、今回はね。だけど前は、二人の友達がシマヘビに噛まれてしまったよ」
「オイオイ、大丈夫か。マムシだったら大事になっちゃうぞ」
「うん、大丈夫。毒のある蛇は捕まえずに、毒のない蛇だけを見分けて捕まえているからね」
「そうか。でも毒蛇は怖いから十分に気を付けてな」
「うん、分かっているよ」
これを聞いて思わず振り返って男の子を見ると、小学校3、4年生くらいだった、
私は蛇を見ただけで逃げ出してしまうし、第一、蛇の種類なんかぜんぜん分からない。 さすが緑豊かな自然環境の中で暮らし、日常生活の中で身近に蛇を初めとしてする動植物と接している、山の子は逞しいな、と感心してしまった。
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2016年5月5日(木) |
金太郎伝説 |
今日は子供の日、子供の日といえば「金太郎」であるが、これは架空人物のようである。
この「金太郎」は諸説あるが、その原型は江戸時代の近松門左衛門の「嫗山姥(こもちやまんば)」に登場する「怪童丸」言われている。
--*--*-- 【嫗山姥のストーリー】 --*--*-- --*--*--
平安時代、源頼光は主君の平正盛と右大将の清原高藤の讒言(ざんげん)によって勅勘(ちょくかん)の身に追いやられ、身を隠して流浪の旅に出た折りに、信州上路(あげろ)の山中で日が暮れたので山姥の庵に泊まった。
この山姥はかって狩野屋の遊女だった八重桐(やえぎり)で、宮中に仕えていた坂田蔵人時行の妻であった。
しかし、時行は父の仇討に後れを取った怨念の魂を八重桐の胎内に宿らせ、男児になって誕生すると称して自害した。その後、この成長した男児が怪童丸となった。
八重桐は頼光に、怪童丸が熊や猪を相手に相撲を取る姿をご覧に入れる。 頼光はこれを見て感じ入り、怪童丸を元服させて坂田金(公)時(さかたのきんとき)と名乗らせ臣下とする。
金時は京に上り、渡辺網(わたなべのつな)、ト部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)などと共に頼光四天王(金時以外は実在の人物で、金時は江戸時代になって初めて説話の主人となる)となり、都を荒らす大江山の酒呑童子を退治した。
その後、金時は頼光の死後、忽然と姿を消したのである。
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この「嫗山姥」は正徳2 (1712) 年大坂竹本座初演で大ヒットし、その後、怪童丸(金時)伝説は「広益俗説弁」(享保2年:19717刊)、「前太平記」(享保3年:1718刊)、「信濃奇勝録」(天保5年:1834刊)などによって全国に広まった。
--△-*-△-- 【金太郎の出生地】 --△-*-△- --*-△-*--
また金時の出生地は、古浄瑠璃の『宇治の姫切』(1658刊) や『四天王武者執行』(1659刊)などは足柄山となっているが、近松門左衛門は信州上路(現在の長野県北安曇郡八坂村)の山中とした。
この信州上路には、金太郎を生んだ山姥を祀る大姥神社(現在も近郊近在から多くの参拝客があった)、大姥山の山頂にある金太郎が産まれた岩屋など、金時ゆかりの遺跡がある。
このように近松門左衛門作の「嫗山姥」が出生地を足柄山から上路にした理由として次のことが考えられる。
「嫗山姥」は謡曲「山姥」と「頼光四天王」の合作であり、この謡曲「山姥」の舞台は青海町上路(現在の新潟県糸魚川市上路)にあった山姥伝説(山姥神社などが現存する)を基に室町時代に世阿弥が作ったものである。
そこで近松門左衛門は青海町の「上路」と同じ地名で、山深い信州の「上路」を舞台としたとのではないだろうか。
また、青海町の「上路」では世阿弥の謡曲「山姥」の舞台としたことを示す石碑だけではなく、近松門左衛門の「嫗山姥」の舞台や金太郎の出生地も青海町の「上路」とした、金太郎伝説なども残されている。
しかし、江戸中期、金時の幼名は「きんときおさなともだち」の赤本、「金時一代記」の黒本などで「マサカリを担いだ金太郎」となり、これらの出生地は再び足柄山となる。
静岡県駿東郡小山町中島の「駿東郡誌」には「金時、故郷足柄に帰ると小山町中島に金時屋敷あり」と掲載され、「ふるさと百話」には「金時の子孫の坂田氏が代々住んでいた」とされ、金時の生家の「金時屋敷」が現存。金時神社には金太郎がタキギとりやマキ割りに使った「大マサキリ」などもある。
神奈川県南足柄市の地蔵堂にも金時の子孫の家が現存、「足柄上郡誌」には「金時は酒匂(さかわ)の郷士坂田金次時景の遺児で母が三島明神に安産を祈って出世した」という。
神奈川県足柄下郡箱根町には金太郎が手まりがわりに投げ遊んだと言われる大きな「手鞠石」などがある。
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近松門左衛門(1653-1724):江戸時代に活躍した人形浄瑠璃や歌舞伎の劇作家。代表作は『曾根崎心中』『女殺油地獄』等。
世阿弥(1363?-1443):室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥と共に猿楽(現在の能)を大成し、多くの書を残す
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2016年5月3日(火) |
柏崎で成人式 |
今日の憲法記念日には、柏崎市で成人式が行われた。
新潟県の1月15日は雪や吹雪で折角の晴れ着が汚れ外に出られないとのことで、季節の良い5月に開催されるようになった。
しかし今日の新潟県は、三条市の最高気温が全国で最も高い32,7度、胎内市が31,5度、新潟市西蒲区と上越市(大潟)で31,0度、柏崎市も29,6の真夏の陽気となり、折角の晴れ姿も汗ばむ始末となった。
4,5日前は朝に霰が降り片付けた暖房器具を再び出して使ったと思ったら、今日は暑くてエアコンを使う。一週間で冬から急に夏になり体調を崩すご老人も多かったようだ。
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2016年4月30日(土) |
黄砂と花粉症 |
2、3日前よりマスクをしたお客様が、眼鏡の曇り止めを買い求めることが多くなった。
聞けば「初旬で花粉症がやっと治まったと思っていたら、何故かまた花粉症が再発した」
と言っておられたが不可解であった。
すると、別のお客様が
「2、3日前より黄砂の飛来が酷く、車を外に出して置くと黄色になってしまう。また、この黄砂により花粉症が再発した人が多くいるようだ」
と言われた。
そうか、『中国内陸部は日本より気温が低いのでスギ花粉の飛来時期が遅れ、その花粉が黄砂と共に偏西風によって運ばれたので、次期遅れの花粉症の人が増えたのか』と思ったが、これには矛盾がある。
それは、何故なら次期遅れの黄砂の飛来は昔からあった現象であり、近年になって急に黄砂による花粉症が増大したことに対して矛盾点が生じたからである。
そこで調べてみると、これらの原因はスギなどの植物による花粉症ではなく、中国の大気汚染PM2.5などを含んだ黄砂アレルギーであり、この症状は花粉症とほぼ同じという。これならば納得できそうだ。
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2016年4月20日(水) |
越後の諺(ことわざ)? |
『はっさいやく 庭で年取る』
昔、父が言ってたことわざである。
「はっさい」を漢字で書くと「八才役」なのか定かでないが、多くの才能の持ち主でありながら、晩年は庭の片隅にある小さなあばら家で住み、正月もそこで過ごしている、という意味である。
『器用貧乏』の意味に似ているが、少し違うようだ。
『はっさいやく 庭で年取る』は、才能があってもいろいろ手を出し次から次に仕事を変えていくと、最後にはどの仕事も上手くいかずに 自分の持ち家も手放すようになる。多少才能がなくても一つの仕事を極めれば「雨垂れ石窪む」で大成する、という戒めのように思う。
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2016年4月12日(火) |
戦中の黒船 |
80歳代の老人が15歳頃の面白いことを話してくれた。
「それは終戦(昭和20年)の2年前の昭和18年(1943年)2月のことであった。
柏﨑市松波の海に一隻の大きな外国船が座洲した。
村の長老が、理研ピストンリング(今のリケン)から来て貰い、何処の国の船か調べるとソ連であることが分かったので、村民はおっかなびっくりで船内に入ると誰もいなかったが、異国の生活物資や資材が所狭しとあった。
それは、顔、胴、足などに分断された大きな牛を始めとする食材、大工道具に釘、金槌、ノコギリなどの鉄製品、その他の工事資材などであった。
この年は敗戦が濃厚になり、人々の生活物資は困窮し、特に食料は喉から手が出る程欲しがっていた。
そこで、長老は船内の物資を全てお国に献上するので勤労奉仕せよと言って、村民に長老の蔵に運び込ませた後に、次は憲兵の目が厳しいのでこの事は他言せぬようにと言って、船内にたくさんある食材の一つの干した杏を村民に配った。
船内にあった物資は村中の大人や子供が総動員され、砂浜には降雪があったのでソリで何回も往復して、3つの大きな蔵に運び終えたのは3日後だった。
その後、空になった船は、当時の日本海の軍港であった舞鶴から来て運んで行った。
それから、数年後、長老は隣部落の大きな蔵を買い、急に金回り良くなった。
村民の多くは、長老が憲兵や役人に裏金を配り、船内の物資を独り占めにしたのではないか、村民に配った杏はその口止め料だったのではないか、と噂していた」
座洲(ざす):船底が砂に接着して航走不可能となって乗上げた状態)
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2016年4月3日(日) |
ジャーナル届く |
昨年5月に眼鏡学会で発表したが、この論文が掲載された「眼鏡学ジャーナル・Vol 19-2」(2016年3月発刊)が届いた。
昨年の発表時に資料として配布された「プログラム・抄録集」には、研究課題が以下の4点であったが、今回の「眼鏡学ジャーナル」には諸都合で前項の2点でだけが掲載され、後項は次回となった。
1、新視方向説や新投影説による周辺視物の複視
2、Vieth-Muller円と経験的ホロプターの複視による整合性
3、楔形(経験的)ホロプターとパーヌムの融像感覚圏との整合性
4、楔形(パーヌムの)融像感覚圏とパーヌム圏との整合性 |
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2016年4月2日(土) |
バイト(笑) |
昨日、酒場で隣席の会話が耳に入った。
「俺はバイトなんだが、仕事は正社員以上の働きをしているんだ」
すると同僚らしき者が
「そうだ1バイトなんてものではなく1メガバイト、いや1ギガ、いやいや1テラ(笑)の働きをしているんだ。もっと金寄こせ」
などと話していた。
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2016年3月28日(月) |
米山の雪形 |
今朝は晴天で、米山に筋蒔(すじま)き爺さんの雪形が現れた。まだ爺さんの体は痩せているが、もう少し経つと雪が解けて爺さんの体も太ってくる(笑)
この雪形は、右図のように頭に蓑(みの)を被った人が両手を広げて種を播いているように見えることから地元では「筋蒔き爺さん」と呼称されている。
昔の農家の人々は、この雪形が現れたら田畑の種をまき始めたという。
尚、「筋蒔き」とは畑に平行な筋状のうね(土を盛り上げたところ)を作り、そこに一定間隔で種をまくことである。 |
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2016年3月15日(火) |
ねぇつい(方言54) |
会話の中で「あこんちはねぇついすけなぁ」
この「ねぇつい」とは「がめつい」、「ケチ」、「ケチケチしている」の意味である。
辞書での「ねつい」とは「粘り強い」、「しつこい」などとなっているが、お金にしつこいので「がめつい」に派生したのかもしれたい。
尚、「あこんち」は「あの家の人は」の意味で、「あこんちはねぇついすけなぁ」は「あそこの家の人はがめついからな」となる。
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2016年3月13日(日) |
切り絵「桜」 |
今月の切り絵の脇には次の様に書かれてある
「見渡せば 春日(かすが)の 野辺(のべ)に 霞(かすみ)立ち 咲きにほへるは 桜花かな」
(万葉集 巻10 1872 作者未詳)
意味は「遠くを見渡して眺めていると、春日の山裾の野辺一帯には 霞が立ちこめていて 美しく咲いて誇っているのは桜の花であろうか」であり、
この万葉歌碑は奈良県登大路町の奈良県庁東交差点北東にある。
また、今日は嘉祥2年(849年)に始まったと伝えられる春日大社の例大祭「春日祭(かすがさい)」があるという。
春日大社は奈良県奈良市春日野町にあり、ユネスコの世界遺産に登録されている。
「春日祭」は維新以前には2月と11月の上の申の日(最初の申の日)に行われていたので申祭とも呼ばれていたが、明治19年(1866年)の旧儀再興により、例祭日が新暦の3月13日に定められた。
この春日大社の「春日祭」に、京都賀茂神社の「賀茂祭(葵祭)」 、石清水八幡宮の「石清水祭」を加えた3つは、氏神祭の典型氏神祭の典型で、他の勅祭と異なる形態をとっているために、「
三大勅祭」といわれている。
他の切り絵 初春 /初夏 /夏 /秋
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2016年3月5日(土) |
ひしもち |
三月のひな祭りには菱餅(ひしもち)が飾られているが、昔の鵜川地方ではその紅白の菱餅を仏壇に飾る風習があったと聞いた。
菱餅は一組をご本山様の近くへ、もう二組は少し後方にの三組で、飾る期間は3月3日前後の1~7日位で、一般的なお姫様は飾らない。
この風習は、邪気を祓いをする祓(はらえ)の風俗行事からきたものかもしれない。
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2016年3月4日(金) |
山笑う |
昨日で「ひな祭り」も終わり、ショーウィンドーのポスターも春の「山笑う」に替えた。
「山笑う」とは、中国の「臥遊録」が四季を表した一つにある「春山淡冶(たんや)として笑うが如し」のことで、意味は春の山の草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになるようすをいう。
また、俳句の春の季語でもある。
今月のポスターは男の子と女の子を描いたが、男の子が黒の学生服に帽子を被っていて、何十年前の服装となっていて、ご年配の方には懐かしい絵になった。
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2016年2月26日(金) |
荒浜砂丘 |
柏﨑市荒浜は、合併前は荒浜村で砂丘地帯にある村だった。冬になると日本海の強風で砂嵐が多く発生していた。この砂嵐により、村では眼を患っていた人が多くいた。
明治11年(1878)9月14日、明治天皇北陸ご巡幸で御巡路、荒浜の牧口政三郎宅ご小休の際には、村民はこの眼病のことを訴え、明治天皇から治療代として金一封を戴いた。
しかし、これだけでは解決策とならず、また、眼病だけではなく冬になると、重要な生活道路が砂で埋もれてなくなったりして、生活に大きな障害となっていた。
そこで荒浜村の資産家であった牧口庄三郎は、荒浜から荒浜新田(現在の松波)までの道の海側に防風林を三代かけて作った。そのお蔭で眼病も減り、生活道路も砂の障害がなくなった。
この防風林は今でも松林として現存している。
そういえば昔、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがあり、その訳は以下の通りであった。
風が吹く→砂が飛ぶ→砂が目に入る→見えなくなる→盲人が増える→瞽女(ごぜ)さん(盲人の女性が集まって三味線を弾き聴衆料を貰って生活をしていた盲人芸能者)がなどが増える→三味線を使う人が増える→三味線が売れる→三味線を作る革には猫の革が使用されていたので猫を殺して作った→猫が減る→ネズミが増える→増えたネズミが桶をかじる→桶に穴が開く→桶が売れる→桶屋が儲かる。
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2016年2月23日(火) |
昔の福祉 |
今から50年程前に「松波のおテル」という女性がいたと、お客様が話してくれた。
知恵遅れで働くことができないと思われる「おテル」は、譲ってもらった古い着物を何枚も重ね着して一日町を回り、其々の家から食べ物も貰ったり、時には散髪や体を洗って貰ったりして、町の人々からの優しい施しを受けて生活をしていた。
しかし、このような優しい人々だけではなく、心無い大人が臭い、汚いと罵ったり、子供たちからもバカにされて野次られたり、時には小石を投げられることもあったという。
その時代の日本国民は皆が貧しく、生活に余裕のある家は少なかったが、、そんな貧しい家の人々が先になって僅かな物資を提供していた。
昔は社会福祉などはなかったが、そのころの時代の人々は恵まれない人たちを協力して支え合うんだという社会が出来ていたようだ。
それは、「恵まれない人」は「明日はわが身かも」という教えがあったからかもしれない。
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2016年2月10日(水) |
ひな飾り |
節分が終わり、次の店飾りは来月のひな祭りにした。
このひな祭りとは季節の変わり目の五節句の一つで、陰暦3月の最初の巳(み)の日で、後にに3月3日になった。
また、この日は3が重なる日なので重三(ちょうさん)とも言われた。
古代中国では、奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉であり、特に強い邪気がある穢(けが)れの日として恐れられ、この邪気を祓いをする祓(はらえ)の風俗行事があった。
また、日本では季節の変わり目には邪気が入りやすいので、桃の節句の日に紙やわらで作った人形で体を拭うことで、自分の穢れを人形に移して、この人形を海や川に流すという「流し雛」という風習があり、それが平安時代から女の子が人形を使って雛遊び(ひいなあそび)となった。
時代は定かではないが、古代中国の3月3日の祓(はらえ)の「上巳」 の風俗行事が日本に伝わりましたが、日本古来の桃の節句の日の行事とは別々に行われていた。
その後、徳川幕府が、日本古来と古代中国の伝統行事を重ね合せ、重要な節目として「五節句」を式日(しきじつ)に定め、3月は3日は女の子、5月5日は男の子の行事へと、また「邪気を祓う」行事から目出度い「祝の行事」へと変わった。尚、この制度は明治6年に廃止された。
いつしか古来の「流し雛」の行事が合わさり、3月3日が女の子を祝う行事となった。
尚、お雛様を片付ける日も諸説ある。
五節句・5節供は以下の通りである。
1月7日の「人日(じんじつ」 :七草がゆ(ななくさがゆ):一年の無病息災を願って食べられる
(本来ならば1月1日だが、元日なので時別に7日にずらした)
3月3日の「上巳(じょうし)」 :桃の節句(もものせっく) 桃は邪気を払う力がある
5月5日の「端午(たんご)」 :端午の節句(たんごのせっく)、又は菖蒲の節句(しょうぶのせっく)
日本では、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う女性の節句の五月忌み(さつきいみ)があり、これが中国から伝わった端午と結び男の子の行事に変わった。
7月7日の「七夕(しちせき/たなばた)」 :たなばた・星祭り
古来の日本に豊作を祈り種を播(ま)く「種播祭り(たなばたまつり)」があった。
水際にある棚作りの小屋にこもって、織物を手動の機械で作る女性を「棚機女」といい、天から降りてくる水神に棚機女が作った布を捧げる風習があった。
また、日本の「古事記」の「棚機女(たなばたつめ)」の信仰があった。
これらが、中国伝来の、7日の夕方に精霊棚とその幡を安置するお盆行事の一環でもあった七夕(しちせき)が日本古来の棚機(たなばた)合わさった。
9月9日の「重陽(ちょうよう)」 :(菊の節句)
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた
以上の通り、五節句とは中国伝来の奇数が重なった日の邪気を払う行事と、日本古来の季節の変わり目の邪気を払う風俗行事とが重なったものであり、それが祝の行事へと移り変わったものである。
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2016年2月1日(月) |
あだ名(笑) |
何十年ぶりに友が訪ねて来てくれた。
最初に彼を見た時の印象は、玄関に見覚えのない帽子を被った変なおじさんが立っている、という感じだったので警戒した。
すると彼が「あのぉ~、高校時代の同級生のT橋です。お久しぶりです」と話しかけてきた。
しかし昨今、同級生を装った詐欺事件もあり、同級生にこんな顔はいなかったはずと思い、益々警戒心を強くした。
これを悟った彼は、一計を案じ、「ビートク」ですと言い換えてきた。
この一言で疑念は一気に氷解した。
「おぉ~!ビートクか、久しぶりだな。うん、うん、そう言えば顔に昔の面影が残っているし、話し方や声はそのままだ。間違いなくビートクだ。尋ねて来てくれて有難う」
と急に笑顔で答えだした。
彼は帽子を取って、髪の薄くなった頭を見せながら、
「この禿頭だと分からないと思って、わざと帽子を被って来たけど やっぱり分からなかったか」
などと笑いながら話してきた。
あだ名って、詳しい説明もなく一言で相手に伝えることが出来る、便利なもんだな、とつくづく思った。(笑)
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2016年1月29日(金) |
25日の豪雪と風の方向 |
1月の24、25日の集中豪雪は、新潟県の見付や三条などの県央部が中心となって、公共交通網が断線され大きな被害がでた。
見付から来たセールスは今回の豪雪に対し、「例年降雪量が少ない県央部に集中的に降り、慣れない除雪作業や除雪方法で悪循環を招き、27日の朝方になってやっと正常になった。また、中越の豪雪地帯と言われる湯沢や近くの栃尾などの山間部はそれほど被害はなく、新潟の下越や上越の高田なども被害がなく、県央部だけが集中降雪となったようだ」と言っていた。
また、柏﨑も25日に70cm位の降雪あり、市内ではそれなりに渋滞していたが、午後には渋滞も殆ど無くなっていた。
ただ、今回の豪雪で気になるのは風の向きである。
通常、新潟の冬の風は、北西から日本海の水分を含んで上陸し内陸部の山に当たり雪を降らすと言われている。
柏﨑の冬も、この北西の強風が吹き荒れる日が続き、この北西の風を柏﨑では「浜風」と呼ぶ。
この冬の北西の強風が、強ければ山間部に雪が運ばれ柏﨑は豪雪にはならないが、風がないと山間部に雪が運ばれず、柏﨑に落ちるので豪雪になると言われ、柏崎の歴史に残る37豪雪(昭和37年の豪雪)は、12月の31日から3日間無風状態が続き大量の降雪により豪雪となった。
しかし、今回の25日の豪雪といわれた日の柏﨑は、強風となって降らないはずなのにそれなりの降雪量があったのである。
ただ、今回の風は通常吹く冬の北西の風ではなく、反対方向の南東からの強風であった。
柏﨑では、この南東からの強風は冬に1,2回あり、その度に50cm前後の降雪があり、そしてこの風が吹く日は大寒(1月20日頃)から立春(2月4日頃)に多い、ように思える。
因みに、台風シーズンの秋頃に時折吹く南西の風があるが、これは「米山降ろし」という。
(後日の2月3日の朝日新聞では、通常、新潟の冬の風は北西だが、今回は南西の風が多かったと、柏﨑とは風の向きが異なって掲載されていた)
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2016年1月20日(水) |
ダン獅子 |
正月気分に浮かれていたら、明日はもう大寒で、この大寒とは旧暦の二十四節気の一つである。
今年の小寒は1月6日で、、寒の内は、小寒から立春(2月の4日)までの約30日間と言われ、大寒の日がその中間となる。
また、小寒の日を寒の入り、立春の日を寒明け<という 、この大寒から立春までは、日本で一番寒い時期と言われている。
また節分とは、1年を立春、立夏、立秋、立冬などと季節を4つに分け、それぞれの季節の変わり目の前日であった。つまり節分は1年に4回あった。
それが、1年で最初の節分が最も重要視され、今では節分というと立春の前日の節分をさすようになった。
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ショ-ウィンドーに節分用の赤鬼、白鬼を飾った。
実は、この鬼は富山県の氷見市のお土産で、正式名は「ダン獅子」と言い、獅子頭(ししがしら)は災難をくいとめ、一声で万物を鎮めると云われていて、昔から、魔除け、厄除け、守り神として、床の間や玄関に飾られていたという。 |
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2016年1月15日(金) |
家長制度と年始 |
元郵便局員だったお客様から、家長制度と小正月の年始についての話を聞いた。
「昔の郵便局員さんは、12月20日から1月5日までは年賀はがきの区割りや配達等で日曜日も休まれなかったので、親戚などへ正月の年始の挨拶には行くことができなかった。
そこで年始の挨拶周りは1月15日の小正月にしていた。
しかし、この日も郵便局の仕事がなくなったわけではないので、全員が休まれるのではない。
また当時は家長制度がまだ残っていて、家長は親戚の年始があるので、この家長の人が優先に休むことができた」と仰った。
因みに、家長制度とは
戦前まで、家長は家族の中で一番権限を持つ中心人物であり、それを受け継ぐのは、代々長男と決められていた。
この家長は家族の代表なので、冠婚葬祭を始めとする親戚関係の行事には常に参加し上座の席になるが、包むお金もそれなりに一般の人より多くしなければならない。
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2016年1月6日(水) |
寒のり |
笠島のお客様から寒のり(海苔)を頂き、ついでにこれについても聞かせて貰った。
寒のりとは、新茶と同じ意味合いを持ち新のりとも呼ばれ、今年最初の海苔の新芽を採って作ったものである。
これは冬空で極寒の日本海に入って採るのだが、背丈がまだ1cm位しか成長していなく、その上に海藻なので滑ってしまって、1本1本ずつ手で採集するのは大変な作業である。
採集時に海藻がこのように滑らないようにするには、手に灰汁を付けて採る昔ながらの方法で行っている。
新春に新海苔が採れるようにするために、昨年の6月頃に岩をタワシでゴシゴシと擦って他の海藻を除去し、海苔になる海藻だけが成長するようにしてある。
3~4月頃になると背丈も成長し、採集するのも楽になるが、味は苦労して採った1月の海苔が1番美味しい。
大変な苦労して採った貴重な寒のりを感謝で頂いたが、やはり普通の海苔とは違って香ばしく、口の中に海苔の味がフワッと広がりとても美味しかった。有難うございました。
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2016年1月1日(金) |
謹賀新年 |
明けましておめでとうございます。
本年も良い年でありますよう心より
お祈り申し上げす。
今年も宜しく願いいたします。
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