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2018年7月 2018年8月 2018年9月
・サボテン開花
・稲虫送り
・胡蝶蘭
・柏崎の花火
・看板が倒壊
・3週間真夏日
・蚊の免疫?
・小さい秋
・固定電話(笑)
・「ゐ」と「ゑ」
・口癖(笑)
・ジュエリーフェア開催
・八国山埋蔵金
・干し柿食す
・ふすまは右前
2018年10月 2018年11月 2018年12月
・史上最高気温
・猪とイノブタ
・白鳥が渡来
・老年期障害
・消店街
・品田鹿造
・めぐら(方言68)
・片眼視の複視
・金四ツ丸柱時計
・定年後の挨拶    
・克雪(1)/瓦
・クリスマスイブ
・あさはん(方言69)
・豆モチ
2018年12月31日(月)
豆モチ

 今年も1年間、お陰様で多くのお客様からご愛顧いただき感謝の意に堪えない。
 
 今年最後の商いは無料修理お客様であったが、お礼にと豆モチを頂いた。
 なんか物々交換の感もあるが、この餅はお客様ご自分が作られた豆と餅米で作った地産地消の塩豆モチだそうだ。

 豆モチは昔市販のものを食べたことがあったが、手作りの餅は初めてなので、食べるのが今から楽しみだ。

2018年12月25日(火)
あさはん(方言)

 「あさはんにしようか」と言ったら、妻から『あさはん』って最初の頃は解らなかった」と答えた。
 エーッ!『あさはん』て方言なのか

 そこで、gooやyhooの辞書で検索すると、『あさはん(朝飯)』で、意味は『あさめし』となり、類語として、朝食、朝飯(あさめし)、朝餉(あさげ)となっていた。(出典、デジタル大辞典、大辞林第三版)

 しかし、ウェブで検索すると新潟県や長野県の方言であった。

2018年12月21日(金)
クリスマスイブ

 「チコちゃんに叱られる」の番組で「クリスマスイブはクリスマスの前夜祭ではない」との説明があった。
 この「クリスマスのイブ(晩)」と、それから日本の「年取りの晩」については以前記載したことがあった。

 つまり、昔は西洋も東洋も1日の基点は夜中の零時ではなく、日没からとされていたので、クリスマスイブや日本の正月も、日没後の晩に催事が行われていたのである。

 しかし現在は、西洋のクリスマスは昔の日没後を基点としたイブ(晩)に行われているにもかかわらず、正月は(明治以降)現在の零時を基点として催事が行われているので、見直すのも一考かと思う。

2018年12月9日(日)
克雪・瓦(1)

 朝、起きたら初雪が降っていた。
 今年もまた雪との格闘が始まるかと思うと心が沈む。

 しかし、そんな中で雪国に住む先人たちは様々な克雪を行ってきた。
 克雪とは、「降雪、積雪に伴う被害や問題を克服すること」である。

 その一つが右の写真の屋根瓦で、以下の特徴がある。
1、瓦の色が黒い
2、瓦の表面がツルツルして光っている
3、瓦の所々に突起物がある。

 これらは次のような克雪の工夫がある
1、黒は他の色と比べて熱吸収が1番良いので、黒い瓦が太陽熱を効率的に吸収し、積もった雪を速く溶かす。
2、傾斜している屋根の上にある瓦は、表面をツルツルして滑らかにすることにより滑りやすくなり、屋根に積もった雪が滑って下に落ちやすくなる。
3、沢山積もった雪が一度に落ちると雪崩の様になり、屋根下にいた人が怪我や亡くなったりするので、瓦に交互に突起物を作り一度に雪が落ちない様にする。或いは、人が屋根の上がって積もった雪をかき落とす時に、雪と共に人まで落下しないように、突起物で滑り止めの役目をさせている。

 但し、柏崎で多く使用されていた瓦は上記の能登瓦であるが、新潟県内でこの能登瓦を使用しているのは少ない。
 
「柏崎と能登瓦」についてはここをクリック

2018年11月29日(木)
定年後の挨拶

 昨夜、某会の忘年会があり談笑していた。

 そんな中、近年、定年になった知人が語ってくれた。
「定年後、会う人の挨拶は『久しぶりですね。①元気ですか?②今、何をしています?』が殆どである。
 これに対しては、①は『それなりに元気』、②は『まぁ色々とやっています』と当たり障りのない返答をしている。

 しかし、この①と②を深読みすると、以下のようにも解釈できる
 ①、『元気か?』は、『定年後は体調を崩して病気などになっていないか?』
 ②、『何をしてる?』は、『定年後は仕事もなく暇を持て余しているのではないか?』

 つまり
 1)定年
 2)仕事を失いする事が無くなく暇を持て余す
 3)外出も少なく、運動や頭を使わなくなる
 4)生活リズムが狂い、規則正しい生活ができなくなる
 5)体調を崩す
 6)病気になる

 以上のように「風が吹けば桶屋が儲かる」の喩(たと)えのように、「定年後→病気になる」と短絡的に考えるようである。

 そこで、腹の中では次のように反論している。
 ①、『定年後も、規則正しい生活をして元気だ』
 ②、『仕事がなくなっても、これまでやり残していた趣味がたくさんあり多忙なので、暇なんか持て余していない』
 
 但し、上記の①、②は、悪意がなく単なる社交辞令にすぎないものかもしれないし、俺もこれまで定年した人に使っていたかもしれない。
 そこで、今後は①、②の使用は控えるようにしていこうと思う』
 

2018年11月28日(水)
金四ツ丸柱時計
 お客様が右の写真のような、手巻き振り子機械式柱時計をご持参し、修理を依頼した。
 これは米国の時計会社・INGRAHAM(イングラハム)の時計であるが、各種ある時計の中で日本に輸入されたのは殆どがこの『IONIC(アイオニック)』で、日本では『金四ツ丸』や『ダルマ』などと呼ばれていた。

 この時計はお客様の祖父が明治20年(1887)頃に購入され、代々受け継がれてきた歴史のある時計である。
 また、4年前にも弊店で分解掃除をするなどをし、定期的にメンテナンスをしているので、今でも現役で稼働している。

 それから、この時計に使用されているガラスは手作りのガラスなので、斜めから見た反射された像は歪んで見える。
2018年11月25日(日)
片眼視の複視
 見辛くなったので眼鏡の作り替えを希望されたお客様が来店された。
 しかし、お客様の見辛い理由は、屈折度数の違いではないように思えた。

 それは例えば、右眼だけで右図1の赤点を注視した時、左側にも影の少し薄い赤点が、更にその上にもっと薄い影の赤点が数個見え、逆U字形になって見えた。

 また其の外に、同様に右眼だけで右図2の白線を注視した時、左側にも影の薄い白線が斜めになって見えた。

 そこで、この様な症状は病的なものが考えられるので、眼科の先生に紹介状を書きお客様に受診してもらうよう進言した。
2018年11月7日(水)
めぐら(方言68)

方言での「めぐら」とは、「周囲」または「周り」という意味である。
例文では、『家のめぐら(周り)の
雪かきをする』などと言う。

2018年11月1日(木)
品田鹿造

 荒浜出身のお客様が来店し、品田鹿蔵(安政5〔1858〕~明治43〔1910〕)について語ってくれた。

  品田鹿蔵(しなだしかぞう)は、北海道人物文献目録(明治~戦前期)、開道五十年記念北海道(P202、肖像画有り)、北海道人名辞書(P277)、北海道立志編第2巻(P3‐200~201)等に掲載されてある。

 鹿蔵は網製造業彌五左衛門の長男として新潟県刈羽村荒濱村で生まれ、明治5年単身函館に渡り漁網を商いて利あり後に樺太領沿海州、カムサツカ(カムチャッカ?)等に、漁業、船舶運送業を立ち上げ、遂に巨万の富を成し函館屈指の資産家となる。殊にオコツク(オホーツク?)海漁業は鹿造の開拓によるところ多し挙げられて函館商工会議所議員、區會議員となる。

2018年10月31日(水)
消店街

 諏訪町商店街にある店が、また一件今日で閉店することになった。

 それは諏訪町商店街で20年間、骨董を扱っていた「夢屋」さんである。
 その理由は、経営者の高齢化、後継者がおらず、顧客の高齢化、景気の悪化などであるが、1番は車の運転が出来ず、思うような仕入が出来なくなったからだそうた。

 今年は創業が90年前であった老舗のクラベ靴店も閉店し、諏訪町商店街も年々諏訪町消店街に移行していくようで寂しい限りである。

2018年10月23日(火)
老年期障害?

 今日は秋晴れで温かい一日となった。
 そこで、体を動かしてると熱くなったので扇風機をつけて涼んでいた。

 「温かいと言っても扇風機を付ける程ではないのでしょう」
 と妻から言われたので
 「ところが熱いんだよ。顔のほてり(ホットフラッシュ)もあるので、これって更年期障害かな?」 
 と答えると、直ぐに妻は
 「更年期って、成熟期から老年期への移行期の45歳から55歳頃でしょ。アンタはもうしっかりと老年期に入っているんだから、強いて言えば老年期障害かもね」
 と言われ、実に言い得て妙で返す言葉を失った。

2018年10月22日(月)
白鳥が飛来

 明日は二十四節気の一つの霜降(そうこう)。
 暦の上では朝晩が冷え込んできて、霜(しも)が降り始めるころである。
 今朝の柏﨑の気温は9度だったが、日中は秋晴れで21度まで上昇した。
 
 今朝、秋晴れで柏崎市原町辺りを散歩していると、8時10分頃に何処からか「クェ、クェ」とたくさんの白鳥の鳴く声が聞こえてきた。

 こんなところに白鳥がいる訳がないのに、と思いながら辺りをキョロキョロしていると、20m位の上空を、冬の風物詩である20羽位の白鳥が、V字の形になって飛来していた。

 これらの白鳥は「クェ、クェ」と鳴き、時折青空の中で、羽根が動く度に朝日によって銀色に反射して輝いていた。
 
、この光景に見惚れていると、白鳥は北から南に向かって飛んでいたので数分で見られなくなった。

 慌ててスマホを取り出し写真に撮ろうとしたが、すでに遠くの南の空に小さくなってしまっていた。

2018年10月21日(日)
猪とイノブタ
 80歳代のお客様が柏崎に出没する猪について語ってくれた。

 近年、山沿いの田んぼには多くの猪による被害が多くなり、農地や家屋を荒廃させる恐れがあると心配されている。

 この猪は、稲が実る頃に出没し、米を食べるだけではなく田んぼで寝転がり稲を倒したりするが、この猪が転がった米は臭いが酷く食べれないという。
 ある人が、話の一つとして実験的にこの米を焚いてみた。
 すると、米が炊き上がる頃、部屋中が物凄い臭いが充満して食べられなかったそうだ。

 柏崎の猪は、猪とイノブタが交配されたものが多いと言われるが、まずイノブタについてから説明する。

 イノブタは約50年前の1970年、和歌山県畜産試験場が、イノシシを父に、ブタを母にしてイノシシを交配して作出した。
 肉は脂肪分が少なく、あっさりしているのにコクもある味なので、食肉用の家畜として農家で飼育されるようになった。

 それから数年後、柏崎の農家でもイノブタが飼育されるるようになった。
 しかし、イノブタの肉は豚と異なり、また食べなれないこともあり、売れ残ることが多く採算が合わなかった。
 そこで、多くのイノブタは殺処分されたが、中には殺処分が面倒なのでそのまま解き放した農家もあり、野生化した。

 イノブタは猪の持つ旺盛な食欲とブタの持つ人を恐れない性格、また繁殖期が年1回の野生の猪と1年中ある豚が交配されてあるので、野生化され旺盛な繁殖力となって増大した。

 次に柏崎の猪がイノブタである証拠として、有害駆除する狩猟した人に聞くと、冬でも子供の猪がいるからだという。
 つまり、繁殖期が年1回の春にある野生の猪には、冬に子供はおらず、子供がいるのはイノブタである。

 イノブタは過疎化に伴い近年急速に分布を広げ、各地で大きな被害をもたらしているが、その対策に手を焼いているの現状である。
2018年10月6日(土)
史上最高気温

 今日は台風25号のフェーン現象により、10月の日本史上最高気温が更新されたが、その4位までが新潟県だった。
 1位が三条市で36.0°、2位が大潟町で35.7°、3位が長岡市で35,3°、そして4位がなんと柏崎市の35.1°で、全国ニュースに放映された。
 
 柏崎の2日前までの最高気温は20~24°だったのが、夏日(25度以上)、真夏日(30度以上)を通り越して、急に真夏日(35度以上)の35.1°まで上昇したことになる。

 道行く人も、それまで長袖を着ていた人が今日は半袖に着替えていて、店も久々にエアコンの冷房をつけたが、体に変調をきたした人も多かった。

2018年9月28日(金)
ふすまは右前

先日、ふすまの張替をして貰った時、
「2枚のふすまはどちらが前になる様にしたら良いのか?」
と質問すると、業者の方は
「着物を着る時と同じように左前にならないように、右のふすまが前にくるようにします」
と答えた。

 「左前」はデジタル大辞泉で調べると以下のようになっていた。
1 相手から見て、左の衽(おくみ)を上に出して和服を着ること。普通の着方と反対で、死者の装束に用いる。ただし、女性の洋服類は左前に仕立てる。
2 運が傾くこと。経済的に苦しくなること。左向き。「家業が左前になる」

 そこで家中の玄関や窓の引戸、網戸、障子戸、ショーケースの引戸を見て見ると、着物と同様に全て右前になっていた。
 日本家屋は、上記2の「運が傾き、経済的に苦しくなる。或いは家業が左前になる」ことのないように、左前を避けて右前になるように作られていると知り、見識が少し広まったような気がした。

2018年9月26日(水)
干し柿食す

 先月、まだ青かった柿はその後に熟し、多くの柿が実った。

 最初に熟した柿はカラスが試食したが、一口食べ渋かった(笑)ので、それ以上は食べられなかった。 
 次に熟した柿は台風で数個が落下し、その後になってようやく食べられるようになった。

 収穫した柿は渋柿なので、右上の写真のように干し柿にして食べている。
 柿は、気温や風の吹き具合で多少異なるが、1週間くらい干して、大きさが4分の1くらいに縮むと渋みが取れ、右下の写真のように甘い干し柿となる。
 外側は(皮は向いてあるが、外側が乾いて)若干の歯ごたえがあり、中身は甘い果汁がとろけ出るジューシーさでとても美味しい。

 但し、昨年の様に干している間に、雨が降り柿が濡れるとカビが生えたり、台風で吹き飛ばされたりするので、今年は天気予報を見て雨や台風の日には家の中に入れたりした。
 また、天日干しが理想的なのだが、外に干すとカラスに甘くなった柿を狙われるので、軒下に干すようにしている。

 この様に手間暇をかけて作る我が家の柿は、スーパーに売られているものより遥かに美味いと自画自賛している。
 


 大きい柿は干したばかりのもので、小さいのは食べ頃の柿である。

 出来上がった干し柿
2018年9月23日(日)
八国山埋蔵金
 八国山には蒋介石が八国山に金銀等の財宝を埋めたという、まことしやかな八国山埋蔵金の説がある。

 蒋介石は、国共内戦で敗北(1949年)し、その後、首都南京を脱出し、重慶などを経て台湾へ敗走、事実上台北への遷都を強いられた。

 この台湾に逃げる時、蒋介石は台湾に多くの財宝を持ち出したが、台湾も追われることも想定し、妻の宋美麗の家から持ち出した金銀等の財宝(800億)だけは、日本に持ち出して埋めた。
 その時、多くに人物が、持ち出した財宝の後を追ったが、何故か八国山の麓にある善根のお滝(不動滝)さんの辺りで見失ってしまった。

 また、この時に財宝を運んでいたのは田中角栄ロッキード事件で有名になった児玉誉士夫であった。
 (児玉誉士夫は日中戦争で上海に児玉機関という店を出して暗躍し、莫大な資産を得て、戦後も政財界の黒幕と言われた人物である)

 次に、蒋介石が日本の中で善根の不動滝を選択した訳は、飯田貞固(サダカタ)陸軍中将という人物が関係していたからである。
 
 飯田貞固は山本五十六や東条英機と同じ明治17年生まれの小国町八王子の人で、昭和天皇の信頼が厚く、八国山の善根城跡に飯田貞固陸軍中将揮毫(きごう)の碑があったが、現在は加納の清龍寺に墓がある。

 蒋介石は新潟県の高田連隊にいて、小千谷小栗田原にあった陸軍飛行場に来たこともあり、これが飯田貞固との出会いであった。
 
 1945年、第二次世界大戦で日本が敗戦した時、中国大陸に残された多くの日本人達を救出し、日本に帰した司令官がいて、そのお蔭で中国大陸からの引き上げは満州よりスムーズとなった。
 この司令官が飯田貞固であったが、それは蒋介石との信頼が厚かった飯田貞固は蒋介石に援助をしてもらったからである。

 その4年後、上述の通り今度は蒋介石が台湾へ敗走するはめになったので、蒋介石は飯田貞固に飯田貞固の故郷であるに善根の不動滝に財宝を埋めることを託したのであった。

 しかし、この財宝は、蒋介石が台湾の総統に就任(1950年)し、国内が安定した数年後、日本に来て内密に掘り出して持ち帰ったが、この時、蒋介石はこのお礼としてお滝(不動滝)さんの川に2本の橋(右の写真の護国橋と不動橋)を寄付したとのことであった。

 『柏崎日報、「風の戯れ言」(市内加納:石塚 修)、2018年9月22日』参照

上の写真は加納の静龍寺にある飯田貞固氏の墓であるが、飯田氏は神道なので墓石の上は平らではなく三角に尖っている。

 近くの墓にお参りに来ていた人が、「日本の国の為に戦った兵士は、亡くなると仏になならずに神になるので、墓も神道の墓石になる。よって飯田氏の墓も上部が三角に尖った神道の墓に埋葬されてあるのだ」と話してくれた。
 蒋介石が寄付したという2本の橋。

 当時は木製であったが、現在の橋はコンクリートで作り替えたものである。
2018年9月10日(月)
ジュエリーフェア開催

 2015年から始まり、今年で4回目となる「ジュエリー・リフォーム・フェア」が、7・8・9日の3日間開催された。
 このフェアは好評で、会を増す毎に来客数が増大していたので、今年は開催日を2日間から3日間に増やして行った。

 今年のフェアは、豊富な知識や経験に基づいた商談などを数多く行ったことで、お客様から高い評価を頂いた。
 また、これにより、当初の予想を大きく上回る結果を収め、来客数、売上高の過去最高が更新され、大盛況のうちに幕を閉じることができた。

 話は変わるが実は、開催初日の早朝、家に中で蜘蛛(クモ)がいるを見つけた。
 朝から蜘蛛を見て縁起が悪いので殺そうか、と思ったが、蜘蛛は見た目がグロテスクだが他の害虫を食べてくれる益虫なので殺すには気が引ける。そこで外に追い出そうとしたら何処かに逃げて行ってしまった。

 後日、朝の蜘蛛について調べたら、『朝に出てくる蜘蛛は縁起が良いから、殺してはいけない』、『朝の蜘蛛は福を持ってきたり、お客さんがやってくる前触れである』、或いは『朝の蜘蛛は取って懐に入れろ』などと昔から言われていると知り、運を逃がさなくて良かった、と安堵の胸をなでおろした。

 今年は蜘蛛も、フェアが好評になる様に応援に駆け付けて来てくれたのに、殺そうか、或いは追い出そうかなどと邪心に惑わされ、申し訳ないと思った。
 と同時に、朝の蜘蛛は取って懐に入れたら、もっと売り上げが増大したかもしれないと欲も出た。
 しかし、『虻蜂(あぶはち)取とらず』といことわざのように 欲張ると失敗するので、懐にまでは入れなくて良かったと考え直した。

 また、北条氏綱の「勝って兜の緒を締めよ」のように、今年の成功に慢心することなく、今後もご来店頂いたお客様に、出来る限りの「おもてなし」を心がけ、より多くのご満足を頂けるように切磋琢磨していかなければと、身を引き締めることにした。

2018年9月2日(日)
口癖(笑)

 初めての問屋さんが来店したが、その問屋さんは可笑しな口癖があった。
 腰掛ける時に「よいしょ、よいしょ」、腰掛けてから鞄を持ち上げる時にも「よいしょ、よいしょ」、そして鞄から電卓を取り出す時の「よいしょ、よいしょ」、更に筆記具や書類を出す度にも、また「よいしょ、よいしょ」と言うのである。

 「よいしょ」という言葉は、体を動かす時に何らかの抵抗があった場合に 発せられる言葉であり、例えば 、重い物を 運ぼうとした時に大きな抵抗がかかるので、 その抵抗をはねのけようと 「よいしょ!」という 掛け声が出る。
 それはこの掛け声をかけると、 お腹の丹田というところに 力が入るので、 重い物を持ち上げ易くなる。
 そこで心理学では、 「よいしょ」という口癖の人は、 その言葉を発するたびに、 何かの抵抗を感じている と解説されている。
 しかし、腰掛けたり、重たい鞄を持ち上げる時は大きな抵抗が体に掛かるかもしれないが、電卓、筆記具、書類などの軽い物でもこの言葉を発するは上記の口癖とは異なり、ある動作を起こそうとするときに発するかけ声と思われるが、これについての心理学による解説は記されていなかった。

2018年8月26日(日)
「ゐ」と「ゑ」

 中国・内モンゴルの留学生のお客様が来店された時、 「お名前を書いて下さい」と言ったら、アルファベットで書かれた。

 「あれ、内モンゴルは漢字ではないのですか?」と言ったら
 「モンゴルはモンゴル文字で書いているのです。
 但し、パスポートなどではモンゴル語を漢字の当て字で書いています。
 それから、モンゴル文字は日本語と似ていて、母音と子音で成立っています。

 ただ、母音は日本の様に5文字ではなく、7文字です」
 と仰ったので、

 「日本語の母音も、現在は5文字だが、昔は『いろはにほへと』に書かれているように 『ゐ』と『ゑ』を加えた7文字だった。

 いろはにほへと(7)  ちりぬるを(5)
 わかよたれそ (6)  つねならむ(5)
 うゐのおくやま (7)  けふこえて(5)
 あさきゆめみし(7)  ゑひもせすん(6)
 色は匂へど 散りぬるを (諸行無常
 我が世誰そ 常ならむ  (是正滅法
 有為の奥山 今日越えて(生滅滅己
 浅き夢見じ 酔ひもせず (寂滅為楽
 「今様」という形式(七五を
 四回繰り返す)を守り、その
 上、全ての仮名を1回ずつ
 使うという制約のもとで、作成
 されている。
 平安時代末期に流行。
 『涅槃経(ねはんきょう)』の
 「諸行無常 是正滅法 
 生滅滅己 寂滅為楽」
 を表すと言われる。


1、『ゐ』
 『ゐ』は五十音図ワ行の第2の仮名。現在は、五十音図ア行第2の仮名(ならびに五十音図ヤ行第2の仮名)で、片仮名は「ヰ」(片仮名『ヰ』は『井』の全画の変形)だが、現代仮名遣いではこの仮名は用いられない、と言われている。

 次に古くは、この『ゐ』と『い』は発音上区別があり、『ゐ』は[wi]の音で、『い』は(発音[i])であったが、鎌倉時代以降は、両者は『い』に統一され、発音上も[i]に統一され区別がなくなった、と言われている。

 しかし、、現在でも人名漢字として用いられたり、井関農機株式会社の製品のブランドは「ヰセキ(ゐせき)などとして用いられており、また、昭和中期頃までの音声通信では、通信文の聞き間違いを防ぐために制定された頭文字の規則「通話表」では、『ゐど(井戸)のヰ』と呼んでいたりした。

2、『ゑ』
 『ゑ』(「恵」の草体)は五十音図ワ行の第4の平仮名、現在は、五十音図ア行第4の仮名(ならびに五十音図ヤ行第4の仮名)で、片仮名は「ヱ」(「ヱ」も「恵」の草体からの変形)だが、これも現代仮名遣いでは、この仮名は用いられない、と言われている。

 次に古くは、この『ゑ』と『え』は発音上区別があり、『ゑ』は[we]の音で、『え』は(発音[e]、あるいは[e]と[je])であったが、近世以降は、両者は『え』に統一され、発音上も[e]に統一され区別がなくなった、と言われている。

 しかし、現在でも人名漢字として用いられたり、商品名『ヱビスビール」などとして用いられており、また、昭和中期頃までの音声通信では、通信文の聞き間違いを防ぐために制定された頭文字の規則「通話表」では、「かぎのあるヱ」と呼んでいたりした。」

などと説明したが、モンゴルとの意外な共通点に感動した。

ただ、モンゴル文字は日本の文字と同様に縦に書くが、右図のように漢字とは程遠い文字であった。

2018年8月22日(水)
固定電話(笑)

 数年間に奥様を亡くされた、お客様のK氏が来店された。
 K氏はもともと、夜は仕事での会合や外食が多かったが、お子様もおらず、お一人になられてからは、家にいる時間が一段と少なくなった。

 そこで仕事の関係者や知人は用事がある場合、家の固定電話にはせずに携帯電話にするようになった。

 その為、K氏が家にいる時に、固定電話にかかってくるは迷惑電話ばかりになった。
 
 しかし、K氏は「固定電話を止めることは出来ない」という。

 その理由を尋ねると
 「家の中で携帯電話を置き忘れ、いくら探してもない時に、固定電話から自分の携帯電話に掛けると、電話の呼び出し音で携帯を見付けることができるので、固定電話が必要だ」
と仰ったが、これには私も賛同した。(笑)

2018年8月18日(土)
小さい秋

 昨日は北日本に季節外れの寒気が流れ込み、日本全国では7月8日以来、40日ぶりに猛暑日の地点がなくなった。
 柏崎は浜風があるので少し涼しいが、それでも21日間連続で猛暑日となった。
 また、最低気温が20度以上の日は6月27日から8月16日までの51日間連続となった。

 しかし、昨日は17、2度まで下がり急に涼しくなり秋の気配を感じた。

 考えてみれば、昨日17日は立秋(7日)から10日目となるので、もうすっかり秋の気配が感じられる時期になっていたのである。

 そんなことを思い浮かべていたら、今朝は、先日お客様から頂いた鈴虫が鳴き始め、また、庭の柿の木を見たら、いつの間にか右の写真のようにまだ青いが柿が大きく実っていて、身近に小さい秋を見つけることができた。                          
 (後日、熟して干し柿にした写真はこちら)                               

2018年8月4日(土)
蚊の免疫?

来店したお客様が
「今年になって、私は蚊に対する免疫ができたみたいで、畑に水遣りに出ても全然蚊に刺されなくなった」
と仰った。

 今年は真夏日や猛暑日が続いた為に、ほとんど蚊を見かけなくなっている。
 それは、日本の代表的な蚊は「ヤブ蚊」と呼ばれる「ヒトスジシマカ」と、「イエカ」と呼ばれる「アカイエカ」だが、「イエカ」は30度以上、「ヤブ蚊」は35度以上になると動かなくなったり、猛暑によって死んだりして蚊の数が減ってきているからである。

 しかし、「蚊に対する免疫ができた」と喜んでいるので、「それは猛暑が原因によるものです」と無下に否定もできなかった。

 そういえば、柏崎では夏の夕方の空には時折コウモリが飛び交っているが、蚊がいなくなり、コウモリが飛んでいる姿も見かけなくなっていた。

 因みに、柏崎市青海川の福浦猩々洞(ふくうらしょうじょうどう)には、新潟県の天然記念物に指定されている全国でも珍しい洞穴であり、その洞窟の中には3種類約2万頭のコウモリが生息している。

2018年8月2日(木)
3週間真夏日
 今日で連続3週間雨が降らない真夏日が続いた。
 この暑さで、色んなところに影響が出ている。

 かき氷を販売している人は、「暑くて儲かっているだろうと聞かれるが、実は暑すぎてお客さんが外出を控えるようになり、売り上げ減となっている」と言い。

 材木屋さんは「キャンプファイヤーといえば、キャンプの大きな楽しみのひとつだが、キャンプファイアーで使用する薪の量は多い。
 しかし、今年は雨が降らず、例年のようにキャンプファイアーのキャンセルがないので、薪不足になり困っている」と言った。

 その他に、水稲や野菜類、花などがしおれたり枯死する被害が出ているが、今後もこれらの被害は拡大しそうだ。
2018年7月29日(日)
看板が倒壊

 三重県津市に上陸した台風12号の影響で、新潟県はフェーン現象となった。

 柏崎では、温かく渇いた南風が吹き込み、今年最高気温の37度を記録したが、これは観測史上最高を更新した。
 柏崎の風の多くは日本海のある西から吹くことが多いが、今回の南風は、何故か北から一時突風となって吹いた。

 この風の方向が異なったために、店頭(てんとう)にあった看板が転倒(てんとう)し、倒壊してしまった(苦笑)。

 この看板は30年ほど前に購入したもので、これまで多くのお客様の往来を見てきたと考えると、思い出深いがものがあり、一抹の寂しさがある。

2018年7月26日(木)
柏崎の花火
 今朝の朝日新聞には、テレビ欄の右上に
『日本一の海中空大花火大!柏﨑まつり生中継 - 日本海に咲く!海の大花火大会 -』
などの文言が花火の写真と共に掲載され、 今夜の7時~9時25分にBSフジで全国放映された。

 近年の柏﨑は暗いニュースが多かったので、久々の明るいニュースだった。

 今年の花火は、我が家の三階の屋上から見ることにしたが、屋上に出ると、明日は皆既月食となる満月が明るく照らしていた。
 そんな東の満月を背にして、西の夜空の花火を眺めていたが、屋上は浜風があり涼しく心地よかった。

 写真の花火は、1,500メートルから尺玉100発を同時に一斉に打ち上げる「尺玉100発一斉打上」であるが、迫力のある花火だった。
2018年7月18日(水)
胡蝶蘭

 今年は難しいと言われていた孔雀サボテン、デンドロビューム、シンピジュームの花を咲かすことが出来た。

 そこで調子に乗って(笑)胡椒欄に挑戦しようと購入してみた。

 買ってみて、胡椒欄には2本立て、3本立てなどがあり、多くなると10本立てもあり、そして購入した3本立ては3鉢が一つの鉢に入れてあることが、初めて分かった。

 これからは何度か枯らしたりして授業料を投資して行かなければならないと思うが、マイペースだやって行こうと思う。

 ただ、買ったのは3週間ほど前なのにまだ咲いているので、調べたら胡蝶蘭の花は、1ヶ月以上にわたって楽しむことができるそうだ。
、また、寿命は50年以上といわれるので、上手く育てられれば高い物ではない、かもしれない。

2018年7月7日(土)
稲虫送り

 「稲虫送り」とは、古来からの日本の伝統行事であった。

 柏崎では稲が実る七夕の日に、それぞれの農村において、農作物につく害虫を村から追い出す駆除と、その年の豊作祈願をする呪術的行事である。
 
 農民は、日が沈む頃から夜間にかけて、たいまつを焚き、鉦や太鼓を叩き、その後に村人が行列して虫送りの唄を歌いながら村内の田んぼを練り歩き、最後は悪霊を形取った藁人形を作り、それに害虫をくくりつけて、村境にある川に流すことで、村内の害虫を追い出し、これにより豊作になると信じられていた。

 この「稲虫送り」が、黒姫山のふもとにある別俣きらら(旧別山小学校)で行われると聞いて行ってきたが、あいにく雨が酷かったので、たいまつを燃やすだけで、実際の行事は中止となった。

 しかし、右上の写真の懐かしい木造校舎が現存していたのには驚いた。
 それは、村民がこの校舎を守り続けてきたからであると聞いた。
 
 この校舎で、参加した子供たちが廊下を走り回る音を聞き、少年時代を追憶しながら、教務室の部屋で地元野菜がたっぷりの美味しい「きらら弁当」を頂けただけで充分満足だった。

  「稲虫送り」は来年も行われるので、来年もこの行事に参加してみたいと思った。

2018年7月2日(月)
サボテン開花
 昨年、お客様にデンドロビュームを差し上げたら、代わりにサボテンを頂いた。
 このサボテンは、1個が写真左の花盛丸(カセイマル)サボテンで、もう1個が右のノトカクタス 青王丸の2鉢であったが、今年はそれぞれ2個ずつ開花した。

 しかし、写真を撮ろうと鉢を移動した時、2個咲いていた花盛丸の大きな花の1個が風が吹いてきて折れてしまった(涙)
 
 やっと咲かすことができたのに、と失望しながらも、残りの1個となったピンクの花の盛丸サボテンと、2個の黄色の花が咲いた青王丸を撮ったのが右の写真である。

 ところがデンデン、追い打ちをかけるように、写真を撮り終った時、2鉢を台の上から落下させてしまった。
 転げ落ちた時、最後の1個となって咲いていた花盛丸サボテンの花が、無残にもまた折れ、最後のトドメを刺してしまった。(T_T)

 昨秋、青王丸は寒くなるまで屋外に置き忘れ、写真のように茶色に変色させてしまったので、サボテンが「花に対する愛情が足らない」と怒っていたのかもしれない。
 

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