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2019年6月19日(水)
孔雀サボテン

 今年は孔雀サボテンが3鉢全て開花した。
 その中の1鉢は17個もの蕾を持ったが、開花する前に7個の蕾が落下し、実際に開花したのは10個となった。

 孔雀サボテンの開花は3~4日しかないが、それでも次から次へと開花するので、結構長く楽しむことが出来た。
 また、写真のように
多いときは5個も同時に開花したのは圧巻であった。

 ただ、古い葉がや新しい葉が混在した状態だったので、大きくなった蕾が葉に当たり落下したりするなどして、効率が悪かっただけではなく、見た目のあまり良くなかった。
 そこで、今年こそは株分けをしなければならないと思った。

2019年6月18日(火)
閻魔市中止

 今年も閻魔市(エンマイチ)が14~16日までの3日間開催される予定だったが、16日は強風と強雨の予報が出た為に中止となった。

 90歳近いご老人が「俺は子供の頃から柏崎に住んでいるが、閻魔市が中止になるなんて初めてだ」と語っていたように、閻魔市が中止となるのは史上初の出来事だった。

 某会社の方が来店し、
「16日にお客さんを招いて『閻魔市で飲もう会』という企画をして会場に飲食を用意していたが、16日の朝になり中止の報告を知り、急遽、招待したお客さん全員に開催中止の連絡をしたりして大変だったし、用意していた飲食も無駄になって大赤字だった。だいたい閻魔市が中止になるなんて夢にも思わなかった。」
と話されていたが、その他に、飲食店の店主も
 「毎年、閻魔市は大勢の人出となり多忙となるので、今年もたくさんの食材や生ビールを用意したり、この期間だけはアルバイトも雇ったりしていたので、閻魔市中止による損失は大きかった」
とも語っていたように、中止による影響は各方面の方々に出たようだった。


(三階節と閻魔堂) (えんま市) (えんま市とチマキ) (今日からエンマ市) (えんま市と笹団子) (春日にあったえんま市)

2019年6月12日(水)
「フィリッピン」と「フィリピン」

「フィリピン」は(ご年配の方が)「フィリッピン」とも言われている。

 これは、神戸市立中央図書館(2013年11月16日)によると
 『戦前に刊行された『大南太平洋地名辞典』『南洋地理大系』(1942刊)などには「「フィリッピン」と表記されているが、『外国地名人名辞典」(1903刊)にでは「フィリピン」と表記されている。
 (当館の所蔵資料タイトル等を確認したところは、概ね1950年を境に「フィリピン」へ移行している)』

 次に、80歳代のご年配の方は
 『明治時代の本や文学書は「フイリッピン」と書いてあり、子供の時に読んだ戦争中の新聞もそうだったので、「フイリッピン」が慣れてる』

 また、70歳代のご年配の方は
 『学校の世界史の教科書には「フイリッピン」と書いてあり、教師からもそのように教わったので、今でも「フイリッピン」と呼んでいる』
 上記の図書館では1950年を境に「フィリピン」へ移行しているとなっているが、70歳(1949年生まれ)の人が小学校6年生の時は1961年だったので、1950年から約10経ても学校では「フィリッピン」が用いられていたと思われる。

 これらについては以下の説がある。
、「フィリピン」は英語(正確にはスペイン語だが)で書くと「Philippines」であり、これはローマ字風に読むとppと同じ文字が続くので「フィリッピン」と読んでしまうからであるが、いずれにしても、この「フィリッピン」と言う読み方は日本語読みでも古い読み方である。

 次に、現地人が「フィリピン」を「ピリピン」と発音するのは、タガログ語は「はひふへほ」が「ぱぴぷぺぽ」と同音だからで、これによりフィリピン人には「Philippines」も「Filippines」もどちらでも通じる。
 
 また、「フィリッピン」は「Philippines」 を ローマ字読みすると、 pp は ちっちゃい 「っ」 をつけるというルールで読むからであり、次に、「フィリピン」は h を抜かして発音したからではないか、と思われる。

 因みに「フィリピン」は、英語では「the」という冠詞をつけ、さらに最後に複数形の「s」をつけ、「the Philippines」と書かれ、発音記号は【ðə  fíləpìːnz】となり、これをカタカナで表記すれば、「ザ フィリピーンz」となる。

 つまり、「ザ フィリピーンz」が正確なカタカナ表記であって、「フィリピン」でも「フィリッピン」でもないのである。
 

2019年6月5日(水)
水が入った10気圧防水時計

「10気圧防水の腕時計が、水の中に入れた覚えがないのに水が入り曇った」
と、お客様が仰った。

そこで、時計を開けて見ると確かに水が入っていたので、次にように聞いてみた。

「10気圧(10m)防水時計とは、『時計を水深10mの所に静かに入れても水が入らない』となっています。

ところが、時計を30cmの水の中に入れ激しく左右に振ると、気圧(水圧)が上昇し時計の中に水が入ることがあります。
つまり、時計が30cmの所にあっても、水圧をかければ、水深10m以上の位置にあると同じ気圧になります。

次に、水の中に入れなくても、水道の蛇口から出る水を時計にかけただけで、時計には10気圧かかります。
それは、水道から勢いよく出る水の水圧が10気圧あるからです。
そのため、水道の水が時計にかかる、水仕事が多い人は10気圧防水の時計が必要となります。

但し、上記の通り10気圧防水の時計は、水道から出る水の勢いである10気圧に堪えるが、水道の蛇口にホースを付けてホースの先をつまんで細くし、水圧を上げてしまうと水圧が10気圧以上になり、水が入ってしまいます。

このようなことはしませんでしたか?」

すると、お客様は次の様に答えられた。

「その通りだ! 実は時計に泥が付いたので、水で洗い流そうとしたが、泥がなかなか取れなかったのでホースの先を細くし、水の勢いを強くして(水圧を上げて)時計を洗ったんだ。そしたら、時計に水が入った。

今の説明で、10気圧防水の時計に水が入った原因が分かり納得した、今後は気を付けるようにしよう」
と仰って帰られた。

1,電池交換時のチェック
2,規格外の電池
3,電池電圧を計る
4,電池の液漏れ
5,腕時計と風呂
6,アルカリ乾電池の液漏れ
7,自動巻き時計が止まった
8,自動巻きのネジ巻きが止まらない
9,電波時計の停波中の電池交換
10,電波時計の電波が停波
11,水の入った10気圧防水時計
12,腕時計の電池液漏れ
13,柱時計の電池液漏れ
14,腕時計と放射線量
15,時計と磁気
16、 3軒目の電池交換

2019年6月1日(土)
八海山の随神

 正夢となった夢枕についてお客様(高橋三治の弟)が語ってくれた。

 新潟県南魚沼郡六日町山口に「八海山神社」がある。

 この隣にある社務所(昭和47年造営)の祭壇には、1組の随神
(右の写真)が祀られている。

 この随神は、もともと(六日町山口とは八海山の裏表の位置にある)北魚沼郡大和町大倉の里宮「坂本神社に往古から祀られていた御神像であった。

 昭和7年「坂本神社」は建て替えられたが、その際、旧社は取り壊され、隋神は地に埋められた状態で粗末にされていた。
 
 すると、その5年後の昭和12年10月、随神が新潟県刈羽郡高柳町岡野町の故・高橋三治(前寿美礼屋店主)の夢枕に三晩現れ、『我の祭祀は絶え絶え也、八海の御山に参りて我を迎えて奉仕せよ』とのお告げがあった。
 
 八海山信仰の強信者で、八海山「敬信会」信徒総代でもあった高橋三治は、神夢に畏(カシコ)み、「敬信会」会長・牧霊光に相談し一緒に八海山に訪ね随神を探すことになった。
 とは言え、高柳町と大和町は、現在の道路の道のりで約50Kmあり、当時は殆ど交通機関といえるものはなく、幾つもの峠を越えながらの探索であり、勿論、夢枕の御尊像のある場所が八海の御山以外は知る由もなく。

 そこで手掛かりとなる八海の御山にある、大和町大橋里宮付近一帯を、次に一合目、そして二合目と探したが一向に判らず、ついには「大崎八海山神社」社司・山田正賢にも同伴を求めて更に探し回った。

 すると大倉の「坂本神社」旧社跡まで来た時、土中から光が輝いている様に見えた場所があり、導かれるようにそこに行き掘ってみると、解体され埋没された一対の像が出てきた。
 よく見るとこの像こそが古宮鎮座の随神であり、霊夢の御尊像だと判った。

 そこで慎重に掘り出して持ち帰り、元に組み立てられたこの随神は、「坂本神社」社司・上村官壽に事の次第を告げ、歓請の許可を受け、「敬信会」の牧会長のもとに遷座した。
 しかし、まもなくすると牧会長は出征することになったので、高柳町の高橋三治は右上の写真の様に自宅の部屋にお祭りして預かる事となった。

 その後、高橋三治は昭和21年10月、新潟県三条市「八海山捧讃会」の神殿に奉還祭祀したが、昭和24年7月に「八海山捧讃会」は随神と共に東京へ教会移転した。
 それから20数年経た昭和47年、六日町山口の「八海山神社」では社務所造営の議が起こり、折しも上京中であった八海山神社宮司・村山恒男は「捧讃会」を訪れ、社務所造営の砌(ミギリ)に、是非とも随神を迎えたいとの思いを告げた。

 このようにして昭和12、大和町大倉「坂本神社」で出座した随神は、35年の星霜を経て霊峰八海山に戻ることになった。

 現在この随神は、八海山神社の社務所殿に祭祀され、また上述はその脇に「随神御縁起」として掲示されてある。

(上述は弟が兄・高橋三治から聞いた口伝えであるが、「随神御縁起」とは多少異なる所もある)        (敬称略)

2019年5月30日(木)
牧口家の荒浜移住

 荒浜の総本家・牧口徳右エ門(長崎深光寺)は『荒浜村史』(大正元年発刊)によると、寛永年間(1624~1645)、隣村の正明寺村より移住したと記載されてある。(荒濱村史、p100、大正元年発行)

 しかし、正明寺村には『巻口』の姓はあるが『牧口』の姓はなく、正明寺からの移住は懐疑的な見方をされていた。

 ところが先日、正明寺の巻口さんが来店されたので、これを尋ねてみた。
(牧口)「荒浜の『牧口』と、正明寺の『巻口』は、何か関係があるのですか?」

(巻口)「我が家は正明寺の『巻口』の総本家であり、荒浜の牧口徳右エ門は我が家の(巻口)の分家だ」

(牧口)「では何故、姓が『巻口』から『牧口』になったのですか?」

(巻口)「荒浜・牧口が本家の正明寺・巻口より財を成したので、巻口から牧口に改名した。
 また、荒浜・牧口が正明寺・巻口の分家であった関係で、『正明寺・巻口の親戚であった近藤医師は、荒浜で近藤医院を開業した』と祖母から聞いていた」

 尚、牧口政三郎宅には、順徳帝(明治7)の際と、明治天皇が北越御巡幸(明治11年)の際にご小休された、とも荒浜村史や柏崎市伝説集にには記載されてある。

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 刈羽村正明寺の総本家・巻口:
1、正明寺の巻口家は正明寺の庄屋・巻口徳左衛門であり、先祖は平家の落ち武者との説がある。

2、白川藩の明和期(1764~1772)庄屋名として、正明寺村庄屋・徳左衛門の名が記されてある。
 当時、高田藩(新潟県上越市)主松平定賢は陸奥白川藩(福島県白河市)へ移封(1741)されたが、正明寺を含む刈羽郡や三島郡はそのまま白川藩が領有していた。(柏崎市史・中巻、P155、P209、1990年発行)

3、荒浜の法華寺の前には甲子塔があり、その台座には牧口家の7名がある。「左側からに世話人・藤重郎、某三郎(政三郎)、徳左エ門、長右エ門、善太夫、七良平、政左エ門(政三郎の弟?)」

 そして、その中には牧口徳左エ門の名が刻まれてあるが、この徳左エ門は、荒浜の総本家・牧口徳右エ門の末裔が正明寺・巻口の『徳左衛門』という名を引用して、牧口徳左エ門と名乗ったのではないか?と推測できる。

 次に、政左エ門は、政三郎の『政』と、徳左エ門の「左エ門』を組合せたものではなかいと?とも推測できるが定かではない。

2019年5月19日(日)
デンドロビュ-ム開花

 昨年、一昨年に続きデンドロビュームが開花した。

 しかも、シンピジュ-ムと同様に花の数が増加し、7個となった。
 但し、不注意で一昨日の蕾時に無理な力が加わり1個落下してしまったので、本来は8個開花する予定だったので残念だった。

 また、昨年からは株分けや高芽取りなどをしていたが、これが順調に成長したので、今年は知人に分けてやれるようになった。

 それから、デンドロブュ-ムは「一度花を咲かせた所から再び花を咲かせる事はなく、花後の古い茎も春の新芽が出る時期の養分や水分になるので、全て切り取らないよう元気な茎を3本ぐらいは残しておく。 花が咲き終わって2、3年もすると色があせて細くなるので、そのような役をしなくなった茎は切り取る」と言われている。

 右の写真の花は上記の通り、下半分が昨年花を咲かせた所であり、同じ所から再び葉も出ずに花も咲かせていない。
 しかし、花後に茎が伸び続け、今年は上半分に花が咲くようになった。


 これは来年も同様に、茎が成長し葉や花が付くのか、興味深いところである。
 

2019年5月6日(月)
白馬で乗馬

 外乗という大自然のフィールドで乗馬するホーストレッキング(60分)
 途中で馬が尾を上げて糞をするのを見たり、指定の場所で乗馬したまま、馬に草を食べさせたりすることが体験できて面白かった
 ゴールデンウィーク10連休も最終日となった。

 今年は長野県北安曇郡白馬村にある乗馬クラブで、乗馬を楽しんできた。

 今回は、乗馬レッスンとトレッキングの2つのコースをお願いした。
 
 トレッキングは、青い空と白銀の雄大な北アルプスを一望に収め、雪解け水が流れる川岸からは、心地よい春の風が吹くという、自然のフィールドが存分に満喫できるものであった。
 また、馬は白馬に近い芦毛(あしげ)に騎乗し、通常の人間の目線よりも高い、馬上から見る景色は格別だった。

 次に乗馬レッスンにつてであるが、騎乗には馬の歩く速さにより、常歩→速歩→駈歩とあるが、初心者がまず最初に壁に当たるのが速歩である。
 それは速歩になると、馬の動きが上下に大きく揺れるので、人が座ったままだと反動(反撞)で跳ね上げられ、そして落ちるを繰り返すことで、鞍に尻がガシガシ当たって 擦れて剥けてしまう。

 そこで騎乗する時に、馬の動きに合わせて、馬の上で立ったり座ったりを「1、2、1、2」のリズムで繰り返して、馬の反動を抜かなければならないが、音痴な私はリズム感がなく苦戦した(笑)
 また、この時、足を馬体に密着させ、人の体が馬の反動で自然に上げられるのを待つようにすることも重要である。

 乗馬レッスンは、これまでも他で何回か受けたが、上記の「自然に上げられるのが体感」がなかなかできなかった。
 しかし前回、ここの橋本さんの指導で初めてこの「自然に上げられるのが体感」できるようになった。
 それは橋本さんが重要ポイントを的確なタイミンングで教えてくれるからだと思う。

 また、レッスンやトレッキング時の記念写真をお願いしたら快諾し、ビューポイントで撮り送ってくれるなど、とても親切して頂いた。

 私の乗馬は初心者マークが取れない状態で、まだまだ、たくさん学ばなければならないので、今後も、ここでご指導をお願いしたいと思っている。

 馬場内で行った乗馬レッスン(40分)。  速歩になると、砂煙が上がり上達した気分になるが、馬の背が上下に揺れ、慣れないと尻が痛くなる。 そこでレッスンを受けたが頭では理解できても体が動いてくれない(笑)
2019年5月2日(木)
令和記念の御朱印

 お客様から昨日参拝して頂いたという御朱印を見せてもらい、ついでにこれをコピーさせてもらった。 御朱印はテレビや新聞などで見聞きしていたが、実際に見たのは初めてだった。 
 右の御嶽神社の御朱印には、通常は「参拝」と書かれるが、昨日の5月1日だけはこの文字が「奉祝 天皇陛下御即位」と書かれ、お祝いムードが演出されてある。
 また、一昨日の4月30日は、この文字が「平成最後の参拝」と書かれてあった。

 これに関連した御朱印の御礼についてだが、神社は初穂料として(御嶽神社や八坂神社は)300円から(神社により)500円納めることが多く、次に寺院は志納金として納めるが、この金額は提示せずに「お気持ちで」というところが多いと聞く。

 因みに、御朱印とは、写経を納めた際の証しにもらったのが起源とされ、通常は朱印帳に朱色の印を押し、寺の本尊や神社・祭神名、参拝年月日などを墨書したものである。 但し、その他に事前に書いたものもある。
 
 余談だが、このお客様が帰り際に仰ったことが意味深長だった。
  「先回、元号が昭和から平成に代わった時は、昭和天皇がご逝去された後で、日本全体が重苦しい空気が漂っていた。
 しかし、今回の新元号の発表時は、祝賀ムード一色となり、近年元気のない日本を明るく元気付けてくれてるようだ。
 上皇陛下様はこのように最後の退位まで日本国民のことをお考えくださり、我々は感謝の気持ちでいっぱいだ。」

2019年5月1日(水)
令和元年

 今日から令和元年。
 そこで令和のポスターを昨日から書いていたが、やっと今日までに間に合った。

 妻曰く、「今回のポスターは手抜きだね」

 確かに絵も、文字も簡略されてあるので、手抜きのように見える。
 しかし、今回は構想に時間が掛かったんだ。

 最初は、右側に管義偉官房長官が令和と書かれた色紙を、左側に於かれた鏡の中には 小渕恵三官房長官が平成と書かれた色紙を掲げている、という場面を描く。

 次に両名がリレーをして、平成から令和にバトンタッチをしている場面を描く、のどちらかにしようと考えていた。

 しかし、共に両名の人物像が上手く描けず、時間が掛ったので止めることにした。

 そこでカレンダーだと簡単で、時間も掛からないのでこれに決定することにした。

 ということは、やっぱり今回は手抜きをしたことになるのかな?(笑)

2019年4月30日(火)
御殿山物語

 昭和48年に柏崎市指定文化財となった「剣野御殿山旧跡」は、剣野小学校敷地及び裏山にあった。
 これらについて、牧野勝利氏が右写真の左の「御殿山物語に製本した」と言って、今日持って来て下さった。

 御殿山、御殿楼とは文久2年(1862)、星野藤兵衛が柏崎の大商人と土地を出し合って、桑名藩主が柏崎に来た時に泊まるための御殿を作ったことによるものである。

 牧野氏からは、この他に右写真の右側の「柏崎町・斜め読み」という本も頂いてある。
 
 これには柏崎の起源、柏崎の小路、神社、寺院、人物など柏崎に関することがきめ細かく記載されてある。

 そこでこれを店のテーブルの上に置き、来店された客様にも読んで頂いているが、なかなかの好評である。

2019年4月21日(日)
シンピジュウム開花

 昨年に続いて、今年もシンビジュームが開花した。

 昨年は2鉢の中で1鉢、そして花は5個しか開化しなかったが、今年は2鉢、そしてそれぞれ2本立てで計18個の花が咲いた。

 素人には難しいと言われている洋ランだが、花には興味はなく、どれほど丁寧に育てた覚えはないのに、ビギナーズ‐ラック(beginner's luck)で咲いたようだ。

 これを知っているお客様は『綺麗に咲かせたね』と一応誉めてくれるが、その後に『やはり、夏は冷房、冬は暖房が効いている店の中で育てている環境が良いんだ』と言い、私の腕前を誰も誉めてくれない(笑)

 花は大事に育て過ぎず、適度のいじめた方が良いと言われているが、今年の成功の秘訣は大切にせずに雑に扱ったからかも知れない。

 そこで欲をかいて、来年は三本立てで、より多くの花を咲かすことに挑戦し、来年こそは環境ではなく、私の花の腕前を自慢したいものだ(笑)

 また、昨年はシンビジュームという花の名前さえ知らずに育てていたので、今年は更に詳しく調べたら、このシンビジュームはサンシャインフォールズ ‘バターボール’Cym.Sunshine Falls ‘Butter Ball’とかいう種類で、意味は【花なし株】だとか、そして黄色のシンビジュームの花言葉は「飾らない心」「誠実な愛情」だそうだ。

2019年4月15日(月)
折り鶴

昨日、今日と1泊2日で大阪に行ってきた。
 帰路、新大阪の駅のホームに着いた時、外人の親子4人連れの家族が
椅子に腰掛けていた。
 その親は私達夫婦が近付くと、椅子の上の荷物と小さい子を膝の上に乗せ、私達に席を空けてくれた。

 そこで私は、お礼にホテルで貰った『ORIGAMI(折紙)』と表記された袋をプレゼントした。
 その袋の中には、5枚の色紙だけではなく、鶴や手裏剣などの折り方が英語で記された説明書も入っていた。

 しかし私が、英語を話せなく、手振りで伝えていた為か、その親は折紙が理解できず「?・?・?」という顔をしていた。
 そこで、私はその袋の中から一枚の色紙を取り出し、その家族が見ている前で折り鶴を作った。

 すると、その夫婦だけではなく女の子までもが、目の色が輝き、驚いた顔で折り鶴を見入り、スマホで写真を撮るなどしていた。 
 それから、夫婦そろって私に何度も日本語で「あ・り・が・と・う」と言ってくれた。

 あまりにも喜んでいる姿を見て、私は高度な技術保持者ではないかと錯覚したほどであった(笑)

 右の写真は、その時に撮らせて貰ったご夫婦だが、折り鶴をプレゼントされたご夫婦の笑顔と、宝物のように折紙を大切にしている様子が感じ取れた。
 
 たった1個の折り鶴ではあるが、これは言葉が通じない外国人に心を和ませる特殊な魅力を持っているという、折り鶴の本質を悟ったようでもあった。

2019年4月2日(火)
瑞兆の令和

 今朝は4月だと言うのに一面雪景色になった。
 
 そこで開店時に、店先で出会ったご婦人が

 「新年号が発表された翌日の朝が、こんなに寒く、雪景色になるなんて、新年号の名が悪かったからでしょうかね」
 と聞かれたので、

 「新しい年に降る雪は瑞兆と呼ばれ、縁起が良いのですよ。縁起のよい雪(幸)が次から次へと積み重なるように、良い事もたくさんふりかかってきますよ」
と答えたら、暗い表情から明るい笑顔になられて喜ばれた。

2019年4月1日(月)
新年号「令和」が発表

今日は店の定休日で、病院に行ってきたが、その時の話である。

 午後1時頃、私は受診を終わり椅子に腰かけて会計を待っていた。
 すると、何処からともなく年配の男性が私の傍に来て、
「すみません。今日の午前に、新年号が発表されたらしいが、どんな年号になったかね」
と唐突に話しかけてきた。

 「な・な・何で? この場で? 見ず知らずの人が? 大勢の患者の中で私を選んで? こんなことを聞いてくるのか?」
と、私は???となり、怪訝な顔をしながらも
「さぁ、分かりませんね」とつっけんどんに答えた(当たり前だよね)。

 すると、ショボンとした顔をして「そうですか」と、あまりにも悲しそうな顔をしていたので、なんだか可愛そうになり、
仕方なくスマホを取り出し「ニュース」で新年号を調べて「令和(れいわ)」だと教えてやった。

 男は「有難うございました」答えると同時に、受付から名前を呼ばれ会計の場に向かった。

 ところが、男は何と、また「新年号はどんな年号になったか分かりませんか」と、そこの会計の女性に、聞いたのである。

 「今、わざわざ調べて教えてやったじゃないか!俺のことが信用できないのか!」
 と私は心で叫び、怒りが込み上げてきたが、まずは二人がどんあ会話をするのか、暫く耳を澄まして聞くことにした。
「私(会計の女性)は午前中から勤務をし、『ニュース』は見ていないので新元号は分かりません」
と答えた。

 それを聞いて『ざまあみろ』と思った。
 しかし、よせばいいのにお人好し根性が込み上げ、ソマホを持ち出して二人の会話の中に入り込み、
 「新元号は『令和』です!」
と言って、菅義偉官房長官が記者会見で新元号を発表している写真をスマホに映し出して見せた。

 女性はスマホを覗き込むようにしいて写真を見て
「あぁ、ホントだ。『令和』に決ったんですね。へぇ~」
と言っている傍で、男もスマホを覗き込み『やっぱりそうだったか』という顔をしていた。

 私はドヤ顔になり、男に向かって『今度は分かったか。バーカ~』と小さな声で呟いた。(笑)

2019年3月29日(金)
3軒目の電池交換

 「この時計はホームセンターで、『ここでは電池交換ができないの時計店に行ってくれ』と断られ、次に2軒目は時計店に行ったが同様に断られた。そこでこの店に来た時に電池交換はできますか?聞いたのだ」と、お客様が仰った。

 そこで、見ると時計のガラスは平面ではなく球面で、ガラス枠が金属ではなくゴムになっていた。
 時計の裏蓋を開けて電池交換はできるが、問題は裏蓋を閉める時、ガラスが球面で、尚且つガラス枠がゴムになので支えが不安定になりガラス割れてしまう恐れがあった。

 しかし、弊店ではこのような時計に対応できる特殊な裏蓋締めの器具があるので、
 「時間はかかりますができます」と答え、10分後には電池交換が完了した。

 「この時計はメーカー品ではないのでメーカーに送る事も出来ず、捨てなければならないと考えていたので助かりました。今後もカシオの電池交換や修理を持ってきますのでお願いします」
と言って喜んで店を後にされた。

腕時計の電池液漏れ
柱時計の電池液漏れ
水の入った10気圧防水時計

2019年3月24日(日)
節約(笑)

 某家のテーブルの上には常に「サビオ(絆創膏)」と「切手」が、別々の銀行の封筒の中に入れて置かれてある。

 「サビオ」は傷を負った時に早期治療が出来る様に、傷口の大きさに合わせて大小2種類用意されている。
 次に、「切手」は年賀状で当たった何十年前からの記念切手が使い切れずに残っている。

 先日、簡易書留
の封筒を出そうと某家の「切手」の封筒を持参し郵便局に行った時のことである。
 局員から『簡易書留代は392円』と聞き、銀行の封筒から「切手」を取り出そうとしたら、中から出てきたのは「サビオ」で、よく見ると封筒には「サビオ」と表記されてあった(汗)

 そこで、『出直してきます』と伝えて帰宅し、テーブルの上にある「切手」と表記された封筒の中から「切手」を数枚取り出し貼り付けてから、再度郵便局に行って簡易書留を出してきた。
 
 そこで「それって、ケチくさいない?」と言ったら、「ケチと節約は違う!これは節約だ」とキッパリと即答された。(笑)
 

2019年3月10日(日)
愛一つ(笑)

 先日、同級生の集まりが某居酒屋であった。

 幹事が、ベルで呼んだ店員のお姉さんに
「えっとぉ~、生ビール大を5つ、酎ハイ3つ、寄せ鍋1つ、枝豆1つ、漬物の合わせ1つ、、そして・・・・『愛』を一つ!」
と幹事は言うと、お姉さんは

「ご注文は、生ビール大を5つ、酎ハイ3つ、寄せ鍋1つ、枝豆1つ、漬物もの合わせ1つですね。。。それから・・・『愛』はありません(キッパリ)!!!」

と言われ、彼の淡い思いは瞬時に撃沈された。(笑)

2019年3月5日(火)
そんがん(方言71)

 お年寄りのお客様に「柏崎の方言を教えて貰えないでしょうか」
と、お聞きすると

「そんがんこと急に言われても分からんこって」
と、直ぐに方言で即答して下さった。(笑)

尚、この意味は「そんな事を急に言われても分からないよ」である、

2019年3月1日(金)
ボケが開花

 今日から3月、まだまだ春浅く、寒い日が続いているが、春を知らせるかのように今朝、ボケの高峰錦が開花した。

 今年は暖冬のためか、昨年より開花時期が2週間くらい早かった。

 そういば、今冬は雪が殆ど降らず、除雪車が1回しか出動しなかった。

 それは2月16日の朝で、積雪が28cmになったが、地面が温かく、直ぐに融け8cmになったので、除雪もしなかった。

 こんな雪の降らない年は何十年ぶりのように思える。

2019年2月26日(火)
市川稲荷の力自慢

 「旧諏訪町2丁目」は市川氏によって開発された「市川新田」であった。
 そこで、今の諏訪稲荷も前述の通り「市川稲荷」と呼ばれていた。

 これに関する「市川稲荷の力自慢」という以下の伝説がある。

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 市川稲荷は、なかなかの後利益のある稲荷様であるが、願をかける人はこの市川稲荷様と力比べをしなければならないとされていた。
 願をかける人は稲荷さんの前の石の作り物を、力づくで壊さなければ願い事はかなえられない。
 しかし、稲荷さんが壊れないように抵抗をするので、簡単には願い事はかなえられない。

 ある時、市川稲荷と青山稲荷が力自慢をしたことがあり、市川稲荷が勝った。
 それから青山稲荷が柏﨑を出る時には必ず市川稲荷の許しを得ると約束をされたという。(柏崎市伝説集より)
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 諏訪神社(今の柏崎神社)の伝説には、
 その昔、上杉謙信と武田信玄が、川中島での合戦で勝敗が決まらなかったので、越後と甲州の双方から勇士を出して力比べをし、勝った方が信濃四郡の主になると話し合った。

 そこで上杉謙信は長野県の諏訪神社に『もしこの勝負に勝てば、越後の国中に諏訪の神霊を1万ケ所お祭りしましょう』と祈願し、その後、越後の国が勝つや、謙信は越後の方々に諏訪社を建てた。(柏崎市伝説集より)

 これにより、柏崎も諏訪神社が建てられたが、この関係で、市川稲荷も青山稲荷との力自慢で勝ったという伝説が生まれたのではないだろうか。
 
 余談だが、上述の「謙信が越後国に諏訪の神霊を1万ケ所建てた」ためか、日本で神社が多いのは新潟県の4755で、1番がとなっている。(ちなみに2番が兵庫県の3836、3番が福岡県の3322)
 或いは、明治時代に新潟の人口が日本で最も多く、集落ごとに神社ができたのではないかとの説もある。

2019年2月24日(日)
遅い初午祭

 今日は、旧諏訪町2丁目の諏訪(旧市川)稲荷神社で初午(うま)祭が行われた。 この日は宮司さんからも来て頂き、町内の人や旧町内の人、そして厄年の人などが集い、お稲荷様に家内安全、商売繁盛、開運、厄払いなどをお願いした。

 初午の日は、二月最初の十二支(えと)の「午の日」なので、この日は毎年変わり、今年(2019年)の初午は2月2日(土)であった。
 しかし、今年は町内の諸事情が重なって順延を繰り返し、やっと本日開催することとなった。

 2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、地方によってはこれらの日のみの祭礼を行うところもあるので、今日に初午祭をしても良いと少し苦しい言い訳をしていた。

 諏訪町稲荷は、右上の写真のように、それほど大きい社でもないのに何故か「正一位稲荷大明神」と記されてあり、稲荷神社の中でも最高位の「正一位」である。

 これは鎌倉時代の天皇(後鳥羽天皇)が稲荷神の本社である伏見稲荷大社を訪れた時に、 分霊先(日本全国で3万社ほどある)でも正一位を名乗ることを許可してしまったからである。

 しかし、上述では約1300年前に諏訪稲荷神社が創建されていることになるが、当時の旧諏訪町2丁目には諏訪稲荷神社は存在していたとは思えない。

 それは、西暦1,800年(寛政)頃の古地図には、旧諏訪町1丁目は諏訪神社があり、地名も諏訪新田と記載されてあるが、旧諏訪町2丁目の地名は市川新田となってあるが、市川新田稲荷神社の記載はなく、恐らく市川新田は神社だけではなく人家もなく、あるのは田畑だけだったように考えられるからである。

 そこで、「明治時代の4度の柏﨑大火」によって被災した多くの商店が旧柏崎町(現在の西本町1~7丁目)から市川新田に移転したが、この時に約1300年前創建の正一位の稲荷神社も一緒に移転し、神社の名も地名から市川新田稲荷神社となり、その後地名が市川新田から旧諏訪町2丁目となったり、或いは昭和40年頃、旧諏訪町1丁目にあった諏訪神社が田塚に移転したので、市川新田稲荷が諏訪稲荷となったのではないかと推察できる。

 ちなみに、初午の日の由来は、全国の稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社の創建(711年(和銅4年)の2月初午の日)に由来している。

 今から約1300年前(711年)の2月最初の午の日に、稲荷山の三ヶ峰に稲荷大神という神様が降臨され、伏見稲荷大社を創建した秦伊呂具(伊呂巨)がお餅で作った的に矢を射ると、白鳥となって伊奈利山(現在伏見稲荷大社のある稲荷山のこと)に飛んでいきそこに稲が生えたとのことである。

 この稲荷は、「稲が生る」から「稲生(いねなり)」、そして「稲荷(いなり)」となったとされ、次にこの稲荷神社には一般の神社と異なり、狛犬の代わりに石の狐が鎮座されているが、それは稲荷大神の使い手である狐(きつね)がネズミを捕まえて食べるということで農業の神様として祀られるようになったからである。

2019年2月17日(日)
がめ(方言70)

 「がめ」とは「頭瘡(かしらかさ)」で、頭皮にできる吹き出物、或いは脂肪腫(脂肪細胞が増殖してできる良性腫瘍で、皮下などに発生)の事である。

 50年程前まで、荒浜(荒浜本村)と松波(荒浜新田)の子供たちが、お互いに悪態をつく時に「荒浜のがめでかし(がめができた奴)」や「松波のがめでかし」などと言っていた。
 
 若い頃は洗髪をよくしないと「がめ」ができやすいが、それでだけではなく、これには根底に当時の食糧事情が有ったのではないかと思う。

 当時の荒浜や松波の海岸にはクルミがたくさん流れ着いていたので、子供たちはそれを拾っておやつ代わりに食べていた。

 話は余談になるが、
 クルミは栄養価が高く、適量を摂取することで、ビタミンやミネラルも豊富で美肌効果や、αリノレン酸が血圧を下げたり、血栓を予防することで、血液サラサラ効果、その他にダイエットやアンチエイジングにも効果があり“健康と美容に良い食品”といわれ、中国では「健脳の木の実」として常食されている。

 しかし「過ぎたるは及ばざるが如し」で、食べ過ぎると「太る」、「腸内環境の悪化」、「老化」、「ニキビ・肌荒れ」、「血液への悪影響」などがでてくる。

 話を本題に戻すが、クルミを過剰摂取した荒浜や松波の子供たちは、脂肪がつきやすい身体になり、頭皮の毛穴にも皮脂が詰まって吹き出物(頭皮のニキビ)が出きやすくなる。

 特に雪のある冬期間の荒浜や松波は、流通システムや商慣行が一段と非効率で閉鎖的になり、子供だけではなく大人達も、おやつ代わりに高カロリーの保存食であるクルミを多く食していた。

 これらにより、春になると荒浜や松波では、頭部にがめができた子供たちが多くなった。

 そこで「荒浜のがめでかし」や「松波のがめでかし」などという悪態が生まれたと考えられる。

2019年2月12日(火)
宝くじのお守り(笑)

 「今日は朝から、車が故障、ポットが壊れる、そして時計が壊れ、散々な日だ」と来店されたお客様がぼやいていた。

 そこで私は、「でも、悪事が二度続くと、三度あることも考えられるので気を付けなければならないけど、三度目もあったのでこれからは良いことがあるのではないですか、ひょっとしたら今度は宝くじが当たるかもしれませんよ」と言った。

 大丈夫、宝くじはちゃんと買ってあるから。
 その他に当たらなかった宝くじも車に入れて置き、事故に当たらないようにお守りにしているんだ(笑)

 当たらなかった宝くじもそんな利用方法があったとは知らなかった。
 早速、私も当たらなかった宝くじを捨てずにお守りにして入れて置く事にした(笑)

2019年2月3日(日)
逆ナンパ(笑)

 先週、補聴器(HI-C2YS)を購入されたお客様が、再調整の為に来店された。

「近くの人は聞こえるようになって良かったが、少し離れた人の声が聞き辛い」と仰ったので、以下の調整を行った。

1、全体の利得を上げるために、ゲインを全体に上げるが、響くと訴えたので再考
2、低い音の利得だけを上げるために、低音域のゲインだけを上げるが、響くと同時に声がこもると訴えたので再考
3、言葉を大きくさせるのではなく、言葉をハッキリさせる為に、ゲインの低音域を下げたが、低い声が悪くなったと訴えたので再考
4、音の成分を強調し、言葉を聞き取り易くする為に、音声強調(SSS)の調整を4K以外を0から1にした。これにより「響きもなく聞こえも良くなった」と満足そうに仰った。

 補聴器の聞こえのどこがどのように悪いのか?この症状をお客様は色々な表現で訴えることが多い。
 例えば、「声が小さい」との訴えでも、、「声が聞こえない」ではなく、実際は「高い声が聞こえない」、「低い声が聞こえない」、「言葉がハッキリしない」、「聞こえている言葉が分かり辛い」などがある。

 そこで、これを理解して調整しないと「響く」、「咀嚼音(口の中で食べ物を噛み砕く時に出る音)がうるさい」、「音がこもる」、「音がキンキンする」、「雑音がうるさい」などの副作用が生じる。

 但し、補聴器を装用することは「若い時の聞こえが完全に戻る」のではなく、「若い時の聞こえに限りなく近付ける」ことであることを理解して戴かなければならない。

 補聴器の調整とは、上述を熟知し、個人差のあるお客様の副作用の感度を読み解き、多くの引出を持って、心地よい聞こえを生み出す事である。

 余談だが、調整は時間が掛けて行ったこともあり、補聴器を装用している90歳のおばあさんから感謝された。

 そこで「有難う、有難う。お礼に奢ってやるから飲みに行こう。補聴器の調整などして神経使ってないで、たまには私と飲んだりカラオケで歌ったりした方が良いよ。だからさ!一緒に飲みに行こう」
 と逆ナンパされてしまった。(笑)

2019年1月29日(火)
もの忘れ(笑)

 最近、物忘れが多くなってきたと、気にするようになった。

 ある日、
テレビで見た女優の名前が出そうで出ない。
 そこで何としても思い出そうと、あいうえお順で、「あ」から藍沢、青木、赤沢、荒川、安達、阿部などと一つずつ書き出していった。
 
 やがて「や」、「ゆ」、「よ」まできて、「よ」は横山、吉川、吉田、米山、米倉!、そうだ米倉涼子だった。

 でも、これなら逆の「わ」から始めれば良かった(笑)とも思いながらも
 それでも「とうとう思い出したぞ!」と、勝ち誇ったように大声を出して叫んでいたら、そばにいた妻から

 「よほど、暇を持て余しているんだね。」と軽蔑の眼差しで言われてしまった(笑)

2019年1月26日(土)
祝!大阪なおみ

 大阪なおみさんが、テニスの全豪オープン、女子シングルスで優勝!おめでとう。

 家族でテレビ観戦していたが、試合は手に汗を握る熱戦であった。

 昨年9月の全米オープンに続く、グランドスラム2大会連続優勝となり、その偉業を心から祝福したい。

 そんな大阪なおみさんの写真が、シチズン腕時計の総合パンフレットの表面に、右の写真のように掲載され、その左下には「シチズンブランドアドバイザー・大阪なおみ」と書かれてあった。

 下世話な話で申し訳ないが、シチズンがスポンサー契約したんだろうけど、この金額は今後も高騰するんだろうな。

2019年1月8日(火)
和らぎ水

 妻と某割烹店に行き、日本酒を注文した時、「和らぎ水(やわらぎみず)」が出された。

 「和らぎ水」は、日本酒を飲むとき、合いの手として水をさしてひと呼吸置くことによって、度を越して深酔いするのを防ぐことができる。

 また、食事の合間に水を飲むことにより、口の中がリフレッシュされ、次の一杯や料理の味を鮮明にして、おいしく味わうことができる。

 つまり、「和らぎ水」は、日本酒や料理をより美味しくなるようにとの、店主のおもてなしである。

 次にこの日本酒の「和らぎ水」に対して、洋酒では「チェイサー」という英語がある。
 「チェイサー」は、日本の「和らぎ水」は同じ意味で、「水のおしゃれな言い方」として認識されていることが多い。

 しかし、gooのデジタル大辞典では
1 追跡者。追っ手。
2 強い酒のあとにすぐに飲む水や軽い飲み物。
となっている。

 「チェイサー(chaser)」の語源は「チェイス(chaise)」(追いかける)が変化したものであるので、欧米では「強い酒の直後に追いかけるように飲む水・ジュース・ビールなど」という意味となる。

 例えば海外では、ウィスキーの後にチェイサーとしてビールを飲むこともよく見かけられる。

 よって「和らぎ水=水」だが、「チェイサー=水だけの用語ではなく、水やその他の飲み物(ビール)を含む」となる。

2019年1月2日(水)
初詣

 今年の店の営業は4日からで、3日まで休ませて頂いた。

 正月から寝正月だったので、2日に弥彦神社(西蒲原郡弥彦村弥彦)に初詣に行ってきた。
 例年と比べ雪もなく、天候も良かったので、多くの人が参拝に訪れていて、参拝迄30分以上かかった。

 新潟・越後国にはこの神社の他に、天津神社(あまつじんじゃ)(糸魚川市一の宮)や、居多神社(こたじんじゃ)(新潟県上越市五智)の3社一之宮がある。

その中でも弥彦神社は、3社の中で一番立派で綺麗に整備され、まさに”一之宮”という雰囲気が漂う、神社だ。

 次に初詣とは、氏神さまや、恵方(その年の縁起通いとされる方角)にお祭りされている神社、崇敬する神社などに初めて参拝し、新しい年の平安と無事をお祈りすることをいう。
 古くは年籠りといって、大晦日の夜から朝にかけて氏神さまに篭る習わしがあり、これが初詣の起源と考えられている。

2019年1月1日(火)
謹賀新年

 明けましておめでとうございます。 
 今年は「平成」最後の年であり、十二支の最後の「亥年」でもある。

 但し、十干(じっかん)は6番目の「己(つちのと / き)の年なので、干支は前回1番目の「甲子(きのえね)」から数えて36番目の「己亥(つちのとい / きがい)」となる。

 因みに干支は、十二支()12)と十干(10)の組み合わせなので一巡するのに60年かかり、最後の60番目は癸亥(みずのとい / きがい)となる。

 また、「甲子(1984年)」は60年に一回なので、西暦年(例えば1984年)は60で割って4が余る年(1984÷60=33・・・余り4、)が甲子の年となる。

 それから、これにより43番目にある「丙午(ひのえうま・へいご)」の干支も60年に1回訪れるのである。

 最後になりましたが、今年も宜しくお願い申し上げます。


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