がんば716ショップ
柏崎加盟店
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2010年1~3 ・4~6 ・7~9 ・10~12月
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 21年1~6 7~12月
2013年4月 2013年5月 2013年6月
・ジャズはお好き?
・補聴器の苦手な事

・つぎざま
・筋蒔き爺出現
・「水様」は誤字?
・10分間写生
・旗持山天気予報
・蛇は20°で活動
・「Wi-Fi」を導入
・ムカデを回覧(笑)
・父の卒業年度
・鯖石川と鵜川
・石山合戦
・駒野の田んぼ
・閻魔市笹団子
・空梅雨?(笑)


2013年6月19日(水)
空梅雨?(笑)
 昨日18日に新潟県を含む北陸地方が平年より6日遅く梅雨入りとなった。

 先程来店されたお客様が
 「6月に入って各地で梅雨入りのニュースを聞いていたので、新潟も梅雨入りしたと思い込んでいた。
 そこで、手紙を書く時には、『新潟は晴天が続き、今年は雨が殆ど降らずに空梅雨のようで・・・』などと書いていたが、昨日の新聞には『新潟県も梅雨入り』の記事が。。。。
 梅雨入りしていなければ、雨が降らないのは当然だった。いやあ恥をかいてしまった(笑)」
などと仰っていた。
2013年6月14日(金)
えんま市の笹団子
 柏崎っ子は閻魔市に笹団子とチマキ団子を食べるが、以前はそれぞれの家で作っていた。

 しかし、現在は家庭で作る事は少なくなり、スーパーなどで買って食べる人が多くなった。
 我が家もその一人であるが、今日、市販の団子に食べていて違いがあることに気付いた。

 それは団子を包んでいる笹の枚数である。 家庭で作る団子の笹の枚数は3枚であるが、市販の団子は2枚であった。
 古来日本人は偶数を嫌う慣習があったので、団子を包む笹の枚数も3枚にしていたと思われるが、市販の団子は、「2枚で事足りる、これは省エネで経済効果もある」ということで笹が2枚になったのではないだろうか。

 省エネや経済効果も大事だが、時には昔の慣習などを大切にする心のゆとりも必要ではないだろうか。
 たかが団子ではあるが、何か一抹の寂しさを感じる。

(今日からえんま市)  (えんま市とチマキ)   (えんま市)  (三階節と閻魔堂)
2013年6月12日(水)
駒野の田んぼ
 鯖石川の鵜川よりの川口付近には、駒野と言う人が開墾した「駒野の田んぼ」と呼ばれる田んぼがあった、と聞いた。
 この駒野様とは60年前からの弊店のお客さまであったので、早速「駒野の田んぼ」について伺った。
 「田んぼは明治生まれの両親が開墾したもので、約20町歩(約9.917ヘクタール(99.170平方メートル)あった。、
 田んぼは砂地であったが、常に清水が湧き出ていたので収穫量は少ないが美味しい米が出来た。清水のお陰で田んぼの水が涸れることは殆どなく、逆に水が有り過ぎたので常に海に水を流していた。
 その為に、大きな嵐が来た時には海に水を流していた管が砂で詰るので、嵐の後は砂を掘り出さなければならなかった。
 また、稲刈りが終わった後は、詰ったままにしておくので田んぼに水が溜まり池になっていた。
 それから、この地は、鯖石川の洪水時にはもよく浸水する氾濫原でもあったので、大変だった」
などと仰った。

 この「駒野の田んぼ」は、現在の安政町、北園町付近にあり、地名が「悪田」(現在の桜木町)と呼ばれていた場所とは違っていて、同一ではなかった。

 「鯖石川と鵜川」 参照
2013年6月9日(日)
石山合戦

 刈羽村にある浄土真宗大谷派のあるお寺様に仕事で伺い、ご住職様からお寺の歴史について伺った。
 「お寺の創建は今から約400年前で、先代は上杉謙信の家来で武士であったが、親鸞が3年間高田にいた影響で浄土真宗でもあった。

 石山合戦 (いしやまがっせん)が始まる前に、本願寺法主の顕如から全国の本願寺門徒に檄を飛んできたので 石山本願寺のある大阪に行き参戦したが、戦はその後10年続いた。

 石山合戦後は本願寺の内部対立が続き、20年後に教如法主が京都の七条烏丸に東本願寺を立てると、顕如の長男の教如法主と三男の准如法主の2派が対立して分裂し、本願寺2派は布教活動を争うようになった。

 先代は、石山合戦後は顕如から教如に従い、本願寺が分裂してからも僧としての修行をしていたが、戦国時代が終わり平穏な時代になると、挙兵の必要性がなくなった京都から故郷の越後国戻り布教活動を始め、その後教如の法嗣(法主後継者)の宣如からの書状を受け刈羽村に寺を創建した」と仰った。

  時の天下が足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと目まぐるしく移り変わる動乱の時期におよそ40年間も翻弄され、武士からご住職になられたご先代様の話を拝聴し敬服した、と共に日本の歴史がこんなに身近にあったのかと驚いた。


某お寺様にある教如上人の寿像

(寿像とは生きておられた時のお姿の像である)


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親鸞:
 鎌倉初期の僧で浄土真宗の開祖、建永2年(1207年)、後鳥羽上皇の怒りに触れた親鸞は、流罪に処せられ赦免までの3年間、越後国国府(現、新潟県上越市)に配流されていた。

 大坂石山本願寺:
 元は本願寺第8世法主蓮如が隠居先として選んだ場所で大坂御坊(石山御坊)と呼ばれ、本願寺は京都山科を本拠としていたが、天文元年(1532年)に細川晴元と日蓮宗徒の法華一揆らが結託し、山科本願寺は焼き討ちされ山科は廃墟になったので、10世法主証如は大坂御坊を本願寺の本拠とし、石山本願寺と改称した。

 石山合戦:(当時最大の宗教一揆)
 室町から安土桃山時代、元亀元年(1570年)から天正8年(1580年)にかけて行われた浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)と織田信長との戦いで、本願寺11世法主の顕如法主が本願寺の本拠としていた大坂の石山本願寺に篭って戦ったことから石山合戦という。
 天正8年(1580年)、信長と本願寺は3度目の講和をし、顕如ら門徒は大坂退城し、顕如は石山本願寺を嫡子で新門跡の教如に渡し、紀伊鷺森御坊に退去した。

 本願寺の分裂:
 しかし、顕如退去後に教如が講和に反して石山を占拠したため、顕如は教如を教如を義絶(信長の目を逸らす為の顕如の策略との説もある)し、内紛の核となった教如を廃嫡し3男の准如を嫡子と定めたので、本願寺は顕如と教如の2派に分かれた。
 その後天正10年(1582年)の本能寺の変の信長の死の直後に後陽成天皇により和解し義絶を赦免された。
 秀吉の時代になると、天正19年(1591年)に、顕如は京都中央部(京都七条堀川)に土地を与えられ、本願寺を再興した。
 文禄元年(1592年)に顕如の死没後、教如が本願寺を継ぐが教団内に対立が起こり、翌年に豊臣秀吉の命で教如は隠居させられ弟の准如が跡を継いだ。
 しかし教如は、大坂の大谷本願寺(難波御堂、現在の真宗大谷派難波別院)を本拠地として、法主としての活動を続けたため、本願寺は准如を支持する派と教如を支持する派に分裂した。
 慶長3年(1598年)秀吉の没後の、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いから2年後の慶長7年(1602年)、教如は徳川家康(本願寺が内部対立して勢力を弱体化させるための家康の策略との説もある)から土地の寄進を受け京都の七条烏丸に東本願寺を立てたために、本願寺は東西に分かれ、それぞれが布教活動を争うようになった。

 西本願寺と東本願寺:
 この東西の2派とは、西の現在の浄土真宗本願寺派(西本願寺系)と、東の現在の真宗大谷派(東本願寺系)である。

 宣如(せんにょ):
東本願寺第十二代 教如の第12子(三男)として生まれ、慶長19年(1614年)教如の示寂により東本願寺を継承し、第十三代となる。


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 後日、この石山合戦後に柏﨑に来た西本願寺派の方の話しを聞いた。

2013年6月2日(日)
鯖石川と鵜川は合流していた

 荒浜から分家し、松波に住みついて9代目になるというお客様から話を聞いた。
 
 「先代から次の昔話を聞いたという。
1、昔は鯖石川と鵜川が合流していた。
2、鯖石川は安政橋付近から海に並行に南西に蛇行して流れ、その川口は現在のアクアパーク附近だった。
3、鵜川は八坂神社の裏側付近から柏崎神社裏に向かって北東に蛇行して流れ、アクアパーク付近で鯖石川と合流して海に流れ出た。しかし二つの川はいつも合流してはおらず、蛇行して離れたりくっ付いたりを繰り返していた。これにより鵜川と鯖石川は夫婦川(めおとがわ)とも呼ばれていた。
4、鵜川が蛇行していた名残りとして、柏崎神社裏から喬柏園裏を通り八坂神社迄での間には幾つもの急な坂と壁がある。
5、鯖石川の川口がアクアパーク付近であった名残りとして、旧荒浜村の漁業権は今でも、荒浜村からアクアパーク付近迄となっている。
6、鯖石川の昭和30年より前に、鯖石川の河川工事が行われ、現在の川のように川口は安政橋から海に真直ぐ延びた所になった。
7、この鯖石川の河川工事によって、蛇行していた川がなくなった場所は池となり、環境浄化センター、臨界工業団地、柏崎第一中学校、アクアパーク付近には数か所残っていた。
8、臨界工業団地から臨界浄化センター付近には大きな田んぼがあり、これは駒野という人が開墾したので「駒野の田んぼ」と呼ばれ、10町歩(約0.9917ヘクタール(9917平方メートル)ほどあった。
9、松波の人々は環境浄化センターが出来る前に残っていた池が、鯖石川を渡ったあっち(向こう)にあったので通称、「あっちんけ」と呼んでいた。それは「あっちの池」から「あっち池」、「あっちんけ」と派生した俗称であった。
10、最後に、数百年前か、それ以前かもしれないが、昔の松波の村は海の中にあった。その場所は、現在の鯖石川の川口から海に出た付近にあったという。

(1)~(4)から(10)は河川工事をする前に鯖石川が流れていた位置

(1)~(4)は河川工事後に池になって残っていたところ

(5)柏崎神社の裏側が急な坂と壁が残っている

(6)は安政橋で少し上流に悪田の渡しがあった

(7)は昔の海岸の位置で、沖まで延びていた。
(8)は現在の海岸
(9)昔に存在していた松波集落
(10)は鯖石川と鵜川が合流していた位置

「駒野の田んぼ」参照
2013年5月26日(日)
父の高校卒業年度
 先日、来店された80歳代のお客様が 父の母校である柏崎商業高校の後輩だったのが分った。 すると今日そのお客様は、父が23回生で昭和9年3月卒だったことを調べ、それを書いた紙を持参されて来店された。

 その紙には、間違いのないように 父の名前と住所も書かれてあり、几帳面なお客様の性格が表れていた。

 父・喜吉は大正3年生まれで、生きていれば99歳になる。そんな古い過去を遡って 多くの卒業者名が記されてあった名簿から見ず知らずの父の存在を探し出すことはどんなに大変だったことと思うと感謝の念に堪えなかった。
2013年5月11日(土)
ムカデを回覧(笑)

 某会社の社長が来店され、ムカデの話しをしてくれた。

 その社長宅は数年前に移転されたが、そこは里山が近くにあり 時折ムカデが家の中に侵入してきた。
 ある日、とても大きいムカデが入ってきたので、湯沸かし器の熱湯で殺してから 大きさを測ってみると13センチもあった。
 色は背がこげ茶色で足はオレンジ色、あまりにも美しく立派?だったので捨てるのが勿体なくなり、このムカデを紙にセロテープで貼り付け、会社に持って行き、社員にも見てもらおうと回覧と判を押して回した。
 すると、それを見た殆どの社員から「社長、悪い冗談は止めて下さい」とブーイングを浴びせられたので、途中で回覧を中止したそうだ。(笑)

2013年5月8日(木)
光ステーション「Wi―Fi」導入

 店に光ステーション「Wi―Fi」を導入した。

 フレッツ光ネクストの回線を使って、「Wi―Fi」環境を作ることはできたが、実は「Wi―Fi」とは何か?よく解らない。
 パンフレットには、
1、「光ステーション」とは公衆無線LANアクセスポイントサービスのことである。
2、店内に光ステーション「Wi―Fi」を導入することにより、公衆無線LANサービス「フレッツ・スポット」が使用できるようになる。
3、お客様がお待ちの「Wi―Fi」端末で、1日2回最大10分(エリアにより15分)ずつ20分間(エリアにより30分)無料でインターネット接続ができる。
4、他の公衆無線LANだとそれぞれの契約者しか使えないが、光ステーションはどこの会社の「Wi―Fi」端末でも繋がってインターネット環境を利用できるので便利である。
5、万が一の災害時には、誰でも使える無線LANインターネットを無料で開放でき、地域への貢献度は大きい。
などと記載されてあるが、これから「Wi―Fi」について勉強していかなければならない。
 

2013年5月5日(日)
蛇は20°で活動
 今朝、4時起きして山菜採りをしてきた と言うお客様が来店され、

 「山菜を早起きして採るには次の理由がある。
1、誰よりも早く行けば 山菜をたくさん採れる。
2、陽が昇ると暖かくなって 折角採った山菜が萎(し)おれ、生きが悪くなるので、その前に家に持ち帰った方が良い。
3、暖かくなると、蛇が出て噛まれる危険性が増す。
以上の3つがあるが、この中の3では、蛇が活動を始める気温を知っていると心強い。

その活動気温とは20度で、これ以下だと 蛇は殆ど動かないでじっとしているが、これ以上になると 動き出し活動を始めるので、入山時には、この20度を知ることは重要である」
などと教えてくれた。

 山には山の、それなりの知識が必要なんだと思った。
2013年5月4日(土)
旗持山の天気予報
  来店された方が旗持山の天気予報の言い伝えを聞かせてくれた。

 「連休で柏崎港に行き 釣りをしていた時、空が急に暗くなり小雨が降ってきた。
すると、そこにいた釣り人が
『大丈夫だ。旗持山には雲がなく、青空が出ている。だから、雨はすぐに止み、晴れてくるから帰らなくてもいいぞ』
と言われ暫くすると、本当に雨が止み それまで暗かったが空が みるみる明るくなって 青空が出てきた。
 昔の人の言い伝えも 以外と頼りになるものだ と感心した」
と言った。

 難しい知識がなく、何も道具を持たなくても、自分の行動範囲の中から 誰もが簡単に天気の変化を推測出来る 智恵を持った先人に 敬意を払いたくなった。

 尚、「旗持山」は 国土地理院の点名が「城山」で、柏崎市米山町にある 標高366mの山城である。
 戦国時代には、上越地方と中越地方を結ぶ 重要な街道の軍事的拠点でもあった。
 
2013年5月1日(水)
10分間写生

 連休で帰省した同級生から 「10分間写生」の話を聞いた。

 「10分間写生」とは 10分間で 鉛筆での下書き、水彩絵の具で色付けをして 絵を完成させることだそうだ。
 
 道具は右の写真のような4点セット(100円ショップで買い揃えたもの)で、他には筆を拭く為のテッシュだけである。

 最低限のお金、小道具、時間で完成させるという、省エネ写生を楽しむのが醍醐味だという。

 ただ、筆が一本しかなく、白っぽい色から黒っぽい色の順に色付けをしないと 色が混じって思う色が出ないので、下書きが終ったら 全体の色を思い浮かべて 色付けの順番を決めて描かなければならないので、最初は四苦八苦したようだ。

 それでも、絵を描いていると 子供達が寄ってきて、10分の間、描きあげる絵を見入り、色々と言いながら喜んでいる姿を見ると、これもまた楽しいものだという。

 彼は、「10分間写生」は 写真を取るよりも 思い出がたくさん残って楽しいし、世界でオンリーワンの 貴重な財産になる。これを始めたらやめられなくなった」と、本当に楽しそうに語りながら スケッチブックに描かれたたくさんの絵を見せてくれた。

 余暇を利用して趣味を楽しむには、こんなに素晴らしいものもあったのか と感心させられた。


「10分間写生」の小道具
(1)、鉛筆(上に消しゴム、キャップには鉛筆削り付き)
(2)、パレットと筆(絵具は家でパレットに入れて置いてある赤、青、黄色、白、黒、緑、茶色の7色で、筆は一本)、
(3)、葉書ほどの大きさのスケッチブック、
(4)水入れ、


 絵の右下には場所と年月が記載されてある。
2013年4月24日(水)
「水様」は誤字?

 先日、宛名に書かれてある「様」という字は手紙などを出す相手によって、主に「様」という字の旁(つくり)の下部を「永」、「次」、「水」などの3様字形が使い分けられ、 その中で、現在では「水」の様が一般的であり、誰に対しても用いられる、などと記述した。

 
しかし何故か、漢和辞典などでは「永」を用いた「樣」(様の旧字体)と「次」を用いた「檨」はあるが、「水」を用いた漢字はなく、新字体の「様」は、字の旁(つくり)の下部が「水」ではなく、「水」の左が「フ」ではなく「ン」に近い、「泰」という字の旁(つくり)の下部のようになるのが正しい。
 一説によると「永」のくずした字が「水」に似ているので、「水」を用いた「様」が使用されるようになったとも言われているが定かではない。
 
 ついでに、新字体の「様」について 蛇足かもしれないが述べてみる。
 新字体の「様」と言う字の旁は 羊に点々を左右2つずつ書くのが正解だが、これを2つに分けて書いていたこともあった。 
 つまり上に「ソ」と「王」、下に「泰」という字の下部というように切って(分けて)書いていた。

 このように、「様」と言う字の旁を 繋げたり切ったりする書き方があるのは、次様、永様、水様などと旁の下の部分を書き替えていたので、上と下を分けて書いていた という名残なのかもしれない。

2013年4月15日(月)
筋蒔(すじま)き爺出現
 昨日の気温は22.8°まで上がり、近くの公園に行ったら桜が満開だった。

 この桜が咲く頃になると、辛かった花粉症との戦いもあと少しで終わりになる。
 今年の花粉は2~3月に暖かい日が多く 飛散開始が早かったので、終了も昨年より約一週間早くなりそうだが、花粉は全国平均で昨年の約1.7倍が飛散したようだ。

 また、この時期の農家の田では あちらこちらで田起こしの姿が見られるようになり、米山には「筋蒔き爺さん」の雪形が現れた。
 この「筋蒔き爺さん」は場所によって「タネマキ爺さん」とも呼ばれ、昔の農家の人々はこの雪形が出るのを見て苗代の筋蒔きをしたと言う。
米山に出現した「筋蒔き爺さん」の雪形
2013年4月10日(水)
つぎざま
 某会の総会案内の葉書が届いた。
 その宛名に書かれてあった「様」という字が、「様」という字の旁(つくり)の下部を「次」と書いた「檨」の字になっていた。

 相手を尊敬する意味で使用される接尾詞型の「様」(さま)には、いくつかの字形がある。
 それは「様」の字形を崩した美様、平様などがあるが、主に用いられたのは永樣、次様、水様の3様などである。

1、えい‐ざま(えいさま)「永様」、「
 あて名の下に書く「様」という字の旁(つくり)の下部を、楷書(かいしょ)で正しく「永」と書いた「樣」の字。
自分よりはるか目上の人物に最も尊敬した書き方として用いられる
2、び‐ざま「美様」
 手紙の宛名に付ける「様」の字の書き方の一つ。旁(つくり)の部分を美の字の草体のように書くもの。最も敬意が高い永様(えいざま)に次ぐ。

3,つぎ‐ざま(つぎさま)「次様」、「
  「様」という字の旁(つくり)の下部を「次」と書いた「檨」の字。
 自分より少し目上または同等の人物に用いられる。

4、すい-さま(つぎさま)「水様」
 「様」という字の旁(つくり)の下部を「水」と書いた字。
 現在の一般的な「様」で 自分より目下の人物に用いられるが、現在ではこれが一般的で、誰に対しても用いられている。 るが、使い分けることが推奨される

5、ひら‐ざま【平様】
 手紙の宛名に付ける「様」の草体の一。多く目下の者に用いる。つくばいざま。 

 以上で、今回の差出人は目上の方から戴いた葉書なので「次様」になっていたが、このような「様」は久々に戴いた。
    
  (「水様は誤字?」参照
2013年4月6日(土)
補聴器の苦手な事
 初めて補聴器を購入したというお客様が来店された。
「補聴器は装用と同時に若かった頃のように聞こえる」と考えておられる方が多いと思う。
しかし、「補聴器による聞こえ」には限界がある。

 そこで、次のように「補聴器の苦手な事」を理解し、初めて装用する時にはいきなり一日中かけないで「補聴器に慣れるには」などのように少しずつ慣らしていく事が大切だという説明からさせて戴いた。

 補聴器の苦手な事
1、遠くになると聞こえにくい(離れた所からの挨拶や遠くからの呼びかけ)
2、雑音が多いと聞きにくい(電車の中、食堂、道路、大きな物音がする工場、効果音の大きいテレビドラマ)
3、人数が多くなるほど聞き辛い(人の多く集まる会議や集会、講演会)
4、スピーカーの声は聞きにくい(インターホンの声、電車やバスの車内放送、病院などの呼び出し音)
5、早口の話は聞き辛い(NHKニュ-スのアナウンサーなどは聞き易い)

 補聴器に慣れるには
1、静かなところでテレビの音を聞く(人の耳で聞く音と、補聴器を通した音は多少違う)
2、人の声だけでなく、日常の生活音も聞いてみる(家の中での食器のぶつかる音、水道音、エアコン音)
3、本などを声を出してゆっくり読み聞いてみる(人の声だけではなく、自分の声も大きくなる)
4、静かなところで対談する。相手の人にはゆっくり話しして戴く(補聴器を通した人の声は多少違う。早口は聞き辛いので、まずはゆっくりした話から慣らす)
5、
6、4~5人の会話を聞き、どの人が話しているかに注意し、自分も話しの中に入る(人の声はそれぞれ周波数が違っているので、聞きたい人の声を聞き出す。積極的に会話する)
7、会話を聞ける自信ができたら、いよいよ日常生活に使う(屋外の道路での車や風の音、駅での電車などの音)
8、いろいろな場所で使って補聴器の音に慣れる

以上のように慣らしていって貰いたいが、高価な補聴器には これらをより聞き易く慣れ易くする為の機能がたくさん搭載されているので値段に差がある。
2013年4月2日(火)
ジャズはお好きですか?

 突然、お客様から
「ジャズはお好きですか?」
と問われ、私が「ん?」いう怪訝な顔をしていると、そのお客様は
「実は何度かこの店に来たのですが、いつも店のBGMにジャズが流れていたのもですから、ご主人はきっとジャズが好きなんだろうと思ったからです」
と付け加えて言われた。

 そこで私は、
「そうでしたか、実は私にとってのジャズは、聞く前に拒否反応を起こすような音楽でした。
 それは、私に1番縁のない音楽がクラシックだと思っていたが、それより遥か遠くにジャズがあったからです。

 当店では約40年前から店にBGMを流していますが、ポップスから始まり、映画音楽、季節音楽、クラシックなど、心を癒す音楽は何かとジャンルに拘らずに何十年も聴き比べて選んだ結果、行きついた音楽が何故かジャズでした。

 近年、私の周りにジャズ好きな知人が増してきていたので 違和感は少し和らいできていましたが、それでも何故、多くのジャンルの中でわざわざジャズを選曲して聴いていたのか不思議で、自分自身で驚いています。

 店に流れるジャズを聴いているお客様の反応を見ていると、ジャズは老若男女に違和感なく溶け込んで心を癒すようです。
 それはどこか日本の民謡に通じるものがあるようにも思えるのです。」
などと答えた。
ともあれ私のジャズ感は、好きというより何時の間にやら私の中に忍び込み根付いてしまったようである


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