2018年6月28日(木) |
白内障レンズ |
「35年前に作成した、白内障(キャタラクトレンズ)の眼鏡が壊れてしまったので、某眼鏡店に行ったら『白内障眼鏡は作る事ができません』と断られたが、この店では白内障眼鏡は作ってもらえるか?」
と、高齢のおばあさんを連れたお客様が来店されたので
「はい、弊店では白内障眼鏡を作る事ができます」
と、答え、久々に白内障レンズの眼鏡を後日に作成してお渡しした。
そこで、この白内障レンズについて説明をすることにした。
近年の白内障の手術は、曇った水晶体を取り除き、ピントを合わせるために水晶体の代わりに「眼内レンズ」を挿入する方法で行われる。
この眼内レンズが 世界で初めて挿入されましたのは1949年で、眼内レンズは、戦闘機の風防ガラスの破片が目の中で長期間炎症を起こさなかったことがヒントとなり、この風防ガラスと同じ素材で開発されたそうである。
しかし、以前は白内障の手術は、眼内レンズを挿入する技術がなかったので水晶体を取り除くだけの方法しかなかった。
その結果、水晶体は眼の中にある強度の凸レンズなので、曇った水晶体を取り除たので明るくはなったが、遠くも近くもピントを合わせることができなくなってしまう。
そこで、これを補うために、水晶体の変わりに強度の凸レンズの眼鏡を掛けることで、ピントが合わせることが出来た。
この白内障術後の専用メガネレンズが、右の写真の「キャタラクトレンズ」で、英語のキャタラクト(Cataract)は訳すと「白内障」のことである。(このレンズは古い見本なのでレンズが黄ばんでいるが、実際は透明である)
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2018年6月17日(日) |
亡き妻の指輪 |
中年の男性が来店し
「この指輪は亡き妻の忘れ形見なんだ。
私が身に着けていたいので、(宝石などが付いていない18金の)指輪のサイズを大きくして欲しい」
と仰った。
『亡き奥様は、今なお追憶の中に生きているんだ』
と私は思った。
以前も、亡き夫の時計を直して往時を追懐する奥様がおられた。
弊店の仕事は、お客様の追想のお手伝いをすることでもあったと、再認識した。
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2018年6月13日(水) |
やさしい眼科知識 |
永年欲しいと願っていた、平成元年(1989)発行の「Nikon やさしい眼科知識」(右の写真)を入手することができた。
これは先日、ニコン・エシロールの方と話した時に上記の本を求めていると伝えたら、「私は先月大阪で行われた眼鏡学会で、徳間さんの研究発表を聴いていた。そこで今後の徳間さんの研究に役立てば贈呈したい」と仰って、社内にあった貴重な本を送って頂いたのである。
この本を求めていた理由は、平成27年(2015)から研究発表を行ってきたいるが、この本が30年ほど前に両眼視機能の研究を始めた時(1989年)の、最初の参考文献だったからである。
また同じく30年ほど前、私は斜視のプリズムレンズによる眼鏡処方の眼鏡を作成する時、三角関数による計算式を用いていたが、ニコンの小冊子「ニコンニュース」にプリズム処方の作図が掲載された時、私の計算によると異なる作図になると指摘したことがあった。
その後、私の計算によって訂正された作図が掲載されたのが、この「「Nikon やさしい眼科知識」であった。
このように、この本は独自の計算式が認められ、これにより自負心が芽生え、次のスップの両眼視機能の研究を始める起因となった。
しかし、このような大切にしていた本は、11年前に柏崎で中越沖地震が起きた時、本棚に入れて置いた本が崩れ落ちたと同時に、熱帯魚が入っていた水槽も倒れ、本は水によって紙と紙とがくっ付いた状態になってしまった。
直ぐに本を拾い上げ水分を拭き取れば良かったが、当時は家中の物が倒壊したと共に、ライフラインも断たれ、生活を維持する事もままならなかったので、本の片付はひと月以上経ってからであった。
そんな回想に耽けながら「Nikon やさしい眼科知識」を読み返している。
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2018年6月9日(土) |
最終ビックリ市 |
毎年開催されていたビックリ市が今回で最後となった。
25年程前、相次ぐ大型店の出店が決まり、諏訪町商店街の店主は皆で集まりその対応策を話し合った。
しかし、そこで出た意見は、諏訪町商店街は場末に位置し、大型店もなく弱小店ばかりで集客力もない、駐車場が無い、或いは店主が高齢化しその後継者もいない店も多くシッター商店街になるのは時間の問題だなどと、明るい展望のないものばかりだった。
そんな中、一人の店主が「諏訪町商店街は小売店の斜陽化を止める力はない。しかし、その斜陽化の速度を遅らせることは可能だと思う。そこで論点をこれに絞り、皆でなんとかしょうねっかぃ」と言った。
このようにして作られた会の名称は「なんとか商ねェ会」とし、試行錯誤を繰り返して「ビックリ市」の開催へと結びつけた。
「なんとか商ねェ会」は、進化する「ビックリ市」でなければならないとし、それまでの骨董市や野菜市主体の「ビックリ市」にフリーマケットやシルバー人材センターの刃物磨ぎやかしわハンンズのパンの販売などの参加を募り、参加が実現した。
尚、かしわハンンズとは障害者自立支援法の規定による障害福祉サービス事業所による活動である。
更に諏訪町商店街は、新潟県内の商店街では3番目にホームページを開設し、その場でフリーマケットへの参加を全国に呼びかけ、県外からの参加者を迎える事に成功した。
これらの進化により、最終の「ビックリ市」まで多くの出展者希望者があり、開催日の2週間前には出展者の募集を中断させて頂くようにまでなっていた。
また、このように盛況であったので、先回、今回と出展者から「ビックリ市継続」の嘆願書が出された。
今日、開催された「ビックリ市」の看板(右の写真)には、今日までこの「なんとか商ねェ会」が主催として記載(左上の写真)されてあった。
25年の歴史があった「ビックリ市」と共に、この「なんとか商ねェ会」も終幕を迎えることとなった。
最後に、これまで「ビックリ市」と「なんとか商ねェ会」にご協力して頂いた関係各位にこの場を借りて感謝の意を表します。
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2018年6月6日(水) |
葉でバッタを作成 |
80歳のお客様から、葉で作成した右の写真のようなバッタを頂いた。
また、予備の葉を1枚持参し、店で私の目の前で作ってくれたが、その製作時間は10分もかからなかった。
葉の堅い芯は足に、柔らかい周りの葉は羽根、そしてその葉を何回も折り曲げで胴体に、最後の圧巻は葉を針で細く切り裂て作る触覚であった。
見た感じは、大きさや形がキリギリスのようである。
店に飾っているとそのバッタはあまりにもリアルなので、他のお客様は本物だと思ってビックリしていた。
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2018年5月29日(火) |
出る杭は・・・ |
「出る杭は打たれる」とは、頭角を現す者は他人に妬まれ制裁を受ける、というネガティブな意味であり、日本社会の特徴を表しているとも言われているが、これは「5人組」が関係しているのではないだろうか。
この「五人組」とは、慶長2年(1597) 、豊臣秀吉が治安維持を目的として、百姓や町人に連帯責任や相互監察を持たせた組織であり、徳川幕府もこれを継承した。
幕府などは「五人組」によって、目立つ人間をなくし、都合よくコントロールし、人を統一させようとしたのである。
例えば、「五人組」の中の一人が変革を試み罰せられそうになった場合、他の四人も連帯責任として罰せられるので、頭角を現す者は他人に(他の4人に)妬まれ制裁を受けるようになった。
そこでこのような「五人組」により、「出る杭は打たれる」ということわざが出来たのではないだろうか。
因みにパナソニック創業者の松下幸之助氏は、「出過ぎた杭は打たれない」と付け加え、「出る杭は打たれる」を疑問視したようだ。
ところで、「出る杭は打たれる」と同様のことわざは、海外では「木が高くなれば風当たりが強くなる(A tall tree catches much wind)」がある。
しかし、その真意は、前者がネガティブで、後者はポジティブとなり正反対である。
それは、「木が高く(他の木よりよく育ち優れた木は他人の注目を浴びる)なれば、その地位(立場)に応じて当然、風当たり(多くの称賛と共に、非難等)も強くなるが、これらに対応することで人は強靭となって成長する」。
つまり、欧米では集団より自己主張を重んじる傾向が強いので、「木が高くなる」は自己主張によって非難をもらい、それを乗り越えて成長することは重要であると捉えられ、「強い風」はポジティブに考えられていて、決して「頭を押さえる」といった考え方ではない。
また、これと同じ意味のことわざに 「嫉妬は栄誉の付き物である(Envy is the companion of honor)」もある。
よって、これからの日本社会は「青年よ、出る杭となり打たれよ!」となるべきではないだろうか。
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2018年5月17日(木) |
電線カット |
大阪に滞在中、乗車したタクシーの運転手さんが「阪神・淡路大震災」の体験談を語ってくれた。
地震が起こった時、運転手さん夫婦は大阪にいて大きな揺れを感じたが怪我はなく、家もどうにか無事で、ガス、水道、電気も切れることはなかった。しかし、家具は倒れ、家の中は散乱したのでその後片付けは数日かかった。
翌日、ご主人は仕事に出かけたが、その数時間後奥様から「直ぐに帰って来て!」と電話があった。
急いで帰宅すると、電気が消えて暗くなった家の中から奥様が怯えながら出てきた。
何事があったのかと奥様に聞くと、
「地震により、和室の天井にあった吊り下げ式の照明器具が地震で垂れ下がり、天井から照明器具まで電線がむき出し状態になっていたので、ハサミで電線を切ったら体中が感電し、家中の電気が消え、その後も電気が付かなくなった」
「そ、そ、そうか。。。感電し、怪我がなくてよかったな。でも、通電している電線を切れば漏電するし、ブレーカーも上がってしまうよなぁ」
とご主人は答えたそうだが、これは地震で奥様が動転していたからかもしれないとも思った。
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2018年5月16日(水) |
研究発表(4) |
女児殺害事件の容疑者が逮捕され、新潟県はマス・メディアの耳目を集め連日騒がしくなっている。
そんな新潟を離れて、一昨日、昨日(5月14、15日)は大阪を訪れた。
それは大阪市にある「大阪マーチャンダイズ・マート(OMM)」において、日本眼鏡学会主催の『第22回年次セミナーおよび定時総会』が開催され、その年次セミナーで、昨年に続き4度(論文は5回)目の研究発表を行ったからである。
今回の演題は「斜視と生理的複視に関する一考察 ‐立体視を知覚する間歇性斜視‐」である。
一昨年までは「ホロプターに生じる複視の研究」(論文1~3)による生理的複視の研究を行った。
そして昨年はこれを基にして、生理的複視の論理で「プルフリッヒ効果の機序」(論文4)を発表した。
尚、このプルフリッヒとは錘が移動する時、反応時間が左右眼で異なる視差移動によって生じるが、本件ではこの視覚現象は生理的複視によるがその時の注視線は錘から乖離することを説いた。
そこで今年は、これまでの「実際空間で生じる静的な生理的複視(論文1~3)」と、「物体(錘)の移動で生じる動的な生理的複視(論文4)」、そして今年実験したステレオグラムによる「平面図で生じる静的な生理的複視」と、「間歇性斜視の病的複視による静的な生理的複視」などは、全て生理的複視で成立ち、立体視はこの生理的複視によって確認できる ことをシミュレーション作図などを用いて説いた。
発表後に、「生理的複視」と、「斜視による立体視と深視力検査」などについて、2名の方から質問を頂いた。
また、昨年と同様に当日の参加者には小冊子『プログラム・抄録集』が手渡せられたので、演題の抄録は事前に見る事が出来た。
次にこの論文は、日本眼鏡学会から年2回発行される「眼鏡学ジャーナル」に今後掲載される予定である。
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2018年5月6日(日) |
シンピジューム開花 |
昨年、お客様から2鉢のシンピジュームを頂いたが、その1鉢が開花した。
頂いた時は花の名前も、どんな色の花が咲くかも、聞いていなかったので、花が咲かず葉を鑑賞するものかもとも思っていた。
ただ、鉢に入っている土を見た時、サボテン系で寒さには弱そうと思ったので、冬は家の中に入れ、春になってから外に出していた。
その後に花芽を持った時、他のお客様からこの花がシンピジュームだと聞いて驚いた。
昨年、3年間も咲かなかったデンドロビウムがやっと開花したが、シンピジュームを開花させるのはもっと難しいと聞いたからである。
来年はまた咲かすことが出来るだろうか?
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2018年5月3日(木) |
悟り世代? |
今日、柏崎では成人式が開催されたが、子供が成人式に出席したという父親と話す機会があった。
「成人を迎えられたお子さんは、ゆとり世代になるのですか?」
と、聞くとその父親は
「子供曰く、『俺たちはゆとり世代ではなく、悟り世代だ』という。
俺(父親)たちの世代は貧乏で、幼少時は『あれが欲しい、これが欲しい』という物的欲求が大きかったので、大人になったら大きい車に乗りたいなどの物質的要求を満たす夢を描き、目標達成に向けて努力してきた。
しかし、今の子供たちの幼少時は我々世代と違って一応裕福だったので、子供が要求する前に、親から希望の物を与えてもらっていた。
また、我々の世代は日本経済が成長期でもあったのである程度の夢は実現できたが、子供世代は夢を描いても夢は実現できない世代でもあった。そこで夢は持てないのであきらめると悟りを開いた『悟り世代』になってしまった」
と、語ってくれた。
そこで、「さとり世代」につてを調べると次のようになった。
1、「ゆとり世代は、「ゆとり教育」を受けた1987年4月2日から2004年4月1日までの生まれで、これに対し、「さとり世代」は「ゆとり教育」教育が終了した後に、義務教育を受けた2005年4月1日生まれで、バブルが崩壊した後から生まれた世代でもある
2、特徴として、「欲がない」こと。恋人を欲しがらない、車を欲しがらない、結婚をしたがらない、旅行に行かない、贅沢をしたがらず、お金は最低限の生活ができればいい。
3、人間関係はあまり広げたがらず、なによりも「安定」を望む。
4、若いはずなのに、人間が本来あるはずの煩悩を捨て、全ての欲から開放された「さとりの境地」に到達した高僧かのような世代
今の子供たちに 夢を持たせないようにしたのは、我々世代の責任だと思うと、やるせない思いが心にのしかかってくる。
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2018年4月29日(日) |
はったく(方言67) |
方言での「はったく」とは、叩くという意味である。
「子供の頬をはったく」などの他に、「あいつは株ではったかれた」などのように「(株で)金銭を使い果たさせれてしまう」ときにも使われる。
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2018年4月24日(火) |
クンシラン |
「クンシラン(君子蘭)が咲いたら取りに来て」
と、昨日、叔母さんから電話を頂き借りてきた。
早速、今日から店頭に飾ったが、数人の通行人が振り返って立ち止まり、
「立派なクンシランですね」
と言ってくれ叔母さんに代わって鼻高になっている(笑)
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2018年4月10日(火) |
偏頭痛 |
抄録作成による執筆や、それに伴うシミュレーション作図に夢中になっていたら、数年前に発病した閃輝暗点が、数日前から再発した。
前回の発病時に、脳神経内科に行きMRIを撮った時、医師より
「脳には異常は見られなかったが、閃輝暗点が酷くなると偏頭痛の併発するので気を付けるように」
と言われたが、今回は閃輝暗点だけではなく、とうとう偏頭痛も併発してしまった。
脳が悲鳴を上げているようである。
どうしようかと考えていたら、以前、知人が偏頭痛は肩こりからもなることがあると言ったのを思い出した、確かに今回の偏頭痛は左首と左肩の凝りが酷かった。
そこで、昨日は指圧をいてもらいに行ったら、偏頭痛が大分軽くなった。
しかし、PCを少し長く見ていただけで、直ぐに偏頭痛とフワフラしたりする動揺性が出始め、これらの良薬はPCから離れるのが一番のようだ。
これからは抄録だけではなく、発表用のパワーポイントの作成もあるが、これらは短時間で済ますようにしなければならないと痛感した。
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2018年4月3日(火) |
靴の履き替え(笑) |
春になり、車のスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換したり、外出時には厚手のコートも着なくなった。
そんな中、ハイヒールを履いたある若い女性が来店された時、急に何かに躓き倒れそうになった。
驚いていると、その女性は
「数か月という冬期間、長靴を履いていたのでハイヒールに慣れずに躓きそうになった」(笑)
と仰った。
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2018年4月1日(日) |
頭位めまい症 |
今朝、起きようとして枕から頭を上げた時、周囲や自分がグルグル回っているように感じる回転性のめまいが起こった。 と同時に、平らな床が斜め45度に傾いたようになって平衡感覚がなくなり、真っ直ぐな歩行ができなくなり、また、軽い吐き気、そして
グラグラしたりフワフラしたりする動揺性をも伴った。
但し、難聴や耳鳴りなどの聴覚の症状は起こらなかった。
幸い、暫くしていたら症状は治まってきた。
実はこのような症状が起こったのはこれで2度目であるが、今回は先回より発症してから治まるまでの時間が長引いた。
これは「良性発作性頭位めまい症(BPPV)」と言われるらしく、はがれた耳石が三半規管に入って発症するらしい。
前回、その対処法は「エプレイ(エプリー)法」という軽い体操が良い、と知人から聞き、その方法をネットで検索するとこれが出てきたので、それを実行したら治った。 そこで、今回もそれを実行したら治った。
勿論、素人で病気を判断することは危険なことなので、もし症状が長引いたり、悪化したりしたら直ぐに病院に行こうとは思っている。
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2018年3月29日(木) |
同級生の歳(笑) |
同級会があり、そこに参加した同級生が、久々にあった同級会を見て言った。
「おぅ、お前!年取ったな。幾つになった?」(笑)
確かに頭はつるつるで、お腹はぽっこりであった。
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2018年3月22日(木) |
人の名前(笑) |
人の名前にはいろいろな言い方をして自己紹介をする人がいる。
そんな例として「佐藤敏夫」氏や「原田辰蔵」氏などがある。
「佐藤敏夫」氏は、「砂糖と塩」、そして「原田辰蔵」氏は「腹が立つぞ」と聞き間違いをすることがある。
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2018年3月2日(金) |
荒浜村史 |
お客様から荒浜村史(発行者:柏﨑郷土資料刊行会、昭和53年8月1日)を戴いた。
ただ、この冊子の1頁の上段には、諸言、大正元年7月31日、荒濱尋常高等小學校長・板垣 榮誌、下段には編集委員長:板垣 榮、委員:渡辺八十一、他4名と掲載されてある。
つまり、大正時代に刈羽郡荒濱村の村役場が作成した「荒浜村史」を、荒濱村と合併した柏崎市が半世紀以上経過してから製本して発行したものと思われる。
村名起源、
柏崎番神岬と椎谷観音岬との中間に湾入せる砂濱中に孤獨せる村落にして風荒く随って荒濱たる村名の起源となれりと
元禄年間の記録に三島郡野崎保高松庄荒濱村とあり以後文化頃鵜川庄荒濱とあり
荒濱村沿革
荒濱は往古かりわ濱と称し荒砂を以って埋められたる一原野なりき
口碑云天正(1573~1593)の頃、能登国に柴野三左エ門と云う人あり石山軍の味方となり戦敗れ跡を晦(くら)まして當地に来り製塩業を始めむ
天文(1532~1555)の始め信濃国更科郡小森澤の郷長に品田重親という人あり故ありて孫新左エ門春房を越後三島郡荒濱に遣わす
斯(かく)して柴野氏は今の二十九番、品出氏は八十一番の地を相し荒涼たる一原野に始めて一部落を形成したり是れ即ち荒濱村の創始也爾来(じらい)物変り星移り今の村落をなすに至れり
新田(松波)
荒濱村と西中通村大字悪田の境界は鯖石川を以て区割りす而して往時は商工業未だ発達せず主に天然物魚類等を捕獲して生活しているが故に、両村民は大に此の境界を争ひ川尻を左右し境界を廣めたり新田村は此の境界番として天和年中善四郎弥助興三郎権三郎作蔵なるもの本村より移住して玆に一部落をなしたるに始れりと云う
荒濱村部落創成より最も速く移住したるもの
品田新左エ門 : 信濃国更科郡小森澤郷長品田重親の孫、天文(1532~1555)年間移住
柴野三左エ門 :
柴野源右エ門 :
柴野弥右エ門 : (椎谷華蔵院過去帳による)寛文(1661~1673)年間
渡辺茂右エ門 : (原村普光寺過去帳による)天和年間
品田権左エ門 : (柏崎西福寺)天和(1681~1684)。年間
牧口徳右エ門 : (長崎深光寺)寛政(1789~1801)。年間 正明寺村より移住
桑原甚左エ門 : (金泉寺)寛政年間 剣村より移住
品田市郎平 : (高野山本中院明王院) 元文(1736~1741)。年間
遠山治郎右エ門 : (原村普光寺)宝永(1704~1711)。年間
渡辺太郎冶 : 頸城村より移住
大島藤次右エ門 :
本間仁左エ門 :
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(石山軍;石山合戦は織田信長と摂津国石山本願寺に拠る本願寺第 11世顕如との間で元亀1 (1570) 年から始まり天正8 (1580) 年に顕如が信長に屈服し、 11年間にわたって続けられた合戦は終結した。しかし、15世紀末、浄土真宗本願寺の8代法主・蓮如上人の布教活動により急速に門徒が増えていた加賀では、織田に最後まで抵抗した加賀一向一揆の最後の砦(とりで)として知られる鳥越城が落城した後も、山内衆を束ねていた鳥越城主の鈴木出羽守は、織田勢に抵抗を続けた。その後天正10年(1582)年3月、ついに力尽きた。生け捕りとなった300人ほどが手取川の河原で磔(はりつけ)にされ、以後、数百年間は周辺の村々から人の姿が途絶えたと伝えられている)
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2018年2月26日(月) |
市民雪捨場 |
昨年の暮れ、「カマキリやカメムシによる雪予想は少雪」と聞いた。
しかし、今冬は例年より1カ月早い11月19日に初雪があり、降雪量も昨冬の3倍もの大雪となり予想は大きく外れた。
また、最大積雪深は平野部の中心部では68cmだったが、山間部の高柳町山中トンネルでは231cmであった。
浦浜に設置されて「市民雪捨場」には、捨てられた雪で、浜辺には巨大な雪の山が出来上がっていたが、今日も久々の晴天だったためか、次から次へとトラックが来て雪が捨てられていた。
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2018年2月11日(日) |
今日は買出し日 |
今週の5日(月曜日)から寒波が停滞し連続した大雪となり、特に8日は(指定観測地点の一つである柏崎市元城町の)積雪量が今冬最高の95cmになった。
この影響で今朝の市の広報では、「今日になっても柏崎市内でバスが運休したままになっている地域がある」と放送していた。
それでも、一昨日あたりから寒気が緩みだし、今日の(同、元城町の)積雪量は48cmまで下がった。
しかし、来週からまた強い寒波が来ると言われている。
そんな中、夫婦、或いは子連れなどの3組の家族が来店し、
「来週からまた強い寒波が来ると言われているので、これから大雪に備えて1週間分の食料の買い出しに行く予定だ。そこで一週間分の多くの荷物運びを手伝ってもらう為に、休日で家にいた夫にも一緒に来てもらった」
と、それぞれの家族が仰っていた。
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2018年2月6日(火) |
全国最高降雪量 |
柏崎地方では強い寒気が流れ込み、市街地の指定観測地点の一つである柏崎総合高校の24時間降雪量が70cmとなった。
この平野部での70cmは、この日の全国最高降雪量(全国で一等賞だと自慢する人もいた(苦笑))になり、不名誉な記録を残したが、これは過去最高の降雪量であった1974年2月14日の71cmに並ぶものであった。
また、柏崎市の山間部の旧鵜川小学校では265cm、同じく高柳町石黒で251cmとなり、指定観測地点の積雪深が240cmを越えたため、市では今日の午前9時に豪雪警戒本部を設置したが、これは2015年1月13日依頼の設置となった。
この大雪の影響でJRが運休、見合わせなるなど交通網に大きな支障が出た。
新聞配達をしている人が、「鯨波では一晩の降雪が70cとなり、雪が胸まである中を泳ぐようにして新聞を配達なければならなかったので、通常は1時間で終わるのが、午前2時から8時までかかってしまった」と言っていた。
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雪ダルマと化した車 |
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2018年2月2日(金) |
酷道(笑) |
1月25日には最強寒波が襲来し、東京では48年振りに-4℃を記録したが、柏崎も-4.4℃で最大瞬間風速は21mとなり、広範囲で吹雪による吹き溜まりができ、交通機関は大幅に乱れた。
また、高柳町石黒では積雪が178cmになった。
この日の当商店街の積雪は16cmだったが、その後も降り続き一昨日の積雪は40cmくらいになったので、道路の両脇には雪の山ができ、道幅も狭くなってしまった。
このような状態が続くと、排雪作業を行わなければならないが、この費用は商店街で負担しなければならないので、振興会長は積雪量と天気予報を見ながら決断をしなければならず、頭を悩ますのである。
しかし一昨日どういう訳か、今年は片側だけではあったが無料で排雪作業を行わなわれ、道幅も広くなり安堵した。
但し、この排雪は国道である諏訪町通りだけで、同じような道幅であっても市道はしなかった。
すると、この話を聞いたお客様が次のように仰った。
「そうか市道はだめだけど、こくどうは排雪してくれるのか。我が家の前の道路もこくどう(酷道)なんだけど排雪してもらえないかな(笑)
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2018年1月28日(日) |
ねこせる(方言66) |
昨夜は“ねこせて”しまった。
これは“ねこせて”は“寝過ごしてしまう”の方言である。
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2018年1月25日(木) |
サウナと眼鏡 |
来店されたお客様が、
「5年前に購入した眼鏡が急に見えなくなった。そこでレンズを見るとコート膜が剥がれたようになっていた。
これは経年劣化によるものか?それとも、他店で買った眼鏡レンズのクリーナーが悪かったのか?」
と仰った。
そこで、そのプラスチックレンズを見ると、確かに反射防止コート膜が剥がれていた。
プラスチックレンズのコートティングは、反射防止コート膜の下にプラスチック素材とコート膜の接着剤の働きをする「ハード層」というものがある。
外的要因でこのハード層が劣化すると、コート膜の密着性が劣化し、コート膜はがれに進行することになる。
一般的にハード層の劣化がなければ短期間にプラスチックレンズのコート層がはがれることは殆どない。
しかし、高湿にさらされたことによる熱クラックや、キズが生じていたり、汗やアルカリにより、ハード層は劣化する。
これは、これらにより物資が浸透しやすくなり、コート膜の密着性が急速に低下するからである。
まず、キズによる原因は以下のようなものがある。
1、強い力でレンズを拭いて、擦りキズをつけてしまう。
2、眼鏡をコンクリートの上に落したり、飛んできた小石などが当たり、強い衝撃がレンズに受ける。
3、眼鏡で光学製品を覗いた際、接眼部で接触キズを付けてしまう。
4、レンズの保管場所が悪いために出し入れの際に接触キズをつけてしまう
【注】レンズを拭く場合は、レンズの表面の砂やホコリを払ってから軽く拭く。
次に、身近なアルカリ等による原因は以下のようなものがある。
1、眼鏡レンズ洗浄に、石鹸、ボディソープ、カーシャンプー、ハンドソープ、ガラスクリーナー、パイプクリーナー、カビ取り剤等を使用する、或いは液がレンズにかかる。
2、つけ置きメガネ洗浄剤を指定された時間以上につけたままにする
3、汗や温泉水などがレンズについたままにする(温泉場合は水分が蒸発し硫黄だけが残り、レンズを劣化させる)
【注】汚れがひどい場合は、中性洗剤を薄めた液で洗い、軽く水ですすいだ後、直ぐに水気を拭き取る。
それから、熱クラックによる原因は以下のようなものがある。
1、眼鏡をかけたままサウナ風呂に入る
2、炎天下に、眼鏡を車内のフロントなどに放置する。
3、ドライヤーの熱風に当てる
4、バーベキューや焚き木の輻射熱に当てる
5、保温ポット、炊飯器、アイロンなどの傍に置く
6、炭火やホットプレートの輻射熱に当てる
7、タバコと接触する
【注】 熱クラックはメガネを60℃以上の高温にさらされる環境で使用することで生じる。
プラスチックの基材と金属の薄膜とは熱膨張率が大きく違うため、高温にさらされると、熱膨張によってプラスチックの基材からコート膜が強い力で引っ張られて、耐え切れずにヒビ割れが起きてメロンの表皮のように見える熱クラックが生じる。
上記のお客さんが何故コート剥げになったのか、いろいろと問いかけてみると、経年劣化によるものでも、眼鏡レンズクリーナーでもなく、眼鏡を掛けたままサウナ風呂に入ったのが原因と分かった。
そこでお客様には、今後、サウナ風呂に入る時には眼鏡を外して入るように伝えた。
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2018年1月17日(水) |
ショウトタイム(笑) |
昨日会合があり、最後の締めの挨拶をしようとしている時だった。
急に一人が席を立ちトイレに向かった。
すると、司会者が
「只今、しょう(小:小便)と・タイムですので、今しばらくお待ちください」
と言った。(笑)
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2018年1月13日(土) |
列車立ち往生 |
1月11日、JR東日本の信越本線で、新潟県三条市の東光寺駅を発車した列車が、積雪のため次の帯織駅にたどり着けず、ほぼ中間地点で立ち往生した。
結果として、乗客が最大15時間半にわたって車内に閉じ込められた。
列車には当時およそ430人が乗っており、満員状態だったが、疲れた人に代わる代わる席を譲るなどの光景が見られたという。
この乗客が席を譲り合うきっかけとなった一つに、次のようなエピソードがあったという。
車内に閉じ込められ数時間が経った頃、80歳位の婦人が、傍で疲れて苦しそうに立っていた若い男性に向かって
「私が立つから、あなたは交代して座らない?」
と言った。
その男性はご老人を立たせて自分が座るわけにはいかないと躊躇していると、婦人から続けて
「あのね。私は座り続けて腰が痛くなってきたの。だから私は立ちたいので、交代してもらえない」
と言われ、男性は申し訳なさそうにその席に座らせてもらった。
すると、それを見ていたその他の席に座っていた乗客も、次々に疲れた人に席を譲り始めた。
列車内はそれまで満員状態で疲労感が溜まり、いらだち初めていた雰囲気が、これにより急に明るくなり、救出されるまで列車内全員が一つになってお互いに助け合い、心も体も疲れが和らいだ。
当日の運転士は応援が来るまで一人で乗客の対応をした。一人で除雪作業をし、また、車内放送では申し訳ない気持ちや、疲れがわかるような声の放送があり、一部の乗客からは『頑張れ!頑張れ!』と励ましの声も上がっていた。
そこで幾人かの乗客はこの様子を伝えようと、「JRの方の苦労、ありがたみや頑張りをすごく身近に感じた」などの運転士の苦労をねぎらう声や、運転士の対応を称賛した声などを、ツイッターに上げていた。
これを聞いてほっこりとした気持ちになり、やっぱり日本人って素晴らしい国民だあらためて誇りに思った。
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2018年1月1日(月) |
初日の出 |
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
今初の絵の題目は、「初日の出に万里一空を誓う」を「初日に誓う」に略して描いた。
万里一空とは、宮本武蔵の『五輪書』に記載されてある言葉で、「世界はどこまでいっても空は一つ」、或いは「全てのものは一つの世界に留まっている」という意味で、これが転じて「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」、或いは「心に迷いがなく、一つの目標に向かって精進する」という。
また、左下は約70年程前の羽子板で、お客様が親から買って貰ったのをお借りしたものである。
羽子板はお正月に女児の初めてのを贈る風習があるが、それは羽子板が様々な災いをはね(羽根)のけて、健やかに美しく育つようにとの願いが込められているからである。
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