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2015年1月 2015年2月 2015年3月
・謹賀新年
・お客様の年賀
・夢ふくらむ
・石山の合戦
・じん(方言44)
・熊出没?
・啓蟄
・ヒヤシンス咲く
・井戸端会議
・屋根瓦屋
・柏﨑大火
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・学窓を巣立つ

・カルキ抜き
・ボケの花咲く
2015年4月 2015年5月 2015年6月
・桜花爛漫
・たてる(方言45)
・液漏れ電池
・ハナマル商品券
・ウグイスの鳴き声
・時計の洗濯(笑)
・視力表暗記(笑)
・学会で研究発表
・ビーチサッカー
・ながまる(方言46)
・切絵あやめ草
・梅雨と雨蛙
・雨乞いに蛙
・三階節の冊子
・PCメモリ増設


2015年6月18日(木)  
PCメモリ増設

 我が家には3台のディスクトップと 1台のノートのPCがある。
 半年前、OSがビスタのディスクトップのPCが 容量オーバーで動かなくなったので リカバリをして予備にしていた。

 すると先日、このPCの1年後に購入した、もう一台のビスタのPCが故障し完全に動かなくなってしまったので、新しいメモリを購入し、古いPCにメモリを増設して使うことにした。

 PCのリカバリは 以前にも何度かしたことはあるが、メモリを増設するのは初めてだったので、故障したPCで練習してから、行ったが意外と簡単であった。

 ついでに、内部に溜まっていたホコリも掃除したせいか、増設後のPCは動きがとても良くなり、これでもう暫くは使用できそうになった。

PCの外枠を外し、手前にあるメモリの部品を取り換え、もう一つメモリを加え4倍のメモリに増設した。
2015年6月6日(土)
三界節の冊子

題名が「越後名物・さんがいぶし」と記された今から93年前(1922年)の冊子が手に入った。

序文には、表題の「越後名物三階節」とあり、三階節について書かれ、特筆すべき事は三階節の由来についてである。

「三階節は承応(1652-1655)の頃、下町の専福寺に法の妙を得た僧侶があって此の説教を聴聞した善男善女が僧の雄辯(弁)にして且つ法話の妙なるを嘆我(たんが?:意味不明)し

 出家(しげ)さ 出家さ と聲(こえ)にする 出家さ
 出家さの御勧化(ごかんげ)越えても参りたい
と唄ったのが抑々(そもそも)三階節の始めだと傳へられて居る」

 とあり、諸説ある三階節の由来について、柏﨑文庫と同じ説が書かれてあった。

最後のページには
、大正拾壹(11)年八月八日印刷、大正拾壹年八月拾参日發(発)行≪定價(価)金拾五銭≫
編輯(集)兼發行人 高桑 卯平 大洲村字中濱参七壹番地
と記載されていた。

「三階節あれこれ」はここをクリック


約百年前の三階節の冊子

製本は糊付けだけなので、古くてバラバラになりかけている
2015年6月4日(木)
雨乞いに鳴蛙

 梅雨時の蛙は生き物の代表である。
 
 店のテーブルの上には、この蛙の木彫りの置物があるが、これは鳴き蛙とも呼ばれ 棒を口にくわえている。
 何故、鳴き蛙かというと、棒を口から外し、棒で蛙の背中をなでると 本物そっくりの鳴声がするからである。

 原理は、叩くとポクポクと音がする お寺にある木魚と同じで、叩いた音が内部に共鳴する為に中が空洞に彫ってある。
 そこで、鳴き蛙の背中を棒で擦ると、この摩擦音が内部で響いて蛙の鳴き声が聞こえるのである。 よって、木魚のように下に座布団を敷くと、より共鳴が大きくなるので音も大きくなる。
 
 この鳴き蛙は、東南アジアインドシナ半島の中国に接する タイ、ラオス、べトナム北部地域などにある民芸品で、タイでは 蛙は空をつかさどる王様の叔父とも言われたり、蛙が福(雨)を呼ぶラッキーアニマルとして親しまれ、雨乞いの儀式に使われるようだ。
 また、この鳴き蛙は、ギロ(guiro)と呼ばれ楽器としても使われているようである。

 ちなみに、日本での蛙の鳴き声は「ケロケロやゲコゲコ」などだが、タイでは「オップオップ」だそうだ。
では、この辺でオップまい(おしまい)。(冷笑されそう・・・)


木彫りの鳴き蛙
 蛙の鳴き声を出させる方法は、口にくわえている棒の細い方を右手に持ち 太い方で尻の方から頭に向かって 背中を軽く擦るよいにする。

 但し、この蛙の背中には トサカのような凹凸の突起が 細工されてあり、左手で強く掴んで擦ると 音がこもるので、左手は蛙に触らない様にして この背中の凹凸部を擦るのがコツのようで、下に小さな座布団などを敷くと 鳴き声が響いて大きくなる。
2015年6月3日(金)
梅雨と雨蛙

 今日から6月、早いものでもう半年が終わろうとしている。

 沖縄ではもう梅雨入りしたそうだが、この「梅雨」または「黴雨(ばいう)」の語源は、この時期に梅の実が黄色く色づいて熟すからという説、次に、この時期は気温が25°前後で、雨により湿度が高くなるという好条件により黴(カビ)が発生がするので「黴雨(ばいう)」と呼ばれるようになったという説が中国から伝えられた、ともいわれている。

 また、この梅雨時に出会う 生き物の代表としてアマガエル(雨蛙)がいて、雨が降る前にケッケッケッケッと鳴くことがある。これは気圧の変化を察知することで、雨が降ることがわかるとも言われ、天気予報の 発達していない時代には農作業の目安になっていた。

2015年6月1日(月)
切り絵 あやめ草

テーブルには季節ごとの切り絵が置かれているが、今月は、あやめ草の切り絵で、脇には
「昨日まで隣におりしあやめ草 きよう我が宿のつまと見るかな」

 この原作は平安時代中期の貴族であり歌人であった、大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん/921~991)の「拾遺和歌集」にある「昨日までよそに思ひしあやめ草 けふ我が宿のつまと見るかな」かと思う。

 「あやめ」は細やかで美しい様、「けふ」は京で山の頂上を表すので絶頂となり感の極み、 「端(つま)」は妻に音が通い、「見る」は見合(まぐわい)で男女の交接を表すことから、『昨日までよそよそしかったあやめのような美しい人と、たった一夜(京:感の極み)を境にして、我が家の軒端(妻)となり離れ難い仲となって共に見ていることよ』と、男女の縁の不思議さを匂わせている。


その他の切り絵: /初春 / /夏 / 
2015年5月30日(土)
ながまる(方言46)

 以前、下越の日帰り温泉に行った時、休憩室に「奥に長(なが)まれる部屋があります」と書かれた張り紙があった。
 「長まる」とは方言で、長くなる。からだを長く伸ばして横になる、という意味で、「横になってゆっくり休まれる部屋がある」ことである。

 これは、新潟県の他に青森、秋田県などで使われているようである。

2015年5月29日(金)
ビーチサッカー

 海水浴にはまだ早いのに、きれいに日焼けしたお客様が来店されたので、その訳を尋ねたらビーチサッカーをしていると仰った。
 
 柏崎のビ-チサッカ-は、3年前からチ-ム名「AQUA MORCEGO(アクアモルヤ-ゴ)」として活動している。(Facebookにある柏崎ビ-チサッカ-チームのURLはこちら

 また、このチ-ムにはAQUA MORCEGO FUSION (ヒュ-ジョン)(プロの男子チーム)、 AQUA MORCEGO LEOVISTAL(レオビス)(アマチュアの男子チーム)、AQUA MORCEGO PESTANA(ペスターナ)(女子チーム)、AQUA MORCEGO Jr(子供チーム)などがあり、SEA YOUTH雷音(シーユース.らいおん)裏のみなと町海岸公園で毎日午後4~6時まで練習している、などと話してくれた。

2015年5月22日(金)
日本眼鏡学会で研究発表
一昨日、昨日と店を休み、柏﨑から岡山まで片道約7時間かけて、岡山県岡山市にあるワールドオプティカルカレッジまで行ってきた。
 
 「何故そんな遠くまで?」と言われるが、その理由は21日にあった日本眼鏡学会主催の『第19回年次セミナーおよび定時総会』で研究発表を行ったからである。(プレゼンの一部はこちら

 演題は『ホロプターには複視が生じるとの一考察』(複視により、二つのホロプターの整合性は取れる)であり、当日の参加者には小冊子『プログラム・抄録集』が手渡せられたので、演題の抄録は事前に見る事が出来た。(抄録はこちら

 プレゼン後、「研究はどのような実験器具を用い、どのような方法で行ったのか?」などの質問があり、事前に用意していた実験器具の写真を用いて説明はしたが、制約された時間内での回答で一部しか出来きず十分な理解が得られてなかったようで残念であった。

 また、実験器具の説明は抄録にも記載されていなかったが、これは今後、日本眼鏡学会から年2回発行される「眼鏡学ジャーナル」に掲載される予定である。
(2016年5月25日に続編を発表)

パワーポイントで資料を作成したプレゼンテーションを行い、200名近い聴衆があった
講演後の質問で実験器具の説明をした。(写真の右上の図は実験器具の写真である)
2015年5月10日(日)
視力表暗記(笑)

 60歳代のお客様の視力測定をしていた時、次のような事を語ってくれた。

 「昔、俺が小学生だった頃の視力検査は紙に印刷されたひらがなを読む検査だったので、視力表に記載されてある『り、さ、つ、く、け・・・・・』などとひらがなの文字を全て覚えれば、いつも視力検査結果は1.2か2.0だった(笑)

 検査表は数字や輪の切れた方向を答える検査もできるが、何故か検査をする先生はひらがなの検査しかしなかった。

 それも小学校1年から6年生まで、学校では毎年検査する視力表は同じものしか使用していた。

 小学校の6年間忘れずに覚えていたお蔭で、50年過ぎても未だに忘れずに覚えている」(笑)

2015年5月1日(金)
時計の洗濯(笑)
 水が入り止まってしまった時計を持参し、「この時計の件で、今、夫婦喧嘩をしてきたところだ」と仰りながら、男性のお客様が来店された。

 その理由は、ポケットに腕時計を入れたご主人のズボンを、そのまま奥様が洗濯機で洗ってしまった、からだという。

 ご主人は、「何故、洗濯をする前にポケットに中を調べなかったのだ!」と言い、
 奥様は、「一応は調べているけど、洗濯の度に一つ一つを丁寧になんか調べていられない時だってあるわよ」と反論し、口論になったという。

 そこに同席し、これを聞いていた別の男性のお客様は
「そりゃ奥さんが悪い、時計は堅いし、それなりの大きさだってあるのでから外から触っただけでも直ぐに分かるだろう。そんな簡単な調べもしないで洗濯する方が悪い」とご主人に賛同したが、

 同じく同席していた別の女性のお客様は
「そりゃご主人が悪いに決まってるでしょう。だって主婦業は忙しいんだから 全てを完璧にと要求する方がおかしい。だいたい、洗濯して貰って有り難いという感謝の気持ちがないから そんなことを言うのよね。最低!」と一気に捲し立てられ、一蹴された男性達は小さくなり返す言葉を失った。(笑)

 どちらも50歩100歩だと思うが、口論となると どうも男性の方が、分が悪くなる事が多いようだ。(笑)
2015年4月20日(月)
ウグイスの鳴き声

 雨上がりの朝6時頃、「ホーホケキョ・・・ホーホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケッキョッ!」とのウグイスのさえずりで目覚めた。

 昨朝もこの鳴き声を聞き、妻に話したら「ウグイスの鳴き声など聞いたことがないので、今度来たら教えて」と言われていた。

 そこで、今日は直ぐに別室で起きてPCを見ていた妻を手招きして呼び、二人で鳥のさえずりに耳を傾けた。
 暫くして小声で妻は「ウグイスって、本当にホーホケキョって鳴くのね。これは江戸屋猫八がやっていたウグイスの鳴き声にそっくりだね」と言ったので
 「ウグイスがカッコウやチュンチュンだったらおかしいだろ。又、そんな言い方をするとウグイスが猫八の真似をしているようにも聞こえる」と、やはり小声で笑いながら答えた。
 
 その後ネットで調べると、ウグイスの鳴き声には一般的に知られている比較的高い声の「ホーホケキョ」の他に、やや低めの「ホーホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケッキョ」などがあり、「ホーホケキョ」は自分の縄張りに近付いた他の雄を威嚇する鳴き声だとする説もあるようだった。

 これまで「ホーホケキョ」は大人のウグイスで、「ホーホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケッキョ」は上手く鳴けない子供のウグイスだと思っていたが、それぞれの意味があるようだった。(笑)

 また、昔の様に勝手にウグイスを捕まえて飼うことは、「鳥獣保護法」という法律で禁じられているようである。

2015年4月11日(土)
はなまる商品券

 柏﨑あきんど協議会主催の「はなまるクーポン」が先月の20日に終了したが、これはお買い得クーポンが使用できるだけだなく、後日、スタンプラリーの抽選で百名様に1万円、5千円、3千円の商品券が貰える。

 今日は、先月弊店で時計バンドをお買上げ頂き、その後抽選で商品券5千円が当選された客様が、その商品券を持参して来店された。

 商品券が当選された皆様、おめでとうございました。

2015年4月5日(日)
液漏れ電池

電池式腕時計には電池が入っているが、この電池は一定の年月が来ると電圧が下がり時計は止まってしまう。
 
 更に、この時計をそのままにして置くと、内部の電池が液漏れを起こしてし、機械や電気回路を浸食する。

 浸食した機械や電気回路は再生不能となり、部品交換が加わり修理代が高額になったり、又は古い時計は部品が調達できず修理不能となることがある。

 このようにならないよう、時計が止まったら1~2ケ月以内位に電池を交換するか、もし長期間使用しないのなら電池を抜いて置くことを進言する。

その他の故障など
電波時計の電波が停波
壁掛時計の液漏れ電池
水の入った10気圧防水時計
(3軒目の電池交換)


上部の周辺から液漏れを起こしたボタン電池
2015年4月3日(金)
たてる(方言45)

 今日は気温が25度まで上がり、今春の最高気温となった。
 そこで店の暖房は切り、自動ドアはそのままにし、手動ドアだけは開けっ放しにしたが、この時期のドアの開閉は悩む。

 そんな状況下、来店されたお客様が「この手動ドアは立てていいですかねぇ」
と仰った。

 この時の「ドアを立てる」とは方言で、「ドアを閉める」という意味なので、「このドアは閉めてもいいんでしょうか?」となる。

 その他に「沸かす」などの意味で使用し、「風呂をたてる」などともいうが、こちらは「風呂を焚(タ)く」の音変化と思われる。

2015年4月1日(水)
桜花爛漫

 昨日の東京は5月中旬並みの陽気で、桜の名所は殆どが満開になった。

 それぞれの名所では、日曜日だったこともあり昼だけではなく、夜桜の宴をも楽しんだ人々が多かったようだ。

 そこで今月のポスターは桜花爛漫とし、花片が舞い散る木の下で、酔うほどにほんのり桜色になって悦に入っている、そんな光景を描いた。

 

2015年3月20日(金)
ボケの花咲く

 今年は先月のヒヤシンスだけではなくその他も早くから開花した。

 前列の鉢はボケの花で、左から白、赤、白地に紅の絞りというが赤だけしか咲かなかった日月星、次に白、赤、ピンクと3色が咲いた人気品種の東洋錦、それから桃色地に白覆輪、桃色地に紅の絞りの高峰錦(東洋錦の枝変わり)など3種類の花が咲いた。

 この他にオレンジ色の小さな花をたくさん咲かせた朱光殿があったが、今年は花がたくさんになったので知人に貸し出した。


前列は3種類のボケの花で、後列は赤と紫のチューリップと黄色の水仙
2015年3月7日(土)
カルキ抜き

 先日の会合で、H氏が親子でやった 子供の科学研究が話題になった。
 研究課題は「カルキ抜き」で、グレープフルーツ、レモン、パセリなどで水道水のカルキ抜きができたという。

 そういえば昔、上京時に喫茶店へ行った時、出された水が美味しかった。
 東京の水道水はカルキがたくさん入って不味いのに、何故出された水がこんなに美味しいのか?と疑問を抱き、水が入っていた容器を良く見たら、中に輪切りのレモンが入れてあった。しかし、レモン水と美味しい水の関係が今一理解出来なかった。

 これは数十年前のことだったが、レモンによってカルキ抜きができることを知り、やっと長年の疑問が氷解できた。

2015年3月4日(水)
学窓を巣立つ
 卒業シーズンとなった。
 柏﨑市内では昨日3つの高校が トップを切って卒業式が行われた。

 卒業式はさびしいお別れの日であると同時に、卒業生一人ひとりの新たな旅立つめでたい日でもある。
 今月のポスターは、学窓を巣立ち、浅春の日差しを浴びながら翼をいっぱいに広げて羽ばたいていってほしい。そんな思いを描いた。
 余談だが、余白が出来たのでチューリップの写真を載せることにした。 一昨日に赤い花が咲き、紫の蕾も大きくなっている。

 これは一昨年購入したもので、昨年は鉢を日陰で寒い所に置いていたので咲いたのが5月過ぎだった。

 そこで今年はヒヤシンスと同様に店内に鉢を入れたのが良かったようだ。

2015年3月2日(月)
米山の雷神

 柏崎出身の石黒敬七が描いた「米山の雷神」の絵葉書を持参されたお客様がいらしたのでコピーさせて頂いた。
 
 石黒敬七( 1897-1974)は昭和24年からNHKのラジオ番組「とんち教室」に企画段階から参加、大ボケの石黒旦那として笑いを提供し、戦後の疲れきった人々の心を温めて人気を集めた放送タレントであった。
 
 その他に柔道家でもあり、大正13年から昭和8年までヨーロッパ,中近東で柔道普及につとめ、21年には講道館8段となった。

 或いは体育会系らしくない、文系方面にも才能を発揮しパリでは巴里週報という新聞を発刊したり、サロンド・トンヌ展に連続入選。帰国後は文芸春秋の客員などをこなし、著作には「写された幕末」などがある。

 また、“ヘンな骨董品”などの古物の収集家としても知られている。


 石黒敬七の絵葉書で裏面は40円切手が印刷されてあるので、初消費税が導入されたが1989年4月(平成元年)以前のものと思われる。

 表紙には上段には「石黒敬七だんなのユーモア絵入りはがき」、下段には「新潟・柏﨑郵趣会」と記載された封筒の中に数枚の絵葉書が入っていた。
2015年3月1日(日)
柏﨑大火

 柏﨑には年間を通じ、地元で「米山おろし」と呼称されている西北の季節風が吹く。
 この風が曲者で、ひとたび火事が起きると、火は風に乗って町をひとなめにした。

 このため、古来から柏﨑は火災が多く、明治初期に発行されていた本に「柏崎の名物は火事」と記されていたほどであった。
 明治時代の僅か30年間で、柏﨑は以下の4回もの大火に見舞われた。

 ≪柏﨑大火≫
 1、明治13年(1880)8月8日・ 7酢屋(すや)の火事
 柏崎の風上にある扇町の貸座敷業・酢屋某(現在の喬柏園の脇(西本町3丁目))から出火。
 ひと月近く殆ど雨が降らない炎天下続きで乾燥きしっていたので、当時の柏崎の全戸数1860余戸内の842戸が瞬く間に延焼し、鎮火に15時間かかった。この中には警察、電信局、などの他に2つの神社、6つの寺が焼け、「柏崎開発以来の大火」となった。

 2、明治20年(1887)3月27日・ 大久保屋の火事
 下町の湯屋(旧フード・タカラ(西本町1丁目))大久保屋貞方から出火。折からの西北の「米山おろし」の風にあおられ、540戸と、隣の比角村(現在の柏崎市比角)の24戸、この時にえんま堂、貞心尼(ていしんに)の釈迦堂(しゃかどう)(旧柏崎病院真向い)も焼失した。
 
 3、明治30年(1897)4月3日・ 日野屋の大火
 新町(現在の赤昌商店(西本町3丁目))の日野屋から出火し、強風にあおれれ1500戸、ここでは警察、刈羽郡役所、聞光寺、光円寺ほか13の寺が被災。
 明治天皇両陛下からは1300円の御下賜金があり、焼失家庭1戸に1円が配分された。
 
 4、明治44年(1911)11月13日・ 桐湯屋(とうゆや)の大火
 谷町(現在の西本町3丁目10)の桐湯屋野沢金次郎方から出火し、西南の烈風にあおられ657戸、浄興寺ほか13の寺、病院、学校などが類焼、2名が焼死した。

 このように度重なった柏﨑大火により、北陸街道随一の富裕の町柏﨑は凋落し、破産者や町を去る者も続出した。

 そこで、柏﨑は桐湯屋の大火を契機として、風上にあった300年の伝統を持つ扇町の遊郭(ゆうかく)移転や、風向きに直角な広い道の防火帯の作成などの画期的な大防火対策を打ち出した。
 これにより、その後はこのような大火は起きなくなった。

 余談だが、上記の大火の一つは、遊郭の女性に夢中になった若者が身体に火薬を巻き付け無理心中したことが起因であった、と記載された古文書があった。

 大火と屋根瓦はここをクリック

2015年2月15日(日)
屋根瓦屋
 80歳のお客様が昭和30年頃の話をしてくれた。

 その頃の柏﨑の中心は今の西本町であったが、その道に平行した海側に納屋が立ち並ぶ納屋町があり、この納屋町には、柴野、罍(もたい)、根立、滝沢、赤沢、倉部瓦屋と6件の屋根瓦を扱う店があった。
(この納屋とは北前船で運ぶ海産物やその他の品を収蔵するために海岸に設けられた倉庫)

 当時の柏﨑は北前船が停泊し、納屋町には京都、北陸、北海道から多くの人物金が行き交っていたが、その一つに北前船から、黒光りする焼瓦の高価な石川県の能登瓦が荷揚げされ、柏崎からは安価な柏﨑産セメント瓦が持ち込まれていた。

 日本の三大瓦の産地は、 三州(愛知県)、淡路(兵庫県)、石州(島根県)だが、その次の生産量がある新潟県阿賀野市安田の安田瓦も有名だ。灰色の焼瓦の安田瓦は、江戸時代から続く歴史を持ち、雪国の厳しい気候に適応した強い瓦として注目され東日本随一の生産量を誇っていて新潟県内も安田瓦が多かった。

 しかし同じ新潟県内でも柏﨑は、殆どが能登瓦を使用されていた。その理由として、(1)北前船の停泊地だった、(2)セメント瓦と焼瓦の交換が行われていた、(3)或いは安田瓦より少し安価だった、(4)又は能登瓦が黒い瓦が理由は諸説あるが、「黒色は熱を吸収するので、屋根の上に積もった雪が早く解けて滑り落ちやすいから」というのが有力な説のようで、この営業トークが上手かったなどが考えられるが、やはり一番は北前船の関係と思われる。

 次に、では何故6件のも瓦店が納屋町に密集し、営業が成り立っていたのか?
 それは明治初期に発行された各地の名物を書いた本に「柏崎の名物は火事」記されているように古来から柏﨑は火災が多く、更に明治時代の30年間で4回もの大火に見舞われたのが多かったと思われる。

 柏﨑の大火についてはここをクリック

 能登瓦と克雪についてはここをクリック
2015年2月13日(金)
井戸端会議

 還暦過ぎのご婦人が来店された。

 村の同世代で時々井戸端会議をするが、その三大話題は「年金(老後)、病気、孫」。
そして話が終わり、「よっこらしょ」と立ち上がってそれぞれが水を持ってきて薬を飲み始める。

 一昔前の50代は「子供の就職や結婚、親の介護、相続問題」

 40代は「子供の進学と教育費、健康、各種の会の役員問題」
 (体の衰えを感じ、健康を意識する)、(子供会や町内会などの役員になる)

 30代前は「子供の教育(部活)問題、家族旅行、(社会、親、夫の)愚痴」
 (家族旅行は牛(子供に)に連れられ善光寺参り)

 20代は「異性、結婚(出産)、就職」

 古代の老人も時代によって多少の形が違ってはいるが、同じ様な道を歩んできたのかもしれない。

2015年2月7日(土)
ヒヤシンス咲く

 強い香りを漂わせ、ギリシャ神話にも出ているというヒヤシンスを昨年買った。
 
 購入時、ど素人が来年も花を咲かせることができるのは、野生種の花である青紫色が良いと言われこの色にした。

 ネットで育て方を調べ、昨冬、寒風吹きすさぶ頃に外に出して置いた植木鉢を、店の中に入れたのが良かったようだが、その花が本当に咲くとは思わなかった。
 

 それも開花時期は3、4月頃と言われているのに、プロ並みに一月も早く咲かせることができたのである。

 暫くはヒヤシンスの花と香りが楽しまれそうだ。

2015年2月5日(木)
啓蟄

 昨日は、24節気で第1の立春であった。
 暦では、一年のうちで最も寒い大寒から立春までの季節が過ぎ、これからは少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる、という。

 しかし、今日の東京は大雪注意報が発令され、明日の6日未明にかけて雪が降り、東京多摩西部では15センチの積雪が予想されるといいい、三寒四温の時節でもあるようだ。
 (この三寒四温のもとは、中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられていたが、今の日本では春先に使うことが定着している)
 
 24節気は、第2の雨水(2月19日)、第3の啓蟄(3月6日)へと続く。

 そんなことで、今月の店のポスターは啓蟄を書いてみた。

2015年2月2日(月)
熊出没?

 お客様が、同じ倍率で価額が高いニコンと安いビクセン双眼鏡を比べ、こちらが良く見えると言ってニコンの双眼鏡をご購入された。

 冬に双眼鏡が何故必要?と思っていたら
 「実は先日ある山で人が熊に襲われたので、猟友会に熊がいるか調査してほしいと依頼があったんだ。そこで俺が山に行くことになり、熊がいるかを遠くから見るのに双眼鏡が必要になったんだ」

 「でも、熊は冬眠するので冬山にはいないのでは?」
と質問すると
 「一般的にはそうだが、実際は冬に眼を覚まし悪さをする熊は時々いるんだ。秋に十分に食料が得られずに、空腹で春まで待てずに眼を覚ます熊もいる。または、人間が冬眠している穴に近づいた為に眼を覚まし、襲ってくることもある」
と仰った。

 「熊の穴がどこにあるか分からない状態で、入山するのは命がけなんですね。ご苦労様です。お気を付けて行って来てください」
と言って、双眼鏡は値引きして販売した。

2015年1月21日(水)
じん(方言44)
 「じん」とは方言で、「つむじ」の意味である。

 大辞林では、陣(じん)とは①兵士を配列すること。軍勢を配置すること。②戦場で軍勢が集結している所の陣地、と記されている。
 これにより配列された髪の毛の中心を「陣(じん)」と呼称するようになったのではないだろうか。

 なお、つむじの雑学によると、つむじには、他人が上から頭を見て、時計回りに見える「右巻き」と反時計回りの「左巻き」があり、 「左巻き」は、頭が悪い、変わり者とも言われているが、世界で1番「左巻き」が多いのは日本人で半数近くいるようだ。

 次に日本人のつむじの数は、1個の人が90%強で、2個の人は7%、3個以上が3%弱(1.5%の説もある)のようだ。
 また、俗説にはつむじが2個の人は一般に、気が強い、我が強い、わがまま、頑固などなどあまりいい事が聞かれていないが、反対に通説に左右されず、頑固でひとつの事にこだわり「天才」、「成功者」、「金持ち」になるともいわれ、その代表としてイチローなどがいる。
2015年1月8日(木)
石山の合戦
 「我が渡辺家は石山の合戦後、お寺さん(西本願寺派)と共に一族は加賀から柏﨑市荒浜に来た」と来店されたお客様が仰った。

 この石山合戦とは、1570年から1580年にかけて行われた、顕如(けんにょ)と天下布武を目指す織田信長とのドラマチックな軍事的・政治的決戦であるが、これについて少し調べてみると以下のようになった。

 顕如は、戦国時代最大の宗教的武装勢力である浄土真宗本願寺教団の十一世法主で、一向宗徒を傘下に収めて大坂の石山本願寺に篭って信長と戦った。

 10年に及んだ戦いは、顕如が信長に降伏し、顕如は本願寺を去り、和歌山県の紀伊鷺森御坊に退去した。(これには第二次木津川口海戦での毛利輝元の水軍敗退が勝敗を決めた)
 しかし、顕如の長男・教如(きょうにょ)は信長に対抗、再挙を企てたが失敗した。
 顕如はそんな教如と縁を切り、三男の准如(じゅんにょ)を次の法主に決めた。

 終結と同時に各地の一向一揆はその勢いを著しく失い、更に東本願寺は教如で、西本願寺が准如と本願寺は分かれた。
 この顕如が後にした瀬戸内海航路に便利な石山の地には、後に豊臣秀吉が大坂城を建てた。

 この戦が始まる前の大坂石山本願寺は、本願寺第8世法主蓮如が隠居先 で、本願寺の本拠は京都山科としていたが、細川晴元や日蓮宗徒の法華一揆らに、1532年山科本願寺を焼き討ちにされた。

 山科の廃墟後、本願寺の本拠として当時、大きな勢力を持っていた加賀があったが、加賀は信者の往来には不便であり、京都からも遠かった。また、山科焼失の前年に本願寺一門内の内戦を加賀で起こし、現地の門徒の間には本願寺への不信感があった。

 そこで10世法主証如は京都に近く、蓮如の隠居先だった大坂御坊を本願寺の本拠とし、石山本願寺と改称した。

 以上であるが、以前にもこの石山合戦に関係した東本願寺派のご住職の話しを聞いたことがあったが、今回は石山合戦に関係した西本願寺派の方であった。
 いずれにしても、柏﨑と石山合戦とは縁が深いようだ。
 
2015年1月3日(土)
夢ふくらむ
 新年は三が日休ませてもらったので、明日は仕事始めとなる。

 そこで今日は書初めを行った。といっても毛筆を使っての書道ではなく、店の正面ウィンドーのポスターを新しく書き換えたのである。

 書き初めとは、正月2日を一年の事始めとし、その年の心構えや抱負などを書や絵で書き記し、精進するとうまくいくといわれている。

 そこで表題は『夢ふくらむ』とし、今年は餅が大きく膨らむように夢も大きくなるように願って書いた。
 
 あとは、今年一年ひたすら精進しなければ・・・・・・。
2015年1月1日(木)
お客様からの年賀
 元旦の今日、お客様から以下の年賀のメールを戴いた。

『あけましておめでとうございます。先日セイコーsarz017を購入した Tです。
もう、この時計にほれました。
カラー、デザインそして何より日付が日本語で表示されるところがサイコーです。
こいつとは、長い付き合いになりそうです。
また、機会があれば時計を購入させていただきます。
しかし、しばらくはこいつと付き合っていきますので。ありがとうございます』

 T氏は、年末にネットで時計をお買い上げ戴いた新規のお客様だが、このようなメールを戴き、とても嬉しく思った。

 ネット販売はまだ試験的な段階で、ホームページに載せいている商品数も少なく、今後に向けての戦略を模索中である。
 
 しかし今回の販売では、新しい戦略のヒントが得られたようで、改めてT氏に感謝の念を抱いた。

 今年はこの小さなヒントを、大きく膨らましたいものである。
2015年1月1日(木)
謹賀新年
 
 たくさんの感謝を込めて初春のお慶びを
 申し上げます。

 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ
 本年も宜しくお願い致します。


 今年も楽しい事がいっぱいの
 一年になりますように、、、

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