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2010年1月 2010年2月 2010年3月
・「視軸記」の開設
・大寒
・冬の気圧配置
・柏崎は大雪
・大雪も落ち着く
・白銀の米山さん
・新潟県の節分
・新潟市は大雪
・雛飾りと「雨水」
・しゃがん《方言1》
・「左官 」と「右官」
・帰化?三寒四温
・盆栽デビュー
・花粉症
・花粉症デビュー
・漬物は公害?
・オレオレ詐欺[《方言2》

2010年3月28日(日)
柏崎弁のオレオレ詐欺  ≪方言2≫
 世間を騒がしているオレオレ詐欺の電話が、とうとう親戚にもかかってきました。

 「あぁ、俺だけど」と親しそうにオレオレ詐欺。  「どちらさんですか?」と家人。
  「俺、俺、分らんか?」とオレオレ詐欺。  「さっぱり分りません、どちらさんですか?」と家人。
 すると「めぇ、くめて、よう考えてみなせぇ」とオレオレ詐欺。 「全然、分らないし、思い付かない、どちらさんですか?」と再度聞く家人。
  「ガチャン」とオレオレ詐欺は諦めて電話を切った。

 そこで家人はようやくオレオレ詐欺だったと気付いたが、でも、良く考えてみると「めぇ、くめて、よう考えてみなせぇ」とは方言で、標準語では「目を閉じて良く考えてみなさい」になり、オレオレ詐欺はわざわざ柏崎弁を使用していたんだということも分った。

 引っかからなくてよかったと一安心。
 でも、お年寄りをターゲットにしたオレオレ詐欺が臨場感を出すために方言まで勉強し切磋琢磨しているのには改めて驚いた。
と親戚の姪が言っていました。

2010年3月23日(火)
漬物は公害?

 先日、山間のへんぴ場所にある日帰り温泉に行ってきました。

 温泉に入った後に、大広間の休憩室でひと眠りして家から持ってきた果物、お菓子、漬物などを、お茶を飲みながら食べるのも日帰り温泉の醍醐味の一つです。
 
 そんな休憩室で、思いもしない光景を目にしました。  
 それは「漬物の持込み禁止」という張り紙でした。

 昨今はどこの温泉でも、近隣のお年寄りの集団がなごやかに談笑している微笑ましい姿をよく目にします。
 そんなお年寄りの持込みのトップは、恐らく漬物ではないでしょうか。 それを温泉施設が何故お年寄りの楽しみである漬物を取り上げてしまうのかと強い憤りを覚えてしまいました。

 そこで再考してみますと、アットホームなこの温泉施設は「漬物の持ち込み禁止」の張り紙など本当は出したくなかったが、客からの苦情で仕方なく出したのではないだろうか。
 それは恐らく、漬物を殆ど食べない若者の客が、強い匂いを出す漬物に嫌悪感があったので苦情を訴えたからだ とも思いました。

 それでも、 私は「話、お茶の次にくるのは、日本人なら当然漬物だ」「漬物は日本の文化だ。漬物の香りもまた文化だ」と思っていますので、日本の文化が否定されたことに、釈然とせずに わだかまりだけが残りました。

2010年3月21日(日)
花粉症デビュー

 東京から一時的に来ていたセールスマンが、

 「先程こちらに来る途中、車で走っていたら急に鼻がむずむずしてきてクシャミが止まらなくなりました。
 鼻水も出はじめたので車を止め、鼻をかみながら道路の脇を見たら、そこは杉林で黄色い花粉が目に見えるほどたくさん飛んでいました。
 これは、どうやら花粉症だ。。。 後ひと月で東京に帰るのに、花粉症になるとは。」と言って悲しそうに鼻をかんでいました。

 続いて「新潟の一番の思い出は花粉デビューになりました。
花粉症は今後も継続するみたいなので、新潟はその度に思い出して一生忘れなくなりそうです」と言っては、また鼻をかんでいました。

 新潟は自然がいっぱいだから、そんなこともあるのかな?
 でも、こればかりは誰にも文句は言えないですね。

2010年3月16日(火)
花粉症

 ( ̄^^ ̄)ふぇっ(≧○≦)くしゅん( ̄・i ̄)じゅ( ̄ii ̄)じゅる( ̄^^ ̄)ずずっ・・・( ̄・・ ̄)むずっ   ( ̄・・ ̄)むずずっ 今年もやってきました、花粉症が。。。
 これが始まるとテッシュボックスとマスクは必需品となります。

 そんな花粉症による出来事が 店の定休日、日帰り温泉へ行ったときにありました。

  衣類を脱ぎ、さぁのんびりと温泉にでも入ろうと、かけ湯を体にかけた時のことでした。
 そのかけ湯が飛び散り顔にかかったはずなのに、顔に何か違和感がありました。 『???、顔に湿ったものがある?これは何だ?』と解せない思いで恐る恐る顔に 手を当てたら、顔にマスクがありました(汗) 何とマスクをしたまま、温泉に入っていました。(恥)

慌ててマスクを取り辺りを見渡すと、数人が居ましたが皆、見てない振りをしていたようでしたが。。。
ハズカシ~~~~ィ かったでした。
(笑)

2010年3月9日(火)
盆栽デビュー
 日本一の規模を誇る日本ボケ展が、新潟市秋葉区小須戸の「うららこすど」の会場で開催され、ボケの銘花・銘木、約20,000鉢が展示即売されると知り行ってきた。
 ボケはバラ科の落葉広葉低木で、放春花とも呼ばれ春を告げる花として親しまれているそうだ。

 現地に着くと、県内外から多くの愛好者がバスや自家用車で訪れ、会場には白、赤、ピンク、紅白のそれぞれの花を咲かせたボケの盆栽が所狭しと展示されていた。

 実は草花にはそれ程興味はなく、まして盆栽など全くなかった。
 休日で何処か行くところはないかとネットで調べ偶然見つけ、それじゃあ行ってみるかとなったのである。

 それが、今年の冬は特に厳しく雪の中で閉ざされていたからか、鮮やかなボケの花の色が眩しく感じられ、何時の間にやら、どれにしようかと買い求めている自分がいた。

 全くの素人でも、花の色や形などのバランス、木の太さや曲がり方などに自分なりの好みがあり、満足のいく鉢を探し求め夢中になって会場を歩き回った。

 その結果、血赤サンゴのような濃紺の赤い花の「朱光殿」(新種)と、大輪で紅白の花の色が美しかった「日月星」の2鉢を購入した。
 この時、「日月星」の花は綺麗であったが、木(ぼく)の形状は単調で余り好きではなかった。
 しかし、初心者にとっては安価な定価も重要な選択肢の一つであるので、今回は木の形状は無視することにした。

 このようにして、ボケの花に魅せられ盆栽デビューしてはみたが、来年は花も咲かせずに枯らしてしまうのであろうな・・・・・きっと。

朱光殿

日月星
2010年2月27日(土)
帰化した「三寒四温」?

 季節外れの暖かさも、また寒い冬に逆戻り。春はまだもう少し先のようですね。

 この時期になると、 寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の「三寒四温」という言葉もよく耳にするようになります。
 
 これは元々中国の東北部や朝鮮半島北部で初冬の気候を表す言葉としてこの「三寒四温」が用いられ、その後、日本に伝わりました。 冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。

 しかし日本では、早春に低気圧と高気圧が周期的に交互にやってきて、気温の変化を繰り返すことが多くなります。
 そのために本来使われていた初冬ではなく、寒暖の変化がはっきり現れる春先(3月上旬)に「三寒四温」が使われることが多くなったようです。

 中国から伝来した「三寒四温」も、帰化して初冬から早春になったようですね。

2010年2月25日(木)
「左官 」と「右官」

 店の脇にある通路が中越沖地震で傾き コンクリート部にヒビが入っていましたが、最近になってやっと「左官」さんから直してもらいました。 

 この「左官」のことを柏崎弁では「しゃがん」と言い、今でも現役で使用されています。
 というか、私は最近まで「しゃがん」が標準語だと思っていました。(笑) 
  
 「左官」を辞書で調べますと、「さかん」或いは「しゃかん」ともいうと記載されてありますので、「しゃがん」は標準語に近いから気付かなかったのかもしれません。 
 ついでに「左官」の語源も調べてみました。

 「左官」という言葉が最初に登場する文献は、1605年の『宇都宮大明神御建立御勘定目録』の中の「左官作料」という書面だそうです。

 1610~1630年代までは、「壁塗」「壁屋」「左官」が混在して使われ、1640年以降になって、「左官」が一般化したようです。

 「左官」の語源ははっきりしておらず、1853年の『守貞漫稿』や、1862年の『和訓栞』では、内匠寮(たくみりょう)や木工寮(もくりょう)の属(さかん)が壁塗の仕事をしていたので、左官の字を用いたといわれています。(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4088561.html)

 さて、ここで 「左官」があるならば 「右官」もあるのでは?と思いつき、更に調べてみました。
すると、昔、 「左官 」に対して、「右官」と呼ぶ職種があったようです。

 「右官」は、「大工」説と、「基礎工事職人」説はあるといわれています。

 まず、「大工」説は、  飛鳥時代に飛鳥時代に建築の「木」に関わる職を「右官」、「土」に関わる職を「左官 」と呼んでいた。
 というが、これは「左官 」が江戸初期以降に用いられるようになったみたいですので、信憑性は薄いようです。

 次に「基礎工事職人」説についてです。
 まず、
 「大工」の語源は、飛鳥時代(又は8世紀の奈良時代)に律令の制定の資料に書かれた、「大匠」( 読みは「おおたくみ」と呼ばれた) からとか。
 これは官職名であり、その役所の担当した建設業の技術職の職制は、大工(おおきたくみ、又は、おおいのたくみ)、少工、長上工、番上工の4職課に分かれ、行政事務官の役付は、頭、助、充、属(さかん)の4等級から成っていました。(この属(さかん)が左官(さかん)の語源だともいわれていますが、信憑性は薄いようです)

 つまり「大工」とは”瓦師”(瓦職人)、”壁塗り工”(左官職人)、”畳差”(畳職人)などの全ての建設職人(技術職)を統率する立場(総合の管理職)にありました。

 江戸時代になりこの官僚機能が無くなると、建設業の仕事は官から民の仕事が増大し、自由競争が始まったのではないでしょうか。
 総合の管理職であった「大工」は「棟梁」と呼ばれ、多くの職種の職人を従え、他の「棟梁」と腕を競い合ったと思います。

 棟梁は建設工事の受注をしますが、この時には建設の設計図と(建設予想金額の)見積書を依頼者に提出したはずです。
この見積書の金額の中で主に占めた建設工事費は、大別すると木工事費、壁塗り工事費、基礎工事費でした。

 この3つの職人は、力を付けてそれぞれの名前を付けました。
「大工」だけでなく技術職の「少工」以下の一般の木工事職人も「大工」を、壁塗り工事職人の頭(かしら)は「左官」を、基礎工事職人の頭(かしら)は「右官」を名乗りました。
「左官」という言葉は江戸初期以降から使用されるようになったようですから、「右官」もこの頃だと思います。

 「左官」と「右官」は、両方とも「土」をあつかう専門職でしたので「官」を付けたとか聞きました。
また、棟梁が自分の力を誇示するために、自分を中心にして左右に「左官」と「右官」を従えたかったのでそのように名付けた などが考えられます。

 「右官」は「大工」という説が出たのは、小さな建築の基礎工事は「大工」がやるようになったからかもしれません。

 しかし「基礎工事」の職種は今でもあるのに、何故か現在は「右官」と呼ぶ職種は使われなくなっています。

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 最後に、「左官」と「右官」の作り話です。

 江戸時代、「大工」は「右官」と呼ばれていました。
ある日「右官」仲間の集まりで、「左官」と「右官」の話が出てた時にある一人が、
『「左大臣」と「右大臣」では「左大臣」が上になり、「左官」と「右官」でも当然、「左官」が上になる。
なんで俺たちより下の「左官」が俺たちより上の名前を付けているんだ。面白くない!』と言いました。

 そこで、皆で「右官」という名を改め、「左官」より上の名前にしようと考えました。
「左官」の「官」をとって「左」だけにし、「左」を縦に上下に分け、カナカナの「ナ」と「エ」にしました。
「エ」は「匠」という意味がありますからこれは変えられません。
そこで、これを変えずに「左」より一段上になるようにと、上の「ナ」に1本の線を加えてみました。
すると「ナ」が「大」になりました。そこで「「大」と「エ」を縦に並べて「大工」という名前にしました。
以後、「右官」という名を改め、「大工」というようになりました。

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 私の仕事からは遠い職種ですが、それなりに面白かったです。

2010年2月18日(木)
しゃがん 《方言1》

 店の脇にある通路が中越沖地震で傾き コンクリート部にヒビが入っていましたが、最近になってやっと「左官」さんから直してもらいました。 

 この「左官」のことを柏崎弁では「しゃがん」と言い、今でも現役で使用されています。
 というか、私は最近まで「しゃがん」が標準語だと思っていました。(笑) 
  
 「左官」を辞書で調べますと、「さかん」或いは「しゃかん」ともいうと記載されてありますので、「しゃがん」は標準語に近いから気付かなかったのかもしれません。 

 さて、ここで 「左官」があるならば 「右官」もあるのでは?と思いつきました。
 そこで早速調べてみると、なんと「右官」もあるではありませんか! 正確には過去にあったですが。。。
 次回はこの「左官」と「右官」について記述してみようと思います。

2010年2月10日(水)
雛飾りと「雨水」
 このところ大雪も治まり、あれほど降り続いていた雪が雨へと変わり雪は殆ど消えてしまいました。

 このような時節を「雨水」ともいい、今年の「雨水」の日は2月19日にあります。
 この「雨水」は二十四節気の1つで、意味は、空から降っていた雪が雨に変わり、積っていた雪が溶け始める頃で、この時節から寒さも峠を越え、昔から農耕の準備を始める目安とされてきたようです。

  また、温かな時節への変わり目は縁起の良い日とされ、この日にお雛様を飾ると「良い伴侶に恵まれる」とも言われています。
 因みに、お雛様を片付ける日は、次の二十四節気の1つである「啓蟄」(3月6日)がよいそうです。
 でも実際は、3日過ぎたら早々としまうのが一般てきですよね。
2010年2月5日(金)
新潟市は大雪
 2月4、5日、強い寒気が流れ込み、新潟県内の海岸平野部では大雪警報が出されたままです。
 新潟市では積雪が4日に49cm、5日午前8時には81cmにもなりました。
 これは2月の積雪では26年ぶりの大雪で、観測史上3番目になるそうです。 

 海岸部にこれだけの降雪があったのは、恐らく無風が起因だと思います。5日の新潟市のアメダスを見ますと、午前5~8時まではの風向き「静穏」、風速0m/sで無風状態が続き、この時間に降雪が多くありました。
 これは同じ海岸部の柏崎市が15日に1mの積雪(降雪約60cm)があった時も、この無風状態が10時間以上も続き同様に大雪となりました。

 ただし、今回の大雪は下越と上越だけで、中越の柏崎では被害は殆どな積雪も18cm程度です。
2010年2月1日(月)
新潟県の節分
 もうすぐ2月3日の節分ですね。 
 節分とは「季節を分ける」ことで、季節の変わり目である立春の前日を意味しているそうです。 

 ところで、邪気を追い払う為にまく豆ですが、新潟県では関東や西日本のように炒った大豆ではなく、落花生をまきます。 大豆よりも大きいので まいた後の豆を拾うのに見つけ易く、殻ごとまくので地面に落ちても中身が汚れずに食べられ衛生的である等の利点があります。

  これは北海道・東北・北陸・南九州でも同様とのことです。ただ、まかれた落花生を自分の年齢の数だけ食べるのは、50を過ぎると苦痛です(笑)


 左の写真は近くのスーパーに行き店長らしき人に写真の許可をとって撮りました。
 その時の説明で、私が「関東では節分で落花生まきませんので撮らせてください」と言うと、その人は「落花生をまかないで何をまくのですか?」と逆に問われてしまいました。
2010年1月20日(水)
白銀の米山さん
 朝陽で白銀に輝く米山さん。 標高は993mで高くはありませんが、柏崎市のシンボルとも言われている霊山です。

 長崎新田を通っていた時、頂上部のきれいな四角錐 (ピラミッド型) があまりにも秀麗な姿でしたので、思わず車を止めて撮りました。 

 古くから海上交通の目印とされ、船主と米山との民話などもあります。 

 この民話は、「欲深い商人を懲らしめるために修行僧が、米俵を積んで五倫山(米山)の沖合を通ったこの米商人の船から、米を奪って山の頂上に飛ばし米の山にしました。それから五倫山は米山と呼ばれるようになった」 という内容です。

 また、地元では米山さんと「さん」付けで呼んで親しみ、「米山さんから~雲が~出た~ぁ♪」という三階(さんがい)節や「行こか参らんしょうか米山薬師♪」という米山甚句(じんく) などは全国的に有名です。

 その他に、日本三大薬師(越後の米山薬師、三河の鳳来寺薬師、日向の法華岳薬師)とも言われ、山頂には薬師堂が祀(まつ)られています。
                     (詳細はこちらへ
2010年1月18日(月)
大雪も落ち着く
 柏崎は大雪でしたが積雪も少なくなり、16、17日からは各地でトラックで雪を捨てる 除排雪作業が行われていました。
 しかし、場所によってはまだ積雪が多く、市内のバス路線はまだ道路状況が悪く迂回しているところもあります。

 写真のトラックの荷台にある雪は、道路あった雪をトラックに乗せて海は捨てるために運んでいるところです
2010年1月15日(金)
柏崎は大雪

 15日、柏崎市中心部で積雪が一時105cm、柏崎市鵜川地区で積雪が330cmになりました。
 雪によりバスやJRなどの交通機関は運休し、市では15日夕方に豪雪対策本部が設置されました。

 この日大雪警報が出たのは新潟県内で柏崎だけだとも聞きました。

 写真は1月18日に撮った諏訪町商店街です。アーケードの上や車道脇には多くの雪があります。
 ただ、この道路には消雪パイプが設置されていますので、車道の雪はなくきれいですが、市内の道路には消雪パイプがなかったり、あっても機能しなかったりで、圧雪としてデコボコ状態で残り交通渋滞を起こしていました。

2010年1月14日(木)
冬の気圧配置

 13、14日、日本付近は強い冬型の気圧配置となり、こちら柏崎では雪が降り続き、13日に0cmだった積雪量が、14日には40cmなってしまいました。
 車道はほぼ除雪されていますが歩道はまだ、除雪されていないところが多く、足腰の弱いお年寄りの方は大変です。 また、このような時に使う方言では「足もうてがない(足腰が弱い)から大変だ」と言います


 写真は1月18日に撮った諏訪町商店街から海へ向かう脇道です。
車道は広く除雪されましたが、人が通る歩道は、道幅が30~50cmくらいに狭まっています。
これでも除雪車が通って良くなった方で、15日には、近くの人が足で踏みつけて作った幅が15cmくらいの道しかありませんでした。

2010年1月10日(日)
大寒

 朝は、寒いですね。
 起きるのが辛く、, おー、さむ(い)!と言っていますが, 暦で20日は大寒です。
 大寒は『寒の内』の真ん中で もっとも寒い時期をあらわし、 最低気温が観測されるのも ,この頃が一番多くなっています。
 この『寒の内』には、「寒稽古」とか 「寒垢離(かんこり)」のように、 寒さの厳しい時期にあえて、 苦しい稽古をしたり、 冷水を被ぶる修行をしたりして、心身の鍛練をする行事も多くあります。

 私も、いや、私はオーサブ(大寒)と言って ,コタツの中にもぐり込み、 寒ブリにカン酒で一杯かな。(笑)

2010年1月5日(火)
「視軸記」の開設

 視軸とは眼底の黄斑部中心窩(ちゅうしんか)(網膜の中央部にある)と注視する物体とを結ぶ直線、つまり視線です。
 この「視軸」を要点として、店での四方山(よもやま)話や雑感なども記していきたいと思います。 稚拙な文章ばかりですが、よろしくお願いします。


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