がんば716ショップ
柏崎加盟店
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 21年1~6月
2011年1月 2011年2月 2011年3月
・無雪の初詣
・今冬1番の寒さと積雪
・寒の内の雷は大冬
・「山雪」と「里雪」
・三五、三六豪雪
・豪雪対策本部設置
・雪下キャベツ
しんしょうがいい
 《方言12》

・排雪と雪庇
・麗春漂う

・蕾持つボケの花
・“さんよ”は荒れる
・日照時間更新
・三陸沖の地震
・計画停電発表
・避難者受入れ

2011年3月18日(金)
避難者受入れ

 今日は震災後1週間になるので午後2時46分に黙とうを行った。
 避難所などには1週間経ても十分な物資が行き届いていない所も多いという。
陸海空からの輸送路が断たれた為の遅れと聞くが一刻も早い救援を祈っている。

 柏崎市では、13日に交流のある双葉町など原発立地4町に救援物資を届け、15日に避難所を開設し福島県などから100名の避難者の受け入れ、18日にも新たな受け入れをし その数は今後も増加するだろうが、全国民から中越沖地震で受けた恩返しの為に出来る限りの事をしなければならないと思う。

 ところで今回の地震名だが『東北・太平洋沿岸地震』から『東日本大震災』に変わったようだが。何故かNHKだけは『東北関東大震災』と呼んでいる。

2011年3月15日(火)
計画停電発表

 東京電力だけでなく、とうとう当地域の東北電力からも計画停電対象エリアが発表された。
 当店も明後日の午前9~12時の停電時には閉店すべきか検討中である。

 昨日からスーパーで保存食品、ホームセンターでファンのないガスや灯油ストーブ、トイレットペーパー、テッシュ、紙オムツ、電気店で乾電池、懐中電灯、スタンドではガソリンなどが売り切れた。
 その他、何故かパン類までが全て売れ切れになったと聞いた。

、初めての計画停電で人々が浮足立っているようだが、品不足は一時的なものだと思うので冷静に対応した方がいいかと思う。

2011年3月12日(土)
三陸沖の地震

 昨日11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM8.4(後日M9.0修正)の地震が発生し『東北・太平洋沿岸地震』と名付けられた。
 東北・太平洋沿岸は、被害が甚大で多くの行方不明者や犠牲者が出ている。
 中越地震、中越沖地震を体験したものとして胸が痛む思いである。
 行方不明者の一刻も早い救出と亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

 この地震は柏崎でも震度4強で、5分くらいの大きな横揺れが続いた。
 その後大きな余震はなかったが、
今朝の午前3時59分の中越地方を震源とする震度6強、柏崎では4強の地震があり、寝ていたら大きな縦揺れで目が覚めた。
、その後も、4時35分に震度6弱、12分に4、21分に3、32分に6弱、44分に4、5時3分に3、21分に3、42分に6弱、51、57分に3、7時18分に4、9時29分に3、10時33分に3、42分に4、11時19分に3、12時41分に3、13時43分に3と余震が頻発している。
 東北・太平洋沿岸地方の人々も余震が続き寝られなかったことと思う。

 せめて救援物資だけでも早く届くことを祈っている。

2011年3月4日(金)
日照時間更新

 柏崎のアメダスによると、2月の日照時間は最も多く117,9時間、1月は最も少なく9,3時間、両月共1989年からの観測史上最長、最短の記録を更新した。

 僅か2ケ月で両極端な空模様を記録したことになるが、私にはその実感はあまりない。
 確かに2月後半は晴天が続き、1月は雪が降り続いたようだが、昔はこんなものではなかったような気がする。
 特に1月などは 来る日も来る日も雪で毎日鉛色の空が続いていた記憶が何度もある。

 それは今回の統計の記録を始めたのが約20年前(1989年)からで、私の昔とは40、50年前の事だからこの差であろうと思う。

2011年3月3日(木)
“さんよ”は荒れる

 2月24日は4月上旬並みの陽気だったが、今日は最高気温はたった1度。
 一日中吹雪が舞い、一時一面雪景色となり真冬に逆戻りとなった。
 
 以前、柏崎市では、“さんよ”という毘沙門天の「はだか祭」があった。
 今でも南魚沼市浦佐では3月3日にこの祭りがある。
 「はだか祭」の名前の通り、冷水をかぶり身を清めた「サラシのふんどし、白足袋」 の男たちが「さんよ!」「さんよ!」と掛け声を出し、押し合い、もみ合う。
 その男たちに時折冷たい水がかけられ、熱気で湯気が騰がる。
 一見「けんか祭り」みたいな勇壮なものであった。

 その“さんよ”が行われた日は、3月3日の今日だったと思うが、この日は昔から一荒れがあると言われていた。
 2月の下旬頃から雪が消え春らしい陽気になり、もう冬は終わったと思った所に、この“さんよ”の日に霰や雪などが降ったり暴風雨になったりして一荒れする と言う。
 しかし、これを過ぎると本格的な春が来るとも言われている。
 
 つまり、これが柏崎流の“春一番”なのかもしれない。
 


 吹雪ので通路が白くなってしまった諏訪町商店街。
2011年2月25日(金)
蕾持つボケの花

 関東地方では「春一番」が吹き4月下旬並みの陽気となったが、我が家のボケの盆栽にもたくさんの蕾や2ミリくらいの小さな緑の葉が出始めた。
 今月の10日、雪の下になっていた盆栽を掘り出したがその時には何もなかった。 僅か1週間で蕾を持ち、その後この4,5日の晴天と気温の上昇で蕾は一段と大きくなった。

 昨春、小須戸できれいな花を付けたボケの盆栽を二鉢買って盆栽デビューしたものの、昨夏の猛暑時に水やりを忘れ枯らしてしまった。

 葉が全て落ちもう駄目だと諦めていたが、その後また葉を付け復活した。 ボケ木の生命力には敬服した。
 初めての盆栽でもあるので今から花が咲くのを楽しみにしている。

2011年2月24日(木)
麗春漂う

 昨日から急に暖かくなり、2日連続で4月上旬並みの暖かい陽気となった。
 アメダスによると、柏崎の今日の最高気温は16.3度にもなり、平年と比べて9~10度高く、また
積雪深は午前10時でとうとう0cmになり、早くも春の訪れを感じさせるようだった。

2011年2月14日(月)
排雪と雪庇

 長岡市に行ったら天気も良くなったせいか アチコチで排雪(はいせつ)作業が行われていた。
 (排雪とは、積雪地で除雪や雪下ろしの結果として出てきた雪を、邪魔にならない場所(海や川など)に トラックの荷台に乗せて移すことである。)
 
 柏崎市の中心部では殆ど雪は消えてしまったが、高柳町ではまだ積雪が2mあり、雪庇(せっぴ)落とし作業が始まっているそうである。
 (雪庇とは、雪のかぶった山の尾根、山頂などに、風が一方方向に吹き、風下方向にできる雪の塊である。放置すると、自重に負けて崩落するまで際限なく大きくなる。大きな雪庇はブロック雪崩の原因になることから、道路脇にある雪庇は危険なので定期的に除去される。)

2011年2月13日(日)
しんしょうがいい《方言12》

 ボランティアで越後民話の語りを約25年も続けておられる「大掛きみこ」さんが来店された。

 その活動は読売新聞など多くのマスメディアに取り上げられている。
 雪が舞う中を着物姿で 今日も これから子供たちに民話を語りに行く  と仰った。

 そこで方言について尋ねると、
「地元では民話を方言で話すので、語りの後には分らない方言があったら質問して欲しいと言っている。
 すると、分らないと思った方言を子供たちが理解して事が多いのに驚いている。
 子供たちは日常使わなくても祖父母などから柏崎弁を耳にしているからだろう。
 しかし、地元以外の人に民話を語るには 理解が難しい方言は使わないようにしている。例えば先日も、“しんしょうがいい”という方言は使用しないで”お金持ち”(金銭などの財産を多く持っている人)とした」
などと答えてくれた。
 
 「大掛きみこ」さんのご活躍を今後も期待し、陰で応援したい。またいつの日か民話の語りを聞きたいと思った。

2011年2月2日(水)
雪下キャベツ

 昨年の暮れに、お客様より根付きのキャベツを戴いた。
 「キャベツの根を土の中に埋めて置き、雪が降ったら掘り出して食べなさい。雪の下になったキャベツは甘く美味しくなるから」
 と言われ
早速車庫裏の土の中に埋めた。

 あれから3ケ月経ち、車庫裏の土の上には約60cmの雪が降り積もり、キャベツは姿・形が全く見えない状態が2ケ月も続いている。
 
 最近になり、雪の下にキャベツは本当にあるのだろうか?誰かに盗まれて無くなっている、それともカラスに食べられているのでは、いや雪の下で腐っているかも などと心配するようになった。

 そこで今朝、雪を堀りキャベツを取り出すことにした。
 雪の下から掘り出されたキャベツは緑色して生き生きとしていた。

 早速、食してみたが確かに甘く歯ごたえがあって、それはそれは美味であった。

2011年1月31日(月)
豪雪災害対策本部設置

 『寒の内の雷は大冬になる』という言い伝えが当たったのか、とうとう柏崎も大雪になり今日は「豪雪災害対策本部」が柏崎市の旧高柳町に設置された。

 27日に 旧高柳町石黒で積雪が310mになり「豪雪対策本部」が設置されたが、その後も雪が降り続いたので、この度は災害救助法が適用され 「豪雪対策本部」から「豪雪災害対策本部」に格上げ?されたようだ。
 
 ただ、中心部の道路は消雪パイプが設置されている所も多く、一日の降雪量もそれほどでもなく道路の除雪も順調だったので、交通には大きな支障は今のところない。

 強いていえば、JR信越線は27、28日、31日に一時列車を運休させて除雪作業を行った程度である。 

 とはいえ 積雪量も一時70cmくらいなったので、市内のホームセンターでは 除雪用のスコップやスノーダンプは売り切れになった。
 

2011年1月20日(木)
三五、三六豪雪

 「三八豪雪」は有名だが柏崎はそれより2年前の「三五、三六豪雪」が酷かった。

 雪が昭和35年12月29日から翌年昭和36年1月1日まで降り続き、あっという間に積雪が2mくらいになった。
 特に31日午後から正月の1月1日の朝方までの降雪は酷く、正月の1月1日の戸を開けようしたら雪で戸が開かず、2階から出たという家が多かった。

 雪で主要道路である国道8号線が北は曾地峠、南は米山峠で寸断され、柏崎は陸の孤島となり物資の補給ができなった。

 そこで自衛隊が出動し、雪の上に鉄板を敷いて曾地峠に道を開けた。最初はガズバーナーで雪を融かそうとしたがうまくいかず、鉄板を敷くことにしたと聞く。

 また、先日90歳になる人から
「柏崎は終戦前の昭和19年、20年も豪雪になり、これは35、36、38豪雪以上だった」
と聞いた。これは戦時中で除雪作業が人海戦術しかなったので豪雪に感じたのかもしれない。

2011年1月14日(金)
「山雪」、「里雪」

 マスメディアで「山雪」や「里雪」という用語を目にするが、これは「三八豪雪」以降に一般に使われるようになった。

 「三八豪雪」とは昭和38年(1963年)1月に北陸地方の平野部に襲った里雪型の豪雪で、各方面に大きな被害をもたらした。

 新潟県長岡市では、1月23、24日に連日50cm以上も降り続け最深積雪量は318cmにもなった。

2011年1月12日(水)
寒の内の雷は大冬

 今日は大きな雷が近くに落ち、一時停電した。
 ちょうどお店にいたお客さまが
『寒の内の雷は大冬になる』と昔から言われているが、今年は大雪に ならなければ いいんけどな』
と 言った。
 『大冬』とは『厳しい冬、大雪』という意味だそうだ。

 この『寒の内』について補足。
 暦を見ると、今月の6日から小寒に入っていて、20日には大寒に入る。
ところで、この大寒とは二十四節気のひとつだそうで、 小寒(1月6日)後14日で大寒に入り、大寒後15日(2月4日の立春)で、寒が明ける。
 小寒から節分(2月3日)までが『寒の内』と呼ばれている。

2011年1月8日(土)
今冬1番の寒さと積雪
 6日の「小寒」から氷点下1度の今冬1番の厳しい冷え込みが続き、今日は朝から雪が降り積雪も12cmになった。

 この雪でスリップによる車の事故が多発した。風が吹けば桶屋が儲かるではないが、雪が降ると車修理の板金屋さんが儲かるようだ。
 
 また山間部では積雪が20cm以上になり除雪車も出動した。
2011年1月2日(日)
無雪の初詣

 昨日まで北日本と西日本を中心に大雪に見舞われたが、雪国越後の柏崎では殆ど雪は降らなかった。

 元旦は寝生月で、今日は柏崎神社に初詣に行って来た。
 手水舎で水で清め、二礼二拍手一礼をして参拝してたが、雪は左の写真のように雪は軒下に僅かに残っている程度であった。


 ただ、本堂の正面左右に一対で向き合った石でできていた狛犬が、中越沖地震により崩れ落ちたままになっていたのは見るに忍びなかった。
 


2011年1月1日(土)
あけましておめでとうございます。

 旧年中はご愛顧頂き誠にありがとうございました。
 今年も倍旧のご愛顧、御用命の程よろしくお願い申しあげます。

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