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柏崎市とコウモリ
 先日、山間で久々にコウモリを見た。
 私が子供の頃は、夕暮れ時に
たくさんのコウモリが街中を、時折「キィー、キィー」と鳴きながら独特の飛び方で飛び交うのをよく見た
 ある日、年長の仲間の一人が捕まえたので恐る恐る見せてもらったが、牙が鋭く不気味な感じがした。

 小学校に入る前、両親に連れられコウモリがたくさんいる洞穴内に手漕ぎの観光船に乗り入ったことがあるが、その後すぐに文化財に指定され入洞禁止になった。
 小学校では、旧日本石油のロゴはコウモリを図案化、コウモリは福をもたらす幸運な動物で益獣だなどと教わった。

 そこで、コウモリについてこれらを含めて調べてみることにした。
 1、新潟県の天然記念物、福浦猩々洞の3種類のコウモリ

 2、福浦猩々洞が天然記念物になる前に、入洞した体験

 3、柏崎市のシンボルマークのコウモリ

 4、旧日本石油のロゴは(柏崎の?)コウモリを図案化した

 5、柏崎FMピッカラのキャラクターはピンクバット

 6、コウモリは福をもたらす幸運な動物

 7、コウモリは益獣で保護動物

1. 新潟県の天然記念物、福浦猩々洞の3種類のコウモリ
 柏崎市には佐渡弥彦米山国定公園があるが、中でも特に美しい八つの景観を「米山福浦八景」と言う。
 その福浦八景随一の景観を誇る鴎が鼻(かもめがはな)の断崖真下に海蝕洞の福浦猩々洞(しょうじょうどう)が市街地より西へ約6qにある。
 
 この洞穴は奥行80m、奥に幅30m、長さ20m、高さ10mの岩室があり、中にはヒナコウモリ科の「ユビナガコウモリ」と「モモジロコウモリ」、 キクガシラコウモリ科の「キクガシラコウモリ」と「コキクガシラコウモリ」の4種類いたが、現在は「キクガシラコウモリ」が姿を消し、3種類約2万頭が生息している。また、ヒナコウモリ科の北限を示す点でも注目されている。
 このように多種のコウモリが混ざって生息する例は全国的にも珍しく。昭和33年3月5日に「福浦狸々洞のコウモリ生息地」として新潟県の天然記念物に指定された。またこれにより福浦猩々洞は自然保護区となり入洞はできなくなった。

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 米山福浦八景とは柏崎市西部にある全長約12kmの海岸で、北から「番神岬」、「御野立公園」、「だるま岩」、「鴎が鼻」、「猩々洞(しょうじょうどう)」、「松ヶ崎」、「牛ヶ首層内褶曲」、「聖が鼻」などの美しい八箇所の景勝地がある。

2、天然記念物になる前に、福浦猩々洞に入洞した体験

 私が子供だった数十年前に、青海川の福浦猩々洞に入洞した体験談である。
 夏の暑い日に両親と鯨波海水浴場に行き、福浦八景の一部を見る7,8人乗りの観光船に乗船した。
 米山の山塊が日本海に落ち込む景観を眺望していたが、暫くすると船頭と我等家族3人を乗せた船は青海川の福浦猩々洞に入洞した。
 
 洞窟の中はヒンヤリとして暗く、船は僅かな灯を頼りに奥に直進していくと、突き当たった岩礁の壁には鯨波の鬼穴に似た石像があったような記憶がある。
 舟は少し迂回しながら更に奥へ進入し、気温が一段と下がって肌寒く感じる程になったたが、コウモリは暗くて見えずその気配も感じなかった。 
 それから暫く行った所で船は止まり、船頭が懐中電灯で天井を照らしたが、照明が暗いのと天井が高いのとで何も見えなかった。
 すると今度は、船頭が櫂(かい)で舟を叩いくと「カーン」という音と同時に数多くのコウモリが「キィー」キィー」と鳴き声をあげながら「バタバタ」と羽根を広げて飛び始めた。コウモリは高いところで飛んでいたので我々にぶつかることもなかった。
 その後、どのようにして帰ったのかは記憶がないし、これが何年だったかも記憶にないが、入洞禁止になる
昭和33年以前だったことは間違いない。         

3.柏崎市のシンボルマークのコウモリ
柏崎市のシンボルマークは赤い夕陽と青い日本海を表し、波しぶきがまちの活力を象徴しる。その中を楽しそうに飛ぶコウモリは、市民の自然を愛し、環境を大切にする思いを表している。
 このコウモリは県天然記念物指定の「福浦狸々洞のコウモリ」を表している。  

4、旧日本石油のロゴは(柏崎の?)コウモリを図案化した
 明治21年(1888))1月、旧日本石油は内藤久寛(刈羽郡石時の素封家)や、山口権三郎(刈羽郡横沢村)、本間新作(中蒲原郡新関村)、岸宇吉(長岡)によって石地に創立された。
 創立式は長岡市で開かれたが、この時に日本石油のロゴにコウモリが図案化された。
 それは創立議決後のパーティの会場に1匹のコウモリが舞い込んできた。厳寒の北国にコウモリがいること自体珍しく、漢字表記である「蝙蝠」の「蝠」が「福」に通じるということで、商標に使うことが決まった。

柏崎製油所・柏崎工場の跡地にある記念碑(柏崎駅前公園)
その後、明治32年(1899)に日本石油は石地から柏崎に本店を移転し、我が国最大の製油所を確立した。
 ひょっとしたらこのコウモリはコウモリだったかもしれない?
 また、旧日本石油OBのお客様にコウモリのロゴマークについて聞いたら、「日本石油百年史」とロゴマークのついたバルブを持参して頂いた。
 左下の写真は柏崎工場で製油で使用されていたバルブであるが、当時使用されていた殆どバルブには写真のような旧日本石油のコウモリマークのロゴがついていたと聞いた。
 右下の写真は昭和11年に配布した旧日本石油のカレンダーであるが、コウモリのロゴが書かれてある。 

 また、「日本石油百年史」には明治34年の伯爵大隈重信歓迎会の写真があり、その中には新潟でも有数の豪農の一族である新発田の市島家の市島謙吉が貴族として、柏崎市荒浜の豪商の牧口義矩が宝田(ほうでん)石油関係者として名があった。

旧日本石油の柏崎製油所・柏崎工場で使用されていたバルブ。
バルブには、全て上記の写真のようなロゴマークが付いていた。


旧日本石油の昭和11年のカレンダー

5.柏崎FMピッカラのキャラクターはピンクバット
  
 (株)柏崎コミュニ ティ放送のFMピッカラは、日本海側の真ん中、新潟県は柏崎市に開局したコミュニティ放送局であり、柏崎の中心街、ショッピ ングモール『フォンジェ』のストリート棟の一角に局舎はある。
 全面と側面がガラス張りで外から中の様子が、中から外の様子がよく見え、市民の皆様とのコミュニケーションをとるのに最適な場所となっている。

 ピッカラとは、柏崎の民謡、三階節の一節からとり、米山から雷が光る様子を表わしている。その雷を電波のイメージと結び合わせ、愛称『FMピッカラ』が誕生したのである。

『FMピッカラ』のキャラクターである
ピンクバットは柏崎が全国的にも
有名なこうもりの生息地であること
からできた。

6.コウモリは福をもたらす幸運な動物
 コウモリは西欧では吸血鬼に操られる動物だが、中国では昔からコウモリは幸福を招く縁起物として扱われてきた。
 「蝙蝠(こうもり)の「蝠」という字は中国語の「良い運命」と同じ語音を持っている」、すなわち幸福の「福」と同じ音で呼ぶ。このためコウモリは、中国では福を呼ぶ動物とされてきた。また、百年以上生きたネズミがコウモリになるという伝説もあり、長寿のシンボルともされている。
 中国の重要な文化財である清の恭親王(1833-1898)の茶室の中には多数のコウモリデザインがある。
 日本でも、西洋の影響を受ける明治中期ごろまでは中国の影響で縁起の良い動物とされていた。そのため長崎のカステラ店などはコウモリを商標としている。

7.コウモリは益獣で保護動物
 コウモリは一日で約500匹の小型のガなどの飛翔昆虫類を飛翔しながら捕食する「益獣」であり、また保護動物でもある。
 よって鳥獣保護法で、許可なく勝手にコウモリを捕獲したり殺したりすることは禁止されている。


 欧米では吸血鬼に操られて嫌われているコウモリだが、日本や中国では縁起の良い動物として扱われてきた。
 その背景には、黒くて見た目が不気味で悪の使者とする放牧民族と、米を食べる害虫を駆除してくれる幸福の使者とする農耕民族との違いがあると思う。
 

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