がんば716ショップ
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米山 黒姫山 八石山 三階節 柏崎の民話 藤井堰の治水

黒姫山  ・三つの黒姫山
 ・鵜川神社の由来
民話
 織り姫さま麦と姫神さま
 刈羽黒姫山は日本海に臨む米山の南東部の内陸部にあり、海抜898メートルで第三紀層より噴出した輝石安山岩より成立した山といわれる。
 柏崎から見ると左下の写真のようにぼこっとした感じで、地元では「くろひめさん」と親しまれている。
 しかし、長岡市や見附市から見ると、右の写真のようにきれいな三角形の山容をし越後富士とも呼ばれている。

 山頂には美都波能売神および黒姫大神が祀られている鵜川神社にがあったが、現在は少し下にある平地に移動され、今は祠だけが残されている。
 織物の神様でもあるので、明治から昭和初期まで紡績工場がたくさんあった織物の町の十日町市や小千谷市などから、多くの女工さん達が織物が上手くなりますようにと参拝に訪れていた。

 越後三十三観音の一つであり、越後三十三観音詳細地図には以下のように記されてある。
 ご縁起
 黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで、機織の熟達を願って子女が盛に参詣したという。
 明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底へ落とされてしまった。村人は、谷川より漸く観世音を見つけたが、破損した部分がなかなか見つからなかった。底へ旅の僧が通りかかり、破損した部分を次々と見つけると姿が見えなくなってしまった。人々は、その僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。
 越後三十三番札所観音霊場で第九番札所の広済寺(柏崎市高柳町大字高尾(旧刈羽郡高柳町))は、天正年間に、佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観音であり、後に別当となった。
 

 また、柏崎市の大光禅寺の『大光禅寺記』には、黒姫山は加賀国の白山の開創者である泰澄が熊に先導されて開山したといわれ、大光禅寺の境内には白山社が祀られている。

柏崎中心部からの黒姫山(2010年6月撮影)

山頂には祠があるが、一部傾いているものもある。中越地震によるものかもしれない。
(2008年8月18日撮影)
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 鵜川神社の由来
 
 景行天皇の御宇、武内宿弥が諸国を巡視された時、当国を参られ瑞雲のたなびいている黒姫を見て、そこに尊い神が鎮座していられることであろうと遥かに尋ね登られたところが神の御託があって、舟の大倉山というところに瑞殿を建立され、大倉氏の祖先が宮司となって奉祟してきたとのことである。

 天武天皇の白鳳6年、信託によって、十町子丑の方へ社を引き更に、後小松天皇の応永2年約3町東方へ還座されたとのことである。
 
 鵜川神社という社号は美都波能売神(ミズハメノカミ)が北海の波を渡って来られ盤の御船に当山へ漂い着かれた時、多くの鵜が翼を並べて先導した。
 そして帆柱山と黒姫山との接合点であるところの池にその鵜が住むようになったという。

 この池が渋池であり、池の水が流れ落ちて川となったのが鵜川である。

 黒姫大神は西頚城郡黒姫山の奴奈川姫命でまたの名を「くろひめ」といい、越後の国を経営した大国主命の妃であった。命は遠く、この国に来て、機織りを土民に授けられたという。

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 罔象女命
 (弥都波能売神)
 「くろひめさん」は伝説によると女性の神様で、その名前を”罔象女命(ミズハメノミコト)”といい、越後の国を治めた大国主命(オオクニヌシノミコト)のお后であると伝えられている。

 この神様は『日本書紀』で罔象女命、『古事記』では弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)と書かれている日本神話に登場する代表的な水の神である。

 『古事記』で弥都波能売神は、伊邪那美(イザナミ)が火の神の迦具土(カグツチ)を生んで陰部を火傷し苦しんでいた折に尿より和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。
 『日本書紀』では、伊邪那美が死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとしている。
 神名の「ミヅハ」とは走り水の意で、耕地の灌漑に使う引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされている。

。「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は『准南子』などの中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明されている。
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 日本に三つある黒姫山 
 
  黒姫山という名前の山は日本に三つある。
 この三つの山は区別をするために、それぞれの地域の名前を頭に付けて呼ばれている。
 
 黒姫山(長野県信濃町)-----信州,または北信濃黒姫山(頂上の標高2,053m)、
 黒姫山(新潟県糸魚川市)-----青海黒姫山(頂上の標高1,121m)
 黒姫山(新潟県柏崎市)-----刈羽黒姫山(頂上の標高891m)

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 青海黒姫山
 沼河比売(ヌナカワヒメ、奴奈川姫)
 青海黒姫山には大国主命のお后である沼河比売(ヌナカワヒメ、奴奈川姫)が、黒姫山の東麓にある「福来口(ふくがくち)」という大鍾乳洞で機(はた)を織って住んでおり、、洞穴から流れ出る川で織った布をさらしていた。
 この川を布川(ヌノカワ)と言うと伝えられ、山頂には奴奈川姫を祀(まつ)った石祠(いしぼこら)がある。

 (相馬御風は地元の伝承で「沼河比売(奴奈川姫)が身に付けた首飾りのヒスイが地元産だ」と考え、この推測により昭和13(1938)年に糸魚川で日本最初のヒスイ発見へと至った
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 織り姫さま
(黒姫山の民話)

 眠ったような静かな海が、突然二つに割れて、舳先(ヘサキ)(*1)に龍の彫り物がある美しい船が現れました。

 船の中には、それはそれは美しいお姫様が乗っておられました。
「コロリンコ、コロリンコ」
と玉を転がすような美しい音楽が、船の中からしてきました。
 七色に色どった美しい船は
「ぎいッ、ぎいッ」
と鵜川を漕ぎ登りました。

 いつの間にか、たくさんの鵜が船のまわりに集まってきました。
前の鵜は船を案内するように、後ろの鵜は船のお供をするように泳いでいきました。
 川は清水谷という所でなくなりましたが、船は空中を
「ぎいッ、ぎいッ」とこいでいきました。

 今でも黒姫山には、その船の通った船道があるそうですし、黒姫山の帆柱岩はその時の船の帆柱だと語り伝えられています。

 黒姫山には、姫が倉というほら穴があります。
鵜川から山に登ってきた船は
「ぎいッ、ぎいッ」
とそのほら穴の中をこぎ進んで、やがて見えなくなりました。
 
 そして、その時から姫が倉のほら穴の中から
「トンカラトン、トンカラトン」
と機(ハタ)を織る音が聞こえました。
 「そら、織り姫さまが、機を織ってござらっしゃるぞ。」

 村の人たちは、姫が倉に入られたお姫さまを織り姫さまと呼びました。
「トンカラトン、トンカラトン」
織り姫さまは、春には透き通るような緑の薄絹のベールを織られて、山にかけました。

 木のうろ(*2)で眠っていた小鳥たちは、目を覚まして、一斉(イッセイ)に春の歌を合唱しました。
「トンカラトン、トンカラトン」
 
 秋には織り姫さまは、燃えるような赤い糸や、キラキラ輝く金の糸で、目の覚めるような錦(ニシキ)(*3)を織られて、山一面にかけられました。

  山は火事のよだッ
  もみじがもえるよだッ

と子供たちは、大声で歌い出しました。
「トンカラトン、トンカラトン」

「今年も織り姫さまは、真っ白い、羽二重(ハブタエ)(*4)を織られましたな。」
 信心深い村人たちは、銀の雪山を見て、そう言い合いました。
 山の狐も熊もこん羽二重に包まれて眠り続けています。

村の娘たちは、織り姫さまにあやかろうと機をおりました。
「トンカラトン、トンカラトン」

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(*1) 舳先(ヘサキ) ------ 船の前の方の部分。船首。
(*2) 木のうろ ------ 木に自然にできた穴
(*3) 錦(ニシキ)  ----------美しい厚地の絹織物
(*4) 羽二重(ハブタエ) -------なめらかな白い絹の布

「柏崎のむかしばなし」より

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 上記の『織り姫さま』は罔象女命(ミズハメノミコト)弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)と言われ、このお姫さまが船で黒姫山へお出での折り、多くの鵜が案内したとし、これが鵜川神社名称の由来とされている。

清水谷へ行く途中の登山口から見た黒姫山。

織姫さまの姫が倉という洞穴が見えるそうだが
分からなかった。


鵜川の女谷からの黒姫山

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 麦と姫神さま
 (黒姫山の民話)(別又)

 昔の話でありました。

 あまりよい天気なので 黒姫山の みつわの女神は
「よい天気だこと 今日は 山遊びに出かけましょう」
と姫倉の岩屋を出られました。

「またたべ清水へ行ってみましょうか」
 みつわの女神は ひとりごとを言って 大きな またたびの木の下に やってきました。

 またたべの木の下には コトコト コトコト と音をたてて きれいな水が 湧き出ていました。
 この水を村の人たちは「またたびの清水」と よんでいました。

「まあ きれいな水だこと」
 みつわの女神は またたび清水を 手ですくって コクリと飲みました。
「まあ おいしい水だこと」
 またたば清水はとても おいしいい水でした。
 お茶の会などするときには 柏崎の人たちは わざわざ このまたたびの清水を くみに来るのです。

「何年たっても 何十年たっても この味は 変わる事はないでしょう」
 みつわの女神は またたびの清水に 祝福の言葉をおかけになりました。

 みつわの女神は またたびの清水のそばの「腰掛け岩」に腰かけて ごらんになりました。
 ここから 米山も 八石山も手にとるように よく見えました。

「すっかり 夏らしくなりましたねえ」
 うっとりとして 気色を眺めておられました。
「さあ 今度は 腰かけ松に行って見ましょうか」
 みつわの女神は また独り言を言って山道を歩かれました。

 山道には カナチョロも カエルも ハチも アリも ヘビも しおからトンボも 出てきて
「こんにちはひめがみさま」
と挨拶をしました。
はんみょうは みつわの女神の前になり 後になりして 道案内をしました。

「少し疲れたわ」
と つぶやかれました。もうすぐ 腰かけ松でした。
 この松は みつわの女神が 腰かけるに ちょうどよい所に 太い枝が一本のびていました。
 女神はいつも それに腰かけて 休むのでした。
 ここから 眺める鵜川の流れは 天下一品でした。
 黒姫山から流れ出る鵜川は あたりの山々から流れ出る水を集めて ある所では ザクザクと白波をたて 又ある所では 深いふちとなって とろりとよどんで おりました。
 その長い長い鵜川が 夏の光に まぶしく輝いていました。
 子供たちが この川で 水浴びをするのも もう間近でしょう。

「ずいぶん歩いたわ。さあ 戻りましょうか」
 みつわの女神は そうひとりごとを言って 姫が倉の岩山に向かって 歩き出しました。
 その時です。ふいにみつわの女神の目の前を 黒い大きなけものが通りすぎました。
「あっ 鹿だわ」

 みつわの女神は そう言って もう一ぺん 鹿を見ようと背伸びをなさった時 枯れ葉に足を取られてつる つる つるッ がけからすべり落ちてしまわれました。
 がけの下には 麦畑がありました。
 十分実った麦は  鋭い“のぎ”を つんつんと のばしておりました。
 鋭い“のぎ”をきりのようでした。その」麦畑に滑り落ちた みつわの女神は
「アアッ」
と悲鳴をあげました。
 見ると 左目から ポタリ ポタリと 赤い血がたれていました。
 みつわの女神の左目に 麦の“のぎ”がつきささったので ありました。
 左目をおさえ 痛みをこらえながら みつわの女神は 岩屋にお戻りになりました。

 その事があってから 黒姫山から 機を織る音が聞こえなくなりました。
「あれほど 機を織ることがお好きな 女神様は どうなさったのだろうな」
と村人たちは 心配しはじめました。
「女神さまは 麦ののぎで目をつかれたのじゃ わしは木の間から見ていたど」
と 清水谷の 正助じいさんが言いました。
「それは まあ お気の毒に・・・・・」

 黒姫山のふもとの 二十の村の代表が 集まって 相談しました。
「みつわの女神さまが 二度と麦ののぎで 目をつかないように 麦を作るのは よそう」
と申し合わせました。

 それからは 黒姫山のふもとの 二十の村の人々は 麦を作らなくなりましたとさ。


「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より
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