んば716ショップ
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柏 崎 の 民 話 
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(米山)
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(米山)
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(黒姫山)
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八石山)
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(小倉山)
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(米山)
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(米山)
麦と姫神さま
(黒姫山)
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(八石山)
おしの皇子
(八坂神社)
ぎおんときゅうり
(八坂神社)
しげさのごかんげ
(米山三階節)
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(米山)
水上の熊野権現
(黒姫山)
弥三郎ばば
(八石山)
ざいわり船
(荒浜)
まぼろしの公園
(荒浜)
荒浜の狐塚
(米山)
お城のぼんさん
(八石山)
橋場の天保橋
(西中通)
くるそん仏
(土合)



黒姫山の民話
(織り姫さま、麦と姫神さま)


 織り姫さま
 (黒姫山と織り姫)

 眠ったような静かな海が、突然二つに割れて、舳先(ヘサキ)(*1)に龍の彫り物がある美しい船が現れました。

 船の中には、それはそれは美しいお姫様が乗っておられました。
「コロリンコ、コロリンコ」
と玉を転がすような美しい音楽が、船の中からしてきました。
 七色に色どった美しい船は
「ぎいッ、ぎいッ」
と鵜川を漕ぎ登りました。

 いつの間にか、たくさんの鵜が船のまわりに集まってきました。
前の鵜は船を案内するように、後ろの鵜は船のお供をするように泳いでいきました。
 川は清水谷という所でなくなりましたが、船は空中を
「ぎいッ、ぎいッ」とこいでいきました。

 今でも黒姫山には、その船の通った船道があるそうですし、黒姫山の帆柱岩はその時の船の帆柱だと語り伝えられています。

 黒姫山には、姫が倉というほら穴があります。
鵜川から山に登ってきた船は
「ぎいッ、ぎいッ」
とそのほら穴の中をこぎ進んで、やがて見えなくなりました。
 
 そして、その時から姫が倉のほら穴の中から
「トンカラトン、トンカラトン」
と機(ハタ)を織る音が聞こえました。
 「そら、織り姫さまが、機を織ってござらっしゃるぞ。」

 村の人たちは、姫が倉に入られたお姫さまを織り姫さまと呼びました。
「トンカラトン、トンカラトン」
織り姫さまは、春には透き通るような緑の薄絹のベールを織られて、山にかけました。

 木のうろ(*2)で眠っていた小鳥たちは、目を覚まして、一斉(イッセイ)に春の歌を合唱しました。
「トンカラトン、トンカラトン」
 
 秋には織り姫さまは、燃えるような赤い糸や、キラキラ輝く金の糸で、目の覚めるような錦(ニシキ)(*3)を織られて、山一面にかけられました。

  山は火事のよだッ
  もみじがもえるよだッ

と子供たちは、大声で歌い出しました。
「トンカラトン、トンカラトン」

「今年も織り姫さまは、真っ白い、羽二重(ハブタエ)(*4)を織られましたな。」
 信心深い村人たちは、銀の雪山を見て、そう言い合いました。
 山の狐も熊もこん羽二重に包まれて眠り続けています。

村の娘たちは、織り姫さまにあやかろうと機をおりました。
「トンカラトン、トンカラトン」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

(*1) 舳先(ヘサキ) ------ 船の前の方の部分。船首。
(*2) 木のうろ ------ 木に自然にできた穴
(*3) 錦(ニシキ)  ----------美しい厚地の絹織物
(*4) 羽二重(ハブタエ) -------なめらかな白い絹の布

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「柏崎のむかしばなし」より

清水谷へ行く途中の登山口から見た黒姫山。

織姫さまの姫が倉という洞穴が見えるそうですが分かりませんでした。


鵜川の女谷からの黒姫山

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 麦と姫神さま
 (黒姫山みつわの女神)(別又)

 昔の話でありました。

 あまりよい天気なので 黒姫山の みつわの女神は
「よい天気だこと 今日は 山遊びに出かけましょう」
と姫倉の岩屋を出られました。

「またたべ清水へ行ってみましょうか」
 みつわの女神は ひとりごとを言って 大きな またたびの木の下に やってきました。

 またたべの木の下には コトコト コトコト と音をたてて きれいな水が 湧き出ていました。
 この水を村の人たちは「またたびの清水」と よんでいました。

「まあ きれいな水だこと」
 みつわの女神は またたび清水を 手ですくって コクリと飲みました。
「まあ おいしい水だこと」
 またたば清水はとても おいしいい水でした。
 お茶の会などするときには 柏崎の人たちは わざわざ このまたたびの清水を くみに来るのです。

「何年たっても 何十年たっても この味は 変わる事はないでしょう」
 みつわの女神は またたびの清水に 祝福の言葉をおかけになりました。

 みつわの女神は またたびの清水のそばの「腰掛け岩」に腰かけて ごらんになりました。
 ここから 米山も 八石山も手にとるように よく見えました。

「すっかり 夏らしくなりましたねえ」
 うっとりとして 気色を眺めておられました。
「さあ 今度は 腰かけ松に行って見ましょうか」
 みつわの女神は また独り言を言って山道を歩かれました。

 山道には カナチョロも カエルも ハチも アリも ヘビも しおからトンボも 出てきて
「こんにちはひめがみさま」
と挨拶をしました。
はんみょうは みつわの女神の前になり 後になりして 道案内をしました。

「少し疲れたわ」
と つぶやかれました。もうすぐ 腰かけ松でした。
 この松は みつわの女神が 腰かけるに ちょうどよい所に 太い枝が一本のびていました。
 女神はいつも それに腰かけて 休むのでした。
 ここから 眺める鵜川の流れは 天下一品でした。
 黒姫山から流れ出る鵜川は あたりの山々から流れ出る水を集めて ある所では ザクザクと白波をたて 又ある所では 深いふちとなって とろりとよどんで おりました。
 その長い長い鵜川が 夏の光に まぶしく輝いていました。
 子供たちが この川で 水浴びをするのも もう間近でしょう。

「ずいぶん歩いたわ。さあ 戻りましょうか」
 みつわの女神は そうひとりごとを言って 姫が倉の岩山に向かって 歩き出しました。
 その時です。ふいにみつわの女神の目の前を 黒い大きなけものが通りすぎました。
「あっ 鹿だわ」

 みつわの女神は そう言って もう一ぺん 鹿を見ようと背伸びをなさった時 枯れ葉に足を取られてつる つる つるッ がけからすべり落ちてしまわれました。
 がけの下には 麦畑がありました。
 十分実った麦は  鋭い“のぎ”を つんつんと のばしておりました。
 鋭い“のぎ”をきりのようでした。その」麦畑に滑り落ちた みつわの女神は
「アアッ」
と悲鳴をあげました。
 見ると 左目から ポタリ ポタリと 赤い血がたれていました。
 みつわの女神の左目に 麦の“のぎ”がつきささったので ありました。
 左目をおさえ 痛みをこらえながら みつわの女神は 岩屋にお戻りになりました。

 その事があってから 黒姫山から 機を織る音が聞こえなくなりました。
「あれほど 機を織ることがお好きな 女神様は どうなさったのだろうな」
と村人たちは 心配しはじめました。
「女神さまは 麦ののぎで目をつかれたのじゃ わしは木の間から見ていたど」
と 清水谷の 正助じいさんが言いました。
「それは まあ お気の毒に・・・・・」

 黒姫山のふもとの 二十の村の代表が 集まって 相談しました。
「みつわの女神さまが 二度と麦ののぎで 目をつかないように 麦を作るのは よそう」
と申し合わせました。

 それからは 黒姫山のふもとの 二十の村の人々は 麦を作らなくなりましたとさ。


「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より
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 水上の熊野権現
(くまのごんげん) (黒姫山の熊)(別又)
 昔の話でありました。

 年をとった山伏が 黒姫山の神様を お参りしようと 鵜川の谷を上ってきました。
 日本の国の 山々をかけめぐって 難行苦行してきた山伏でしたが 随分と 年をとっていたので 野田の 熊谷という谷に来た時には もうクタクタに疲れきって 一足も 足を前に出す力がなくなっていたのでした。

 山伏は悲しそうに
「わしも随分年をとったものだ」
と言って道端の草の上に腰をおろした時
「ガサ ガサッ」「ガサ ガサッ」
と音がして 熊笹の中から 大きな熊が 姿を現しました。

 山伏は驚いて 逃げようとしましたが もう疲れきって 立ち上がる事さえ 出来ませんでした。
 熊は山伏のそば近くに来ましたが とびかかろうとも しないどころか
「さぁ お乗りなさい」
と でも言うように 背中をむけました。

「不思議な事もあるもんだ」
と 山伏は 恐る恐る 熊の背中に乗りました。
 熊は 山伏が乗ったのを見て のっそり立ち上がり 黒姫山の頂上めざして ガサモソ ガサモソ やぶをこいで 歩き出しました。

 熊の背中に乗って
「わしは荷物の中に 熊野権現様の お札がある。
 このお札は 紀伊の国の熊野神社にお参りした時に頂いた 有難いお札だ。
 ひょっとしたら 熊野権現様が このお熊を使いとして私を助けて下されたのかもしれない。
いや それに違いない」
と 思うようになりました。

 やがて山頂の 黒姫の神様に お参りして さて下山しようとすると さっきの熊が 又現れて
「さぁ お乗りなさい」
と 言うように 背中をむけました。
 今度は ためらう事なく山伏が乗ると 熊は のそりと立ち上がって ガサモソ ガサモソとやぶをこいで 別又の方へ 下り始めました。

「これは まさしく 熊野権現様の お使いだ。年とった私を あわれに思って よこされたに違いない。 有難うございます。有難うございます」
と 熊野権現様に何度も何度も お礼を申し上げました。

 やがて 別又の村々が 見え出しました。
「おうおう あの村は別又の水上の村だ」
と 山伏が喜びの声をあげた時 熊は 又 パッと消えてしまいました。
「ああ 有難うございました。お陰さまで 黒姫様にお参りが出来ました」
山伏ははるか 紀伊の国 熊野神社の方に向かって 手を合わせて 頭を深く下げました。

 その夜 水上に泊まった山伏は 集まってきた村人たちに 熊の事を話しして
「これも日頃 信心している 熊野権現様が お助け下さったに違いない」
と言って 荷物の中から 熊野権現様の お札を出して 見せました。

 村人たちは 山伏の話に すっかり感心して
「そのお札を この村の守り神として 長くお祭りしたいと思います」
と 言って そのお札を貰って 村に熊野神社を 建てましたとさ。

「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より
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八石山の民話
(豆の木御門、 信心ばばさと豆の木)
1、大仏山と呼ばれていた八石山

  豆の木御門
 (北条の民話)




大仏様が横たわっているように見える八石山

北条村に二人の子供がいました。

 兄は前のお母さんの子で、弟は今のお母さんの子でした。
 今のお母さんは、兄を大変憎んでいました。

 ある日、お母さんは
「さぁ、今日は大仏山の畑に、種をまいてきなさい。」
 と言って、兄には炒った豆を、弟には、生の豆を持たせました。
 二人は、大仏山の畑に豆をまきました。

 それから十日たちました。
「もう豆は芽を出したころだな。行って見て来よう。」
 お母さんは、二人の子供を連れて、大仏山の畑にやって来ました。
 弟の畑には、青々と豆が芽を出していましたが、兄の畑には一つも芽を出していませんでした。

 お母さんは
「お前は豆をまいたのかぇ。」
 とにくにくしげに言いながら
「この怠け者のろくでなし。」
 と杖で兄を打ちました。

 兄は亡くなったお母さんが恋しくなって、涙をポロリと落としました。
 ポロリと落とした涙が、土にしみ込むと、むくむくと土が盛り上がって、一粒の豆が芽を出し、ものすごい勢いで伸びました。
「あれまあ、あれまあ」
 と三人が驚いているうちに、豆の木はグングン伸びて、雲に届くほど大きくなり、大枝、小枝が茂り、枝々が垂れ下がるほど、たくさんに豆がなりました。

 あっけにとられている、三人の目の前に、風に吹かれて、パラパラ、パラパラと豆が降るように落ちてきました。
 三人は慌てて豆を拾い集めました。大きな豆の山が十もできました。
 この豆を家に運ぶのに、三日三晩かかりました。
 計ってみたら八石(千五百リットル)もありました。

 たちまち、このことが村中の大評判になりました。
「たまげたもんだ。一本の豆の木に八石も豆がなったてがんだのう」
「まさかと思ったが、本当だぞえ。わしは昨日ほんとに見てきたんだに」
「きっと、死んだ前のおっかさんが、あんにゃさを、かわいげらに思って、ならしたんだろうて」
「そうとも、そうとも、そうでなけりゃあ、一本の木から八石も豆がなるはずはねぇだ。」

「こんだから、大仏山を八石山と呼ぶべえか。」
「そら、いい名前だ。おらも八石山と呼ぶべ」
 そのことがあってから大仏山を八石山と呼ぶようになりました。

 そして、このお母さんは
「私が悪かった。」
 とそれから二人の子供を分け隔てなくかわいがりました。

「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より
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2、大仏山と呼ばれていた八石山

信心ばばぁと豆の木
(鯖石の民話)

 昔の話でありました。

 善根(ゼゴン)の久の木に 貧乏だけど大変信心深いばばあが いました。

 毎朝、起きると先ず大仏山に向かって
「今日も たっしゃで 暮らせますように」
と ポンポン拍子を打ってお祈りし、夕方は夕方で 又 大仏山に向かって
「今日も たっしゃで 働かせてくんなさって1)ありがとうさんでした」
とポンポン拍子を打ってお礼を言いました。

 その夏は日照りが続いて 雨が一粒も降りませんでした。
 ばばぁは大仏山の山畑に 大豆をまきましたが みんな ひっからびて2) しまいました。
 これは、ばばぁだけではなく 村人がまいた全ての作物が同じようにびっからびてしまいました。

「この冬はどうして暮したら いいこったやら3)
と ばばぁや村人はがっかりして ため息をついていました。 と
「ばばさ4) ばばさ あしたの朝げ きてみなっしゃれ5)
と いう声が大仏山のてんじょからでしました。

 不思議に思って 翌朝 ばばぁが畑に行って見ますと 沢に転がり込んだ炒った豆がたった一粒 芽を出していました。
「たった一粒ぐらい 芽を出したところで どうしょうも ないこってぇのぉ6)
と ばばさががっかりして 又 ため息を つきました。と

「ばばさ ばばさ あしたの朝げ きてみなっしゃれ」
と いうお声が大仏山のてんじょで又しました。
 ばばさが翌朝 畑に行って見ますと 豆の芽が 十メートルもある大木になって 数百本の枝が 空が見えないくらい 広がっていて 枝という枝には 豆の花がいっぱい 咲いていました。

「もうじき二百十日だすけ7)。大風が吹けば 一晩で散ってしまうこってのぉ8)
と ばばさは がっかりして 又 ため息を つきました。と

「ばばさ ばばさ あしたの朝げ みなっしゃれ」
と いうお声が大仏山のてんじょで 又しました。

 翌朝 ばばぁが畑に行って見ますと 豆の木は 一晩の中に りっぱな実となって カラカラ、カラカラと さわやかな音を たてていました。
「せっかく いっぺぇ9)ことなったとて おらの手が届かんねっけ。 あんがに10)高い所では どうしてみようも ないてば 宝のもちぐされ というもんだこって11)

と ばばさは がっかりして 又 ため息を つきました。と

「ばばさ ばばさ あしたの朝げ みなっしゃれ」
と いうお声が 又 大仏山のてんじょで しました。

 その晩 心配していた 二百十日の風が ピープー ピープー 吹き荒れました。
 ばばぁは生きた心地もなく
「どうぞ風がおさまってくんなせぇ」
と一晩中 一心に 大仏山にお祈りを 続けました。
 夜明けには 風はおさまり 何事もなかったように 朝日が赤々と昇りました。

 朝飯もそこそこに 畑にやってきたばばぁは 腰が抜けるほど 驚きました。
 ゆうべの風で吹き落とされた大豆が あっちこっちに 小山のように 積まれていました。

「ひゃあ、これは大変なことになったすけぇ12)。村の衆 来て見てくらしゃいてば13)

 山畑を転がる様に 降りてきたばばぁは大声で 叫びました。

 ばばぁから 話を聞いた村人たちは、 からざおを持って ばばさの山畑に やってきました。
 なるほど ばばぁの言う通りに 豆の小山が 幾つも 幾つも 出来ていました。

 バタン、バタン、バタン、バタン
 村の人が、 からざおで 豆を打つ音が 一日中 賑やかに 響き渡りました。
「どんがに14) あるもんだかのぉ」
 こんなに たくさんの豆は 誰も見た事は ありません。

「枡形山(マスガタヤマ)から 枡(マス)を借りて来て はかって見ようや」

 若者の一人が 枡形山から 一斗枡(十八リットル)を 借りて来て、一つ 二つと はかっていきました。 1斗枡に八十杯も ありました。 
「ほう 八石も あったぞえ」
と若者が 叫びました。

「これは 大仏山の神様が くんなした14)豆だ。わしが 独り占めするのはよくないこった。 皆で神様のお恵みを 分け合おうじゃ ないかえ」
とばばぁが 言いました。

「そうかえ そうかえ。おらたちにも神様のお恵みを分けてくれるかえ。ありがてぇ。ばばぁのお陰でこの冬を耐え忍ぶ事が出来るようになった。ありがとさん」
 作物が取れずに困り果てて村人たちは 大喜びで ばばぁにお礼を言って、大豆を背負って 山を下りました。

 村人たちは それから このばばぁを ばばさと、大仏山を 八石山と呼ぶように なりましたとさ。
     
「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 この物語の原型と思われるものが、「柏崎市伝説集」に記載されてあるが、これには「ばばさ」の年齢は60歳余りとあり、またここでの豆は炒った豆となっていたので、上記の話も炒った豆とした。

 「あるはずのないことが実現する」ことの例えに「炒った豆に花が咲く」という諺があるが、この物語から出た諺かもしれない?

方言
1,くんなさって: 「くださって」
2,ひっからびる: 干涸びる(ひからびる)、水分がすっかりなくなり、かさかさに乾ききる
3,いいこったやら: どうしたら良いものか
4,ばばさ: ばばぁの敬称
5,きてみなしゃれ: 来てみなさい
6,ないこってぇのぉ: ないなぁ
7,だすけ: だから
8,しまうこってのぉ: しまうのになぁ
9,いっぺぇ: たくさん
10,あんがに: あんなに
11,いうもんだこって: いうもんだなぁ
12,なったすけぇ: なったから
13,くらっしゃりてば: 「くらっしゃれ」は「来て下さい」、接尾辞の「てば」は強調した意味になる。
14,どんがに: どれだけ
15,くんなした; 下さった
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 弥三郎ばば
 (八石山)(善根久木太)

 昔の話でありました。

 弥三郎ばばあ と呼ばれる鬼ばばが、八石山のほら穴にいました。
 ある日の夕方、鬼ばばはぺちゃんこになった腹をかかえ 山の上から下の村を 見下ろしていました。
 村のどの家も けむだしから もくもく煙を出しているのは、夕飯の支度をしているのでしょう。
 うまそうなにおいが漂ってきました。

 ところが弥三郎の家からは 煙が出ていません。
「きっと留守に違いない。あそへ行って食べ物を探そう」
と 鬼ばばは けむだし窓から 弥三郎の家へ 忍び込みました。

 鬼ばばの思った通り 弥三郎もおかみさんも 留守でした。
 鬼ばばは 奥の間に寝ていた90歳のおばあさんを むしゃむしゃと食べて おばあさんの着物を着て おばあさんに化けて すましていました。

 ある日のことでした。
 炭焼きの仕事を終えた弥三郎が 暗くなった山道を とことこ下ってきますと 5匹の山犬やオオカミが後から追っかけてきました。
 大きな舌を ペロペロ出して 今にも飛び掛かろうとしました。

 「うわわわわーっ!こいつは大変だぁ」
 びっくりした弥三郎は あわてて近くの大きなうるしの木によじ登りました。
 木登りの出来ない山犬どもは 弥三郎を見上げて
「ウオーン、ウオーン」
と 吠えていましたが、やがて一匹の山犬が
「こいつはおらの手にはおえないや。親方の弥三郎ばばを連れてこよう」
と 言ってふもとの方に とんで行きました。
「弥三郎ばばてば おらどこのばあさんの事ではねえだかや」
 弥三郎は不思議に思っていました。
 
 やがて 山犬の背中に乗ってきた鬼ばばは、口が耳まで裂け 山犬のように長い舌をペロペロ出し 耳は山猫のようにピンとたち 血のような真っ赤な目をカッと見開き 金色の二本の角がピカピカはえていて 弥三郎ばばの面影はどこもありませんでした。

「どけ どけ」
 山犬どもを押しのけ 白髪をふり乱してとんで来た鬼ばばは、弥三郎が登っている大木の根元まで来ると、 弥三郎が逃げ出さない様に 手下のけだものたちを 木の周りに並べて、自ら鋭くとがった爪をつったてて 木をよじ登ってきました。
「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」
 どうすることをできない弥三郎は、一心に仏様におすがりしました。

 鬼ばばの手が 弥三郎の足をつかもうとした その時。
 弥三郎が 足を引っこめて 思わず下を見下ろした その時。
 弥三郎の腰にさしていた なたがスルリとぬけ落ち 鬼ばばはのひたいの真ん中に ぐさりと突き刺さりました。

「ギャーーーー!」
と いう ものすごい鬼ばばの悲鳴と 「ドシーン」という 木からずり落ちた音とが一緒して うるしの大きな木が グラグラと揺れ動きました。

 そして鬼ばばは 腰をさすりさすり びっこをひきひき逃げていきました。
 手下の山犬どもたちも 鬼ばばの前になり後ろになりして やぶの中へ姿を 消していきました。
「たっ、助かった」
 弥三郎は木から降りると、脇目もふらずに家まで逃げ帰りました。

 あぶない命が助かった弥三郎が 家に帰ってきますと、朝は元気だった弥三郎ばあさんは頭に手ぬぐいを巻いて寝ていました。
「頭を、どうしたんだ?」
と 弥三郎がたずねると、
「風邪をひいてな 頭がぐらぐらして 柱に頭をぶつけただけさ」
 弥三郎ばあさんは くるりと弥三郎に背中を向けて 布団の中にもぐりこみながら言いました。
 しかし、手ぬぐいににじんでいる血を見ると、傷はかなり深い様でした。

 翌朝 おかみさんが
「おばあさん 朝飯をする間 この子をもりしてくらっしゃい」
と 赤ん坊を預けて 朝飯の支度にかかりました。
 やがて 朝飯の支度ができたので おばあさんの部屋へ行って
「ばあさん 子供をかしてくらっしゃいや」
と 言うと
「あっ あれは赤ん坊だったのかえ。わしは味噌だと思って舐めてしもうたいな」 
 おばあさんの唇は 真っ赤な血でたらたら 染まっていました。

 真っ青になったおかみさんは 弥三郎の所に走って行ました。
 弥三郎は おかみさんの話を聞いて 昨日の山犬の話といい 今朝の赤ん坊の事といい おばあさんは ただものではないと思いました。

 鉢巻をしめた弥三郎は 仏間にあった 先祖伝来の刀を持って おばあさんの部屋に入り
「おばあさん、本当に 頭をぶつけなすったのかえ?」
「・・・・・・」
「もしかして、村人の誰かにやられたんじゃねえけぇ?」
「・・・・・・」
「ばあさん。手ぬぐいを取って見さっしゃい」
 怒鳴りながら弥三郎が、ばあさんの頭の手ぬぐいに手を伸ばそうとしたその時、ばあさんはいきなりふとんをはね飛ばして起き上がり、
「ようし よく見るがいい。わしの頭を割ったのは、お前じゃ! この親不孝者め!」
と、わめきながら手ぬぐいを取ると なたで割られた 生々しい傷跡が 新しい血で真っ赤に塗られていました。

 弥三郎が キッと睨みつけますと ばあさんは次第に鬼の姿になって 弥三郎に飛び掛かってきました。
 元気な弥三郎は 一歩さがって
「やっ」
と 刀を振りおとしました。刀は肩にあたって 鬼の左腕が 肩からザックリ切り落とされました。

「ガッアーーーーッ!
と 鬼は大きな叫び声をあげ、切り取られた左腕を拾うがはやいか けむだしから、家の外へ飛び出して行きました。
 そして、老人とは思えないほどの速さで 風雨にまぎれて破風を抜け 八石のほら穴に逃げ帰りましたが、やがて黒雲に乗って弥彦の方へとんで行きました。

 八石山のふもとには、弥三郎ばばあが休んでいたという所に 姥石が今でもあります。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
 越後一宮の弥彦神社の叢書には
「婆は分水町砂子塚、鍛冶屋の家に生まれ「鴨とり」を生業としていた。
 明応(1492-1500年)の御作り堂成就して、大工、鍛冶屋棟上げも異論に及び、一、二を争ふて、高橋にこれに訴ヘ、遂に一番大工、二番鍛冶屋棟上げ致すべしと裁断きまる。
 この時、鍛冶屋弥三郎といふものの母、ことごとく野心含み、当小滝川沢の奥に入りて喰事をせずして死す。その死体、髪逆立ち、手をほりて爪肉の中へ延通す。顔色なお怒りて眼を開きてこれあり」
と ある。

 婆は80歳でこの世を去ったとされ、後「妙多羅天女」として弥彦神社裏の宝光院に安置される。
 この背後には「婆々杉」があるが、この山中には宮多羅という所があり、ここで果てたとされている。

 この弥三郎伝説は各地に多くある。
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2、八石山にいたお坊さん

 お城のぼんさん
(鯖石の民話)
 昔の話でありました。

 八石山から トコトコ トコトコ お坊さんが 下りてきました。
「あッ お城のぼんさんだ」
 このお坊さんは 八石山のお城のあとに 小さなあばら家を建てて 八石城で死んだ殿様や 侍たちを お弔いしているのでした。

 善根の人々は「お城のぼんさん」「お城のぼんさん」と言って 仲良くしていました。
 時には 家に招いて お経を読んで貰う事もありました。
「お城のぼんさんが 来なしたぞうッ」
 村人たちはそう言いながら 米だの 味噌だの 塩だのを 差し上げました。

 お城のぼんさんは村の人々から たくさんの米だの 味噌だの 塩だのをもらって 八石山の頂上に帰っていくのでした。その途中
「おお みごとな大根だわぃ」
 お城のぼんさんは青々と葉のしげった 大根畑に足をとめました。
「2、3本 貰って行きましょう」
 お城のぼんさんは畑から 大きな大根を3本 引き抜きました。そして懐からぜにを取り出し 紙に包んで 折ったかやにはさんで 置いていきました。
 お城のぼんさんは ナスをもげばナス畑に 芋を掘れば芋畑に 瓜をもげば瓜畑に こうして 代金を置いていくのでした。

「お金なんかいらないのに」
「義理がたい おぼうさんだの」
「今度 托鉢に来た時に お返ししましょう」
と 言いながら 村人たちは そのお金を大事にしまって置くのでした。

 やがて 冬になりました。
 三メートルもある大雪の中で 村人たちは お城のぼんの事が心配になってきました。
「この雪の中 どうしていなさるかのぉ」
「村でさえ 三メートルも雪があるのに 山はどのくらい 深いのだろう」
「村へ下りて来なすたら 皆で世話してあげるのになぁ」
「こんな 寒さでは 凍って死んでなさるんじゃ なかろうか」
 善根の人々は だんだん不安になって来ました。

 そして五人の若者たちを 城のぼんさんの所へ やることにしました。
 五人の若者たちは 米や 味噌などを担いで 八石山に登っていきました。
 八石山の頂上は 一面の大雪で ぼんさんの小屋は 影も見えませんでした。
「お城のぼんさんの小屋は この大雪で しまったこてや」 
と 一人が言いました。 皆もそう思いました。
「この辺に 小屋があったんだがなぁ」
と 見渡していた一人の若者が
「やや 煙だ。 煙が出ているぞうッ
と 叫びました。

 雪原の一所に 糸のような煙が一すじ立ちのぼっていました」
「この下に お城のぼんさんが 居なさるに違いない」
 五人は大急ぎで 雪を掘っていくと 小屋の屋根が 現れました。
「屋根が見えたぞうぉ」
 勢いづいた五人は 小屋のまわりの雪を掘って 小屋の中に 入って行きました。

 小屋の中には いろりのはたで お城のぼんさん」が 座禅を組んでいました。
「ぼんさん 生きてたかえ」
「よかった。 よかった。 おら どんなに心配したか」
と 坊さんを見て 喜びあいました。

「皆 よく来てくらした。さぞ寒かっただろうに」
 お坊さんは いろりに薪を ぼんぼんくべました」
 五人から 米やみそを貰って お坊さんは大喜びでした。
「さぁ皆 さぞかし腹が空いただろう」
と 温かいおかゆを炊き 温かい味噌汁を作って 皆にごちそうしました。

 五人の若者は 味噌汁をごちそうになりながら
「山を下りて 善根で 一冬越しなさい」
と 口々に勧めましたが
「いや わしは ここで死んだ殿様や侍たちを なぐさめて おりますわい」
と 言って 山を下りようとも しませんでした。

 春になって 雪が 消えたので 村人たちは 八石山に登り お城のぼんさんを 尋ねましたが 不思議な事に 小屋も お城のぼんさんも 居ませんでしたとさ。

     
 「昔の話でありました」<子どものための柏崎地方の民話集>より

 (「六条院領佐橋庄と八石山城主・毛利氏」はこちら)
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「柏崎のむかしばなし」 「昔の話でありました」
<子どものための柏崎地方の民話集>1〜5巻
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