直線上に配置
           目次のフレームを表示したい時はここをクリック

   休憩しましょう
     

     (気まぐれ雑記帳・失態あれこれ)

 ※長いので全部読むと疲れます。休憩しながら読んでくださーい。


−−−−−− メニュー ≫−−−−−−−−−−−−
 
★プージェーの死  new !

★遊歩道作り     ★森の迷子元年  

★探検家と直木賞作家   ★思えば〜いととし〜♪ 

★2005年の目標     ★「冬のソナタ」のどこがいいの?

★それでも山に行く    ★お金のかからない憂さ晴らし

★ウィルスの襲来        ★2004年の目標 

★スマップコンサート      ★「女神の恋」の山口祐一郎  

★棟方志功展           ★マウスはいづこ   

★山梨のアカゲラさんへ   ★読書感想文「君についていこう」

★雪洞のあかりの思い出    ★ぼんぼりの語源 

★山女さんはいい人     ★なぜやめ、なぜ登りはじめたか 

★2003年の目標       ★カスピ海ヨーグルトA

★敬老!言語変換術     ★カスピ海ヨーグルト@

★体脂肪を燃やすには?
    ★食い物のうらみ

★山で会った有名人        ★雷の恐怖


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 ★プージェーの死

 3/21、関野吉晴さんのグレートジャーニーがTVでやっていた。ふと、以前のTV放送の中で、関野さんと出会ったモンゴルの草原の少女、プージェーを思い出した。彼女のその後が気になった。
 モンゴルの遊牧民でゲルに暮らし、巧みに馬に乗り家業の放牧を手伝うたくましい女の子だった。しかし、7歳で母を落馬事故で亡くし、父も行方知らずの少女は元気だろうか、どう成長したのか、とても心配になった。

 TVが終わってから、ネット検索してみて愕然とした。何とプージェーが交通事故で亡くなっていたのだった。しばらくは言葉を失う。やがて大粒の涙が頬をつたった。

 以前関野さんが2005年4月に来仙講演の折にも、私はアンケート用紙に「プージェは元気でいますか?」と書いたほど、この少女が気になっていた。でもその後、私は忘れてしまっていた。

 関野さんは常に心配なさっていたと思うが、2004年7月に少女と再会しようと連絡した折に、2004年5月に12歳で亡くなったことを知ったそうだ。ご心痛はいかばかりだったろうか。(そういえば、2005年の来仙の折に関野さんが何となく元気が無い印象を受けた)

 今2008年だから、プージェーの死から4年も経つ。何とその間にドキュメンタリー映画「プージェー」が2006年に制作され、「高原の少女プージェー」という本も出ていた。プージェーの死が、どんなに関係者にとって衝撃だったか、又その死を悼む思いがどんなに強かったかが分かる。
 映画は日本各地やアメリカでも、又2007年9月には仙台でも上映されたようだが、全く気が付かず、残念なことをした。

 私は、まず図書館で関野さんの本「高原と砂漠のモンゴル」「高原の少女プージェ」を借りて、プージェーの記述をむさぼる様に読む。更にネットでプージェーの記載を捜しまわった。(「プージェー」の公式サイト有り)
 悲しかった・・・・。ピアノ曲を聞いただけでプージェーが目に浮かび、涙が流れる。気持ちも塞いだままで、気が晴れず、眠れなくなった。
 そんなこんなで、3日間というもの寝てもさめても「プージェー」が頭から離れない。

 なぜこんなに彼女の死がショックなのだろうか。
 
 彼女の母は出稼ぎに行って音信不通になった夫の代わりに、家畜の世話をし生計を担い、家族を養っていた。家畜を盗まれ家計は益々苦しい中での落馬事故。遊牧民で保険がない為の治療拒否されての33歳での死。
 母が亡くなってからは、娘のプージェーが、叔父や祖母に助けられながら、放牧をし家事を手伝い、日本語の通訳を夢見て小学校に通っていた。そして、通学の帰路、バスから降りた所で車にはね飛ばされ即死。享年12歳。

 プージェーもその母も、男顔負けのたくましさがあった。そして、厳しい環境や境遇を受け入れ、耐えつつ生きる覚悟があった。プージェーは小さくても背筋が伸びた子だった。馬に乗る姿もかっこよかった。母を亡くしてからは、益々彼女を応援したくなった。
 又、あんなに小さい子供が苦境を乗り越えようとしている姿は、逆に私自信が励まされていたのかもしれない。
 彼女は、私には特別な存在になっていたのだろう。プージェーに心を魅かれてしまったのだ。

 そんな愛すべき、生命力に満ちていたはずのプージェーが、母と同様に実にあっけなく亡くなってしまった・・・。
 全く思いもよらぬことだった。でも、強く見えたのは自分より強く見えただけ。誰にも守られないから、幼い少女も自立せざるをえなかったのだろう。実際は、厳しい環境にさらされている分、彼女らはギリギリの所で生きていたのだと思う。
 弱い者に運命はむごいことをするものだ・・・。小さいのに苦労が多かったプージェーには、お母さんの分まで生きて幸せになって欲しかった。自分で生き抜く覚悟があった子だけに、その不慮の死が残念でならない。

 客観的には、TVに出てきた人物が居なくなっただけなのに、本当に不思議です。こんなにも喪失感、哀惜感で胸が一杯になったのは、初めての経験でした。

 「その人を時々思い出すことが供養だと思っている」とは、中学校の恩師の言葉です。いつか、映画も見たいし、本も手元に置き、時々写真のプージェーを見たいと思います。

 尚、本によると、プージェーはお母さんの隣に埋葬されたそうなので少しホッとしました。一緒に育ったいとこのバーサも、3年忌のお墓参りに行ったことでしょう。
                           (2008.3.23記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★遊歩道作り

 登山道で、いつも目にしてお世話になっている、木の階段作りを、先日初めて体験しました。
 まず、水の流れや斜度を見て、坂道をクワで階段状に整地しておきます。次に登山道周辺の、不要で邪魔になる適当な太さの木をチェンソーで伐採します。伐採した木を、適切な長さに切ります。切った木の枝を払い、階段の横渡しの木と、杭になる木に分けます。杭用の木は、片方を鉛筆のように削っておきます。整地した段差に垂直に杭を複数刺し、槌で打ち込みます。杭に横木を掛け置き、槌で押さえます。はい、出来上がり!
 でも、初めて使った鉈の扱いの難しい事!ゴボウのササガキのようには、木は削れないのです。やっと2本だけ精作。
 何だか大そうな事をしたような気持ちになり、単純にうれしかったです。木の運び方もしました。女手でも、猫の手にはなったかも。
 愛情こもった遊歩道だと思いませんか?


←大和町七ツ森湖畔
 蛇石せせらぎの森にて

    (2006.7.11記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★森の迷子元年

 2005年は、とても充実した良い年でした。4月から始めた森林講座が思いのほか楽しかったからです。まだ入門コースですが、久々に学ぶ楽しさを体感しています。
 特に、チェーンソーで杉を切った体験は貴重でした。又、今まで関心のなかった樹木も、わずかでも判別できるようになった事は、大きな喜びです。
 たぶん、私にとっては、奥深い森に迷い込んでしまった、最初の年ということになると思います。来年の探検がとても楽しみです。
   
                        (2005.12.28記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 探検家と直木賞作家

 関野吉晴さんと熊谷達也さんのトークライブがあったので、会場のアエルに行ってきました。熊谷さんはマタギ三部作の「氷結の森」の取材のスライドの解説。関野さんは間宮海峡横断のお話でした。
 熊谷さんはとてもお話が上手で、聞き手を楽しませようとしている方。関野さんは人に媚びず、話のネタは膨大なのに、シャイなのか淡々と話す方でした。
 対照的な二人ですが、自然を舞台に自己表現している点、自然の中で暮らす人々に焦点をあてていることが共通していました。

                        (2005.4.2記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 ★思えば〜いととし〜♪

 今日、NHKの昼プレを見ていたら、「仰げば尊し」が字幕付きで流れていた。「仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも早幾年 思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめ いざさらば」
 オヨヨ\(◎o◎)/!いととしいと疾しだったのね〜。いとおしいだとばかり思っていたら、きわめて進みが早いの意だった。
ガ〜ン。幾十年も無知だったことに、ショック!
 それにしても、最近は年月の流れが早い気がします。

                        (2005.3.14記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★2005年の目標

 1.フルマラソンを歩かないで完走する
 2.五社山、外山周辺のルート探索
 3.家内安全、商売繁盛
  
  閉じこもらず、柔軟にいきたいです。(2004.12.28記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 ★「冬のソナタ」のどこがいいの?


 映画好きの友人が、韓国映画がいい!というので、早速レンタルビデオショップに行ってみた。なるほど、ブームなのか、韓国ビデオ・DVD特設コーナーまである。
 おすすめに従って、「イル・マーレ」、「八月のクリスマス」、「美術館の隣の動物園」、「猟奇的な彼女」などを見た。
 次は話題の「冬のソナタ」と決めていたが、vol.10までオール貸し出し中。テレビでも放送中なのに、ビデオもすごい人気だ。ジョギングがてら、何度何度も通ってやっと借りることができ、約1ヶ月かかって全巻を見終わった。

 最初は、vol.から見たこともあって、「退屈なドラマ」が第一印象。それに、ヨン様のどこがいいのかさっぱりわからない。がそのうち、レンタルショップの土日サービスデーがあり、通常1巻350円が100円で借りられることを知ってから、俄然マイブームに火がついてしまった。見なきゃ損ってもんです。

 たまたま、貸し出し可で、100円で3巻位借りられるともう大喜び。しかし、わたしが「冬のソナタ」を見ていると、夫がすごく不機嫌なので、仕方なくこっそり見た。夫いわく、学芸会みたいだとか、女に夢中になって仕事をすっぽかす男(ヨン様)なんてサイテーだとか、どうせ見るなら、もっとマシなの他にあるだろう、と言い放った。ともかく時間の無駄使いで「冬のソナタ」を見ている私を軽蔑していた。

 へそ曲がりなので、反対されるとなおさら意地になって、何と思われようと、ブームなんだからと、最後まで見ることにした。

 そもそも「冬ソナ」は、韓国の連続テレビドラマで長い。ビデオでも合計20時間もある。

 あらすじ・・・父を探しに転校してきた母子家庭の孤独な高校生、ジュンサン(ヨン様)と、同じく父を亡くして今は母子家庭のユジン(ヒロイン)が、だんだんに魅かれあうようになるが、ジュンサンが交通事故で死亡。初恋はここで終わりになる。
 10年後ユジンは、初恋のジュンサンにそっくりのミニョンに出会う。偶然にも、ミニョンとユジンはスキー場のホテルの改装の仕事を一緒にすることになり、ミニョンから好かれてしまう。しかしユジンには幼友達のサンヒョクがおり、すでに婚約を交わしていた。二人の男性の間で、ユジンの心は揺れる。しかし、ユジンは婚約者より、そっくりさんを愛してしまう。
 ところが、別人だと思っていたミニョンは、実は死んだはずのジュンサン本人だった。命は取り止めたが、事故の為記憶を喪失して、全く別人として10年を暮らし、初恋のユジンの記憶がない。それでも、二人は愛し合い、結婚を誓いあうが、彼はユジンの父が自分の父でもあることを知ってしまう。つまり、二人は異母兄弟。ここで周囲から結婚を猛反対される。
 しかし、最後に父が違い、兄弟でないことが判明。めでたく結ばれると思いきや、ジュンサンが事故の後遺症で失明すると知って、彼が身を引き、結局二人は別れてしまう。
 3年後、失明したジュンサンと留学から戻ったユジンは、二人で設計した家で、運命的に再会する。ここで、最後に二人はシッカリ抱きあって、物語は終了となる。(彼らがその後どうなったかは不明)
 
 ともかくこれでもか、これでもかという位に、二人に災難がふりかかり、なかなか二人が結ばれない。登場人物の入院シーンも多く、交通事故が2回、怪我が1回、拒食症1回、倒れて病院に運ばれるシーンは他にもまだまだある。
 これに加えて、親世代の三角関係に、同じく三角関係の子供達がほんろうされる。ジュンサンの父親が誰かを語らない母との確執もある。記憶喪失のジュンサンを、母が記憶の書き換えをしてしまう所など、SFチックだ。
 また、人物設定も、ジュンサンは有名ピアニストの息子で、エリート建築家。婚約者のサンヒョクは、大学教授の息子で、自分はラジオ局ディレクター。ユジンはインテリアデザイナーだ。皆、聡明で思いやりのある、長身の美男美女だ。
 つまり色々な設定や筋書きが、リアリティに欠けるのです。3人とも、恋に夢中で、すぐ退職したり、欠勤したりする。もちろん、純愛ものだから、ラブシーンは、キスシーンがわずか2回のみだ。

 こんな所が、夫を含む男性に受け入れられない理由だろう。統計によると、「冬ソナ」にはまるのは、40〜60歳代のおばさん世代だそうだ。若い女性には、つっこむ所が多すぎて物足りないらしい。

 さて、はまってしまった手前、なぜ「冬ソナ」なのか反論しなければならない。
 まず、ユジンがまっすぐな性格でかわいいのよ。ヨン様は声がいい。(萩原聖人の吹き替え)音楽や映像も美しく、癒し系。ラブシーンがないから家族で安心して見られる。またありえない設定とはいえ、次を見たくなるようなドラマの展開が随所にある。また、ことに三角関係の3人がいい人たちで、じれったくなる程、自分より相手を思いやるから、泣ける

 おばさんには、ありえない世界だから、尚更そんな美しい世界に感情移入して浸っていたいと思うのよね。それにブームだから、井戸端のかっこうの話題になる。氷川きよしの追っかけするより、TVやビデオで見て、満足できるのだから、安いもんじゃん。

 そう、「冬ソナ」はおばさんのささやかな贅沢なんです。
 
 というわけで、暑い夏に、「冬のソナタ」一服の清涼剤となりました。
                            (2004.08.22記)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★それでも山に行く


  「俺が温泉につかってる間、山に登ってもいいよ」
 欲求不満大噴火寸前の所で、予兆を察した夫が、私にこんな提案をしてきた。よしよし、そう来なくっちゃ。実に妙案である。

 義父母には、夫の腰痛の湯治のお供(運転手)、という事で出られる。夫もゆっくりできるし、私は温泉に入らずに、近くの山に行ける。ヤッホ〜!(ただし単独行)
 
 こういう工作をしなければ、山に行けないのは、本当に泣きたくなるが、我が家では、これが現実。

 うちの義父母は、仕事熱心で、休日でも何かしら用事を作ってせわしく動いている。山菜採り以外の山登りは、我が家では、まだ市民権を得ておらず、道楽の扱いなのだ。だから、大手を振って、「山に行きます」とは、言いにくい。なにせ、口癖は「昔は盆正月しか休まなかった」である。未だにこういう人も生息しているのだ。

 でもまあ、明日は山に行けそうだ。うれしい!ホントは明日も仕事だったのに、早く切り上げてくれたらしい。夫に感謝。
                            (2004.04.24記)
 ※丸森の夫婦岩に登りました。(4/25)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 

 ★お金のかからない憂さ晴らし

 生命の危険なく、雨風をしのげて、飢えることもなく安穏と暮らしていても、人は欲張りで、現状に満足しない動物のようだ。
 ことに桜の咲く季節は♪春なのに〜♪ぼんやりしている自分がやりきれなくなる。なぜか力が出てこないし、無為に日々を過ごしている。憂いの元は断ち切れないし、現状から逃れることもできない。

 しかたない、こういう時は悲劇のヒロインになり、憂いにどっぷりはまって、癒しに逃げる。最近癒されているのは、読書と音楽。

 読書は、以前は知識を得るためのものが多かったが、読書がこんなに娯楽性のあるものと認識したのは、最近になって。新聞の書評などを参考に、こころがしっとりとするような女流作家の小説を主に乱読している。
 でも、一番胸を打ったのは、大昔にも読んだ高村光太郎の「智恵子抄」だった。晩年の岩手での光太郎の心情を思うと、涙があふれた。自分自身の涙は、かなりの癒し効果がある。

 音楽には造詣の深い友人がいるので、「何か癒されるの教えて」と聞いたら、鮫島有美子の「愛のよろこび」や、ヨーヨー・マのチェロを薦められた。クラシックはショパンしか聴いたことが無かったので、すごく新鮮な感動だった。朝早めにスタンバイして仕事前に聴くのが、いい。

 もっぱら、本は図書館、CDはレンタルショップのお世話になっている。憂さを晴らす時も「しぴたり」(方言=しみったれ)な自分に苦笑。暇があれば、山に行くのが一番の即効薬なんだけど。

 ※追加:のろのろジョギングにも癒し効果あり。今では最も身近なストレス解消法となっています。これも、お金かからないです。
                           (2004.04.17記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★2004年の目標

 1.フルマラソン完走・・・・7時間以内で走りたいです。
 2.楽しく仕事をする・・・・時間に追われないようにしたいなぁ
 3.家族を見つめる
・・・・自分が生き易い環境を作るには、家族へのアプローチの仕方の改革から(間単に言うと、ごますりに磨きをかけるということ。これが最難関です)
                           (2004.02.10記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★ウィルスの襲来

 昨年9月、ウィルスをブロックするソフトを使っているのに、ブラスターウィルスに入られました。ソフトの更新年会費を振り込んで安心していたら、ああいうものは、自分で新たにユーザー登録をしなおさないとダメなんですね。更新の隙間に、あえなく侵入されました。刻々と制御不能に陥るパソコンからは、仕事のデーターを守るのが最優先。
 わたくし個人のファイルは、HP以外全て消失してしまいました。

 この私の失策は、パソコンの師である夫の逆鱗にふれ、「自分で考えてやりなさい」状態に。環境も変わってしまい、機械器具の配線等の操作は自分では何もできないので、ひたすらがまん。デジカメもスキャナーも使えず、03年9月からHPの更新はできませんでした

 その上、04年1月15日から、プロバイダの都合で、URLが変わり、HPのファイルも再転送を余儀なくされて・・・。しばらく休んでいたので、転送の仕方を忘れてしまい、頭とファイルの整理に手間取り、半月ほど公開不能状態でした。

 「開けませんが・・」「HPどうしたの?」と、思いがけなく複数の方からご心配のお声掛けを賜り、奮起してなんとかアップ!
 自分で開けた時は、心底ホッといたしました。そして、こんな軟弱なHPでも、気にとめて下さる方もいらっしゃるのかと、うれしく思いました。
 
 仕事も忙しいので、すぐにとはいきませんが、たまっている山行記録を根気よく整理して、少しでもお役に立てるHP作りを、と思っています。

                           (2004.02.10記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★スマップ(SMAP '03 MIJ TOUR)コンサート

 熱烈キムタクファンのA子さんのお誘いで、スマップのコンサートに同行する(9/6)。彼女の娘さんとご主人も一緒。
 私は全くの素人で、アイドル系のコンサートなるものも、初体験。どんなことになるのか、ややとまどいながら利府の宮城スタジアムに到着。(駐車場からは30分徒歩)スタジアム周辺の道路は、もう他県ナンバーの車で渋滞が始まっている。

 夕方5時半開演だというのに、3時過ぎには、グッズ売り場は長蛇の列。「チケット売ります、買います」のダフ屋が何人もおり、幸せ顔の女性ファンが、どんどん集まってくる。中には浴衣、ナース、水着姿なども見える。ほとんどが女性
 コンサート中は休憩時間がなく、トイレにも行かないで聴くのだそうで、まずは腹ごしらえと、持参のおにぎりやパン等を、辺りの芝生に広げて食べる。天気も良く、気温も高かったが、さすがに9月、夕間暮れの秋風はここちよかった。展望台から見る人の波も、なんとなく他人事のようで、家事からの開放感からか、ちょっとしたピクニック気分だ。

←宮城スタジアム

 4時半過ぎに、人の波に混ざり、我々もいよいよ入場する。初めてのスタジアム。サッカーのワールドカップもここでやったんだなあ。5万人収容するだけあって、広い。既に半数は埋まりつつある。
 さて、開演までにトイレに行こうとするが、これがまた行列。何をするにも時間がかかる。
 正面に大小3つ、後ろに1つスクリーンがある。座席は、トラック内のパイプ椅子席(アリーナF7ブロック)で、後ろから2番目。近眼の私には、巨大スクリーンも、かすんで見える。持参の双眼鏡が役に立った。

 5時半過ぎ、開演。スクリーンに、サンダーバード的人形が五体写る。どうもSMAPを模したようだが、私には草g君しか判別できない。音響も今一で、人形の言葉もはっきり伝わらない。一段と歓声が高くなり、それが悲鳴にかわると、SMAPが空中浮遊姿で登場!宇宙服とも違う、サンタのようなかっこうだ。
 残念なことに、フラットな座席なので、皆が総立ちになると、舞台に立つ5人の姿は、人の頭に埋まって見えない。苦し紛れにジャンプしてみるが、一瞬わずかに豆粒のような人影が見えるだけだ。たぶんそれが、SMAPの誰かだった。

 そのあと、数曲歌い、長い5人のおしゃべりがあり、各人のソロも数曲あって、時々スクリーンのみになると、数分座って休み、また曲が始まると立って聴くという繰り返し。A子さんから、予習用のテープを頂いたので、曲名は覚えていないが、だいたいは耳にしたことのある曲だった。
 A子さんは、もう慣れたもので、手製のウチワを皆と同じように器用に舞台に向けて、前後に振り振りしている。周りをみると、暗くなった観客席には、赤・青・緑のペンライトが、ほぼ同じ方向に動き、これまた美しい。舞台の照明も、おそらく一流人の手によるものだろう。時折のレーザー光線・花火・火炎とともに、舞台演出は、かなり芸術性を感じさせられる仕上がりであった。

 しかし、美しいといえば、スタジアムの左肩に、ぽっかりと浮かぶ月が秀逸だった。いにしえ人が愛した月を仰ぎながら、たぶん香取君のバラードだったか、それが不意に心にしみた。平和だなあ〜。(せっかくSMAPを見に来てるのに、月に感動して、どうすんのよ)
 私は、といえば、口を真一文字に、左手は腰に、右手に双眼鏡。音楽に合わせているつもりが、体は不自然な動き。(うまく反応できないんだなモウ!)
 時折、辺りの同年齢の女性の様子をチエックするが、一つ隣のお母様が、けっこうイケていて、若者同様に堂々とペンライトを振っていたりする。後ろ斜め45度の、中年の知的なご婦人は?と思って見ると、満面の笑みで、やはり品良くウチワを前後に振っている。
 やっぱ、笑った方がいいのかな?と大マジメに思うが、飲まず食わずの立たされっぱなし(結局コンサートは4時間強かかった)は、けっこう辛いものがあった。

 まず、慣れない雰囲気での緊張のせいか、肩が凝ってきた。腕は振らないが、双眼鏡を持つ手が、上がらなくなる。(せっかく治ったばかりの四十肩の再発か?!)背筋は痛むし、背伸びばかりしているので、ふくらばぎがパンパンで、脚も吊りそうだ。しかたなく、ストレッチをする。それでも、だんだん慣れてきた。
 きっと、いきなりこの大音響のるつぼに放り込まれたら、耳を塞ぎたくなるだろうが、体で音を吸収できるようになり、腹筋(贅肉でした)に響くパーカッションも快感だ。

 演目も中盤になると、スマップが後ろのステージにやってきた。今度は逆に前からニ列目なので、真近に見える。キャア〜かっこいい!!
 白いタキシード姿は、さながら光輝く王子さま。ステップを踏む脚線の美しいこと!!わ、こっちを見てる〜?!
 この時、脳内の血流が逆流する。「こっちよ〜!」思わず手を振ってしまう。おばさん化も末期現象かと、一瞬我に帰るが、もうそんな事はどうでもよかった。ともかく、彼らの姿を少しでも長く、脳裏に焼き付けたかったのだ。

 特に好きでも嫌いでもなかったSMAP。無人島に駆け落ちするなら、丈夫そうな香取慎吾。美術館に連れていくなら、稲垣吾郎。お食事するなら、草g剛。飾っておきたい木村拓哉。採用するなら、中居正広。と漠然と思っていたが、いやはや、百聞は一見にしかず。スマップは、SMAPだった。要するに彼らは、そんな身近な存在ではなかったのです。
 初めて見たおばさんすら目を奪われてしまう、そんな魔力を彼らは持っていた。そうでなければ、自分が集団ヒステリーか、催眠状態に陥ったとしか考えようがなかった。(私が単純で、周囲に影響され易いだけかも)

 コンサートは、9時過ぎに佳境に入る。アンコールも3回。私でも知っている「世界に一つだけの花」や「夜空ノムコウ」等が歌われた。9時45分に終了。後でA子さんに聞いたら、30〜40曲は歌ったという。下世話だが、たっぷり4時間聴かせての、チケット6,500円は、お買い得のような気がした。

 退場するのも、順番で行列に並び、時間がかかる。また駐車場まで、30分歩く。A子さんのご主人の運転で、渋滞を逃れるように、高速で家路につくと、深夜11時だった

 家族はもう寝ていたので、こっそりテレビをつけると、11時からは、「スマステ」が生中継でやっていた。上半身裸で、汗だくでステージを駆け回っていた、香取君と木村君は、コンサートを終えたあと、利府から泉の仙台ロイヤルパークホテル(中継場)に駆け込み、着替えてお化粧もして、スーツ姿でテレビに映っていた。(アイドルとは、かくも忙しいもの)

 そんな訳で、最近は音楽に癒される日々です。CD・MDラジカセも購入。ポータブルMDプレーヤーも近日購入予定。スマップの経済波及効果は相当なものです。
                          (2003.09.09記)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★「女神の恋」の山口祐一郎

  松本明子さんと、山口祐一郎さん共演の「女神の恋」にハマっている。NHKの夜11時からの連続20回番組。15分の放送時間中は、TVにくぎづけ。というか山口さんにくぎ付け状態。

 山口祐一郎さんは、TBSの「百年の物語」で、松嶋菜々子さんの夫役で出ていた時から、気になる男優さんだった。その「恋を何年休んでますか」の後飯島直子さんの夫役や、「利家とまつ」の佐々成政役で出ていたが、今回は準主役。

 松本さんがあまりに面白くって可愛いので、見ているうちに、ドラマのストーリーと同じく、山口さんを好きになり始めている自分に気づく。(皆同じなのか、番組HPの掲示板書き込み数もスゴイ!この番組で山口祐一郎は大ブレイクしている。)

 検索してみると、なんと山口さんはおんとし47歳。30代にしかみえない。劇団四季出身の、歌って踊れる舞台俳優さんだという。それに、どうも独身らしい。
 久々に、ビビッと来た男優さん。これから、どんな枯れ方をみせてくれるか楽しみだ。

                          (2003.06.06記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★棟方志功展

 台風の為、早池峰山行が延期となり、急きょ宮城県立美術館に行ってみた。なんと、駐車場は満車。棟方志功の人気はスゴイ。雨だから空いているのでは?の予想はみごと裏切られた。これでも、土曜日の割りには混んでいないそうだ。(入場整理の方に聞いた)

 並んで入場券を買い、案の定、入り口付近は人だかりだった。こういう時は、人のいない所から見て、後からもう一度見るのが手だ。大抵は制作年代順に展示してあるので、見やすい作品から見ても問題はない。
 まずは、展示作品の量に驚く。そして圧倒的な迫力。自分は書に興味があるため、いろはをデザイン化した作品が特に気に入った。「へ」などは、およそ凡人が思いつかないような、うねうねとした「へ」だ。

 また、志功といえば版画だが、最初は油絵を描いていたことや、青森県人だと思っていたら、21歳で上京以来、生誕地青森に住まうことはなく、72歳で亡くなる晩年は鎌倉の住人だったことも、わかった。

 一番感心したのは、彩色しても下品にならないことだった。それに、多色使いの原点が青森のねぶたにあったことや、紙の裏から彩色して味わいを出していたことがわかり、いい展覧会だった。

 そして、翌日(2003.06.01)の日曜美術館(NHK)で、たまたま志功生誕100年の特集番組をやっていた。
 TVによると、志功は、一発で版木を彫り上げていくイメージがあるが、実は大変な努力家で、下絵は何度も手を加えていたそうだ。また知識欲、研究欲旺盛で、満足に学校に行けなかったことが幸いして、偏り無く万物から学ぼうという姿勢が、彼を大きくしたとの見解も興味深かった。

 特筆すべきは、50代で左眼失明しても尚、製作欲が落ちなかったことだ。もっともっと、精進精進と思っていたのだろう。
 最近老眼ぎみになってきて、世をはかなんでいる誰かとは、やっぱりちがうんだなあ。
 
 志功の作品や人となりは、長部日出雄さんの「棟方志功の世界」(講談社)でも、手軽に見ることができる。

 ※棟方志功(しこう)は本名だそうです。これにもびっくり! 
                         (2003.06.04記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★マウスはいずこ


 公的機関主催の「エクセル中級講座」に通うことにした。きっかけは、受講料が安いことと、夜の講座だったこと。それに、会社で使うのに、いつまでも出来ないといって人任せにもしていられなくなったからだ。

 初回の教室を見渡すと、定員20名は満席。若い人はチラホラで、中年以降の男女が同数だった。
 自分は、エクセルは初歩の初歩の段階。一夜漬けで教科書を開いたが、入力すらおぼつかない。が、中には年配の方もいたので、ややホッして、ノートパソコンを取り出す。

 あれ?マウスは???うっそ〜!マウスが無い〜!夫のノートパソコンを借りた為、ケースに「全部入れたよ」と言った夫の言葉を信じてしまったのだ。w(☆o◎)wが-ん
 あいつめ、なんとしてくれよう!!本来なら、届けてもらう所だが、あいにく夫は出張中。パニックになり、もう一度パソコンケースを探るが・・・やはり、入れ忘れたのだ。どうしよう、家に帰ろうか・・・あっ、そうだ、無くてもできるんだっけ。ぐりぐりっと小さな枠を撫で回す操作で、なんとかしのぐしかない。
 
 やむなく意を決して、ぐりぐり操作開始。ところが、慣れないので、なかなか矢印が目標に達しない。ドラッグなんて、どうすればいいのだ!?悪戦苦闘しているうちに、講義が始まってしまう。
 マウスがあれば、なんでもない操作なのに、実に時間がかかる。肩に力が入ってしまい、触れるだけで簡単に動くのに、ギッギッと指でタイルをしごいている。えらく疲れて、時計を見るとまだ開始20分。ああ、早く終わって〜〜と、マジに思う。

 幸い、今日は「基本のおさらい」だったので、内容はなんとか理解できたが、操作は難儀を極めた。「表のF3の右下隅を小さな十字に変えて、シフトを押しながらドラッグして下さい」なんて、先生は簡単に言うけど、息を止めて集中しないと、なかなかできない。おかげて、息が切れてしまったくらいだ。ハア〜、ゴシゴシ、ふ〜、ギッギッ・・・。重労働だ。クリックは左手も使った。

 やっと、休憩に入るが、も〜放心状態。目はうつろ〜。疲れ果て、頭は三角になったようで、ズキズキ痛み出した。なんだか、こういう無駄な労力ばかり、費やしている私・・・。トホ、トホホ・・・。
 後半はやや慣れて来たものの、先生にヘルプを求める回数は、依然ダントツ。そして、夜7時からの長い講義が終了した。9時15分だった。

 ああ、疲れた〜。でも、なんとか終り、心からホッとした。どれどれ、おかたづけ〜をしようと、パソコンケースを開くと、マウスが目に飛び込んできた。えっ??!目を疑う。ここに居たのねぇ〜。

 ケースの色と保護色になっていたとはいえ、ちゃんと開ければ見える位置にむき出しで鎮座していた、マウス。なぜ見えなかったのだろう。夫が入れ忘れたと、思い込んでしまったのだ。ホントにこの時ばかりは、自分のバカさ加減に、血の気が引いてしまった。

 「パニックと憎しみは、人を盲目にする」これは、実体験による教訓となった。
                         (2003.05.25記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★読書感想文

 宇宙飛行士、向井千秋さんのご主人が書いた「君についていこう」を読書家のA子さんからお借りした。

 大昔には私も読書少女だったが、現在、本とは良く効く睡眠導入剤としてのお付き合いが長く続いている。昨日も、借りた本をベッドで読んでいたら、夫が「なんで?」という顔をした。まるでチンパンジーが読書しているのを見て驚いたかのように。
 でもしかたない、パソコンをするようになってから、読書から遠ざかっていたのだ。

 さて、千秋さんはもちろんスゴイ方だが、本を書いたご主人の向井万起男(マキオちゃん)さんに、私は親しみを感じてしまった。文章もうまいので、続編の「女房が宇宙を飛んだ」が、タマタマ近くの図書館にあったので、それも借りてきた。
 全く自分とは、異次元のお話だが、それをも身近に感じさせてしまう、向井さんご夫婦の飾り気のない日常が書かれていて、とても興味深かった。
 でも、一番共感を持ったのは、宇宙の女房の無事を祈って、ひたすら待つ夫、マキオちゃんのせつない思いだった。これには泣けた。

 彼らのその後も追ってみたい。
                          (2003.04.13記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★山梨のアカゲラさんへ

 面識の無い方からのメールは、めったに来ないので、稀に頂くととまどってしまう、小心者の私。掲示板も設置してないので、すみませんがここでお話します。
 あの〜、ホームページを見て下さり、感想まで頂き、誠にありがとうございます。一応御礼の返信メールを送ったのですが、なぜかもどってきてしまいました。どうかお気を悪くなされないで下さいね。取り急ぎ、ご報告と御礼まで。
                           (2003.03.17記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ★雪洞のあかりの思い出

 リッチな友達が、「お雛さまを全部飾って疲れたけど、雪洞に灯をともしたらいい雰囲気になった」とメールを送ってきた。

 はは〜ん、さすが財閥さんは違うわ。お雛様に雪洞付きかぁ。東北地方の由緒ある雛壇には、雪を模したミニチュアかまくらが付いているのだな。かまくらに灯をともしたら、そりゃいい風情だゎ。お雛さまが、子供の頃遊んだかまくらをなつかしんで、嫁入り道具の一つにしたのだろうか。見てみたいものだ、と思った。

 そういえば私も昔、安達太良の冬山訓練で雪洞(せつどう)を掘って寝た事がある。
 雪の斜面に横穴を掘って、4畳程のスペースを作る。入り口をシートでふさぐと、中は風もなく静かで暖かだった。0度以下にはならないそうだ。
 でも、雪の中で眠ってしまったら死ぬ、と思っていたので、やや不安はあった。しかし、全く大丈夫だった。疲労がなく、充分食べて、自分の体温を保つ力があれば、熟睡してもOKなのだ。まるで冬眠の熊の気分。想像以上に雪洞は快適で、今も強烈な印象として脳裏に焼き付いている。
 
 もう、ちまたではひな祭り。♪あかりをつけましょ、ぼんぼりに〜♪〜と口ずさんで、あっ\(◎o◎)/!とひらめく。 もしや、雪洞ぼんぼりと読むのでは?!?!うゎ〜(/o\) 恥ずかし〜知らなかった〜!

 確かに辞書では、雪洞=ぼんぼりだった。でも私にとって、雪洞せつどうだった。雪洞の中のろうそくのあかりの暖かさを、また体験してみたくなった。

      
    ↑スコップで掘る           ろうそく ↑
 それにしても存在感あるお尻だ・・   シュラフに靴を履いたまま寝る

                          (2003.02.27記)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★ぼんぼりの語源

 なぜ、雪洞がぼんぼりなのか、なぜぼんぼりの当て字が雪洞なのか、図書館で調べてみた。←けっこう暇人かも。

 「雪洞」(せつとう)はもともと風炉(ふろ=茶の湯をわかす道具)をおおう蓋(ふた)をさす。 講談社「語源辞典」より

 「雪洞」・・・木や竹のわくに白い紙を張り、その一部に穴をあけ、茶炉(ちゃろ)などの上をおおうもの。せっとう。
 紙または絹張りのおおいのある手燭。また、柄をつけ、その下端に台座をつけた小さな行灯(あんどん)。火をおおう部分が、六角形の下方が少しつぼまったものや、円筒形のものなどがある。せっとう。
 小学館「日本国語大辞典」より

 中国語の雪洞(せつとう)は、風炉のおおいのことだが、日本の「ぼんぼり」と似ているところからの借用で、当て字。日本では絹または紙で張った手燭、行灯をいう。また柄と台座をつかた行灯のこともいう。雪洞(せつとう)のほうも茶道で生きている言葉。
 雪洞(せつどう)と発音すると、雪の降っている期間、山中に露営するとき雪を掘ってつくる横穴。日本語ボンボリは、ぼんやりしているさまから付けられた名前。ボ←ホは、火を意味する古語で、炎、蛍、火筒(ほづつ)など、ホを語源としてできている言葉は多い。

 自由国民社「日本語の当て字うんちく辞典」村石利夫著より

 という訳で、私の雪のかまくらの発想は×だった。でも、もともと中国で、風炉のふたになぜ「雪」と「洞」の漢字を使ったのか、また疑問が残ってしまった。
                           (2003.03.01記) 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★山女さんはいい人

 今日、「山女、酒とメシを担いで今日も行く!!」いう、ホームページに、リンクを張らせてもらった。初めてのリンク申し込み体験で、ドキドキだったが、お許しを得た。

 このホームページの管理人「山おんな」さんは、ともかくスゴイ女性だ。昔は病弱だったらしいが、男顔負けの体力と行動力と、酒の強さ。どこの山の会にも、女傑はいるが、並外れている。

 そして一番の魅力は、山を愛す気持ちが強いがあまり、マナー違反の登山者を、一刀両断に批判しているところ。読むとすっきり、その上元気がもらえる。

 そんな、人にも自分にも厳しく、忙しい方なのに、私は変なメールを送ってしまい、パソコン指導までして頂いた。パソコンにも精通しておられるのだ。私なら、訳わかんない初心者から、リンクなんかされた日にゃ、大変だわさ、逃げよ〜となるのだが。

 ともかく一度、お訪ね下さいませ。おすすめ!です。

                           (2003.01.26記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★なぜやめ、なぜ登りはじめたか

 結婚相手を選ぶ時、なるべく山に行けそうな環境の相手を選んだつもり。相手は山仲間だったし、東北人だった。しかし、現実には山には行けなくなった。夫の仕事の都合で、休日が日曜だけだったからだ。

 それに加えて、同居の義父母が、山に行って帰ってくると、「なんだい、何にも採って来ないのすか?」「日曜くらい体を休めたらいいっちゃ」「危ないからやめさい」とそんな具合で、理解がなかった。

 お嫁さんとしては、それらをはねのけて、わが道を行くことができなかったのだ。何年か従順にしていたが、体を動かすことが好きなので、ダイエットを兼ねてジョギングを一人で始めた。(家では変人扱いだったが)

 遅いけど、マラソン大会にも出るようになった。山好きのランナーとも知り合いになり、2001年夏に、安達太良山に誘われて登ったのが、山の虫が目覚めるきっかけとなった。
 稜線を吹く風は、下界では味わえない心地良さがあった。

 夫を頼りにしていては、何もできない。そうだ、自分で計画して行こう!ただ、一人では不安だったので、ご近所の初心者の奥様を誘って、一から始めようと決めた。調べると、日帰りで行ける里山も沢山有りそうだ。
 長〜い冬眠でした。
                            (2003.01.26記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★2003年の目標

 達成できたためしはないが、目標を掲げるのは好きなタチでして。さて私の今年の目標は?

 1.ハーフマラソン1回・・・これが一番難関!
 2.楽しく仕事する・・・これも難しいなあ〜
 3.筆のホームページ作成・・・手付かずの状態 ヽ('-`)/

以上です。山歩きは健康さえ維持すれば、年に6回位は行けると思うので、あえて挙げなかった。目標を意識するだけで、一歩近づいたような気がするから不思議。かなり単純で〜す。
                            (2003.01.20記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★カスピ海ヨーグルトA

 ヨーグルトを家で作るようになって、2ヶ月余り過ぎた。知人何人かに株分けをし、うちでもタネは絶やさず健在だ。未確認情報だが、低脂肪牛乳と豆乳でも作れるらしい、と聞き早速試してみた。

 結果、低脂肪牛乳はOKで固まった。ただ、タネの量を多くしないと、固まるのに時間がかかる事と、成分調整の差異で粘性に差が出ることを発見。でも、成分の何が多いと固まりにくいかは、理科系全くダメなので、不明。

 一方、豆乳はダメ。固まらない。タネを豆乳より多くしても、ダメだった。そういえば、A子さんも試したけど固まらないと言っていた。豆乳は植物性の脂肪だからか??うまくいけば、とってもヘルシーなヨーグルトになったのに、残念だ。

 気を取りなおして、カスピ海ヨーグルトを検索してみると、実に多くのサイトが出できた。やっぱり、成分未調整牛乳が○で、低脂肪牛乳は△で、豆乳は×になっている。よく見ると、コーヒー牛乳も×になっている。ダメと言われると、余計に試してみたくなるが、雑菌も培養してしまう恐れあり、との事なので諦めた。

 最後に裏技が載っていた。牛乳パックの上部を切らず、タネを入れてから、上部をたたんでパックごとカクハンするというもの。買ってきた牛乳パックをそのまま使うので、衛生的。それに、かき混ぜと容器の洗浄の手間が省ける。ティッシュをかけ、完成後は、パックの上部はたたんで、クリップで止めて保存。これは、是非試してみたい。

                            (2003.1.19記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★敬老!言語変換術   

 うちの義父は、日常会話で、時々面白い言い違いをするので、最近のヒット作を紹介します。

 その@「・・・ラジオで、鍋代官やってる人の話を聞いたんだっちゃ・・・」え?なになに鍋代官ですと?たぶんそれ、鍋奉行じゃないの?一同大笑い。もちろん義父は時代劇ファン。その後お代官さまと、お奉行さまとどっちが偉いかという話題に発展したが、どうも奉行が偉いらしい。

 そのA「・・・俺はリンゴよりアデランスの方が好きだなぁ・・・」たぶんそれは山形特産ラフランス。言った本人が、禿げ頭だったのは言うまでも無い。CMを見て、本当はかぶりたいと思っていたのかも。

 そのB[・・・三菱のイオマンテが・・・」え?なんですって?話の筋から、三菱のディアマンテ(乗用車)であることが判明。似てるけど全く違う、と言おうとしたら、「50パーセントは当たってる」と満足げだった。かなり負けず嫌いの義父です。

 追伸:そのC「これ、大流行の地中海ヨーグルトなんですよ・・」
「へー、地中海から来たんですかぁ」
友人にカスピ海ヨーグルトを株分けしに行ったら不在で、ハンサムな友達のご主人が出てきた。ちょっとあがってしまい、玄関先でご主人にしたり顔で、講釈をしている私。
 後で気づき赤面。でも方角が同じだから、まっいいか。

                           (2002.12.15記)

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★カスピ海ヨーグルト

 A子さんからカスピ海ヨーグルトの種をいただいた。朝日新聞連載のエッセイ「三谷幸喜のありふれた生活」にも登場する位、流行っているようだ。早速試してみる。

 タネに牛乳を加え、ティッシュをかけて、常温で一晩放置するだけで完成!味も色も市販品とそう変わらない。違うのは、すくった時にプリンのようにスプーンの跡がつかないこと。粘性が強く、糸を引くようにスプーンにまとわりついてくる。最初、このとろ〜〜んとした腰の無さに違和感があったが、二週間で慣れた。うん、これはいける。

 手軽さに加え、安価なことがマイブームの原因だ。今まで毎朝食べていたビヒダスヨーグルトは、大抵178円。でも、私はセール価格128円以下でならないと購入しないので、入手するのに手間(広告で探して買いに行く手間)がかかっていた。

 しかし、このカスピ海のタネ(500g)は、1リットル198円の牛乳で、ヨーグルト500gが(ビヒダスの空きパックに)3パックできる。断然安上がり!作る手間もさほどかからない。

 味や食感にも慣れ、今や毎朝200g食べ、空腹の時にまた食べる。もちろん、プレーンで食べる。プレーンも最初は抵抗あるが、これも程なく慣れる。慣れてくると、砂糖入りが食べられなくなる。ダイエットにも効果ありそうだ。

 このようにおすすめ度の高いカスピ海ヨーグルト。飽きやすい私が、いつまでタネの培養を継続できるか、これだけが問題。
                            (2002.12.12記)

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★体脂肪を燃やすには?

 ジョギングをはじめたきっかけは、なんとかやせたいという思いから。ピーク時は体脂肪32、標準体重は5キロオーバーしていた。かれこれダイエット歴10年になるが、やっと10年目にして5キロやせることができた。
 
 ホノルルマラソン参加を前後に、みるみるやせたのだが、冷静に分析すると、一番の原因は食事の量を減らしたからだと思う。

 朝食のパンを2枚から1枚に、昼夕食は1膳のみ、とういう掟を自分で作ったのだ。甘党・早食い・腹十二分に食べないと気がすまないタチだった私がなぜ我慢できたかって?

 じゃ〜ん!!それは同窓会出席という目標があったから。それも、半年間に続けて二回(小学校、中学校)の同窓会があったのです。昔好きだった男の子にブザマに太った姿をさらしたくないという、その一心。その一心が、私を変えたのです。

 不純な動機だが、6月から開始した朝パン1枚とオカワリ無しの食生活は、わずか6ヶ月後に効果が現れた。(もちろん開始1〜2ヶ月はわずかな変化しかなかった。そこであきらめちゃダメだよ)

 それと、やせたいと思っていたので、秋を中心に1ヶ月に2回は、マラソン大会に出ていた。そこに降ってわいたような、ホノマラの参加。その為多少は走ったし。12月にホノルルから戻って体重を計ったら、きっちり5キロ減になっていた。体脂肪も24になった!

 主食を減らしただけ、甘い物もいつもと同様に食べていたのにね。じぶんでも不思議。おかげで、同窓会には、昔はドキドキで話せなかった男の子に(今はおっさんだったけど)しっかりビールを注いで、(少し話もできて)充分に満足して帰ってきました。

 体脂肪を燃やすには、ハートも燃やさなくちゃね。
                             (2002.11.記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★食い物のうらみ

 おっちょこちょいなので、よく山道具も忘れるが、一番他のメンバーに迷惑をかけたのが、食料だ。一泊で共同の食料担当だった時のこと。夕食のメインを豚汁にした。

 夏だったので、腐敗防止にと、念入りに豚肉を味噌漬にして、冷蔵庫に保管。出発直前にザックに詰めるつもりが、すっかり忘れる。それも、テントサイトに着いてから気付いたので、どうしようもない。

 あいにく、塩や醤油をだれも持っていない。味噌と豚肉の入っていない豚汁は、単に野菜の水煮だった。皆からは非難ゴウゴウ。

 と、騒ぎを聞きつけた、隣のテントの殿方が、「良かったらこれを」、とシチューの素を差し入れしてくださった。キャォ〜!アリガタイ!こんな親切な人もいるんですねえ。おかげで、肉抜きのホワイトシチューは、なんとかお腹におさまった。

 でも、この失態は私の結婚式のスピーチにまでも語り継がれた。食い物の恨みってやつでしょうか。
                              (2002.11.記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  ★山で会った有名人


 1984年、ヨーロッパアルプスに行った時に、ツェルマットの町はずれで今井通子さんに会った。お客さんのガイドをしているようであったが、すぐさまミーハーぶりっこして、記念撮影をお願いする。
 今井さんは、いやな顔一つせず、非常に快く、にこやかに写真に収まって下さった。とても親しみやすい方だった。
 (写真掲載お許し下さい)




     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  ★雷の恐怖
   
 1980年代の話。静岡県東部の愛鷹山(1188m)に登った時のこと。山頂に着く前から雷を伴う、猛烈なにわか雨が降ってきた。頂上には避難小屋があったので、これ幸いに駆け込むが、雷はますますひどくなった。

閃光と雷鳴は、ほぼ同時。ガガガン!ドドド!バリバリ!あたりの木々には次々と落雷していた。避難小屋は山のてっぺんにあり、トタン屋根だった。落ちるのは時間の問題だ。なんとか感電から免れようと、時計・眼鏡を外し、コッフェル等の金属類は体から遠ざけた。ついに、「ピカ!バシッ!!」と来た。w(☆o◎)w

と、伸ばしていた足のつま先あたりが、溶接の火花が孔雀が羽を広げたように光った。なんのショックもなく、ビリっともしなかったが、確かに目の前で火柱が半径1mは上がった。

そこは8畳程の狭い小屋の土間の真中で、金属の類は、履いていた私の登山靴の紐掛金具だけだった。

足に雷が落ちて平気だったこの体験は、なぜかさらに私をカミナリ恐怖症にさせた。以来自宅でも、用心の為、部屋の真中には寝ないようにしている。
                               (2002.8.記)

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


※目次のフレームを表示したい時はここをクリック



直線上に配置