三線建設と文化大革命

三線建設関連年表
1949年 中華人民共和国成立
1951年 朝鮮戦争(〜54)
1953年 第一次五カ年計画開始(〜57)
1958年 大躍進運動
1959年 廬山会議
1960年 中ソ援助協定の破棄
1962年1月 7千人大会
1964年8月 トンキン湾事件
1964年8月 毛沢東の三線建設大号令
1965年 第三次五カ年計画修正案
1966年 第三次五カ年計画(〜70)
1966年 文化大革命
西南建設委員会副主任彭徳懐失脚
1969年 珍宝島事件
1970年2月 第四次五カ年計画草案
1971年 第四次五カ年計画(〜75)
1971年7月 キッシンジャー訪中
1971年9月 林彪事件
1972年2月 ニクソン訪中
1973年 第四次五カ年計画修正案
1976年 四人組打倒

 三線建設は64年の毛沢東の大号令に始まり、66年から75年までの第三、四次五カ年計画の中心となった。一般的には、ソ連との全面的核戦争を想定した上で、毛沢東が内陸部に後方支援軍需基地を建設することを計画したプロジェクトである。
 実行に移されるきっかけとなったのはベトナムにおけるトンキン湾事件だった。当時の中国は北にソ連、西に台湾(国民党)、南ではアメリカがベトナムに軍事介入しており、内陸部、天然の要塞であり、しかも、鉄道インフラが比較的整っていたため(宝成鉄道など)四川地域に傾斜配分された。朝鮮戦争のときにも、戦火拡大に備え、後方基地建設を計画したとされている点から、中国では戦争が起きたら、後方(内陸)で食い止めるというのが昔から主流となっていた。
 毛沢東は攀枝花に製鉄所を建設することに執着したとも言われている。これは大躍進運動の時の、製鉄プロジェクト失敗の挽回を図ったとされる見方もある。実際、毛沢東はそのような意図があったかどうかはわからないが、三線建設は大躍進時に中止、失敗となったプロジェクトの再開となる契機となった。
 三線建設は当初、毛沢東の重工業重視政策を批判し、民政を重視する政策を説いたことにより、廬山会議にて、その地位を林彪に奪われた、西南建設委員会副主任彭徳懐が中心になっておこなわれていた。しかし、彭徳懐は後に文化大革命ですぐに失脚する。彭徳懐の失脚によって西南建設委員会は機能しなくなり、三線建設は林彪の手に落ちた。
 対ソ連と言う点に関して、三線建設が計画されたのは60年代初め。中ソ援助協定は60年に破棄されている。珍宝島事件が勃発し、中ソ関係が決定的に悪くなったのは69年である。さらに、果たして三線建設が本当の意味での国防のためだったのか、権力闘争のなかでの軍部が権力を誇示するためだったのかは、その軍事的国家機密の性質上わからない。ただ、当初三線建設開始時の第三次五ヵ年計画予算案に関しては、インフラ建設費を削って国防費に当てられたとされている。71年の林彪事件後に出された第四次五カ年計画の修正案は、主に林彪が提唱した軍事一辺倒政策から、農村開発、インフラ建設等も重視する政策に変更された。対ソ連戦争のために軍事強化というのは、軍部がその力を誇示し、林彪らが自分たちの権力を高め、揺らぎないものにするために名目上対ソ連全面戦争に向けた基地建設を口実として利用した可能性はある。また林彪事件を挟む形でアメリカのキッシンジャーとニクソンが訪中している。中国は珍宝島事件を機にアメリカと国交を樹立し、その結果対ソ連の戦争が即時に勃発する危険は薄らいだ。中国は政治的に69〜72ころが過渡期であり、三線も過渡期を迎えた。第四次五カ年計画は、林彪事件、アメリカと国交樹立を経て修正された。73年に出された第四次五カ年計画修正案は、もはや軍事を最優先させるものではなく、農業に重点がおかれ、プロジェクト数は削減され、四川に対する傾斜投資はこの時に終わったと言える。三線建設、後方基地建設は、林彪の死によって、アメリカとの国交樹立により軍事的な面での役割は終わりを告げ、新たなプロジェクトに修正された。そして、第4次五カ年計画、文化大革命の終息とともに三線建設は完全に終わりを告げ、11期三中全会を経て内陸への傾斜投資から、沿海部中心発展戦略へと中国は転換するのである。
 直接的に関係のある主要な原因とはいえず、また結果論かもしれないが、今日の四川、重慶の貧困は、中国政局の混乱の結果によることも一因として挙げられる。結果として、文化大革命と三線建設の10年が重なってしまい、四川、重慶の開発は迷走した。

四川省(重慶を含む)のインフラ建設投資額は以下の通り

  単位:億元
年代 全国 四川 全国比
一五(53〜57) 588 27 4.59%
二五(58〜62) 1206 70 6%
63〜65 422 31 7.30%
三五(66〜70) 976 132 13.50%
四五(71〜75) 1764 136 7.70%
五五(76〜80) 2342 125 5.30%
六五(81〜85) 3410 158 4.63%
七五(86〜90) 7349 364 4.95%
八五(91〜95) 23584 1150 4.87%
《中国固定資産統計年鑑》より


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