【ドラえもんの麻雀劇場 第二話】

「ドラえもーん! またテストで0点とっちゃったよー!」
「はい、おすそわけガムー!」
「そんなの全然関係ないだろボケ! ママに怒られなくてすむような道具を
出せっつってんだよ!」
「バカだなあのび太くん。僕とママが半分ずつガムを噛んで、君がママに説
教されてる時に僕がおいしいものを食べれば……」
「ママもおいしくなって怒りが半減する! さっすがドラえもん! ママー」
「あらのびちゃん。この間のテストの結果はどうだったの?」
「そんなことよりママ、まずはこのガムを食べてみたまえよ!」
「トホホー!」
 ガムを口に入れた途端、ママは泣き笑いのような表情になってその場にへた
り込んでしまった。
「うわー。マズいっつーか、何かすっげえ切ない気分になるね、これ」
 ドラえもんが食べているのは、のび太のテスト用紙であった。0点の答案は、
ほろ苦い失敗と挫折の味がした。

【完】


 いつだったか、ドラえもんが開けっ放しのふすまの隣の壁に通り抜けフープ
を貼り付けて、そこからのび太の部屋に入ってきたことがあった。そして今、
鍵がかかって開かないドアをガスバーナーで焼き切って入ってきた。こういう
時こそ通り抜けフープを使えば良さそうなものだが、ドラえもんにはドラえも
んの考えがある。未来の世界では力押しがメジャーな兵法なのかもしれないし、
ロボットの諸葛孔明が泣きながら量産型馬謖をビームサーベルで斬り伏せて地
球の平和を守っているかもしれない。現代人には未来のことは何も分からない。


「ドラえもーん! 烈くーん!」
 のび太は残像がのこる程の猛ダッシュで、ドラえもんと烈に駆け寄った。そ
して二人の手を強く握りしめて久闊を叙した。
「来てくれたんだね二人とも! セワシくんとドラミちゃんは?」
「どっかに落とした。それより残り200点ってどういう惨状だよ。俺はそんな
タイトロープな麻雀を教えた覚えはねーぞ」
「聞いてくれよドラえもん! アカギの奴ったらひどいんだよ! ドラゴンク
エストばかりがクローズアップされてるけど、そもそもは本田一景のペンネー
ムで漫画原作者として……」
 のび太は堀井雄二の偉大な足跡について語り始めたが、ドラえもんは一切聞
かずに天井を見上げてキョロキョロしている。また烈も戦況の把握に余念がな
く、麻雀牌を手にとって臭いをかいだり全自動卓を持ち上げてカラカラ振って
小首をかしげたりしている。中国人のクセに麻雀を全く知らない烈であった。
「…………」
 烈は点数の早見表に落書きしたりしずかちゃんのスカートをちょっとめくっ
て顔を赤らめたり、カウンターの奥に積んであったでらべっぴんを無表情で読
みふけったりしていたが、ふと待機中のアカギと目が合った。
「たー!」
 烈はアカギ目がけてでらべっぴんを投げつけた。上体をひねってかわしたア
カギの横をでらべっぴんが通り過ぎて、向こうの壁にスコンと突き刺さった。
でらべっぴんのクセして恐るべき切れ味である。
 烈はアカギを知っていた。知っているどころか、人生最大の屈辱を受けた因
縁のライバルであった。あの日の怨みを、今こそ晴らす!
 それまでのだらけた表情とは打って変わって、烈の目が殺気に燃えている。
烈はアカギに顔を向けたまま、スネ夫の襟首をつかんで後ろに放り投げた。ス
ネ夫はダンサーのように宙を舞い、放物線を描いて天井に激突してジャイアン
ベッドに墜落した。アカギとの対局という生き地獄から解放されたスネ夫の顔
には、安らかな微笑が刻まれていた。
「噴! 噴!」
 烈はスネ夫が座っていた席に腰を下ろし、目の前の牌をアカギに向かって指
で弾き飛ばして盛んに挑発した。二人の闘いは、すでに始まっている。
「……という訳なんだよ。やっぱ堀井雄二ってスッゴイよね!」
 のび太の堀井雄二物語が堂々の完結を迎えた。ドラえもんは耳のボリューム
をゼロにして熱心に話を聞いていたが、終わった気配がしたので手を叩いた。
「いい話だった。感動した! ところでせっかく雀荘にきたんだし、僕も麻雀
を打ちたいんだけど」
「そんなのお安いご用さ。しずかちゃんもスネ夫もアカギにやられて死人同然
だから、どっちでも好きな方を排除しちゃいなよ!」
「ふーんお大事に。スネ夫くんの席には烈さんが座っているから、僕はしずか
ちゃんの代打ちだな」
 ドラえもんはしずかを抱きかかえてジャイアンベッドに放り投げた。ベッド
に横たわったしずかの顔には、アカギという名の無間地獄から逃れた悦びがあ
りありと浮かんでいた。
 ジャイアン、スネ夫、しずかの悪ガキトリオが、仲良く川の字に並んで眠っ
ている。三人の安らかな寝顔を見つめるのび太の胸に、暖かくて柔らかい光が
灯った。
「起きている時はさんざん僕をいじめてくれたけど、こうして見るとコイツら
も哀れで醜い虫ケラなんだね……」
 のび太はベッドの上の虫ケラ三匹から百倍の勇気をもらって、アカギの待つ
雀卓へ馳せ戻った。
 一人ぼっちののび太が三人組に、三人組だったアカギが一人に。力の均衡は
完全に逆転した。強敵との決戦にも泰然自若のドラえもん、数珠つなぎにした
点棒をブンブン回してアカギを攪乱する烈海王。二人の頼もしき仲間に守られ
ながら、のび太は伏せていた配牌を勢いよく開けた。南二局五本場、のび太の
ツモから再開である。
「俺はやるぜー!」


 ←ツモ

 開けた配牌はやっぱりクズ手だった。一度は大きく燃え上がったのび太の闘
志もすっかり萎え、しずかちゃんの使っていたおしぼりをズボンのチャックか
ら股間に突っ込んで拭いた。
 現在、のび太は全裸ではない。ドラえもんが持ってきたセワシの未来服の替
えを着ている。山下清のランニングもビックリの未来服のダサさ加減も、のび
太のやる気を削ぐ原因の一つになっている。
「あー気持ちいい。もう麻雀なんかやってらんねー。俺も寝ちゃおっかな。そ
んで朝起きたらさ、この配牌はロックだ! とか何とか言って、音楽プロデュ
ーサーにスカウトされちゃうの。いい考えだと思わない?」
「思う思う。でもそんなにこの配牌が気に入らないんだったら、さっさと流し
ちゃえばいいんじゃない?」
 ドラえもんは気楽に言うが、のび太はきっぱりと拒絶した。
「流すって、要するに雀卓をひっくり返すとかしてうやむやにしちゃうって事
だろ? そんな汚い真似ができる訳ないだろこの悪魔!」
 燕返しは全然汚くないらしい。
「そうか、のび太くんにはまだ九種九牌(キュウシュキュウハイ)を教えてな
かったんだっけ。この配牌は、ルールに則った正当な手続きで場を流すことが
できるんだよ」
「ななな何ですと!」
 のび太は必要以上に驚いて、股間を拭いたおしぼりを後ろに放り投げた。
「そんな便利なごまかし方があるんだったら、さっさと教えてくれりゃいいの
に! で、どうやんの?」
 のび太の投げたおしぼりが、ジャイアンの胸元に落ちた。烈はそのおしぼり
のシワを伸ばし、ジャイアンの顔に密着するようにキチンとかけてやった。
「もがもがぼけー!」
 呼吸困難に陥ったジャイアンの激しい息遣いが、天使の歌声のように烈の耳
朶を優しく打った。
「第一ツモの時点で、手牌の中に九種類以上のヤオチュウ牌があった場合、牌
を倒せば流局が成立するんだ。このルールを九種九牌という。例えば……」
 ドラえもんは隣の雀卓に麻雀牌を並べた。

 ←ツモ

「この手は第一ツモでを引いたことによって、ヤオチュウ牌が九種類にな
った。が二枚あるから、九種十牌。もちろん、枚数が多い分には全く問題
ない。この手は九種九牌が成立する」

 ←ツモ

「こっちの手は、第一ツモのでヤオチュウ牌が九枚になったけど、種類は
八種類しかない。よって九種九牌は成立しない。観念して、この手で続行する
しか道はない。ただ、絶対にアガれないと決まった訳ではないし、逆にアガり
を無視してでも他人に振り込みたくないなんて時には、こういうクズ手の方が
役に立つこともある。点差によっては国士無双を狙ってもいいし、九種九牌が
認められない雀荘だってあったりする。要するに、状況やルールをよく見極め
て判断しなさいって事さ」
「なるほど、だったらこの場は迷わず流すべきだよね。ツモる前から11種12牌
あるし。点差は絶望的なくらいに開いているけど、アカギがをアンカンし
ちゃってるから国士無双は不可能だもんね。そんじゃ流すぞ! 流しちゃうぞ!
必殺、九種……」
「のび太くんのバカー!!」
 ドラえもんの嘆きの殺人パンチが、のび太の顔面にクリーンヒットした。


続く
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