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傾城森(440m)けいせいもり

2006.4.2(日)の記録
※記録が古いので他の最新情報もご確認下さい
 概   要 山形と福島に県境を接する、宮城県の西端の町、七ヶ宿町を代表するハイキングコース。平成3年に完成した七ヶ宿ダムの湖底に沈んだ原地区の、小学校の遠足などで登った山だそうだ。
 観光だけでは物足りない方は、運動靴を車に積んでおき、まず傾城森に登り、お昼に蕎麦を食べ、ダムや材木岩を見て帰るというのが、おすすめ。(注:冬は雪山です)
 場   所
 交   通
七ヶ宿ダム湖の西端にある山なので、車でダムを目指した。行きは国道286号から、蔵王川崎線で遠刈田へ、遠刈田から南蔵王七ヶ宿線で、町役場のある関に入った。帰りは、材木岩を見学し、113号線(七ヶ宿街道)を経て、白石から国道4号で仙台に戻った。観光シーズン前なので、道路も混雑は無く、どちらも時間的には大差はないようです。。
 注   意
 事   項
遊歩道や道標は整備されている。頂上などで、落下の危険のある箇所には、柵や手すりがあり、危険な所はありません。但し、私達が登った4月初旬には、北斜面の日陰には、遊歩道にも雪があったので、スパッツやストックがあれば尚安心です。
 コ ー ス
 タ イ ム
 南仙台=(車1時間30分)=横川橋駐車場→(歩35分)→
傾城森山頂→(歩30分)→山伏森→(歩15分)→
横川橋駐車場=(車1時間25分)=南仙台
 ※歩行時間1時間20分   ※男性1名、女性2名
 ガ イ ド
 地   図
「新・宮城県の山」山と渓谷社
地図:「関」1/25000図

※カシミール3D使用  ※地図をクリックすると拡大します

 最初は七ヶ宿スキー場から峠田岳に登る計画だったが、観光協会に問い合わ
せをしたら、まだ1m雪があると聞き、傾城森に変更した。小雨でなければ、
材木岩から寒成山にも登る予定だったが今回は割愛した。
 ★七ヶ宿観光協会・・電話0224-37-2111 
←駐車場入口

 仙台から遠刈田温泉を経て、七ヶ宿にやってきました。113号線の横川橋の西側(高畠方向)に砂利の駐車場があります。
←山伏森(左)と傾城森(右)

 広い駐車場には案内板があり、その奥にこれから登る山伏森と傾城森が見えています。
 山伏と祇園の芸妓がこの地で入水心中した伝説から、寄り添うように並ぶ二つの峰に、この名が付けられたそうです。※異説もあり
←赤い吊橋と山伏森

 駐車場の脇から歩き始めます。赤い吊橋が白石川に架かっています。地図ではここから700m位下流にダム湖の水が溜まっていますが、この橋の下は透明な雪解水が豊かに流れていました。吊橋なので、歩くと少し揺れました。
←登山口の階段

 橋を渡って対岸に着くと、すぐに階段が始まります。
 雑木林は、コナラが主でアカマツやサクラ類、リョウブも見えました。
 急登を予想していましたが、ゆっくり登れば大丈夫。登り坂には必ず階段が整備されています。
←雪が・・・

 北斜面の日陰には雪が残っていました。この時期、400mクラスの低山で、雪が踏めるのはうれしいです。
 普段は不要ですが、この時期はストック1本の備えあれば憂いなしです。
←森の落し物
 
 イノシシ?サル?動物の毛などが混じっていないので、草食獣の糞だと思います。それにしても、登山道に堂々と。この季節にはあまり人が来ないからでしょうか。それとも夜行性のタヌキ?
←雑木と階段の手すり

 このあたりから小雨が降ってきました。ゆっくりと登って行きます。駐車場から25分経過。
←階段を登る

 よく整備された道です。歩幅も適当で歩きやすかったです。
←傾城森の最後の登り

 稜線に出る。あと少しです。
 この稜線を、傾城森とは逆に地図で900mたどっていくと、待婢山(まつひやま)があります。祇園の芸妓を追ってきた待婢が二人の心中を知り、自らも白石川に身を投げた伝説からの命名だそうです。3人も自殺したんだ。へ〜。
←傾城森の頂上

 頂上に到着。落下防止の柵が回されています。関の集落が見渡ます。ゆっくり歩いて約35分で到着ですから、ファミリー登山向けですね。
←傾城森山頂の石鳥居と祠

  風で倒れたのか、ほこらの屋根の角が欠けていた。
←七ヶ宿ダム湖の方角

 頂上より少し手前に、松ノ木が少し開けて、ダム湖がよく見える場所がある。ベンチもある。風はないが、あいにくの小雨もようで、遠くまで見えません。
←下山開始

 降ってきた小雨が止みそうにないので、早々に下山開始。ザックカバーをつけ、雨具も着ました。
 雪を避けて、柵の外側を下ります。もと来た道を戻ります。
←後方の傾城森と道標

 傾城森から20分程下ると、山伏岳の分岐があります。おしゃべりしていて、道標を見逃しそうになりました。
 ※行きに登ってもいいのですが、ガイドブック通り、帰り道に登りました。
←赤い鳥居その一

 山伏森にだけ、頂上と頂上の直下に赤い鳥居があります。
←山伏森の頂上広場

 こちらはあまり眺望は良くありませんが、赤い鳥居の方向は開けています。
 あとは、もと来た道を引き返し、15分で駐車場に戻りました。
      ●登山報告終わり●

          七ヶ宿・傾城森付近の蕎麦処・観光など
←七ヶ宿そば街道「芭蕉庵」
 二八そばセット(揚げだし豆腐・デザート付1150円)を食べる。小ぎれいな店でした。まだ湯原付近の道端には雪がありました。
    ※その他の蕎麦処
滑津の「吉野家」が傾城森からは近いが、この日はあいにく休業。部落の方々が
集まって、雪でつぶれた母屋の屋根の修理中。結の名残か心温まる風景でした。
スキー場近くの「がんこ」は道路に積雪があり諦めました。
↑旧上戸沢検断屋敷木村家住宅
寛永年間から明治維新に至るまで上戸
沢宿で検断役を勤め、さらに問屋や
本陣に準じた役割も担った木村家の
住宅。平成15年に材木岩公園意に
移築復元されたそうです。
9:00〜16:30入場無料  パンフレットより 
                ↑材木岩
「材木岩の成因は、巨斑晶紫蘇輝石
石英安山岩が水成岩の基盤を貫いて
地表面に噴出し、急激に冷え固まる
ときに三角から六角柱状の節理をあら
わしたものです」
         パンフレットより  (難しい!
     ↑氷室 ひむろ
明治時代に、斜面の岩の隙間から、
一年中冷風が吹き出ているのを発見し、
蚕の種を冷蔵していたそうです。都合の
いい時期に卵を孵化でき、小原地区の
養蚕が盛んになったそうです。
この日、中はマイナス10℃でした。
↑農林産物直売所 10:00〜15:00
   第1・第3火曜定休
 農家レストランそば処なごみ茶屋
  11:00〜15:00  毎週水曜定休
はっと汁300円に心を残しながら(満
腹だったので)帰りました。
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 傾城森のいわれについて

  「七ヶ宿町史・生活編」には、内川と横川が合流する一帯、賽の河原の峰二つは
「傾城森」「下女森」と呼ばれていると書かれている。
 また「昔山伏、京で遊女と馴染みになりこの地に駆け落ちしてきた。しかし大勢の
追手に逃げおおせることができないことを知り、二人は自ら命を断って果てた。跡を
したって来た下女はその話を聞き落胆のあまり、これも自殺して果てた。その三人が
石と化してこうした岩山になったという。山伏の岩山は少し離れたところにある。
1769年の富田伊之の「奥州紀行」にも話がのっているので、ずいぶん昔からあった
話なのである。」と記されている。
 現在の七ヶ宿の観光マップには、傾城森と山伏森がペアで、離れて待婢山が記載
されている。「宮城の山」も同様です。
 どちらが本当なのかわかりませんが、「七ヶ宿町史」のように、傾城森と下女森を
一対にする説もある、ということですね。

 佐藤石太郎さんの本について

 大正10年生まれの炭焼きの名人、佐藤石太郎さんが書かれた
「ダム湖に沈んだ山村の知恵〜山中七ヶ宿・原集落風土記〜」という本を
読んだ。昭和45年にダム建設の話が持ち上がってから、平成3年のダム竣工に
至るまでの記述が一番胸を打った。ダムに沈む集落の当事者が書いた本は
珍しいそうですが、沈む故郷の人々の暮らしや、風習も後世に伝えようと書かれて
いるので興味深かった。それに読みやすい。驚いたのは、石太郎さんの樹木に関す
る知識が豊富なことで、山村での木の用途がよくわかった。
 昨年(2005年)だったか、テレビで石太郎さんが炭焼き小屋を子供たちと作る番組
を見て、すごい人がいるもんだなあ、と思っていた。その石太郎さんの本に出会えた
ことも嬉しかった。一度お話を伺いたいものだと思った。

参考文献:「七ヶ宿町史・生活編」七ヶ宿町史編纂委員会 昭和57年刊
「ダム湖に沈んだ山村の知恵〜山中七ヶ宿・原集落風土記〜」佐藤石太郎著
初版平成17年 2190円 河北新報出版センター

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