仙台近郊のマラソン大会感想記

 
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第20回阿武隈リバーサイドマラソン    宮城県角田市 2007.11.04 ハーフ
第3回いわて銀河チャレンジマラソン岩手県西和賀町.雫石市(北上市・花巻市) 2007.05.20 50Km
第25回東北ブロック新春マラソン     宮城県名取市 2007.01.14 フル
第19回阿武隈リバーサイドマラソン    宮城県角田市 2006.11.05 ハーフ
第16回かすみがうらマラソン        茨城県土浦市 2006.04.16 フル
第24回東北ブロック新春マラソン     宮城県名取市 2006.01.08 フル
第18回阿武隈リバーサイドマラソン    宮城県角田市 2005.11.06 ハーフ
第23回東北ブロック新春マラソン     宮城県名取市 2005.01.09 フル
第17回阿武隈リバーサイドマラソン    宮城県角田市 2004.11.07 ハーフ
●第18回日本海メロンマラソン       秋田県若美町  2004.08.01 5km
第1回 ENJOY JOGGER INみちのく     宮城県仙台市 2004.07.03 サポート
第3回果樹王国ひがしねさくらんぼマラソン  山形県東根市 2004.06.06 5km
第7回東京・荒川市民マラソン       東京都 2004.03.21 フル
第22回東北ブロック新春マラソン     宮城県名取市 2004.01.11 ハーフ
第16回阿武隈リバーサイドマラソン    宮城県角田市 2003.11.02 ハーフ
第22回鳥海ブルーライン登山マラソン    山形県遊佐町 2003.06.14 10km
第3回柴田さくらマラソン          宮城県柴田町 2003.04.13 5km
●仙台ハーフマラソン応援         宮城県仙台市 2003.03.09 応援
●ナスパクロスカントリー大会       宮城県名取市 2003.02.02 5km
●名取市民マラソン  ※現在は開催なし  宮城県名取市 2002.11.17 8km

●第20回阿武隈リバーサイドマラソン

2007.11.4 (日) 参加費:一般、ハーフ、10キロ、5キロ 2500円
  参加賞:Tシャツ、豚汁 
   給水所:5`、11`付近、17`付近の3箇所、水とスポンジ

  地場産品販売所(体育館外のテント)あり豚汁サービスは体育館内


 マイカーで角田市総合体育館へ。今年から受付時刻が早まり受付は8:30まで。体育館の隣のサッカー?グランドに順に誘導される。はぼ満車。受付に到着したのが、8時30分。開会式開始までは受付が許されたようだ。体育館内でご近所ランナーと会い陣地をご一緒させて頂く。ゆっくり身支度を整え、9時40分に集合。充分準備体操をして10時にスタート。

 曇時々晴れで暖かく、無風で走りやすい天候。河川敷の堤防沿いの道から、神室山や大東岳が見える。
 5`通過が33分位だったので、ペースを上げる。(キロ6分以内で走らないと関門通過できない)既に水色の東根橋を渡る時点でかなり息が苦しい。10`地点で64分位だった。10`周辺が一番沿道の応援が盛んなので、気持ちを前向きに姿勢を正して走るが、スピードが出ない。今日は16`どまり・・・と消極的になった。

 今回は5`地点からずっとピりで、前を走る男性が一人見えるのみ。ともかく16`までは頑張ろうと思い、息を切らして走る。第二給水所を過ぎ、潟Pーヒンから直線道路を走るが疲れてきた。時計も見なかった。

 やっと第一関門の12.5`が見えてきた。すると、後をついていた救護バスが急に勢い良く私を追い抜いていった。あれ?嫌な予感・・・。そして前方200m先を走る男性が、関門でバスに乗り込むのが見えた!が〜〜ん!!
 
関門到着後「私も?」と係員に尋ねると「はいご苦労さん」とバスの方を指差した。バスへお乗り下さいということは、第一関門で時間オーバーということだった。時計を見ると 1時間18分30秒だった。

 変だなあ、去年は1時間20分だったはず。第一関門不通過は初めてだったので、ショックと恥ずかしさで、小さくなってバスに乗った。マイクロバスに乗せられたのは、前の男性と私の二人だけで、あとは給水ボランティアのご婦人が10人位乗っていた。

 バスは、16`の第二関門で時間オーバーの男性一人を乗せた。前回は枝野橋を渡りきった所だったが、今回は橋の袂から200m以上先に行った所だった。バスに乗った方は、たぶん1分遅れ位で関門不通過だったと思われるので、ちょっと気の毒だった。(後で要項を見たら、距離が伸びた分16`の関門は1時間36分と1分増しにはなっていた。)

 体育館にバスで12時に到着。泣きたい気分だったが、食欲はあった。すぐさま豚汁引き換えに向かう。去年は食べられない人が多く、苦情が本部に伝わったせいか、今年は大丈夫だった。12時半時点でまだ残っていたようです。味付けも良く、柔らかい里芋に癒されるような思いでした。

 12時半から閉会式と表彰が行われる。私の仲間は皆入賞者なので、陣地の留守居をしながら大会要項を見ると、12.5kmの関門は1時間15分と5分早くなっていた。目を通さない方が悪いし、1km6分をクリアできない程遅いのだから仕方ない。
 
 来年は、時間制限のもっとゆるい大会に出ようかと思う。そして、もっと早く走る練習をしなくちゃダメ。夜のウォーキングは5ヶ月続けていたが、走った距離はわずかだった。目標を明確にして、時間や体力も無いなりに、有効な練習方法を考えようと深く反省。良いお灸をすえられたので、また出直しです。
 
      ※練習期間約1ヶ月 練習距離52km

 ★1次関門(12.5キロ地点)制限時間→1時間15分←5分早くなった
 ★2次関門(16キロ地点)制限時間→1時間36分←枝野橋の坂を下った所
 ★ゴール(21.0975キロ)制限時間→2時間20分



後藤新平生誕150年記念 シチズンカップ
●第3回いわて銀河チャレンジマラソン

2007.5.20(日)  参加賞: Tシャツ、後藤新平色紙、お食事券
参加費:50kmは12000円、但しアーリエントリーはゴール地で2000円キャッシュバック


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↑50km出発地の西和賀町
  沢内バーデン志賀来ドーム

 朝6時出発。ご近所のA子さん宅の帰省号に便乗。仙台南ICから秋田道の湯田ICを経て、沢内バーデンに8時半頃到着。偶然にもA子さんのご主人の甥のS氏が50kに参加しており、ドームでご対面。
 10時。雨が降り出す中、100人余りが静かにスタート。最後尾から3番目位。手製ポリ袋の雨具は寒さ対策にもなり快適。民家も少なく沿道の応援は数名。5k10kの標示が見つからなかった。最初の9.5kの給食所には簡易トイレがあった。


↑高下集落レストステーション
 100kコースの合流地点まで、和賀川の流れと新緑に慰められながら、ほぼ平坦な舗装道を雨の中黙々と走ります。
 ←写真は16.5(66.5)km地点。50kでは9.5kの次、2回目の給食地点。100kのランナーの着替所で、トイレは靴を脱いで入るので我慢。ここでは豚汁を美味しく頂きました。
 100kランナーが合流したので、前後に人影が見えて心強くなりました。

↑AさんとMさん
       ※写真掲載お許し下さい
 沢内銀河高原の折り返しで、霞ヶ浦でお世話になった南走友会のお二人とお会いする。このあとすぐDさんからも「頑張って!」と声を掛けて頂く。20K過ぎてだいぶ疲れてきたのですが、ここで気分が前向きになりました。
 銀河高原ホテルでは、綺麗なトイレを拝借。ホテルの売店で食べ物を買っているランナーもいました。

↑沢内銀河高原ホテル森の風前
 ←ホテルの敷地内、23.3(73.3)kmの給食所。梅干、ブルーべりジャム付ロールパン、バナナ、角砂糖、塩等。他の場所ではオレンジ、レモン、飴、チョコ、黒砂糖、握った寿司飯などが給食に出ました。飲み物は、水、スポーツドリンク、暖かいお茶やコーヒー等でした。
 このあと雨も上がったので、ポリ袋雨具を脱ぎ、さっぱりとした気分で走り始めました。午後1時になっていました。

↑28(78.0)q、峠の手前のエイド
 銀河高原の牧草地を過ぎると、山間の道になります。トンネルの手前に28(78)km地点の給食所がある。お腹も減っていたのか、ネタ無しの寿司飯が意外に食べ易く美味しかった。
 ボランティアの貝沢婦人会の方々はこれから田植だそう。「本当はこっちが手伝って貰いたい位に忙しい季節」だとか。いやぁ有難いです。

↑貝沢トンネル
 ゆるやかな登りの頂点にあるトンネルを抜けると、ここから急な下りとなる。足に衝撃がかかるのでなるべくそろりそろりと下った。
 この峠付近はフキ・ワラビ・コゴミ・トリアシショウマ・オオイタドリ等の山菜の宝庫だった。又道脇には仙台では山でしか見られない水芭蕉・ニリンソウ・スミレ等の花も咲き、走っていて飽きなかった。


↑右下は鶯宿ダム湖か?

 長い急坂の下りのあと、なだらかな下り坂となる。足には負担が少なくなるが、トンネルからここまでは長〜く感じた。ダム湖が右下に見えた頃、道端にkm標示があり、まだ35kmかとげんなりする。
 でも雑木の新緑が目に優しい素敵な舗装道だったのと、後ろから若い男性にぴったりと付けられていたので、気力が途切れずに走れたのでした。
 

↑73.3km
 ここで簡易トイレに寄って呑気にバナナを食べていると、ここが関門で1分前だよ、と言われ慌てる。用意した目標タイムメモを全く見ないでいたのだ。
 次の関門まであと30分!係の人がまだ後ろに44人いるよ、と話していたのが耳に残る。完走はともかく次の関門クリアが目標だ。まだ緑の道が続く。
 鶯宿温泉にたどり着くと、スタッフから次の関門まであと1kmで8分しかないから急いで!と告げられる。

↑鶯宿温泉けんじワールド前
 この関門の500m手前では、関門まであと4分と言われ、息を切らしてダッシュ。1分前に到着しセーフ。同時に着いた美人ランナーと喜び合うが、ゼッケンを見たら100kの方。タフですこと〜。
 ここにはアイスクリームとおしるこがあり両方頂く。ここから民家があり、雫石市街めざして走ります。あと9.3km。ここまでは何とか余裕があったのですが・・・。

↑95.8km最後の給食
 けんじワールドを下ると山裾の登りがあり、ここで少し歩く。あとは平坦な水田地帯を走る。写真は最後の給食所。後には夕映えの秀峰岩手山が見えたが、写真では色が飛んでしまった。
 4時を過ぎ、前日に予約した雫石タクシーの待合せ時刻、4時50分が気になりだす。ギリギリだ。あと3k、2k、1kと標示が有難い。

↑最後の登り坂、ゴールまで1.7km

 最後の坂は前の人に習って歩いてしまう。4時半!何とかしなくちゃ。ペースは上がらないがともかく前進。やっと家並みの奥に競技場が見え、アナウンスが聞こえる。自分の名も呼ばれ、ゴール前には有難いM神様の姿が。ゴ〜〜ル!
 お礼を言う間もなく、すぐにタクシーの待つ駐車場へ。約束の4時50分着。預けた荷物と完走賞を受取りに行くのに5分待ってもらった。

↑雫石駅ホーム
 体育館の前には飲食ブースがあり参加者で賑わっている。残念だが飲食は割愛。ゴール地点・荷物受取の体育館・タクシー駐車場が100m内にあったので助かる。
 雫石駅には5分程で5時に到着。指定席を取ったこまちが5時21分発なので、駅で買い物の余裕があった。一緒にこまちに乗ったランナーは4人位で、ホームは閑散としていた。6時半に仙台着。7時に帰宅し、充実した一日が終わりました。
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反省点
  ・ギリギリ間に合ったが、5時21分のこまちに乗るのは無理があった。
  ・関門の通過時刻を確認しないで走り、後半慌てた。
  ・腰に巻いたポシェットが開けにくく、必要品を出すのに手間取った。
  ・練習不足(練習期間2ヶ月、計約140q←内2週間前に15kを3回
感想
  ・厚地ポリ袋で簡易雨具を自作準備したので、濡れず体温も保持できた。
  ・最初からゆっくりの1km7分半のペースで、トイレや給食も計30分以内
     で済ませたので、何とか時間内完走ができたと思う。
  ・車があまり通らない山間の道が多く、里山の風情や草木に癒された。
  ・沢内のスタート地でも地場産品売り場があれば、少しでもお金を使えて
     町に貢献できたかも。
  ・ボランティアの方々のご好意で完走できました。沢内の更衣室には
     暖房がたかれており、寒かったのでとても有難かったです。
  



●第25回東北ブロック新春マラソン

2007.1.14(日)  参加費: 一般、フル・ハーフ、3500円
 参加賞: タオル、バームゼリー、豚汁、ランニングハンドブック

 閖上に8時に到着したが、やはり10数台手前でサイクルセンターの駐車場は満車。橋の左手の港と松原の間の広場に誘導される。200m程歩いて、センター脇の受付でゼッケンを貰う。

 センター2階のイタリアンレストランびあんこ(ピザ美味です)の上、3階に更衣室がある。あちこちに入口があってちょっとややこしい構造の建物だが、サイクルロードから直接階段もあるので、着替えてすぐにフルのスタート地点に行ける。また走っている途中に、靴を脱がずにトイレに行けるのは便利。
 私設エイドには、食料と飲み物を置く。袋に入れたが次回は倒れないような工夫が必要。おにぎり、パン、大福シュークリーム団子、のど飴、ホットココア、ホットお茶、ダカラ飲料、バーム。(太字は実際食べた)バンドエイド、頭痛薬も入れる。

 準備をしているうちに、8時45分に集合のアナウンスが聞こえる。5時間以上かかる人は早出スタートが許可されており、赤いテープを貰いゼッケンの脇に安全ピンで止める。
 9時スタート。天気は晴れ時々曇りで風も弱く気温は 4.2℃。今年は暖冬のせいか今までで一番暖かい!が、寒さ対策として下はトレパンの上にウインドブレーカーを、上着は2枚に袖なしのブレーカーも着る。ほとんど歩くのと同じような速度なので、寒がりの私はこれ位着ないとダメ。

 最初の3周は、フル100回楽走会の方のあとを走る。こういうベテランの方はコンスタントな走りをなさるので安心。それに、お二方の会話が聞こえてきて、気がまぎれる。「競技会場から空港までのバスがないんだよ」「仙台まで戻らないで走って行ったらどうですか」「ここから仙台空港まで何キロありますかねえ」「さあ・・・」
 すかさず「5`位ですよ」と答えてあげたかったが、確信がなかった。地図で確認したらサイクルセンターから貞山掘沿いに走れば空港までちょうど5kmだった。4周からは、お二人について行けなくなり一人旅となった。

 4周走った所でトイレに行き、肩が痛むので頭痛薬を飲んだ。4周から6周が一番飽きてしまうのだが、毎周ごとの私設エイドの食べ物を唯一の慰めとした。公設エイドには、チョコ、かりんとう、ビスケット、バナナ等。後半には食塩が出た。これは初めて試してみたが、効き目ありと感じた。

 一番辛かったのが6周位。シューズとくるぶしが擦れるので、バンドエイドを貼った。7週目にちょうどいい速度の方を見つけ、後を走らせて頂く。ぴったり付かれるのはきっと気障りだろうと思うが、ゆっくりのペースだったので、少し余裕ができたのと、この方に付いたお陰で気が紛れて元気が出てきた。

 あと3周だ。8周目は別な方に付いて何とか終わる。9周目もさほど速度が落ちずに過ごす。食べ物を取らずに、塩とホットドリンクのみ。

 あと1周というところで、私を呼ぶ声。なんとD婦人のKちゃん。仙台南走友会の黄色いランシャツも見えたので、応援にいらしたのだ。何だか元気が出てきた。私はいつも見えるM井さんやM神様の姿がないので、呑気に走っていたのだが、最後の周は根性を出して走った。

 結局ゴールは5時間25分位だったと思う。一応歩かないで走ることが出来た。練習も満足にしないで完走できたのは、正月に20qをまとめて走ったこと、直前は休養したこと、最初から最後までゆっくり同じペースだったのが体にダメージが少なく良かったようだ。今までで一番楽に走れたので、マラソンも経験なのかなあ、とぼんやり思いました。
  ★反省点
  • 大会当日までの健康管理は万全だったが練習は全然だった。
 ※練習期間約一ヶ月 練習距離60km



●第19回阿武隈リバーサイドマラソン

2006.11.5 (日) 参加費:一般、ハーフ、10キロ、5キロ 2500円
  参加賞:Tシャツ、ドリンク1本、豚汁 
   給水所:5`、11`付近、17`付近の3箇所、水とスポンジ

  地場産品販売所(体育館外のテント)あり豚汁サービスは体育館内
   

 マイカーで角田市総合体育館へ。受付は8:55までだったが、受付に到着したのが、9時5分。何とかまだ受付が許された。更衣室は混雑のピークを過ぎたのか空いており、100円のコインロッカーを初めて使用。これなら安心。トイレに並び、身支度を整えると、既に集合時間の9時40分。あわてて集合場所に行くと、もう選手移動開始していたので、追いかける。スタート10分前。準備体操をして、慌しくスタート。

 朝もやのような霧が川辺を覆っていたが、無風で走りやすい天候。順調に走っていたつもりが、5`通過が32分位だったので、ペースを上げる。(キロ6分以内で走らないと関門通過できない)既に水色の東根橋を渡る時点でかなり息が苦しい。10`地点で59分位だったので、ホッとするも、このペースを維持するのは、きつかった。民家の多い一本木町地区の人々の声援にも答えるのがやっと。
 ともかく、今回は16`の枝野橋の関門通過が目標。(昨年は関門7分オーバーで失格)しかし、スタミナが持つか心配になってきた。そこでポケットに忍ばせていたチョコレートを3粒食べ、第二給水所で水分補給。
 これが効を奏して、というより自分に暗示を掛けて、何とか気力を立て直した。快調とは行かないが、さほどペースダウンしないで、走れたようだ。今回は写真も撮らずに走る事に集中した。ただ、今までこんなにマジメに走ったことがないので、呼吸が苦しかった。スタートからずっと数人づつ抜いてきた。こんなことも初めての経験だ。
 第一関門の12.5`では1時間15分(5分の猶予があった)。行けるかも?という淡い希望が持てた。国道113号から阿武隈川の土手に上がると、関門の枝野橋が見えた。すぐ近くに感じるが、あと1.5kmもあるのは、数回の経験で判っていた。ここから枝野橋をゴールと思って、気力を振り絞る。2人位は抜いたようだ。
 時計を見ると橋の手前であと、4分弱あった。でも橋は500m位ある。油断するとアウトなので、またダッシュ。1人抜く。なが〜〜い橋の袂で、係員が時計を見ている。通過可否を尋ねると、OKとの事。16`の制限時間1時間35分に、40秒の猶予があったそうだ。これは私にしては、最高記録だった。

 幸せだった。霧も晴れてきた。もう息も絶えていたので、しばし歩く。足切で、私の後ろには数名しか居なかったので、関門から数百mの最終給水所では、最後尾になってしまった。いつもの事だから、慌てない、慌てない。最後のチョコをまた水で流し込み、いざスタート。
 あと4`位あるが、もう1時間40分経過。チョコの効果で、2時間10分以内にゴールしたい、という次の意欲が沸いてきた。また気力を奮い立てる。数名抜いて、田んぼの中を走り、土手に上がる。運動公園脇にあと1kmの標示。駐車場を抜けて、体育館の敷地に入り、競技場を1周して、やっとゴールだった。2時間8分36秒の完走賞状は、競技場の外ですぐに機械から出力されて渡された。
 目標は達成したので、嬉しかったが、かなり疲れた。チップを外すのも、けっこう大変。息を整えないと、手に力が入らず、靴紐が解けなかった。

 整理体操をしてから、体育館にふらふらと入っていくと、豚汁の行列が出来ていた。いつか遅くなって品切れだったので、並ぼうかと迷っていたら、「豚汁は終わりました。すみません〜」の声。不覚にも、涙がにじんだ。(私って、いつも豚汁に縁遠いのよ〜泣)角田では4回出場のうち、2回品切れ。それも、完走して体育館到着が遅くなった時は、必ず食べられないのだった。

 今回はかなりの人が豚汁に見放された。少なく見積もっても70人分は不足だった。同郷の仲間と合流し、この事を告げると、「代わりに余ったドリンクでも貰えたらいいのにね」とのこと。(そうだよ〜)と思ったが、マラソン人(びと)は寛容なのか、行列に並んだ人も「えー」と落胆しただけで、だれも文句や抗議を言う人も居なかった。
 私も、婦人会の奥様たちのご尽力を思うと、やはり何も言えなかった。これは、自分が給水等のサポートを体験してから、余計にそう思うようになった。市の財政難もあるだろうし、うーめん、そば、豚汁と毎年メニューが変るので、材料や配分の申し送りが出来ないのだ。おわんの数とナベ数とを考えて配布すれば、不足は防げるのだが、少ない人数での賄いなので、奥様たちも責められない。それに皆さんボランティアで、朝から汗を流しているのだった。(そう、汗を流しているのはランナーだけじゃないのよね)

 いつものように抽選は外れ、角田のリンゴを買った。毎回思うが、市を挙げての開催なのだから、地場産品の販売ブースを多くし、新鮮野菜などもあれば、帰りにスーパーに寄らなくてもいいのになあ・・・でも、参加者1400人だから、そんなに利益は出ないのかも・・・そんな事をつらつら思いながら帰りました。

      ※練習期間約1ヶ月 練習距離95km



●第16回 かすみがうらマラソン

2006.4.16(日)  参加費:一般、フル・10マイル 3700円 
             参加賞: Tシャツ 、他?

 仙台を朝5時出発。国道6号→常磐自動車道の土浦北ICで降りて、臨時駐車場へ。駐車場から満員の無料送迎バスで、会場へ9時30分に到着。
 トイレの列に並んでいたら、10時になってしまい、スタートの号砲が鳴った。同行のYさんが待っていて下さり、一緒にグラウンドを横切って、集団の列に紛れ込む。

 
    ↑会場風景                         ↑スタート風景
 5kmまでは、Yさんとおしゃべりをしながら走る。1Km7分位のペースだったが、次第に辛くなって一人旅になった。Yさんはそのままのペースで走り、4時間台でゴールなさったのだからスゴイ!
 
   ↑ 走り出してすぐの坂              ↑初めての給水
 常磐線の陸橋が坂になっていて、先行の人波が見える。最初の給水所は8km付近だったと思う。数年前の10マイル参加の折には、暑くて待ちかねた給水だったが、今回は曇り時々小雨だったので、さほど苦にならなかった。

 
   ↑10マイルの分岐                ↑13km私設エイド
 10マイルの人達は右折するが、フルは直進。10kmは1時間10分位の通過だったと思うが、次第に疲れてくる。13kmの私設のエイドで、不二家のカントリーマアムクッキーと水を頂き、頭痛薬も一緒に飲む。練習不足なので完走は到底無理。でもせめて、ハーフまでは走り、霞ヶ浦を見てからリタイヤしようと思っていました。
  ←15km?のエイドに、蒸したさつまいもがあった。大喜びで加速して飛びついた。ボランティアの方々に感謝。
    
  ↑さつまいも!               ↑18km付近
 小雨が降ってきたので、ポリ袋を着たり脱いだりしながら走る。それも面倒になり、マントのように襟元で結び、寒さを防いだ。15km以降は、2.5kmごとに給水所とトイレがあり安心でした。17.5km地点で仮設のボックストイレに寄りました。
 
   ↑なだらかなアップダウンあり           ↑20km付近
 だいぶ人影もまばらになってきました。やっと20kmまで来ましたが、2時間20分位だったと思います。12時も回り、お腹も減り脚も痛い。ストレッチをする。まだ霞ヶ浦は見えない。

 
   ↑21km 資料館                 ↑中間点
 お城を左折した所。「あのお城は何ですか?」と尋ねたら「郷土資料館です」との事。中間点にたどり着いたのは、12時半過ぎ。脚が上がらなくなってきたが、同行の皆さまがゴールする2時までは、走ろうと決める。
←もえ〜の
おねえさん


皆とのふれあいを大切にしながら、ひらひらと可愛らしいランです。時間内完走したのだから偉い。写真掲載ご容赦!
↑唯一のヘアピンカーブ
 坂を下ると、コースは急に鋭角に曲がります。お寺や観音様を過ぎると、霞ヶ浦が左手に見えてきます。
 
 右足の小指に豆ができたので、救護車の方からバンドエイドを頂く。シューズを脱いでみると、5本指ソックスを親指と小指を逆に履いていた。朝寝ぼけていたのでした。
 
    ↑霞ヶ浦に沿って                  ↑笛や太鼓の応援
 脚が痛くて、歩きが時々入るようになりました。周りの人影もまばらですが、笛や太鼓の慰めもあって、何とか前に進みます。出島?公民館と読めます。この付近は霞ヶ浦に突き出た半島のような地形なので、出島というのでしょうか?それにしても、応援や私設のエイドが多い大会です。暖かいお茶や梅干、漬物もありました。
 
    ↑24kmレンコンの田んぼ            ↑救護車
 遠くに土浦のビル街が見えてきました。この頃から頻繁に、救護車がゆっくりと私を見ながら、横を走っていきます。もはやここまでと乗り込む人や、エアサロンパス?を脚に吹き付けてもらう人もいます。
 救護車は5kmごとに待機していますが、流しの救護車も数台いるので、道端で待っていれば、すぐに乗せてもらえます。お医者さんが乗っている車もありました。いつでもリタイヤOKなので、35kmまで頑張ろうと決めました。
 
     ↑バナナが多かった                    ↑30km
 エイドにバナナオレンジが登場。お腹がぺこぺこだったので、私はバナナを合計3本位頂きました。ウキキ〜。リンゴも美味しかったです。30kmで午後2時を回っていました。
 同行の皆がゴールする時間なので、気持ちは急くが進まない。歩くと走りのペースに乗るまで、脚が痛いので、遅くてもなるべく走ることにしました。周囲の人は歩き7割、走り3割になっています。
 30km手前には、コース沿いに崎浜横穴古墳群があり、貝塚層に横穴が掘られていました。牡蠣殻がびっしりと層になっていて、触ってみると柔らかでした。何とか気を紛らわしながら、35kmをめざしました。
 脚はパンパンで、最後の1キロが10分位かかりました。もう限界でした。時間走の練習をしなかったのだから、これくらい苦しむのは当然です。でも、ここまで走れるとは思っていなかったので、満足していました。
←やっと、35km地点に着きました。午後2時50分。この先200m位にエイドと救護所があり、そこでリタイヤを申告。車に乗り込むと、係りの方がすぐ発進して下さいました。すごい待遇だわ〜と感激。よし、これで早く戻れる!
 あと、ゴールまで7kmなので、車なら15分位で運動場まで送って貰える、と思っていたら・・・・しかし、それは大間違いでした。
 車はコースから外れ、10マイルの分岐付近の大通り沿いに停まりました。そこにはバスが大小計3台待機していました。「人が一杯になったら出発しますので、少し待って下さいね」との事。今年は暑くない為、リタイヤも少ないと係の方が話していました。そうでしたか・・・・。制限時間6時間という、遅いランナーに配慮のある大会。それだけでも感謝しなくちゃ。
 でも、同行の皆さまは、とっくにゴールして待っているはず。弱ったなあ。タクシーを呼ぼうかとも思ったが、係の人にお願いする事もできず、25分待つ。3時半にやっとバスが出た。カメラよりケイタイを持って走るべきでしたし、もっと早くリタイヤ申告すべきでした。

 バスはグランドまで10分余りで到着。車窓から、ゴール近く40km付近で、桃色ミニスカ嬢がけなげに走っているのが見えた。係の人が無線で「ゼッケン0000番、もえ〜のお姉さん発見しました。時間内に合いそうです、どうぞ〜」と報告しあっていた。大会本部でも話題になっていたようです。

 Tシャツを貰い、急いで荷物置き場に戻ると、留守居役のK山さんがにっこりとお出迎え。他の皆さんは、私の戻りが遅いので、完走すると思われたのか、ゴール付近で待っておられるとの事。わあ〜申し訳ない!!M神様、A部さん、S木さん、M井さん、Yさん、スミマセンでした。
 全員集合し、会場を後にしたのが、午後4時過ぎ。夜の森公園の夜桜を見ながら、仙台着は夜9時過ぎでした。最後になりましたが、M神様、往復の運転有難うございました。今回も神様のよろこび組に入れて頂き、幸せでした。
 注:M神様=M仙人
                 ※練習期間1ヶ月 練習距離70km



●第24回東北ブロック新春マラソン

2006.1.8(日)  参加費: 一般、フル・ハーフ、3500円
     参加賞: タオル、バーム缶、豚汁、小冊子「ランナーのためのスポーツ栄養学」

 8時から受付で、8時30分に会場に行くと、やはり駐車場は満車。閖上朝市の車も多く、名取から閖上までの一本道が渋滞していたのだ。迂回して脇道から閖上港まで来るべきだった。

 今年は、9時スタートを受付にて申告。あと30分しかない!サイクルスポーツセンターの3階の畳の更衣室で手早く用意。集合したスタート地点で、10分前に再度9時スタート者がチェックされる。5時間以上かかりそうな人だけ、1時間の繰上げスタートが許されるのだった。
 私は10時出発だとゴールが3時半になる。その頃には、走る人影もごくわずかで、松林は夕闇も迫り寒い。大会関係者も早く帰りたいだろうな、と思うと呑気に走って(歩いて)いるのが申し訳なくなる。繰上げスタートは、遅い参加者にも主催者にも好都合なのだ。
 スタート前に、南仙台走友会のM井さんとT田さんに挨拶を。約30人位だろうか、1時間早く、9時に走り始める。

 スタート直後に、2.195kmを先に走ってから、1周4キロの、舗装のサイクリングロードを、10周する。この日は、仙台の最高気温-0.4℃だったらしいが、風が無く、時折晴れ間がのぞく。去年は後半寒かったので、シャツとタイツを2枚重ね着し、ベストのウィンドブレーカーを着用。念の為、エイドの付近に長袖の羽織れるものも用意。昨年よりはずっと暖かい。2周したら、暑くなったので、ベストを脱ぐ。

 練習不足なので、行ける所までを目標にする。1周4キロを30分かけて走る。1〜6周まではこのペース。昨年は7週目に冷えてトイレに駆け込んだので、今年は4周後の余力のあるうちに、トイレを済ます。疲れると食欲が無くなるので、早めにおにぎりを食べる。足も疲れてきたので、痛くなる前にと、頭痛薬も飲む

 私設エイドには、昨年より少なく、おにぎり小2個、餡ドーナツ10ヶ、板チョコ、のど飴、ホット緑茶、ホットココア、ダカラ、みかんを置く。実際食べたのは太字のみで、あとは、大会からのバナナ1本分。今回良かったのは、魔法瓶のホットココア。甘いし暖かいし、これでかなり元気がついた。

 去年の失敗をしないように、ゼッケンも間違いなく切り離し、あと何週かを把握。しかし、やっと半分まで来た時点で、もう既に脚が痛い。あと5周も・・と思うと気が重い。M神さま、T田さんには2周も抜かれる。
 残り4周目が精神的に一番苦しかったが、脚のストレッチでなんとか続行。残り3〜2周は、2キロごとにストレッチをして、クリア。但し1周35分かかる。長く辛い道のりだったが、あと2周になると、たどり着いた喜びもわいてきた。

 そういえば練習は、一ヶ月前に風邪をひいてから、3週間中断。年末年始の休みに、4日程軽くジョギングと山登りをしただけ。昨年は直前に体調不良だったので、それだけは避けようとひたすら休養。練習はほとんど無し。ここまで走れたのが、不思議なくらいだ。あと2周、昨年はここでリタイアしたのだ。

 よし、今年は何とか、歩かないで完走しよう!と思うも、脚は益々重い。雪も降ってきた。寒いので、長袖のウィンドブレーカーを着る。よ〜し、ここからが根性の使い所。頻繁にストレッチをする。今回は最後に、なぜか「トルコ行進曲」が頭を流れ、私をひっぱってくれた。

 最後の1周は、やはり消化能力もなくなり、口に入れたひとかけのチョコがなかなか溶けない。気持ちも悪く、フラフラ状態。前後に人影も無いので、あと3キロ、あと2キロと、声に出して自分に喝を入れながら走る。かっこ悪いなあ〜。これじゃ、安達ヶ原の鬼婆だわ。トホホ。
 ゴールの500m手前で、少し息を整え、最後のストレッチをする。ギャラリーもいるので、姿勢を正してゴールしたかったのだ。

 そして、や〜っとゴール。タイム計測の方々が拍手で迎えて下さった。「有難うございました。遅くまでご迷惑お掛けしました」と一礼する余裕がまだ残っていた。ゴール後10分ほどで、豚汁もしっかり食べ、自分で運転して岐路につきました。満足。

 タイムは、5時間28分30秒。歩いて完走した時と同じタイムだった。時間の進歩は無いが、途中に歩かなかったのは初めてだったので、嬉しかった。
 今回、練習もせずに、歩かないで完走できたのは、頭痛薬のおかげだと思う。本来はもっと脚にダメージが来るはず。それと、1週間前は練習せず、風邪をすっかり治して体調を整えたことと。1週間前に5時間の登山をしていたこと。以上3点。
 なまけものならではの攻略方法だった。また、去年のリタイアの反省が、かなり生かされたとも思う。

 今後は、もっとマジメに練習して、時間の短縮をしてみたいと思っています。
 
   
↑2時半頃のゴール付近は閑散としているが       ↑大会本部の階段で表彰式が
残り40人が、まだどこかを走っている
                      行なわれる

   
↑主催者設置の給食                   ↑完走後の豚汁。 環境に配慮して
バナナ、かりんとう、チョコ、飴など               お椀は使い捨てでない樹脂容器です


 第23回東北ブロック新春マラソン  ←2005年の大会のようす





●第18回阿武隈リバーサイドマラソン

2005.11.6 (日) 参加費:一般、ハーフ、10キロ、5キロ 2500円
  参加賞:Tシャツ、そば、ドリンク1本 給水所:5`、11`付近の2箇所、水とスポンジ

 マイカーで角田市総合体育館へ。駐車場は体育館に隣接した、あぶくま川沿いの草地。立派な陸上競技場や野球場もある、総合運動公園です。

 市をあげてのイベントのようで、体育館の壇上の来賓がすごい人数でした。スポンサーのアイリス大山の社長さんには、競技者から一段と大きな拍手。競技後のお楽しみ抽選会は、アイリス製品が景品として沢山出されるからです。

 競技は10時スタート。私はハーフにエントリー。16kmの足切関門通過が1時間35分なので、キロ6分以内で走らなければならない。遅い私には、ハードな関門。練習不足なので、16km完走を目標に走り出した。

 5キロが35分もかかり、これはまずいと思うが、10kmも1時間5分。12.5kmの関門は1時間15分過ぎ。あと3.5kmを20分で走るのは無理な話。ともかく16キロを歩かないで完走しようと思い、マイペースでかんばる。関門の橋の手前で1時間35分は過ぎてしまったが、歩かないで橋を渡った。7分オーバーで到着。※第1関門は1時間10分で通過しないと、第2関門通過が難しいことがわかりました。

 関門には、足切者を収容する車とスタッフがスタンバイ。「残念ですけど、どうぞ。具合悪くありませんか?」と声をかけられる。私のあとから来た方も2名いて、ホッとする。車には4名乗せられた。
 若いスタッフのご配慮で、走れなかった残りの5kmのコースを見せて頂く。車中で他の方は、収容されたのは初めてのようで悔しがっていましたが、私は2回目なので慣れたもの。でも、こういうのに慣れちゃいけませんよね。願わくは、あと5分、関門の通過時間を延ばして欲しいものです。

 体育館に12時10分に車で到着。去年は、完走したものの、遅くまで走っていたので、参加賞のうーめんが品切れになったことを思い出し、着替えて、すぐ引き換え所に向かう。今年は、ネギ入りそばでした。昨年の反省が生かされ、最後にゴールした人にも、そばが行き渡ったようです。
 角田の大会は、毎年沿道の応援も多く、多くのボランティアの心のこもった大会、といった印象を受けます。

 最後のお楽しみの抽選会は、いつもながら当たらず、入賞した友達の賞品の運搬を手伝いながら、家路につきました。いつも、角田特産のりんごを買って帰りますが、遠方からの参加もあることなので、特産品の販売コーナーをもっと充実させたら、角田市のアピールや、町おこしにもつながるのでは、と思いました。
 希望としては、野菜やお惣菜など。女性の参加も多いので、夕飯のおかずが売っていたら助かりますので是非。また、マラソン三昧のお父さん達も、奥様へのゴマすりに、お惣菜のお土産は欲しいのではないでしょうか。

 ※練習期間1.5ヶ月 練習距離93km




●第23回東北ブロック新春マラソン

2005.1.9(日)  参加費: 一般、フル・ハーフ、3500円
            参加賞: タオル、バームゼリー、豚汁小冊子

 10時スタート、8時から受付で、8時45分に会場に行くと、駐車場は満車。閖上大橋の左手、港と松原の間の広場に誘導される。凍った日陰の道を300m程歩いて、受付へ。
 サイクルスポーツセンターの3階の和室が更衣室になっており、トイレは2階3階とも使えた。スタート地点では、福島のY子さんと再会。うれしい。

 スタート直後に、2.195kmを先に走ってから、1周4キロの、舗装のサイクリングロードを、10周する。5キロなら計算しやすいのになあ。ぼやきながら、ラップをシュミレーションしておけばよかった、と思ったがもう遅い。
 気温1.7℃。寒い!今回は手袋をする。私設エイドには、大量の食料と飲み物を準備。(おにぎり2個、ドラ焼き5つ、パン1個、大福1ヶ、餡ドーナツ10ヶ、板チョコ、のど飴2袋、ホットコーヒー、バームドリンク)ハイキングじゃないんだから、ちょっと多すぎかな。(実際食べたのは大福とチョコ少々)
 
 スタート直後に、南仙台走友会のM井さんが、追い越しながら声をかけて下さる。あれ?何で私の後ろだったの?と思ったら、何と9時にスタートなさっていた。フル完走が5時間以上かかる人だけ、9時スタートが許可されているはず。早いのに何でかなあ?と思っていたら、宮城UMCのK合さんも、9時から組で、エイドでお会いする。私こそ、9時からにすればよかった・・・と気づくが、寝坊したので、あとの祭り。
 
 1〜6周までは、4キロ25分のペースを守る。前日は吐き気と腹痛で、夜7時に寝ていたことを思えば、ハイペースだったのかも。案の定、7周目から、失速し始める。走るのが遅くなると、体が冷えてお腹が痛くなる。ううっ、またトイレだ〜〜!!
 何とかセンターのトイレに間に合う。ここで15分ロスする。

 と、同時にとんでもない勘違いに気づく。一周走るごとに@からHと記されたゼッケンの端を切り取って、回収箱に入れるのだが、Gを渡そうと、ゼッケンを見ると、C周目の切れ端も残っている!えっ?何で〜?
 あらら、内側に折れて残っていたのだ。と、いうことは、あと何周走ればいいのだろう???
 ガ〜〜ン!!あと2周と思っていたのに、あと3周もあるョ〜〜!!何かの間違いか?と思うが、そういえば予定の完走終了時刻には、早すぎるような気も。疲れて頭が働かず、計算もできない(もともとできない)。

 まあいい、とりあえず、走ろう。歩いているのと同じ速さだが、今回は歩かないで完走が目標だったので、走る体勢を保持する。脚が痛いので、ストレッチをすると、何とか走れたが、8周目は40分もかかる。
 走りながら、私は楽天家なのか、もしかすると、HGCと残って、今Cを渡し終わったから、残り2周かも?と思う(おバカだ!)。苦しんで一周終わり、Gを渡して、Hだけになった時、係りの人から、あと1周ではなく、「あと2周、頑張って!」と言われる。やっぱり・・・。ショックは大きかった。

 でも、この時、もうゴールされたK合さんから「寒いから何か着たほうがいい」とアドバイスを受ける。なんとか頑張ろうと思い直し、上着を更衣室に取りに行き、またコースに戻る。
 しかし、着ても寒い。そしてコースには、人影も少なかった。あと2周も歩かずに完走する自信がなかった。体調は悪いし。明日も仕事が山積みだし・・・。歩くのなら「やめよう」と思った。34キロでリタイヤを申告する。

 食欲は全くなかったが、配布時間2時までと記されていた「豚汁」が2時半にまだ残っていたので、少しだけよそってもらう。M井さんや、Y子さんはもうゴールして帰られたようだったので、私も車に戻る。

 フル完走は、自分にはまだまだ茨の道であることを、又しても思い知った。完走できる脚力がないのだ。でも今回は、か弱い私にしては、かなり練習を積んでの結果だったので、それなりに手ごたえや収穫は得られたように感じた。

 その日は、早めに就寝し、次の日に備えた。完走を諦めたからには、仕事は完遂するぞ!と思い、奮起して仕事は納期に間に合った。これで良かったのだ、と思った。
  
  ★反省点
  • 大会直前にハードな練習をしない
  • 大会当日までの健康管理
  • 当日の寒さ対策
  • 食欲が無い時の食べ物対策
 ※練習期間約一ヶ月 練習距離113km

 第22回東北ブロック新春マラソン  ←2004年の大会のようす




●第17回阿武隈リバーサイドマラソン

2004.11.7 (日) 参加費:一般、ハーフ、10キロ、5キロ 2500円
            参加賞:Tシャツ、ウーメン、ドリンク1本

 今回は電車で会場へ。槻木駅から初めて阿武隈急行に乗った。福島までどこで乗り降りしても600円のチケットを求める。ローカルないい雰囲気のテープのアナウンス。車窓からは、紅葉した木々。残念ながら蔵王は霞んで見えない。

角田駅→     ←シャトルバス

 角田駅は新しい駅ビルで、宇宙ステーションをイメージさせるような洒落た建築。採光のいいホールもあって、朝から野菜などの地場産品が販売されている。新鮮なので、つい釣られて買ってしまう。駅前にはシャトルバスを待つランナーが約10名位集まっていた。バスがなかなか来ないので、心配になる。8時55分まで受付なのだ。8時半になってようやくバスが来て、7〜8分で、角田の体育館に到着。

 受付は、体育館内にあり、9時には開会式が始まる。衆議院の西村さんも来賓挨拶をした。仙台にドーム球場を作りたいとおっしゃっていた。エースのmさんを見つけ、一緒の場所に陣取る。少し体操をしてスタート。

   
 ↑東根橋を渡って振り返る   ↑10キロ地点       ↑18km枝野付近、左奥が深山か

 いい天気だ。あまり暑くは感じなかった。5キロ地点でビリで、30分経過。このままでは、関門通過できないので、ピッチを上げる。息が切れて、あと15kmもつか不安になる。10Kmでは、58分。12キロの第一関門は1時間10分で通過。セーフ。
 16キロの第二関門の1時間35分まで、あと4キロ、残り時間25分だ。ペースは落とせない。3人抜いたと思うが、もう他のランナーなど気にしている余裕はない。自分の事で精一杯だ。沿道の声援に答えるのもやっとになってきた。

 1時間20分で、第二関門の枝野橋が見えてきた。今年は大丈夫かと、ホッとするのもつかの間。ここからが長く、なかなか橋にたどり着かない。時計を見ると、橋の手前で1時間32分になってしまった。3分あれば橋は渡れるかと思ったが、甘かった。橋が長いのだ!もしダメでも頑張った結果なのだから仕方ないかと、橋の途中で弱気になったが、諦めないで最後の力を振り絞った。
 ともかく関門を通過したい一心で、よろけながらダッシュ。うっ、不覚にも吐きそうになる。やっとこらえて橋を渡りきると、もう35分になってしまっていた。懇願するように、行っていいの?と係の人に聞くと、OK!とのこと。やった〜!関門通過!息も絶え絶えだったが、うれしかった。

 私が最後の関門通過者となる。ここからまた後尾車を後ろに従えての一人旅。ふらふらだったが、初めて走ることを許されたコースの景色に感動していた。息切れを立て直すのにしばらくかかる。関門の16キロからは、ぐんとペースが落ちる。今度は歩かないで完走することに目標をおく。マイペースで走っていたが、前の3人に追いつく。
   
 ↑再び土手に出る残1.5km  ↑左手が体育館残1km    ↑グランド入口、残400m

 2時間経過。再び土手に出ると、「あと1.5キロ、頑張れ!」と係の人の声援。もう体育館は見えているのに、あと1.5キロもあるの?気持ちが萎えたが、最後だと思い直しがんばる。体育館の敷地内を走り、グラウンド1周する。最後の400mは長かったが、トラック内は弱った足にも走りやすく感じた。2時間13分30秒でゴール。ビリから3位。ビリじゃないし、完走もできたので満足だった。

 でも、ハーフは甘くないと痛感。去年は2ヶ月毎日30分走っていて完走できなかった。だから今回は、60分走も数回プラスしてみたが、それでも関門ギリギリだった。足は疲れなかったが、呼吸が苦しかった。スピードが足りないのだ。目標のフルマラソン完走には、道のりがはるか〜に遠いことを実感した日でした。
 エースのmさんはまた2位入賞で、アイリス大山の1.2mの棚を実力でゲット。私はお楽しみ抽選にも漏れ、駅で買った野菜を持って家路につきました。

 追伸:心残りだったのは、参加賞の「うーめん」が品切れで、食べられなかったこと。来年は、最後のランナーにも行き渡るよう、お願いします。これが楽しみで、走ってるんだから、たのんますう。

 第16回阿武隈リバーサイドマラソン  ←2003年の大会のようす

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ★阿武隈急行割引切符

  「阿武隈急行の日」割引乗車券があり、福島から槻木間、全線1日限りフリーという切符。値段は600円!乗り降り自由。4月から12月まで、毎月第1日曜日、10月14日(鉄道の日)、元旦、に限り販売される。
 尚、切符を呈示すると、角田駅のカフェではドリンク50円引き、福島の卸町駅内のそば処で、ドリンクがサービスになる。
 JR槻木から乗り換えて、ゆっくりの旅OKなら、福島まで往復600円だ。通常は片道、槻木→福島は940円。槻木→角田は380円だから、今回は往復で160円のお得でした。





●第18回日本海メロンマラソン

2004.8.1(日) 参加費:一般、ハーフ、10キロ、5キロ 2500円
           参加賞:若美町特産メロン2個、ドリンク1本

 ともかくメロンが食べ放題というのに釣られ、参加をしました。開催地が遠方で、スタート時間も8時からと早いので、大会前日の土曜日に仙台を出発。
 北東北乗り放題のチケットを有効利用しよう、ということで、遠回りして、東北道を北へ。鹿角八幡平ICから、尾去沢マインランドに行き、13度(寒いくらい)の坑道跡を見学。大館を経て、国道7号線から能代に出て、昭和男鹿ICへ。

 男鹿のスーパーで食料の買出しをして、薄暗くなってから、若美町の館山近隣公園に到着。大会会場には、もうテント村ができていた。我々もすぐさまテント設営、食事の支度をして、宴会となる。皆さん慣れているので、設営が迅速なこと!(早くビールが飲みたかった?)

  
↑尾去沢マインランド   ↑男鹿グランドパークにて宴会 ↑朝食、木の向こうがゴール

 しかし、ともかく暑〜い!のには参った。何をするにも汗だくとなる。そのうえ風もない。後日調べたら、7/31は18時で31.1℃、8/1の夜中2時が25.2℃。朝7時に早くも27.4℃、11時が最高で33.2℃だったそうだ。(隣の大潟村の記録)暑いはずだが、同行の皆さまは人間ができているので、誰も「暑い」とはおっしゃらない。
 私は軟弱なので眠れず、耐えられなくて、夜中に公園の水道で頭を洗った。さすがにスッキリした。少し眠ったようだ。

 5時前に起きるが、朝から猛烈な暑さ。快晴。6時にはもうかなりの大会スタッフが公園に来て、開会の準備を進めている。メロンもトラックで運ばれてきた。
  
↑バスで移動          ↑5キロスタート地点     ↑田んぼの中のコース 

 朝食後、5キロの参加者は7時45分に集合し、バスで町内の学校に移送されて、そこからスタートとなる。暑さでぼ〜っとして、時計のスタートボタンも押さずじまい。
 我が救世主のH山さんに、ペースメーカーになって頂き、ひたすらその後ろに付いて走る。♪あ〜ちっち、あ〜ち、燃えてるんだろうか〜♪(郷ひろみ)寒い歌は多いが、暑い歌は思い浮かばない。

  
↑寒風山左に見て走る    ↑庭先のノウゼンカズラ   ↑あと2キロの表示

 寒風山さえ、暑苦しく見える。気が付くと、最後尾になっていた。ここでは、交通規制していないので、車にとって遅いランナーは、はなはだ迷惑となる。それに気付いて道を避け、歩道に寄ると、車はスーッと追い越していく。
 若美町の役場の前で、待ちかねた給水所があり、ホッとする。5キロにも、給水所があって助かった〜!お水だけだが、生徒さんから渡された紙コップの水を一気に飲み干す。

  
↑若美町役場前         ↑給水所             ↑最後の坂

 相変らず最後尾だったが、最初飛ばしてバテた学生さんたちが歩きだしたので、独り旅にはならずに済んだ。もう一つ嬉しかったのは、沿道で庭からホースを引いて、ランナーに散水をして下さった方がいらしたこと。よし、ラスト頑張ろう!と思ったが、公園に入る前に坂があり、くじけて歩いてしまう。

 5キロを、40分位かけて、やっとゴール。ドリンクを頂き、噂のメロン配布テントに行くが、頂いたメロンを食べる元気がない。ドリンクだけ飲んで、木陰で休養。
 同行の10キロのランナーを待つうちに、やっとメロン欲が出てきた。皆さんテントの前で、メロンをむしゃむしゃ食べている。私も5〜6回はもらう。配布係の女性は4人なので、行く度にもらう人を変えた。メロンは12等分程で一度に2切貰えるから、メロン1個分にはなっただろうか。(いやしい系の本領発揮!師匠が居てくれたら、もっと過激になったと思う)
 最初、切ったメロンは持ち帰っても美味しくないと思っていたが、SS木さんが氷をもらってきて下さったので、クーラーボックスに入れた。義母の喜ぶ顔が目に浮かぶ。(これでよし!形はどうあれ、気持ちが通じればいいのだ)それに参加賞のメロン(2個箱入)もある

  
↑ゴール手前公園内の応援   ↑夕日温泉WAO     ↑参加賞のメロン

 表彰式の後、テントの撤収をし、お待ちかねの「夕日温泉WAO」に300円で入浴。午後2時半に若美町を出発し、途中休憩一回で、8時過ぎに帰宅した。
 家に帰ったら、家人がまだ起きていたので、ラップで包んだメロンを出した。案の定、喜ばれた(家族全員いやしい系なのだ)。まだ冷たくてけっこう美味しかった。でも家に持ち帰ったのは私だけなので、同行の皆さんに悪いなぁと思った。皆さんすみませ〜〜ん。

前沢SAでの休憩の際、コーヒー無料券をしっかり消化。そういえば、今回外食はせず、H山農園のトウモロコシ、♪キュウリ、トマト〜♪や、持ち寄りのパンや飲み物などで済ませた。ポットを持っていくと、SAの無料のお茶も活用できる。
 夕食は手作りカレー、ご飯はレトルトパック。朝は正しい日本の朝食を頂きました。皆さんの創意くふうで、正統アウトドア食になったと思います。

マラソン会場にテント泊というのは今回が初めてでした。木陰が多い芝生の公園で、マットなども敷いたので、暑い以外は快適(蚊取り線香、虫よけスプレーも効果あり)。トイレ、水場、メロン配布所、駐車場ともに近い場所に設営したので、何かと便利でした。別称「男鹿グランドホテル」とも呼ばれております。
 でも、秋田の暑さは半端じゃないです。女性3名には、衝撃の公園デビューとなりました。(でも楽しかったですよ〜〜)

..................参 考...................

   ★遊遊北東北スーパー割引3DAYSチケット

 仙台近郊の発着エリア(仙台南〜若柳金成IC)から、周遊エリア内なら、三日間乗り降り自由。東北道は一関から青森まで、八戸道は全線、秋田道は能代南、岩城ICまでの区間が、乗り放題。普通車11000円。大きなSAの売店で買える。
 尚、SAでのコーヒー2杯無料券付き。さらに、エリア内の優待施設の割引が受けられる。
 我々は、正規の高速料金料金は、12500円だったので、高速代1500円がお得。コーヒー代、588円無料と、尾去沢マインランドの入場券(一人100円引き)600円割引となり、二日間で合計2688円を得したことになります。
 でも、高速道以外の道も入れて700キロを超える走行距離でしたので、運転担当者にはご苦労をお掛けしたと思います。お世話様でした。




●第1回 ENJOY JOGGER IN みちのく (サポート)

2004.7.3(土) 参加費:一般、36キロ、56キロ 1000円  

    ※サポート(給水ボランティア)の感想です。

 朝5時に起床。氷や飲食物、クーラーボックス、キャンピングテーブル、青シート、段ボール、ゴミ袋などを車に積み込む。6時30分、三井アーバン隣のローソンに到着。
 皆さん既に集まっています。発起人のDさんご夫妻はじめ、スタッフの皆様は忙しそう。私は、3時半に出てこられたという、猪苗代のTさんという女性とのん気におしゃべり。
           
      ↑集合するランナーズ          ↑水辺の風景と奥さま

 7時のスタートを見送って、荷物の積み込みなどを忙しく手伝う。すぐにK合さん、Y野さんと一緒に、中山観音近くの、うどう沼のエイドステーションの設営に向かう。
 うどう沼のロケーションは良好。あずまやにベンチ、トイレありの小さな公園になっている。K合さんは町内会長さんに使用許可を取られるという、念の入れよう。
 あとから、近くにお住まいの美しい奥様とお友達ご夫妻が、朝からにぎったおむすびを運んで来られた。その他にお手製の漬物や、フルーツ、パン、ウーロン茶、味噌汁など。それに沢山のお湯、水、氷の準備は、さぞ大変だったことだろう。たぶん睡眠時間を削っておられるはず。

  
 ↑忙しく働くスタッフ     ↑おにぎり・漬物・果物    ↑パン・飲み物

 7時半から設営開始。完了は8時40分。朝食エイドなので、割と時間かかってしまう。準備できてホッと一息つくと、もう近くまで走ってきているとの事。「あ〜来た来た!」の声。
 写真班のT野さんがカメラを構え、数名で30人のランナーの皆様をお出迎えする。私はおしぼりを渡した。満足度はともかく、量的には皆さんのお腹を満たしたようだ。慣れないので、不備な点はご容赦頂くしかありませんが、中山エイドは皆一丸となって、頑張りました。

  
 ↑お疲れさま〜                   ↑ 休憩する人々 ↑

 皆さんが出発すると、すぐに撤収。今度は次の泉が岳エイドに向かう。途中ジャスコに氷の補給に寄ったら、小さな鉢植えの花を入り口で手渡される。ボランティアをしたおかげかな、と皆にっこりしてシッカリもらう

 泉ヶ岳に向かう途中、根白石あたりで参加ランナーに次々に声を掛けながらの走行。車の往来が激しいので、路肩に停車するのもけっこう気を使う。それにしても、ランナーの皆様はタフですねえ。炎天下なのにあまり疲れた様子もなく、淡々と歩を進めている。泉越えをして本当に作並まで行くつもりなのだろうか。(信じられない世界に皆さんお住まいのようです)

 泉ヶ岳エイドに着くと、T野さん、D香さん、S木さん、と猪苗代のTさんが、準備万端で待機しておられた。要らないかなと思いながらも持ってきた、キャンプテーブルも役に立ち、おしぼりも誉められたので、ホッとする。
 ここでの人気は、S木さん特製のしそジュース、仙台名物の笹かま、ずんだ大福でございました。遠方から参加された方々へ、D香さんのご配慮です。

          ←泉が岳エイド(後ろは泉ヶ岳)

 11時になったので、数名の到着をお出迎えしただけで、私だけ先に帰ってきました。まだ、山中で虫に刺されながら、待機しているスタッフも居られますが、すみません、時間なので仕方ありません。
 車を返す途中、泉ヶ岳の長い上り坂を懸命に挑んでいるランナーに、敬意の声援を送りながら、家路につきました。

 大会のサポートは初めてでしが、楽しい経験でした。皆様から元気を頂いたような気がします。お誘いくださった呼びかけ人のDさんご夫妻に感謝です。
 サポート隊は、コースの目印や旗の設置、撤収など当日の仕事も多く、大変だったと思います。ほんとうにお疲れさまでした。

 ※お写真の無断掲載どうかご容赦下さい。不都合あれば、対処します。
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  ●コース、時間 
 勾当台公園〜青葉城址〜中山観音様〜泉ヶ岳〜大倉ダム〜作並温泉
 定義までの約36キロ、作並までの56キロコース。 7時〜16時

    <共催> 宮城UMC・南仙台走友会・仙台鉄人会




●第3回果樹王国ひがしねさくらんぼマラソン大会


2004.6.6(日) 参加費:一般、5キロ 3000円  
            参加賞:Tシャツ、さくらんぼ8粒、おにぎり2ヶ、ドリンク2本


 朝7時に車で拾って頂く。会場の陸上自衛隊神町駐屯地には、南仙台から1時間半弱で到着。スタートが10時5分なので、8時半に到着すると準備に余裕がある。
 女子更衣室は駐屯地内の体育館で、そこで貴重品も預かってくれる。シャワーが無いのが難だが、体育館には畳も敷かれていている。トイレは簡易のボックスタイプ。ボランティアも大勢で体制万全。予想外に大きな大会でした。
 ゆっくり支度を整え、スタート地点に15分前に並び、準備体操少々。会場からは県境の山なみが眩しく見える。朝は気温20度であったが、日も照って暑くなってきた。ただ、からっとした風があり助かる。

  
  ↑ゴール付近      折り返し地点         ↑ 給水所 

 いつも通り最後尾からのスタート。人の波がばらけてから、徐々に前に進んでいく。3週間程、ほぼ毎日30分練習していたので、少し精神的に余裕があった。1キロで時計を見たら6分。私的には早過ぎと思ったが、5Kなので行ける所までと、そのままのペースを保つ。
 2キロ手前で、もう折り返しの先頭ランナーがやってきた。そのうち、ゲストの有森裕子さんも皆とタッチしながら走ってきた。ミーハーの私はすかさずタッチ!元気をもらって、折り返し地点到着。参加者も多いので、走路妨害にならぬよう、「写るんです」で撮影。
 給水所は5キロには1ヶ所で、水とスポーツドリンクとスポンジ。このあと、だんだん疲れてきて、ゴールのゲートが待ち遠しく思われた。ほぼ平坦なコースだが、復路の駐屯地内はごくわずかな登りのように感じた。

 最後はダッシュし、息を切らしてのゴール。こんなに真剣に真面目に走ったのは初めて。目標の30分以内はクリアしたようだ。今回もアナログ時計で計測。過日、セイコーのスーパーランナーズという腕時計を買ったのに、取説の文字が小さくて膨大だったので、解読にめげて使用不能なのだ。 (^_^;) こういうのを「豚に真珠」というのだろう。
 ゴール後ゼッケンについたの計測チップを外してもらい、賞状受取所に並んで記録を受け取る。見ると27分40秒。わ〜い!ヽ(^o^)丿自己ベストだった。

 同行のエースのMさんは、23分台で4位。さくらんぼ箱獲得。私は参加賞でさくらんぼ8粒ゲット!それでも去年より多いらしい。心優しいMさんは、私にさくらんぼを分けて下さったので、私も家族にお土産ができました。(*^^)v
 昼食は、大石田のそば街道で、おそばを食べて帰りました。

             
     ↑エースのMさん4位入賞       参加賞です

※帰路は48号線で、関山峠から仙台方向の渋滞に巻き込まれた。秋保に抜ける道路も渋滞。運転のMIさんは、Uターンして駒ヶ根から定義に向かい、定義仙台線で折立に出た。これが大正解!早く帰宅でき、ホッとしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ★参加申し込みに関するお問い合わせは・・・
         「エントリー事務局」 TEL0120−711−951
    ★大会に関するお問い合わせは・・・
         〒999-3795 山形県東根市中央1-1-1 東根市役所
         「大会実行委員会」 TEL0237−43−1158




●第7回東京・荒川市民マラソン

2004.3.21(日) 参加費:一般、フル 4,000円  参加賞:Tシャツ、ドリンク2本

 前日11時からにエントリーできるので、東京レディース切符で、朝7時8分仙台出発。京浜東北の赤羽で乗り換えて、埼京線浮間舟渡で下車。駅からゆっくり15分歩いて、会場の荒川の河川敷には、10時45分着。

 東京は桜の開花宣言したというのに、あいにくの氷雨。手袋が欲しい。受付を11時に済ませ、Tシャツとゼッケンとチップを受け取る。「明日は晴れますから、頑張ってね」と受付で励まされる。広い河川敷には、数十の白いテントが設営されている。荷物置き場と、トイレを確認して帰る。

 東京では、親戚のお見舞いやら、諸々の雑事を済ませる。お彼岸なのでお墓参りの為実家に泊まり、翌朝は三島発6時23分の新幹線で再び東京に。8時15分、会場に到着。スタートは9時。エントリー済みなので、15分前には、スタート位置にスタンバイ。(ここまでは順調)

 ↑荒川河川敷会場         ↑5km地点の橋        ↑パン3種類

 スタート位置は、ちょっと背伸びをして4時間台の所にいたので、それでもチップが反応するまで10分以上かかった。スタートしても、のろのろ歩くだけ。1万3千人の参加者だと、こうなるのね。でも、だれも知ってる人がいないので、実にのんき。マイペースをこころがける。

 快晴、微風、気温も高くなく、絶好のマラソンびより。河川敷のコースは、橋を一箇所渡るだけで、ほぼ平坦な往路復路折り返しのコース。5km30分を目標に、ひたすら走る。20kmまでは、なんとか目標達成。折り返しの頃から、太ももが痛くなる。ややっ、あと21km走れるのか??と不安がよぎる。


↑10km地点            ↑折り返し地点        ↑和太鼓の応援

 不安は的中。25kmから、脚が上がらなくなる。前を走っておられた、やっとこずのOさんという女性をペースメーカーに、約10kmがまんの走り。が、この10kmで根性を使い果たし、35km地点のシャーベットのテント目前で、ついに歩き始めてしまう。

 200m歩いて、やっとうわさのシャーベットにお目にかかる。オレンジ色とレモン色があり、私は三つ頂く。疲れた心身にしみいる美味しさ!
 トイレにも寄り、さて元気回復!・・・・とは、これがうまくいかないんですねえ。どうにも脚が痛いので、また歩く。そのうちホノルルを思い出し、走りと歩きを交互にしてみるのだが・・・。

 ちなみにこの日のBGMは、前半はサザンの「愛の言霊」、後半になってやっとスマップの「夜空ノムコウ」。どうも私はアップテンポの曲はランニング中はダメで、癒し系の曲が合うようだ。頭の中では、だれかに背中を押してもらい、ザイルで引っ張ってもらっているイメージをしようと心がけた。でも、そういうものは体に余裕が有る時のみ、有効のようだ。


シャーベットだ!       ↑給水所のトイレ       ↑37km地点

 38km付近では、お腹が冷えてきた。ううっ、トイレに行きたい・・・。こんな場所でむぐしたら(方言です)大変!給水所は見えているが、あと500mはある。走りだしたら、とたんに辺りの景色が黄色く変色しだす。それに吐き気!まずい!貧血や酸欠の時の症状だ。
 これは無理したらあかん、と思いへなへなと道の脇にうずくまる。しばらくして「だいじょうぶですか?」と近くに居た大会スタッフに声を掛けられる。「はい、何とか落ち着きました」とやっと答える。

 しばらく休んで、歩きだす。やはりトイレに行きたいのだ。あ〜あ〜、三つもシャーベット食べるんじゃなかった〜、トホホ。
 そういえば、給水所では、バナナはもう2本以上、オレンジ1/2個、チョコ、クリーム、あんパン各一個づつ、その他飴やチョコ、ラムネなど、ずいぶん食べている。私って、本当にいやしい系なんだ、と思いながら、きつくなってしまった、ウエストポーチのベルトをゆるめる。なんとか、お腹は下らず、やっとトイレにたどり着いた。

 ほっとするも、太モモが痛くてもう走れない・・・・。毎日30分走っただけじゃ、フルは走れないことを実感。とぼとぼと歩く。
 ともかくゴールして、早く仙台まで帰らなければならない。まわりは、走りの人はわずかで歩きの人がほとんど。安心して歩いていると、スタッフから、「あと1.4キロだから、頑張って走って!ウォ−キング大会じゃないんだよ」と励まされる。が、走れない。

           
      ↑40km地点              ↑あと1kmの表示

 それでも、最後の200mは、写真撮影もあるので、なんとかよろよろ走り、やっとこゴール。タイムは5時間28分。35キロを、3時間45分で通過し、ゴールまで残り7kmに、なんと1時間45分かかってしまったのだった。

 帰りは、「おはようレディ−ス切符」の復路切符を、実家に忘れたことに気づき、泣きっ面に蜂の状態。大宮から指定席をとり直し、仙台までは病人のように、座席に寝たきりで過ごしました。

 家に着いてからは、夫以外の家族には内緒でマラソンに参加したので、脚が痛くないように振舞うのが、これまた大変!でした。
 でもこんな大変な思いをしても、学習しないんですねぇ。今は、いつか歩かないでフルを完走したいとういう気持ちです。いつ実現するのか、先は見えませんが、♪そーのうちな〜んとかな〜るだろう♪と、お気楽に考えています。

 ※荒川市民マラソンは、給食が豊富で、和太鼓などの応援ブースも各所にあり、スタッフの方々が暖かくて、とてもいい大会でした。救護所では、筋肉疲労を和らげるスプレーも使わせて頂きました。






●第22回東北ブロック新春マラソン

2004.1.11(日) 参加費:一般、ハーフ 3,500円  参加賞:タオル、豚汁

 気温1.6度、風速12mという、寒風吹く中の大会でした。サイクルスポーツセンター4キロの周回コースのため、眺めは良くないが、ペース走にはいい環境なのかも。私は、家から近いのが一番の参加理由です。

 今回は、誰にも知られないでこっそり走りたいと思っていたのが、ゴットMさんや、エイティAさんや、南仙台走友会のMさんもいらしていた。それから、メル友のYさん(福島の女性)も遠路参加でどこかにおられるはず。
 のろまな私は、スタート2分前になっても準備ができず、結局手袋が探せずスタートする。いやあ〜〜激寒!!手が凍える。でも、体調はいい感じで、5キロごとに30分ずつ、コンスタントに走れていた。

 途中走りながら、メル友Yさんに声を掛けられる。初めてお会いしたが、目元涼やかな、平安系の美人であった。HPを見てメールを下さったのが、ご縁。彼女には最近メールで、マラソンに関してのご教授を頂いている。
 今回はフルに参加で、4時間を切りそうな力強い走りだ。富士登山マラソンや各地のウルトラマラソンにも出場なさっている猛者。明るいアネゴ肌タイプ。こういう方と一緒に居ると、こちらも元気になってくるから不思議。

 なんとか、マイペースを保ってのゴール。以前のフルの時は、20キロ手前で既に歩いていたので、初めてのハーフ完走でした。タイムは2時間2分で、ビリではなく、めでたしめでたし。私にしては上出来。
 元旦から3日間、10キロ、15キロ、10キロと長い距離を走っていたのがよかったのかな。あとは、ほぼ毎日3〜5キロのゆっくりながらジョギングをしていたし、やはり努力すると、成果は出てくるものだ、とわかりました。

 フルのYさんは4時間をわずかに超えただけの、すばらしい走りでゴール。すごい人なんだわ〜。お互いに完走を喜びあってお別れしましたが、またどこかで、お会いしたいと思っています。

           
           サイクルスポーツセンター(右の松の向こうは太平洋です)

 





●第16回阿武隈リバーサイドマラソン

2003.11.02(日) 参加費:一般、ハーフは2500円  参加賞:Tシャツ、豚汁

 ハーフを完走するというのが、2003年の目標だったので、参加を決めた。約2ヶ月、毎日3キロをランニングしての参加。生涯、こんなにまじめに練習したのは始めてだったので、2時間20分の制限時間はクリアできるだろう、と思っていたのですが・・・。

↑ 阿武隈川の河川敷を走る   ↑ 給水ポイント        ↑ 審判車

 スタートしてすぐに、ビリから一番となる。河川敷に、一箇所トイレがある。一人駆け込んだ男性ランナーあり。第一給水ポイントでは、もう前を走るランナーの姿も遠くに見えなくなる。完全に一人旅。まあ、いつものことだから、気にせずマイペースを心がける。
 5キロは30分で通過。私にしてはハイペース。東根橋を渡って、河川敷をくだり、町に入っていく。審判車が、ピタッと私の後ろに付く。


↑中間点の表示         ↑給水所と審判車          ↑ 一次関門

 10キロの表示を過ぎ、次に中間点の表示あり。10キロは60分で通過。かなり疲れてきたが、頑張ってハイペースを保つ。沿道の応援がうれしい。
 1次関門で、「1分しか余裕ないよ」と言われる。「え?」と思うが、15キロは90分で通過。私にしては上出来。こんなに早く走れたのは初めてのこと。このペースでいけば、2時間20分以内には完走できるかも。


↑前のランナー発見        ↑枝野橋で終了・オソマツ!   ↑体育館で降ろされる

 角田市の中心部から外れ、また河川敷に入っていく。後ろに付いた審判車が私を追い越していく。変だな?と思って沿道のスタップに聞いたら、2次関門があり、あと残り1分だという。ここから猛烈にダッシュするが、2次関門1分オーバーで到着。 「車に乗ってください」と、そっけなく言われる。「そこをなんとか・・・」と言いたかったが、疲れてへなへなだった。

 枝野橋を渡りきった所が、2次関門だった。そこから、もう一人の男性ランナーと二人で、車で体育館まで運ばれる。ビリになったことは、7〜8回あるが、車に乗せられたのは初めてだったので、だんだん悔しくなってきた。写真なんか、のんきに撮っている場合じゃなかったのね。関門の存在を知らなかったのは、完璧におバカでした。

 というわけで、16キロで私のハーフ初挑戦は終わりました。同行のエースのMさんは、女性年齢別で1位となり、協賛のアイリス特製収納棚をゲット。私は角田特産のりんごをお土産に買って帰りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 参  考 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ★1次関門(12.5キロ地点)制限時間→1時間20分
 ★2次関門(16キロ地点)制限時間→1時間35分
 ★ゴール(21.0975キロ)制限時間→2時間20分
 申込場所
〒981-1504 宮城県角田市枝野字青木155−31 角田市総合体育館内
「阿武隈リバーサイドマラソン大会実行委員会事務局」 0224-63-3771




●第22回鳥海ブルーライン登山マラソン

2003.06.14 (土)  参加費:一般3000円 、参加賞:スポーツタオル、
                                 靴下
遊佐町特産品

 ホノルルでお世話になった、私のマラソンの師匠が一緒に走ろう!と誘って下さったので、よく考えずに申し込みをした。
 大会要項を見ると、登りだけのコースとあり、練習しなくてはと思うが、どんどん日が迫ってくる。3週間前になってやっと、夜歩きはじめる。でも、30分がいいところだ。
 1週間前になっても、30分をランと歩きのミックス状態。それも週に4日位しかやらないでの参加となった。


十六羅漢駐車場       ↑スタート直後        ↑歩道を走る師匠

 朝5時半に車で拾って頂き、途中は道の駅休憩と羽黒山参拝をして、山形県遊佐町に11時過ぎに到着。スタートは午後1時。昨夜は来客で2時間半しか寝ていないため、不安がつのる。
 17キロの参加者が先にスタートで、5分後に出発。応援部隊の声援を受けるも、スタート直後から前を走るランナーは、誰もいなくなった。師匠と、私と、後ろに心強いランナーAさん(来年80歳)がラストからベスト3になっていた。

 車から鈴を振って応援して下さった、同じランニングクラブの有志の皆様が、途中で私設給水所を設けて待ちかねておられ、美味しいスポーツ飲料をご馳走になる。ありがたい!曇りで霧雨がパラつく天候だったが、気温が高かったので、のどが渇いていたのだ。


応援部隊の給水      ↑公式給水所         ↑パンとバナナだ!

 10キロまでは給水所は2つあったが、水だけ、と聞いていたのに、黒蜜パンとぶどうパンとバナナがあり、感激。でも、第二給水所では、食べものにつられ、ゆっくりくつろいでしまい、走り出した直後がとてもだるくなってしまった。
 7キロあたりから、だいぶ坂も急になり、疲れも出てきて、だんだん師匠に付いていけなくなる。走っていて、あまり後悔したことはないが、今回はきつかったので、な〜んでこんな坂走ってるんだろう、と何度も思ってしまった。

 ゴールまであと1.5キロ付近になると、ついに歩いてしまう。前の師匠を見ると、道端で立ち止まって私を待ってくれていた。追いつくと、何と「ワラビがあるから採っていくから」とおっしゃる。え?どれどれ、と思って見ると、なるほどあるある。どうせ、疲れて走れなくなっていたし、気が紛れていい、と思い師匠に従う。
 師匠は山菜取りの名人でもあり、すぐれたワラビ眼を持っている。私の3倍は見つけて採る。雨後だったせいか、道路脇なのに萌え萌えと太ったワラビだった。
 このワラビ休憩のおかげで、気分的に楽になり、なんとかゴールまでたどり着いた。ただし、ゴールでは、各人のゴール写真のサービスがあるため、撮影班がカメラを持って待ち構えている。ワラビを手にしたゴール写真は、さすがに恥かしかったが、遊佐町の大会関係者は寛大な方々で、何もおっしゃらなかった。たぶん、飽きれていたのだと思う。

           
     ↑先を行く師匠               ↑10キロのゴール

 10キロのゴールは給水所も兼ねており、パンとポカリを頂いた。預けた着替え等の手荷物は、ゴールまで運ばれており、我々はワゴン車で閉会式場の大平山荘まで乗せていただく。もちろん、最終便だった。ちなみに、10キロのタイムは1時間45分位だったと思う。
 10キロから上は、くねくねと登るかなりの坂道で、天候も一変し霧雨が降ってきた。風も強い。17キロのランナーがまだ走っておられるのを、車窓から応援しながら大平山荘着。午後3時半になっていた。

 大平山荘は山荘というわりには、りっぱな鉄筋三階建ての宿泊施設。ここに泊まる我々は、閉会式の前に、部屋に通され、お風呂に入った。その間、我々の車のドライバー2名は、山道17キロを走り終えてから、海岸の駐車場までバスで戻り、また車で山荘まで登って来るという、難儀な残業をして下さっていた。お陰様で、宿泊の荷物も手元に届いた。

 4時半から閉会式で、山荘の大広間で行われた。ゴールで渡されたカードが抽選券になっており、もれなく景品がもらえるので、参加者も多い。皆、お風呂に入ってさっぱりとした顔をしている。ここで、我が師匠は女性の最高齢者賞の庄内米をゲット。同行のAさんも79歳で男性最高齢賞だった。

     ←最高齢者賞をもらう師匠

 夜は閉会式のあと、大広間で交流会が開かれた。幹事さんがいい方で、2000円会費飲み放題に、皆満足げ。遊佐町の方は町長さんはじめ、皆フレンドリーだった。
 また、マラソン愛好家の人たちは、御酒が入っても乱れず、楽しそうに歓談している。私は、お酒は飲めないし、酔っぱらいは大の苦手。宴会はご飯を食べたらすぐ部屋に戻って休もうと思っていたが、結局楽しくて最後まで居てしまった。
 自慢話や、お説教、猥談を聞かされることもなかった。先輩の皆さんは淡々と語り、また年代が下の者の話にも、よく耳を傾けてくださった。
 きっと、真のマラソンびとには、目標達成の為に、自制心が自然と備わっていくのだろう。また、自己がどうあるべきかが問題なので、他人に深く立ち入らない(興味がない)のかもしれない。ともかく、性別年代を超えて、そういうさらっとした人間関係が保てるのは、私には実に稀有に思えた。

 部屋に戻っての二次会もあったが、ダラダラ飲むとういうこともなく、時間になると、さりげなく年長の方が、お開きの時間を告げ、皆それに従った。おかげで、寝不足は解消し、疲労もいくらか和らいだようだった。こうして、長く充実した一日が終わった。(翌日は念願の鳥海山登山です)

  ※鳥海山鉾立口から御浜小屋までの登山のようすはこちら
                              ここをクリック↑
・・・・・・・・・・・・・・参  考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大平山荘 TEL 090-2607-2326  FAX 234-77-3788

 マラソンの申し込みは遊佐町教育委員会、生涯学習課社会体育係
  TEL 0234-72-5454  FAX 0234-72-2811





●第3回柴田さくらマラソン (宮城県柴田町)

    2003.04.13 (日)  参加費:一般2000円 
    参加賞:ナップザック、豚汁、桜の絵葉書、ポカリ、アンパン、ジャムパン


 桜の季節になりました。柴田町のさくらマラソンは前年に続いて2回目の参加だ。なまけものの私は、またまた全く練習しないでの参加となった。制限時間ないし、5Kmならなんとか走れる。大会は本番だが、練習と思えばいいのだ。(゜゜;)\(--;)おいおい、なにいってんだよ。ニコニコペースを保って、桜をめでながら走るのは気分が良かった。

 陸上自衛隊船岡駐屯地の敷地内を走るコース。スタートまで時間あるので、ちょっと車で休憩していたら、寝過ごしてしまう。w(゜o゜)w おお-!慌てて、5分前にスタート地点に駆け込む。5分で準備体操完了。

 いつもと同様、最後尾からスタート。私と同じようなタイプの女性数人の集団があり、少し心強い。早い人達ばかりだと、1人旅になってしまい寂しいものだ。参加者がそれぞれのペースで楽しんで走れる大会はとてもありがたい。

 気温は高いが、少々風が強い。自衛隊の敷地内は、実に広々としていた。演習用なのか、大きな池があったり、小さな山や川がある。道端にはタンポポ、オオイヌノフグリなどが群生している。そんな自然味豊かな舗装された小道を走るコースだった。桜並木もあり、二分咲きだったが、満開ならさぞみごとだろう。写真を撮りながら、気持ちよくゴールした。

 ここで特筆すべきは、参加賞の豚汁が美味しかったこと。豚肉も多く、今まで食べた豚汁の中では、かなり上級レベルであった。豚汁が楽しみで参加している私にとって、これにはとても幸せを感じてしまった。
 係の方々が、あらかじめ大量に作っておいて、3〜4個の大鍋を薪で暖めて、配っていた。自衛隊の設備なのだろうか。風防がついた全天候型の薪コンロだったし、豚汁をストックしておく四角いバケツ型の容器は国防色だった。

 10時40分に走れ終えてから、11時10分には、もう豚汁も、協賛の山崎パンも美味しく頂き、大変満足。自衛隊内のジープや重機を見ながら、帰路についた。
 
  
 ↑二分咲きの桜並木      ↑具が多い豚汁       ↑2003年の桜






●仙台ハーフマラソン!の応援(仙台市)

   2003.03.09 (日)  走ってませ〜ん。 応援しただけで〜す!

 応援は3回目。お目当ては、いつもお世話になっている、ランニング仲間のM氏Mさんだ。毎年この時期は寒いが、今年も冷えました。

 10時にスタートなのに、電車に乗り遅れて、仙台駅到着が10時10分近く。 (/゜ο゜)/ おお、まずい!いつものガード下の応援スポットまで、猛烈にダッシュする。といっても東口のヨドバシカメラを過ぎたら、もう息もハカハカだ。せっかく応援に来たのに、見逃してはならぬ!と思ってコースに目をやると、もう女子のトップ集団が走り去っていく。そのうち男子も来てしまった!

 やっと、選手が近くに見える位置までたどり着いたが、走ってきたので酸欠のせいか目がかすんで良く見えない。ああ、お目当てのMさんのいる女子集団はもう先に行ってしまったようだ。(女子は男子より5分早くスタート)

 しばらくして目を凝らすと、M氏が走ってきた。おおぉっ 偉大なる先輩!ホノルルに一緒に行った時は、60歳台 で、3時間30分だった方だ。仙台ハーフマラソンの参加資格は、ハーフ1時間35分以内の記録保持者だ。途中に関門が有り、時間オーバーのランナーは、後尾のバスに収容されてしまう。その辺の市民マラソンとは違い、誰でも走れる大会ではないのだった。
 
 M氏に手を振ってから、次の応援スポットの二番町通りに移動する。ランナーは、新寺小路から五橋を通り、長町方面に行ってまた、市内にもどってくる。ここ二番町通りまで、ゆっくり歩いて移動すると、ちょうどトップランナーがやってくる時間になるのだ。

 今度は、見逃すまいとお目当ての女子ランナーMさんを探す。Mさんは、もう50歳になろうとしているが、毎日黙々と1人で走っている方だ。普段は気さくな普通のおばさんだが、走っている姿は実にスマート。こんなにスリムでかっこいい50歳は私の知っている範囲にはこの人しかいない。初めての応援の時には、彼女を見たら感動して涙があふれてきた。

 今日は、寒くて目が刺激され、涙が出て来る。あれ?カスミ目になったのだろうか。まずいなあ、なんてぼやいているとMさんが走ってきた。声を掛けると苦しそうな顔が一瞬はにかんだようになる。いくらか元気付いただろうか。

 次に、M氏を探していると、ホノルルで一緒だったN氏を偶然見つける。「Nさん、が〜んばって〜!」と手を振ると、すぐに私をわかってくれたようだ。すぐ後に来たM氏の写真を撮り終えて、やれやれと思っていると、なんとやはりホノルルに一緒に行ったD氏が走ってきた。

 とっさに、名前が出で来ず、苦し紛れに「あと少し〜!がんばって〜」と言ってしまった。いやはや、あと少しどころか、ここは中間点を過ぎたばかりの12キロ手前だ。D氏は、きっとガクッときたことだろう。応援も今度は何か気のきいた一言を用意しておくべきだなあ、と思った。

 偶然見かけたN氏、D氏。せっかくだから、ゴールの写真と撮ろうと思いたつ。ゴールの定禅寺通りまでは、歩いて15分位。ランナーは八幡神社で折り返して、市役所前まで来るのだ。

 141ビル横で待って、Mさん、M氏、N氏、D氏のゴール付近の写真を撮る。といっても「写るんです」なので、出来上がった写真を見たら、だれを撮ったものか判別できない程、小さく写っていた。交通規制の大会関係者やギャラリーも多く居り、もっと前に出て撮ればいいのだが、ロープが張られて入れないのだ。

 でも、いつも思うがマラソンの応援はいいものだ。自分にはできない努力を積み重ねて、晴れの舞台で汗を流すランナーの姿は、実に感動的だった。こちらも元気をもらえるから、毎年応援に行くんだろうな、と思う。

  
   ↑二番町付近           ↑M氏       ↑ゴール付近





●ナスパクロスカントリー大会(名取スポーツパーク)


    2003・02・02(日) 参加費:2000円 参加賞:布袋(小物入)、豚汁

 今年は快晴で、風もさほど無くいいラン日より。ただ雪が降ったあとなので、コースには多少雪が残り、赤土の部分はどろんこ状態だった。

 さて、いつも通り、受付の9時半ぎりぎりに到着。タマタマなつかしい知人のK子さんと会い、スタート直前までおしゃべりに興じる。準備運動もそこそこにスタートとなる。
 そもそも、練習は2日軽く走っただけ。大会といっても制限時間がないので、大会関係者に迷惑がかからないようにマイペースで走ればいい。本番も練習のつもりで、体に響かないよう走ればいいのだ。(これは私の場合です。良い子にはおすすめできません)

 最初はドン尻からおさえて走る。体の具合を確認しながら、景色を見ながらの、マイペースはけっこう楽しい。グランドを出ると、太平洋が青く見える。
 クロスカントリーというだけあって、階段有り、砂利道、どろんこの山坂がある。私は起伏がある方が気が紛れて好きだ。なんだべ、この坂!止まらないよ〜とか、あらら滑るこた、などど東北弁の独り言もつい出でしまう。

 後半疲れてくると、頭の中で歌を歌いながら走る。今日はなぜか、橋幸夫の「恋のメキシカンロック」だった。自分でも、古いなあと苦笑しながら、♪なんてステキなセニョリタ〜♪と口ずさんでみたり。
 久々のランだったが、自分としては今日はとても調子が良く、5キロ総合では最下位ではなく、私の後ろに5〜6人は居たようだ。(たいていは、ピリから三位以内なので)
 
 ゴールすると、年代別で5位の首下げカードを渡され、表彰するから控え室で待つようにと言われる。w(゜o゜)wわお!!めったにないことだ、というより初めてのチャンス到来。
 午後から約束があり、早く帰りたかったが、景品に釣られ待つこと20分。係員が来たので、よし出番だ!と思ったら、「すみません、こちらの手違いで表彰は三位まででした」とのこと。
 ( ̄□ ̄;)がーん!!隣の四位の人に聞いたら、「40代年代別は、5人しか走らなかったからねえ、しかたないかしら」・・・はぁ(ため息)
 ということは、私は5人中5位!やっぱ、ピリじゃん・・・。とほほ。

 という訳で今回も、とんだ捕らぬ狸の皮算用でした。世の中そんな甘くないよね。
 




●名取市民マラソン(名取市ユリアゲ)


      2002・11・17(日) 参加費:600円 参加賞:タオル、豚汁

 今朝は、8時20分にゆりあげに来て受付し、すぐさま車で秋保方面へ。中ノ森登山のあと、また車を飛ばして、ゆりあげのサイクルスポーツセンターへ戻る。だって、名取市民マラソン8Kコースは、11時半がスタート。受付後、3時間も待ってるの、時間の無駄だしね。待ち時間に近場の山で足慣らしをしてきたって訳です。

 スタートラインに並ぶと、女子の参加者が2名しかおらず、これは完走すれば2位だ!と喜ぶ。(^-^)急いで来た甲斐があったというものだ。ぽかぽかとうららかな絶好のマラソンびより。練習もしてないので、ゆっくりマイペースで走る。- - - (p^-^)p

 景品を楽しみに、ピリから2位(でも女子では2位なの)でやっと走り終える。完走者に配られる豚汁をもらいにいくと、なんと私の前で終わり。汁しか残っていない。(;_;) そんなぁ〜、ひどいよ!いくらゴールするのが遅いからって、完走したんだから、豚汁は取っておいてよね、もう!!

 あとは、入賞の景品だけだ!期待に胸ふくらませて待っていると、「完走賞を受取りに来て下さい」のアナウンス。ん?どれどれ、と貰いにいくと、完走賞はタオルと賞状だけ。賞状には順位の記載はなく、もちろん1位の人にも景品がなかった。(去年まではトロフィーとか貰えたのだが)

 せっかく2位入賞したのに。あてが外れて、とぼとぼと、寂しく帰る筆者であった。
 なんでも、そううまくは行かないってことね。大会ボランティアの方々のご苦労を思えば、走らせてもらえただけでも、まっいいかぁ。13時には帰宅して次の用足しもできたし、中ノ森が秀逸だったので、充実したいい一日でした。

←サイクルスポーツセンターで行われた名取市民マラソン

 一周4キロのサイクリングコースを、二周走る。風も無く、気持ちよく走れたが、参加賞の豚汁を、来年は少し余分に作って欲しいと思う。
 食いっぱぐれより。


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