「お前がモーフィアスだ!」
 のび太は右のインド人を選んだ。根拠はある。左のインド人は頭にタンコブ
をこさえていて、ターバンが大きく盛り上がっている。雀卓の角に頭をぶつけ
て悶絶したのはトリニティの方で、つまりは無傷の右のインド人がモーフィア
スだ。
「はっずれー!」
 右のインド人がバカ笑いをして、のび太にガソリンをぶっかけた。
「大はずれー!」
 左のインド人が小躍りをして、のび太にライターで火をつけた。のび太は一
瞬で火だるまになった。
「のび太さん、死なないでー!」
 左のインド人のターバンがもぞもぞと動いて、中からドラミが飛び出した。
タンコブの正体はドラミだった。ドラミはのび太に消火器を噴きつけて、のび
太は一命を取り留めた。
「ドラミちゃんは、なんでそんなところから出てくるのかな?」
 全身粉だらけになったのび太は、感謝よりも先に率直な疑問をドラミにぶつ
けてみた。
「うっさいわね! アタシがどこから湧いて出ようとアタシの勝手でしょ!」
 ドラミは新しい消火器を取り出してのび太に噴射した。ホースの先から生卵
の奔流がほとばしって、卵白の効果でのび太のお肌はツルツルになった。二人
のインド人はドラミをかばうように仁王立ちになって、物分りの悪いのび太に
説明してやった。
「この女、便所で寝てたね」
「寒そうだったから、ワタシのターバンでくるんでやったね。という訳で、お
前ハズレね。卵くさくて不快だからとっとと日本を去るね」
「てめえらのターバンの方がよっぽど不快だー!」
 こみ上げる怒りを抑えきれず、のび太は身もだえをして床を転げ回った。モ
ーフィアスとトリニティは全く同じ顔をしてのび太の狂乱ぶりを見ている。ド
ラミはとっとと厨房へ逃げた。
「胡散臭い双子のインド人の言うことなんか、かけらも信用できるか! お前
がモーフィアスだっていう証拠を見せろ! 今すぐ見せろ!」
「ほれ」
 モーフィアスは一枚のカードをのび太に渡した。それはモーフィアスの免許
証だった。
「どう見ても本物の免許証ね。フォークリフトもOKね。これで文句ないね」
 のび太の動きが止まった。免許証の写真とモーフィアスの顔をじっくりと見
比べて、今度はトリニティに声をかけた。
「念のために、お前の免許証も見せてみろ」
「ほれ」
 トリニティはのび太の持っていた免許証をひっくり返した。モーフィアスの
免許証の裏面はトリニティの免許証だった。
「こんなもんが証拠になるかー!」
 のび太は床ゴロゴロを再開した。床にはいつの間にかパン粉が敷いてあって、
あとは油で揚げればのび太のフライのできあがり、という所まで漕ぎつけた。
「出たね! のび太お得意の悪あがきね!」
「ケチをつけるだけムダでーす! モーフィアスとトリニティの幻惑殺法で、
お前らまとめてタコ部屋行きでーす!」
 モーフィアスは席について、トリニティはその後ろに立った。二人一緒に牌
の山に手を伸ばして、裂帛の気合いと共にリーチ後一発目のツモを引いた。
「おっしょーい!」
 モーフィアス&トリニティ、ツモ。
「こんなもんいらないねー」
 モーフィアス&トリニティ、ツモ切り。
「ロン」



「リーチ一発純チャン三色ピンフ。16,000点」
「負けたねー!」
 幻惑殺法、破れる! アカギに痛恨の振込みを喫したモーフィアスとトリニ
ティはショックで街の彼方までぶっ飛んで、墜落した立ち呑み屋で軽く一杯引
っ掛けてサウナに寄っていい汗かいて戻ってきた。ターバンは臭いままだった。
「ただいまねー」



 雀荘ではKが復活していた。一見涼しげな顔をしているが、モーフィアスと
トリニティに対する怒りで腹の底は煮えたぎっている。
「キアヌ・リーブス様の鼻の穴にターバンを突っ込むなんざ、随分と威勢のい
い真似をしてくれるじゃねーか。それでアカギには勝ったのか」
 モーフィアスとトリニティはサウナでほてった体を寄せ合って、肩を組んで
笑顔で答えた。
「ワタシたちの幻惑殺法、大成功ね! キアヌ、気絶してたから巻き込まれな
くてラッキーね! ワタシたちに感謝するね!」
 Kはシリアスな表情を崩さずに、アカギのアガリ手を指して言った。
「だったらこれは何だ。アカギの倍満が卓上で踊ってんじゃねーか」
「幻惑殺法と麻雀、全然関係ないね! そんなことも分からないなんて、キア
ヌ大バカねー!」



 サーベルを振って大笑いするインド人を、キアヌは冷ややかに見つめている。
キアヌと自分たちの温度差にようやく気づいて、二人のインド人は笑うのをや
めてインド顔になってKに問いかけた。



「キアヌ、ワタシたちのこと嫌いか?」
「ああ大っ嫌いだ。映画の中でもお前らと敵対したくてしょうがなかった」
「キアヌ、ワタシたちとマトリックスの新作撮りたくないか?」
「マトリックスは三部で完結してんだバカ。そんなに撮りたきゃお前らだけで
ホームビデオで勝手に撮ってろ」
「カレーが足りないよー!」
 モーフィアスとトリニティは奇声を張り上げて厨房に駆け込んだ。ザブンと
肩までつかる音がして、全身カレーまみれになって戻ってきた。
「サウナもビックリのカレー風呂ね! これでワタシたち、無敵のそのまた無
敵のマハトマ・ガンジーね!」
「キアヌもしょせんはワタシたちの敵ね! アカギもろともコテンパンにして
魚のエサにして、来世は立派なブタのエサよ!」
「セワシー! カレー鍋ひっくり返して最初から作り直せー!」
 完全に傍観者に徹していたドラえもんが息を吹き返して、セワシにばっちい
カレーの廃棄を要求した。しかし鉄石のごときセワシのカレー哲学はびくとも
揺らぐことはなかった。
「カレーにインド人が漬かって何が悪いー! てめえは出されたものを黙って
食えー!」
 新建材の壁を隔てて、ドラえもんとセワシの視線が火花を散らす。それと交
錯するようにインド人とKの闘気がぶつかり合って、深夜の雀荘ノースウエス
トに紅の十字架が華ひらいた。
「おー面白え! 二人まとめて返り討ちにして、オレとアカギでハリウッドに
凱旋だ!」
 Kがモーフィアスとトリニティの挑戦を受けた、その時だった。
「その必要はないよ!」
 玄関のドアが勢いよく開いた。宴も半ばの雀荘に颯爽と現れた男を見て、K
とモーフィアスとトリニティとアカギはそれぞれのトーンで驚きの声をあげた。
「うへー! スミス!」
「スミスねー!」
「まさかのスミスねー!」
「スミスか」
 のび太も男の顔は知っていた。興奮で卵とパン粉をまきちらしながら、その
男の名を呼んだ。
「レジー・スミスだー!」

レジー・スミス
Reggie Smith

 1945年4月2日生まれ。レッドソックス、カージナルス、ドジャース、SFジャ
イアンツに在籍して四度のワールドシリーズ出場を果たした偉大なベースボー
ルプレイヤー。十七年間のメジャー通算成績は打率.287、314ホーマー、1092
打点、2020安打。1983年に来日して読売巨人軍に入団。二年間で186試合に出
場して打率.271、45ホーマー、122打点、134安打。1984年引退。
 アメリカでジャズのアルバムを発売しており、画像はそのプロモーション写
真だと思われる。日本でも松山千春の名曲「On the Radio」をカバーして、日
米両国でのシンガーデビューという快挙を成し遂げた。宇多田ヒカルの大先輩。

「レジーだ! レジーだ! ボクのレジー・スミスが日本に帰ってきたー!」
 のび太はレジー・スミスの大ファンだった。それがKにはすこぶる面白くな
い。大スターのキアヌ・リーブスは知らないクセに、日本で中途半端な成績し
か残せなかったロートル助っ人外国人には異常なほどの愛情を示すなど、こん
なことがあっていいのか。いい。いやよくない。のび太自身はそこんところを
どう考えているのか。Kはのび太に問いただした。
「どうなんだよ」
「はい、アカギさんの16,000点!」
 のび太はKの点棒入れから16,000点を抜いてアカギに渡していた。モーフィ
アスとトリニティが支払いを丁重に断ったので、保護者のKが立て替えるのは
社会人としての常識であった。
「テメこの」
 ムカッ腹が立った。Kはバトンを二本取り出して、のび太の両方の鼻の穴に
深々と突き刺した。のび太はドロンと変身した。



「ん?」
 作者が変わったような違和感に気づいて、のび太は便所に行って鏡を見て戻
ってきた。あまりショックを受けたような様子でもない。
「すごーい! ボクKくんになっちゃった! のび太に一体何が起こったの?」
「ハリウッド仕込みの特殊メイクだ。文句あっか」
「へー、これKくんがやったんだ。できればもっと男前にしてほしいんだけど、
こんな感じに仕上げてくれない?」



「うっさいボケ。てめーは一生ハゲのクソガキのままでいろ」
 Kはのび太との不毛なコミュニケーションを切り上げてレジー・スミスに向
き直った。レジーは蝶ネクタイの上にアフロヘアを乗せて、白い歯をむき出し
にして笑っている。
「それで、何の必要がないって?」
「キアヌ、アメリカに帰る必要はないね。新しい映画、この雀荘で一本まるご
と撮ることになったね」
「うへー! こんな辛気くさい雀荘で撮影すんの!」
 のび太は二つの疑問に思い当たった。生まれ変わった自分のハゲ頭は毎日剃
る必要があるのか天然ハゲか。そしてもう一つは、どうしてレジー・スミスが
この雀荘にいるのか。
「セワシくーん。レジー・スミスもマトリックスに出てたのー?」
 マトリックスの生き字引きであるセワシに質問した。すぐに厨房から答えが
かえってきた。
「エージェント・スミスっつってなー。分裂して増殖してキアヌと闘ったー」
「ふーん。要するにアメーバ並の扱いだったってことね」
 得心のいった顔で鼻くそをほじるのび太の背後のドアが、また開いた。入っ
てきた男は爽やかな笑顔でKに言った。
「キアヌー! 映画撮るよー!」



 どこかで見たことのある顔だな、とのび太はぼんやり考えた。特大の鼻くそ
を掘り出したショックで、閉ざされた記憶の扉が重々しく開いた。
「レジー・スミスだー!」
 二人目のレジー・スミスだった。驚く間もなく新しい客が来た。



「キアヌー! 映画ー!」



「キアヌー! メシー!」



「アカギー! キアヌが死んだよー!」
 増殖したエージェント・スミスは特殊効果ではなく、本当にたくさんのレジ
ー・スミスだった。レジー・スミスは隊伍を組んで次から次へと店の中に入っ
てきて、ついに五十人のレジー・スミスが集結した。

あれれ、おかしなのが一匹まざってるぞ? キミは見つけられるかな?