「お前は誰だー!」
 のび太は大きく跳躍して、雀卓の上でゴーゴーを踊っていたKに巨大な万点
棒を振り下ろした。Kは上下に揺さぶる両手で万点棒をお手玉しながら、のび
太に愛の言葉を囁いた。
「ボクだよ! のび太くんの親友でスーパー優等生のKだよ! 忘れてんじゃ
ねーよ!」
「ウソつけ! ボクの知ってるKくんはもっとクソチビでツルッパゲで、給食
のお釜に青酸カリを混ぜる超問題児だい!」
 今のKは日本の小学生ではなく、本来のハリウッドスターのキアヌ・リーブ
スに戻っている。



「あ、そうか」
 Kは気がついて、ゴーゴーをやめて雀卓から飛び降りた。支えを失った万点
棒は空を切って雀卓に当たり、雀卓は真っ二つに割れて爆発して蒸発した。
「のび太くん、これならどうだい?」
 Kはのび太の手から万点棒を引ったくり、バトン代わりに振りながらバレエ
みたいにクルリと一回転した。Kの体が光に包まれて、光が消えるとのび太の
よく知るKの姿になっていた。



「Kくーん!」
 のび太は泣きながらKに抱きついて、Kの顔中をなめ回した。
「帰ってきてくれたんだねKくん! 会いたかったよKくん!」
「のび太くん、ボクがこの雀荘に来た時にKくんって言ってたじゃねーか」
「ボク、知らない人を見たらまずKくんって呼ぶことにしてるんだよ!」
「ははは。のび太くんのそういう所、ボク大っ嫌いだよ。離せバカ」
 Kはのび太を蹴り倒して、元の姿に戻って手近の椅子に座った。つば臭い顔
をハンカチで拭いて、高級そうな葉巻に火をつけた。



「しかし何だね。ボクの素顔を見てお前は誰だってのはご挨拶だね。のび太く
ん、キアヌ・リーブスを知らない訳じゃないだろ?」
「知らね」
 のび太は鼻クソをほじりながら事もなげに言い放った。知っている方がどう
かしている、といった傲慢極まりない顔をしている。
「うへー! 天下のキアヌ様を知らないのかい!」
 Kも鼻クソをほじりながら、涼しい顔で葉巻をふかしている。声の割にはあ
まり驚いた風ではない。
「大ヒット映画のマトリックスに主演したキアヌ・リーブスだよ! 本当に知
らないの!?」
「オツカレッスだのケアナだの、そんなもん誰も知らねーっつの。青酸カリの
給食で学校がどんだけえらい騒ぎになったと思ってんだよ」
「みなさーん!」
 Kはのび太の糾弾をハリウッド仕込みの華麗なテクでシカトして、雀卓の上
にのぼってメガホンで周りの人間に呼びかけた。
「キアヌ・リーブスを知っている人、手を挙げてー!」
 のび太をのぞく全員が手を挙げた。Kはさらに呼びかけた。
「はい、ウソをついている人は手を下ろしてー!」
 全員が手を下ろした。結局、誰もキアヌ・リーブスのことは知らなかった。
「コラ」
 Kは向こうの雀卓のアカギにメガホンを投げつけた。アカギが生意気にもよ
けたので、メガホンは床に落ちて奥の厨房へ滑っていった。
「他の奴らはともかくとして、お前がオレを知らないのはあんまりだろ。アカ
ギもマトリックスに出演してるだろうが。犯すぞ」
 アカギとKはマトリックスで共演している。ただしアカギは単なるエキスト
ラなので、アカギがKを覚えていても主役のKがアカギを覚えていることはない
ように思える。しかし多数のハリウッド映画でエキストラをこなすアカギは、
収録後にスタッフや共演者をつかまえて麻雀でケツの毛までむしり取って、主
演俳優の何倍ものギャラを稼いで日本に凱旋帰国するのを常としている。一介
のエキストラとはいえ、ハリウッドの裏のボスとも言うべき存在なのであった。


 このネタを書いているのは2005年の二月で、マトリックス最新作の「マトリ
ックス・レボリューションズ」が公開されてから一年以上もたつ。この時点で
すでに知らない人がいるかもしれないし、西暦3000年にこれを読んでいる人間
だっているかもしれない。「マトリックス」について、簡単におさらいしてお
こう。
 マトリックスとは、キアヌ・リーブス扮する主人公のネオがロープにぶら下
がって悪と戦うハリウッドの映画である。すごく人気があった。
 以上。より詳細なストーリーが知りたい方は、2005年二月現在DVDが発売さ
れているのでそちらをお買い求めいただきたい。西暦3000年の人は知らん。


「冗談だ」
 アカギはクククと笑ってまた手を挙げた。裏ボスだからといって言っていい
冗談と悪い冗談があるが、これは別にどうでもいい冗談であった。
「ここにいる連中は知らないみたいだけどなー」
 厨房からセワシがやってきた。カレーまみれのメガホンを口に当てて、ピー
ピーガーガーいいながら喋っている。
「のび太なー、キアヌ・リーブスっつったら、実際かなりの有名人なんだぞー」
「セワシくん、カレーの中にメガホンを落としただろ」
 ドラえもんがドスのきいた声でセワシに言った。セワシは黙っている。
「最初から作り直せよ。少しでもメガホンの味がしたら独裁スイッチだかんな」
「カレーのことはオレに任せろ! 素人の口出しは許さん!」
 セワシの声があまりに大きかったので、震動でメガホンのカレーがドラえも
んにはねた。ドラえもんが元の黄色いドラえもんに戻ったので、セワシは安心
して話を続けた。
「マトリックスもすごい人気映画でなー。オレはこないだ未来でマトリックス
のパート70を見たぞー」
「うへー。マトリックスってそんな長寿シリーズになってんだ。すごいねー」
 Kが他人事みたいに感想を言った。雀荘の雰囲気にすっかりなじんで、浴衣
に着替えて日本酒をあおっている。
「そのパート70は、誰が主人公なのかな。まだボクがやってたりして。うへへ」
 セワシはちょっと気の毒そうな目でKを見た。しばらく考えて、やがて意を
決して口を開いた。
「主人公は19代目のキアヌ・リーブスでなー。初代キアヌ、つまりお前は今か
ら二年後に死ぬんだー」
「うへー! ボク、あと二年で死ぬのー!」
 Kはビックリしてコップを宙に放り投げ、頭を抱えてよろよろと歩き出した。
うへーと叫びながら歩き続けて、のび太たちの雀卓までやってきて空いている
椅子に座ってサイコロを回した。3と4で対7だった。Kは上から落ちてきたコッ
プをキャッチして日本酒をうまそうにグビリとやった。
「ま、死んじまうもんはしゃーねーわな。麻雀やろうぜ」
「へーい」


 半荘スタート。東一局、親はドラえもん。
「しかしKくんも物に動じないというか、つくづく感情に波のない人間だよね
え。そんなんで演技なんかできるの?」
 ドラえもんが第一打のを切ってKに言った。名優Kの答えはこうだった。
「全然問題ないよ。演技なんて全部スタントにやらせりゃいいんだから」
「ふーん。俳優って楽な商売なんだねえ」
「リーチ!」
 せっかくの白熱トークだったのに、のび太が話の腰を折った。なんかリーチ
とか言っちゃって、第一打のを横に曲げていきがっている。
「のび太くん、ダブリーかあ。相変わらず麻雀をなめてるねー」
 Kはのび太のアホ面を横目で見ながらツモを引いた。のび太は圧倒的優位に
立った気楽さで、スーパースターのK様にタメ口で話しかけた。
「そういえば、Kくんはしばらくお別れだって言ってボクの家を出て行ったけ
ど、どうしてすぐに戻ってこれたの?」
「どーでもいいし興味もない。さっさと誤ロンしてチョンボ代払ってくれよ」
 Kの第一打、



「ロン! ダブリー一発ピンフドラ1!」
「聞いてくれよのび太くん!」
 Kは雀卓をひっくり返して麻雀牌をぶちまけて、のび太の手を握りしめて熱
く語り出した。
「ウチのボスったらひどいんだよ! 新作映画を撮るからすぐ戻って来いって
んで、大好きなのび太くんとお別れしてまで飛行機に乗ったのに、ギャンブル
で負けて金がないから映画撮れないって! 日本に戻って盆栽でもいじってろ
って! ひどいよボス! ねえ、のび太くんもひどいと思うだろ?」
「八千点」
「そうだろ、ハッセ・ンテーンの神様だって怒るよな! のび太くんならきっ
と分かってくれると思ってた! ボクたちは今日からブラザーだ!」
「いいから八千点払え。牌はグチャグチャになってもアガリは有効だ」
 のび太はごまかされなかった。Kは点棒を払う気など毛頭なかった。一触即
発の張り詰めた空気が室内に漂い始めた、その時だった。
「キアヌー!」
 窓ガラスを蹴破って、異形の大男が雀荘に飛び込んできた。Kの前に立って、
何を考えているのか分からない顔でKをじっと見つめている。
「おー、モーフィアス!」
 Kのファンのキチガイかと思いきや、どうやらKの知り合いらしい。のび太は
Kに尋ねた。
「なにコイツ」
「そうか、のび太くんはマトリックスを見てないのか。モーフィアスっつって、
マトリックスでボクの上司役をやったオッサンだ」
「ふーん。この人もマトリックスって映画に出てたんだ」



「えっと。インド人だよね?」
「インド人に決まってんだろ。モーフィアスなんだから」
「ふーん。なんだかすごいんだねえ」
「で、そのモーフィアスがボクになんか用? ソープなら一人で行ってこいよ」
 Kとのび太のやりとりの間、モーフィアスは宗教上の理由で江田島のハゲ頭
に濃厚なキスを重ねていたが、Kの声に気づいて戻ってきてKに言った。
「ボス、お金できた。今度こそ映画撮れる。キアヌ、今すぐアメリカ戻る」
「よし、帰ろうか」
 モーフィアスは腰を浮かせかけたKの頭を押さえつけて、無理やり椅子に座
らせた。
「キアヌ、わがままダメよ! ボスの言うこと聞かないと、明日から庭のダン
ボール箱でお泊りよ! おとなしくアメリカ行きのヘリに乗るよ!」
「だから帰るって言ってんじゃねーか。お前が窓から入ってきたってことは、
ヘリはこのビルの上に止まってるんだな? 行くぞオラ」
「そんなの許しませーん!」
 また一人、別の窓から雀荘に転がり込んできた。勢いあまって雀卓の角に腰
をぶつけてしばらく動けないでいたが、やがて起き上がってモーフィアスの隣
にやってきて喚き出した。
「ボスの命令は絶対ね! キアヌが帰りたくないっていっても、権力と時の流
れには逆らえないね! おとなしくお縄を頂戴してクソして寝るね!」
「オレはアメリカに帰るって何度言わすつもりだバーロ! てめえらこそ耳の
穴かっぽじってクソして寝ろ!」
「Kくん、これは誰?」
 のび太は呑気な顔をしてKに聞いた。Kは二人に組み付かれて身動きが取れず、
やっとの思いで答えた。
「トリニティだよ! マトリックスでオレの同僚役だった!」
「ふーん。この人もマトリックスの人なんだ」



「えーと、双子?」
「双子に決まってんだろ! 日本のテレビ番組にも二人揃ってバンバン出てた
じゃねーか!」
「うっそだー。こんなインド人、ボク一回も見たことないよ。本当にハリウッ
ドの役者さんなの?」
「セワシー!」
 のび太が根拠もなく疑うので、Kはセワシに確認を求めた。
「双子のインド人のモーフィアスとトリニティ、確かにマトリックスに出てた
よなー!」
「覚えてなーい」
 セワシはそっけなく答えて厨房に戻ってしまった。孤立無援となったKを、
モーフィアスとトリニティは必死になって説き伏せた。
「キアヌ、アメリカ戻るね! これね!」
 モーフィアスはKに懇願しながら盲牌の練習をしている。
「スタッフみんなキアヌを待ってるね! 子の110符二翻は7,100点ね!」
 トリニティはKの手を握りしめて符計算の暗唱をしている。Kはようやく合
点がいった。
「てめえら、実は麻雀が打ちたいだけだろ!」
「そのとーり!」
 モーフィアスとトリニティはターバンをほどいて、Kの両方の鼻の穴に突っ
込んだ。
「くさーい!」
 それでKは気を失った。モーフィアスはKを担いでゴミ箱に投げ捨てて、空い
た席にはトリニティが座った。
「雀荘にきて麻雀打たないなんて、ハリウッドスターの名折れね! インドの
神様だって宗教と麻雀だったら迷わず麻雀選ぶね!」
「この部屋にもインドの神様いたから、ハゲ頭にいっぱいキスしてご機嫌とっ
ておいたね。だから全然心配ないね! ハハハ! ……ん?」
 モーフィアスとトリニティはそこまで言って、隣に座っているアカギに気が
ついて首をかしげた。見覚えのある顔だった。
「お前、どこかで会ったか? 誰だっけ?」
「アカギだ」
「そーか、聞いておいて悪いけど全然興味ないよ! 悪いねボーイ!」
 二人は豪快に笑い飛ばしてアカギの肩をバシバシ叩いて、また喋りだした。
「みんな、ボサッとしてないで麻雀打つよ! アメリカではアカギにやられて
ケツの毛まで抜かれたけど、まさかこんな場末の雀荘にアカギはいないよ!」
「アカギさえいなけりゃワタシたち勝つよ! がっぽり稼いで億万長者になっ
て、ダンボール箱いっぱい買って庭に置くよ! ハハハ!」
「ハハハ! ……ん? アカギ?」
 自分たちの言ったアカギという言葉に気がついて黙り込んだ。しばらく考え
て、短冊にカタカナでアカギと書いて壁に貼りつけた。そしてアカギにもう一
度尋ねた。
「ボーイ、名前はなんと言ったっけ?」
「アカギだ」
 二人はその名前を口の中で反芻して、別の短冊にアカギと書いて、先ほどの
短冊の隣に貼りつけた。アカギと書いた二枚の短冊を交互に見て、ガンジスの
流れのごとき悠久の時が経過して、
「アカギだー!」
 真相に辿り着いてパニック状態に陥った。床を転がって悶絶するモーフィア
スとトリニティを、のび太とアカギとドラえもんは冷たい視線で見下ろしてい
る。床がピカピカになるまで転げ回って、二人は突然顔を上げた。
「この匂いは!」
「まさか!」
 起き上がって、鼻をひくつかせて部屋の中をうろつき出した。江田島のそば
まで行って匂いを嗅いで、ハゲ頭を思い切りはたいてこちらに戻ってきた。K
の呑み残しの日本酒を失敬していたまっ黄色のドラえもんの前で立ち止まって、
匂いを嗅いで嬉しそうに叫んだ。
「カレーだー!」
「いただきまーす!」
 ドラえもんの体中にこびりついたカレー汁を、二人で一気になめ尽くした。
青色に戻ったドラえもんはショックと呆れ返ったのとで、もうなんにも喋らな
かった。
「カレーさえ食べればワタシたち無敵よ! アカギにだって負けないよ!」
「キサマたち! ボサっとしてないで麻雀打つよ!」
「へーい」


 仕切りなおしの半荘スタート。東一局、親はモーフィアス&トリニティ。
「リーチ!」
 六巡目、モーフィアスたちにリーチが入った。ドラのを暗カンしての、
親マン確定リーチである。
「ドラえもん、タケコプターってどうして髪の毛がからまないの?」
「それはねのび太くん、プロペラがまったく回ってないからだよ。だからタケ
コプターをつけても空なんか飛べないのさ」
 のび太とドラえもんはリーチなんか全然気にしないでくっちゃべっている。
「リーチ」
 直後のアカギにもリーチが入った。のび太とドラえもんは点棒入れのフタを
開けた。
「あーあ、一発ツモだなこりゃ。点棒用意しておこっと」
「ドラも六枚ぐらい乗ってるね。六千点で足りっかな」
「若人よー!」
 モーフィアスとトリニティはあまりの待遇格差に悔し涙を流して抗議した。
「ワタシたちもリーチかけてるよ! ワタシたちにもビックリしてよ!」
「ムリ。だってお前ら絶対にアガれない顔してるんだもん」
 のび太とドラえもんはアカギのリーチに対してベタおりして、モーフィアス
連合にツモ番が回ってきた。
「ハリウッドスターをなめたら後悔するよ! ワタシたちの幻惑殺法を喰らっ
て地獄に落ちるよ!」
 モーフィアスは手牌を伏せて立ち上がって、後方支援のトリニティと一緒に
便所に駆け込んだ。そしてすぐに戻ってきた。
「さあ、どっちがモーフィアスでどっちがトリニティか、もう誰にも分からな
いよ! モーフィアスを当ててよ!」
 双子で服装も同じなので、確かに見た目は瓜二つである。おまけに声までそ
っくりだから、全く区別がつかなかった。
「いや、必ずどこかに違いがあるはずだ!」
 のび太は目を凝らして二人のインド人を見比べた。間違いは決して許されな
い。ここは慎重に選ばなければならない。



さあ、モーフィアスをクリックするんだ! 顔の向きに惑わされるな!