人間には誰しも、運気と才気が最高レベルで肉体に共存する時期ががある。
その期間、度合いには個人差があり、飲み屋でたまたま包茎の治し方をひらめ
いてノーベル医学賞をもらう者もいれば、満員電車で目の前の席が空いたので
運よく座れて終了という人もいる。
 いずれにしても、その時期が生涯続くことはない。包茎を治してノーベル医
学賞をもらっても本人の包茎だけは絶対に治らず、自分だけ包茎という心の闇
を抱えて生きねばならない。大多数の人間は、このように好不調の波が交じり
合って複雑な波紋を描き、そして死んでいく。
 数少ない例外の一人がアカギである。この世に生を享けて二十余年、敗北を
味わったためしなどただの一度もない。産まれた直後の医者との麻雀勝負も学
生時代の教師との麻雀大血戦も、合コンでおとした女との麻雀風雲バトルも就
職面接の担当官との麻雀デスマッチも連戦連勝。立ちはだかる全ての敵を麻雀
でねじ伏せてきた。豪腕アカギの行く手には栄光と希望の光が満ち溢れ、アカ
ギの纏った運気と才気は未来永劫尽きることはないと、誰もがそう信じて疑わ
なかった。麻雀以外はどーなのよという一部のやっかみなど、アカギの耳には
小バエの羽音ほどにも聞こえなかった。
 そのアカギが今、かつてない程の苦境に立たされている。クソ配牌は言うに
及ばず、クソヅモクソ切りクソ振込み。一局二局のささいなスランプならばこ
れまでにも何度かあった。しかし、今回のへこみはそんじょそこらの低空飛行
とは訳が違う。何せのび太に国士無双を打ち込んでしまったのだから一朝一夕
で立ち直れるものではない。それでも笑っていられるのは、アカギの尋常なら
ざる克己心のなせる技である。ただのバカの可能性もある。


 東四局。親のアカギの配牌に、やはり復活の兆しはかけらも見られない。



 一牌一牌に針を突き立ててグリグリしたくなるような配牌だが、それでもア
カギは勝負を捨てない。か細くはかない勝利の糸を決して絶ち切らぬように繊
細に、しかし力強く最初の捨て牌を河に放った。アカギの第一打、
 続いて烈の第一ツモ。にっくきアカギの親を流すべく、いっそうの気合いを
入れなければならない局面だが、東一局を大きく上回る悲劇が烈を待ち受けて
いた。麻雀のルールも麻雀とは何かも全部忘れてしまったのだ。
 烈は目の前の白い積み木を見た。という字が彫られていたが、烈には読
めない。匂いも味もしない意味不明の物体だが、固いので投げたら武器になり
そうな事だけ分かった。だったらやることは一つしかない。
「踏ー!」
 烈は麻雀牌を鷲づかみにしてアカギに投げつけた。若いクセに黒シャツなん
か着ているヤツは、こめかみから血を噴き出して紅しょうがのようになって死
ねばいいと心から願って、烈は麻雀牌を投げ続けた。しかしアカギには一発も
当たらない。
 ところで、どれだけ麻雀牌を投げまくっても烈の配牌はきちんと十三枚揃っ
ている。他の三人の手牌にもツモ山にも、烈は一切手を触れていない。では一
体どちら様の牌を投げているのかというと、
「麻雀牌はまだ山ほどあるわよ! こんな雀荘メチャクチャにしておしまい!」
 烈の背後に、いつの間にかドラミが立っていた。ドラミの足元には空の雀牌
ケースがいくつも積み上げられていた。江田島にドロップキックを食らった怒
りで、ドラミのリボンは真っ赤に膨れ上がって破裂寸前である。
「いーかげんにせんかー!」
 江田島は懐から電話ボックスを取り出して烈にかぶせた。烈の投げた麻雀牌
は電話ボックスの強化ガラスに当たって全部烈に跳ね返った。烈は体中アザだ
らけの悲壮な姿となったが、麻雀牌を投げるのをやめなかった。そう、あたか
もそれが亡き金蓮への餞(はなむけ)であるかのように。
「何やってんのよ! とっととガラスをぶち抜いて江田島を蜂の巣にしてしま
いなさーい!」
「踏踏踏ー!」
 ドラミのサポートがある限り、烈の孤独な闘いは終わらない。三人は烈をシ
カトして対局を続けた。


 場は淡々と進行している。特にジャイアンノートをひっさげたジャイアンの
手作りが異常に早い。

 

「なるほど、二牌ツモればスピードも二倍か!」

 ←ツモ

 ジャイアン、打

 

「好きな牌をツモればムダヅモはゼロか! その通り!」
 ジャイアンはすべてのツモ牌を崩して欲しい牌を一枚選んだ。

 ←ツモ

 ジャイアン、打

 

「二牌も三牌も同じなら三牌いっちゃうぜー!」

 ←ツモ

 ジャイアン、と切ってリーチ。このジャイアンノートは烈にすり
替えられたニセモノなので全ページ白紙だったが、ジャイアンの目には必勝法
が書いてあるように見えた。完全に幻覚症状なのですぐ入院した方がいいが、
ともかく堂々のテンパイ一番乗りだ。
 ますます苦しくなったアカギだが、焦りは見せない。八巡目のアカギのツモ、


 ←ツモ

 のカンチャンターツにのリャンカン形、そしてのトイ
ツと上積みを期待するべくもないクソ手だが、ここで手を回せないのが今のア
カギである。迷うことなくをつかみ、一直線にぶった切った。
「ロン!」



「リーチ一発ピンフ、裏ドラがで7,700点! ガハハハハ!」
 アカギに天誅を下して大はしゃぎのジャイアンだが、その隙にアカギがジャ
イアンノートを素早く引ったくった。
「あ! 返せコンニャロ!」
 アカギはノートに烈の悪口を書き連ねてジャイアンの前に置いた。そして電
話ボックスのガラスを叩いて烈を呼んだ。烈は白目で泡を吹きながら麻雀牌を
投げていたが、ノックに気づいてそちらを見た。
「憤怒ー!!!」
 烈からどす黒いオーラが立ち昇り、鍛え抜かれた肉体が何倍にも膨れ上がっ
た。怒りの麻雀牌が燃える火の玉と化して強化ガラスを破り、ジャイアンとジャ
イアンノートを直撃した。
「ぶひー!」
 ジャイアンは逝った。ジャイアンノートは散った。麻雀牌によってビリビリ
に引き裂かれたノートの切れ端が紙吹雪となって、大の字に倒れたジャイアン
の体に霏霏と降り注いだ。
「オレ様のジャイアンノートが……ガク」
 ジャイアンの意識は途絶えた。ジャイアンノートを失ったジャイアンなど、
胸毛を永久脱毛したインディ・ジョーンズのようなものである。もはや怖れる
敵ではない。
「ククク……」
 アカギはどさくさに紛れて、ジャイアンの手牌を穴に落とした。ジャイアン
のアガリを証明するものはこの世から消失した。だから点棒も払わない。何事
もなかったかのように東四局一本場に突入した。
「アカギくん、雑魚を一匹倒したぐらいでいい気になるなよ。ワシら二人の蜜
月の時間はまだまだ続くぞ」
 江田島は完全にアカギをなめていた。アカギの噂はもちろん知っていたので
最初のうちはビビッていたが、絶不調のアカギを見て恐るるに足らんという結
論に達したのだ。格下相手にはとことん強気な江田島店長である。烈は床に麻
雀牌を並べて遊んでいる。ドラミはドラえもんとのび太の卓に行ったようだ。
 東四局一本場、アカギの配牌。



 首尾よくジャイアンを仕留めたとはいえ、まだまだ完調にはほど遠い。ツモ
る人間が二人しかいないのでサクサクと場が進み、江田島が先にテンパった。
「リーチだよ、アカギくん」




 江田島はハゲに似合わぬ優しい口調で言った。親のアカギは耳がないような
顔をして牌をツモった。

 ←ツモ

 なんと配牌から一牌たりとも動いていない。すべてムダヅモだったのかとい
うとそうではなく、アカギの河にはといったメンツを構成する要牌が
惜しげもなく捨てられている。勝負を投げているとしか思えない。
「ククク……」
 アカギ、ノータイムでツモ切り。悠然と構えていた江田島の鼻の穴が大
きく広がった。
「ロンですぞ、アカギくん」



「リーチ一発ピンフイッツー、ドラがでハネマンでございまーす!」
「祝!」
 江田島があがるのと同時に、烈は目の前の麻雀牌を指で倒した。床に並べた
麻雀牌が次々と倒れていき、四角に並べた色つき麻雀牌がすべて倒れると爽や
かに笑う烈の顔が出現した。
「ワシじゃなくて貴様の顔かい。まあええわい!」
 江田島は烈を許してやった。アカギからあがったので、今は最高に気分がよ
かった。ところで床の麻雀牌は途中から二手に分かれて、もう片方は江田島た
ちの卓にあがってきた。
「ほほう。こちらはどうなるのかのう?」
 麻雀牌は卓の縁を一周してゴールのようだった。ゴール地点には赤いボタン
があった。
「麻雀牌がこの赤いボタンを押したら、どうなるのかのう?」
 江田島の見ている前で麻雀牌は順調に倒れて、最後の赤いボタンを押した。
「罠かのう?」
 江田島の手牌が爆発した。
「罠じゃったー!」
 頭を抱えて虚空を見上げる江田島に、粉々になった麻雀牌が雪のように舞い
落ちた。
「ワシのハネマンが……ガク」
 江田島は崩れた。一度は勝利を確信しただけに、その精神的ショックは計り
知れない。江田島のあがりはウヤムヤになったため、アカギは12,300点を払わ
ずにすんだ。そしてなしくずしで東四局ニ本場に突入した。
 飛びのピンチを二度も脱したアカギに、間違いなく追い風が吹きつつあった。
東四局ニ本場、アカギは伏せて並べた配牌の十四牌を静かに開けた。
 アカギの配牌や、如何に? アカギ完全復活なるか!?


続く
戻る

TOPへ