かつて日本有数の大都市として、まばゆいばかりの壮観を呈した京都の街は、
野盗と浪人の跋扈する地獄の魔都と化していた。軒を連ねた老舗の呉服屋や旅
籠はすべて固く門を閉ざし、夥しい刀傷の刻まれた板壁からは、零落と凄惨の
気が濃く漂っている。街の中央を走る大路に町人の姿はなく、腹をすかせて群
れ集まった烏と野犬が、みな一点を見つめて小さく喉を鳴らしている。
ドラミも同じ方向を見ていた。無数の屍体が打ち棄てられた大路の中央で、
二人の男が刀を持って戦っている。一方は着流し姿の浪人風、もう一方は浅葱
色に白抜きのだんだら羽織をまとった、一見して武士と分かる出で立ちである。
武士の頭にしめた鉢巻きには「ISAMI」と書いてある。二人が斬り結んだ刃が
火花を散らすたびに、烏と野犬の鳴き声がびょうびょうと曇天にこだまする。
負けた方の死肉が目当てなのだろう。
「えやあー!」
刀を大上段に構えなおして突進した浪人を、武士が横にいなした。態勢を崩
してつんのめる浪人の首筋に一閃の鈍い光が振り下ろされ、それで勝負は決し
た。首と胴体を斬り離され、盛大に血の雨を降らせながら崩れた浪人の亡骸に、
烏と野犬が一斉に飛びかかった。地に落ちて転がった首がドラミの足元でぴた
りと止まり、ドラミを見上げてにやりと笑った。ような気がした。
ドラミの横に、いつの間にかセワシも並んで立っていた。目の前の情景が信
じられないといった表情でドラミを見て、言った。
「なあドラミ。ここ本当に二十二世紀か?」
「………」
ドラミは何も答えない。セワシの顔を見ようともしない。クリっとした目を
いっぱいに見開いて、まばたき一つせずに武士を凝視している。口元は何故か
笑っている。
ドラミは無言のまま足元の首を蹴りのけて、ゆったりとした足取りで武士に
近づいていった。そして武士の袴をつんつん引っ張って声をかけた。
「おっさんおっさん」
「ん?」
「ここって、未来?」
「………」
今度は武士が何も答えない。明らかに人外のドラミをじっと見つめる武士の
目に恐怖の影がかかり、それはみるみる顔中に広がった。武士は小刻みに震え
る唇をこじ開けて、蚊の鳴くような声を出した。
「……じょ……」
「じょ? ジョニー大倉?」
「……攘夷じゃー!!」
武士の大絶叫を合図に、大路を挟んだ家並の扉が一斉に開き、武士と同じ浅
葱色のだんだら羽織の集団がおっとり刀で飛び出してきた。そして武士とドラ
ミとセワシの周りをぐるりと取り囲んだ。天に掲げた旗竿には、「誠」の一文
字を染め抜いた旗が翻っている。
「ISAMI殿、全隊集合したでござる」
ISAMIと呼ばれた武士はドラミとセワシを眼光するどく睨みつけて、高らか
に吼えた。
「キル、ユー!」
ISAMIの号令を合図に、雲霞のごとき浅葱色の波がドラミとセワシ目がけて
襲い掛かった。
「わー!」
セワシは波の一角にタックルをかまし、包囲の外に逃れ出た。そしてつぶら
な瞳をぱちくりさせるドラミを抱きかかえて、脱兎のごとく駆け出した。
脱税と逃げ足には絶対の自信を誇るセワシである。スタートダッシュで一気
に敵を引き離したが、体重100キロのドラミを肩に乗せたままでは少々無理が
ある。後方から追いかけてくる浅葱色との距離がじわじわと詰まってきた。
「自分で走れドラミ! 重いんだよこの鉄屑!」
セワシはドラミのケツを平手でピシャピシャ叩いたが、ドラミが現実に帰っ
てくる気配は一向にない。
「これならどうだ!」
セワシはタバスコの瓶を取り出して、ドラミの大きなおめめに一本まるまる
ふりかけた。
「がおー!」
ドラミの体が大きくそり返った。そして反動で右脚をムチのようにしならせ
て、セワシの後頭部に渾身の延髄斬りを叩き込んだ。正気に戻ったドラミだが、
怒りとタバスコで両目は真っ赤に燃え上がっている。ドラミは後頭部を押さえ
て悶絶しているセワシの髪の毛をつかんで無理やり起こした。
「あっにすんのよ! タバスコだってタダじゃないんだし、せめて半分くらい
は残しときなさいよ! あーもったいねー!」
ドラミはセワシの金銭感覚のなさに対して説教した。しかしセワシはそれど
ころではない。延髄斬りのダメージでふらつく足を懸命に前に動かしながら、
負けじとドラミに噛み付いた。
「ここ、どう考えても幕末の京都だよな? コールドスリープでどうして過去
に遡っちまうんだよ!」
「あたしにだって分かんないわよ! 文句を垂れてる暇があったらキリキリ走
りなさいよ!」
ドラミが自分の足で走り出したためセワシの負担は軽くなったが、動乱の時
代で鍛えられた浅葱色の武士軍団はいずれも健脚の持ち主である。粘り強く追
いすがられ、再びその差が縮まってきた。
「こんな時こそ秘密道具を使えよ! タケコプター出せ!」
「タケコプターは陰毛がからみついて火を噴いて全部ぶっ壊れちゃったわよ!
秘密道具は寿命が短いって言ったでしょ!」
「どこにつけたんだよ!」
「どこだっていいでしょ! タケコプターの代わりにこれで逃げるわよ!」
ドラミはポケットから二頭立ての馬車を取り出して、御者台にあがった。客
席には全自動卓が搭載されている。
「雀卓馬車ー! セワシさん、どこでもいいから早く座って!」
セワシは追手が正面に見える席に座った。通勤の合間に本格的な麻雀が楽し
める未来人のマストアイテム、雀卓馬車。最大時速は約15キロ。
「おせーよ! あっという間に追いつかれちまうだろ!」
「しょーがないでしょ! これ以上速いと落ち着いて麻雀なんか打てなくなっ
ちゃうんだから!」
そうこうしている内に、五人の武士が馬車に近づいてきた。とうとう追いつ
かれた。
「わー! もうダメだー!」
「セワシさん、サイコロのボタンを押して!」
セワシが無我夢中でサイコロのボタンを押すと、雀卓の中央からモニターが
せり上がってきた。
「何だこりゃ?」
セワシはモニターに映った映像を見て、一瞬判断を絶した。
【何を切る?】東一局 南家
←ツモ
「ちょっと待て、クイズなんかやってる場合じゃねーぞ!」
「問題に正解するとセキュリティシステムが作動して、邪魔者を撃退してくれ
る仕組みになってんのよ。凄いでしょ!」
「そういう事? だったら答えてやろうじゃねーか!」
セワシはモニターに全神経を集中した。五人の武士は鼻毛が見える距離まで
迫ってきているため、ダラダラと考えている時間はない。
「えっと。を切ればテンパイだけど、東一局からペン待ちの役無し手に
受けることはないよな。一旦テンパイを崩してピンフをつけるのが正着手だと
して、一番受け入れ牌の種類が多いのは……」
セワシはのボタンを押した。
「ピンポーン」
○
五人の武士に向かって、馬車から大きなマグロが発射された。マグロの腹に
は春画が貼り付けられている。マグロは五人の武士の横をすり抜け、ビチビチ
と勢いよく撥ねながら大路を逆方向に疾駆していった。
「トロじゃー!」
「エロのトロじゃー!」
五人の武士もマグロを追って、馬車とは逆方向に走り出した。五人の武士は
砂塵渦巻く京都の街中に消え去った。その後の運命は誰も知らない。
「よっしゃ!」
セワシは絶体絶命の大ピンチをひとまず凌いで、小さくガッツポーズをした。
「やっぱだよな! とでピンフテンパイになるし、も
しを引いても柔軟に対応する余地を残しておけるからな。巡目や捨て牌に
よっては事情も変わってくるんだけど、そういう情報が一切提示されてないん
だからしかないって!」
「セワシさん、安心するのはまだ早いわ! 次が来るわよ!」
ドラミは手綱を離して、朝食の味噌汁をすすっていた。二頭の馬はロボット
なので、放っておいても勝手に走ってくれる賢いヤツであった。それはともか
く新たな二人の武士が馬車に近づいてきていた。
「おう、任せとけ!」
セワシはサイコロのボタンを押した。モニターに次の問題が表示された。
【何を切る?】南二局 西家 ドラ
←ツモ
「は? タンピン三色ドラ1テンパイじゃねーか。こんなもん切りしか考え
らんねーだろ」
こんなクソ問題は指で答えるまでもないので、セワシは土足でのボタンを
踏みつけた。
「ブー」
×
「×!? なんで!?」
セワシの顔から血の気が引いた。そして大きなバツを映した画面を激しく叩
いた。
「しかねーだろこれ、故障だ故障! 秘密道具をぶっ壊すのもいい加減に
しろよドラミ!」
セワシはスネ毛まみれの足を持ち上げて、画面に何度もかかとを落とした。
セワシの秘密道具の扱いもたいがいであるが、×は無情にも×のままである。
追手をかわす術はもはやない。二本の魔の手がまっすぐに伸びて、馬車のへ
りをつかんだ。
続く
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