ドラえもんがのび太の部屋で見たハゲ頭は、この男であった。なるほど店長
ならば、天井から首を覗かせて客の様子を窺っていたとしても何の不思議もな
い。
「さっきあんたがぶっ壊したCCDね、あれ僕のだったの。分かったらさっさと
お茶とおしぼりと弁償代持ってこいやボケ!」
ドラえもんの主張は客として当然だが、江田島は何も答えずにドラえもんの
前にのそりと立った。そしてどんぶり飯を口一杯に頬張って、
「ぼけー!」
と、頬張った飯粒をドラえもんの顔面にぶちまけた。
「ドアに穴を開けたのは貴様かー!」
「げぼー!」
ドラえもんは江田島の強烈な頭突きで床に叩きつけられた。さらに頭突きの
衝撃で宙に舞った飯粒が雪のように降り注ぎ、ぶざまに這いつくばったドラえ
もんの体を純白に染め上げた。ドラえもん、麻雀教室開始以来初の被弾である。
盗撮機器を仕掛けた上に店の備品を破壊するような客は、あまり大きな顔をす
るべきではない。さらに江田島は右腕を大きく振り上げて、
「さっきの椅子ロケットは貴様かー!」
「のぎー!」
せっかくのあがりを台無しにされて落胆の色濃い烈を、黄金の張り手で吹き
飛ばした。しかしそれでは終わらず、江田島は雀卓に右肘をついて眼光するど
く烈を睨みつけた。
「貴様、腕力には相当自信があるようだな。先ほどの腕相撲、この江田島が受
けて立ってやる!」
大の字に卒倒していた烈が、江田島の挑発でバネ仕掛けのように跳ね起きた。
どうやらダメージはほとんどないようだ。烈は江田島の対面に座り、鍛え上げ
た左手で江田島の右手と組んだ。
二人の全身に満腔の気合がみなぎった。燃え上がるような闘気が空間をゆが
ませ、視線がぶつかり合って激しい火花を散らした。
「ぬおりゃー!」
乾坤一擲、江田島は全ての力を右腕に込めて、全体重をかけて押し込んだ。
勝者、烈海王!
「この卑怯者ー!」
「ばっはー!」
江田島の怒りのアッパーが烈のアゴを粉砕した。烈の上半身は天井にめりこ
み、下半身が柱時計の振り子のようにぶらぶらと揺れ動いた。次に江田島は開
け放した窓から首を出して外を眺め、クルリと振り返って、
「雀卓を放り投げたのは貴様かー!」
「どしー!」
のび太の延髄に一撃必殺の回し蹴りを叩き込んだ。無実の罪を着せられてマ
ットに沈んだのび太を江田島は一顧だにせず、ジャイアンベッドにつかつかと
歩み寄って、
「寝るなー!」
「げばらー!」
安穏と惰眠をむさぼるジャイアン、スネ夫、しずかをフライングボディプレ
スで押し潰した。そしてぺしゃんこになった三人の首根っこをまとめて掴んで、
「雀荘に来たら麻雀を打てー!」
「どりぶーん!」
後方の雀卓目がけて放り投げた。三人は錐揉みに落下して、三人分の椅子に
それぞれピタリと収まった雀卓の残りの一席に、江田島が地響き立てて腰かけ
た。江田島は戦後の焼け野原さながらの惨状を呈した店内を見渡し、憤怒を帯
びた大音声でのたまった。
「貴様らには分からぬだろうが、天井に開いた穴の数だけ、ワシは心で泣いて
おる! 今の貴様らは客でも神様でも何でもない、ただの蛆虫だ!」
蛆虫一同が天井を見上げると、烈が栓をしている穴も含めて今回開いた大穴
が三つある。それ以外にも、天井の至る所に修繕の跡が見える。店内の隅に積
み上げられたゴミ袋には、よく見ると緑の布切れやテーブルの脚のようなもの
が詰まっている。江田島が粉砕した全自動卓の残骸だろう。気に食わぬ客が来
るたびに店長が上から落ちてくるような雀荘には、蛆虫だって寄り付かない。
余談だが、麻雀教室第二部の舞台であるこのノースウエストは、実在する雀
荘である。暇を持て余していた作者とその雀友は、大学前のノースウエストで
数え切れぬ夜を明かした。いつ行っても客はほとんどいなかった。十年ほども
昔の話なので、今でも店があるのかどうかは分からない。
ここの店長というのがまさに江田島のようなクソオヤジで、お客様を放った
らかして別室で寝こけるわ、そのくせ客の会話はしっかり盗聴していて店内放
送で「やかましくて眠れないんじゃボケ!」と怒鳴り散らすわ、それでも私語
をやめないと「客だと思ってあんまりつけ上がんなよ」などと恫喝に及ぶわ、
あげくの果てには女子テニスプレイヤーのヒンギスを「チンギス」と発音して
モンゴルの王様に仕立て上げるわと、その武勇譚は枚挙にいとまがない。
そんなオヤジのピカロぶりにすっかり魅了されて常連となった作者だが、い
つしか足は遠のいていった。もっとマシな雀荘が、他に山ほどあったからだ。
あー。オヤジ元気かな。
「どいつもこいつもぶったるんどる! 貴様らの腐った性根、ワシが叩き直し
てやる!」
「なんだ? 終電か?」
江田島の怒声でジャイアンは我に返った。
「ここは駅じゃなくて雀荘だよ。とりあえず小学生はあんまり終電のお世話に
はなるなよ」
「そうよタケシさん。終電にギリギリ間に合うように居酒屋を出たらいつの間
かダイヤ改正されていて、1分前に終電が出ていた時の衝撃、あなたに分かる?」
ボディプレスのショックで、スネ夫としずかも正気を取り戻していた。三人
揃って待望の完全復活であるが、ドラえもんはそんな場合ではなかった。
「おいハゲ」
ドラえもんはヨロヨロと起き上がって、焦点の定まらない目で江田島を睨み
つけて言った。
「ひょっとしてお前、俺たちと麻雀が打ちたいだけじゃねーか? 杯盤狼籍だ
の蛆虫だのさんざん偉そうな口を叩きやがって、仲間に入れてほしいなら素直
にそう言えばいいじゃねーか! お前とは金輪際絶対に麻雀なんか……」
スパン、という濡れ手ぬぐいをはたくような音と共に、ドラえもんの首が床
に落ちた。ただ一人無傷のアカギが、ピアノ線でドラえもんの首を切断したの
だ。アカギはワタワタもがくドラえもんを蹴倒して、スネ夫を押しのけて空い
た席に座った。そして対面の江田島を氷の瞳で見据えて、言った。
「こいつは俺の獲物だ」
ついにアカギが喋ったのはいいとして、納得できないのはのび太である。
「僕との勝負はどうなるんだよ! 僕が役満アガって上り調子だからって、試
合放棄は許さんぞ! ていうか何でお前だけ元気なんだよこの世渡り上手!」
息巻くのび太とは対照的に、アカギは表情一つ変えない。
「さっきの勝負は、お前の負けだ」
「あっそ、ふーん。などとサラっと聞き流すと思ったら大間違いだコンニャロ!
なんで僕の負けなんだよ!」
アカギは胸ポケットから何本かの点棒を取り出した。雀卓が壊れる直前に素
早く確保しておいたものだ。万点棒が一本に千点棒が二本で、合計12,000点。
「……!」
ようやく天井の穴から抜け出した烈も、股間に突っ込んだ拳を引き抜いての
び太の前で広げた。真っ二つに折れた百点棒の片割れが一本だった。50点とし
てカウントしてやってもよかろう。
「アカギも烈くんも、常に最悪の事態を想定して動いているから突然のアクシ
デントにも点棒を確保できるんだよ。僕だってほら」
ドラえもんは四次元ポケットから新品の麻雀牌のケースを出した。首はガス
バーナーで溶接して元通りになった。
「新品のケースだから、当然点棒も新品さ。占めて120,000点ジャスト」
「ドラえもんのそれは反則だろ!」
「細かいことはいいじゃないか。それでのび太くんは一体何点持ってるのかな?
「ゼロだバカ野郎」
「はいのび太くんのビリっけつー」
三着の烈との差、わずかに50点。めったにお目にかかれない僅差での敗北に
のび太はガックリと肩を落とした。
「アカギとの勝負は、後でアカギに頼んで再開してもらうよ。それよりのび太
くんの危機回避能力のなさはちょっと問題だぞ。僕が一から鍛え直してあげる
からね。はいこれ」
ドラえもんはリボルバーの弾倉を回してのび太に手渡した。ドラえもんのロ
シアンルーレット教室が開講した一方、江田島の卓も着々とメンツが決まって
いた。
「なに、麻雀打つの? 俺も打っていいの? ケツに注射は?」
状況をまったく把握できていないジャイアンの対面には、烈が座った。烈の
標的はもちろんアカギである。ただし麻雀では絶対負けるので殴って勝つつも
りだった。
アカギvs江田島vs烈vsジャイアン。陸海空の覇権をかけた、麻雀頂上対決の
火蓋が、今切って落とされる!
続く
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