南三局、親は烈海王。のび太は前局の国士無双の勢いに乗ってガンガン攻め
たいところだが、烈のご機嫌が芳しくない。両腕を固く組んで、麻雀牌など見
るのも嫌だという風に、むくれてそっぽを向いている。
「なに怒ってんのさ烈くん。親がサイコロを振ってくれないと、なーんも始ま
らないんだぜ。あんまりボクらを困らせないでくれるかい?」
のび太は世間知らずのクソガキを諭すような口調で烈に言った。烈はのび太
の耳元に顔を近づけてゴニョゴニョと囁いた。
「牛丼は作らなくていいのかって? ここは牛丼屋じゃなくて雀荘だから、僕
たちが麻雀を打っても誰にも怒られないんだぜ」
烈は言われて初めて、この部屋から牛丼の匂いがしない事に気づいた。自分
たちは牛丼屋のバイトではなく、雀荘の客であるという事はなんとなく理解し
たが、烈にはまだ不満があった。
「サイコロを百個振りたい? ダメだよサイコロは二個しか振っちゃいけない
決まりなんだから。なんかサイコロ以外のものも混ざってるし。何これ? プ
ルトニウム? 烈くんは凄いもの持ってるねえ」
烈の怒りの種はまだある。
「中とか発があるのに烈がない? それはないんだよごめんね、ボクのせいじゃ
ないけど謝るから許してくれるかい? に文字を書き込んでもいいかって?
あとで消すならいいかなあ。それは油性ペンだからダメだよ。それは彫刻刀だ
からもっとダメだよ。だからと言って肛門に入れたら取れなくなるから……」
「のび太くん、のび太くん」
ドラえもんはのび太の背中を乱暴に突っついた。あまりに建設性のない会話
に体の芯からイラついて、極太の血管が頭に何本も浮き上がっている。
「一つずつ整理していこうか。どうしてコイツはでかい声でしゃべらないの?
辛気臭くてたまんねーよ。今すぐこのバカが死んでくれたらどんなに素晴らし
い未来がやってくるんだろうって、さっきからそればっか考えてるよ」
「ドラえもんまで怒っちゃったよ。烈くんの喋り方はちょっとアクが強くて人
からよく注意されるんだよね。それで、普段は周りに迷惑をかけないようにこ
うやって小声で話してるってわけ」
「女子高生がリンチの計画立ててんじゃねーんだから、もっと普通に話せよ。
おら烈、怒んねーからちゃんと声出して喋ってみろや」
烈はドラえもんに向き直った。少しばかり逡巡した様子であったが、やがて
意を決したように大きく息を吸い込み、大音声を張り上げた。
「私はッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ
ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ
ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ
ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ
ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!」
「うわ超ウゼー」
ドラえもんの頭の血管が大きく波打った。いつ皮膚を食い破って出てきても
おかしくない。
「ほら、聞いてるだけで心が蝕まれていくようだろ。ッさえなければ言ってる
事はまともなんだけどね」
「ッを抜いたら私はしか言ってないじゃねーか。次は疑問そのニな。どうして
コイツは雀荘にいるの? 麻雀打つ気なんか丸っきりゼロじゃん。麻雀を、い
やひいては日本人をナメてるんじゃねーのか?」
「烈くんを雀荘に連れてきたのはドラえもんだろ」
「うるへー! 過ぎたことをいつまでもズルズル引きずってんじゃねーよボケ!
おい烈、今からでも遅くないから麻雀のルールを覚えろ。俺がどら焼きを三個
食う間に、競技麻雀のメジャータイトル総なめしてこい。いっただっき……」
「てーい!」
烈の放った百点棒が、ドラえもんの眉間に深々と突き刺さった。烈は不敵に
片頬をゆがませて、ドラえもんに特大の屁をぶちかました。
「それがアナタの答えですか」
ドラえもんは食べかけのどら焼きを卓に置いて、眉間の百点棒を引き抜いた。
その顔には穏やかな笑みすら浮かんでいる。そして点棒についたオイルを拭い
て傷口に絆創膏を貼って、ゆっくりとポケットから独裁スイッチを取り出した。
「死ねー!」
怒りの魔神と化したドラえもんが、烈に向かって独裁スイッチを押した。
「………」
ところが烈は消えなかった。大股開きで椅子に腰かけて、余裕の表情でのほ
ほんと鼻をほじっている。
「あれ、おかしいな。のび太くん」
「なんだい?」
のび太に向ってスイッチを押したらのび太が消えた。独裁スイッチの故障で
はないらしい。ドラえもんはもう一度烈に向かってスイッチを押した。
「噴ッッッ!!」
烈は顔を真っ赤にして、体中の筋肉を膨張させて手足を突っ張らせた。やっ
ぱり烈は消えなかった。要はスイッチを押した瞬間だけ力を入れて、消されな
いように必死に踏ん張っているのだ。
「そんな事できるんだ。ちょっとすごいね烈くん」
烈は鼻息をボーボー吹いてそっくり返っている。ドラえもんは独裁スイッチ
を諦めてポケットにしまった、フリをして素早くスイッチを押した。
「とう!」
「破ッッッ!!」
気を抜いていた烈の身体に、瞬時にして万力がこもった。またもや烈は持ち
こたえた。全身を細かく痙攣させる烈の雄姿は、地上に現出した羅刹さながら
に雄々しく、そして暑苦しかった。
「お見事!」
ドラえもんは賞賛の拍手を烈に送った。成り行きを見守っていたアカギも、
よく分からないなりに一応手を叩いた。
一時間ほどして、のび太が帰ってきた。
「はい、お土産」
のび太はリボンのついた大きな箱をドラえもんに手渡した。箱の中には古びた
皿が九枚と、アイスホッケーのマスクが入っていた。
「なんだよこれ。どこで拾ってきたんだよ」
「拾ったんじゃないやい。独裁スイッチで飛ばされた先に井戸があって、そこ
で女の人がお皿を数えてたんだよ。九枚数えてため息ついて、また一から数え
直しの繰り返しでさ。本当は十枚セットのお皿で、一枚足りないのが気に食わ
ないんだってさ」
「ふーん。それで?」
「ボク見ててイライラしてきちゃってさ。残り九枚もあるんだから一枚失くし
たぐらいでヘソ曲げんなって説教してやったんだ。女の人も分かってくれたみ
たいで井戸の中に戻ったんだけど、その時お礼でもらったのがこのお皿ね。あ
の人はきっと長生きして幸せな老後を送るよ」
「このお皿はあとでお祓いしようね。ところで烈くんだけど、何とか牌を並べ
られる位にはなったよ。今は南三局の八巡目ね。のび太くんの手は、僕が進め
ておいたよ」
「そんでね、こっちのホッケーマスクは井戸の奥の茂みに隠れてた男が……」
「うっせーバカ。麻雀に集中しろ」
ツモ番は烈。ややギクシャクした手つきで山から牌をツモった。
←ツモ
「いいかい烈くん、まずは役を作ることを第一に考えるんだよ。親だったらと
にかくアガりさえすれば連荘はできるんだけど、目先の欲にとらわれて小さな
アガりを拾ってばっかじゃ、いつまでたってもうまくはならないぞ。よっぽど
待ちが広ければ話は別だけど、そうじゃなければ時にはテンパイを崩してでも
高めを狙う向上心が必要だよ。今みたいに大差で負けてる状況なら、なおさら
じっくり手作りしなくちゃダメ。分かった?」
烈はドラえもんのアドバイスに頷いて、を切って横に曲げた。イッツー
の可能性を微塵も考えない親リーチである。海王様は佞臣の戯言に気安く耳を
傾けたりはしないのであった。
「…………」
烈は辺りを睥睨して百点棒を場に出した。本来はリーチの際に出すのは千点
棒と決まっているのだが、海王様だからこれぐらいのワガママは余裕で許され
ちゃうのだ。そしてのび太とドラえもんが現物をオリ打って、アカギにツモ番
が回ってきた。
←ツモ
かを切ればテンパイだ。アカギは烈の捨て牌を見た。
字牌を整理した後に数牌の端を捨てている。典型的なタンヤオ、ピンフ志向
の捨て牌に見える。現物はない。
普段のアカギならば、ここで何の迷いもなくを切り飛ばしてテンパイを
とる。雀士としての天稟が、アカギにをつかませるのだ。だが、のび太の
国士無双によるダメージは予想以上に大きく、わずかに狂ったアカギの直感が
を捨てろとアカギに呼びかけてしまった。アカギ、打。
「……ッッ!!」
まさかのアカギからまさかの。烈はアカギの捨てたをピンセットでつ
まみ上げていったん床に捨てた。ハズレ牌なら正体を現すはずだが、は
のままだった。
「噴ー! 破ー!」
烈は歓喜の雄叫びを上げながら部屋中を走り回った。そして対面のドラえも
んの前で立ち止まってをプレゼントした。
「こりゃどうも」
ドラえもんは何となくを受け取った。烈は次に名刺をあげた。
「いやいやこれはご丁寧に」
ドラえもんは烈の名刺を拝領して、代わりにを烈に返した。これで儀式
は終わった。あとは烈がロンと言って牌を倒せば親の連荘が確定する。烈は手
牌に指をかけて、息を大きく吸い込んだ。
「ロッッッッッッッ……」
「許さーん!」
突然、真上の天井から巨大な馬フンが降ってきて雀卓を粉砕し、牌も点棒も
まとめて四方に吹っ飛ばした。烈の目の前に当たり牌のが落ちたので拾い
上げると、烈の手の上でみるみる崩れて灰になり、秋風に吹かれて消えた。烈
の初あがりは幻に終わった。所詮ははかない夢であった。
「人が寝ていると思って、好き放題に暴れてくれたのう」
馬フンは悠然とどんぶり飯をかっ食らっている。よく見るとそれは馬フンで
はなく人間だった。馬フンはどんぶり片手にすっくと立ち上がって、天も裂け
よと凄まじい怒号を張り上げた。
「貴様らの杯盤狼籍、ワシはちゃーんと見ておったぞ!」
紋付袴に朴歯下駄、ツルツルに磨き上げたハゲ頭。太い眉とたくましいアゴ
が意思の強さを思わせる。この人物こそ……。
「ワシが雀荘ノースウエスト店長、江田島平八である!」
続く
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