のび太は深海魚だった。
 わずかな光すらも届かない闇の世界で、プランクトンを喰らって惰眠をむさ
ぼっている。
 突如、巨大なウジ虫に襲われた。黄色い胴体に、毒々しい色のリボンを結び
つけている。一息に呑み込まれて、どこまでもどこまでも落ちていった。
 落ちた先はキャバクラだった。完全セット料金制の謳い文句につられてどっ
かとソファに腰を下ろす。下ろした直後に携帯が鳴った。
 麻雀のメンツが足りないからすぐ来てくれと言う。仕方がないので店を出る
ことにした。老婆さながらに腰の低いボーイが請求書を持ってくる。
 お勘定、128,000円。


 のび太はガバと跳ね起きた。顔中の汗をぬぐって見回すと、慣れ親しんだの
び太の部屋の中だ。
「なんだ、夢か…」
「128,000点は夢じゃねーからな。おら、これ書け」
 セワシの手を離れた借用書が宙を舞い、のび太の顔に覆いかぶさった。幾多
の老若男女を地獄に叩き落してきた、悪魔の紙切れだ。
 約束なんだからしょうがない。しぶしぶながらも、のび太は借用書にサイン
をした。
 ドラえもんが、関心しきりの態でドラミを褒め称えている。
「いやぁ、ドラミの燕返しはいつ見ても鮮やかだね。お兄ちゃん全然気が付か
なかったよ」
「うふふ」
「でも、何も分からないうちから大ダメージ喰らわせても面白味がないだろ。
適当に勝たせておいて、本人がいい気になったところでドカン、ていうのがネ
タ的にはよかったんじゃないかな」
「ごっめーん」
 血判を押して、手続きを完了させたのび太を振り返り、世にもすまなそうな
顔をしてドラえもんが話しかける。
「ごめんごめん、手作りの説明するの、すっかり忘れてたよ」
「それが一番大事なんじゃねーのかオイ!」
「いやあ、どうせすぐにとぶんだから、いいやと思って」
「……」
「80,000点でも足りなかったねぇ」
 図星をついたドラえもんに、言い返す言葉もない。
「麻雀のアガリ形ってのは、基本的に五つのパーツで構成されてるんだ。三枚
一組の面子(メンツ)が四つに、二枚一組の雀頭(ジャントウ)が一つ。例外
もあるけど、それはその都度説明するね」
「でも、それだと14枚になるよね。配牌は13枚だったけど、あと一枚は?」
「今から説明するから黙って聞いてろボケ。あがり方には二種類あって、まず
は栄和(ロン)。自分以外の人間が捨てたりした牌であがること。アガれる牌
が捨てられたら、ロンと言って手牌を倒してみんなに見せる。ロンした人間は
ロンされた人間から手役に応じた点棒をもらえる。次の人がツモった後ではも
うロンはできないから、行動は迅速にね」
「じゃあ、僕もロンって言ったら128,000点もらえるのかよ」
「あれは特別。なんせインチキだから」
「インチキなんだったら借用書返せよ!」
「あーもう時効時効。で、ロンだけど、これは役がないとあがれないから覚え
ておくように。もう一つはツモ。さっき説明した、牌を引くツモと同じ。要す
るに、自分でツモった牌であがること。これは門前(メンゼン)であればツモ
自体が役となるので、他の役がなくてもあがれる。これもロンと同様に、アガ
れる牌をツモったらツモと言って手牌を倒す。ツモはロンとは違って、他の三
人から点棒をもらえる。自分が親の場合は、点数を三等分してワリカン。自分
が子だったら、親の支払いが子の二倍になるように配分する」
「メンゼンって何?」
「後で説明するからおとなしく待ってろボケ。とにかく、どちらも手牌の13枚
に一枚を足すことになる訳だから、14枚がアガリ形ってことになるんだよ。分
かったかな?」
 のび太が分かったことは三つある。
 一つ、自分の128,000点は遠い所に行ってしまったこと。
 二つ、キャバクラのセット料金を信用してはいけないこと。
 そして、自分にはやっぱり麻雀は向いていないこと。
 のび太の心に秋風が吹いた。借用書の束は、その風にもびくともそよぐこと
はなかった。


続く
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