2004年27号 第209話

【前回まで】
ハンドポケットの状態から技をくり出す龍に対して、オリバは自らもハンドポケットで構えながらも己の持ち味を生かし、鮮やかに一撃をキメた………!!

 龍くんはフランス人である。フランス人は鼻が高いので、オリバのパンチを
受けて倒れた拍子に鼻が床に刺さってしまった。
 どんなに頑張っても鼻は抜けない。レフェリーが龍くんのそばにかがみこん
で、試合続行の意志を確認した。
「ギブだな? ギブだよな?」
 中国人はどんな時でも香水臭いフランス人が大嫌いなので、中国人のレフェ
リーは龍くんに負けてほしくてしょうがない。だが龍くんは鼻が抜けないとい
うだけで体はピンピンしているので、まだまだ試合をやりたがっている。
「ノン! ギブ、ノン!」
 そうは言っても、立ち上がることができなければ試合にならない。見かねた
オリバがちょっと調べてきてやると言って、試合場を出て行った。
 ジメジメとした暗い闘技場の床下を這い進むと、やがて床板から突き出た龍
くんの鼻が見えてきた。サーチライトで照らし出すと、鼻には大きなフランス
パンが深々と突き刺さっていた。なるほど、これではパンが邪魔になって鼻が
抜けないはずだ。オリバはサーチライトを口にくわえ、両手でパンをつかんで
鼻から引っこ抜いてやった。
 龍くんの鼻は抜けた。晴れて自由の身になって、さあこれで存分に闘えるぞ
と嬉々として周囲を見回すが、対戦相手のオリバの姿はどこにもない。
「レフェリー、オリバさんはどちらへ行ったのかな?」
「知らねーよバカ」
 レフェリーはとことん龍くんに冷たい。龍くんは自分でオリバを探しに行こ
うと、股間を一揉みしてエレガントに駆け出したが、鼻を抜こうとずっと踏ん
張っていたせいで足がふらついて、出入り口横の壁に激突した。はずみで鼻が
壁に刺さって抜けなくなった。
 オリバがフランスパンを振り回して歩いている。試合場の出入り口まで戻っ
てくると、脇の壁から見慣れた鼻が突き出ていた。鼻にはワインの瓶が根元ま
で食い込んでいて、壁の裏側では龍くんが鼻が抜けずに立ち往生しているに違
いなかった。オリバは軽くため息をついて、瓶をねじって鼻から抜いてやった。


 幾多の障壁を乗り越えて、二人は再び巡り合った。待ちに待った試合再開に
観客席から地鳴りのような喚声がおこり、パリのシャンゼリゼ通りで死体をつ
いばんでいたカラスの群れが一斉に飛び立った。
「鼻が高いというのも、何かと大変ですな」
「まあ、私フランス人なんで仕方がありません」
 短いやり取りがあって、オリバと龍くんはお互い激しく睨み合った。レフェ
リーの指示で前に進み出たが、龍くんの長い鼻がおでこを押しやるのでオリバ
は開始線に立つことができない。これでは試合が始められない。
「龍さん、鼻がジャマですよ」
「我慢して下さい。私フランス人なんで」
「んな事言ったって、ジャマなもんはジャマなんですよ。レフェリーからも注
意して下さいよ」
「うっさいボケ。てめーで何とかしろ」
 レフェリーはアメリカ人も嫌いだった。オリバは仕方なく龍くんに懇願した。
「試合開始まで鼻を横に曲げておくとか、それぐらいはできるでしょう」
「フランス人は曲がったことが大嫌いなんです」
「こんなに頼んでもダメですか」
「私フランス人なんで、ダメです」
「ところで龍さん、ワインとパンはお好きですかな」
「私フランス人なんで、大好きです」
「喰らえー!」
 試合開始の銅鑼を待たずに、怒りのオリバがワインの瓶で龍くんの脳天をか
ち割った。半開きになった龍くんの口にフランスパンを押し込んで、諸悪の根
源である鼻っ柱を渾身のパンチでぶん殴った。龍くんはひっくり返った。
「フランスフランスうっさいんじゃ! フランスがそんなに偉いんか、え!?」
 息巻くオリバの目の前で、龍くんの鼻がポロリともげた。オリバはしばし追
撃も忘れて立ちすくんでいたが、やがて震える声で言った。
「龍さん、アンタまさか……」
 龍くんはゆっくりと立ち上がり、オリバを見て薄く笑った。龍くんの鼻は、
ごく普通の高さの何の変哲もない鼻だった。
「その通り。私は、フランス人ではない!」
 そりゃあそうだろう。


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