2003年46号 第187話

【前回まで】
100年に1度開催される中国最大の武術大会・大擂台賽。毒に侵された身のバキは毒手の使い手・李 海王の猛攻にあいダウンを喫する!!

「裏返ったァッッ」
 裏返ってない。全然裏返ってない。
 李の毒手の猛攻を受けて仰向けにひっくり返った刃牙の体はまだらに変色し、
梢江の流した涙が追い打ちをかけるように肉と皮膚を焦がしていく。刃牙の血
も涙もよだれも小便も大便も、全てがヘドロのようにどす黒い。ただ一つ、ヘ
ソに突き立てたロウソクのみが真っ赤な炎を灯している。
 全身を激しく痙攣させる刃牙を見て、観客の誰もが今大会初の人死にを予感
したが、烈の目にはまったく別の光景が映っているようだ。
 以下、烈ビジョンでここまでの流れを追うことにする。


 中国拳法の圧勝だという自分の言葉を、烈はいまだに信じている。よって、
劉海王の惨敗も劉の周到な作戦なのだと解釈した。
 ジジイにはジジイの考えがある。ほんの少し顔を擦りむいたようだが、あん
なものはケガの内に入らない。敗者復活戦で華麗に復活を遂げて、油断した勇
次郎のケツの穴に五寸釘でも打ち込む算段に違いない。きっとそうに違いない!
 集中治療室にやってきた。ベッドでウンウン唸っている劉を無理やり叩き起
こして、涙を流して抱きついた。ジジイの深慮遠謀には感動した。さすがジジ
イだ! ジジイ! おおジジイ!
 ジジイの頬っぺたに景気づけのビンタをお見舞いする。ぶ厚く巻いた劉の顔
の包帯がちぎれて飛び、赤身の生肉が露になった両頬には、もっと真っ赤な烈
の手形の跡がついていた。劉の半身が再びベッドに沈み、それきりピクリとも
動かなくなった。
 戦士にも休息は必要だ。ジジイ、今はゆっくりおやすみ。
 続いてミスターの控え室を訪問した。先ほどの試合での戦いぶりに最大級の
賛辞を送り、実はアナタの父親の大ファンだと言って、マイクを持って熱唱す
る仕草をした。
 とりあえず「そりゃどーも」と言って頭を下げたミスターだが、目の前の烈
のゼスチャーと父親のイメージがどうしても重ならない。そんなミスターには
お構いなしに、烈のヨイショは続く。曰く、お父さんの影響で西武ライオンズ
のファンになった。曰く、お父さんのCMを見てリーブ21の申し込みを検討した。
云々。
 それでミスターにも合点がいった。このバカは、俺の親父を松崎しげるだと
思ってんだな。確かに自分もしげるも色黒だし、気持ちは分からんでもない。
 真実を告げるのも可哀そうなので、烈に付き合ってやることにした。肩を組
んで一緒に愛のメモリーを歌いあげ、渡されたサイン色紙に『しげるJr.』と
書きなぐり、二世タレントとしてのメジャーデビューを約束した。烈の双眸か
ら感激の涙が溢れだした。
 控え室を出ると、通路の向こうから五人組の女性客が歩いてきた。烈とすれ
違いざま、どの顔にも不快の色が現れた。拳法の実力はともかくとして、烈の
中国での女性人気はどん底の最低である。ムサい、クサい、三つ編みと三拍子
揃った上に、頭も悪いし童貞ときている。こんな烈を好きだという女がいたら、
その女は絶対にホモである。
 この女性客もご多分に漏れず、烈のことが殺意を抱くほど大っ嫌いだった。
彼女達のゴミを見るような視線と目が合った瞬間、烈の全身に衝撃が走った。
この娘達は、俺に恋をしている!
 電光の如く反転し、女性の一人に背中から抱きついた。引っ裂けるような悲
鳴をあげて、女性が烈を振りほどこうともがき出す。仲間の女性が烈の太もも
に怒りのキックを叩きつける。
 女の攻撃など痛くもかゆくもないのだが、烈の戦士の本能がやられっぱなし
を許さなかった。抱きしめていた女性を解き放ち、キックの女性の背後に回り
こみ、必殺の転蓮華をお見舞いしてやった。おかしな角度に首をかしげて崩折
れたその女性を抱き起こし、顔中に濃厚なキスをかます。どうだ女、嬉しいか!
烈様の接吻が嬉しいか! 肩を激しく揺さぶる度に、女性の首が前後にカクカ
ク揺れ動く。そうか、そんなに嬉しいか!
 他の女にも悦楽を与えてやろうと顔を上げると、四人の女性の小さくなった
後ろ姿が見えた。遠ざかる靴音に混じって、通路の奥から「人殺し!」という
声がかすかに聞こえるが、おそらく感激のあまりの照れ隠しだろう。やれやれ
と肩をすくめて、烈もその場を去った。残された女性の傍らに置かれたバラの
花束には『永遠の愛を』という烈の直筆メッセージが添えられていた。
 闘技場に戻ると、刃牙が血を噴いてぶっ倒れていた。しかし烈には何もかも
お見通しだ。刃牙の毒はとっくの昔に抜けている。ヘロヘロに弱ったふりをし
てわざとやられて最大のピンチという修羅場から不死鳥の如き復活劇を演出す
れば、伝説にもなれるし女にもモテる。
 ガキの小賢しい浅知恵ではあるが、ここは友人として片棒をかついでやるべ
きだろう。いたずらっぽい笑みを浮かべて、烈が大声を張り上げた。
 刃牙の毒が………


「裏返ったァッッ」
 いや、だから烈くん、ちっとも裏返ってないんだよ。
 バキ、死んじゃうよ。


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