ここでは60年代に行われた三線建設と、西部大開発を比較検証してみます。
軍需物資補給のインフラ建設と、国内貿易、輸出の交通インフラ建設
三線建設における四川の役割とは何か、それは全面的核戦争を前提とした後方基地建設である。そのため、補給面でのインフラ建設が重視された。既存の宝成鉄道のほかに、成昆鉄道を建設し、その沿線にある攀枝花から北京、東北方面への流通を促進し、襄渝鉄道を建設することによって、重慶を中心とした地域から湖北、河南、上海への流通を促進した。この時期の交通インフラの建設というのは、主に、中国東北地区、上海周辺に物資を輸送することを前提として建設された。この時期の交通インフラの建設というのは、北方への補給路を確保するのが目的だった。
西部大開発では全く逆の交通インフラ開発、流通強化が行われる。主な現行のインフラプロジェクトは、内昆鉄道と重慶―懐化鉄道の敷設である。これは主に南方への流通強化、輸出の拡大という目的がある。北方への流通を強化した三線建設のころとは完全に逆である。内陸部の弱点は海がないこと、輸出に不利であるという点である。西部大開発の大きな狙いに、重慶を輸出拠点とし、輸出を拡大させる目標がある。長江が、生態環境の破壊、三峡ダム建設によって交通インフラの機能を失いつつある現在、四川、重慶が輸出のために押さえなければならないルートは東進することではなく、南進することである。だから四川、重慶にとっては南方の海を目指す必要がある。
このように、三線開発は北を目指し、西部大開発は南を目指す。それは四川、重慶の役割の変化、内陸補給都市から、輸出、流通拠点への転換である。
名目上の地域開発から、真の地域開発へ
当然の事だが、西部大開発は地域開発である。たとえば内昆鉄道開発は内昆鉄道沿線の地域開発の意味を持つのは言うまでもない。本来インフラ開発というのは地域開発目的で行われるものである。しかし、かつての三線建設は地域開発が目的ではなかった。三線建設における四川、重慶の地域開発の目的は軍需物資を生産し輸送することにある。三線建設時に、北方へ物資を補給する鉄道として、襄渝鉄道ができた。もう一度のGDPと地域図で確認してもらいたい。四川省で、貧困人口が集中しているのは他でもない襄渝鉄道沿線である。今後の西部大開発における鉄道インフラ開発は、主に、省間をむすぶ。地域的なつながりと、その沿線開発が中心となる。地域間流通強化による相互の発展という目的を持っている。三線建設の2の轍は踏まないだろう。三線建設は都市ごとにそれぞれのプロジェクトが振り分けられ、実行された。まずは、地域ごとの優勢を発揮させつつ、都市建設に重点をおき、点在する都市を、鉄道を中心とした交通インフラで、点から線への発展を目指すことが期待される。具体的には、電子工業の面で、成都―綿陽―宝鶏―西安を線で結び、都市間の連携を強める開発が行われる。このように、三線建設時のような都市ごとの開発ではなく、都市をつなぎ、地域をつなげるような開発が西部大開発では行われる。
さらに地域の開発という点では、今後天然資源開発に期待が高まる。三線建設当時は、軍需工場優先政策と、非効率的な産業のフルセット化が提唱された。そのため、天然資源開発にしても、国防的意味が強かった。軍需工業を優先的に促進させるような開発が行われた。また、地域内で、すべての産業をまかなう政策が行われため、これまでの四川、重慶は天然資源の面ではほとんど地域間協力、外資導入が行われず、その優勢を十分に活かしきることができなかった。今後は「西気輸東」、「西電送東」政策によって、地域間の資源開発が促進され、外資にガス、石油以外の鉱物の優先採掘権を与えたことによって、積極的に中国の中でも特に四川が優勢を誇っている稀少金属の開発に参入することになるだろう。その結果、西部大開発の中で、固定資産投資が増え、地域住民の生活レベルを向上させるはずである。三線建設時の固定資産投資はほとんど地域に発展をもたらさなかったが、西部大開発では確実に地域の発展をもたらすことが期待できる。
<2001年1月>
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