三線建設の語源

 三線建設という言葉が初めて使われたのは、1962年の7000人大会のときに林彪が演説のなかで初めて用いたわけだが、内容は、台湾国民党に対する防衛計画として、三線地域に軍需工場、基地建設を行うというものだった。ただし、当時林彪の指す三線というのは、上海を一線とし、江蘇、浙江を二線とし、三線は湖北、江西だったとされ、後の三線建設の指す三線地域とはことなる。
 三線の定義だが、戦争の危険性が最も高い沿海、東北部が一線、戦争の危険性の低い内陸部が一般的に三線と言われているが、具体的な定義については諸説ある。プロジェクトの図を見た限りでは、四川、陜西、甘粛、青海、雲南、貴州及び、湖北、湖南、河南の西部とするのが妥当だろう。


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