3日目A


 58号線を離れ,海岸線を走って残波岬へ。右手には沖縄残波岬ロイヤルホテルがあり,大きな風車が回っていて,左手には残波ビーチがあります。広い残波岬公園の駐車場に車を止めて,灯台の方へ向かいました。万座毛と似たような感じ隆起サンゴの断崖が2キロにわたって続いています。ゴツゴツした岩場に上がって海を眺めると,ビーチの方はまだ潮が引いている状態でした。
 灯台に上がることができると聞いていたのに,なぜか門が閉まっていて上がることができませんでした。結構階段がしんどいみたいだし,門が開いていても上ったかどうか分からないけど(^^;)



 残波岬を出発し,「北谷にアメリカンビレッジとかあるけど寄っていく?」と聞いたけれど,EIKIはあんまり興味がないらしく,私も行きたいわけではなかったので,途中どこへも寄らず那覇市内を目指しました。
 HIYOは残波岬を出てすぐに寝てしまっていたので,私も一緒にうつらうつら。「那覇に入ったで」とEIKIに言われて目を覚ましました。時間はまだ3時前。レンタカーは6時前まで使えるし,このまま首里城に行くことにしました。
 計画している段階では,那覇市内には夕方ギリギリに着いて,どこにも行けないだろうと思っていました。ところがビオスの丘でわりとのんびりしていたのにも関わらず,順調に走り過ぎてかなり時間が余ってしまったのでした。HIYOがいるからとかなり余裕を見ていたのだけど,渋滞も全然なかったし,嬉しい誤算。
 首里城前の駐車場は満車で入れず,左折するように書いてありました。左折してどうしろと言うんだ?と思っていたら,細い路地に入って行く所にPを発見。そこは玉陵の横でした。地図だと首里城と玉陵は離れている気がしたけれど,歩いてみるとたいして離れていませんでした。
 守礼門をくぐり中に入っていくと本殿へのルートは階段があり,車椅子ルートは右手から入るよう案内が出ています。ベビーカーって言うのは車椅子と同じ。階段を担いで上がるのも面倒なので車椅子ルートから入りました。けれどこの車椅子ルート,普通のルートとは違うので,歓会門などを見ずに正殿に入る奉神門まで来てしまいます。なんか損した気分なので,ちょっと通常ルートの方へ逆行してみると,下の石畳の道を見下ろす高台があり,素敵な景色を見ることが出来ました。
 チケットを買って,有料部分の入り口,奉神門をくぐると,よく見る赤と白の縞模様の御庭と鮮やかな朱色の正殿が目の前に現れました。この内部を拝観するため,スロープを上がってまずは南殿へ。靴を脱いで上がらないといけないので,ベビーカーもダメかと思って抱っこしようとしていると,靴袋を渡していた人が「ベビーカーでそのまま上がっていただいて大丈夫ですよ」と言ってくださいました。土足禁止なのに外を転がしていたベビーカーはそのまま使っていいなんてちょっと変な感じ。雨の時とか泥んこになったベビーカーだったらどうするんだろ?まあベビーカーだと楽なんだから,ありがたくベビーカーで上がらせてもらいました。見学ルートもちょっと違ってエレベーターが使えたりしました。
 南殿には1階に螺鈿や紅型などの琉球の美術工芸品がが展示されていて,2階には琉球王朝の年表と歴代国王肖像画がありました。琉球王朝って日本史でも江戸時代頃にちょこっとしか出てこなかったなあ。尚氏とか,使節団のことくらいかな?意外に長い歴史があったんだなあと思いました。
 正殿には儀式や会議を行った「下庫理(しちゃぐい)」や王の玉座「御差床(うさすか)」がありました。やっぱり日本の普通の城とかと全然違う。日本のってこんな極彩色使わないもんな〜。(建物内は写真撮影禁止なので写真はありません)
 有料区間の見学が終わって,帰りのルートは階段を下りていく所なのだけど,車椅子ルートは元の道を引き返す様子。せっかくなのにいろいろ見られないのは悲しいので,EIKIにHIYOを抱っこしてもらい,私がベビーカーを抱えて普通の階段コースから帰りました。まあ特に何があるというわけではなかったのだけど(^^;)
 時間があったので,レストセンター「首里杜館(すいむい)」の中にあるカフェでアイスクリームを食べました。こっちに来て道端でアイスクリーム屋さんをたくさん見たけど,夜にコンビニで買って食べただけで沖縄らしいアイスクリームはまだ食べてなかったのです。紅いもとシークワーサーのダブルを注文。シークワーサーは柑橘系のさっぱりしたシャーベット系で,紅いもは甘ったるいクリーム系。食べる順番としては紅いもでシークワーサーがよかったのに,注文の順が紅いも,シークワーサーだったので紅いもが下になってしまいました。失敗〜(×_×;)。まあ,それぞれはおいしかったからいいけど。首里杜館の外に並んでいるお土産やさんは,かなり値段が安くてびっくり。ちんすこうなんかはお菓子御殿とかの半分から3分の1くらいの値段なので,自宅用にお勧め。


守礼門民族衣装の記念撮影 呼込み 歓会門
歓会門を見下ろす久慶門 首里城正殿

 のんびりしていたら5時前になっていて,玉陵もすぐ隣だから見ようと思っていたけど,レンタカーを返す時間を考えたらギリギリなので断念し,今日の宿ロイネットホテルへ。ホテルを見つけたのだけど反対車線だったので細い路地に入って引き返そうと思ったら,一通だったり,工事をしていて通れなかったりしてちょっとウロウロしてしまいました。ロイネットホテルはこの4月にオープンしたばかりで,オープン記念で安く予約できたのでした。全室インターネットの環境が整っていて,テレビもアクオスが入っていました。できたばかりだから部屋やバスルームもとてもきれい。HIYOに紙風船とタオルを,私にもグッズの中から1点選んでくださいと言われたので,ヘアクリップをもらいました。
 宿泊費はもらったカードを機械に通し先払い。そのカードがルームキーとなります。追加料金が出ればチェックアウトの時に清算するシステム。ちょっと機械化しすぎてなんだかそっけない気もします。部屋まで荷物を運んだらEIKIは急いでレンタカーを返しに行ってくれました。私は高校時代の友人KちゃんにTELしました。

 Kちゃんは大学時代から付き合っていた沖縄出身のM君と結婚し,紅型職人となった彼と一緒に那覇市内に住んでいるのです。今回沖縄に来るので連絡をし,3年ぶりに会うことになったのでした。
 首里城に着いた時にメールを入れたら,5時半頃まで仕事がかかると言うことだったので,ホテルに着いてから電話をしてみたのだけど,すでに仕事を終え,ゆいレールに乗ってこちらに向かっているとのことでした。国際通りで時間つぶしをしておくよとKちゃんが言うので,私も一緒にウロウロしようかと思ったのだけど,EIKIがレンタカーを返しに行っててややこしいので,ホテル部屋まで来てもらうことになりました。
 電話を切って荷物の整理をしていると,ベッドの上で遊んでいたHIYOが,ベッドの縁から落ちて一回転。大丈夫だったみたいだけど大泣きでした(;-_-A ここはビスタのように下をハイハイさせるわけにいかないしね〜。ハイハイの時期の子がいると洋室はやりづらいなあ。
 そうこうするうちにKちゃんとM君が到着。M君は話に聞いたり結婚報告はがきで写真を見ていたけれど,本人に会うのは初めて。かっこいいけど素朴な感じの人でした。Kちゃんにはおみやげにちんすこうと紅型のお守りをもらいました。ちんすこうはここのが本物なんだよ〜と伝承400年と言うちんすこう本舗「新垣菓子店」のもの。紅型のお守りはM君のオリジナルブランド「守紅」のもの。
 KちゃんとM君は自宅のマンションを工房にしているので,作業を見学させてもらいたいなと思ったのだけど,染物を広げてぴんと張ってる伸子(両端に針のついた竹ひご)が,布端が切れていきなりはじけ飛んだりするし,子供の目の高さだから結構危険だと言うので遠慮しました。
 紅型の染めの作業は,大豆をふやかしたものを使った染料を作る行程から自分でするそうで,生物なので腐るから作りおきなどできないし大変そう。そして色ごとに何度も蝋を塗って,染めの模様を描いたり,手間がかかるものなのだそうです。そして作業は蝋の乾き方に影響するので冷暖房が使えず,夏は暑くて大変なのだそうです。
 Kちゃんは大学を出た後教師をしていたので,教職を捨てて沖縄に来たのはもったいなくなかったのかなと思ったのだけど,今の紅型の仕事の方が面白いそうです。確かに教師になる人は多いけれど,紅型の職人にはなかなかなれないもんね。そして沖縄で教師をするというのは,関西弁の彼女にとってかなり難しいと言う話に納得。しかも,国語教師だしね〜(;^_^A

 6時過ぎにEIKIがレンタカー会社の人に送ってもらって帰ってきたので,一緒に食事に行きました。お店は国際通りにある「海援隊沖縄 モルビー店」をKちゃんが7時に予約をして,個室を取っておいてくれました。
 「守紅」の商品を置いているお店などお土産やさんがたくさん並ぶ国際通りをキョロキョロとしながら歩いて,「海援隊」へ。個室を取るためにKちゃんは「7名」で予約をしていて,「2人は急遽来れなくなった」と言うことになりました(笑)
 「沖縄料理が食べられる店」とリクエストしておきながら,昨日おとついと結構沖縄料理を食べてしまった私達。「ごーやちゃんぷるは?らふてぃは?ミミガーは?」と聞いてくれるKちゃんに,「昨日食べた」と言ってばかりで申し訳ない感じでした(^^;)。けれど,せっかくなので一通りの沖縄料理を注文。食べてなかった沖縄の県魚「ぐるくん」のから揚げと「ジーマミー豆腐」も頼みました。このジーマミー豆腐,アーモンドから作られた豆腐なんだけど,胡麻豆腐をもっと粘りを強くしたみたいな感じでおいしかったです。
 乾杯の時に「こういう時は『めんそ〜れ』って言ったらいいのかな。」と言うM君に,EIKIが「それに対してなんて言えばいいんやろ?」と聞くと答えに困ったM君。とりあえず4人とも「めんそ〜れ」で乾杯。いろいろ琉球言葉があるけれど,今の沖縄の人たちは普段そんな言葉使ってないんだよね。ちょっと語尾に「サー」と付いてイントネーションが違うくらいで,言葉自体意味がわからないなんてことはなかったです。
 そして面白かったのが,M君がミミガーを食べるのは初めてだったこと。沖縄の人ってしょっちゅう食べてるのかと思ったけど,そうでもないみたい。Kちゃんもごーやちゃんぷるはよく作るけど,他の沖縄料理はそうしょっちゅう食べるものでもないと言ってました。M君のお母さんは首里の出身の方で,この地の人は昔の王族の流れ獣類は食べないのだとか。それでM君も豚の耳を使ったミミガーは食べたことがなかったと言うわけ。私もこれはあんまり好きではなかったけど(^^;)
 M君は「沖縄のお店っていい加減な人多いでしょ?いやな目とか遭わなかった?」と言うので「別にそんなことなかったけど」と言う話をしていたら,早速そういう出来事が発生。注文していたマンゴープリンのパフェ2つがいつまで経っても来なくて,店員さんに言うと「すぐお持ちします」と言ったきりさらに15分ほど経っても来ない。もう一度言って,しばらく待ってようやく来たのだけど,もって来た店員ときたら「マンゴープリンがなかったので,一つは普通のプリンにしました。」と言って持って来たのです。Kちゃんはそのまま受け取っていたのだけど,散々待たした挙句注文したのと違うの持ってくる?しかも違うのに代えるのだったら事前に了解を得てから代えるんじゃない?M君は「こういうところいい加減なんだよね〜」と苦笑い。なんでも沖縄の人はのんびりしてるし,かなりアバウトなんだとか。確かにね,納得(^^;) 関西人は関西人で気が短いし。奈良にいた時,喫茶店でバイトしていたM君は,逆に関西人のイラチに驚いたんだろうな。さっきのマンゴープリンが遅かったのなんて「マンゴー取りに言ってるんか,とか言われそうだね。」とM君。言いそう,関西人(笑)。
 HIYOは途中から眠くなって,ぐずった後寝てしまいました。ただ,下がビニールのシートだったので汗ぐっしょりになって30分くらいで起きてしまい,その後はまたかなりぐずっていました。
 結局9時半過ぎまでいろいろ話をしながら食事を楽しみました。外に出てみると風が強くなり,ちょっとぱらぱらと小粒の雨。HIYOはEIKIに肩車をしてもらい機嫌よくなったのだけど,途中から風をまともに顔に受けて吹き飛ばされそうになっていました。
 部屋に帰ったら10時過ぎ。遅くなってしまったとすぐにお風呂に入れて寝させようとしたのだけど,お店で少し寝たHIYOは元気いっぱいで,ベッドに寝転がる私とEIKIの間をウロウロ,そして二人の顔を手でバシバシ。眠くなってきて相手してやらないと,今度はベッドの頭の部分につかまって立ち,壁をバシバシ。それはやめて。隣の人に怒られちゃうよ〜。強引に抱きかかえて横になっていたら,ブーブー言いながら12時頃になってやっと寝てくれたのでした。こっちに来てから睡眠時間かなり短いと思うんだけど?疲れないのかな?


  
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