人影もまばらな空港から、一台の飛行機が飛び立った。わずかに白み始めた
東の空を行くチャーター機の窓外には、ミニチュアのような日本の街並みが見
える。三人のSPに囲まれた男は、その景色にチラと一瞥をくれただけで、すぐ
に窓から目を離してリクライニングシートに身を沈めた。
 太平洋上に差し掛かった頃、機長のアナウンスが機内に流れた。
「クソガキー! 起きろー!」
 ビックリ箱のようにシートから跳ね起きて、男はサングラスを外して正面の
スピーカーに投げつけた。
「天下のキアヌ・リーブス様に向かってクソガキとはなんじゃー!」
「クソガキをクソガキと呼んで何が悪い! 電報が届いたから読めや!」
 コックピットの扉が乱暴に開かれて、亀の甲羅が客席のK目がけてすっ飛ん
できた。Kの頭の上に着地した甲羅から首と手足が伸びて、亀は目にいっぱい
の涙を浮かべて尻から一枚の紙切れをひり出した。Kは膝の上に落ちた紙切れ
を拾い上げて、文面に目を通した。
「おー読んだるわい! えーと……」

のび太くんとアカギがノースウエストで麻雀を打っています。くだらない映
画なんか撮ってる暇があったら応援に行ってやれヘボ役者。
機長より

「のび太くんとアカギが麻雀勝負!? うへー!」
 こりゃ驚いたという顔をして、Kは頭上の亀に電報を返した。おいしそうに
電報を食べる亀をSPの一人が鷲づかみにして、コックピットに力いっぱい投げ
返した。ガラスの砕ける音がして、機内に激しい乱気流が巻き起こった。
「危ねーだろうがクソガキ! 飛行機が落ちたらどうしてくれるんじゃ!」
「落ちないように操縦するのが機長の仕事じゃねーのか! テメーこそ電報な
んか打ってる暇があったら黙って操縦桿を握ってろボケ! のび太やアカギが
誰と麻雀を打とうが、俺には全然まったく関係ないんじゃー!」
「なろー!」
 コックピットから金属の固まりが飛んできた。操縦桿だった。
「メッセージが電報だけだと思ったら大間違いじゃ! SP!」
 機長のご指名を受けた別のSPが、スーツの内ポケットからビデオテープを取
り出した。シートに備え付けのビデオデッキにテープをセットして再生すると、
皺だらけの老人がモニターに映し出された。
「キアヌくん、元気? ボスだよー」
「おー、ボス!」
 偉大なボスからのビデオレターに、さしも剛腹なKも背筋を一瞬ピンと伸ば
した。それも一瞬だけで、すぐにシートにふんぞりかえって股ぐらをボリボリ
かき始めた。
「で、そのボスが俺様に何の用よ? 言ってみろやオラ」
 丸めた鼻くそをモニターに投げつけながら、ボスの次の言葉を待った。
「今度撮ることになってたキアヌ君の主演映画ね、あれボツになったの。友達
のマンションで一日だけ麻雀打ったら、スポンサーのお金を全部使っちゃった
の。だからキアヌくんはもうアメリカに帰ってこなくていいの。ほんじゃねー」
「そ、そんなファッキンな理由で、僕の映画が撮影中止? うへー!」
 ビデオレターはそこで終わった。驚愕の叫びをあげてモニターから顔を上げ
たKの満面には、すべてを水に流した爽やかな笑顔が広がっていた。
「ま、中止になったもんはしゃーないわな。しょうがないからのび太の様子で
も見に行ってやっか」
 よっこらせいとパラシュートを背負って立ち上がったKの尻を、三人目のSP
が思い切り蹴り上げた。
「うおりゃー!」
 咆哮一声、窓ガラスをど派手に突き破ったKの体が大空に舞った。新たな目
的地となったノースウエスト目ざして、元きた航路を一直線に引き返していく。
「のび太くーん! 今行くぞー!」
 遥か眼下で黄色いパラシュートが開くまで見届けて、三人のSPはシャンパン
のボトルを開けた。飛行機の操縦をオートに切り替えた機長もやって来た。琥
珀色の液体をグラスに注いで、邪魔者が消えた喜びを四人で祝した。
「かんぱーい!」
 突風の吹き荒れるチャーター機に、四つのグラスの触れ合う音が響いた。
 快適な空の旅は続く。


 出木杉が下半身丸出しで天に舞い上がった動画は、ドラミがこっそり配信し
ていた。その結果、世界中から出木杉への問い合わせが殺到した。
「ハイ出木杉。ユーはどうして爆風に巻き上げられているんだい? そういう
プレイならオレも混ぜてくれよハハハ!」
「ハイ出木杉。わたしユーのチンコに見覚えがあるの。去年わたしをレイプし
たのはユーなの?」
「ハイ出木杉。今すぐ我が教団に入信して心臓を悪魔に捧げたまえ」
「あはははは。やっぱり僕って生まれながらのキラーコンテンツなんだよね!」
 被写体もさる事ながら、ドラミの撮影テクニックもただ者ではなかった。
「しっかし、見れば見るほどベストショットだよなあ。ただの黄色いドラム缶
だとばかり思っていたけど、ちょっとドラミくんを見くびりすぎていたかな?」
 ロボットに対する偏見に満ちた今までの自分を、出木杉は恥じた。憎しみ合
った過去はきれいさっぱり忘れて、ドラミとの清く正しいお付き合いを心から
願う出木杉であった。
「そのためには、まずドラミくんのプライベートを徹底解剖する必要があるね。
よいしょっと」
 出木杉はモニターに町内全域の地図を映した。
「さてと。ドラミくんは、どこで何をしているのやら……」
 野比家の位置で、黄色い点が明滅している。これがドラミの現在位置だ。ド
ラミはのび太の部屋で麻雀を打っていた。
 盗撮趣味の金看板は伊達ではない。何事にも完璧を期する天才少年の出木杉
は町の住民全てに発信機を、町内の要所要所に監視カメラを取り付けているの
だ。昼間、この部屋でドラミに無意識に取り付けた発信機が、こんな形で役に
立つとは思わなかった。出木杉はドラミの足取りを追った。
 ドラミは居酒屋へ出かけた。ドラミは居酒屋で酒を呑みながら麻雀を打って
いた。
 ドラミは野比家に帰ってきた。ドラミはのび太の部屋で麻雀を打っていた。
 ドラミはまた出かけた。行き先はどうやら駅前の雀荘のようだ。
「あはははは。酒と麻雀と引きこもりの繰り返しだ。リストラされた中年みた
いな生活サイクルだなあ……おや?」
 青い点と黄色い点が雀荘に向かっていたが、黄色い点のみが野比家に取って
返した。青い点はドラえもんだ。黄色い点が野比家の庭に戻ってしばらくする
と、駅近くの公園にも黄色い点が出現した。これで黄色い点が二つになった。
面白おかしくモニターに見入っていた出木杉の目が、大きく見開かれた。
「ドラミくんが二人になった? どういうことだ?」
 公園に設置された監視カメラは、ドラミとセワシが公衆便所から出てくる姿
を捉えていた。二人は雀荘へ行き、先に到着していたドラえもんたちと合流し
た。野比家の庭の様子は分からないが、こちらの黄色い点が動く気配はない。
「あはははは。ドラミくんも、色々と面白いトラップを仕掛けてくれるねえ。
こうなったらこの目で直接確かめに行っちゃうぞ!」
 出木杉は椅子から立ち上がって、ズボンとパンツをずり下ろした。
「うおー!」
 自分の全裸画像で一発抜いて、身も心もスッキリした。出木杉は家を飛び出
して、深夜の町を猛然と駆けていった。


 麻雀の極意は腰使いにあり。セワシの教えを心に刻み、のび太のパパの下半
身が唸りを上げた。
「はー!」
 パパのエスコートで、ダッチワイフが夜空に舞い踊った。月の光に照らし出
されたダッチワイフの裸体は女神のように清らかで、美しかった。ダッチワイ
フだけど。
「いやー、我ながらよく頑張った! パパの麻雀も、人前に出しても恥ずかし
くない程度には上達したかな?」
 パパはダッチワイフを抱いて全身汗まみれという、決して人様にはお見せで
きない姿だった。上気した体に夏の夜風が心地よい。
「ところで、ここは一体どこなんだ?」
 パパの目の前には、見渡す限りの大海原が広がっていた。腰使いの特訓に夢
中で、今まで全然気がつかなかった。ちょっとそこまでのつもりだった外出が、
思わぬ遠出となってしまったようだ。
「パパ、もう会社なんかやめちゃおうかなあ……」
 波濤のうねりと潮風の匂いに誘われて、パパは文明社会からの卒業を考えた。
この辺りに突然小屋とか建てて住みついたらみんなウケるかな、などと適当な
思いつきで第二の人生を描き始めたその時、ひときわ大きな波が沖の彼方に盛
り上がった。
「でっかい波だなあ。パパの定期預金の何倍はあるだろう……ん?」
 凄まじい勢いで押し寄せる波の頭に、何やら豆粒のようなものが見えた。波
が岸に近づくにつれて、豆粒の正体も明らかになった。イカダだ。男女とおぼ
しき二人の人間がちょこなんと座っている。男は誰だか知らないが、女性の顔
には見覚えがある。のび太のママだ。
「え! 母さんが二人になった!?」
 パパはダッチワイフとママを交互に見比べた。そしてよく見るとママではな
かったダッチワイフを放り出して、イカダに向かって大きく手を振った。
「母さーん! パパだよー! 冷凍庫のアイスクリームの容器に犬のウンコを
詰めて母さんに半殺しの目にあった、のび太のパパだよー!」
 陸地の手前で波は崩れた。イカダは見事なランディングで岸に流れ着き、マ
マと男がパパに近づいてきた。男はおそらく外人だ。ママは普段と変わらぬおっ
とりした口調でパパに言った。
「あらアナタ、お久しぶり」
「お久しぶりじゃないだろう! 一言もなしに出かけるもんだから、ずいぶん
心配したんだぞ! そんなことより、隣の男は一体何者だ?」
「そうそう、アナタにも紹介しておかなくちゃね。海で溺れかけたワタシをイ
カダで助けてくれた外人さん」
「どうも、外人です」
 外人はペコリと頭を下げた。あまりに流暢な日本語だったので、パパの怒り
は爆発した。
「外人だったらキチンと外人語をしゃべらんか! さ、このダッチワイフをあ
げるから、さっさと外人の国へ帰りなさい!」
「そんなものはいりません」
「ぐぬぬぬー! この外人めー!」
 パパは足元のダッチワイフを拾い上げ、背中のジッパーを下ろして外人の頭
からすっぽりと覆い被せた。手足の長さも身長もピッタリだった。
「外人くん! 今日からキミはダッチワイフになりなさい!」
「ワカタヨー」
 外人は急にカタコトになった。ママを助けた悪い外人をやっつけて、パパは
改めてママとの再会を喜んだ。
「とにかく、母さんが無事に帰ってきてくれて、パパは嬉しいよ!」
「晩ごはんの仕度、すっかり忘れてたわね。のび太やドラちゃんが心配だわ」
「のび太は今、アカギとかいう白髪の兄さんと麻雀を打っている筈だよ。そう
だ、これから雀荘に行って、二人でのび太を応援してあげようじゃないか!」
「そうね、そうしましょう」
「実はパパも、このダッチワイフを使って麻雀の特訓をしていたんだ。特訓の
成果を母さんに見せてあげたいんだけど、一緒に踊ってくれないかい?」
「イヤよ」
「よし! とっとと雀荘に行こう!」
 パパとママは歩き出した。ダッチワイフも後からついてきた。雀荘がどこに
あるかは分からないが、きっと二人はのび太に逢える。二人はのび太のパパと
ママなのだから。


「俊くーん! こっちこっちー!」
「返してくれよお。オイラの大事な晩ごはんを返してくれよお」
 十人以上の少年がホームレスを取り囲んで、豚の丸焼きを投げ合っている。
ホームレスは垢じみた汚い襤褸を引きずって必死に追いすがるが、少年はすん
でのところで豚の丸焼きを放り投げて、それを別の少年がキャッチする。この
繰り返しだ。夜の公園に他に人影はなく、ホームレスに救いの手を差し伸べる
者など現れるべくもない。
「おっと」
 少年が手を滑らせた。地面に落ちて軽くバウンドした豚の丸焼きに、ホーム
レスはしゃにむに飛びついた。ホームレスはようやく取り戻した豚の丸焼きを
高々と持ち上げた。
「でやー!」
 ホームレスは豚の丸焼きを少年に投げつけた。少年は巨大な肉の塊を顔面で
まともに受け止めて、目から血を噴いてひっくり返った。別の少年がホームレ
スに向かってホイッスルを吹いた。
「俊くん、クリティカルミート! ボーナス加算で25ポイント!」
「おっしゃー!」
 ホームレスは大きくガッツポーズをした。目から血を噴いた少年が茂みに入っ
た豚の丸焼きを拾ってきて、再びパスで回し始めた。
「俊くーん! こっちこっちー!」
「やめてくれよお。オイラの豚の丸焼きだよお。お腹がペコペコで死んじゃう
よお」
 突然、公衆便所の裏手から光があふれ出した。音が聞こえてきそうなほどの
強烈な光はすぐに消えたが、ホームレスたちはゲームの手を休めて公衆便所の
方をじっと見た。ホームレスの傍らにいた少年がホームレスに言った。
「今の光、ひょっとして例の銅像なんじゃ……」
「そのようだな。見に行くぞ!」
「ラジャー!」
 公園の公衆便所の裏には銅像が建っている。幕末の京都の侍を讃えたものら
しいが、ホームレスはこの銅像が不思議でしょうがない。公園に住み始めた頃
からあったような気もするし、昨日までは何もなかったような気もする。銅像
にまつわる自分の記憶がまるで判然としないのだ。
 銅像は消えてなくなっていた。残された御影石の台座は、月の光を虚しく照
り返すばかりであった。
「これは一体……」
 呆然と立ち尽くすホームレスの横を一人の少年が通り抜けて、豚の丸焼きを
台座の上に置いた。審判役の少年が高らかにホイッスルを吹き鳴らした。
「社長ジュニア、ポークスタチュー! 30ポイント!」
 わっと喚声が上がり、社長ジュニアと呼ばれた少年は大きく飛び跳ねて喜び
を爆発させた。ホームレスは社長ジュニアを見てニヤリと笑った。
「やるな、さすがは社長の息子だ!」
 他の少年にもまだまだ挽回のチャンスは残っている。ホームレスたちは銅像
の謎は後回しにして、ゲームを再開した。
「俊くーん! こっちこっちー!」
「やめてくれよお。食べ物を粗末にするなよお」
 ゲームのルールはいまいちよく分からない。


 公園の銅像が消えたのとほぼ同じ時刻、のび太の部屋のゴミ箱もまた光に包
まれた。小刻みに振動を始めたゴミ箱の中から焼け焦げた石灰質の破片がいく
つも飛び出して、空中で寄り合わさって何かの形を作り始めた。
 数分後、完全にタヌキの置物の様相を呈した破片の集合体が、開け放した窓
から外に出た。しばらくの間、野比家の屋根の上で周囲を探るように宙を漂っ
ていたが、やがて目標を定めたかのように動き出した。
 タヌキの行く先には、ノースウエストがある。


 駅前居酒屋の冷蔵庫の扉が、軋みを立てて開いた。緑がかった冷気の奥に男
の影が浮かび上がり、大きくのびをしながら厨房に出てきた。
「あー! サッパリしたっすよー!」
 ケンシロウだった。バスタオルを腰に巻きつけただけのラフな格好で、裸の
上半身からは湯気が立ち上っている。
「夜勤明けの疲れた体にはサウナが一番っすよね。ビールビール」
 ケンシロウは食器棚に隠してあった自分専用のミニ冷蔵庫から缶ビールを取
り出すと、喉を鳴らしてあっという間に呑み干した。マグマのつまみはサウナ
のマグマ浴という意味だった。
「ぷはー! ビールサイコー! タダ酒サイコー!」
 冷蔵庫は自分のものだが、ビールは店の売り物である。
「それにしても自分、みんなに体中を噛まれたはずなのに、どうしてゾンビに
なってないんすかね? 噛んだ本人たちはこんなになっちゃってんのに」
 ケンシロウは冷蔵庫の中を覗き込んだ。店長を筆頭としたゾンビ軍団は、も
はや人間の原型をとどめていなかった。サウナの熱気でドロドロに腐った緑の
体が混じり合って、もずくみたいになっている。ゾンビは不死のモンスターな
ので、そんな状態でも時々粘っこい液体が蠢いたり意味不明の奇声が聞こえて
きたり、うっとおしい事この上ない。ケンシロウは冷蔵庫の扉を静かに閉めた。
「大体この冷蔵庫は外から鍵をかけられたはずなのに、どうして開いたんだろ
う? うーん……」
 ケンシロウは考えた。
「まーいいや。きっと運がよかったんすよね」
 ケンシロウは考えるのをやめた。汗ばんだ体をタオルで拭いて服を着て、改
めて店の中を見回した。
「しかしまあ、ひどい有り様っすねえ」
 店内の窓ガラスはすべて吹き飛んで、壁には無数の鉛弾がめり込んでいる。
テーブルも椅子も一つ残らずひっくり返って、もはや店というより世紀末の戦
場跡であった。
「自分も店員の端くれだし、少しは片付けておいてやるっすかね」
 ケンシロウはサウナ上がりの綺麗な小指で鼻くそをほじりながら、薬莢だら
らけの床を歩いてホールに向かった。独り言の多い男だ。
「よっこらせっと」
 ケンシロウはテーブルを持ち上げた。はずみで金属製のテーブルの脚がクの
字に曲がった。
「おっと」
 バランスを崩して倒れたケンシロウの手の下で、テーブルの板が真っ二つに
割れた。
「ん?」
 ケンシロウは壊れたテーブルと自分の手を交互に見た。多少の経年劣化を差
し引いても、こんなに簡単に壊れる代物ではないはずだ。ケンシロウは鉄筋コ
ンクリートの壁を軽く叩いた。
「あたあ!」
 豆腐に箸でも突き刺したかのように、ケンシロウの拳はいとも簡単に壁を貫
通した。壁から拳を引き抜くと、隣のビルの窓ガラスが割れて黒煙を拭いてい
るのが見えた。打ち抜いた壁の破片があそこまで飛んでいったようだ。
「この馬鹿力はなんすか!」
 ケンシロウが自身の肉体の変化に気づいたその時、入り口の自動ドアが開い
た。客だ。
「いらっしゃいませー!」
 ケンシロウは入り口に駆けつけ、満面の営業スマイルで客に挨拶した。客は
デブとマッチョの二人組だった。
「お客様、店内のこの有様はいったい何事でしょうか!」
「同じ事を聞いていいか? 店内のこの有様は何事だ」
「話せば長くなるけどいいっすか! 酒も食い物もないけどいいっすか!」
「よくないに決まってんだろ。おいラオウ、別の店行こうぜ」
「お客様!」
「んが?」
 ケンシロウは振り向いたデブの首筋に噛み付いた。
「んがー!」
 不意をつかれてのた打ち回るデブの体が緑色に染まった。白目になった眼球
が飛び出して牙が頬肉を突き破るに至って、及び腰で事態を見守っていたラオ
ウは完全に逃げの体勢に入った。
「あ、黒王号にエサやんの忘れてた。オレ先に帰るわ」
 ハート様はエレベーターに乗り込もうとしたラオウの首に長い舌を巻きつけ
て、一気に手元に引き寄せた。
「ハート様やめてー! 離せデブー!」
 ハート「様」なのに「デブ」呼ばわりでは、ハート様が怒るのも無理はない。
ハートは耳まで裂けた口を大きく開けて、ラオウの首筋に鋭い牙を突き立てた。
「ひでぶー!」
 ラオウの体も緑色になって、目が出て鼻毛が伸びてゾンビになった。
「つまり自分もゾンビになってたんすねー。ま、それでも自分を見失わないあ
たり、ケンシロウの名前は伊達じゃないって感じっすね」
 ケンシロウはめげなかった。バカにつきもののプラス思考で、無敵のパワー
と危険な男の香りを得たことを、むしろ神に感謝した。
「そうだ! 生まれ変わった自分をセワシさんにも見せるっす! もう便所サ
ンダルシロウなんてだっさい名前では呼ばせないっすよ!」
 ケンシロウは窓から飛び降りた。空中でバランスを崩して頭から地面に激突
したがすぐさま起き上がって、無人の大通りを走り出した。そしてあっという
間に音速の壁を突き破った。
「うひょー! すっげーはえー!」
 ケンシロウはセワシの居場所を知らないが、ノースウエストとはまるで反対
の方角に向かって怒涛の進撃を続けるのであった。
「セワシさーん! どこにいるんすかー!」


「なにい! 野比のび太が、赤木しげると麻雀を打つというのか!」
「はい! 駅前のノースウエストにて、間もなく対局開始とのことであります!」
「ノースウエストだとお!? 麻雀だったら美食倶楽部で打たんか美食倶楽部
で! この海原雄山を、どこまで愚弄すれば気がすむのだ!」
「食事専門のお店で麻雀を打つ方が、よっぽど先生を愚弄していると思うんで
すけど……」
「士郎の分際で口ごたえは許さーん! 食らえ!」
「カルパッチョー!」
「よし! ワシらもノースウエストに参るぞ! 士郎、車を用意せい!」
「かしこまりました! ところで先生、わたしは士郎様でなくて、板前の中川
なんですけど……」
「貴様の名前など知ったことではなーい! 食らえ!」
「マンゴスチーン!」
 誰だよお前ら。


 アカギとのび太が睨み合いを続けるノースウエストの、入り口のドアが開い
た。日本一のグラビアアイドルになった自分の姿を想像して悦に浸っていたの
び太は我に返ってドアの方を見た。
「あー! 出木杉くん!」
「あはははは。のび太くん、あれから借金はどこまで膨れ上がったのかな?」
 耳の痛い質問には答えず、のび太は出木杉の手を固く握りしめた。出木杉の
脇には特大のスーツケースがあった。
「僕の応援に来てくれたんだねありがとう! それにしても随分大きなカバン
を持ってきたんだねえ」
「あはははは。カバンと刑務所は大きいに越したことはないからね。ドラミく
んは今どこにいるのかな?」
「奥の厨房で、セワシくんと一緒にカレーを作ってるよ!」
「そうか、それはよかった」
 ドカーン!
 また入り口のドアが開いた。というより、蝶つがいが外れて向こうの壁まで
吹っ飛んだ。騒ぎを聞きつけて、セワシが厨房からやって来た。
「なんだ? 祭りか?」
「セワシさん! やっと見つけたっすよ!」
 胸に七粒のトウモロコシ。セワシのよく知る男だった。
「おお、お前は便所サンダルシロウ!」
「あたー!」
 ケンシロウの黄金の右足が、セワシのみぞおちにめりこんだ。
「げぼー!」
 羽毛のようにソフトな中段蹴りだが、生身の人間には充分すぎる威力だった。
セワシはドアと同じくらいど派手に吹っ飛んで、吐瀉物を撒き散らしながら故
郷の厨房に帰っていった。
「セワシさん、自分の名前はケンシロウっすよ! 次に便所サンダルシロウって
呼んだら首筋を噛み噛みしちゃうっすよ!」
 ケンシロウの警告がセワシの耳に届いたかどうか。厨房は不気味なほどに静
まり返っている。
「攘夷じゃー!」
「ブヒーン!」
 殺気だった絶叫が、厨房の静寂を一瞬にして破った。食器の割れる音、セロ
リをかじる音、天ぷら油の燃える音。ビックリSEの宝庫と化した厨房から、今
度はドラミと武士が飛び出してきた。
「きえー!」
 武士の振り下ろした日本刀を、ドラミは間一髪、真剣白羽取りで受け止めた。
「あんたちょっと、いい加減にしなさいよ! 21世紀の日本で攘夷もクソもな
いでしょ!」
「うっさいボケ! 貴様のような不思議生物は、いつでもどこでももれなく攘
夷なんじゃい!」
 武士が刀を押し込めば、ドラミが刀を押し返す。一進一退の攻防を続ける二
人の傍らの雀卓では、二匹の馬が積み込みの練習にはげんでいる。
「馬ー! 遊んでる暇があったら、あたしに加勢しなさーい!」
「ブヒヒーン」
 勝手にじゃれあってろよバカスケ、と馬は言っている。そして刀の武士と同
じ羽織を着たもう一人の武士が厨房から出てきて、のび太に名刺を渡した。
「それがし、こういう者でござる」
「ふーん、HAJIMEさんね。僕は野比のび太です」
「おおのび太殿! お噂はいろいろ耳にしておりますぞ!」
「え、ホント?」
「嘘でござる」
「ふーん、嘘なんだ」
 音もなく、タヌキの置物が窓から雀荘に入ってきた。ただ一人気がついたド
ラえもんが、悲鳴にも似た声を出した。
「先生!」
 ドラえもんはがっぱとひれ伏して、窓近くの雀卓に着地したタヌキの置物を
見上げた。大粒の涙が床にこぼれ落ちた。
「生きちょったでごわすか先生! 日本の将来もこれで安泰だもっし!」
 とってつけたような薩摩弁が、うっとおしいことこの上ない。
「のび太! 腰の準備は万全か!」
「パパ! ママ! それにえーと、変な人形!」
 のび太のパパとママ、それにダッチワイフも駆けつけた。
「ヘイのび太くん! アカギにケツの毛を抜かれた気分はどんなもんだい?」
「Kくん! 僕まだケツの毛とか生えてないから大丈夫だよ!」
 天井の穴からKが降りてきた。黄色いパラシュートを背負っている。
「野比のび太! 貴様の闘牌、しかと見届けてやろう!」
「のび太さん、海原雄山先生のお出ましですぞ!」
「誰だよお前ら」
 マジで誰だよお前ら。


 役者は揃った。ノースウエストに集いし英傑の熱きまなざしは、のび太の小
さな胸の中でどんな宝石よりもまぶしく光り輝いていた。のび太は声を震わせ
て言った。
「僕なんかのために、こんなにいっぱいの仲間が集まってくれたんだね! み
んな僕の大切な友達さ! 本当にありがとう!」
「御託はいいから、とっとと麻雀打てやボケ」
「ワシの、ワシのノースウエストに、こんなにたくさんのカバディが……」
「友達だったらお金はちゃんと返してよね。あたし忘れないから」
「アカギにボロクソに負けて、のび太くんが小便もらすのだけが楽しみなんだ
よ。今のうちに水分はたくさん摂っておけよ」
「野比のび太! おお、野比のび太!」
 仲間たちの力強いエールを背中に受けて、のび太はアカギを振り返った。目
元に浮かんだ涙を袖口でぬぐって、力強く言った。
「さあアカギさん、対局を始めよう!」
「ああ」
 アカギは静かに頷いて、座席に腰を下ろした。のび太はアカギの対面に座っ
た。無粋な場決めなどは必要ない。真剣勝負の男の居場所は、神によってすで
に決められているからだ。
「当然、僕も打っていいよね。のび太くんのお守り役なんだから」
 ドラえもんがのび太の下家に陣取った。のび太はドラえもんに笑いかけた。
「もっちろんさ! ヤバくなったら僕はさっさと帰るから、その時は後始末を
よろしく頼むよ!」
「途中で逃げたらぶっ殺すからな」
 残るは一人。永遠に語り継がれるであろう名勝負の一翼たらんと、百戦錬磨
の精鋭達が次々と名乗りをあげた。
「俺はやらねーからな」
「アタシもイヤよ」
「ワシの、ワシのノースウエストが、いまにも資本主義の生贄に……」
「ママ、麻雀打つ人はみんなカタワだと思うわ」
「ダッチワイフ、コーモンナイヨ。コーモンナイトウンコデキナイヨ!」
「野比のび太! おお、野比のび太!」
 できることならみんなで卓を囲みたい。しかし勝負に参加できるのはたった
一人だ。後ろ髪を引かれる思いで、のび太は言った。
「申し訳ないけど、最後のメンツは僕に決めさせてもらうよ」
 ワガママを押し通す意志の強さも、時には必要だ。のび太は決然と顔を上げ
て、居並んだ面々をゆっくりと見回した。
 さあのび太よ! 最終決戦の舞台を彩る四人目の戦士を選びたまえ!


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