【ドラえもんの麻雀劇場 第一話】

「ドラえもーん! 空を自由に飛びたいよー!」
「はい、炊きたてのゴハンとあったかいお味噌汁ー!」
「やったねドラえもん! くだらない夢なんか見てないで、メシ食って眉山整
えてさっさと寝ろってことだね!」
「その通りだよのび太くん! キチンと学校を卒業して、キチンと職に就いて
安定した収入を確保することだけを考えようね。あと、小学生の分際で眉毛の
形を気にするな。ムカつくから。さあ、たんと召し上がれ!」
「いっただっきまーす!」
 また一つ、のび太は大人になった。

【完】


 苦しいこともありました。哀しいこともありました。幾多の苦難を乗り越え
て、それでものび太は頑張りました。大好きな友達の応援と両手いっぱいの借
用書に支えられて、ついにのび太は麻雀をマスターしたのです。
 麻雀のルールと、目的を達成する強い心。かけがえのない宝物を二つも手に
入れたのび太には、もう怖いものなど何もありません。
 さあ、のび太を待ち受けるバラ色の未来を、タイムテレビでほんの少しだけ
覗いてみましょう。

 折からの長雨もようやく止み、雲間から差し込む太陽の光が紫陽花の淡い青
色に鮮やかさを加える。傘を畳んだ人々の顔も明るい。
 束の間の梅雨晴れに和んだ空気が、一瞬にして凍り付いた。通りの向こうか
ら何かが歩いてくる。煮しめたような襤褸をまとい、垢で凝り固まったヒゲと
髪は伸ばし放題の、一応は人間のようだ。
 のび太である。
 口からヨダレと泡を吹きながら、何事かブツブツつぶやいている。日本語の
ようではあるが、言語として意味を持つ代物ではない。だらしなく笑みを浮か
べて虚空を見上げているが、その目には何も映ってはいないだろう。
 刺すような異臭に顔をしかめる女子高生のスカートに首を突っ込んだり、八
百屋の大根を振り回したりと大立ち回りの末、大きく体を痙攣させてその場に
倒れた。助ける者など一人もいない。再び降り出した雨に急ぎ足となった人々
が、のび太に目もくれず家路に向かう。そして誰もいなくなった。
 大粒の雫が、独りぼっちののび太の頬を打つ。雨粒か涙か、それは誰にも分
からない。
「麻雀なんて、知らなければよかった……」
 濡れたアスファルトの上で、のび太の声がナメクジみたいに溶けて消えた。
のび太の右手には、手垢で真っ黒になった一筒が握られていた。
 大きな雷鳴が轟いた。雨は降り続ける。

「何じゃこりゃ!」
 呑みかけた焼酎を口からぶちまけて、のび太はタイムテレビにかじりついた。
モニターを指さして大爆笑中の三人の首根っこをまとめて掴み上げて、大きく
揺さぶりながら怒声をあげた。
「さてはお前ら、こうなることを知ってて俺に麻雀を教えたな! 女子高生の
スカートも八百屋の大根も、どうせこのあとお代請求されんだろ! なんだよ
未来の俺! そこまでやるならパンツも下ろせよ! チキン野郎が!」
「まぁ落ち着けよ。この日ののび太が偶然風呂に入ってなかっただけで、実は
アラブの大富豪になったのかもしれないだろ。日本語もカタコトみたいだし」
「これ見て本当にそう思うんだったら、いっぺん精神病院行って予想外のガン
告知受けてこい! セワシてめー、ご先祖様がホームレスになったらお前の人
生だって崖っぷちなんだぞ! なんでそんなに落ち着いていられるんだよ!?」
「だって、今ここにいる俺には何の変化もないだろ? のび太の身持ちがどう
なろうと、俺には関係ないってことさ。だいたい、麻雀を覚えてなかったら、
もっと惨たらしい運命が待っていたんだぜ」
 セワシのアイコンタクトを受けたドラえもんがタイムテレビの操作パネルを
叩くと、モニターの画面が切り替わった。焼酎のグラスから梅干しをつまんで
チュパチュパとしゃぶりながら、ドラえもんはなだめるような口調でのび太に
言った。
「麻雀を知らないままだったら、のび太くんの未来はこうなっていたんだよ。
まあ見てくれ」

 折からの長雨もようやく止み、雲間から差し込む太陽の光が紫陽花の淡い青
色に鮮やかさを加える。傘を畳んだ人々の顔も明るい。
 束の間の梅雨晴れに和んだ空気が、一瞬にして凍り付いた。通りの向こうか
ら何かが歩いてくる。煮しめたような襤褸をまとい、垢で凝り固まったヒゲと
髪は伸ばし放題の、一応は人間のようだ。
 のび太である。
 口からヨダレと泡を吹きながら、何事かブツブツつぶやいている。日本語の
ようではあるが、言語として意味を持つ代物ではない。だらしなく笑みを浮か
べて虚空を見上げているが、その目には何も映ってはいないだろう。
 刺すような異臭に顔をしかめる男子高校生のファスナーを下ろして首を突っ
込んだり、八百屋のコンニャクに切れ目を入れて股間にあてがったりと大立ち
回りの末、大きく体を痙攣させてその場に倒れた。
 助ける者など一人もいない。再び降り出した雨に急ぎ足となった人々が、の
び太に目もくれず家路に向かう。そして誰もいなくなった。
 大粒の雫が、独りぼっちののび太の頬を打つ。雨粒か涙か、それは誰にも分
からない。
「性転換なんて、しなければよかった……」
 濡れたアスファルトの上で、のび太の声がナメクジみたいに溶けて消えた。
のび太の右手には、アサガオのつぼみのような男性器の剥製が握られていた。
 大きな雷鳴が轟いた。雨は降り続ける。

 ここで映像が途切れた。タイムテレビから目を離し、のび太はドラえもん達
を振り返った。その顔から殺気は消えていた。
「僕、危うくチンコレスになるところだったんだね……」
 ドラえもんの分銅によるダメージをものともせず、ドラミが口を尖らせての
び太に相槌を打った。
「そうよのび太さん。今こうやって麻雀を勉強してなかったら、尿切れの悪さ
も結石の痛みも分からない、つまらない大人にしかなれなかったんだからね。
少しは私達に感謝してよね」
 のび太の両目に涙が溢れた。ドラミの手を握り締め、汲めども尽きぬ感謝の
気持ちを言葉で伝えた。
「みんな、僕のためを思って麻雀を教えてくれたんだね。一瞬でも疑ったりし
て本当にゴメン。そしてありがとう! 今夜は僕のオゴリで、馴染みの店でぶ
わっと盛り上がろうぜ! レッツゴー!」
「待てコラ」
 ドラえもんが、駆け出したのび太の背中に強烈な蹴りをお見舞いした。柱に
顔面を打ち付けてクモの巣みたいになったのび太の眼鏡を覗き込んで、凄みを
きかせた。
「お前さ、ご自慢のカイザーロードとやらに立ちふさがったジャイアン達に仕
返しする為に、麻雀覚えたんだろ? ぶわっと盛り上がる暇があったら今すぐ
リベンジしてこいや!」
 ドラえもんのもっともな一言に、馴染みのコインランドリーで服を洗ってリ
フレッシュというのび太の夢は、脆くも潰えた。
「今すぐって、もうこんな時間だろ! ジャイアン達が今どこにいるのかも分
かんないし夜は男を獣に変えるし、せめて明日にしてくれよ! ドラえもん達
だって、今日はもう眠いだろ? 面倒くさいだろ?」
「何言ってんだよ。リベンジをするのはのび太くん一人なんだから、僕らは好
きにやってるさ。眠くなったら勝手に寝るから、どうぞご心配なく。ね?」
 ドラミとセワシは大きく頷いた。この期に及んで他人の力を当てにしていた
のび太が、無記入の借用書をヒラヒラさせて必死の説得を試みる。
「そ、それじゃこうしよう。今から何回かみんなと半荘打って、借用書を書く
よ。どうせ僕が負けるに決まってんだし、何なら勝負前に請求額を決めちゃっ
てもいいからさ。そんで、借用書の束を持って、みんなでジャイアン達のとこ
ろへ行こう。勝ちまくってその場で借金を払うからさ。な、そうしよう!」
「残念だなぁ。のび太くんの代わりのメンツは、ちゃあんと用意してあるんだ
よ。さ、お入り下さい!」
 ふすまが開き、のび太のパパが部屋に入ってきた。何枚ものしおりを挟んだ
少年ジャンプを胸に抱き、目に涙をうかべて盛大にしゃくりあげている。だか
ら何のマンガ読んで泣いてんだよ。
 セワシがのび太に歩み寄り、肩をポンと叩いた。
「そういう訳だから、のび太は心置きなく一人で雀荘に行って来い。手紙ぐら
いは書いてやるから。な、パパさん?」
「セワシくんの言うとおりだ。お前も野比家の男なら、潔く戦って潔く散れ!
それじゃあ僕達は、さっそく麻雀を始めようか。いやぁ、この齢になってタダ
で麻雀が勉強できるなんて、本当にラッキーだよ」
「何言ってんだオッサン。金は賭けるに決まってんだろ」
「パパさん、万年平社員だからって許されることと許されないことがあるのよ。
甘えは即、死につながるわよ」
「多分必要になるだろうから、はい、これ持っててね」
 ドラえもんは、借用書の束をパパに手渡した。漬かり過ぎのタクアンみたい
な顔をしてそれを受け取るパパを見て、しかしのび太はなおも抵抗した。
「お前ら、俺を甘くみるのも大概にしろよ。のび太様ともあろう者が、一人で
夜の街をうろつける訳ねーだろ! 俺をガキだと思うな! 重度の徘徊老人だ
と思え!」
「のび太くん、とりあえずお風呂に入らないか?」
 突然、ドラえもんが脈絡のないことを言い出した。
「未来のデパートから取り寄せた最新式のお風呂なんだけど、一番風呂は是非
のび太くんに、と思ってさ」
「え、お風呂? 入る入る! 当然マット洗いもしてくれるよね?」
「もっちろんさ! これがそのお風呂だよ! ジャーン!」



「うわー、なんだか物凄いコンバットなお風呂だね! マットは?」
「後で敷いてあげるから、とりあえず服を脱いでくれよ」
 ドラえもんに言われるまでもなく、すでにのび太は全裸だった。ゴーグルと
シュノーケルを装着し、頭から砲身に飛び込んだ。
「あれれ? このお風呂、お湯がはってないよ?」
「あー、ちょっと待っててね。蛇口、蛇口と……」
 ドラえもんは砲身を窓に向けて、ハンドルを回して仰角を調整した。手際よ
く導火線に火をつける。
「蛇口が見つかったよ。今からお湯を出すからね。3、2、1……」
 ファイア!
 ど派手な炸裂音と共に、のび太は夜空にケツを向けてすっ飛んでいった。ド
ラえもん、ドラミ、セワシの三人が窓から身を乗り出して、戦地へ赴くのび太
に手を振った。
「頑張ってこいよー!」
 パパが麻雀牌をボンドで壁に貼り付けて、手足をかけて壁をよじ登っている。
パパさん、麻雀はそういうゲームじゃないんだよ。


 午後11時55分。野比のび太、発進。
 着弾目標、駅前雀荘『ノースウエスト』。



To be continued on 2nd stage.


続く
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