トピックコーナー

このコーナーでは、宗教から時事問題、科学や歴史まで、ジャンルを問わず、 話題となっているテーマを取り上げます。
第1回は、「聖書の暗号」です。イスラエルのラビン首相暗殺を 予告したとの主張でセンセーションを巻き起こした本と、 それに関する話題を取り上げます。


今年(1997年)夏に、ドロズニンという元新聞記者が書いた 「聖書の暗号」の日本語訳が出版されました。
原書は、ラビン暗殺やその他の現代の事件が、聖書に暗号として 記されているとの主張で、WWW上でもいろいろと物議を醸し出しています。 はたして、本当に聖書には暗号が秘められているのでしょうか? それとも、とんでもないデマなのでしょうか?


発端

古来、聖書には暗号が秘められているとの主張は多くなされてきましたが、 およそ検証のしようのない話ばかりでした。
ところが、コンピューターの普及によって、この問題に学問的に アプローチしようという人が登場したのです。

リップスーウィツタム論文

1994年、アメリカの統計学の雑誌に、リップスやウィツタムという 人たちの書いた、「創世記における等距離文字列」という論文がされました。
「等距離文字列」というのは、文章のアルファベット(この場合はヘブライ語)を、 区切りなしに連続した文字列として扱い、2つおきとか10文字おきなどと、 等距離間隔で文字をひろっていき、それが単語になっているもののことをいいます。

この論文 は、ドロズニンの本の付録に掲載されているので、 くわしい内容については、そちらを見ていただくとして、 要するに、創世記の中には、中世のユダヤ賢者32人の名前と、 それぞれの生没年月日が、等距離文字列というかたちで、お互い 近い場所に現れるーーこの確率は50万分の1であって、偶然とは 言えず、暗号として組み込まれているのだーーという主張です。

この論文が有名になったのは、宗教紙ではなく、統計学の専門紙に 発表されたからで、聖書(少なくとも創世記)に暗号が秘められているのは、 数学的に証明されたかのような印象を多くの人々に与えたからでした。
ドロズニンの本でも、まるでこれは証明済みの事実であるかのように 書いてあります。
唯一、巻末の注(日本語版223ページ)の一部に、マッケイという数学者が ちょっとした疑問をはさんだが、たいした問題ではないかのごとく書いてありますが、 これは事実に反していて、ちょっとインターネットで調べただけでも、 たくさんの反論と疑問が出されていることがわかります。
反論については、後で扱いますが、せいぜい言えるのは、この論文は、 学会で最終的に否定されたわけではないが、肯定されてもおらず、 ?つきの1論文にすぎない、ということでしょう。

なお、この論文とその研究の継続については、 Official Torah Codesというページで読むことができます。


「主観的暗号」

リップスーウィツタム論文が、その真偽は別として、一応客観的な学術論文という 体裁をとっているのに対し、多くの、「主観的暗号解読」とでも言うべき本や 文書が公表されるようになりました。
「主観的」と呼ばれるのは、自分の好きな文字列を、任意に抽出してくるからで、 学問的には無意味なものだからです。

しかし、これらの著者たちは、学問性の欠如を認めつつも、 自分達の「発見」には意味があると主張しています。
しかし、前述の、Official Torah Codes (自称客観的暗号解読団体)は、 はっきりと「主観的」方法論を無意味として否定しています。

そして、これら一連の本のなかで、最も有名になったのが、ドロズニンの本というわけです。
それは、単に暗号の存在を主張しただけではなく、大胆にも暗号による「予言」まで 主張したからです。
ところが、ドロズニンのもちあげている Official Torah Codes の人たちでさえ、 暗号による未来の予測は原理的に不可能で無意味だと 明言しており、 どうも、「主観的暗号解読」なるものは、勝手な読み込みにすぎないようです。

ドロズニンの本に対する アメリカ数学会の書評によれば、 この本には学問的価値が全くないとのことです。

なお、この書評には、シュロモ・スターンバーグというハーバード大学の数学教授による コメントが付加されていて、それによれば、リップスーウィツタム論文とドロズニンの 本との間に本質的な違いはなく、どちらも学問的価値は無で、この類のものは、数学を汚すものだと非難しています。


反論や、その他の反応について(2000-8-2)