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これは、私の二番目の養母の父(明治生まれ)のお話。

タバコ農園を経営していた彼は、自宅のある京都から、仕事で東京に来ていた。
おりしもタイミング悪く、大正時代9/1に起きた関東大震災が直撃し、怪我はしたものの大したことも無く、仕事どころではないので京都へ帰宅することに。
とりあえず汽車が動いているところまで徒歩で行こうと考え、休み休み移動を開始。

途中、食べ物や飲み物などを買い物すると、値段は「五十銭」「五円五十銭」と統一されていて不思議に思っていたのだけれど、ある街についた時、その真実を知ることになった。

震災後、荒れた街で強姦強盗が相次ぎ、警察消防が機能していないため、自警団が街ごとに作られていた。彼らはその犯人となる者、疑いがある者を探し出す手段として「五十銭」という言葉を言わせるためにその値段にしていて、何かにつけて口に出るようにしていたのだ。もちろん通りすがりの彼自身も「五十銭と言ってみろ」と脅されたことが何度もあった。

日本生まれの日本育ち、バリバリ京都弁の彼だったが無事にその関門?を通り抜け、彼は汽車に乗って帰ってくることが出来た。

こんな事が関東大震災ではあったのだよ、という話の後で、その特定の国、民族に関わるな、と、彼は娘たち、息子たちに事あるごとに説いていたという。

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