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FrontPage>>回想録

私には、両親と言うものがない。家庭と言うものがない。

これは私をくわしく知る人には周知の事実なんだけれども

私は苗字が何度も変わり、名前(呼び名)も何度も変わった。

おかげで、自分自身も自分の戸籍上の名前が判っていなくて、

自己破産の裁判を受ける際に、弁護士さんが作成した申立書の「名前」が違う、

という差し戻しを受け、弁護士さんにも前代未聞の経験をさせた程。

こんなのだから、まぁ、普通の経験はしていない。

私が一番長く居た家は、旧家の本家の長男の家、という肩書だったが、

権力は長男である養父より、その妻の養母だった。

養母は七人兄弟の長女で弟妹たちの母であり、絶対権力者。

盆正月、イベント事、月に一度は家に叔父叔母が集まっていた。

養母の母が亡くなるまでは、その場所は養母の母の家だったんだが。

養父はその度に家をあけ、どこかへ出かけていた。

まぁ競馬か競艇、競輪、そういったところ。

私はこの家にいた時に、すでに自分が他人だと気づいていたので、

扱われ方に差があっても何も思っていなかった。

養母曰く、「波風立てるな」を実行しておけば雨露しのげると判っていたというのが正しい。

そんな養母一族、あつまると必ず夕食はお寿司を取って食べた。

ニギリというメニューだったが、私はその際には鉄火巻と決まっていた。

まぁ鉄火巻大好きなので文句なかったし、それ以外を欲しがると「波風立つ」ので求めなかった。

ある日、どうも食欲がないので、鉄火巻もいらない。となった時がある。

その時に食べたのはレタス。マヨネーズをつけながらテーブルの隅っこで食べていた。

いつものように叔父や叔母の嫌味があったが、一方で、上機嫌な彼らを見て、

「波風が立っていないのだ」と子供心に安心したのを思い出す。

今もレタスが好きで鉄火巻も好きで、にぎり寿司も食べる。

意外と、その頃の、まだ十歳になるかならないかの頃の自分の「波風」に

ざわざわすることもなく居られているのは、今がとても安定しているからなのだろう、

ふと、そんなことを想ったりする。

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