RC(鉄筋コンクリート)建築編


2003年2月7日

朝会社へ行く途中に、現場を通ってみると敷地に地縄が張ってあった。

地鎮祭に向けて準備が進んでいるようである。
地縄で実際の敷地に図面通りのビニール紐が張ってあるわけだが、以外と狭いなぁ・・・。というのが正直な感想である。

2003年2月11日

午前中工藤建設にてS氏・K氏と現場監督のA氏とで打ち合わせ。ガレージの入り口の縁石を切り下げて貰うことにする。午後そのまま全員現場へ移動して、地鎮祭を行う 定刻前にすでに神主さんが来て準備を始めていた。

猿田彦神社という神社で、全て準備をしてくれる。我々はただ行くだけなので楽チンである。もちろんそれなりにお金はかかりますけどね。神妙に儀式は行われたが、神主さんの声があまりに大きく端からみたらどう見えるんだろう?等と考えてしまい、笑いを堪えるのが必死であった。

地鎮祭を終えた後、近所の家に「これから工事をしますのでご迷惑をおかけします」と、菓子折を持って挨拶回りを行った。とりあえず、今のところご近所にヘ ンな人は居ないみたいでみんな良い人そうで安心した。

2003年2月20日

地鎮祭が終わって、手続き上は着工したことになっているのだが、一向に工事が始まらない。


写真のとおり敷地内に東京電力の電柱が立っていて、これを端っこに移設しないと地下の掘削が出来ないのだが、電柱を掘ろうとしたところ、今度はこの土地に長屋が建っていた頃の水道の排水マスがあって、電柱の工事が出来ないそうである。水道は水道局の管轄であり、東京電力が勝手に壊したり動かしたり出来ないのである。

「まず水道のマスを水道局の許可を得て撤去して、その後電柱を移設して、やっと工藤建設が穴を掘れる様になるので、工事が始まるのは3月10日以降になります。」
と、本日工藤建設のS氏から連絡が入る。

ちょっとまってよ、電柱も水道のマスも土地買うときからあるのは、知っていたはずじゃん。それをなんで今頃手配してるわけ?
水道も電柱も施主側の責任でやって貰わないといけないってのは、説明されたから知ってるけど、じゃなんで今頃になってそういうこと言うわけ?
24日にはローンの契約実行してもらって、着工金振り込む事になってんだけど、いったいどうなってんの?

2003年2月24日

銀行にて、建物分の住宅ローンの契約と分割実行を行い、着工手付け金として工藤建設に振り込みをする。
こっちはちゃんとお金払ってるんだから、早く掘ってよね!

2003年3月8日

工藤建設にて、S氏と設計のK氏現場監督のA氏と打ち合わせ。
水道も電柱もお役所仕事なので、時間がかかっている模様。水道に関しては土地の売り主側の責任と費用と業者でやるので、話しがさらに複雑でなんか揉めているみたい。
そんなこんなで、実際の着工は4月にずれ込む予定。完成は9月だそうである・・・・。

2003年3月19日


気になって毎日現場を通って通勤していたのだが、本日ついに動きがある。
めでたく電柱が2本になった・・・・。え・・・・2本?? 増やしてどうすんねん・・・。
新しい電柱を先に立てて、落ち着いたら電線を移動して、その後古い電柱を撤去するという手はずらしい。でも、このままだったらどうしよう?

2003年3月24日


めでたく古い電柱が撤去される。
これで全て準備は整った。あとは工藤ちゃん掘ってくれ。掘って掘って掘りまくるんだぁ〜!

2003年3月25日


翌日早速工藤建設が入ったようである。
工藤建設の目隠し用の垂れ幕がついていた。やっと着工するようである。
実は我が家の敷地は、文化財保護地域というのに指定されていて、穴を掘ったら遺跡などの文化財がないかどうかお役所のチェックが入るのである。
もしこの段階で何か発見されたら、また工期がしばらく遅れてしまうことになるらしい。
何もでてきませんように・・・・。

2003年4月5日


垂れ幕がついてから、しばらく動きが止まっていたが今朝みると、いきなり工事が進んでいた。
昨日のうちに穴を掘り終えて、早くも捨てコンが打ってあった。仮説トイレも設置されていた、
進んでるってことは、文化財は何も出なかった様だ。よかった。でもちょっとがっかり・・・。
なにはともあれ、一気に工事は始まった。

2003年4月8日


捨てコンが乾いて、基礎のベース部分が乾くのを待って鉄筋の配筋がはじまった模様である。

2003年4月13日


配筋が壁の部分にまで達している。

工藤建設の地下室付き住宅は、基礎を兼ねたRC構造の地下室の上に、2×6の木造住宅建てるといういわば、ハイブリッド型の住宅である。
地下のRC部分は、コンパネと呼ばれる通常のベニヤ板の型枠ではなく、発泡スチロールの型枠を使い、コンクリートを流し込んだ後も型枠はそのまま残し、スチロールの外側防水のコーティングを施して、防音性と保温性を得るというKBBという工法である。

2003年4月20日


配筋が地下の天井部分(スラブ)を覆い始める。

通常の工藤建設の地下室は1Fと地下の間にコンクリートの仕切はなく、1Fの床を木造で仕上げたり吹き抜けにしたりして、開放的な地下室空間というのにするらしいのだが、我が家の場合はそれではスタジオの防音性に問題があるため、スラブと呼ばれるコンクリートの仕切天井を作り、地下を完全なコンクリートの箱として密閉する構造を取る。1Fへの開口部分はスタジオ入り口のエアロックの外側階段のみとなる。

2003年4月25日


型枠が全て完成し、コンクリートが流し込まれた。
あとは、乾くのを待って型枠を外して発泡スチロールの型枠に防水処理をすると、RC部分の完成である。

写真でみると解るように、我が家は地下0.5階であり、この上に木造の2階建ての家が建つのである。玄関に上がるのに階段を上らなければならないが、防犯上窓が高いのは有利なことなので以外と気に入っている。ただし半分露出した地下の防音性は確実に落ちているはずなので、そこが心配であるがコストとの兼ね合いでこうなったのであとは正直出来てみないと解らない。

2003年4月25日


型枠が外される。
なんか、発泡スチロールハウスの様だ。
春は雨が多いので、近所の子供がカサでブスブス穴を空けたりしないか不安である。

2003年4月27日

地下に忍び込んでみる。
スラブを支えている型枠と足はまだ残っている。
雨が沢山降っていたので雨水が溜まっている。印象としては思っていたよりも広い印象をうけるが、実際には防音工事をするので現在より二回りは部屋が小さくなるはずである。

2003年5月4日

剥きだしだった、スチロールの型枠に防水処理が施される。

2003年5月8日


地下部分の埋め戻しが行われていた。
この地下の掘ったり埋めたりというのがかなりのくせ者で、掘った土は残土として処分するのにかなりの費用がかかり、埋め戻すのにまたお金を払って土を買うのである。
なんともばからしい費用である。地下を掘るのを浅くした要因の1つがこの掘削埋め戻しコストである。
今までガレージになる場所においてあった仮設トイレも、敷地前面へ移設される。ガレージは今後資材置き場となる予定である

2003年5月17日


基礎の下地処理がされていた。
本日から大工さんが入ると言う風に昨夜現場監督のA氏から連絡がきたが、誰も居なかった。以前は今日は休みなので誰も居ませんというので行ってみるとしっかり作業をしていたことがあった。職人さんの管理がちゃんと出来ているのだろうか?
しっかりしてよ、Aさん。
再び地下に忍び込んでみた。スラブの型枠も外されていた。しかし水浸しである。水深2cmというところ。
工事するときはポンプで水をくみ出すのだろうが、開口部にブルーシートぐらいかけておいた方が良いんじゃないだろうか?

2003年5月21日


間取りに合わせて基礎のコンクリートが打たれていた。
昨夜の雨が見事にプール状態である。そろそろ地下は泳げるぐらいの水深になっているに違いない。


木造建築編1へ続く