倪潤峰と趙勇-四川長虹集団-

趙勇更迭、倪潤峰の再登場

経歴

倪潤峰 趙勇
1944年4月 生まれる。
1967年7月 大連理工学院機会学科卒
1985年5月〜2000年5月 
 国営長虹機器廠工場長、廠党委委員、
 四川長虹電子集団総裁兼理事長、党委委員、
 四川長虹電器有限公司総裁兼理事長、党委委員
2000年5月〜2001年2月 
 四川長虹電子集団党委書記、理事長
 四川長虹電器有限公司理事長
2001年2月
 長虹集団CEO
1963年6月 生まれる。
1991年 清華大学卒業、博士学位
93年4月〜96年4月 四川長虹電器プロジェクト責任者
96年4月〜8月 四川長虹電器副チーフエンジニア兼工芸所所長
1996年8月〜2000年5月 四川長虹電子集団副総裁、チーフエンジニア
2000年5月〜01年2月 四川長虹電子副理事、四川長虹電器副理事、総裁 

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  90年代四川長虹集団は倪潤峰を中心にして改革を進め、中国電子産業界のトップを走り続けてきた。その圧倒的なブランド力と資金力は他企業にとっても脅威だった。ダンピングと買占めによって、独占的な地位を築いていった。
 1999年、四川長虹集団はさらなる市場独占を目指し、ブラウン管の買占めに走った。しかし、当時中国は慢性的なデフレに悩んでいた。デフレ状況下においてブラウン管を買い占めた四川長虹集団は、結果としてこの買占め戦略が裏目に出た。多くの在庫を抱えてしまい、四川長虹の売上は激減した。それまで圧倒的な売上を誇っていたが、康佳、TCLといった企業に売上高で後塵を拝すことになった。そして、四川長虹集団の倪潤峰総経理兼董事長は辞任した。王国長虹集団の後を継いだのは36歳の趙勇だった。
 しかし、倪潤峰の後を継いだ趙勇も、業績不振によってわずか8ヶ月で更迭される。90年代に栄華を誇った四川長虹集団はピンチを迎えている。圧倒的な資金力によって、企業買収を仕掛け、ダンピングによって市場の独占状態を作り上げることによって規模を拡大させてきた四川長虹も、99年、2000年と2年続けてマイナス成長を記録した。

 一般的に倪潤峰の戦略は価格戦と言われている。事実、ダンピング戦略、1998年マイナス成長の原因となった買占め戦略からもそれが見て取れる。それに対して趙勇の戦略は技術、開発戦略と言われている。この新旧2つの戦略の違い、路線の転換が四川長虹に多大な影響を与えたのは間違いないだろう。2000年末に長虹は、各テレビメーカーがカルテルを結んだことに対して、ダンピング措置をとってカルテルを切り崩したのは記憶に新しい。技術路線を歩みながらも、四川長虹は価格戦略を行なったという現実がそこにはある。

 世代交代、これからの各業界でキーワードになるだろう。言うまでもなく、この四川長虹は、世代交代の大失敗例である。今後、各業界において、文革前世代から、文革世代への世代交代が行なわれるだろう。四川長虹の場合は、文革世代から、文革後世代への世代交代失敗だったが、今後同様の問題も多々起きてくることだろう。

 さまざまな問題を抱えているが、倪潤峰は一代で四川長虹をトップ企業へと導いた巨人である。業績悪化だが、依然として市場占有率は大きく、テレビの市場シェアは20%を超えており、四川長虹のプランドは全国に轟いている。近年IT分野にも積極的に参戦し、綿陽市では、ADSL網も敷かれている。なんと言っても四川長虹の魅力はその流通網にあるのではないか?その全国的なネットワークを駆使することは、四川長虹再浮上のきっかけになるのではないか?時は西部大開発、地域ごとの市場形成から、全国的な市場形成へと移行しつつある。全国的なネットワークをもつ企業は今後有利になるだろう。


四川長虹業務利潤と利潤総額

  業務利潤 利潤総額
1998年 31.6億元 23.28億元
1999年 15.7億元 6.21億元

趙勇の定めた2000年目標

  収入 利潤総額
目標 121.15億元 5.8億元
実際 107.7億元 2.74億元
参考
   四川長虹の経済規模は四川省GDPの7%以上に相当し、綿陽市財政収入のの50%以上が四川長虹からである。
   1999年の利税総額は9.4億元、2000年は7.8億元とダウン

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