中国語で“教養”のもう1つの意味
これは四川人ではなく、四川人と同部屋だった韓国人がやってしまった過ち。それは、ごく普通の会話から始まった。韓国人が中国人に聞いた。
韓国人 「おまえ小さい時から、どんな本を読んできた。」
中国人 「本なんて全然読んでないよ。」
韓国人 「ありゃまあ、それは教養がないね」(ここが“没有教養”)
中国人 「教養がないとはどういう意味だ、ふざけるな!」
韓国人 「何本気になって怒ってるんだよ。」
中国人 「おまえ自分が何言ったかわかっているのか?」
四川人はすぐに疑問に思い、辞書で“教養”という言葉を調べてみた。すると、“教養”と言う意味には日本語の「教養」の他に、親の、子供に対する教育という意味が載っていた。つまり、韓国人は「教養がない」という意味で言ったつもりだが、会話からもわかるように、親がきちんと教育しなかったという意味になってしまう。中国は周知の通り「一人っ子政策」をとっており、一家に子供は一人、親はきちんと子供を教育し、中国人に尊敬する人物は誰かと尋ねると、みな両親と答えます。自分の両親をけなされれば、中国人は本気で怒ります。韓国人はその中国人の家庭をけなしたつもりはなくても、中国語はそのようになってしまいました。これは中国語の一番難しいところです。四川人は、その後韓国人に“没有教養”の意味を教えましたが、そいつは、そんな意味で言ったのではないの一点張り、謝るべきだと言っても聞き入れませんでした。四川人の意見として、侮辱するつもりがなくても、言われた側が侮辱にされたと感じてしまったら、それは侮辱したことになってしまうと思います。このようなことは言うべきではないと思います。また、言ってしまっても「侮辱したつもりではない!」と、聞き入れないようでは、本当の意味での「交流」(中国語では“溝通”)ができません。ただの傲慢です。誰だってこのような間違えは起こします。間違えたら、すぐにそれを受け止めて、すぐに謝り、それ以後言わないようにするべきではないでしょうか。特に外国人に対しては難しい。
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