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私の病気

 | 私の病気 | 膠原病とは | 筋炎について | 

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 | 通院の記録 | 検査データ | プレドニンの量 | 発熱の記録 |


発病・入院・退院後


 

発病時、私は30代半ばの専業主婦でございました。
やさしい夫?と可愛い子供たちに囲まれて
それはそれは幸せに
何不自由なく暮らしておりました。
。。。(ほんとか?)。。。

 

 子供の頃から丈夫な身体に恵まれて、病院とは全く縁のなかった私が1994年の春に突然発病、多発性筋炎(膠原病といわれている病気の中の1つです。)と診断されて3ヵ月の入院。(その後、皮膚症状も出てきたので現在は皮膚筋炎です。)当時、長男の小学校入学式、次男の幼稚園入園式が終わってすぐのことでした。


| 入院までの経過 | 入院 | 退院後 |


 

 

 1994年(平成6年)の春です。

 長男が小学校の入学式、次男が幼稚園の入園式を控えていて慌ただしい毎日でした。子育てもひとくぎりしてほっとしたような、でも寂しいような・・・。ベビーカーの親子連れをみると「もう、終わちゃったんだな〜。」などど涙ぐむようなブルーな精神状態。。。

 腱鞘炎のような痛みが両手首に一か月くらい続いていて、入学式も入園式も手首にシップをし、包帯ぐるぐる巻状態。

 

1994年
(平成6年)
症状   行動   心情
4月1日(金)

左手しびれる
咳が出はじめる。

4月4日(月)

近所の整形外科へ。
ビタミン剤を出して貰う。

4月5日(火)

長男の小学校入学式

4月8日(金)

次男の幼稚園入園式
右手もしびれはじめる。
指がはれてくる。

近所の整形外科でビタミン剤を貰ってくる。

4月11日(月)

近くの総合病院で手のレントゲを問って貰うが、結果は問題なし。

4月13日(水)

咳がひどくなったので近所の内科医院へ。
風邪薬を処方される。

4月16日(土)

薬がなくなっても咳がひどいのでまた近所の内科医院へ。
ひょっとしたらと思って膠原病やリュウマチの事を質問したら、めったにかかる病気じゃないからと笑って済まされてしまった。

風邪薬を貰って帰る。
血液検査をしてほしかったんだけど言い出せませんでした。(身内にリュウマチの人はいませんでしたが私自身ではリュウマチじじゃないかと疑っていました。)
首がつっぱるカンジも出てきた。

4月17日(日)

右膝が痛んで正座ができなくなった。
手のシビレもどんどんひどくなり鉛筆もにぎれないほどに!

4月18日(月)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。
仰向けで横たわって両膝を立てた状態から両足を伸ばすときに、膝から上のところ(ももの表側)がウニューンという変なカンジになって『こりゃなんだ!』と一人で大さわぎ。筋肉の細胞が大暴れしてたのかな?これ、ず〜っと続いていました。

4月19日(火)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。
神経痛というものがどういうものなのか今だに良く解らないんだけど、腕から脇のしたにかけてパッツンパッツンひっぱられるようなカンジになっていて、れが神経痛なのかなぁ〜などと思ってしまった。

4月20日(水)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。

4月21日(木)

近所のカイロプラクティックへ

4月22日(金)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。背中の左側に注射。

4月23日(土)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。背中の右側に注射。

4月25日(月)

カイロプラクティックへ
右膝を重点的にやって貰う。

4月26日(火)

なんと正座ができた。
でも、その日だけ。

4月30日(土)

整形外科で、首の牽引と背中に電気を当てて貰う。左腕に注射。
ゴールデンウィークあけに整形外科に予約を入れた。
その時点で何も症状が変わってなければ大学病院に紹介状を書くといわれてしまった。
図書館でリュウマチ膠原病関連の夲をさがす。
心情的にはファイト満々、燃えてましたね〜。完全にリュウマチだと思っていました。
よーし戦うぞ!絶対勝ってやる!って(笑)

5月1日(日)

関節が痛み歩きずらい。

5月2日(月)

大学病院へ行き、リュウマチの検査をしてほしいと訴える。
血液検査、尿検査、レントゲン。

検査の結果は一ヵ月後との事。
しかし、こんなに具合が悪いのに一ヵ月後で大丈夫かぁ?と納得いかないながらも家へ戻るとその日のうちに大学病院から電話が入る。血液検査の数値で心配なものがあるので
休み明けすぐにくるようにと。

5月3日(火)

熱がでてきた。37.5度。

5月4日(水)

熱、37.6度。

5月5日(木)

熱、39.3度。

5月6日(金)

大学病院でもう一度血液検査と尿検査をうける。
病院まで車を運転して行ったのですがハンドルずーっと握っていられないくらい手がしびれて痛いのです。右手左手かわりばんこにハンドルから離して振ると楽になるからぶんぶん振りながら運転していました。

5月7日(土)

熱、37.5度。

5月8日(日)

熱、37.6度。

5月9日(月)

夫と大学病院へ。
血液検査の結果、多発性筋炎ではないかとのことでした。
このときのCPKが4800くらいだったそうです。
筋力低下の自覚症状は皆無でした。
入院手続きをして帰る。
熱、37.5度。

5月10日(火)

熱、37.8度。
明日からお酒も飲めなくなると思ってビールを一杯。なんだこりゃぁ〜、世界が廻る。たった一口しか飲めませんでした。

5月11日(水)
入    院

 

 手のしびれから始まった体の不調。入院までの約40日間でどんどん症状が進んでいき、これはただ事じゃないぞと覚悟を決めました。関節の痛みと微熱とくればリウマチではないかと思い、図書館でリウマチ関連の本を立ち読みして、よ〜し!戦うぞぉ〜!!!もう、闘志満々です。私の頭の中ではロッキーのテーマ曲が鳴り響いたのでありますヽ(^。^)ノ

 自宅から比較的近いところにある、リウマチや膠原病の専門がある大学病院を調べて行ったのですが、受け付けでいきなり「リウマチの検査をしてください。」と言ってしまいました。(気合い入ってました!)

 血液検査をしてからの診察だったのですが担当の医師の名前に見覚えがありました。図書館で調べた本の著者だったんです。その医師、とっても恐そうで岩みたいな印象を受けました(顔もゴツゴツしてて硬そうだった(^^ ;。)しかし、その医師はあまり私の話も聞いてくれず、1ヵ月後に今日の血液検査の結果を聞きに来るように言われた時には目が点になってしまいました。「こんなに具合が悪いのに1ヶ月もほっといていいのー?」と心の声。しかし気の弱い私は恐そうな医師に何も言えず、熱があったのでボーッとしたまま車の運転をして家路へ。

 その日のうちに病院から電話がきて、血液検査の結果が普通じゃないので休み明けにすぐ来るように言われたときには、「ほ〜らごらん。こ〜んなに具合わるいんだから1カ月もほっとかれるはずないのよ!」と思ったものです。

 その電話では膠原病疑いというよりも肝臓の数字が悪いということでしたが、今思えば筋原性酵素の値が高かったのだと思います。

 連休中微熱が続き休み明けに病院へ行くと、前回の医師とは違うとても好感の持てる医師が担当で、その医師に「リウマチではなく膠原病のようだ、それも数値がとても悪いので出来るだけ早く入院して治療を開始した方がよい」との説明を受け、その日は夫共々覚悟して行ったのでその場で入院手続きをすませ、その翌々日の入院となりました。

 入院中も相変わらず強気の私でしたが新しい環境でとまどうばかりであろう小学校に入学したばかりの長男、幼稚園に入園したばかりの次男の事を思うとさすがに落ち込みました。

 実家の母と夫の母が交替で来てくれて子供達の面倒をみてもらえたのはありがたいことでした。 

 

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1994年
(平成6年)
体重
プレドニン
CPK
(CK)
検査 治療  状態 
5月11日
54kg
未投与
5800

入院
プレドニンが始まるまでず〜っと熱が続く。

5月15日
57kg
未投与

体重が4日で3kg増える。

5月17日
未投与

注腸食。水分のみのオエッとなるような流動食。

5月18日
未投与

熱が38.6度。
注腸検査(泣)。

5月19日
未投与

筋生検(泣)。

5月20日
プレドニン開始
60mg
(12錠)4週間

プレドニンが始まると興奮して眠れなくなると聞いていたが前日の緊張感でグッタリ疲れてしまい、一日中グッスリ。
プレドニン開始、朝20mg昼20mg夕20mg

5月21日

57kg

60mg

プレドニン恐るべし!
すっかり平熱。
指の腫れがなくなって手のひらがピタッとくっついた。
指もポキポキ鳴らせるぞ!
でも、指の関節はまだ痛い。

5月23日
60mg

胸部CT、間質性肺炎である事が判明。
胸部、腹部X線検査
両手のしびれもだいぶ楽になる。

5月25日
60mg

一ヵ月ぶりにしゃがめた。
それまでは膝が痛くてしゃがめなかったの。

5月26日
60mg

胃カメラ(泣)。

5月27日
60mg

気管支鏡(泣)。

5月28日
60mg

筋電図(泣)。
筋生検後の抜糸。

5月29日
51kg
60mg

一週間で6kg減っていた。ビックリ!
顔も目が落ちくぼんでゲッソリ。
一気に筋肉がなくなったのか?
でもあいかわらず筋力低下の自覚症状は無い。

5月30日
60mg

正座が出来た!!!
膝の痛みは解消されました。

 

 プレドニンが始まるまでの一週間ず〜っと熱が続いていたのですが、今までアイスノンしか使った事がなかった私は、看護師さんに作っいただいた氷枕がとっても気持ちが良くて感激してしまいました。

 とにかくプレドニン60mgは凄かった。顔は湿疹だらけ、髪の毛はどんどん抜ける、身体中毛むくじゃらになる、ベッドで横になっていても身体中がジンジン燃えてるようでした。

 興奮して眠れない日々が続く。


 

1994年
(平成6年)
体重
プレドニン
CPK
(CK)
検査 治療  状態 
6月1日
60mg

プレドニン開始後12日。
副作用から肝機能が悪くなってしまった。
強力ミノファーゲンCの点滴を15日間続ける。

6月5日

49.5kg

60mg
2600
6月10日
60mg

膵臓のエコー

6月12日

48.8kg

60mg
1800
6月15日
60mg

強力ミノファーゲンCの点滴終了。
飲み薬に変更。

6月17日
55mg
(11錠)
2週間
1100

プレドニン5mg(1錠)減量。

6月20日
48kg
55mg

プレドニンの副作用でほっぺがふくれはじめる。(ムーンフェース)

6月22日
55mg

腹部エコー、骨塩定量
五黄という漢方薬を主治医に内緒でこっそり飲む。(一週間分。)先生ゴメンヨー!
注.真似しないでください。

6月25日
55mg
1100

強力ミノファーゲンCの点滴を再開。(3週間続ける。)
飲み薬に変更してから10日。(あまり数字が下がらなかったの。)

6月27日
48kg
55mg
440

いっきにCPKが下がる。
たまたま下がる時期だったのか漢方薬が効いたのか謎。

6月28日
55mg

婦人科検査

6月30日
55mg
270

胸部CT。

 

 多発性筋炎はガンを伴うことがあるというので身体中検査してもらいましたが、何もみつかりませんでした。良かった。

 間質性肺炎はCTの結果でみると肺の下の部分が白く写ってました。プレドニンに反応するタイプだといいけど効かないタイプもあるそうです。私は今回は良く反応してくれて、退院時は完全に治っていました。

 奇麗に治っているCTの写真をみせてくれて、先生達がみんなで拍手してくれたんです。うれしかったなぁ〜。でも、再発してしまいました。その後も良くなったり悪くなったりを繰り返しています。


 

 

1994年
(平成6年)
体重
プレドニン
CPK
(CK)
検査 治療  状態 
7月1日
50mg
(10錠)2週間

プレドニン減量。

7月4日
46.2kg
50mg
207
7月8日
50mg
73

首のMR(怖)(手のしびれは首からきているのではないかということで。)
ガリウムシンチ

7月11日
46.8kg
50mg

ガリウムシンチ

7月12日
50mg
68

ガリウムシンチ
知覚伝達検査(手のしびれの為)

7月15日
45mg
(9錠)一週間
40

プレドニン5mg(1錠)減量。
強力ミノファーゲンCの点滴を終了。

7月19日
46.3kg
45mg

心臓のエコー

7月22日
40mg
(8錠)一週間
35

プレドニン5mg(1錠)減量。

7月29日
47kg
35mg
(7錠)一週間
24

プレドニン5mg(1錠)減量。

 

 プレドニンが減り始めたのはいいのですが、一錠減らすと一週間くらいだるさが続くきました。手のしびれはプレドニンが始まってから一度すっかりなくなったのですが、プレドニンの減量とともに出現してその量が身体になれてくるとともに治まってくるという繰り返しです。

 検査もだんだん減ってくるし、身体は絶好調なので退屈で退屈で困ってしまいました。カラオケボックスが病院にあればストレス解消に絶対いいのにま〜などと思っておりました。

 元気すぎてCK値が100を切るまでベッドで安静にしているように注意され。おかげでCKはかなり下がったのですが筋力低下で足がほとんどあがらず、階段の手すりにつかまってかろうじて昇り降りができる状態でした。


 

1994年
(平成6年)
プレドニン
CPK
(CK)
検査 治療  状態 
8月1日
35mg
26

腰のX線検査
カルシウムチェック

8月4日
35mg

骨塩定量カルシウムチェック

8月5日
30mg
(6錠)二週間

プレドニン5mg(1錠)減量。

8月9日
30mg
退    院

 

 当時はプレドニン30mgでの退院は日和見感染が怖いのでありえない事だったそうです。でも一日でも早く子供達と過ごしたいという一心で、主治医の出張中に病棟の担当医に交渉し、まんまと退院してしまいました(^^)v主治医はプレドニンが20mgまで減らないと退院させるつもりがなかったと後でききました。

 退院して一番にしたこと?もちろんビールで乾杯です!

 でもね、ばちが当たったんです。無理やり退院なんかするから帯状疱疹の後遺症にいまだに悩まされていなくてはいけないんです。入院中だったらしっかり治療できて、後遺症なんか残らなかったかもしれないです。

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帯状疱疹の記録

1994年
(平成6年)
プレドニン
検査 治療  状態  
8月19日
25mg
(5錠)四週間

プレドニン5mg(1錠)減量。

8月21日
25mg

背中が少し痛み始める。

8月22日
25mg

退院後始めての外来。

8月26日
25mg

背中が激痛。湿疹も出てきた。
こりゃ 帯状疱疹に違いないと思う。

8月29日
25mg

外来から皮膚科へ
入院を勧められるが何とか通院でとお願いする。
皮膚科にてゾビラックスの点滴。(6日間通う。)

8月30日
25mg

ゾビラックスの点滴。

8月31日
25mg

ゾビラックスの点滴。

9月1日
25mg

皮膚科にてゾビラックスの点滴。

9月2日
25mg

ゾビラックスの点滴。

9月3日
25mg

ゾビラックスの点滴。

9月5日
25mg

内科、皮膚科外来。

9月12日
25mg

皮膚科外来。

9月16日
25mg

内科、皮膚科外来。
ヘルペスの痛みが続く為、イオン電気治療にはいる。(3回通う。)

9月17日
20mg
(4錠)九週間

プレドニン5mg(1錠)減量。

9月21日
20mg

皮膚科にてイオン電気治療2回目。

9月27日
20mg

イオン電気治療3回目。

9月30日
20mg

内科外来。

 

 8月26日に気がついた時点で受診していればと激しく後悔しています。土日をはさんで月曜日が主治医の外来だったのでそれまで待ってしまった。今思えば、救急で駆け込めばよかったのです。

 週明けの月曜日、病院までの道のり、車を運転しながら悲鳴をあげていました。骨をハンマーで叩かれているような痛みです。午前中の外来予約。やっと主治医の受診を受け、皮膚科へまわされました。皮膚科の待合場所で待たされた、待たされた。いつまでたっても名前が呼ばれない。もう痛くて痛くて声を上げたかったのをひたすら我慢。いすに座っているのもつらかったのに、まだ若かった(35歳)私は横になることができず、ひたすら我慢我慢の2,3時間待ちでした。(←たぶん^^;)待合場所にほとんど人がいなくなった頃にやっと名前を呼ばれました。

 今思い出してもつらかった。本当に人生であんな激痛はありえない。痛み止めの座薬を入れても何の役にも立たない。陣痛に匹敵か、いや、それ以上かも。

 今もまだ後遺症が残っています。2007年6月に反対側の左わき腹に帯状疱疹が出ましたが、対応が早かったのでとても軽くすみました。 皆さんはおかしいと思ったらすぐに受診してください。主治医じゃなくてもいいです。救急で駆け込んでもいいです。帯状疱疹かなと思ったら即受診。予後がまったく違います。ワタシのように後悔しないようにしてくださいね。

 イオン電気治療は3回でやめてしまいました。電気がピリピリしてくるような気がして怖かったんです。もう少し続けていれば今はもっと楽だったのではないかと、これも後悔しています。

 

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