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2005年11月02日
ワンダと巨像 レビュー2
あんまり進んでないんですが、巨像2体目を倒した所の感想。
巨像1体目は、巨像と戦う斬新なシチュエーションに戸惑いながらなんとか倒したという状況でした。
まあ、ヌルゲーマーな私としちゃ不親切だなって思ってた節があったんですが2体目の時にはそれがなくなってました。
2体目を前にした時に1体目を倒したという自信と巨像の倒し方のパターンがわかっているおかげで冷静に対処できるようになってました。
心境は巨像を倒すじゃなくて山に登るとかそんな感じ。
登山ルートを探して安全に上れる場所を探して頂上(弱点)に旗(剣)を突き立てるような・・・。
ほんと自然を征服するような陶酔感があって中々良いです。
※前回のレビューでヒントなしと書いてますが、ヒントあったようです。
巨像のまわりでうろうろしてると天から声がしてヒントくれます。(多分時間経過)最初の時は特攻→死亡の連続だったのでヒント聞く前に死んでたワナ。
そういえば巨像を探す時にフィールド駆け回るのですが、ちょっとフィールドが寂しいかなと、「もうちょっと動物がいて狩ができたらなぁ」って思います。今まで見た生物だと「トカゲ」「鳥」だけ。うーんちょっともったいない。フィールドの存在感がすごいのでこういうフィールド使って冒険がしたい!って普通に思ってしまう。
こういった感覚が出てくること自体あまりみないように思う。
こっからはちょっとワンダとは離れるけど、ワンダやって思ったのは、最近は新しいゲームにはお金がかけられないのかなと思うような作品が多くて、「斬新なゲーム→安価なゲーム」みたいな感じが多いのが残念。安価というか携帯機へ逃げてるような・・・。
現実思い返すと「PS2に名作なし」って感じがすごくする。
PSは数多くの名作を生んだ土壌だったけど、PS2は秀作はあったけど名作はないという感じ。
任天堂はこのマンネリ感をコントローラーによって解決しようとしてるけれど個人的にはコントローラーが解決する問題なんだろうか?とも思ってる。DSが2画面にタッチパネルとかやってきたけど、「コントローラーは汎用的で違和感なくどんなゲームにも適応できること」が必要なんじゃないかと。このゲームには向くけど、こういうゲームには向かないみたいにはっきりするとハード=ゲームの方向性が決まってくるように思う。そういった意味でファミコンのコントローラーは抜群の出来だったと思う。
そういう意味でレボリューションのリモコン型が本当にスタンダードになるかは未知数。リモコンがなじみやすい形なのは分かるがやっぱ向き不向きがありそうな気がする。
なんか、コントローラー論議になってきたけど、何が言いたいかというと映画も形態の斬新さが必ずしも驚きになってないぞと。
要は映画が体感シアターみたいな進化をしたことはあったけどメジャーにはなってない。でもちゃんとヒット作は作られてる。
そう考えれば、コントローラーが変わらなくてもちゃんと名作はできるじゃないかと。映画は撮影技術の向上であたらな表現ができ、名作が生まれてくる。ゲームは操作の反映(画面と操作の一体感)が進化することが必要なんじゃないかと思う。そういう意味では、PS3の方向性は共感できるものがあって物理計算にってすべてを表現できる世界だとすれば、画面に存在するものは単純なパターンではなく自分の行動やゲームの進行、風の動きやらがちゃんと影響しあったものになって「その見ている画面は同じゲームでもすべてみんな微妙に違うもの」になってくるんじゃないかと。MMOが楽しいのは人が介在することでその時その人が体験する内容は一期一会だから。MMO(ネットワーク)が「コミュニケーションの確立」であるとすれば、ゲームハードの進化は「空間の確立」にあるんじゃないだろうか?
なんか良く分からんこと言ってるような気がするが、ま、たまには評論家気取りで^^;
投稿者 Silk : 2005年11月02日 09:06