これは、赤カブトがまだ汚れを知らぬ小熊だった頃のお話です。
 樹々もとろけるような夏の盛りに生まれた赤カブト。奥羽の山で親子三匹、
貧しいながらも幸せな毎日を送っておりました。
 ところが、両親がギャンブルに狂いだしてからは日々の暮らしは荒む一方。
とうとう町のサーカス団にハチミツ三壷で売り飛ばされてしまいました。お金
が欲しいはずなのに蜜壷で手を打ってしまうあたりがいかにも畜生です。
 ゴミのようにトラックの荷台に投込まれ、けたたましいクラクションと共に
出発です。思い出のたくさんつまった山が遠くなってゆきます。
 お父さん、お母さん、お元気で。今まで迷惑かけてゴメンナサイ。これから
は大好きなギャンブルをいっぱい楽しんでね。
 しかしその両親も一年後に身柄を拘束され、漆黒の地の底でテニスコート造
営に従事することになるのです。ギャンブルって怖いですね。


 赤カブトの新しい生活が始まりました。ピエロ、猛獣使い、空中ブランコ。
見るものすべてが刺激的です。慣れない職場と人間関係に戸惑い気味の赤カブ
トでしたが、たちまちサーカスの虜になりました。山でのしょぼくれた生活な
どきれいさっぱり忘れ、厳しい稽古に精を出す毎日です。
 ここに、一人の少年がおりました。名前は克巳。五歳にして一座の花形とい
うスーパーエリートの彼とは、不思議に気が合いました。たくさんの言葉を交
わし、稽古も一緒、食事も一緒。いつしか親友となった二人のコンビネーショ
ンはたちまちサーカスの最大の目玉になりました。
 そんなある日。克巳がトイレの裏で腕に注射針を突き刺して恍惚としている
姿を、赤カブトは見てしまったのです。視線に気づいて一瞬棒立ちになった克
己がこちらに歩いてきて、大きな袋を差し出しました。袋のラベルには『アナ
ボリックステロイド』とありました。これをあげるから団長には黙っていてく
れと懇願するのですが、赤カブトは別にこんなもの欲しくはありません。ただ、
貸しを作っておけば後々役に立つと判断して、何も見なかったことにしてやり
ました。
 この瞬間、赤カブトと克巳の間に新しい友情関係が生まれました。薬物に溺
れる克巳少年と、その弱みを握る赤カブト。二人のさらなる活躍で、舞台は連
日大盛況です。


 しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。愚地独歩とかいう強面のオ
ッサンが現れて、どちらか一人を養子に迎えて東京で贅沢させてやろう、と言
うのです。
 二人の友情はもろくも崩れ去り、都会者の座をかけて決闘が行われました。
ゾウやライオンと対等に渡り合うパワーを持つはずの克巳ですが、相次ぐ劇薬
の服用で、五歳の肉体はすでにボロボロです。しょせん赤カブトの敵ではあり
ません。
 勝負は一瞬でつきました。凱歌をあげる勝者の赤カブトの前に、満面に笑み
をたたえた独歩がやってきます。
「おめでとう。君の名は?」
「赤カブト。ヒグマです!」
「クマかよ!」
 独歩の怒りの鉄拳が、赤カブトの顔面を朱に染めるのでした。


愚地独歩 ○−● 赤カブト