独歩と闘った。負けた。ミスターはキズだらけになってファミレスに戻った。
「負けたかー!」
猪狩はバックドロップでテーブルを破壊した。ミスターは憮然とした顔で席
を立った。渋川が指定の場所で待っているはずだった。
渋川と闘った。ボコボコに負けてケツの毛を抜かれた。ミスターは卵の剥き
身みたいなケツになって戻ってきた。
「また負けたかー!」
猪狩はカウンターのレジをバックドロップでぶっ壊した。ミスターは宙を舞
うお札の吹雪には目もくれず、ジャックと闘うために外に出た。
ジャックと闘った。クソミソに負けてケツ以外の全身に剛毛を植えつけられ
た。ミスターはケツだけツルツルのマリモみたいになってファミレスに戻って
きた。笑顔で待っていた猪狩に、消え入りそうな声で言った。
「ボクは、弱いのか」
「キミは弱いぞ! 強くなるためにはコレだ!」
猪狩は隣の客を抱きかかえて、上体を反って床に叩きつけた。泣きそうな顔
で突っ立っていた女の店員は、客の噴き出したコーヒーでずぶ濡れになった。
ミスターはうつむいて、拳を強く握り締めた。そして決然と顔をあげた。
「イガリさん。ボクにバックドロップを教えてくれ」
「よくぞ言った!」
天井から徳川が落ちてきた。SPの用意したトランポリンで一回跳ねて、女の
店員の頭の上に着地した。
「己の未熟さを知ってこそ一人前のファイターじゃ! 刃牙との試合、組んで
やるぞ!」
「おめでとうー!」
猪狩はテーブルを三つまとめてバックドロップで破壊して、無傷のテーブル
をミスターに投げてよこした。
「さっそくバックドロップの特訓だ! ミスターくんもやりたまえ!」
「はい!」
ミスターはえび反りになってテーブルを叩き割った。初心者とは思えない、
実に鮮やかなバックドロップだった。
「いいぞー! もっとやれー!」
「はい!」
「こんなファミレスぶっ壊しちまえー!」
猪狩とミスターはすべてのテーブルを破壊してファミレスを飛び出した。そ
して猪狩のジムで夜までバックドロップの練習をした。ファミレスはその日限
りで潰れた。
目が冴えて眠れなかった。ミスターはベッドから起き出して、机の上の人形
を持って窓を開けた。月のキレイな夜だった。遠くから猪狩の笑い声と女性の
悲鳴が聞こえてくる。
「母さん」
ミスターは人形を月にかざした。おどけた顔の木彫りの人形が月の白い光に
照らされて、母の笑顔が浮かんで見えた。そして別の女性の笑顔に変わった。
「コズエ」
刃牙との試合には、きっと梢江もやってくる。もちろん刃牙の応援をするの
だろうが、ミスターはそれでもよかった。刃牙に勝つことができたら、その場
で梢江に想いを打ち明けるつもりだった。梢江はどんな顔をするだろうか。
「キミは、ボクの妹なのか?」
アライに梢江と自分の関係を訊いた時、アライは何も言わなかった。母に瓜
二つの梢江は、もしかしたら母とアライの娘なのかもしれない。だとしたら、
どうする? 血を分けた兄として、梢江の前に立つのか? それとも?
「知るものか」
アライは窓を閉めてベッドに潜り込んで、人形を頬に当てて目をつぶった。
自分の鼓動の音が、人形からも聞こえてくるようだった。
眠れないまま朝になった。試合当日の朝だった。
つづく
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