「これが無敵のアライ猪狩状態だ! 破れるもんなら破ってみたまえ!」
ミスターは猪狩の顔をじっと見て、ドア近くの天井から垂れたヒモを引いた。
天井の板が開いてボーリングの玉が落ちてきた。玉は猪狩の股間を直撃した。
「ダッシャー!」
猪狩は透き通るような悲鳴をあげて、アゴをのけぞらせて悶絶した。アライ
はドアを閉めて外に出て、太陽の光をいっぱいに浴びて深呼吸をした。すべて
をなかったことにして、部屋に戻ってもう一度ドアを開けた。
「ミスターくん! まだまだ私は元気いっぱいだぞ! さあこい!」
「ミスターよ! 私を本当の母親だと思ってカモン!」
股間は二つに増えていた。しかしミスターはドアを閉めなかった。次にドア
を開けたら、股間が三つになっていると思ったからだ。ミスターはアライ猪狩
状態のアライと猪狩を交互に見て、ドアの脇の壁を叩いた。棚に飾ってあった
人形が下の水槽に落ちて、ピラニアが水槽から飛び出して、アライと猪狩の股
間にピンポイントで食いついた。
「ダッシャー!」
アライと猪狩が悶絶して床を転げ回るのを、ミスターはベッドに腰かけて見
ていた。水槽から拾った人形を布でていねいに拭いている。母の唯一の形見の
大切な人形だった。
「さてミスターよ」
ダメージの回復したアライが落ち着き払って言った。まだ声も体も震えてい
るが、これは病気なので仕方がない。
「私の友人を紹介しよう。ニッポンのプロレスラーのアントニオ・イガリだ」
「はじめましてー!」
猪狩は挨拶と一緒に、ミスターの向うずねを思い切り蹴り飛ばした。あまり
に予想外の不意打ちだったのでよけることができなかった。
「痛いかミスターくん! 蹴った私は全然ちっとも痛くないぞー!」
猪狩はすねを押さえてうずくまるミスターを見て豪快に笑った。ミスターは
猪狩を血走った眼で睨みつけたが、なんとかこらえてアライに尋ねた。
「で、ニポンのくされアゴレスラーがどうしてここにいるんだ?」
「私たちにあるものを見てもらいたいんだそうだ。これだ」
アライは震える手で一枚の写真を差し出した。写真には日本人の若い男女が
写っていた。
「男はひとまずおいておけ。問題なのは女性の方だ」
アライに言われるまでもなく、ミスターの目は写真の女性に釘づけになって
いた。ミスターの体の中にいくつもの気泡が立ち昇り、気泡が寄り集まって一
人の女性の面影をつくって、写真の女性とピタリと一致した。
「私はこの女性にとてもよく似た女を知っている。誰だか分かるか?」
「母さんだ」
「そのとーり!」
答えたのは猪狩だった。ミスターとアライの会話中ずっとスクワットをやっ
ていて、床が汗でびちゃびちゃになっていた。
「イガリさん! アンタは母さんを知っているのか!」
「おー知ってるとも! 尻の穴のヒダの数まで知っているぞ!」
「そんなことまで知らなくていい! それで写真の女性は一体誰だ!」
「左の男が範馬勇次郎の息子の刃牙くんで、その彼女の松本梢江くんだ!」
「コズエ」
ミスターは梢江の名前を反芻した。その瞬間、ミスターの亡き母への愛情は
梢江への恋心に変化した。
「父さん! コズエとボクに血の繋がりはあるのか!」
「それはお前がニッポンに行って、自分の目で確かめてこい!」
アライもスクワットをやっていた。アライと猪狩はスクワットを続けながら
ミスターににじり寄った。
「ミスターくん、梢江くんが欲しいか! ならば刃牙くんから奪ってしまえ!」
「ボクシングでバキを倒すか、私たちと一緒にスクワットをするか! さあど
うする!」
ミスターは目をつぶって、人形を両手で握って額に当てた。長い時間考えて、
そしてゆっくりと目を開けた。
「父さん、ボクはボクシングをやるよ。そしてバキに勝ってみせる」
「いえーい!」
アライは全身を痙攣させてバンザイをして、ヨダレを飛ばして猪狩に言った。
「イガリ! 一刻も早くミスターをニッポンに連れて行ってくれ!」
「猪狩号ー!」
猪狩が叫ぶと、窓の外に大きな猪狩の顔が現れた。ミスターと猪狩を乗せた
猪狩号は、アゴから青白い炎を噴いて空の彼方に消え去った。
つづく
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