USJ開園までの道のり(年表)

日  付 内   容
1985年
9月
プラザ合意成立。※「ドル高是正のための協調介入」に関する合意。
円高政策のプラザ合意後、円相場 は「1ドル=260円台」から「1ドル=120円台」に急騰。
日本の重厚長大産業の衰退が決定する。
1980年代後半 MCAが「ユニバーサル・スタジオ」の日本進出を検討する。
1988年
1月
新日本製鉄とMCAが提携、テ−マパ−ク建設をする。事業規模は約五百億円の見込み。両社は事業を「ユニバーサルスタジオ・ジャパン・プロジェクト」と名付け、共同チームで企業化調査を進め、年内に調査を完了し、1989年早々に合弁で事業会社を設立する。テ−マパ−クの一般公開は七―八年後になる見通し。規模は約百八十万平方メートルの予定
1989年
2月 新日本製鉄の、USJの総事業費が当初見込みの2倍、1000億円以上に膨らむ。
4月27日 松下幸之助逝去
1990年 大阪市が「大阪市総合計画21」を策定
4月 MCAのユニバーサル・スタジオの日本での建設場所について、大阪府堺市が最有力となる。堺市にある新日本製鉄の所有地約八十一万平方メートルを利用し今年中に正式決定、95年開園を目指す。
MCA幹部が、大阪府堺市に現地視察と交渉に訪れる。
MCA側が現地視察の結果、交通アクセスが悪いと難色を示し、新日本製鉄側も事業費とロイヤルティー(7.5%)が高いと難色を示し、USJ建設が破談になる。
上記翌日
(数日間交渉)
大阪市が、USJ建設破談を聞きつけ、急遽、誘致を行う。
来阪している、MCA幹部に接触し、大正区鶴浜の三十ヘクタ−ル埋め立て地で交渉するが、土地が狭い事と、交通の便が悪い事で交渉が決裂する。MCA側が、翌日帰国へ
決裂日の深夜 大阪市幹部が打開策を目指し緊急会議。民有地の此花西部臨海地域(桜島)が話に出る。
急遽、MCA幹部の宿泊先のホテルに訪れ、桜島地区の地図を広げ「帰国を一日延ばして、ここを(桜島)一度見て欲しい。」と嘆願する。
上記翌日 帰国を延ばしたMCA幹部が、桜島地区を訪れる。
MCA側が、「ここならば、ユニバーサル・スタジオが考えている形でテ−マパ−ク事業が展開出来る」と即答し、USJ建設に向けて、大阪市とMCAが具体的な検討に入る。
1991年 MCAエンタープライズ・ジャパン設立
11月26日 松下電器産業がMCA INC.を買収。総額8540億円(61億ドル)
1992年 堺USJ断念を知り、兵庫県尼崎市、浦和市等の自治体がUSJの誘致活動を行う。
1993年 大阪市が、ユニバーサル・スタジオの招請を正式に行う
5月 「USJ此花研究会」が発足。
大阪市の呼び掛けで、MCA社、同社の親会社である松下電器産業、大阪ガス、住友金属工業、JR西日本などが参加
1994年
1月5日 「ユニバーサルスタジオ」が大阪市(此花西部臨海地域)に進出することが正式決定。
総事業費は約千六百億円、オープンは九九年春を予定。
2月2日 「ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)此花開発協議会」が発足。
大阪市をはじめとする地元の主要地権者八者と、同スタジオのオーナーである米MCA社系のMCAエンタープライズインターナショナル、MCA社の親会社の松下電器産業は、「ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)此花開発協議会」を発足。 
12月27日 大阪ユニバーサル企画株式会社設立
企画会社は資本金十億円で、このうち大阪市が二二%を出資する第三セクターで、主な業務内容は、USJの基本計画の策定、資金調達の立案などで、九五年夏ごろ、施設の建設・運営にあたる事業会社に移行する予定。
1995年
3月 大阪市が此花西部臨海地区土地区画整理事業等の都市計画決定
4月10日 ザ・シーグラム・カンパニーがMCA INC.の株80%を取得し、シーグラム・グ ループの傘下企業となる。
5月24日 此花西部臨海地区(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)が、大阪湾臨海地域開発整備法(大阪湾ベイエリア開発法)にもとづいて国が承認。
7月18日 日立造船が桜島工場(大阪市此花区)を閉鎖し、有明工場(熊本県)の敷地内に移転すると発表
8月 大阪市が桜島の区画整理事業の事業決定
9月 開業時期が、当初予定していた九九年春から二年ほど遅れる見通しとなった。
米国映画・娯楽大手MCAの株式を今年四月に松下電器産業が売却した影響等で、MCA側との契約締結が遅れ、事業会社の設立が今秋から来年にずれ込むことがはっきりした為
10月 区画整理審議会の発足
12月 区画整理審議会の仮換地指定。 全体敷地約156.2h。
1996年
2月6日 米MCAと大阪市側が、テーマパーク(USJ)の建設で契約調印
3月13日 株式会社ユー・エス・ジェイ設立
大阪ユニバーサル企画株式会社が、株式会社ユー・エス・ジェイに移行。
3月 JR西日本が、JR桜島線が現在USJ建設予定地の中心部を通っているため、線路を南へ約三百メートル移設するとともに、地下化と複線化し、終点桜島駅はUSJ敷地内にあるため、線路を延伸して同駅を約五十メートル西へ移転を計画。
1997年
7月28日 USJの設計・建設工事の入札を実施。工事は総額五百五十五億一千万円の大型プロジェクトで、大林組などを幹事会社とした三共同企業体(JV)がそれぞれ落札。
10月21日 JR西日本がUSJに配慮して地下化を検討したが建設費が高く断念し、線路をアーチで覆うことに決定。
1998年 
3月26日 前大阪市長の西尾正也(にしお・まさや)氏がUSJ開園を見ずに死去。晩年71才
4月 アトラクションや飲食、物販施設ごとにスポンサーを募集する
5月11日 建設概要発表。
初年度目標は入場者八百万―八百五十万人、売り上げ八百億円で、従業員数は正社員約千人、アルバイトなど五千―八千人。総事業費は千七百億円。人気アトラクションなど十八施設、飲食二十一施設、物販二十四施設で構成で、開業後は二年ごとに約百億円を投資して新アトラクションを追加し、二〇一一年度には二十三施設、売上高一千億円を見込み、将来は上場を検討する。
5月 USJが、出資者の米ユニバーサル・スタジオの代表作だけでなく、他社作品も取り入れる。
集客力を高めるのが狙いで、「スヌーピー」やヒット映画「ターミネーター2」をアトラクションに利用する権利を取得した。
10月28日 パーク建設工事の起工式を実施。
アーノルド・シュワルツェネッガー氏が参加、「USJのアトラクションの中で『ターミネーター2』が最高だと誇りを持っている」と話して会場を盛り上げ、最後に「アイル・ビー・バック(私は戻って来る)」と、ターミネーターでの決めぜりふで締めくくる。
12月15日 修学旅行の行き先が2年前に決まる為、大阪市は、旅行会社やUSJやホテル等の十六社・団体と「大阪市修学旅行誘致委員会」を発足させた。
1999年
4月1日 JR西日本が南側へ移設していた桜島線・安治川口駅―桜島駅間(約一・七キロ)が、完成し切り替えられた。
5月末 USJが日本開発銀行、住友銀行などの銀行団と総額約千二百億円の融資契約を結ぶ事を発表。不動産を担保にしないプロジェクト・ファイナンスの手法を採用し、担保は米ユニバーサル・スタジオに支払うロイヤルティー(7.5%)を充てる。金利は四%台。
開業後に一人当たり九千円程度を使ってもらう計算で、初年度の売上高目標は入場者八百万人で七百二十億円。
8月 アトラクション施設やレストランに協賛する企業十一社が決定し、合計金額四百億―五百億円で、契約期間は五〜十年。
9月30日 日本開発銀行、住友銀行など十八金融機関と総額約千二百五十億円の協調融資を受ける契約を結んだと発表した。利率は年四%台。金利は市場連動金利をベースにした変動金利だが、一部に固定金利も導入する融資期限は開銀が開業後十〜十五年、他は十年。
10月1日 USJ、修学旅行の仮予約受付開始。
修学旅行の行き先は約二年前に選定する場合が多いため、一般団体の予約に先駆けて実施。
10月7日 USJで上棟式をする。
式典は映画「ジュラシック・パーク」をテーマにした高さ40メートルのアトラクション建物の骨組みが完成したのを機に実施。本家の米スタジオから空輸した炎を阪田社長がモニュメントに点火した。
12月8日 JR桜島線新駅前の再開発事業(三・一ヘクタール)の起工式。
USJ周辺開発の第一弾で、商業施設、ホテル三棟、オフィスビルの計五棟を建設する。総事業費は四百二十三億円
2000年
1月12日 毎日放送(大阪市、柳瀬璋社長)が、USJに進出すると発表。
放送スタジオ施設を賃借し番組制作拠点とする。スタジオ施設は二〇一一年三月末までの十年契約。
2月 藤田観光が、JR桜島線新駅前(USJ周辺)への、ホテル開業断念。 
2月23日 映画のロケを誘致して経済を活性化しようとする「大阪ロケーション・サービス協議会」が、発足。
3月8日 日本航空系のJALホテルズが進出することが、明らかになる。
七月に着工し、二〇〇二年のゴールデンウイーク前の開業を目指す。「ホテル日航大阪ベイ」(仮称)で、三十三階建て、六百四十室。宴会場を極力減らし宿泊中心とする。
3月9日 USJが東京オフィスを開設。
営業部とマーケティング部のスタッフが在籍し、首都圏からの集客に向けた活動を始める。
3月 USJを大阪市内に設立するプロジェクトを対象に住友銀行などが実行する協調融資が、英国の金融専門誌、ユーロマネー社による一九九九年の年間優秀賞を受賞した。
この賞は同社が編集するプロジェクト・ファイナンス誌上で毎年、調印した世界のプロジェクトファイナンスのなかから市場での評価の高さなどを基準に選んでいる。
※プロジェクトファイナンス(事業の採算性を融資の判断基準にする融資)
6月14日 JR西日本が、JR桜島線新駅の駅名を「ユニバーサルシティ駅」に決定したと発表。
7月17日 USJが、7パートやアルバイト計六千人の募集を始める。
9月18日 USJが入場料金を発表。
大人は五千五百円、四歳から小学生の子供は三千七百円で東京ディズニーランド(TDL)と同じ料金。
10月11日 USJのダンサーのオーディションが、住之江区内のスタジオで開かれた。
10月26日 KinkiKidsの堂本光一さんにより、「ジョーズ」の主役サメの模型を設置。
2001年
1月29日 USJが、開業日を三月三十一日とすることを発表。
2月7日 USJへ開業直後(三月三十一日―四月十四日)に入場できる前売り券が、発売された。3月31日分は、1時間以内で完売。
2月21日 ウッドペッカーをデザインした全日空の「ANAウッディージェット」が、大阪空港から大分空港に初フライト。
2月26日 車の玄関口となる阪神高速道路の、ユニバーサルシティ出口が開通。
3月1日 USJ、プレオープン。従業員の家族や招待客ら5000人が入場。 
JR桜島線「ユニバーサルシティ駅」が開業。
3月13日 JR西日本の井手生敬会長が、大阪〜ユニバーサルシティ間の13分の新ダイヤを見て「お客さんは一刻も早く(USJ)行きたいんだ」と激怒する。
JR西日本が、異例のダイヤ再改正に動く。
3月20日 ユニバーサルスタジオ前交番がオープン
3月20日 JR西日本の南谷昌二郎社長が、大阪駅からユニバーサルシティ駅までの直通列車の運行時間を三分短縮して十分で運行すると発表。二十九日から実施する。
宣伝ポスターの書き換えなどに約一千万円かかるが、後にJRの一人勝ちにつながる。
3月22日 USJに隣接する複合商業施設「ユニバーサル・シティウォーク大阪」が、営業を開始。  
3月29日 ユニバーサルシティポート(海の玄関口)が完成
3月30日 前夜祭が午後7時からパーク内のラグーンで行われた。地元政財界関係者やタレントら約3000人の招待客が見守る中、ハリウッド流の光と水と花火が織りなす華麗なショーが繰り広げられ、アーノルド・シュワルツェネッガーが、ヘリコプターで登場。
3月31日 USJが、グランド・オープニング。
アーノルド・シュワルツェネッガーによるテープカットで、予定より20分早い午前7時40分に開園。前売り券購入の約3万人のみ入園し、夜遅くまでUSJを満喫した。


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