浦見川


寛文大地震によって,古気山川が隆起して湖水が流路を閉ざされ,大氾濫を起こした.排水のためには,気山川の改修か,それとも浦見川の掘削かの論争が飛び交う中,気山川の改修では砂礫の捨て場に多くの田畑が潰され,さらに河川改修には途中に存在する300m にも達する大岩盤を除去しなければならない.それに比べて浦見坂の掘削は,40 数m の高さがあるが,潰される田畑10 石程で工事の距離も短い.この理由により浦見坂の掘削が始められた.石工,鉱夫それに人夫ら千余人が両端掘りという当時では新しく珍しい方法で普請がなされたのである.しかし,岩盤が堅固で当時では難工事そのもので,工事は遅々として進まなかった.普請奉行は,祈りの中で,西方に位置を変えよとのお告げを受け,河川位置を変更し,それにより現在の人工運河の浦見川が造られたのである.これらの史実を基にして,踏査を行ったところ,古気山川の岩盤はチャ−トであり,一方,浦見川の水路は断層に並行し,破砕帯が浦見川の西側に存在し,この断層を境にして,東方は花崗岩類,西方のほとんどは頁岩であることが判明した.東方の花崗岩は,塊状で節理も川に並行し著しく堅固であるのに対して,西方の頁岩は,破砕岩となっている.古文書の内容と地質状況と一致していた.


福井県のすぐれた自然データベースより