Beowulf における ‘weallan’ という語について

 

                             (The Word ‘Weallan’ in Beowulf )

 

                                        野呂俊文

                                    (Toshifumi Noro)

 

 

目 次

 

1.  序

2.  ‘weallan’ および ‘wylm’ の意味と語源

3.  ‘weallan’ を含む文の構造

4.  ‘weallan’ の用例

5.  ‘weallan’ の複合語の用例

6.  ‘wylm’ の用例

7.  ‘wylm’ の複合語の用例

8.  ‘weallan’ ‘wylm’ の変化形

9.  まとめとして

主要参考文献

 

 

 

1.

 

 8世紀の英国で成立したとされる長編詩 Beowulf には,海や水のイメージが豊富に用いられている.デンマーク (Scyldingas) の王シュルド (Scyld) の船葬,14 名の勇士を率いるベーオウルフ (Beowulf) のフローズガール (Hroðgar) 王のもとへの航海,ウンヴェルス (Unferð) の語るベーオウルフとブレカ (Breca) との競泳の話,怪物グレンデル (Grendel) とその母親の住みかである湖,およびその水底でのベーオウルフの戦い,ベーオウルフらのイェーアト (Geatas) の国への帰国の航海,海辺の「鯨岬」に築かれる今は亡きベーオウルフ王の塚――など,この作品の多くの印象的な場面は, 海や湖など水に関係している.また,火竜に見られる火のイメージも,この作品においては重要な役を果たしている.Beowulf の中ではこれらの水のイメージと火のイメージの両方が, しばしば ‘weallan’ という動詞,およびその名詞形と考えられる ‘wylm’ という語によって表現されている.本稿ではこの ‘weallan’ ‘wylm’ という語を取り上げ,その語義,語源,作中の用例などについて考察してみたい.

 作中での ‘weallan’ およびその変化形の使用回数は 17 例で,weallan を用いた複合語が2例である.また ‘wylm’ およびその別形,変化形は7例用いられており,wylm を基礎語とした複合語が 12 例現れる.以上を合計すると,38 例となり,これは Beowulf  3182 行中での使用回数としては,かなり多いと言えるのではないだろうか.

 

2.’weallan’ および ‘wylm’ の意味と語源

 

 「湧く」,「沸く」,「たぎる」の意味をもつ ‘weallan’ という語は,現代英語の ‘to well’ (わき出る)に相当する語であるが,ModE ‘well’ OE ‘weallan’ の持っていた力強い多義的な意味のいくつかを失ってしまっている.たとえば ‘well’ ,「沸騰する」,「波立つ」などの意味で用いられることはないが,’weallan’ はこのような意味で用いられた.現代英語の ‘well’ という動詞は,より正確には OE ‘wiellan’ (別形 wyllan, wællan, wellan) に由来し,この ‘wiellan’ ‘weallan’ から派生した他動詞で,「沸騰させる」を意味した.それが ME 期に ‘weallan’ の意味をも兼ねるようになり,今日に至ったものである.OED では,‘well’ の自動詞的意味「(泉などが)湧き出る」の用例が現れるのは遅く,初出例は1387 年の Trevisa, Higden ‘In þis citee welleþ vp and springeþ hote baþes’ である.また「沸騰する」という意味の用例が見られるのは,1400 年から 1559 年までの間だけである.他動詞 ‘wiellan’ は,Beowulf では一度も用いられていない.

 

 さて,自動詞 ‘weallan’ であるが,OED によれば,この語は印欧語の語根 ‘*wel-’(1)(to roll) に由来し,この「回転する」,「ころがる」という語根的意味から,「沸騰する」,「泡立つ」,「湧き出る」の意味を発達させたようである.西ゲルマン語派には同じ語が広く見られ,古フリジア語 ‘walla’ (湧き出る),西フリジア語 ‘walle’ (沸騰する),古高ドイツ語 ‘wallan’ (沸騰する,噴き出る,泡立つ)などが見られる.また同語源の語に,北ゲルマン語派の古アイスランド語 ‘vella’ (沸騰する,湧き出る,群がる)や,東ゲルマン語派のゴート語 ‘wulan’ (白熱する,煮え立つ)などがある.

 『アメリカン・ヘリティッジ英語辞典』(1969) の印欧語語根一覧を見ると,この ‘*wel-’ (turn, roll) という語根がかなり多産であることが分かる.(2)

 ’*wel-’ から派生した語根であるゲルマン語 ‘*walt-’ は,古高ドイツ語 ‘walzan’ (ころがる,ワルツを踊る)を生み,これが英語に ‘waltz’ (ワルツ(を踊る))として入っている.また中期オランダ語 ‘welteren’ (ころがる)も同じ語根に由来するが,これは英語に ‘welter’ (ころげまわる,<波が>逆巻く)として入っている.

 ゲルマン語 ‘*weluka-’ という形からは OE ‘weoloc’ が派生し,これは ModE ‘whelk’ (巻き貝の一種)となっている.

 ‘*wel-’ からは OE ‘welig’ ModE ‘willow’ (柳<枝が曲がる木から)が,また ‘*welk-’ からは OE ‘wealcian’ (包む)や OE ‘wealcan’ (<波が>うねる,回転する,考える,巻く,行く)が派生し,’wealcan’ ModE ‘walk’ (歩く)という基本語になっている.

 ゲルマン語 ‘*wall-’ からは OE ‘wiella’ (泉)> ModE ‘well’ (泉,井戸)や,ノルマンフレンチ ‘walet’(袋)> ModE ‘wallet’ (さいふ)が派生している.

 印欧語 ‘*wel-’ の拡張形 ‘*welw-’ からは,ゲルマン語 ‘*walwon’ OE wealwian ModE ‘wallow’ (<泥などの中で>ころげ回る)や,ラテン語 ‘volvere’ (回転する)が派生し,0グレードの ‘*wolw-a’ からは,ラテン語 ‘vulva, volva’ (子宮<おおうもの)が派生している.特に ‘volvere’ (回転する)というラテン語はきわめて多産であって,これから volume, volute, evolve, involve, revolve など,多数の派生語が英語に入っている.

 また別形 ‘*wall-’ からは,ラテン語 ‘vallis’ (谷)が派生し,これは英語の ‘vale’ ‘valley’ (谷)となっている.

 以上の派生語はすべて, ‘*wel-’ という印欧語の語根に由来するもので,いずれも「ころがる」,「丸く包み込む」といった意味を内包している.

 OE の自動詞 ‘weallan’ や他動詞 ‘wiellan’ の名詞形の役を果たしていた語に, ‘wælm’ という中性名詞 があった.この語には, ‘wielm’, ‘welm’, ‘wilm’, ‘wylm’ などの別形があり,Beowulfでは ‘wylm’ ‘wælm’ という形が用いられている.基本的語義は「波(のうねり),「水の噴出,泉」,「沸騰」,「熱」であり,意味は動詞 ‘weallan’ ‘wiellan’ に対応している. OED が挙げている他の西ゲルマン語派の言語における ‘wælm’ の対応語の語義には,「煙,蒸気」(西フリースランド語),「煙」(オランダ語),「波の泡,水のほとばしり」(フラマン語方言),「熱,情熱」(古高・中高ドイツ語),「沸騰,渦」(ドイツ語方言)などがある.また,古ノルド語の ‘olmr’ は「荒れ狂うこと」という意味を持つ.「煙」という意味を除けば,Beowulf で使用されている ‘wylm’, ‘wælm’ には,あとで見るように,上に述べたような意味がほぼ含まれているので,興味深い.

 OE ‘wælm’,’wylm’もやはり印欧語語根 ‘*wel-’(ころがる)に由来し,「波のうねり」が元義であったようで,そこから[沸騰」,さらには「熱」の意味が発達した.この ‘wælm’, ‘wylm’ は現代英語ではすでに廃語となっているが,ドイツ語にはその対応語 ‘Walm’ ([]立ち,渦)が残っている.ドイツ語では「沸騰」の意味の方は,別の同系語 ‘Wallung’ が受け継いでいる.

 

 ここでもう一度, ‘*wel-’ に由来する OE の語をまとめてみると,次のようになる.

 

    weallan        (沸騰する,湧く,波立つ)

    wiellan    (沸騰させる)(ModE ‘well’)

       wealwian      (ころがる,ころがす)(ModE ‘wallow’)

       wylwan                  (巻く)

    wealcan     (回転する,揺れる,考える,巻く,行く)(ModE ‘walk’)

    (ge-)wealcian           (巻く)

    wælm, wylm            (沸騰,泉,波) 

    wielle, wylle           (泉)(ModE ‘well’)

 

 このうち Beowulf で使用されている語は, ‘weallan’ ‘wælm, wylm’ だけであるが,アングロサクソン人たちはこれらの語に,’*wel-’ (ころがる)に由来する動的な意味,何か「沸き上がり,波立ってうねる」ようなエネルギーを,感じ取っていたのではないだろうか.これら二語の使用が,Beowulf の文体に躍動感のような力強さを添えているように,筆者には思われるのである.

 

 次に ‘weallan’ の語義について,主として Bosworth and Toller 編の An Anglo-Saxon Dictionary (pp.1228-1229) によって,見てみたい.‘weallan’ は,現代ドイツ語の対応語 ‘wallen’ と語義が非常によく似ているので,『独和大辞典』(小学館,1995)に載っている語義と比較して表にしてみると,表1のようになる.

 

                  表1.OE ‘wellan’ とドイツ語 ‘wallen’ との比較

                     

OE ‘weallan’

ドイツ語 ‘wallen’

1

<水などが源から>湧き出る,流れ出る

(雅)<雲・霧・煙などが>もくもくと湧く

(雅)<雲・霧・煙などが>もくもくと湧く

2

<源が>〜で (with) 湧き出る

 

3

(豊富さを表して)         

1)群がる                  

2)<ある場所が>〜で (with) 

       いっぱいである,あふれる

 

4

(激しい運動に関して)             

沸きかえる,荒れ狂う,《波立つ》

(雅)<湖・海・川などが>

[]立つ,荒れ狂う

5

<液体が>沸騰する,沸く

煮え[沸き]立つ,沸騰する

6

<液体以外のものが>

白熱する,熱くなる

 

7

(比喩的に人や感情について

たかぶる,激する           

(雅)<血・感情が>

  激する,たぎる,たかぶる

8

(他動詞)回転させる,ころがす

 

9

 

(雅)(波状に)起伏する,うねる;

<髪・衣服などが>なびく,ゆらぐ;

<旗などが>ひるがえる

 

  Bosworth-Toller には ‘weallan’ に関して,「波立つ」を端的に表す語義が欠けているように思われるので,Sweet の古英語辞典(weallan=‘go in waves’)と Borden の古英語辞典(weallan=‘surge’)によって表1の4の項に補った. Clark Hall の古英語辞典にも ‘be agitated’, ‘bubble’ など,それに近い意味が載っているものの,そのものずばり「波立つ」を表す語義が,どういうわけか欠けている.しかし,‘weallan’ と同語源のドイツ語の単語には,たいていこの「波」の意味が含まれている.たとえばすでに言及した ‘Walm’ (波立ち)がそうであり,‘Wallung’ にも雅語として「波[]立ち」の意味がある.また ‘Welle’ (波,波浪,うねり)‘wellen’(波打たせる)なども「波」の意味を内包しており,「波立つ」という意味は,OE ‘weallan’ においても基本的意味であったと思われる.

 表1から,OE ‘weallan’ とドイツ語 ‘wallen’ とは,「湧く」,「沸騰する」,「荒れ狂う」,「波立つ」,(感情が)たかぶる」などの意味を共有していることが分かる.表1で目立った OE とドイツ語との相異点は,ドイツ語 ‘wallen’ に「<水が>湧き出る」という語義が欠けている点である.これは,ドイツ語に ‘quellen’ (湧き出る)という別の語が存在するためであると思われる.

 

 ‘wylm (wælm)’ の語義を Bosworth-Toller (p.1228) によって見てみると,次のようになる.

 

  ‘wylm (wælm)’ の語義             

    1. 湧き出るもの

        (1 泉; 流れ; 波立つ水,沸き立つ水,流れる水

     (2 波打ってゆれる火,炎

    2. 熱; 火の熱; 燃焼.

    3. 水がたぎること,水の激しい動き

    4. 情熱; 感情のたかぶり,激情

 

 この ‘wylm’ で重要なことは,この語が「水」,「火」,「感情」のいずれについても用いられ,かつその激しさを表す語であるという点である.

 

 さて,「湧き出る」,「<感情が>わき立つ」,「沸きかえる,波立つ」などの意味を持つ ‘weallan’ という動詞は,ちょうど日本語の「湧く」(1.地中から水などが噴き出る 2.ある感情が生じる) や「沸く」(=沸騰する)という言葉によく似ている.これらは漢字で書くと別の文字を使うが,日本語としては元来一つの「わく」という語である.また,「たぎる」という日本語ともよく似ている.「たぎる」は国語辞典では,1.水がわき返るように激しく流れる; 逆巻く 2.湯が沸き返る; 煮え立つ 3.心が激しく高ぶる」(3) と定義されていて,この意味は Beowulf で用いられている ‘weallan’ の用法にもよくあてはまる.

 

  Beowulf の日本語訳で,‘weallan’ の訳語としてどのような日本語が用いられているかを見てみると次のようなものが主なものである.厨川文夫訳,長埜盛訳,羽染竹一訳,大場啓蔵訳,忍足欣四郎訳の5種の翻訳を調べてみた.

 

  ‘weallan’ の訳語

   a) 湧く,湧き立つ,噴き出す,噴出する,わき出す,迸(ほとばし)る,迸り出る,わき上がる,むらむらと起こる,起こる

   b) 煮え立つ,煮えたぎる,たぎる,たぎり立つ,たぎり返る,渦巻く,激動する

   c) 波打つ,波立つ,(波が)うねる,蕩揺(とうよう)する,押し寄せる

 

 また,現代英語訳を見てみると,次の様な訳語が用いられている.比較的直訳に近い散文訳を採用している5種の現代英語訳――Swanton 訳,Chickering 訳,Donaldson 訳,Garmonsway-Simpson 訳,Bradley ――を調べてみた.

 

   a)  well, well up, well out, flow out, overflow, pour, gush out

   b)  boil, seethe, foam, swirl, churn, be turbulent, move

   c)  surge, billow, roll, heave, lift

 

 ここで興味深いのは, ‘weallan’ の訳語として ‘well’(湧き出る)という動詞が用いられてはいるものの,ほんの一部に過ぎないという点である.現代英語の ‘well’ という動詞が OE ‘weallan’ の持っていたような多義性を,すでに失ってしまっているからである.

 次に, ‘wylm’ の訳語として,上記の日本語訳と現代英語訳では,次のものが用いられている.( )を用いてあるのは複合語などの場合で,中には名詞以外の品詞に訳されているものもある.

 

  ‘wylm’ の訳語

   a)  波,大波,波立つ水,波立つ所,怒濤,澎湃(ほうはい)たる湖,荒波

   b)  渦巻く水,奔流の渦巻く中,渦巻き,流れの迸り,迸り,沸(たぎ)り,逆巻き,激動

   c)  蕩揺する(水),押し寄せる(水),滔々と寄せる(洪水),ひたたたと寄せる(死),高鳴る(心の臓)

 

   a)  surge, welling, waves, billows, surging flood, surging waters, welling of a current, swell, pourings, rising of the water

   b)  turbulence, seething lake, bubbling surge

   c)  surging (water), rushing (waters), tide (of death), (death’s) flood, flux (of death), (death’s) surging tide, breathing (heart), breathing (of his heart), (heart’s) pulsings, (heart-)streams.

 

 上記の現代英語の訳語の中では,‘weallan’ ‘wylm’ ともに,訳語として ‘surge’ (動詞・名詞)が比較的頻繁に用いられている.それは, ‘surge’ ‘weallan’ ‘wylm’ と同じような多義性を持っているからであると思われる.ラテン語 ‘surgere’ (=rise) からの借用語である英語 ‘surge’ は,動詞としては「<泉が>湧き出る」,「波打つ,うねる」,「波のように押し寄せる,<感情が>わき立つ」を意味し,名詞としては「泉」,「大波,うねり」,「<感情の>たかぶり」を意味する.ただ「<泉が>湧き出る」の意味での OED による用例は 1661 年のものが最後であり,「泉」の意味では 1558 年が最後であって,今日ではともに廃義となっている.

 

3.‘weallan’ を含む文の構文

 

  Beowulf では, ‘weallan’ の全 17 回の使用中,15 例は過去形(weol, weoll)で,4例が現在分詞(weallende, weallendu),1例が現在形(weallað)であって,大部分は過去形が用いられている.

 ここで少し ‘weallan’ を用いたセンテンスの構文について見ておきたい.たとえば下の (1) で取り上げる箇所を例に取ると,

 

    ‘geofon yþum weol, wintrys wylm[um]’

    (the sea surged with waves, with winter’s swell) (515-516)

 

となっていて,「海」(geofon)が「波で」(yþum),「冬の怒涛で」(wintrys wylmum),「逆巻く」(weol)という構造になっている.すなわち,主語として「たぎる」場所である海が置かれ,それにさらに具格的与格(Instrumental Dative) ‘yþum’ ‘wylmum’ とが添えられている. Beowulf における ‘weallan’ の用法は,「たぎり,湧く」現象が生起する海や胸などの「場所」が主語となる場合と,「わき立つもの自体」,すなわち感情や血や火などが主語となる場合とがある.前者の「場所」が主語となるときは,1例を除きすべてが「AがBでもってわき立つ」という表現となり,Aに海や胸が主語として,Bに波や血や悲しみなどが具格的与格として入る.具格的与格となるべき「わき立つもの自体」が主語となる後者の構文の場合,当然,具格的与格は必要がなくなる筈である.しかし実際には,この後者の構文においても,様態などを表す具格的与格が用いられて,「血が波となってわき出る」,「毒が怒りでわき立つ」というような表現が見られる.したがって Beowulf 中の ‘weallan’ を用いた文は,大部分が具格的与格を伴っていると言えるのである.

動詞 ‘weallan’ を用いた文における,主語と具格的与格の関係を表にすると,表2のようになる.

 

表2. ‘weallan’ を含む文の構文

 

中心となる意味

主語(行数)

具格的与格

(〜でもって)

所格的与格または場所を表す副詞(句)

1

[]がわき立つ

‘geofon’ (515)

‘yþum’

 

‘holm’ (1131)

‘storme’

‘brim’ (847)

‘on blode’

‘flod’ (1422)

‘blode, heolfre’

‘holm’ (2138)

‘heolfre’

2

波がわき立つ

波の渦

‘yþa geswing’ (848)

‘heorodreore’

 

3

血がわき出る

‘swat’ (2693)

‘yþum’

 

4

毒がわき立つ

‘attor’ (2715)

怒り ‘bealoniðe’

胸の内で ‘him on breostum...on innan’

5

火がわき出る

‘fyr’ (2881)

 

頭から

‘of gewitte’

6

胸がわき立つ

‘hreðer’ (2113)

 

内で ‘inne’

‘hreðer’ (2593)

呼吸 ‘æðme’

 

‘breost’ (2331)

(暗い)思い

‘geþoncum’

内から

‘innan’

‘sefa’ (2600)

悲しみ ‘wið  sorgum’

彼らの一人において ‘hiora in  anum’

7

感情がわき起こる

憎しみ

‘wælniðas’(2066)

 

人において ‘Ingelde’

 

 表2からは,名詞付加語的用法と考えられる現在分詞は省いた.この表で,1,6は現象が生起する「場所」が主語となった場合で,それ以外の2,3,4,5,7 ,「わき立つ[出る]もの自体」が主語となった場合である.具格的与格を伴わない場合は,たいてい ‘weallan’ という現象の生起する場所を示す言葉が,副詞(句)あるいは所格的与格(Locative Dative) で明示されている.ときにはこれらが具格的与格と併用されることもある.また1,2,3,4,5 ,「海」,「波」,「血」,「毒」,「火」など具象名詞が ‘weallan’ の主語となっている literal な用法で,6,7 は「胸・心」や「感情」が主語となった figurative な用法である.ただ,アングロサクソン人の意識では,恐らく「海」も「火」も「胸」も「悲しみ」も,全く同じように ‘weallan’ するものと感じられていたのであろう.異質なものについて一様に用いられるのが, ‘weallan’ という動詞のユニークな点で,同じことは名詞形 ‘wylm’ についても言えるのである.

 

4.’weallan’ の用例

 

 次に Beowulf における ‘weallan’ の具体的使用例を見ていきたい.

 

  (1)     Þær git eagorstream   earmum þehton,

          mæton merestræta,    mundum brugdon,

          glidon ofer garsecg;    geofon yþum weol,

           wintrys wylm[um].                      (513-516a)

 

(There you both embraced the tides with your arms, measured the seaways, struck out with your hands, glided across the ocean; the sea surged with waves, with winter’s swell.)

 

 上記 (1) および下記の (2), (3) の引用は,デンマークの国王フローズガール王の宮殿に到着したベーオウルフと,フローズガール王の廷臣ウンヴェルスとのやりとりの場面である.自分よりもすぐれた力を持つベーオウルフを妬んだウンヴェルスは,かつて冬の海でのブレカとの競泳でベーオウルフが敗れたと,愚弄する.これに対してベーオウルフは反論し,真相を語る.(1)はウンヴェルスのせりふで,まるで冬の海の競泳の場に自分も居合わせていたかのように,「海は波でたぎり,冬の怒濤で逆巻いた」と語るところである.まず,「波でもって」(yþum) という複数の具格的与格を置き,さらに次行で, ‘weallan’ の名詞形を用いた「冬の怒濤で」(wintrys wylmum) という具格的与格を,ヴァリエーション(variation)の技法によって畳み重ねている.weol,/ wintrys wylmum’ のように二行にわたる ‘w’ の頭韻 (alliteration) が,‘weallan’, ‘wylm’ という語に内在するエネルギーを強調し,反復しつつ押し寄せ,しかもだんだん強さを増していく波のリズムを暗示していて,効果的である.

 

  (2)    Đa wit ætsomne   on sæ wæron        

            fif nihta fyrst,   oþ þæt unc flod todraf,

            wado weallende,   wedera cealdost,     

             nipende niht,   ond norþandwind  

          heaðogrim ondhwearf;             (544-548a)

 

(So we remained at sea together for the duration of five nights until the swell, the surging waters, the most freezing weather and darkening night drove us apart and a north wind fierce as the fray of battle turned upon us.) Bradley 訳)

 

 ウンヴェルスの非難に対してベーオウルフは,少年の時ブレカと大海に泳ぎ出て,いのちを賭けて冒険することを誓い合い,それを実際に実行したのだと弁明する.二人は鯨より身を守るため,抜き身の剣を手に持って泳いだが,五晩の間互いを引き離すことはなかった.やがて波が高まり,冷たい嵐模様となって,二人は離れ離れとなり,逆巻く波に気の立った海獣が自分を海底に引きずり込んだが,幸運にも剣で倒すことができたのだと語る.

 引用箇所の ‘weallende’ ‘wado’ にかかる付加語と考えられ,‘wado weallende’ (わき立つ海)は,主語の ‘flod’ (潮)を言い替えたヴァリエーションである. ‘wedera cealdost’ ‘nipende night’ も,同じく ‘flod’ のヴァリエーションと解すことができ,「潮が,わき立つ海が,いとも冷たい天候が,深まりゆく夜が,二人を引き離した」と,4個のヴァリエーションによって,二人を引き離すこととなった情況を,様々な角度から説明している.

 この引用箇所では母韻 (assonance) も効果的に用いられている.古英詩の頭韻 (alliteration) について言及されることはあっても,母韻について言及されることはあまりないようなので,ここで少し母韻について見てみたい.引用文1行目では,ætsomme’, ‘sǽ, ‘wǽron’ において,母音の長短の違いはあるものの,æ ‘ǽ の母韻が,頭韻に加えて,この詩行の音の上での統一を強めている.さらに,‘Ðā, ‘sǽ wǽron’ における ‘a’, ‘ǽ’, ‘ǽ’ という3個の落ち着いた響きの長母音が,海に泳ぎ出した当初は海も穏やかであったことを暗示している.次の行では,‘fīf nihta fyrst’ ī’, ‘i’, ‘y’ という前舌母音が,第1半行の音を統一している.第2半行oþ þæt unc flod todraf’ では,‘o’, ‘u’,  ōなどのこれまでとは異なる母音の使用が,天候が一変したことを暗示し,しかも, ‘flod todraf’ における行末に強勢が置かれる rising intonation が,荒海の荒々しさの感じを一層強めている.3行目では,wado wealdende, wedera’ において3個の ‘w’ の頭韻を用い,さらに「波」を表す ‘wado’ ‘wealdende’ を続けることによって,[波のうねり」,「海のたぎり」が強調されている.それに,「天候」を意味すると同時に「嵐」をも意味する ‘wedera’ が加えられることにより,「波」,「逆巻く」,「嵐」の3語が一体となって,「逆巻く嵐の海」が描写される.3行目では,第1半行の ‘weallende’ と第2半行の ‘cealdost’ ‘ea’ の母韻を踏んでいる.4行目では, ‘nīpende’, ‘niht’, ‘norþanwind’ におけるī ‘i’ が母韻を踏み,この詩行に音の統一を与えている.また5行目の ‘heaðogrim ondhwearf’ でも,やはり ‘ea’ 音が母韻を踏んでいる.このように Beowulf では,頭韻と平行して母韻も,詩行に統一を与えるための重要な要素となって,言葉の音楽とでも言うべきものを作り出しているのである.

 

  (3)                     Đa mec sæ oþ bær,

          flod æfter faroðe   on Finna land,  

          wadu weallendu.                    (579b-581a)

 

(Then the sea, the flood with its currents, the surging waters, carried me away to the land of the Lapps.)

 

 ベーオウルフは,海の上でブレカと離れ離れになった後,9頭の海獣を退治し,やがて潮に流されて,嵐もおさまり陽が昇るころ,フィン族の国にたどり着く.引用文では ‘wadu weallendu’ というフレーズが ‘flod’ のヴァリエーションとして用いられているが,これは(2)の ‘wado weallende’ と同様,中性複数主格形である.‘sæ’ (海)のヴァリエーションとして,‘flod’ (潮)と ‘wadu weallendu’ (たぎり立つ怒濤)が畳み重ねられ,さらに ‘æfter faroðe’ (流れに乗って)が加えられて,波のうねり,次々と重なる波のリズムが醸し出され,効果的である.ヴァリエーションや反復を多用する Beowulf の文体には,本質的に波のリズムが内在していると言えるが,(4)「海は,潮は,たぎり立つ怒濤は,それがしを流れにのせて」(長埜訳)というように,波状的に畳み掛けて,最後に波のうねりを端的に表す ‘weallendu’ という語で締めくくるという漸層法 (climax) になっている.‘wadu weallendu’ というフレーズは,‘w’ の頭韻や,1音節あいだを置いて繰り返される強勢,さらには ‘-du’ 音の反復などによって,音の点でも波のリズムを暗示している.

 

  (4)           holm storme weol,   

              won wið winde,   winter yþe beleac    

isgebinde,         oþ ðæt oþer com

gear in geardas,                  (1131b-1134a)

 

(The sea surged with storms, fought against the wind; winter locked the waves in fetters of ice until another year came to the courts of men,)

 

 引用箇所は第 17 節であるが,第 16 節から第 17 節にかけては,怪物グレンデル (Grendel) を退治したベーオウルフとその一行に,フローズガール王が褒賞を与えたあとの宴席で,王おかかえの伶人が吟誦するデネとフリジア人との宿怨の争いが語られる.デネの統領フネフ (Hnæf) は妹の嫁ぎ先のフリジア人の王フィン (Finn) のもとに滞在していたが,両民族の間に争いが起こり,フネフは殺される.部下を戦いで失い,戦力を失ったフィン王は,やむをえずデネ側と和平を結び,フネフの家臣ヘンジェスト (Hengest) はフィン王の許に滞在することになる.ヘンジェストは故郷を想うものの,冬の海を越えて帰ることもままならないことを述べた場面である.主君を失った恨みを忘れかねているヘンジェストは,やがて復讐を企て,フィン王を殺すことになる.

 引用文では,「海は嵐でわき立った」というふうに,具格的与格 ‘storme’ が用いられている.1行目では ‘holm’, ‘storme’ というように ‘o’ の母韻が見られる.またweol’ ‘w’ は,2行目のwon wið winde, witer’ と頭韻を踏み,強勢のない ‘wi’ を含めれば,‘w’ で始まる語が連続して5個続いていて,‘weol’ に表される自然力(elements) の猛威が一層強く印象づけられる.2行目で母韻として反復されている ‘wið, ‘winde’, ‘winter’ ‘i’ 音は,3行目第1半行のīsgebinde’ ī ‘i’ に引き継がれる.3行目第2半行では, ‘ōþer cōm’ ōの母韻が見られ,4行目のgēargeardas’ では,長短の違いを無視すれば,頭韻,母韻,さらには ‘r’ 音の反復が見られる.

 

  (5   Đær wæs on blode    brim weallende,

atol yða geswing    eal gemenged

haton heolfre,    heorodreore weol;         (847-849)

 

(There the water was welling with blood, the dreadful swirl of waves all mingled with hot gore, welled with sword-blood.)               

 

 腕をもぎ取られて逃げ帰ったグレンデルのすみかである湖を,人々が見に行った場面である.湖の水はグレンデルの血で赤く染まり,わき立っている.テキストによって少し句読点が異なっていて,Dobbie 版では2行目の ‘gemenged’ の後のコンマがなく,逆に Wrenn 版では,geswing の後にも,gemenged の後にも,共にコンマが置かれている.日本語への訳し方も色々可能であり,長埜訳のように,1行目を独立した文として訳し,2行目,3行目を ‘atol yða geswing’ を主語とする別の独立文とすることもできる.

 

そこには水が血でたぎり立っていた.

恐ろしい波のうねりが,皆乱れ合い,

熱い生血で,闘いの血潮で湧いていた.(長埜訳)

 

 長埜訳では, ‘haton heolfre’ ‘heorodreore’ と並置されたヴァリエーションと見て,共に ‘weol’ にかかる修飾語と解釈している.しかし,特に ‘gemenged’ の後にコンマを置かない場合は,‘haton heolfre’ ‘eal gemenged’ を修飾する具格的与格と取って,「波は熱き鮮血と混じり」(忍足訳)のように解することもできる.あるいはまた別の解釈によって,1行目の ‘brim’ という主語が,2行目の ‘atol yða geswing’ というヴァリエーションによって言い替えられている,と見ることも可能である.

 

    そこには血潮もて湧き立つ水,怖ろしき浪の逆巻きありて,

    そはことごとく熱き血潮と混じ,戦の血もて湧き立てりき.(厨川訳)

 

 厨川訳では,‘weallende’ ‘wæs weallende’ という進行形に類した迂言法と解するのではなく,直接 ‘brim’ を修飾する付加語と解している点が,興味深い.そして,‘brim’ ‘atol yða geswing’ の両者が共に, ‘wæs’ ‘weol’ という2個の動詞の主語と解されている.(5)

  一見 ‘atol yða geswing’ から別の文が始まると見えながら,これが同時に前行の主語のヴァリエーションとも解せる所が,Beowulf の柔軟な文体の特徴の一つと言え,現代英語の論理的な句読法で割り切ることの困難さが,ここにも見られるのである.

 引用文では ‘weallende’ ‘weol’ というように,‘weallan’ が2回,現在分詞と過去形で使用されているが,それぞれ「血でもって」を意味する ‘on blode’ ‘heorodreore’ という具格的与格(一方は前置詞付きであるが)を伴っている.

 1行目と2−3行目とは,同様のことを言い替えたヴァリエーションであって,共に ‘weallende’ ‘weol’ というふうに,‘weallan’ の変化形で終わるという平行した構造を持ち,後者(2−3行目)の長さが前者(1行目)の長さの2倍になるという漸層法になっている.1行目第2半行の ‘weallende’ の母音 ‘ea’ が,2行目第2半行のeal’ で繰り返され,3行目では

 

    haton heolfre,   heorodrēore wēol

 

のように,3個の ‘h’ の頭韻に加えて,2個の ‘eo’ の母韻と,2個のēo’ の母韻によって,詩行が音の点で統一されている.さらに,‘heolfre’ ‘wēol’ における ‘eol’ ēol’,また ‘heorodrēore’ における ‘eor’ ēor’ というように,同音あるいは類似音の反復によって,言葉の音楽とも言うべきものを作り出している.またこの同音の反復は,反復してうねる波のリズムをも作り出しているのである.Bessinger-Smith の古英詩コンコーダンスによると,‘heorodrēorig’ という形容詞の用例は他に若干あるものの,‘heorodrēor’ という名詞の用例はこの箇所のみである.この行にも,Beowulf 詩人がいかに音に留意しつつ言葉を選んでいるかを,窺い知ることができるのである.

 

  (6   Flod blode weol   ――folc to sægon――,

hatan heolfre.                     (1422-1423a)

 

(The flood welled with blood, with hot gore――the people gazed at it.)

 

 ベーオウルフがグレンデルの母親を討ち果たさんものと,フローズガール王の一行とともに女怪の棲む湖にたどり着くと,湖岸の断岸にフローズガール王の家臣アシュヘレ (Æschere) の首を見いだす.そして湖面はアシュヘレの血でたぎっている,という場面である.ここでも「湖水が血で,熱い血潮でたぎった」というように,血を表す ‘blode’ ‘hatan heolfre’ の2個の具格的与格が,ヴァリエーションによって繰り返されている.

 

  (7   holm heolfre weoll,   ond ic heafde becearf   

              in ðam [guð]sele   Grendeles modor         

              eacnum ecgum;                        (2138-2140a)

 

(the water welled with blood, and in that war-hall I cut off the head of Grendel’s mother with a great blade.)

 

 これは(6)と全く同じ情況を,ベーオウルフが帰国してからヒュイェラーク (Hygelac) 王に報告するときの言葉である.ここでも「血で」(heolfre) 水が沸き立ったというふうに,具格的与格が用いられている.1行目第1半行では ‘holm heolfre wēoll’ というように,「母音+l」という位置での ‘l’ 音が3回反復され,強勢のある音節のあとに置かれた ‘f’ 音が, ‘heolfre’, ‘heafde’, ‘becearfというように,3回反復されている.また,第1半行の ‘heolfre wēoll’ における ‘eo’ ēo’ という類似音の反復は,第2半行で ‘hēafde becearf’ におけるēa’ ‘ea’ という類似音の反復によって,chiasmus(交差法)的に繰り返され,左右のバランスが取られている.         

 

  (8  Þa wæs þeodsceaða     þriddan siðe,

frecne fyrdraca,     fæhða gemyndig,

ræsde on ðone rofan,    þa him rum ageald,

hat ond heaðogrim,    heals ealne ymbefeng

biteran banum;     he geblodegod wearð

sawuldriore,    swat yðum weoll.          (2688-2693)

 

(Then a third time, when it had opportunity, the scourge of the nation, the dangerous fire-dragon, was mindful of feuds, rushed upon the brave man, hot and battle-grim, clenched his entire neck between sharp tusks; he became ensanguined with life-blood; gore welled up in waves.)

 

 ベーオウルフと竜との死闘の場面である.火竜は三度(みたび)闘いを挑まんとしてベーオウルフに襲いかかり,鋭い牙で彼の首を締めつける.そのためベーオウルフは血まみれになり,血が波をなして湧き出る.6行目の ‘swat yðum weoll’ の文では,「血」(swat) が主語であり,「波をなして」(yðum) という様態を表す具格的与格が用いられている.たとえば,1)や(7)で引用した文と比較してみると面白い.

 

    (a)   geofon yðum weol. (515) 

         (海は波でたぎった)    

    (b)   holm heolfre weoll. (2138)

         (海は血でたぎった)    

    (c)   swat yðum weol. (2693)  

          (血は波でたぎった(???)→血は波をなして噴き出した)

 

 上記三例は,一見すると同じ構造をした文のように見える.しかし意味を考えて見ると,a) (b) では,主語の「海」(geofon, holm) は波がたぎる場所を表し,実際にたぎるのは「波」や「血」の方であるのに対して,(c) では「血」(swat) は,たぎる場所を表しているのではない点が異なっている.(b) では具格的与格に置かれていた「血」が,(c) では主語に置かれている.

 

  (9)                     Đa sio wund ongon,

þe him se eorðdraca    ær geworhte,

swelan ond swellan;    he þæt sona onfand,

þæt him on breostum    bealonið(e) weoll

attor on innan.                           (2711b-2715a)            

 

(Then the wound which the earth-dragon had inflicted on him earlier began to burn and swell; straight away he found that the poison within welled up with deadly evil in his breast.)

 

 火竜との闘いで危機に陥ったベーオウルフに,ウィーイラーフ (Wiglaf) は加勢し,竜のからだの下の部分を剣で撃つと,竜の火炎は衰え始め,ベーオウルフも我にかえって,竜を真っ二つに切り裂き,二人で竜を倒す.しかし,先に竜によって受けたベーオウルフの傷は,炎症を起こし,体内で毒がたぎり始めている,という場面である.‘bealonið’ は,Beowulf に3回,Guthlac に1回用いられている複合語で,Bosworth-Toller では ‘baleful malice, evil, wickedness’ と定義されている.また Hoops (p.287) , ‘beoloniðe’ ‘mit tödlicher Heftigkeit’ (命取りとなる激しさで)と注を付けている.Klaeber のテキストで ‘bealonið(e)’ となっているように,この語を与格ではなく,主格と取る読み方もあり,Bosworth-Toller もこれを主語と取って,‘baleful malice boiled in his breast’ と,この箇所を訳している.しかし,この語を与格と取った場合は, ‘attor’ が主語となり,「毒が彼の胸の中で致命的な激しさでもってわき立った」となって,例の具格的与格を伴った構文となる.3行目の ‘swelan’ (燃える)‘swellan’(腫れる),それに4行目の ‘wēoll’ (湧き立つ)というふうに,音の類似した類義語が効果的に重ねられている.

 

  (10   symle wæs þy sæmra,    þonne ic sweorde drep

ferhðgeniðlan,     fyr unswiðor

weoll of gewitte.                            (2880-2882a)

 

(When I struck the deadly foe with the sword it was ever the weaker, the fire surged less strongly from its head.)

 

 ウィーイラーフが,自分が竜を剣で撃ったとき,竜は弱まり,吐き出す炎の勢いも弱まった,と報告する場面である.「火」(fyr) ‘weoll’ の主語となっている例であるが,現代英語訳では ‘weoll’ ‘surged’, ‘billowed’, ‘poured’(2例), ‘welled’ などと訳されている.

 

 次に ‘weallan’ の主語として,「胸」あるいは「感情」が置かれた5例を見てみたい.この用法はどういうわけか,すべて作品の後半に集中していて,ベーオウルフがイェーアト (Geatas) に帰国して,フローズガール王の許での冒険をヒュイェラーク王に報告する話以後のものばかりである.

 

  (11)   hwilum eft ongan,    eldo gebunden,

gomel guðwiga    gioguðe cwiðan,

hildestrengo;    hreðer inne weoll,

þonne he wintrum frod    worn gemunde.    (2111-2114)

 

(sometimes, again the old war-fighter, bowed with age, would lament his youth, his strength in battle; the heart welled within when, wise with winters, he remembered so much.)

 

 フローズガール王が過ぎ去った若いころを思い出して嘆いたと,ベーオウルフがヒュイェラーク王への報告の中で語る場面である.‘weoll’ の主語は ‘hreðer’ であるが,この語には「胸」(breast) という意味と「思い」(thought)(6) という意味の両方があるので,‘hreðer inne weoll’ という文は,「胸がたぎった」とも,「思いが湧き上がった」とも取れる.5種の現代英語訳では次のようになっている.

 

   (a)  The heart welled within. (Swanton)     

    (b)  His heart welled within. (Donaldson)  

    (c)  His heart was overflowing within him. (Garmonsway-Simpson)

    (d)  His heart moved within him. (Chickering)     

    (e)  His heart was turbulent within him. (Bradley)      

 

 これで見ると,(a), (b), (c) の訳者が ‘weallan’ を「湧き出る」の意味に取っているのに対して,(d), (e) の訳者は「騒ぐ」,「沸き立つ」の意味に取っていることが分かる.また,‘weallan’ の訳語として様々な動詞が用いられているが,これは現代英語には,古英語 ‘weallan’ に相当する動詞がないためであろう.‘hreðer’ の訳語として ‘heart’ が一様に用いられているが,これは, ‘heart’ に「胸」と「感情」の両方の意味があるからである.なお,5種の日本語訳では,引用は省略するが,「湧[]き立つ」と「たぎる」という2種類の動詞が用いられている.また,原文では「〜でもって」を表す具格的与格が用いられていないが,これは, ‘hreðer’ という語が持つ「胸の思い」の意味の方が,より強く意識されているためかもしれない.もっとも,‘hreðer inne [innan] weoll’ という言い回しはよく用いられたものらしく,Bosworth-Toller (p.560) はいくつかの用例を挙げている.

 

  (12)                      Næs ða long to ðon

þæt ða aglæcean     hy eft gemetton.

Hyrte hyne hordweard    hreðer æðme weoll,

niwan stefne;    nearo ðrowode,

fyre befongen,    se ðe ær folce weold.       (2591b-2595)

 

(The guardian of the hoard took heart once again――its breast surged with breath; encircled by fire, he who formerly ruled a nation suffered severe straits.)

 

 ベーオウルフと竜との闘いで,両者が互いに撃ち合い,竜の胸が荒い息遣いのため波打つという場面である.3行目の ‘hreðer’ は,(11)の引用文とは異なり,物理的にある場所を占める物としての胸を指し,‘hreðer æðme weoll’ は「胸が呼吸で波打った」という意味である.ここでは ‘æðme’ (呼吸で)という具格的与格を伴っている.現代英語訳では,‘weoll’ の訳語として ‘surge’, ‘swell’(2例), ‘heave’(2例)が用いられているが,Hoops (p.276) はこの箇所に,‘seine Brust wogte vom Atem, von Schnaufen’ (彼の胸は呼吸によって,激しい息遣いによって,大きく波打った)と注を付けて, ‘weoll’ の「波打った」という意味をはっきりと示している.したがって,ただ単に「膨れた」(swell),「盛り上がった」(heave) というだけでは,‘weol’ という動詞の持つ動的な意味を,充分表し切っていないのではないかと思われる.

 

  (13)           Hiora in anum weoll     

            sefa wið sorgum;   sibb’ æfre ne mæg      

            wiht onwendan    þam ðe wel þenceð.    (2599b-2601)

 

(In one of them a spirit welled with sorrows; nothing can ever set aside friendship in him who means well.)

 

 これは(2)の引用と同じ,ベーオウルフと火竜の死闘の場面で,家来たちは恐れをなして皆森へ逃げて行くのであるが,ただ一人忠実な家臣ウィーイラーフだけは,ベーオウルフの助太刀に入ろうと決意するところである.ウィーイラーフの「心は (sefa) 悲しみにわき立つ」と述べられている.ここでは前置詞付き与格 ‘wið sorgum’ (悲しみでもって)が用いられている.

 

  (14)   wende se wisa,    þæt he Wealdende       

             ofer ealde riht    ecean Dryhtne     

             bitre gebulge;   breost innan weoll     

             þeostrum geþoncum,   swa him geþywe ne wæs.   (2329-2332)

 

(The wise man supposed that he had bitterly offended the Ruler, eternal Lord, by breaking some ancient law; his breast within surged with dark thoughts, which was unusual for him.)

 

 3百年間守って来た財宝を荒らされたことを知った竜は,復讐のため夜な夜な炎を吐いて民家を焼き払い始め,ベーオウルフ王の館も焼かれてしまう.引用箇所は,ベーオウルフが,自分は何か悪いことをして神の怒りを招いたのではないかと,疑う場面である.「彼の胸は暗い思いで (þeostrum geþoncum) わき立った」というふうに,主語は ‘breost’ (胸)で,それに具格的与格が添えられている. Hoops が注を付けているように,「暗い思い」とはベーオウルフ自身の死の予感を指すのであろう.(7)

 

  (15)  Þonne bioð (ab)rocene   on ba healfe   

              aðsweord eorla;   (syð)ðan Ingelde        

              weallað wælniðas,   ond him wiflufan     

              æfter cearwælmum   colran weorðað.   (2064-2066)

 

(So then the sworn oaths of warriors will be broken on both sides; after that deadly hatred will well up in Ingeld, and because of surging anxiety, his love for his wife will grow cooler.)

 

 帰国したベーオウルフがヒュイェラーク王に予言の形で語るヘアゾベアルド (Heaðobeardan) 族の挿話の一部である.外国から妻をもらっていたインゲルドの心には,両国の宿怨が再燃するに及び,相手国に対する憎しみがわき起こり,それとともに妻に対する愛も冷えていくであろう,と語られる箇所である.‘Ingelde weallað wælniðas’ (インゲルドには恐ろしい憎しみが湧き起こるであろう)の文では,主語は ‘wælniðas’ で,それに所格的与格 ‘Ingelde’ (インゲルドにおいて)が添えられている.動詞 ‘weallað’ は未来のことを述べているため,いつもの過去形ではなく,現在形が用いられているが,‘weallan’ の現在形は Beowulf ではここしか見られない.

 4行目の ‘cearwælmum’ (湧き起こる悲しみの波)は,‘wælm’ (=wylm) の複合語であるが,すでに見たように,この ‘wælm’ ‘weallan’ の名詞形である.また,これに音のよく似た古英語の ‘wæl’ という名詞は,1. 死者,殺害された者 2. 死体 3.(戦争による)死,殺戮」(8) を意味するが,この ‘wæl’ の音は,‘wælm’ (波,沸騰)という語の中に含まれている.Beowulf では主として ‘wylm’ の形が用いられていて,全 19 回の使用のうち,‘wylm’ 16 例,‘wælm’ が3例である.引用文では,‘cearwylmum’ という形ではなく,‘cearwælmum’ という形が用いられているが,これは,3行目の ‘wælniðas’ という複合語の規定詞 ‘wæl-’ と形をそろえるためであったと思われる.あとで他の ‘wylm’ の用例で見ることになるように,Beowulf 詩人は,’wylm’, ‘wælm’ という語の中に ‘wæl’ という名詞の持つ「殺戮」の破壊力の意味を,時として込めているように思われるのである.

 引用文の3行目では,「殺意のある憎しみが波のようにわき起こり」(weallað wælniðas)(9) と述べられ,そして4行目では「悲しみの波の湧き起こる故に[挙げ句に](æfter cearwælmum) と,まるで波がうねるように ‘weal-’, ‘wæl-’, ‘-wæl-’ という類似音が3回畳み重ねられている.また,これらの語は音だけではなく,意味も類似している.そして ‘w’ 音が,3行目では頭韻として,4行目では二次的頭韻として,5回繰り返されていることも,インゲルドの胸の内の波のようにたぎる感情を,一層印象的なものにしている.なお,Hoops (p.230) ‘æfter cearwælmum’ ‘nach den Sorgenwallungen’ (悲しみの波のわき立つ挙げ句に)というふうに,‘weallan’ ‘wylm’ と同語源の ‘Wallung’ (沸騰+波立ち)という語を用いて説明している.

 

16                      Swa Wedra helm

æfter Herebealde    heortan sorge

weallinde wæg.     wihte ne meahte

on ðam feorhbonan     fæghðe gebetan;    (2462b-2465)

 

 (so the Weders’ helm felt sorrow welling in the heart for Herebeald; he could in no way settle the feud with the life-slayer;)

 

 ベーオウルフが竜との闘いを前にして,11 人の従者に語る話の一部である.イェーアトのフレーゼル (Hreðel) 王の次男ハスキュン (Hæðcyn) は,兄のヘレベアルド (Herebeald) をあやまって弓で射殺してしまうが,長男を失った王は,その殺害者が自分の息子であってみれば,復讐することもできず,悲嘆に暮れるという場面である.‘weallinde’ ‘heortan sorge’ (心の悲しみ)にかかる付加語的用法の現在分詞と考えられ,‘heortan sorge weallinde wæg’ は「たぎる[わき立つ]心の悲しみをいだいていた」と解せられる.(10) 1行目から2行目にかけての ‘Wedra helm æfter Herebeald’ における ‘e’ 音の反復,また2行目から3行目にかけての ‘Herebealde’, ‘sorge’, ‘weallinde’, ‘wihte’, ‘ne’, ‘meahteにおける語末に置かれた弱い ‘e’ 音の反復,それに ‘Herebealde’, ‘weallinde’, ‘meahte’ における ‘ea’ 音の反復など,母韻 (assonance) がよく効いていて,何ともやりきれないフレーゼル王の悲痛な思いが伝わってくる気がする.

 

 

5.’weallan’ の複合語の用例

 

 次に ‘weallan’ の複合語の用例を2例見てみたい.

 

  (17                       Bill ær gescod

――ecg wæs iren――    ealdhlafordes

þam ðara maðma    mundbora wæs

longe hwile,    ligegesan wæg

hatne for horde,    hioroweallende

middelnihtum,    þæt he morðre swealt.   (2777b-2782)

 

(The aged lord’s sword――its edge was iron――had earlier injured that which for a long time had been guardian of the treasures, carried hot flaming terror for the sake of the hoard, fiercely welling up in the middle of the night, until it died a violent death.)

 

 すでに剣で倒された竜も,以前は真夜中に激しく火を噴いていた,と述べられる箇所である.複合語 ‘hioroweallende’ の規定詞 ‘hioro-’ が,基礎語 ‘weallende’ の意味を強めている.Hoops (p.293) の注や Heyne-Sch cking のグロサリーは,‘hioroweallende’ ‘furchtbar wallend’ と説明している.すなわち,竜は「真夜中に恐ろしく波打ってたぎる火の恐怖をもたらしていた」のである.なお,‘hioroweallende’ という複合語はこの箇所だけに見られるもので,Beowulf 詩人の造語と思われる.

 

  (18                   Weorod eall aras;

eodon unbliðe    under Earnanæs,

wollenteare    wundur sceawian.     (3030b-3032)

 

(The whole company rose up; unhappy, they went below Eagles’ Crag to gaze on the wondrous sight with welling tears.)

 

 ベーオウルフ王の家来たちが,竜との死闘で倒れた主人の亡骸を見に行く場面である.’wollenteare’ ‘weallan’ の過去分詞 ‘wollen’(普通の過去分詞形は geweallen) ‘tear’(涙)との複合語で,「熱い涙をうかべて」(Bosworth-Toller),あるいは「涙をあふれさせて」(Hoops, その他)の意味である.Bosworth-Toller (p.1264) ‘with hot tears’ としているのは,‘weallan’ に「沸騰する」,「熱くなる」の意味があるからであり,一方他の辞書や注釈書の解釈は ‘weallan’ の「湧き出す」の意味に重点を置いているのである.この複合語の用例は,やはりここが唯一のものである.

 

6.‘wylm’ の用例

 

 次に ‘weallan’ の名詞形 ‘wylm’, ‘wælm’ について見てみたい.全部で7例あるが,そのうち3例が「海・湖・川」(51621352546) について用いられており,2例が「洪水」(1693, 1764) に関してで,「死」(2269) と「心臓」(2507) に関するものがそれぞれ1例ずつある.516 行目のはすでに(1)で引用したので,ここでは割愛する.

 

  (19  Ic ða ðæs wælmes,    þe is wide cuð,

grimne gryrelicne    grundhyrde fond.   (2135-2136)

 

(Then, as is widely known, I found in the surge a terrible grim guardian of the deep.)

 

 ベーオウルフがヒュイェラーク王に,グレンデルの母親の棲む湖のことを報告する場面である.‘wælmes’(波立つ水)は単数属格形で, ‘grundhyrde’(水底の守り主)にかかる.ここでは ‘wylm’ 形ではなく, ‘wælm’ 形が用いられている.

 

  (20)          wæs þære burnan wælm

heaðofyrum hat;   ne meahte horde neah

unbyrnende   ænige hwile

deop gedygan    for dracan lege        (2546b-2549)

 

(the surge of that brook was hot with deadly fire; because of the dragon’s flame he could not survive for any length of time in the hollow near the hoard without being burned.)

 

 竜の棲む塚の中から流れが奔流しているのを,ベーオウルフが見る場面である.1行目のþære burnan’(流れ)は ‘wælm’ にかかる属格であり,その流れの「波,ほとばしり,たぎり」(wælm) は,竜の噴き出す炎で熱くなっている,というところである.‘wælm’ という語に ‘heaðofyrum’ (人を殺(あや)める火)(11) という語がすぐ続いていることによって,この ‘wælm’ には連想によって ‘wæl’(殺戮・死)という語の破壊力が,同時に感じられるのである.それを裏付けるかのように,「竜の炎のために暫しの間も,焼かれることなく洞窟の中の宝の近くで堪えることはできなかった」という文が続いている.

 

  (21)           þæt wæs fremde þeod

ecean Dryhtne;    him þæs endelean

þurh wæteres wylm   Waldend sealde.    (1691b-1693)

 

(That was a nation estranged from the eternal Lord; therefore the Ruler gave them their final reward through the surge of water.)

 

 ベーオウルフがフローズガール王に,グレンデルの母親を倒したことを報告する場面である.女怪の首をはねたときの血によって刀身の融けた剣の柄には,巨人族が洪水によって滅ぼされた模様が描かれている.‘wæteres wylm’ は[洪水の波」という意味であるが,‘wylm’ はこの場合「波」であると同時に「水の奔流」でもあり,さらには ‘wæl’ との連想により,巨人族を滅ぼす「殺戮」の破壊力をも感じさせるのである.

 

  (22                    Nu is þines mægnes blæd

ane hwile.   Eft sona bið

þæt þec adl oððe ecg   eafoþes getwæfeð,

oððe fyres feng,   oððe flodes wylm,

oððe gripe meces,   oððe gares fliht,

oððe atol yldo;    oððe eagena bearhtm

forsiteð ond forsworceð;   semninga bið

þæt ðec, dryhtguma,   deað oferswyðeð.   (1761b-1768)

 

(Now for a time there is glory in your strength; yet soon it shall be that sickness or sword-edge will part you from your power――or the fire’s embrace, or the flood’s surge, or blade’s attack, or spear’s flight, or dreadful old age; or else the brightness of the eyes will fade and grow dim; presently it will come about that death shall overpower you, noble man.)

 

 現在いかに力を誇ろうとも,やがては病気や戦争や老齢によって死を迎えるものであると説く,いわゆるフローズガール王の説教 (sermon) の一部である.ここでも(21)の引用文と同じ意味の ‘flodes wylm’(洪水の波)というフレーズが用いられている.

 

  (23)      Swa giomormod    giohðo mænde

an æfter eallum,    unbliðe hwe(arf)

dæges ond nihtes,     oððæt deaðes wylm

hran æt heortan.                         (2267-2270a)                

 

(Thus, sad in mind, the lone survivor lamented his grief, unhappy, moved through day and night until the surge of death touched his heart.)

 

 一族の宝を隠した孤独な生残者の身にも,死が訪れるくだりである.彼は一人だけ生き残って心悲しくさまよっていたが,ついには,「ひたひたと押し寄せる死の波が彼の心臓に触れる」(deaðes wylm hran æt heortan) に到るのである.しかし,ここの ‘deaðes wylm’(死の波)という語句は,正確にはどのようなイメージあるいは意味なのかと考えると,ちょっと分かりにくい. Bosworth-Toller (p.1229) の辞書は, ‘wilm’ の項の ‘II. heat, fervent heat, fiery heat’ という定義の用例の最後に,‘fig.?’ としてこの箇所を引用して,‘until the hot touch of death was at the heart’ と説明している.しかし,他の注釈家たちはこのような解釈を取っていないようで,例えばグロサリーの所で,Beowulf 中の ‘wylm’ 全体の意味として次のものを挙げているのみである.       

 

         welling, surging, flood  (Klaeber, Wrenn).

         Wallen(沸騰,波立ち)Flut(満ち潮,洪水)Wallung(波立ち,感情のたぎり) (Heyne-Schücking).         

 

 中世後期の西洋文学では,死は骸骨の姿で表される死神として擬人化されることがあったが,それ以前の Beowulf では,恐らく死というものが,「洪水」か「波」のようなものに喩えられているのであろう.次の(24)の引用で見るように,Beowulf には「心臓の波(=鼓動)(heortan wylmas) というフレーズも用いられている.そこでは ‘wylm’ の「波の運動」の意味が,まさに「生命の躍動」を表しているのだが,ここの ‘deaðes wylm’ では,それとは正反対の「死の力」,「死の破壊的エネルギー」のようなものが,やはり波のイメージによって表わされているのであろう.そしてこの ‘wylm’ には,やはり ‘wæl’ の持つ「殺戮・死」の意味が,込められているように思われる.

 

  (24)   nalles he ða frætwe    Frescyning[e],

breostweorðunge,    bringan moste,

ac in compe gecrong    cumbles hyrde,

æþeling on elne;     ne wæs ecg bona,

ac him hildegrap     heortan wylmas,

banhus gebræc.                      (2503-2508a)

 

(In no way could he bring to the Frisian king the ornament adorning the breast, but the standard-bearer fell in the contest, a prince with courage; nor was a sword-edge his slayer, but a warlike grip broke his heart’s surge, his bone frame.)

 

 フランク・フリジア連合軍との戦争で,ダイフレヴン (Dæghrefn) という戦士を自分は握力で掴み殺した,とベーオウルフが語る場面である.4行目第2半行以降は厨川訳では次のようになっている.

 

   殺ししものは刃にはあらで,敵意ある把握が彼の心臓の波,骨の館[身体]を壊ちけるなり.

 

7.‘wylm’ の複合語の用例

 

 次に ‘wylm’ を含む複合語 (compound) について見てみたい.全部で 12 例あるが,すべてが二要素から構成されていて,前に規定詞を置き,次に ‘wylm’ を基礎語として添えた構造になっている.「海」や「火」や「悲しみ」などを意味する規定詞が,’wylm’ を修飾するという関係になり,複合語の意味は,たいてい transparent で,構成要素から容易に推測することができる.Beowulf では9種類の ‘wylm’ の複合語が使用されていて,頻度は 12 回である.そのうち ‘-wylm’ 形が 11 例で,‘-wælm’ 形が1例である.9種のうち, OE の詩・散文を含めた全文献中 Beowulf にしか用例の見られないものが4種 (brimwylm, fyrwylm, holmwylm, sæwylm) ある.Bessinger-Smith の古英詩コンコーダンスによると,使用頻度は次の通りである.

 

表3. 古英詩における ‘wylm’ の複合語の使用頻度および規定詞の意味

                        (括弧内は Beowulf での使用回数の内訳)

 

      brimwylm                  (1) 海(湖)

      holmwylm                   (1) 海 

      sæwylm                      (1) 海 

     brynewylm                  (1) 火 

     fyrwylm                      (1) 火 

     heaðowylm                (2) 闘い(火)

     cearwylm, -wælm                    (2) 悲しみ 

     sorhwylm, sorg-            (2) 悲しみ 

     breostwylm        1     (1) 胸 

 

 表3から分かるように,Beowulf では海に関するものが3種(3例),火に関するものが3種(4例),悲しみに関するものが2種(4例),胸に関するものが1種(1例)使用されている.頻度だけでみると,海と火に関するものが7例で,悲しみや胸に関する figurative な用法のものが5例である.興味深いのは,fire, air, water, earth の四大元素 (Four Elements) の中でも正反対の水(海)と火という element に関して,共に ‘wylm’ が用いられている点である.それは,水や火といった根元的なものの内に潜む力,エネルギーのようなものが,外に向かって発動するときに取る波の運動を,‘wylm’ という語が表現しているからではないだろうか.そして自然界におけると同様,人間という一個の自然 (nature) の内にあっても,悲しみといった感情が湧いて力を増し,エネルギーを得て発動しはじめるとき,それもやはり波の運動のイメージで捕らえて,‘wylm’ と呼んだのであろう.したがって ‘wylm’ という語は,自然界であると人間の心の中であるとを問わず,何かが力を得て,ある激しさで動き出すとき,それを波の運動として表現する言葉であって,湧き立ち,沸き返るような,あるいはほとばしるような,あるいはうねるような激しさを伴い,破壊力を秘めたエネルギーを感じさせるのである.

 

  (25  ‘Eow het secgan    sigedrihten min,

aldor East-Dena,   þæt he eower æþelu can,

ond ge him syndon    ofer sæwylmas

heardhicgende   hider wilcuman.         (391-394)

 

(‘My victorious leader, the chief of the East Danes, has bidden me tell you that he knows of your lineage, and you are welcome to him here, brave-hearted men from across the surging sea.)

 

 ベーオウルフ一行の到来を取り次いだウルフガール (Wulfgar) が,はるばる「海の波」(sæwylmas) を越えてやって来た一行に対して,フローズガール王の歓迎の言葉を伝えている場面である.

 

  (26    Æfter þæm wordum    Weder-Geata leod

efste mid elne,    nalas ondsware

bidan wolde;     brimwylm onfeng

hilderince.                          (1492-1495a)

 

(With these words the prince of the Weder-Geats turned away boldly, would wait for no reply at all; the water’s surge received the warrior.)

 

 ベーオウルフがグレンデルの母親を退治すべく,湖に飛び込む場面である.「うねり立つ湖水の波」(brimwylm) が,武者(つわもの)を受け取った,と述べられている.

 

  (27                       He ofer willan giong

to ðæs ðe he eorðsele    anne wisse,

hlæw under hrusan     holmwylme neh,

yðgewinne;               (2409b-2412a)

 

(Against his will he went to where he knew the singular earthen hall to be, a mound covered in soil near to the surging water, the tumult of the waves,

 

 竜の棲む塚の場所をただ一人知る奴僕が,ベーオウルフら 12 人をそこへ案内して行く場面である.その塚穴は「海の波」(holmwylme),「巻きかえす潮」(yðgewinne) の近くにあると述べられている.

 

  (28)  Þa wæs Biowulfe    broga gecyðed

snude to soðe,    þæt his sylfes ham,

bolda selest,    brynewylmum mealt,

gifstol Geata.            (2324-2327a)

 

(Then the truth of the horror was quickly made known to Beowulf---that his own home, the finest of buildings, the Geats’ throne, source of gifts, had melted away in the burning surges.)

 

 ベーオウルフの館までもが竜の火によって焼き尽くされた,という知らせがもたらされる場面である.「彼自身の住居」(sylfes ham),「最高の館](bolda selest),「イェーアト人の王座」(gifstol Geata)」というように,ヴァリエーションによって王の立派な館であることが強調され,それまでもが「炎の波」(brynewylmum) によって融け去った,と叙述されている.‘bryne’ は,ModE ‘burn’(燃える)の OE ‘byrnan’ の音位転換 (metathesis) による名詞形であって,‘burning, fire, flame’(12) を意味する.この ‘brynewylmum’ という語は,波打ってめらめらと燃える炎の激しい動きと,その破壊的なエネルギーを思わせて,ただ単に「火によって」と言った場合よりも,はるかに効果的な表現となっている.

 

  (29)  Æfter ðam wordum    wyrm yrre cwom,

atol inwitgæst,    oðre siðe

fyrwylmum fah    fionda nios(i)an,

laðra manna.                      (2669-2672a)

 

(After these words, the serpent, angry, a dreadful malicious spirit, came on a second time, glowing with surges of fire, to seek out his enemies, the hated men.) 

                                            

 竜とベーオウルフとの闘いの場面である.ここでは,竜が「炎の波」(fyrwylmum) で「輝き」 (fah) ながら,再度襲いかかって来る,と述べられている.

 

  (30                         Sele hlifade,

heah ond horngeap;    heaðowylma bad,

laðan liges;    ne wæs hit lenge þa gen

þæt se ecghete    aþumsweorum

æfter wælniðe   wæcnan scolde.      (81b-85)

 

(The hall rose up high, lofty and wide-gabled: awaited the furious surge of hostile flames. The day was not yet near when violent hatred between son-in-law and father-in-law should be born of deadly malice.)

 

 完成したばかりのヘオロト (Heorot) 宮殿の将来の運命が,予言の形で語られる場面である.館は破風を備えて高くそびえ,戦火の「敵意ある炎の波」(heaðowylma) (=feindliche (Flammen)woge)(13) を待ったと語られる.フローズガール王と義理の息子との間に,「激しい憎しみ」(wælniðe) や争いが起きるのは,まだ間近ではなかったのである.

 2行目の ‘bad’ (bidan=〜を待つ)という動詞が属格支配であるため,‘heaðowylma’ が複数属格形となっている.3行目の ‘laðan liges’(敵意ある火・炎)を ‘heaðowylma’ にかかる付加語と見て,「敵意ある炎の激しい[闘いの]波」(14) と解釈することもできる.あるいはまた,‘laðan liges’ ‘heaðowylma’ のヴァリエーションと見て,‘bad’ の属格目的語と取ることもできる.文のリズムから見て,後者の解釈の方がより適当であると思われる.「闘いの波」(heaðowylma) を待ったというだけでは,意味がはっきりしないので,「敵意ある炎を」 (laðan liges) という,同じく強弱強弱4音節のリズムを持つフレーズが,畳み重ねられているのであろう.これは,次の(31)の引用箇所の ‘heaðowylmas’ の場合も同様で,そこでは ‘bæl’(火,炎,火葬の薪)のヴァリエーションとして,‘heaðowylmas’ という複合語が用いられている.

 引用箇所の ‘heaðowylma’ は,戦火の炎の破壊力を暗示していて,‘wæl’(殺戮・死)を連想させるが,この ‘wæl’ は,5行目の ‘wælniðe’(死をもたらす憎しみ)(15) ‘wæl-’ として,顕在化することになる.

 1行目から3行目にかけての音を見てみると,2行目で ‘hēah’, ‘horngēap’ というようにēa’ 音の母韻 (assonance) が見られ,それが次の ‘heaðowylma’ ‘ea’ という類似音によってさらに繰り返されている.‘bād’ は,次行の ‘lāðan’ ā’ 音によって母韻を踏み,そして ‘līge’ ī’ 音は,1行目の ‘hlīfade’ ī’ 音の反復となっている.また,1行目の行末と2行目の行末は,‘-ade’ ‘-ād’ という類似音が用いられている.2行目では ‘h’ の頭韻が見られるが,この ‘h’ 音は1行目の ‘hlīfade’ ‘h’ 音を引き継いだもので,4語が頭韻を踏む形になっている.

 

  (31)  þæt wæs þam gomelan    gingæste word

breostgehygdum,    ær he bæl cure,

hate heaðowylmas ;    him of hræðre gewat

sawol secean     soðfæstra dom.          (2817-2820)

 

(That was the aged man’s final word from the thoughts of his heart before he was to choose the pyre, hot, fierce surges; the soul passed from his breast to seek the glory of the righteous.)

 

 ベーオウルフの最期の場面である.(30)の引用と同様,‘heaðowylmas’ が用いられ,ここではベーオウルフの亡骸を焼き尽くす熱く,「激しい火の波」を表している.

 3行目の音を見てみると,

 

    hāte heaðowylmas;   him of hræðre gewāt

 

となっていて,

 

       āt-(ð-w)-m    m-(ð-w)-āt  

 

という音が,caesura を挟んでほぼ左右対称となるように並んでいる.また両半行とも,

 

        h- h-       h- h-

 

のように,第1音節と第3音節の両方が,間に強勢のない1音節を置いて,‘h’ 音で始まるという形になっている.    

 

  (32)            Ic þæs Hroðgar mæg

þurh rumne sefan     ræd gelæran,

hu he frod ond god     feond oferswyðeþ――

gyf him edwendan     æfre scolde

bealuwa bisigu,     bot eft cuman――,

ond þa cearwylmas     colran wurðaþ;   (277b-282)

 

(I can give Hrothgar advice about this from a generous heart, how he, wise and good, might overcome the enemy, and his surging anxieties grow cooler――if change is ever to come to him, relief from the affliction of miseries.)

 

 海辺の衛士に向かってベーオウルフが,怪物の殺戮によって悩まされているフローズガール王に,援助の手を差し延べるために自分は来たのだと,用件を伝える場面である.もしも変化が,災いの苦しみの救いが再び来るならば,「たぎり[湧き]立つ悲しみ」(cearwylmas) も冷えることだろう,とベーオウルフは述べる.

 6行目の ‘cearwylmas colran wurðaþ’  とほとんど同じ

 

æfter cearwælmum    colran weorðað.   (2066)

 

というフレーズが,すでに(15)で引用した箇所でも用いられていたが,これは,このような言い回しがひとつの formulaであったことを示している.

 

  (33           Hine sorhwylmas

lemede to lange;    he his leodum wearð,

eallum æþellingum    to aldorceare;     (904b-906)

 

(Surging misery had crippled him too long; he became a cause for deadly anxiety to his people, to all the nobles.)

 

 昔のデンマークの王ヘレモード (Heremod) が国民にとって悩みの種となっていったことが,語られるくだりである.それは,「湧き[たぎり]立つ悲しみ」(sorhwylmas) が彼を無力にしていたからである,と述べられている.一人の王をだめにして,滅ぼしてしまう悲しみという感情の破壊力を,‘sorhwylmas’ という複合語がうまく表現している.引用箇所は,2行目の ‘l’ の頭韻だけでなく,1行目の ‘sorhwylmas’, 3行目の ‘eallum æþellingum’, ‘aldorceare’ というように,重要なすべての語に含まれている ‘l’ 音がよく効いている.

 

  (34)           Ac ðu Hroðgare

widcuðne wean    wihte gebettest,

mærum ðeodne?     Ic ðæs modceare

sorhwylmum seað,    siðe ne truwode

leofes mannes;                       (1990b-1994)

 

(And did you in any way remedy the widely-known woes of the famous prince, Hrothgar?  I have brooded over this with anxiety of mind, surging grief, mistrusting the venture of my beloved man.)

 

 無事帰国したベーオウルフに対してヒュイェラーク王が,首尾はどうであったか,ずっとそなたの身を案じていたのだ,と語る場面である.

 3-4行目の

 

    ‘Ic ðæs modceare sorhwylmum seað’

 

という文の解釈について考えてみると,まず ‘modceare’(心痛)を女性名詞の単数対格と見ることができる. ‘sorhwylmum’(悲しみの波)が複数の具格的与格であり,’ seað’ (seoðan) ModE ‘seethe’ OE 形であって,「沸騰させる」という意味であるので,全体を直訳すれば,「私はそのこと故に,たぎる悲しみの波で心痛を沸き立たせていた」となる.ここでは, ‘-wylm’ ‘seoðan’ という共に ‘boil(ing)’ を意味する語が用いられているわけである.

 

  ところが Bosworth-Toller (p.866) は,‘seoðan’ の項の ‘II. metaph. (3)’ で,to prepare food for the mind, to make fear, hope, etc., subjects with which the mind may be occupiedという定義を挙げ,さらに ‘cf. to feed a person with hopes’ と述べてから,Beowulf のこの箇所 (l.1993) を引用し,‘on account of your dangerous journey anxiety was the food I prepared for my mind’ という説明を付けている.そしてもう一つ,Beowulf から 190-191 行目の ‘Swa ða mælceare         maga Healfdenes singala seað’ を引用し,‘Hrothgar had that care ever ready to feed his mind’ と説明している.挙げている用例はこの2例のみなので,この定義自体が,Beowulf のこの2個の用例から作り出されたのだと推察される. ‘I.’ の定義として ‘to seethe, boil, cook in a liquid’ が載っているので,これは,「沸騰させる」→「料理する」→「心の食べ物を準備する」という連想によるのかもしれない.確かに英語には ‘food for thought’ という言い回しがある.この定義は,OED  ‘seethe’ ‘1.d. To digest (food). Hence perh. the use in OE. for: To brood over (care, anxiety): cf. Gr. κηδεα πεσσειν. Obs.’ に受け継がれて,OED Beowulf からのこの2例を引用している.多分この OED の定義を受け継いで,Klaeber 版のグロサリーが ‘brood over’, Wrenn 版のグロサリーが ‘brood excitedly over’ という説明を付けているのであろう.しかし,上に述べた Bosworth-Toller の挙げている定義や,用例に付けている訳は,筆者には奇妙なものに思われる.

 また,この 1993 行目と 189 行目の解釈に関しては,これまでに他の説も出されたようで,それを,Hoops が紹介している.(16) それによると,Kock は,‘seoðan’ を自動詞の「沸騰する,わき立つ,焼かれる」の意味に取り,‘modceare’ ‘sorhwylmum’ とパラレルに置かれた具格的与格と解している.これも一理ある解釈で,たとえば Donaldson 訳などでは,‘I burned with seething sorrows, care of heart.’ となっていて,この解釈と一致している.しかし,Klaeber はこの見解に異議を唱え,‘seoðan’ の自動詞の用法は他では見られない,と反駁している.確かに, OED によれば,‘seethe’ の受動態的意味「沸騰させられる」の用法の初出例は 1300 年代のものであり,自動詞「沸騰する」の初出例は 1535 年なのである.また,OED  ‘seethe, 5’ の「沸騰する」の figurative な用法である ‘To be in a state of inward agitation, turmoil or ‘ferment’’ の初出例は, 1606 年のシェイクスピアの Troilus and Cressidaからのものである.このように見てくると,‘seoðan’ を自動詞と取る解釈にも,少し無理があるのかもしれない.

 Kock ,14)の引用ですでに見た ‘breost innan weoll / þeostrum geþoncum’ (2331-2332)(胸は暗い思いでわき立った)という文を引き合いに出しているが,実際 ‘seoðan’ は,‘weallan’(わき立つ)の他動詞用法に相当すると考えられるのである.

 

     (a)  Modcearu sorhwylmum weoll.

            (悲しみの波で心痛が沸き立った)   

     (b)  Ic modceare sorhwylmum seað.  

            (私は悲しみの波で心痛を沸き立たせた)

 

  (a) は筆者が作った文であるが,このように並べてみると,両者はほぼ同じ内容を,(a) は自動詞 ‘weoll’ (沸き立った) で,(b) は他動詞 ‘seað’ (沸き立たせた) で,表現していることが分かる.また,‘wylm’ を基礎語とする一連の複合語は,これまで見て来たように,しばしば破壊力を秘めた激しい波のイメージを持つ語である.したがって,筆者の考えでは,(b) ‘seað’ OED や注釈書のグロサリーのように,‘brood over’ と解するのでは,意味が弱すぎるのである.また,上に述べた Bosworth-Toller のような解釈は,論外であると思われる.筆者としては,‘seoðan’ をすなおに ‘weallan’ の他動詞に相当するものと取り,「沸き立たせる」の意味に解したい.そして, ‘modceare’ は対格と与格が同形であるが,‘seoðan’ に自動詞の用法がないようなので,この場合は ‘seað’ の対格目的語であると解したい.

 日本語訳と現代英語訳を見てみると次のようになっている.

 

  (a) 湧き上る憂ひもて胸の悲しみを掻き立てたりき(厨川訳)

  (b) 悲痛な気持ちの波立つままに,心の憂いをたぎらせていた(長埜訳)

  (c) 押し寄せる悲しみをもって心の憂いをかき立て(羽染訳)

  (d) 心の悲しみのため,悲痛が胸の中でわき立ち(大場訳)

  (e) 煮え沸るばかりの心痛を味わい(忍足訳)

  (f) I have brooded over this with anxiety of mind, surging grief (Swanton)

  (g)  Cares of the heart, sorrow-surgings boiled within me (Chickering)

  (h)  I burned with seething sorrows, care of heart (Donaldson)   

  (i)  I have brooded over this with anxious mind and restless care (Garmonsway-Simpson)

  (j)  I have been in anguish with the melancholy surges of heartfelt anxiety (Bradley)

 

 英訳の方はだいたい,‘modceare’ ‘sorhwylmum’ を同格のヴァリエーションと取っているように見うけられ,(f) (i) ‘brooded over’ を用いている点で,OED や注釈書の解釈に従っている.日本語訳の方は,少なくとも (a), (b), (c), (d) の訳は,‘modceare’ ‘sorhwylmum’ を互いに異なる格 (case) と解していて,さらに (a), (b), (c) の訳では ‘seað’ を他動詞の「沸き立たせる」の意味に取り,‘modceare’ をその対格目的語に解している.‘seoðan’のこのような意味が辞書や注釈書に記載されていないにもかかわらず,上記のように訳した日本語翻訳者たちの直感が正しかった,と筆者には思われるのである.

 

  35             Wæs him se man to þon leof,

þæt he þone breostwylm   forberan ne mehte,

ac him on hreþre    hygebendum fæst

æfter deorum men    dyrne langað

beorn wið blode.                     (1876b-1880a)

 

(That man was so loved by him that he could not restrain the breast’s surging; but a hidden yearning for the beloved man burned in the blood, fixed in the heartstrings.)

 

 帰国せんとするベーオウルフとの別れを,フローズガール王が悲しむという,主従間の愛情を鮮明に表現した場面である.老王は「たぎる胸の思い」(breostwylm) を抑えることができずに,はらはらと涙を流すのである.彼の胸中には,懐かしい男に対する秘かなる思いが,血潮の中に「燃えていた」(beorn) からである,と語られている.

 ‘breostwylm’ という語に凝縮されているフローズガール王の胸の高まりは,‘lēof’, ‘brēostwylm’, ‘dēorum’ に見られる強勢のあるēo’ 音の母韻 (assonance) によって,さらには ‘forberan’, ‘mehte’,  ‘hreþre’’hygebendum’,  ‘men’ のやはり強勢のある ‘e’ 音の反復によって,音の上でも効果的に表現されている.

 

8. ‘weallan’ ‘wylm’ の変化形

 

 Beowulf で使用されている ‘weallan’ ‘wylm’ の変化形を,Klaeber 版のグロサリーによってまとめておきたい.

 

I   ‘weallan’ (=to well, surge, boil)(頻度17)    

  (A)

         weol (515, 849, 1131, 1422) 三人称単数過去 

        weoll (2138, 2593, 2693, 2714, 2882)      

         weallende (847) 現在分詞主格単数中性 

        weallende (546), weallendu (581) 現在分詞主格複数中性

  (B) 感情について用いられた figurative な用法

    1) 主語が hreðer, breost, sefa の場合

      weoll (2113, 2331, 2599) 三人称単数過去

    2) 主語が wælniðas の場合

       wealla  (2065) 三人称複数現在

   3) (意味上の) 主語が sorge の場合 

      weallende (2464) 現在分詞対格単数女性  

II  ‘weallan’ の複合語(頻度2

   1)  hioroweallende (2781) (=welling fiercely) 形容詞(現在分詞)対格単数男性

   2)  wollent are (3032) (=with gushing tears) 形容詞主格複数男性

III  ‘wylm’(男性名詞)(=welling, surging, flood)(頻度7

       wylm (1764, 2269)wælm (2546) 主格単数

       wælmes (2135) 属格単数

       wylm (1693) 対格単数

       wylm[um] (516) 与格複数

       wylmas (2507) 対格複数

IV  ‘wylm’ の複合語(頻度12

   1)  breost-wylm (1877) 対格単数 (=breast welling)

    2)  brimwylm (1494) 主格単数 (=surge of the sea or lake)

     3)  brynewylmum (2326) 与格複数 (=surge of fire)

     4)  cearwylmas (282) 主格複数,  cearw lmum (2066) 与格複数 (=care-welling)

     5)  fyrwylmum (2671) 与格複数 (=surge of fire)

     6)  heaðowyla (82) 属格複数, heaðowylmas (2819) 対格複数 (=battle-surge)

     7)  holmwylme (2411) 与格単数 (=surge of the sea)

     8)  sæwylmas (393) 対格複数 (=sea-welling, billow)

     9)  sorhwylmas (904) 主格複数,  sorhwylmum (1993) 与格複数 (=surging sorrow or care)

 

 

9.まとめとして

 

  Alvin A. Lee ‘Symbolic Metaphor and the Design of Beowulf という論文の中で,Beowulf の後半の物語の中心となる竜について触れ,この竜はいにしえの ‘earth-dragon’ であり,日夜 ‘earth-hall’ の中の呪われた財宝を守り,火 (fire) を吐きながら空中 (air) を飛んでいたが,ついには殺され,断崖から水 (water) の渦巻く海の中へと押されて落ちていくのだ,と述べている.(17) このように竜は,earth, fire, air, water の四大元素 (Four Elements) と象徴的に関係していると言えるが,この中で特に水と火は,Beowulf という作品の中で重要な役を果たしている.そして,これまで見てきたように,‘weallan’ および ‘wylm’ という語は,これら二つの水と火という一見正反対の元素に関してしばしば用いられている.それは,水や火という根源的なものが,エネルギーを増していったときに取る波の動きを,‘weallan’ ‘wylm’ が表現していたからである.また,悲しみなどの感情についても,ある激しさで湧き起こるときには,ゆらめいて激しく燃えさかる火や,うねり波立つ海の水と同じように,それを波のイメージで捕らえて,やはりこれらの語によって表現したのである.

 ‘weallan’ は印欧語の ‘*wel-’(ころがる)という語根に由来する語である.ちょうど,‘roll’ という動詞が「ころがる」という意味から,恐らく「のたうつ」という意味を経て,(波が)うねる」という意味を発達させたのと同じように,‘weallan’ という自動詞も「ころがる」という原義から,他のゲルマン諸語の同系語にはっきりと見てとれる「波立つ」という意味を,発達させたのであろう.この[波立つ」という意味は,‘weallan’ OE における2つの基本的意味である「沸騰する,沸き立つ」という意味と,「湧く」という意味との根底にあったものと思われる.‘weallan’ の名詞形 ‘wylm’ の意味も,だいたいこれに対応していた.「沸き立つ」や「波立つ」という現象の持つ激しさを表す ‘weallan’ ‘wylm’ は,しばしば,人間の力では抗しがたいような力や破壊力を含意した.冬の海の ‘wylm’(荒波)には逆らうことができないで,船出を春まで延ばさざるを得ず,また,水の ‘wylm’(洪水)は巨人族を滅ぼすのである.ベーオウルフ王の館は ‘brynewylm’(炎の波)によって跡形もなく融け,ヘオロト宮殿は ‘hea owylm’(戦いの火の波)によって滅びる運命にある.インゲルドの胸に「湧き,たぎり立つ」(wealla ) 憎しみは,殺人と戦争を惹き起こし,‘cearw lm’(わき立つ悲しみの波)故に妻への愛も冷える.あるいは,‘sorhwylmas’(たぎり立つ悲しみの波)はヘレモード王を無力にして滅ぼし,死の ‘wylm’(波)は,財宝を隠した孤独な生残者の身にもついにはせまるのである.このように,破壊力を秘めた,湧き立ち,たぎる波のイメージを,‘weallan’ ‘wylm’ は表し,その破壊力の点で,‘wylm’ の別形 ‘wælm’ に含まれる ‘wæl’(殺戮・死)を連想させるのである.

  Beowulf は,半行ごとに単位をなし,それを積み重ねていく,うねるようなリズムを持つ文体で書かれているが,フレーズを言い替えて次々と畳みかけていくヴァリエーションが,この印象を一層強めている.それは,次々と押し寄せる波の運動,波のリズムを思わせて,さらには波のエネルギーまでをも感じさせる文体と言っていいであろう.海の波,炎の波,感情の波,心臓の波,脳波,さらには光波,音波,電波など,波は自然界や人間にとって根源的なものであるが,自然界や人間の心に生起する様々な現象に潜むこの波のイメージが,Beowulf という作品においては,‘weallan’ という動詞とその名詞形 ‘wylm’ によって,凝縮的に表現されている,と思うのである.

 

 

                                          

 

  Beowulf のテキストは Klaeber 版を使用した.Beowulf からの引用文に付けた現代英語訳は,特にことわらない限り,Swanton 訳を借用した.なお,Beowulf の原文および現代英語訳からの引用文におけるイタリックは,すべて筆者によるものである.

 

(1)  *印は文献には残っていない推定形であることを示す.

(2)  Morris (ed.)The American Heritage Dictionary, p.1548.

(3)  「集英社国語辞典」集英社,1993p.1042.

(4)  Cf. Chickering, p.13: ‘The rhythm of the narrative repetitions themselves gives the poem’s story line the effect of wave upon wave, as new effects are piled up within parallel narrative frameworks.’

(5)  厨川訳は原文の文章の構造までも忠実に日本語に写し出そうとするかのような,学問的に厳密な翻訳と思われるので,日本語の口調で適当に訳されているとは考え難い.

(6)  Clark Hall, p.193.

(7)  Hoops, p.249: ‘Gemeint sind wohl Vorahnungen seines Todes.’

(8)  Bosworth-Toller, p.1152.

(9)  Ibid., p.1154: ‘wælniþ =deadly hate, mortal enmity’.

(10) しかし,‘weallinde’ を目的格補語としての述語的用法と取ることも可能である.

(11) 厨川訳. Cf. Klaeber, p.353: ‘heaðofyr=deadly fire’.

(12) Bosworth-Toller, p.130.

(13) Heyne-Sch cking, 3. Teil, p.114.

(14) ‘heaðowylma’ における ‘heaðo-’ は本来「闘い」(battle) を意味する.しかし,Bosworth-Toller (p.524) は,‘heaðowælm, -welm, -wylm’ の項で,18 個あまりの用例箇所を挙げているが,定義としては ‘fierce, intense heat’ という意味しか載せていない.Sweet (p.85) の辞書の説明も ‘intense heat’ であり,Clark Hall (p.175) の辞書でも ‘fierce flame’ となっている.また,Klaeber 版のグロサリーでは ‘(battle surge), hostile flame’ となっている.これに対して,Wrenn 版のグロサリーではbattle-surging, hence furious surgingとなっていて,この ‘battle-surging’ ‘heoðowylm’ の文字通りの意味であると考えられる.

(15) Heyne-Sch cking, 3. Teil, p.237: ‘wælnið=tödlicher Haß, tödlicher Feindschaft.’

(16) Hoops (p.41) 189 行目に対する注釈の所で次のように述べている:

        Mælceare seaðwird von den meisten Hrsgg. mit ‘er kochte den Kummer der Zeit’  übersetzt. Kock (...) faßt mælceare als Instr. und seað als intransitiv: ‘seethed in care, was tormented by care’, indem er auf 1992f. Ic ðæs modceare,/ sorhwylmum seað verweist, wo er modceare und sorhwylmum in Parallele setzt.  Er stellt s o an als intransitives Verb in die gleiche Reihe mit ae. weallan, beornan, brædan, ne. seethe, burn, boil, broil, cook, fry und verweist auf B.2331f. breost innan weoll/ þeostrum geþoncum.  Auch Trautmann übersetzt: ‘So ward dann von Seelenkummer der Sohn Healfdenes immerfort bewegt’. ―― Klaeber (...) bek mpft diese Ansicht, indem er sich besonders darauf beruft, daß seoðan nirgends sonst mit intransitivem Gebrauch belegt ist.  Er denkt an einen Einfluß ähnlicher Konstruktionen von lat. coquere oder auch des gr. κηδεα πεσσειν. (イタリックは原文)

(17) Tuso (ed.), Beowulf, p.154.

 

 

 

 

                                      主要参考文献

 

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Bradley, S.A.J., Anglo-Saxon Poetry.  London: Everyman, 1995. (Bradley)

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Hoops, Johannes, Kommentar zum Beowulf. Heidelberg: Carl Winter, 1965. (Hoops)

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羽染竹一訳「古英語大観」原書房, 1985.

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