『アエネーイス』第三巻に見られる「貪欲」の主題について

 

(The Theme of Greed in the Third Book of the Aeneid)

(The summary in English is at the end of this page.)

 

          野 呂 俊 文

                      (Toshifumi Noro)

 

 

 『アエネーイス』の第三巻は陥落するトロイア (Troia) から逃れたアエネーアース (Aeneas) 一行(いっこう)が、第二のトロイアを築けという神の意志に従って、新たな国を築くべくさまよう放浪の物語である。トロイアの滅亡を歌った第二巻と、ディードーとの破滅に至る恋を描いた第四巻とが、共に火に象徴される激しさを持った巻であるのに対して、その間に挟まれた第三巻は、これらの火をさます水を思わせる静かさ、激しい感情の希薄さを特徴としている。

 第三巻は、トロイアを出て、トラーキア、デーロス島、クレータ島、ギリシア西岸、イタリア南岸を経てシキリア島西部に至るまでの航海を、アエネーアースがカルターゴの女王ディードー (Dido) に物語る形式を取っている。一見、ただ地理的に順を追って語っただけの物語にも見えるが、中間にヘレヌス (Helenus) の長い挿話が挟まれることによって、全体を前半と後半とに分けることが可能となり、第三巻全体に構成上の統一が与えられている。オーティス (Otis)[1] の分け方に従えば、ヘレヌスの挿話を第2部とした場合、第1部はブートロートゥム (Buthrotum) に到るまでの1行目から293行目まで、第2部はヘレヌスを中心とした294行目から505行目まで、第3部はブートロートゥムを出航してからドレパヌム (Drepanum) に到るまでの506行目から715行目までとなる。第三巻の最後には、アエネーアースが語り終えたあと3行が付け加えられていて、最終行ではアエネーアースが「ついに沈黙した」(conticuit tandem) (718) とあり、これは第二巻の冒頭が「皆は沈黙した」(Conticuere omnes) (2.1) で始まっていたのに呼応し、主人公のアエネーアース自身が語り手となっている第二巻と第三巻の纏まりを示し、第二巻・第三巻全体でも円環構成 (ring composition) を成していることが分かる。

予言の能力を持つヘレヌスは、アエネーアースたちにイタリアへ行き着く際の具体的指示と、宗教的儀式についての指示とを与える。これ以後、アエネーアースたちは自分たちが目指すべき場所についてはあまり迷いを持たずに航海することが可能となる。これは過ちや迷いの多かった第三巻前半とは対照を成している。アポロの神官であるヘレヌスによって、神々、特にユッピテル (Iuppiter) の意志がトロイア人たちに伝えられ、アエネーアースたちはこれによって自分たちの運命についての自覚を以前よりも明確に持つことができるようになったからである。第三巻の最初からヘレヌスの予言に到るまで、神託や預言などによってトロイア人たちに、行き着いて国を建設すべき場所が徐々に示されては行くが、神託や予言は部分的であったり、曖昧な部分が多かったりで、彼らは不確かさの中、いわば闇の中を迷いながら盲目的に模索していく。ヘレヌスの予言によってトロイア人たちの航海にはより明確な方向性が与えられるのである。その意味でヘレヌスのエピソードは一つの転機となっている。

 

 「運命の開示」という中心的主題と平行して、第三巻にはもう一つの主題が織り込まれている。それはトラーキア、クレータ島、ストロパデス (Strophades)、アエトナ山 (Aetna) でのそれぞれのエピソードと、スキュラ・カリュブディス (Scylla  and Charybdis) のエピソードとの、五つのエピソードで描かれている「貪欲」という主題である。クレータ島を除く四つのエピソードはみな神話的題材をもとにしたエピソードであって、「運命の開示」という主題とはやや関連が薄い。トラーキアでは殺害された人の体に木が生えているという神話的エピソードが中心になっており、ストロパデスでは『オデュッセイア』やアポロニウス (Apollonius) Argonauticaから取られたハルピュイア (Harpyia) が登場し、スキュラ・カリュブディスは『オデュッセイア』に登場する神話であり、アエトナ山では『オデュッセイア』にも登場するキュクロープス (Cyclops) が描かれる。神話的内容であるこれら四つのエピソードは、「運命の開示」というテーマには資する点が少ないにもかかわらず、ウェルギリウスはこれらを力を入れて詳しく描いている。またこれら四つのエピソードやクレータ島のエピソードは、「貪欲」とそれに伴う「(けが)れ」というテーマが見られる点で一貫している。「貪欲」は「汚れ」をもたらし、「汚れ」は「盲目」状態をもたらし、最後に「赦し」という慈悲の行為が「汚れ」を洗い清めて「光明」をもたらす。つまりこの「貪欲」が「運命の開示」と並んでもう一つの第三巻の主題となっているのである。また第三巻の最初と最後に置かれたトラーキアのポリュドールスのエピソードとアエトナ山のキュクロープスのエピソードとが呼応することによって、両者が第三巻全体を両側から挟むという形の円環構成 (ring composition) を形成している。以下これら五つのエピソードを中心に第三巻全体を見ていきたい。

 

 アエネーアースたちは古くからトロイアと友誼(ゆうぎ)を結んでいたトラーキアに到着して、最初の城市を建設し、アエネーアースの名前に因んでアエネアダエ (Aeneadaeアエネーアースの子ら)と名付ける。着手した事業の幸先を祈って、母なるウェヌス女神 (Venus) と神々に犠牲(いけにえ)を献げ、神々の王者ユッピテルに白い牡牛を犠牲にしようとしていると、ちょうどすぐそばに小山があって、その頂にミズキの茂みと槍のような枝を密生させたギンバイカが生えている。葉の茂る枝で祭壇を覆うためにアエネーアースは近付いて、緑の木を地面から引き抜こうとする。すると、根を引き裂いて引き抜いた最初の木から黒い血の滴が流れ落ち、大地を血糊で(けが)す。隠れた原因を探ろうと再び別のしなやかな枝を引き抜こうとする。すると再び黒い血が樹皮から流れ出る。野のニンフたちとこの地を治めるマルスに凶兆を祓いたまえと祈りを捧げたあと、いっそう力を込めて三つ目の枝に襲いかかり、砂地に膝を押し当てて格闘すると、小山の底から哀れなうめき声が聞こえてきて、「なぜ惨めな者を引き裂くのか、アエネーアースよ。埋葬されている者に手を出すことを控えよ。敬虔な両手を罪で汚すことを控えよ」と言う。自分はポリュドールスで、自分の身を刺し貫いた槍が体を覆い、そのまま生長したのだという。

 トロイアのプリアムス王はギリシア軍によってトロイアが包囲されたとき、末の息子ポリュドールスを莫大な黄金を添えて、トラーキア王(プリアムスの娘Ilionaを妻に迎えていたPolymestor)に送り、養育を託した。トロイアが戦いに敗れると、トラーキア王はギリシア側に寝返って神聖な掟を破り、ポリュドールスを殺害し、黄金を手に入れたのである。

 ポリュドールスが自分の数奇な運命を語るのを聞いたとき、アエネーアースは「呆然とし、髪の毛が逆立ち、声が喉に詰まった」(obstipui steteruntque comae et uox faucibus haesit) (48) のであるが、第二巻で、夜道を逃げるとき失った妻クレウーサの亡霊がアエネーアースの眼前に現れた箇所でも (2. 560)、これと同一の表現が用いられていた。第二巻にあっては、アエネーアースはしばしば衝動的に行動するのが見られるが、このことはこの第三巻のポリュドールスのエピソードにおいても見られる。根を引きちぎられた木から出た黒い血が大地を汚すのを見たアエネーアースは、恐怖で自分の血が凍りつくにもかかわらず、その原因を知ろうと、二度、三度と衝動的に同じ行為を乱暴に繰り返す。しかもいっそう力を込めてそうするのである。死者を引き裂くという罪を犯すことによって、彼は大地を汚し、自らを汚す。ポリュドールスはアエネーアースに「敬虔な両手を汚すことを控えよ」と嘆願するが、このことばから逆にアエネーアースの行動が敬虔に反する行為であり、彼が自らを汚していることが分かる。トラーキア王はポリュドールスを殺し、「力づくで」(56) 黄金を手に入れたが、アエネーアースはすでに死せるポリュドールスを引き裂き、「力づくで」知識を手に入れようとする。黄金への「呪われた渇望」がトラーキア王を人道に反する行為に駆り立てたように、知ろうとする「渇望」がアエネーアースを人道に反する死者冒へと駆り立てる。トラーキア王はすべての神聖な掟を「引き裂いた」が、アエネーアースは「根を引き裂く」ことによって大地を汚す。アエネーアースの行動の不合理な激しさと衝動性は、彼の精神的盲目を表していると考えられる。

 パスカリス (Paschalis)[2] が指摘するように、Polydorus (Πολυδωρος) という名前はπολυ(多量)とδωρον(贈り物)の合成語と考えられ、彼は「多量の黄金」の贈り物と共にトラーキアに送られた。しかし「殺害されて」(obtruncat) (55)、「木の幹」(truncus) となり、「多数の」ολυ)「槍」(δορυ) を生やす身となった彼は、「多数の槍」という意味でのΠολυδοροςとなった。正式に埋葬されなかった彼は「木の幹」(δορυ) としての存在を保っていたのである。

 アエネーアースたちは、この小山に土を盛って墓とし、祭壇を作り、トロイアの女たちが習慣に従って髪を解いて回りに立つなか、献げ物をして葬儀を行い、ポリュドールスの魂を墓に納めるのである。このポリュドールスの不思議な出来事は、アエネーアースによって「神々による啓示」として解釈されている。最初アエネーアースは「私は言うも不思議な恐ろしい光景を見た」(horrendum et dictu uideo mirabile monstrum) (26) と言い、そして人民の選ばれた長たちと父アンキーセースにこの「神々の前兆」(monstra deum) (59) を報告した、と語っている。両方ともmonstrumという語が用いられているが、最初と後で、そのニュアンスが少し異なっている。最初の方は「不思議さ」にその重点があるが、後の方では「前兆」、「神の警告」の意味の方に重点が移行している。

  monstrumという語はmonere(警告する)という動詞に由来し、ErnoutMeilletの編によるラテン語語源辞典にはSex. Pompeius Festusの次のようなmonstrumの説明が引用されている。

 

[monstrum] ut Aelius Stilo interpretatur, a monendo dictum est, uelut monstrum. Item Sinnius Capito, quod monstret futurum, et monet uoluntatem deorum.

 

つまり、monstrummonere(警告する)という動詞の名詞形であり、「未来を示し、神々の意志を警告するもの」ということになる。なお、「示す」を意味するmonstrareという動詞はこのmonstrumからの派生語である。

 アエネーアースは、このポリュドールスの木が血を流すという超自然的現象を、神々の意志を示す警告と受けとめている。それは彼がわざわざ「神々の前兆(警告)」(monstra deum) (59) という表現を用いていることからも分かる。神々の意志、すなわち運命が第二のトロイを築くべき場所として定めたのは、このトラーキアではないということなのである。ポリュドールスの出来事では、神々の意志が否定的に開示されたのである。

 

 デーロス島は、ウェルギリウスがよく使用する対比的手法によってトラーキアとは対照的に描かれている。トラーキアが「(けが)された友誼」(pollutum hospitium) (61) によって「罪に汚れた土地」(scelerata...terra) (60) であったのとは対照的に、デーロス島は「神聖な土地」(sacra...tellus) (73) であり、海の女神ドーリスとネプトゥーヌス (Neptunus) にとって最も喜ばしい場所であると語られる。昔、浮島であったこの島を敬虔な弓矢の神アポロが固定したのだという。[3] 一行(いっこう)はここの王であると同時にアポロの神官でもあり、アンキーセースの旧友でもあるアニウス (Anius) 王に温かく迎えられ、「友誼によって」(hospitio) (83) 両者は互いに握手をかわす。アエネーアースがアポロの神殿で祈願すると、あたりが震動し、直接彼に、「トロイア人たちの祖先の地を探し求めよ」というアポロの神託が下る。アンキーセースは、これがトロイア人の祖、テウケルの出身地クレータ島のことだと解釈を誤り、皆はクレータ島に行くことになる。

 デーロス島ではアエネーアースたちに直接神の神託が下ったわけだが、神託や予言にありがちなように、その「両義的な」(180) な表現は二通りの解釈が可能であった。クレータ島出身のテウケルとイタリア出身のダルダヌスの両者がトロイア人たちの祖であったが、アポロ神が神託を下したとき、「忍耐強いダルダヌスの子孫たちよ」(Dardanidae duri) (94) と呼びかけていたにもかかわらず、アンキーセースは誤って解釈する。一行(いっこう)のリーダーであり、神々との間の仲介者であるアンキーセースは、過つことのない完全な存在として描かれているわけではない。これは主人公アエネーアースが完璧な人間として描かれているわけではないのと同様である。予言や神の神託の不完全な表現と、それを解釈する人間の側の不完全さの両方のために、トロイア人たちの運命、すなわち神々の意志は、部分的に、また徐々にしか明らかになってはいかない。そのため彼らはいわば闇の中を手探りで進んで行く。

 

 クレータ島に着いたアエネーアースは、都を建設し始めるが、突然疫病と飢饉が町を襲う。アンキーセースは再びデーロス島に戻ってアポロの神託をうかがうことを勧めるが、夜にアポロから遣わされたトロイアの守り神たち (penates) がアエネーアースの目の前に現れ、彼らの誤りを教える。

 トラーキアでは、アエネーアースの知りたいという渇望 (fames) や貪欲は、ポリュドールスの体に生えた木から血を流させ、大地を汚すことに繋がる不吉な兆候であったが、クレータ島で彼が「貪欲に」(auidus) (132) 待望の都の城壁建設にとりかかったという叙述も、不吉なものを感じさせる。トラーキアでアエネアダエ (Aeneadae) と名付けた都の建設も、クレータ島でトロイアに因んでペルガムム (Pergamum) と名付けた都も、共に失敗に終わるが、トロイアの過去を「貪欲に」復活させようとしたことが腐敗 (tabum) をもたらしたのである。アエネーアースたちが築くべき町は過去のトロイアであってはならないからであろう。

 トラーキアとクレータ島という共に都建設に失敗することになる土地でのエピソードには、いくつか対応点がある。トラーキアでは「根を引き裂いた」(ruptis radicibus) (27) ことによって恐ろしい前兆が現れたのに対して、クレータ島では「天の一隅が破壊されて」(corrupto caeli tractu) (138)[4] 疫病という前兆が訪れる。トラーキアでは木から流れ出た黒い血が「腐敗 (tabo) で大地を汚染する」(29) が、この汚染を引き起こしたのはアエネーアースであった。クレータ島では「腐敗をもたらす (tabida) 悲惨な疫病が人間の体や木々や農作物を襲う」(137-139) のである。ポリュドールスの体を多くの槍の「作物」(seges) (46) が覆うが、一方、クレータ島では病んだ「作物」(seges) (142) は食物を与えることを拒む。アエネーアースはポリュドールスを引き裂いて彼をいっそう「不幸」(miserum) (41) にしたが、クレータ島では天からの疫病がアエネーアースたちに「不幸をもたらす」(miseranda) (138)。この疫病はアエネーアースの、過去を復活させようとした「貪欲」(auidus) (132) が引き起こした「(けが)れ」や「腐敗」に対する「神の怒り」であり、また誤った土地に都を建設しようとしたことに対する警告でもあるだろう。

疫病と飢饉という不幸に見舞われて、どこに進むべきか思案に暮れていたトロイア人たちに、トロイアの守り神たちが伝えるアポロの神託は「喜び」(ouantes) (189) を与えることになる。守り神たちは、アポロがクレータ島に住めとは命じなかったこと、また彼らはイタリアに行くべきであることを伝え、自分たちがアエネーアースの子孫を星々へと引き上げ、その都に世界の支配を与えるだろうと語る。アエネーアースからこのことを聞かされたアンキーセースは、自分の判断が誤っていたことに気付き、誰からも信じてもらえなかったカッサンドラが、イタリアがトロイア人の定めの場所だとしばしば予言していたことを思い出す。この時点で、アエネーアースたちには、自分たちの行くべき場所、運命によって定められた目的地が明らかになり、光明が射すかに見える。

 しかし、クレータ島から船出したアエネーアースたちを嵐が襲い、彼らは海上を三日三晩さまようことになる。暗い雨雲が夜と嵐をもたらし、波は暗黒で翻り、彼らは「盲目的な(何も見えない)波の中をさまよい」(caecis erramus in undis) (200)、「心もとない三日間の昼を盲目的な闇の中で大海の上をさまよう」(tris...incertos caeca caligine soles/ erramus pelago) (203-204) のである。ここではcaecus(盲目の、真っ暗な)という語とerrare(さまよう)という語がそれぞれ二度用いられて、「盲目状態でさまよう」有様が強調されている。「パリヌールスでさえ大空に昼と夜の見分けが付かず、波浪の真っただ中で針路が分からない」(201-202) と叙述されているが、この船頭パリヌールスの経験する闇は、そのままアエネーアースの精神的闇、精神的盲目性を象徴している。

 

 嵐に翻弄された末、アエネーアースたちは女面で鳥の翼とかぎ爪を持った怪鳥ハルピュイアの棲むストロパデス諸島にたどり着く。牛と山羊を捕らえて食事をしている所へハルピュイアたちが飛んできて食物を汚す。場所を変えて再び食事をしていると、再び飛んで来て食物を汚す。そこで彼らはハルピュイアに戦争をしかけるが、ハルピュイアの長ケラエノーは、アエネーアースたちはイタリアへは着けるであろうが、飢えと、自分たちを殺害しようとした罪が彼らに食卓をかじらせるだろう、という恐ろしい予言を残し、トロイア人たちを恐怖の中に陥れる。

 ハルピュイア(αρπυια) は語源的には αρπαζειν(ひっつかむ)と関連のある語で、「ひっつかむ者、略奪者」を意味する。しかしストロパデスで牛と山羊を略奪しようとするのはアエネーアースたちの方である。この「略奪」を暗示しているのは「番人がいないので」(nullo custode) (221) という語句で、わざわざこの語句が挿入されたことにより、牛と山羊は野生のものではなく、家畜であることが明らかになる。ポリュドールスのエピソードでは、知りたいという欲求、すなわち知的貪欲 (fames) によって、アエネーアースはポリュドールスの体の一部分である木を「ひっつかみ」、大地を汚したのであったが、ここではアエネーアースたちは飢え、すなわち肉体的貪欲 (fames) によって番人がいないのをいいことに、家畜を「略奪」しようとする。ハルピュイアたちは顔が「飢え」(fame) (218) でいつも青ざめている略奪者で、アエネーアースたちの食べ物を奪うが、その食べ物は実は彼らがハルピュイアから奪ったものである。略奪者となっているのはまずアエネーアースたちの方なのである。パットナム  (Putnam) 「ハルピュイアは人間の中のmonsterを外面化したものであり、われわれに略奪行為を行わせる略奪者を具象化したものである」[5] と、鋭い指摘を行っている。

ハルピュイアの「腹の排泄物はきわめて汚らわしく(foedissima)(216-217)、彼らは「忌まわしい接触によってすべてを汚す(foedant)(227-228) が、そのハルピュイアをアエネーアースたちは家畜を奪ったとき用いたのと同じ「武器」(ferro) (222) を用いて汚そうとする。テキストでは「汚らわしい海鳥を武器で汚そうとした」(obscenas pelagi ferro foedare uolucris) (241) と語られている。(けが)れをもたらす怪鳥を汚そうとするアエネーアースの行為は、ケラエノー (Celaeno) の口から恐ろしい予言を引き出すことになる。「飢えた」(fame) (218) ハルピュイアから飢え――貪欲――故に家畜を殺して奪い、また「罪のないハルピュイア」(Harpyias insontis) (249) をその祖国から追い出そうとした罰として、「恐ろしい飢え」(dira fames) (256) に襲われ、「食卓」(mensas) (257) をかじることになるというのである。ストロパデスにかつて住んでいたピーネーウス王は「恐怖ゆえに以前の食卓 (mensas) を見捨てた」(215) のであり、アエネーアースたちはハルピュイアに食物を汚されたあと、再び場所を移して「食卓」(mensas) (231) を調える。「食卓」は飢えを癒す食物を盛るもので、アエネーアースたちが築こうとしている都、すなわち文明にとって欠くことのできないものであって、それをかじるのは文明の失敗をも暗示する。

 ウェルギリウスはハルピュイアをただの怪鳥としてではなく、神の復讐の使者としての「復讐の女神」として描いている。ハルピュイアの長ケラエノーは自らを「復讐の女神の長」(Furiarum...maxima) と名乗っている。 Lesley Adkins & Roy A. Adkins編のDictionary of Roman Religion (p.90) Furies (in Latin, Furiae or Dirae) を次のように説明している。

 

These were female spirits, appointed to carry out the vengeance of the gods upon humans, punishing the guilty on earth as well as in the underworld.

 

つまり、ケラエノーは地上の罪あるものを罰する神の使者というわけである。またハルピュイアは剣で切られても「羽根に打撃を受けず、背中も傷を受けない」(242-243) 超自然的存在である。「汚らわしい鳥」(obscenas...uolucris, 241; obscenaeque uolucres, 262) と呼ばれている彼らは、同時に「不吉な」(obscenus=ill-omened) 鳥でもある。「不吉な予言者」(infelix vates) (246) であるケラエノーは、ユッピテルがアポロに語り更にアポロが自分に語ったという不吉な予言を語る。彼女はアエネーアースたちに彼らの運命、すなわち神の意志を伝える仲介者であるが、それはこの場合彼らの罪に対する罰という暗い(Celaeno=χελαινος暗い)内容になっている。ケラエノーによって神の意志が部分的に開示されたのである。

 

 以上のように、ハルピュイアはアエネーアースたち人間に潜在する「貪欲(飢え、渇望)」(fames) という罪の傾向を外在化したものであり、同時にそれに対する罰としての「神々の怒り」(ira deum) (215) を表している。アエネーアースの飢えという形の貪欲が描かれるこのハルピュイアのエピソードと、アエネーアースの知的貪欲が描かれているポリュドールスのエピソードとの間にはいくつかの類似点があり、両者は対比的手法で描かれている。木が血を流すという異変はmonstrum (26, 59) と呼ばれていたが、自らがmonstrum (214) であるハルピュイアは「神の意志を示して警告するもの」としての機能を持っている。両方のエピソードは共に「貪欲」や「汚れ」という共通点を持つ。また表現の面でも次のようにいくつかの対応点が見られる。

 アエネーアースはトラーキアで「湾曲した岸」(litore curuo) (16) に都を建設しようとし、同様に、ストロバデスでは「湾曲した岸」(litore curuo) (223) で宴を張る。彼はトラーキアで、「祭壇」(aras) (25) を葉の茂る枝で覆って飾るためにギンバイカを「もぎ取ろうとする」(conuellere) (24, 31) が、ストロパデスでは「祭壇」(aris) (231) に火をともして食事をしようとすると、突如として飛んで来たハルピュイアが食べ物を「もぎ取る」(diripiunt) (227)。トラーキアでアエネーアースは地面から木をもぎ取って「大地を腐敗で汚した (maculant)(29) が、一方、ストロパデスではハルピュイアが汚い接触ですべてを「(けが)し」(foedant) (227) 「食物を口で汚す(polluit)(236)。そのハルピュイアをアエネーアースたちは「剣で汚そう(foedare)(241) とする。トラーキアでは「いとも悲しげなうめき声が小山から聞こえ、声 (uox) が耳に運ばれて来て」(40) アエネーアースを驚愕させるが、ストロパデスではケラエノーは「胸から声 (uocem) を発して」(246) アエネーアースたちを恐怖に陥れる。更に木から血が滴ったときのアエネーアースと、ケラエノーの予言を聞いたときのアエネーアースたちの恐怖を表す表現は、次のように酷似している。

 

gelidusque coit formidine sanguis    (30)

恐怖のため冷たい血が凍る

sociis subita gelidus formidine sanguis

deriguit               (259-260)

仲間は突然の恐怖のため血が凍った

 

ポリュドールスはアエネーアースに、「残忍な土地から逃れよ (fuge)、貪欲な岸から逃れよ (fuge)(44) と警告し、一方、ケラエノーの予言を聞いたあと、アエネーアースたちは「泡立つ波の上を逃れる (fugimus)(268) のである。これら二つのエピソードには、アエネーアースの自分では自覚しない罪が現れている。奥に隠された原因を是が非でも知ろうと、血を流す木を何度も繰り返して乱暴に引き裂こうとするアエネーアースは、「貪欲」 (fames) の化身ハルピュイアに近く、ハルピュイアの家畜を襲って略奪するアエネーアースたちは、自らが「略奪者」すなわちハルピュイア(αρπυια)に他ならない。これらの傾向は人間に潜在する悪であって、これら人間の飢え・渇望・貪欲など――すなわちfames――をハルピュイアが具現化している。また、アエネーアースたちがハルピュイアに対して仕掛ける戦いは「戦争」(bellum) (235, 247, 248) という語で呼ばれ、しかもこの語は3回繰り返して用いられて強調されている。これはトロイアを襲ったギリシア軍のようにトロイア人たちが今振る舞おうとしていることへのパロディーであろう。これらの二つのエピソードでは、共にmonstrum――すなわち「神々の警告」――が現れることによって、両者の関連がより明確に浮き彫りにされている。これはウェルギリウスの対比的手法と言えるであろう。

 

 ブートロートゥム (Buthrotum) の町ではアエネーアースは(うわさ)を耳にする。プリアムス王の息子ヘレヌスが、かつてピュルルス (Pyrrhus)(別名ネオプトレムス)が支配していたこの地を支配し、そしてかつてはヘクトル (Hector) の妻であり、その後ピュルルスの妻となっていたアンドロマケー (Andromache) が、今ではヘレヌスの妻となっているのだという。アエネーアースは町の前の木立の中で墓参りをしているアンドロマケーに出会う。彼女はアエネーアースを見ると驚きのあまり気を失うが、意識を回復してから, ピュルルスが自分を同じ奴隷のヘレヌスに渡し、ヘルミオネー (Hermione) を求めて結婚し、彼は花嫁を奪われたオレステース (Orestes) によって殺されたこと、またピュルルスの死後、領土の一部分がヘレヌスのものとなったことなどを語る。しばらくの滞在の後、アエネーアースはヘレヌスから予言を聞いたあと、この町を去る。

この町の著しい特徴は、ここがトロイアの小型板であり、偽のトロイアだということである。ヘレヌスは自分の兄弟カーオーン (Chaon) の名に因んで、この平野をカーオーンと呼び、全土をカーオニアと名付け、ペルガマという名のイーリウム城塞をも築いている。トロイアに模ったスカエア門もあり、クサントゥスという小川もあるが、その水は涸れている。アンドロマケーが墓参をしている墓の近くにはシモエンティス川が流れているが、それは「偽りのシモエンティス」(falsi Simoentis) (302) と呼ばれている。様々なものにはトロイアに因んだ名が付けられているが、すべては偽物であり、ここはいわば玩具のトロイア (cf. paruam Troiam, 349) なのである。ヘクトルの墓でさえ「空虚な」(inanem) (304) ものであって、納骨されてはいないという点で本物の墓ではない。この「空虚な墓」はこのヘレヌスの町全体を象徴している。ここには実際のトロイアはなく、あるのはただ過去のトロイアの形骸だからである。

 ここで墓という語にはtumulus (304) が用いられているが、この語はポリュドールスのエピソードでも用いられていた。そこには確かにポリュドールスが埋められてはいたが、葬儀を行って埋葬されていたわけではない点で、このtumulus (22, 63) はいまだ「墓」ではなく「小山」であった。アエネーアースたちがその上に更に土を盛り、葬儀を行って「魂を墓に鎮めた」(animamque sepulcro/ condimus) (67-68) とき、はじめて本当の墓となった。同様に‘Hectoreum...tumulum’ (304) もヘクトルの本当の墓ではない。

ブートロートゥムのエピソードとトラーキアのエピソードの繋がりは、obstipuiという語によっても示されている。この語は第三巻ではこの二箇所にのみ表れる。木となっているポリュドールスが語るのを聞いたとき、アエネーアースは「呆然とした」(obstipui) (48) のであるが、ヘレヌスがギリシアの町を支配しアンドロマケーを妻としていることを聞いたときも「呆然とした」(obstipui) (298) のであった。前者では「奥に隠れたわけを探ろうとした」(32) が、後者では「それほどの事情を知りたいと思う」(299) のである。前者ではmonstrum (26) を見るのはアエネーアースであるが、後者ではmonstris (307) に驚いて気を失うのはアンドロマケーの方である。このmonstrisは、過去と思っていたものが亡霊のように目の前に現れたことへの驚きを指すのであろう。彼女はアエネーアースに「あなたは生きているのですか」(uiuisne?) (311) ()いている。しかし実際、過去の中に存続しているのは、アンドロマケーとヘレヌスの方なのである。このことは特にアンドロマケーに端的に見られる。彼女には現在ヘレヌスという夫がいても、自分はあくまでも「ヘクトルの妻」(488) であり、ピュルルスの子供を生んではいても、彼女にとってはヘクトルとの間に生まれたアステュアナクス (Astyanax)――トロイアの城壁からギリシア軍に投げ落とされて死んだアステュアナクス――しか子供はいない。彼女は死せる過去に生きているのである。

現在に生きることを拒み、過去にのみ生きようとするアンドロマケーの倒錯した世界は、アエネーアースにとって大きな誘惑となる。アンドロマケーは「ああ、トロイアの高い城壁の下で敵の墓にて死ぬことを命じられたプリアムスの娘こそ幸せなるかな、籖引きの恥に耐えることもなく、捕らわれの身となって、勝ち誇る主人の寝床に触れることもなかった」(321-324) と嘆くが、このことばは、第一巻でのアエネーアースの「ああ、我が身にくらべて三倍も四倍も幸せだった、トロイアの高い城壁の下で祖父たちの眼前にて死ぬ運命を受けた人々は」(1. 94-96) ということばに反映されている。彼はなつかしさのあまりトロイアの城門と同じ名の付いた「スカエアの門をかき抱く」(351) のであり、別れのことばにも後ろ髪を引かれる思いがにじみでている。

 

    uiuite felices, quibus est fortuna peracta

        iam sua: nos alia ex aliis in fata uocamur.

        uobis parta quies: nullum maris aequor arandum,

        arua neque Ausoniae semper cedentia retro

        quaerenda.  effigiem Xanthi Troiamque uidetis

        quam uestrae fecere manus,...              (493-498)

 

    さらば、幸せに暮らして下さい。あなた方の運命はすでに定まった。

    我らは一つの運命から他の運命へと呼ばれる。

    あなた方は安息を得て、大海の面を走る必要もなく、

    たえず退くイタリアの野を尋ねる必要もない。

    あなた方はクサントゥスの似姿と、自分たちの手で築いた

    トロイアを見る。

 

 しかし、いかに心引かれようと、このブートロートゥムはアエネーアースたちの留まるべき場所ではない。トラーキアに建国しようとしたのが間違いであり、クレータ島に建国することもユッピテルが許さなかったように、この小トロイアはアエネーアースたちの国となることはできない。トラーキアで造ろうとした国をアエネアダエと名付けたのが不吉な前兆であり、クレータ島で国をペルガムムと命名したことが腐敗を引き起こし (tabida, 137; corrupto caeli tractu, 138)、疫病と飢饉に襲われることになったように、トロイアの過去を引きずった名称はすべて不吉なものとなる。同様に、あらゆるものにトロイアに因んだ名が付き、過去のトロイアを再現しようとしたブートロートゥムは、いかに大きな誘惑であっても、アエネーアースが、「汚れ」であるがごとく拒否しなければならないものなのである。

 

 ケラエノーの予言した神の「怒り」(iras) (366) と「飢え(飢饉)」(famem) (367) を心配して尋ねるアエネーアースに、ヘレヌスは彼をアポロの神殿へ連れて行ってから、予言を語る。このヘレヌスの予言は、「運命の女神が残りを知ることを許さず、ユーノー (Iuno) がすべてを話すことを禁じる」とは言いながらも、予言としてはかなり詳しい具体的な内容となっている。アエネーアースたちの旅はユッピテルが定めた運命であること (sic fata deum rex/ sortitur) (375-376)、建国すべき場所は川辺のカシの木の下で30匹の子豚を生み落とした白豚が横たわっている所であり、また食卓をかじるという予言については心配する必要がないことを、教える。イタリアへの行き方についても具体的指示を与える。目的の地はイタリアのこちら側ではなく、遠いこと、イタリアのこちら側の岸はギリシア人が住んでいるので避けること、かつて陸続きであったイタリアとシキリアが裂けた場所の両側にいるスキュラとカリュブディスを避け、遠回りでもシキリアを回って迂回すべきこと、また何よりもユーノーに祈願し、ユーノーの力を得るようにすべきこと、イタリアではクーマエの巫女シビュラ (Sibylla) から更なる予言を求めるべきこと、また宗教的儀式についての指示などが語られる。

 この目的地やそこに行き着くための道順についての具体的な予言は、アエネーアースたちに明確な指針を与える。ポリュドールスのmonstrum、デーロス島でのアポロの神託、クレータ島での守り神 (penates) のお告げ、更にはケラエノーの予言というように、彼らの運命 (fatum) は徐々に開示されてはきたが、部分的であったり、曖昧であったりしたため、彼らは解釈を誤り、さまよって来たのであった。いわば闇の中を無知な盲目的状態で航海していた。ヘレヌスの予言はこの彼らに「知」を与えることになる。

 アエネーアースが自分たちの運命を知る状態の変化は、彼の船頭パリヌールス (Palinurus) によっても暗示されている。クレータ島を出てから遭遇した嵐の中では「空に昼も夜も見分けることができなかった」(201) パリヌールスであったが、ブートロートゥムを去った今は、「空にすべてが完全に澄むのを見て、船尾から澄んだ大きな音の合図を与える」(518-519)。このパリヌールスの与える「合図」(signum) は、ヘレヌスが「心に刻んで忘れるなかれ」と言って与えた、都を築くべき場所を示す印となる「合図」(signa) (388) に呼応するであろう。また、アンキーセースは神託の解釈を誤るなど、神との間のあまり頼りにならない仲介者であったが、低く横たわるイタリアの姿をはじめて見たとき、彼が「高い船尾に立ち神々に呼びかけて」(526-527)、順風を祈ると、「望んだとおりに風が吹きつのる」(530) というように、その指導者としての力を発揮するようになる。また、最初に上陸したイタリアのカストルム・ミネルウァエでは、アンキーセースは四頭の白馬を見てこの地における戦争を予言し、それからパラス (=ミネルワ) に祈り、更にヘレヌスのことばに従ってプリュギアの衣で頭を覆ってからユーノーに祈る。遠くにアエトナ山が見える所で海鳴りと、岩礁に打ちつける音を聞いたとき、アンキーセースはこれがヘレヌスの示したカリュブディスと岩礁(スキュラ)だと言って、逃げるように命じ、リーダーとしての正しい判断を示す。このようにヘレヌスの予言を聞いたことによって、アエネーアースたちは自分たちの運命についての理解が深まり、無知から知へ、盲目の闇から眼の見える光へと移行したことがうかがわれる。

 

 シキリアのアエトナ山の近くに上陸したアエネーアースたちは、火山の轟音を恐れながら真っ暗な一夜を過ごす。翌朝、森の中から衰弱し、(よご)れ果てた男が出て来て嘆願するので、彼らは受け入れてやる。名前をアカエメニデース (Achaemenides) と言い、ウリクセースの従者のギリシア人で、一つ目巨人キュクロープス (Cyclops) の洞窟内に居たとき仲間にとり残されたのだと言う。仲間の何人かがキュクロープスに食われてしまったが、ウリクセースたちは槍でこのポリュペームス (Polyphemus) という名のキュクロープスの目を突いて、敵討(かたきう)ちをした。アカエメニデースは獣の巣穴に住み、木の実や草の根で食いつないできたのだと言う。彼が話し終わるか終えないうちに、盲目のポリュペームスが、羊を連れて、松の棒で道を確かめながら海岸へ向かって来る。海に入ると、失明した眼窩から滴る血を水で洗い流す。アエネーアースたちは逃げだす。音に気付いたポリュペームスは、手で捕まえることができないのを知ると大声をあげ、森や山から他のキュクロープスたちが出て来るが、アエネーアースたちは船で逃げる。

 キュクロープスたちは「アエトナ山の兄弟たち」(Aetnaeos fratres) (678) と呼ばれており、この一つ目の巨人たちとアエトナ山との同一性が随所で暗示されている。その高さに関して、アエトナ山から打ち上げられた炎の球が「星々を舐める」(sidera lambit) (574) と叙述されているが、一方、キュクロープスは、その背丈で「高い星々を打つ」(altaque pulsat/ sidera) (619) のである。エンケラドゥス (Enceladus) の体をアエトナ山の「巨塊」(mole) (579) が押さえ付けているが、一方、ポリュペームスはその「巨塊」(uasta...mole) (656) の体を動かしつつ歩く。アエトナ山は[巨大な」(ingentem) (579) と形容され、同様にポリュペームスも「巨大な」(ingens) (658) と形容されている。ポリュペームスが人間の「内臓」(uisceribus) (622) を食いものにし、「血糊と、血やぶどう酒のまじった肉片とを吐き出す (eructans)(632) ように、アエトナ山も「岩と山の引きちぎられた内臓 (uiscera) を上に吐き出す (eructans)(575-576) のである。ここでeructareという‘vomit’ を意味する語が使用されていることからも、アエトナ山がある程度擬人化されていることがうかがえる。ポリュペームスは眼窩から血を洗い流すとき、歯ぎしりして「うめき声」(gemitu) (664) を出すが、アエトナ山も溶岩を吹き上げるとき、やはり「うめき声」(gemitu) (577) を出す。このgemitusという語も元来人間に関して用いられる語である。ポリュペームスが大声をあげると「海とすべての波が打ち震えた (contremuere)(672-673) が、アエトナ山の場合も、中に埋められているエンケラドゥスが寝返りを打つたびに全シキリアが「打ち震える」(intremere) (581) のである。ポリュペームスは「恐ろしい怪物」(monstrum horrendum) (658) であるが、アエトナ山もその唸りと震えでアエネーアースたちに「底知れぬ恐怖」(immania monstra) (583) を与える。ポリュペームスが人肉を食するmonstrumなら、アエトナ山もその腹の中にエンケラドゥスを入れているmonstrumなのである。食人鬼とも言うべきポリュペームスは、「飢え」、「貪欲」という人間に潜在する悪の究極の姿を表したものと言える。

 

第三巻の最初のエピソードであるポリュドールスの話もやはり「貪欲」を中心としたものであった。ポリュドールスはアエネーアースに「この貪欲な (auarum) 岸から逃げよ」(44) と言う。トラーキア王は黄金欲しさにすべての友誼と信頼を裏切り、人の道に背いてポリュドールスを殺害したのであった。アエネーアースは、

 

     quid non mortalia pectora cogis,

auri sacra fames!                         (56-57)

黄金への呪われた渇望よ、汝、何にか人の心をかり立てないことがあろうか。

 

と慨嘆するが、このfamesすなわち「飢え」「渇望」「貪欲」は、単にトラーキア王の罪であるだけではなく、すべての人間に普遍的に潜在するものなのである。そのことはこのアエネーアースの慨嘆の‘mortalia pectora(人の心)という一般的な言い方と格言的な修辞疑問文がよく示している。この「貪欲」は単に黄金に対するだけのものではなく、精神的な知りたいという「渇望」、つまり「知的貪欲」をも含み、すでに血を流している木を、原因を知らんがために、更に激しく傷つけようとするアエネーアース自身にも見られた。

 ポリュドールスのエピソードで始まった第三巻は、実質的にはポリュペームスのエピソードで終わる。これら両者のエピソードは共に「貪欲」(fames) をその主題にしている。第三巻はこれらのエピソードで囲まれた「円環構成」(ring composition) を成していることが分かり、第三巻全体の一つの主題が、実は「貪欲」であることが明らかになる。ハルピュイアについては、すでに、この語が語源的に「ひっつかむ者」を意味し、食物を略奪しようとする「貪欲」を表していることを見た。またそこでは、番人がいないのをいいことに牛や山羊を()り、食べるという「貪欲」を最初に示したのはアエネーアースたちの方であった。カリュブディスも何でも飲み込む「飽くことを知らない貪欲な」(implacata) (420) 渦潮であり、スキュラは海の洞窟の中に隠れ、「口を外へ突き出しては船を岩礁に引きずり込む」(425) 海の女怪であって、これらもまた共に「貪欲」を表していると考えられる。

 第三巻はポリュドールスのエピソードとポリュペームスのエピソードが両端にあり、中心部にはヘレヌスの予言が置かれ、そのヘレヌスの予言を挟むような形で前後にハルピュイアのエピソードとスキュラ・カリュブディスの話が対称的に配されている。またハルピュイアの長ケラエノーとスキュラ・カリュブディスは、ヘレヌスの話の中でも言及されているという共通点を持っている。図式的に示すと次のようになる。

 

ポリュドールスのエピソード (貪欲のテーマ; トラーキア王の貪欲, アエネーアースの知的貪欲; 共に汚れをもたらす)

テキスト ボックス: 円 環 構 成ハルピュイアのエピソード(ハルピュイアは貪欲を表す; アエネーアースたちの貪欲; 飢え(飢饉)の呪い)

      (ヘレヌスの予言)

スキュラ・カリュブディス(スキュラ・カリュブディスは貪欲を表す; ヘレヌスの忠告に従ってこれらから逃れる)

ポリュペームス(アエトナ山)のエピソード(貪欲のテーマ; ポリュペームスは貪欲を表す;赦しという行為がもたらす贖罪によって救われる)

 

 

アエネーアースの放浪の航海伝説はウェルギリウスよりも何世紀も前から存在していたが、ポリュドールス、ハルピュイア、スキュラ・カリュブディス、キュクロープスなどのエピソードは、すべてウェルギリウスが付け加えたものである。ポリュドールスの話はウェルギリウスが考え出したもので、他のエピソードはホメーロスやアポロニウスから採られた神話である。この四つのエピソードはおおむね神話的なものであって、すべて超自然的な内容であるのを特徴としている。アエネーアースたちの運命、すなわち神の意志の開示という点からすれば、重要なのはデーロス島、クレータ島およびヘレヌスの予言であって、神話的な四つのエピソードの方は脱線的な、どうでもよい挿入的話のようにも見える。しかし、アンドロマケー・ヘレヌスのエピソードを別にすれば、ウェルギリウスが最も力を込めて描いているのはこれら四つの恐ろしい超自然的エピソードの方なのである。第三巻を『アエネーイス』という叙事詩全体の一部分として見た場合、第三巻の主題はアエネーアースたちの「運命の開示」ということになるが、第三巻だけを取って見た場合、ウェルギリウスが描こうとしているのは「貪欲」という人間的悪であることが分かる。したがって第三巻は「運命の開示」と「貪欲」という二つの主題が織り合わされた作品であるとも言える。

 

 さて、ポリュペームスのエピソードと最初のポリュドールスのエピソードとの間には表現上いくつかの対応点がある。それらを見てみたい。これら両者で特徴的なのは「黒い血」のイメージである。ポリュペームスは哀れな人間の内臓と「黒い血」(sanguine...atro) (622) を食べ、「黒い血糊」(atro...tabo) (626) の滴る人間の手足にかじりつくが、一方、アエネーアースはギンバイカの木を引き抜こうとして、木から「黒い血」(atro...sanguine) (28) (しずく)(したた)らせ、大地を「血糊」(tabo) (29) (けが)し、更に自分の「血が恐怖で凍る」(30) にもかかわらず、知りたいという渇望、つまり知的貪欲に動かされて、別の枝を引き抜き、再び「黒い血」(ater...sanguis) (33) を流させる。ポリュペームスの場合、人間の「手足にかじりつき」(626-627)、「歯の下で温かい手足が震えた」(627) という叙述から、人間の手足が引き裂かれていくことがうかがえるが、アエネーアースもまたポリュドールスの手足である枝を「引き裂く」(guid miserum, Aenea, laceras?) (41) のである。このことからも、人肉を食うポリュペームスがアエネーアースの「貪欲」の罪を体現したmonstrumであることが分かる。

ギリシア人たちは「鋭い槍」(telo...acuto) (635) でポリュペームスの大きな唯一の目を射し貫くが、ポリュドールスの場合、「槍」(telorum) (46) が彼の体を射し貫き、そこから「鋭い」(acutis) (46) 槍の穂が生える。ポリュドールスはすでに「埋められている」(sepulto) (41) が、ポリュペームスはぶどう酒に「埋まって(酔って)」(sepultus) (630) 寝ているときにウリクセースたちに襲われる。アカエメニデースはキュクロープスたちの足音と「声」(uocem) (648) を聞き、恐ろしさのあまり震えたのであったが、アエネーアースはポリュドールスの木から「声」(uox) (40) が耳に聞こえてきたとき驚愕し、「声が喉に詰まって出ない」(uox faucibus haesit) (48) のであった。「声」はハルピュイアのエピソードでも恐怖を与えるものであって、「鼻を突く悪臭に恐ろしい声 (uox) が入り混じる」(228) と叙述されている。

 仲間が洞窟の「残忍な」(crudelia) (616) 戸口から去ってしまい、置き去りにされたアカエメニデースは、アエネーアースたちに、

 

    sed fugite, o miseri, fugite atque ab litore funem rumpite. (639-640)

       だが逃げよ、哀れな方々よ、逃げよ、そして岸から綱を絶ち切るのだ。

 

と言うが、一方、ポリュドールスはアエネーアースに、

 

    heu fuge crudelis terras, fuge litus auarum:  (44)

       ああ残忍な土地から逃げよ、貪欲な岸から逃げよ。

 

と言う。これらの二つの文は、共にfugere(逃げる)の命令形が2回用いられ、litus(岸)という語が見られる点で類似している。また、これらの岸は共に「湾曲した岸」である点も共通している。キュクロープスたちは「この湾曲した岸に住んでいる」(curua haec habitant ad litora uulgo) (643) と述べられ、一方、アエネーアースがトラーキアで城市を建設しようとしたのも「湾曲した岸」(litore curuo) (16) においてであった。また、ハルピュイアが現れるのも「湾曲した岸」においてである。アエネーアースたちが「湾曲した岸」(litore curuo) (223) で宴を張って食事をしていると、ハルピュイアたちが現れて食物を汚す。彼女たちが舞い降りて来て「湾曲した岸」(curua...litora) (238-239) で叫び声を発し、これらの恐ろしい一族との「戦争」が始まる。これらハルピュイアの居るストロパデスや、トラーキア、それにキュクロープスの棲むアエトナ山などに見られる「湾曲した岸」は、「邪悪な」(curuus=OLD 4. Turning from the right course, wrong)、そして不吉で恐ろしい場所であるという共通点を持っている。

トラーキアでアエネーアースは horrendum…monstrum’ (i.e. horrendum et dictu uideo mirabile monstrum) (26) を見たのであったが、キュクロープスの棲む岸では、轟音と地響きの恐怖という immania monstra (583) を経験したあと、残忍さと貪欲の罪そのものと言うべき ‘monstrum horrendumをポリュペームスの中に見るのである。

 

    monstrum horrendum, informe, ingens cui lumen ademptum. (658)

    恐ろしく、醜悪で、巨大な怪物で、目(光)を奪われている。

 

知的貪欲にかられてポリュドールスに残忍に血を流させたアエネーアースは、いわば盲目の闇の状態にあったが、ポリュペームスも、この引用文に見られるように盲目である。貪欲は人を盲目にさせるものなのである。引用文中のlumen は「目」であると同時に「光」を意味する。アカエメニデースはトロイア人たちに、「神々にかけて、生命を生かすこの天の光にかけて」(per superos atque hoc caeli spirabile lumen) (600) 嘆願するが、この場合lumenは「太陽」、「(地下世界に対して)この地上世界の光」、「生命」であるだけではなく、アエネーアースに(けが)れからの清めを与える「光明」でもある。トロイアを攻撃した敵であるアカエメニデースを赦し、受け入れることによって、アエネーアースたちはこの「光明」を得、盲目のポリュペームスの、人肉を食らうという「貪欲」で(けが)れた手 (dextra) (670) から、逃れることができるのである。

 

以上のように、第三巻の円環構成の最初と最後を飾るポリュドールスのエピソードとポリュペームスのエピソードとの間には、「貪欲」、「引き裂く」、「黒い血」、「鋭い槍」、「埋められている=酔っている (sepultus)」、「恐怖を与える声」、「残忍 (crudelis)」、「逃げる」、「湾曲した岸」、「monstrum horrendum」などが両者に見られるという共通点がある。またハルピュイアのエピソードとスキュラ・カリュブディスも、共に「貪欲」(fames) を表し、同じ主題を扱っている点で一貫していることはすでに見たが、第三巻の中程に位置するこれら二つのエピソードは、第三巻の両端に位置するポリュドールスやポリュペームスのエピソードとの間に、その他の点でもいくつかの対応点を持っている。

まず「うめき声」がいくつかのエピソードに共通して表れる。小山の下からポリュドールスのいとも悲しげな「うめき声」(gemitus) (39) が聞こえ、アエネーアースたちはカリュブディスの「巨大なうめき声」(gemitum ingentem) (555) を聞き、アエトナ山は「うめき声」(gemitu) (577) をあげながら溶岩を吹き上げる。また、ポリュペームスは歯ぎしりし、「うめき声」(gemitu) (664) をあげて眼窩の血を洗い流す。このようにポリュドールス、カリュブディス、アエトナ山、ポリュペームスの四者は、すべて「うめき声」(gemitus) を発する点で共通している。

 スキュラとポリュペームスとは両者が共に「洞窟」(antrum) (431; 617, 624, 631, 641) の中に棲む怪物であるという共通点を持っている。ポリュペームスが洞窟の中央に仰向けになったまま人間の体を「岩」(saxum) (625) に打ちつけてから、食べるとすれば、スキュラは、洞窟の「暗い(盲目の)隠れ家」(caecis...latebris) (424) に籠もりながら、口を外へ突き出して船を「岩」(saxa) (425) に引きずり込む。一方、ポリュペームスの目は恐ろしい額の下にただ一つ「隠れていた」(latebat) (636)。ポリュペームスはアエネーアースたちを捕らえることができないのを知ると大きな「叫び声」(clamorem) (672) をあげるが、スキュラの場合も、岩礁が「叫び声」(clamorem) (566) をあげるのである。また、ハルピュイアたちとスキュラは、共に「暗い(盲目の)隠れ家」(caecis...latebris) (232; 424) に棲む点で共通している。

 このように、ポリュドールス、ハルピュイア、スキュラ・カリュブディス、(アエトナ山を含む)キュクロープスという四つのエピソードは、共通の語句や類似表現が用いられていることによって、互いの繋がりが示されている。これらのエピソードは「貪欲」という一つの一貫したテーマを展開しているのである。

 

 さて、ここでアカエメニデースについて少し見てみよう。まず顕著なことは、彼が第二巻で木馬に関してトロイア人たちを欺き、トロイアを滅亡に導くきっかけを作ったギリシア人スパイのシノーン (Sinon) を彷彿させる点である。シノーンもアカエメニデースも共に哀れな姿でトロイア人たちの前に現れて、彼らに懇願する。シノーンは悲嘆に暮れて「生を引きずっていた」(uitam...trahebam) (2.92) のであったが、アカエメニデースも野生の獣の巣で「生を引きずっていた」(uitam...traho) (646-647)。彼らは二人とも父親が貧しかったが故に (pauper...pater, 2.87; genitorepaupere, 614-615) トロイアへの戦争に加わった。また両者は、トロイア人たちに自分を罰してくれてもかまわないと言う点も共通している (iamdudum sumite poenas, 2.103; spargite me in fluctus uastoque immergite ponto, 605)。このように自分たちを欺いて国の滅亡をもたらした憎い嘘つきシノーンを彷彿させるギリシア人であるにもかかわらず、アンキーセースはほんのわずか躊躇(ためら)ったのち、アカエメニデースに右手を与えて彼を受け入れてやる。

 これは敗者であるトロイア人と勝者であるギリシア人との立場の逆転を意味している。この第三巻で、これまでにも、アクティウム (Actium) でアエネーアースがアポロの神殿の入り口の柱に「勝利者ギリシア人からアエネーアースが奪った武具」(288) を奉納したり、ヘレヌスがギリシア人ピュルルスのものであった土地を手に入れて支配していることなどに、ギリシアとトロイアの逆転がある程度示されていた。ギリシア人アカエメニデースがトロイア人たちに懇願し、トロイア人たちが彼を受け入れるということには、ギリシアとトロイアとの逆転が示され、トロイア人たちの子孫がローマを建国し、ギリシアを領土の一部分として発展していくことが暗示されている。

 アエネーアースたちは、イタカ島のそばを通過したとき、「狂暴なウリクセース」(saeui...Vlixi) (273) を育んだ土地を呪ったのであった。彼らはこのイタカ島の出身者であり、「不運なウリクセースの従者」(comes infelicis Vlixi) (613) と名乗るアカエメニデースを赦すという寛大さを示す。そして後でアエネーアース自身がこのアカエメニデースのことばを繰り返して、「不運なウリクセースの従者、アカエメニデース」(Achaemenides, comes infelicis Vlixi) (691) という言い方をしている。彼はアカエメニデースを赦して受け入れただけではなく、憎いはずのウリクセースをも赦していることが、この「不運なウリクセース」という表現からうかがえる。祖国を失って放浪する自分が不運であるとすれば (nate, Iliacis exercite fatis) (182)、ウリクセースもまた別の立場で不運であるという認識が彼には生まれたのである。アエネーアースはトロイア人、ギリシア人という民族の違いを越えて、同じ人間として見る視点を獲得したのである。

 ギリシア人たちが一つ目巨人の怪物に「恐れをなして」(trepidi) (616) 逃げたように、トロイア人たちも同様に、「恐れをなして」(trepidi) (666) 逃げる。アカエメニデースが、仲間に「見捨てられた」(deseruere) (618) という不幸を経験したとすれば、アエネーアースも妻クレウーサに「見捨てられる」(deseruit) (2.791) という不幸を経験し、やがては父アンキーセースにも「見捨てられる」(deseris) (711) ことになる。自分の悪事の「不正」(iniuria) (604) がそれ程であれば、自分を引き裂いて、海に投げ込んでくれと言うアカエメニデースを寛大に赦すことによって、ケラエノーが殺害の「不正」(iniuria) (256) と呼んだアエネーアースたちの罪は、洗い清められる資格を得たと考えられる。

 

 黄金に目がくらみ、ポリュドールスを殺害することによって友誼の神聖が汚された (pollutum hospitium) (61) トラーキアの「(けが)された土地」(scelerata terra) (60) で、知りたいという「貪欲(渇望)」(fames) (57) によって、血を流すポリュドールスの体を更に暴力的に「引き裂いて」(laceras) (41)「大地を腐敗 (tabo) で汚し (maculant)(29)、自らの手を「汚した」(scelerare) (42) アエネーアースは、「貪欲に」(auidus) (132) 建国を始めたクレータ島の地で、天罰と言うべき「腐敗をもたらす疫病」(tabida...lues) (137-139) と飢饉に見舞われることになる。ストロパデスでは番人のいない牛と山羊を勝手に()って食べるが、アエネーアースたちの貪欲を体現したかのハルピュイアに食物を「(けが)される」(foedant, 227; polluit, 234) ことになる。アエネーアースたちの盗みが「(けが)れ」(uestigia foeda) (244) をもたらしたのである。「罪のないハルピュイアたち」(Harpyias insontis) (249) に戦争を仕掛けて、これらの「(きたな)く不吉な鳥たちを汚そうとした (foedare)(241) ことによって、アエネーアースたちは自分たちの上に更に「汚れ」をもたらし、「恐ろしい飢え」(dira fames) (256) という天罰についての予言をハルピュイアの長ケラエノーから聞かされることになる。また、人肉を食し、黒い血を流させるポリュペームスは、貪欲とその(けが)れを体現し、その罰を受けて盲目である。このように、トラーキア、クレータ島、ストロパデス、アエトナ山において、「貪欲」がもたらす「汚れ」のモチーフが一貫して見られるのである。

ヘレヌスの予言を聞いて「知」を得たあとのアエネーアースたちは、「貪欲」を表すスキュラとカリュブディスの怪物も避けることができる。「惨めな食べ物」(uictum infelicem) (649) で食いつないできて「やつれ果て」(macie) (590)、「飢え」そのものとも言うべき姿の敵アカエメニデースに慈悲を示すことによって、アエネーアースの「貪欲の(けが)れ」も洗い流される。ちょうどアカエメニデースの「汚れ=洗われていない状態」(inluuies) (593) (=OLD 1. The state of being unwashed, filthy condition, dirtiness) が彼の「罪」(sceleris iniuria) (604) と共に洗い流されるかのように。ポリュドールスに関した出来事がmonstrum (26) であり、またハルピュイアがただの「貪欲な」(きたな)い鳥ではなく、「神々の怒り」(ira deum) (215) であって「復讐の女神」(Furiarum) (252) でもあるというmonstrum (214) であったように、人肉を食するポリュペームスはもう一つの「貪欲」のmonstrum (658) なのである。この貪欲は「光」(lumen) (658) を奪われて盲目である。「貪欲の(けが)れ」を洗い流し、知という「光明」(lumen) (600) を得たアエネーアースたちは、アカエメニデースを連れて、このmonstrumからの脱出に成功するのである。

 第三巻は「黒い血」(27, 33) を流すポリュドールスのエピソードで始まり、人肉を食べて「黒い血」(626) を流すポリュペームスのエピソードで終わる。復讐という罰を受けて、眼を射し抜かれたポリュペームスは、贖罪であるかのごとく「うめき声」(gemitu) (664) を出しながら、その眼窩から流れ出る「血」(cruorem) (663) を海水で洗い流すが、それはアエネーアース自身がポリュドールスの木を引き裂いて流した「血」(cruor) (43) (けが)れ、すなわち彼の「貪欲の汚れ」が洗い流されるかの印象を与える。このように流れ出る血で始まり、洗い流される血で終わる第三巻は、円環構成 (ring composition) を成していると言えるのである。

 

以上見てきたように、第三巻では「運命の開示」という主題と並んで、「貪欲」がもう一つの重要な主題となっている。この「貪欲」の主題は、「運命の開示」という主題の観点からは重要性が低いと思われる四つの神話的エピソード――ポリュドールス、ハルピュイア、スキュラ・カリュブディス、キュクロープス――と、クレータ島のエピソードとにおいて展開されている。これら五つのエピソードはすべて、ウェルギリウスの時代にすでに存在していたアエネーアース伝説には無かったものである。ウェルギリウスの同時代人Dionysius of Halicarnassus は散文でアエネーアース伝説を書いている。ウェルギリウスが取り上げている主要なエピソードでDionysius に無いものは、クレータ島、ストロパデスのハルピュイア、スキュラとカリュブディス、アエトナ山のキュクロープスという四つのエピソードである。[6] またトラーキアでの滞在の記述はDionysius にもあることはあるが、ポリュドールスのエピソード自体は、すでに見たように、ウェルギリウスが考え出したものである。すなわち、「貪欲」の主題が展開されるという意味で重要なポリュドールス、クレータ島、ハルピュイア、スキュラ・カリュブディス、キュクロープスという五つのエピソードはすべて、もともとアエネーアース伝説には無かったのを、ウェルギリウスが挿入したものである。それは、これらの神話的エピソードが「貪欲」の主題を展開するのに適当であったからだと思われる。しかも、第三巻の中で特に力を入れて描いているのは、ポリュドールス、ハルピュイア、キュクロープスといった神話的エピソードである。つまりウェルギリウスは、伝統的なアエネーアース伝説を一応利用しつつも、自分が述べたい「貪欲」というテーマに関しては、そこにはもともとなかった五つのエピソードを投入し、そこでこの「貪欲」の主題を展開することによって、それまでの伝統的アエネーアース伝説とは全く異なる新しい、独創的な作品を作り上げたのである。

これら五つのエピソード間の繋がりは、対応する同一語句や類似表現を用いた対比的手法によって示され、一見何の繋がりもないかに見えるこれらのエピソードが、実は、第三巻全体に亘る「貪欲」という一つの大きなテーマで纏まっていることが明らかになる。最初のエピソードで示されたトラーキア王の「貪欲」(fames) は、実はアエネーアース自身にも潜む人間的悪であって、この「貪欲」が「(けが)れ」や「腐敗」をもたらし、更には盲目の「闇」をもたらすが、ヘレヌスの予言によって蒙を啓かれたあと、「赦し」という慈悲の行為によって「貪欲の汚れ」がいわば洗い清められて、「光明」に至る。この「貪欲」の主題の方こそが、ウェルギリウスが描きたかったテーマであり、また「貪欲」という観点から見た場合に、第三巻は深い作品としてのその姿を現すと思うのである。


 



 

 

『アエネーイス』のテキストはMynors編のOxford Classical Text (1969) を使用した。

 

[1] Otis, p.253.

[2] Paschalis, pp.111-116.

[3] これは、さまよっていた放浪の民とも言うべきトロイア人たちが、アポロの神託によってやがて定着し、新しい国を建国することを暗示している。

[4] この箇所は「汚染された天の一隅から」と解釈することも可能である。

[5] Putnam, p.54: ‘The Harpies externalize the monster within us.  They objectify grabbers who make us grab.’

[6] Williams, p.11.

 

 

 

 

 

主要参考文献

 

Adkins, Lesley & Roy A. Adkins, Dictionary of Roman Religion. New York: Facts On File, 1996.

Anderson, William S., The Art of the Aeneid. Bristol Classical Press, 1989. Prentice-Hall, 1969.

Ernout, A. et A. Meillet (ed.), Dictionnaire Etymologique de la Langue Latine. Paris: Libraire C. Klinsksieck, 1967.

Glare, P.G.W. (ed.), Oxford Latin Dictionary. Oxford: OUP, 1982. (OLD)

Fairclough, H. Rushton (ed.), Virgil in 2 vols. Harvard University Press, William Heinemann, 1916.

Harvey, Paul, The Oxford Companion to Classical Literature. Oxford: OUP, 1937.

Heinze, Richard, Virgil's Epic Technique (Translated by Hazel and David Harvey and Fred Robertson). Bristol Classical Press, 1993.

Mynors, R.A.B (ed.), P. Vergili Maronis Opera. Oxford: OUP, 1969. (Oxford Classical Text)

Otis, Brooks, Virgil: A Study in Civilized Poetry. University of Oklahoma Press, 1995. Oxford: OUP, 1964.

Paschalis, Michael, Virgil’s Aeneid: Semantic Relations and Proper Names. Oxford: OUP, 1997.

Putnam, Michael C.J., Virgil’s Aeneid: Interpretation and Influence. The University of North Carolina Press, 1995.

Williams, R.D. (ed.), Virgil: Aeneid III. Bristol Classical Press, 1981. Oxford: OUP, 1962.

田中秀央,木村満三訳『アエネーイス』上,下.岩波書店,1940.  

岡道男・高橋宏幸訳『ウェルギリウス:アエネーイス』. 京都大学学術出版会,  2001.

 

 

 

 


 

Summary

 

The Theme of Greed in the Third Book of the Aeneid

 

                Toshifumi Noro

 

Book III of the Aeneid deals with the wanderings of the Trojans who, having fled from Troy, try to seek the site of their new city.  But the location of that city is at first not very clear to them; it is revealed to them only through the gradual unfolding of their fate.  And this revelation of their fate constitutes the theme of Book III.

Along with the theme of the revelation of fate, however, is woven into this book another theme――the theme of greed.  This theme is developed through the episodes of Polydorus, Crete, the Harpies, Scylla and Charybdis, and Cyclops.  These five episodes were not in the prevailing version of the Aeneas legend such as the prose account by Virgil’s contemporary, Dionysius of Halicarnassus.  Together with the episode of Buthrotum, where Helenus’ prophecy reveals to Aeneas their fate in detail, these five episodes are the most important ones in the book.  Virgil introduced into Book III these five episodes especially with the view of developing the theme of greed. 

The greed (fames) of the king of Thrace who killed Polydorus in order to obtain gold turns out to be a general human vice latent even in Aeneas himself.  The hunger (fames) to know the cause drives him to pluck out the tree repeatedly from the body of Polydorus in spite of the trickling gore, staining the earth and his own hands.  Then, in Crete, where he greedily (auidus) starts to work on a new city, a pestilence attacks them from some poisoned part of the sky like a divine punishment, bringing rottenness and death.  In the Strophades the Harpies taint the dishes of cattle and goats which the Trojans stole from them.  The Harpies embody the greed in Aeneas and his men, and Aeneas’ snatching of cattle results in pollution from the Harpies (αρπυιαι=snatchers), and the dreadful prophecy of hunger from the mouth of Celaeno.  Polyphemus, who feeds on human flesh and dark blood, embodies greed and its corruption, and is blind as a result of punishment.  The theme of greed and the corruption it brings about, therefore, runs through all these episodes of Thrace, Crete, the Strophades and Aetna.  Through the mercy of forgiving Achaemenides’ guilt, Aeneas’ guilt and pollution of greed are, as it were, washed away, and he is able to flee Polyphemus, the monster of greed.

Book III, which begins with the shedding of dark blood from Polydorus and ends with the dark blood on which Polyphemus feeds, constitutes a ring composition.  Near the centre of the book, before and after the episode of Helenus, are placed the episode of the Harpies and that of Scylla and Charybdis.  All these episodes deal with the theme of greed, the subject about which Virgil most wanted to write in Book III.

 

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