「街の空」
どこまでも澄んだ青空というのに、いつの頃からか憧れていた。
都会の喧騒と、空回りしているだけの忙しい日常の中で、疲れきった人達の背中を見つめながら、慌ただしくぎゅうぎゅう詰めの電車に飛び乗る毎日だった。
こんなに人で溢れ帰っているというのに、皆が皆、驚くほどに他人に無関心で、例えば誰かが道に倒れていたとしても誰も目を向けない。ただ、厄介な事柄に係りたく無いだけなのかも知れないのだが。
大きな期待を持って、小さな田舎街を飛び出して来た私は、最初のうちこそは街の虚構の中に鮮やかに彩られた色々な物事を楽しみ、そして浮かれていたものの、都会の空がどこまでもグレーに近い青と言う当たり前の事に気がつく頃には、疲れきった表情をしている人達の一員になっていたのだろうか。
そう、あんなにゆっくりと流れていた筈の時間は、秒刻みで慌ただしく過ぎて行き、溢れる程の無意味で乾ききった情報に飛び付き、振り回され、そしてすぐに忘れてしまう事が当たり前になってしまったのだ。
ふと、人の流れに逆らって立ち止まり、ビルに囲まれた狭い空を見上げて、何かが間違っていると言う感情が強く溢れて来ると言うのに、何が間違えているのか私の中の理性は答えを出す事が出来ないままにまた、人ごみの中へとゆっくりと歩き出す。
こんなに晴れているというのに、どこと無く暗く感じる空は少し悲しげで、表情を持たない能面のようで、それでも日を重ねるごとに違う色合いで持って街を包み込む。
手を伸ばせば雲に届くと信じていた子供の頃の純粋さを、今は嘲るようにして見据えてしまう自分の心の貧しさにぞっとしながらも、引き返す事が出来ないままに今と言う時間の中を過ごし、そして陰りしか見えない道の先へと進んで行くしかないのだろうか。それは、あまりにも寂しすぎるような気がした。
周りの人達は表面だけの美を競い、疲れきった表情を隠し、優しい人を演じ続けている。内面はどす黒いどろどろとした塊を持ち続けていたとしてもだ。 乾ききった美しさと表情、そして社交辞令的な会話と、適度な気まぐれというスパイス。それが本当に美しさと言うものなのだろうか?
そんな疑問を持ち始めた時に、彼----もしくは彼女は、私の前に現れたのだ。
一見すると、少年なのか少女なのか解らなかった。性別さえも超越したような横顔は私の目を釘付けにして、そして放さなかった。
それは、このどんよりとした街の中でキラキラとした輝きを放ち、動きはどこまでもしなやかで、そして、何よりも美しく感じた。
もし、動きがなかったとしたならば、そして、その目まぐるしく変わる表情が無かったとしたならば、そんなに美しく感じる事もなかったのかもしれない。全ての要素が満たされてこその美しさだったのだ。
歩調を合わせて、人の流れに逆らい、一定の距離をもってゆっくりと歩き出す。
周りは何も見えなかった。いや、見ている余裕などなかったのかも知れない。
ただ、動きを、表情をいつまでも飽く事なく追い続けているのだ。
このまま尾行するように、一定の距離を保ち、ついて行く事に何の意味があると言うのだろうか。理性はそう思いつつも、感情の中では見失ってしまう事が何よりも怖かった。田舎の小さな町でならともかく、この何万人を包み込む肥大化した街の中で、もう一度出会える確率はとても少ないのだから。
だったら声をかけてしまえばいい。いや、声をかけてからどうするというのだ。
相反する考えが頭のなかでぐるぐると駆け巡り、答えは出ないままに空回りをはじめている。そして、軽い目眩を覚えながらゆっくりと一定の歩調をもって歩き続ける。
ふいに、彼----もしくは彼女が振り返る。そして、私の方を見て軽く微笑みかけた。
たったそれだけの事だと言うのに、全身に電流が流れたような感覚に襲われ、頭の中は真っ白になり、自分が何をしているのかさえ、解らなくなってしまうようだった。
そして、数瞬後に、いつの間にか人気の無い裏路地を歩いている自分に気がついた。
彼----もしくは彼女は悪戯っぽい目をして、背中の羽を伸ばし、私の手を引いてゆっくりと地上を離れて行く。空はどこまでも青く、そして輝いていた。空虚な心の中を満たす溢れかえらんばかりのエネルギーを感じていた。そして、私は地上を見下ろす。
雑踏の中を忙しそうに行きかう人達が、とても、とても小さく感じられた。
ご意見・ご感想はtink@ah.wakwak.comまで