「部屋の中と外」
ベッドの枕許に置いていたノート型携帯用端末機器が、少し甲高い音を発し、まどろみの中にいた私を現実へと引き戻した。
それは、一日の始まりの合図。
ぼんやりと宙を眺めていると、また眠りに落ちてしまいそうなので、体を少し起こして端末を開き、朝食の用意をさせる。
そうして、個人当てのメールが二通、届いていたので開いて見る。
ぼんやりした頭で、友達からの他愛ないメールに返事を書いているうちに、朝食が出来上がっていた。
いつもと同じ朝。そして、いつもと同じ単調な一日の始まりだった。
真っ白な壁の中で過ごす一日は、とても退屈だ。
でも、私は外へ出る必然性を見出す事が出来ないままにいた。
学生は埋め込み式の端末で、先生の指導の元に授業を受ける。
余った時間は、端末を通して小説の最新刊や、漫画のデータを端末に落としてきて、それを読むか、ネットワークの中の友達と他愛ない話を続けるか、なのだ。
現実世界で人と接する機会と言うのは、殆ど----いや、まったく無いに等しかった。
実際、私が部屋の外に出たという記憶については、幼少の頃のものしかないのだ。
もちろん、端末機を通しての友達なら、沢山いるのだけど。
生物学を勉強すると、人間も昔は動物と同じように交尾により、繁殖をしていたと言う話なのだが、それはとてもグロテスクなイメージで、私には想像することが出来なかった。
もっとも、繁殖能力を失いつつあった時代の人類学と言うのは、とても興味のある話ではあるのだが。
制御されていない人口は、二十世紀末に異常な程の上昇率を見せ、豊かな国と、そうでない国での生活環境の差と言うのは、今の時代からでは信じられない程に激しかったらしい。
また、貧しい国程、人口の増加率が高く、豊かな国程、人口の増加率が低いと言うのも、とても興味深い事柄の一つだ。
今は、全てがマザーにより制御されており、より優れた遺伝子を持つ卵子と精子のストックにより人間は工場で人工的に、計画的に、生命を受ける事になっている。
そうして、五歳以上になれば、マザーから部屋を与えられ、そこでの生活が始まる事になる。
それまでは、乳幼児用の世話役のアンドロイドが適切に育ててくれる。
全てはマザーに繋がっており、全てはマザーにより制御されているのだ。
小さな、メモタイプの端末機器ですら、マザーのコントロール無しでは、動作する事が出来ないのだ。
☆
「ハーイ、リナお元気?」
ノート型端末を通して、友人のエミリーからの呼び出しが掛かった。
私は、端末機で簡単な対応をしながらヴィジーホンの前まで行く。
すると、まるで、目の前にエミリーがいるかのように立体的な映像が現れる。
「うん、毎日元気は、元気。単調だけどね」
私はカウンターに腰をかけながら、端末でドリンクを取り寄せる。
「あらあら、リナらしく無い言葉じゃない。勉強しすぎてノイローゼにでもなったんじゃない?」
カウンターの上をすべるようにして、ドリンクが運ばれてくる。
「ノイローゼなんて、古い言葉知ってるのね」
「それを言うなら、リナこそ良く知ってたわね」
エミリーは長い、ストレートの髪をかきあげながら、言った。
その時、軽いノイズでも入ったのか、目の前のエミリーの姿が少し歪んだ。
「やだ、このヴィジーホン壊れちゃったのかしら」
エミリーの話す言葉は、ノイズの嵐で聞き取れない。
それと、時をほぼ同時にして、照明が全て消えた。
こんな事ははじめてだった。
言い様の無い恐怖感が、じわりじわりと襲って来る。
胸の中へと忍び込んでくる。
真っ暗闇。
密閉された部屋の中で、一つも明かりが無い状態なのだ。
昔のように、採光用の窓なども無く、色々な風景の映像を映し出してくれる窓はあるのだけれど、それも、もちろん消えてしまっている。
身動きが取れなかった。
闇の怖さと言う物を初めて知ったような気がした。
よく、光が在るから影が出来ると言うのだけど。
もっと詳しく言えば、闇があるから光が出来るのだと言う事を、私は初めて実感した。
しばらく----おそろしく長く感じたのだけど、おそらく数分で非常灯が辺りを薄暗く映し出す。
携帯用端末を取り出すが、こちらの方は沈黙を続けたままだ。
マザーに何かが起こったのだろうか?
不安感は、加速度を付けて増して行く。
動けない。
薄暗く映し出される部屋の中は、何故か廃墟のように見え、生活感を感じ取る事が出来ず、何もかもが虚実のように感じられる。
せめて、端末さえ動いてくれれば、何が起こっているのかを----情報を集める事が出来る筈なのに。
不意に照明が元に戻った。
それと共に、エミリーの立体映像もヴィジーホンへと映し出された。
「ねえ、リナはそう思わない?」
「え?」
まるで、何も無かったかのようにエミリーはしゃべり続けていた。
「もう、聞いて無かったの?」
「ごめん、ちょっと気分悪くなったから。また、良かったら連絡してね」
「顔、真っ青じゃない、大丈夫?」
「うん、ちょっと横になれば、大丈夫だと思う」
「気をつけてね。じゃあ、また」
そう言い残して、エミリーの立体映像は消えた。
☆
今の出来事は一体何だったのだろうか?
端末を叩き、ネットワークの深い所へと潜り込むが、さっきの出来事を示すような事柄についての情報は、何も得る事が出来なかった。
私の部屋だけ?
だとしても、あの、エミリーの対応はおかしすぎる。
まるで、何事も無かったかったかのような、口調。
白昼夢でも見たのだろうか?
でも、それだとしては、あまりにもリアルすぎる。
まるで、それは仮想現実のように。
いや、それ以上にリアルな出来事だった。
誰かに言いたいけど。
誰かに言うと、異端者扱いをされてしまうかもしれない。
マザーが間違う事など、絶対無いのだから。
本当に?
ほら、もう、この時点で、私は異端者なのだ。
誰もこんな事に対して、疑問を持つ筈がないのだから。
ドアへと駆け寄る。
反応しない。
外にでる事なんて無かったから、もし故障していたとしても、気がつかなかったのかもしれない。
もしかしたら、最初っから、開かないようになっていたのかもしれない。
情報端末機で、なんとか操作しようとする。
でも、動かない。
開かない。
外に出たい欲求は、いよいよ大きくなってくる。
何故?
解らないけど。
でも、部屋の外へ出て見たい。
ドアの電源をショートさせる。
波打つ電流で、両手に火傷を負ってしまったが気にならなかった。
痛みすら、感じなかった。
全体重をかけて、ドアをスライドさせる。
ゆっくりと、ゆっくりと、ドアは開いて行く。
そうして目に飛び込んで来たのは、果てしなく広がる宇宙を映し出すスクリーンだった。
そのスクリーンを取り囲むようにして、部屋が幾つかあるだけだった。
ここは、宇宙船の中?
混乱する。
ここは、地球ではないのだろうか?
そして、操縦席だと思われる椅子には、白骨化した死体が座っていた----。
☆
今までの私の認識は、間違えてはいなかったのだ。
確かに、全てはマザーにコントロールされていたのだから。
ただ、情報や、友人は影でしかなかったのだ。
良くできた人工知能と、良くできた仮想映像。
そうして、私との会話や、手紙のやり取り。
確かに幾つかの部屋はあるのだけど、そのうち、私の部屋ともう一つ----この死体の部屋だったのだろうか----が開いているだけだった。
それ以外の部屋に、人はいるのだろうか?
もしかすると、今までの私と同じように、何にも疑問を持たず暮らしているのかもしれない。
ただ、それが虚構だったとしても、その中にいた私にとっては現実だったのだから。
私も、切っ掛けがなければ、ずっとあの部屋の中で暮らしていたのだろうから。
取り敢えず、私は広大な宇宙のスクリーンを眺めていた。
いつまでも。
もう、私は、あの部屋へは戻りたくないから。
戻れないだろうから----。
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