「ある妙な力を持つようになった男の話」
著作者:古川 浩樹



「なあ瀬田、お前超能力を信じるか?」
 おもむろに金子がそう言った。僕と金子は同じ予備校に通う浪人仲間だ。一般的に言って、予備校で新しい友達はできにくい。みんな勉強に必死だからだ。友達は大学に入ったら作ればいいと考える。僕はというと、元来おしゃべり好きな性格なのでああいう静かすぎる雰囲気にはいまひとつ馴染めず、誰でもいいから話し相手が欲しかった。そこで最初に話しかけたのがこの金子だった。彼も又、誰か話し相手が欲しかったようで、すぐに僕らは気が合った。その輪はどんどん広がり、いまや同じ教室内で十人程のグループを形成していた。そして季節は十月。刻々と受験の日が迫っていた。この時期になると受験生はにわかに落ち着きを失い始める。ひどく気が滅入ってくる時期だ。僕らは予備校近くの、糞まずいコーヒーを何の恥じらいもなく出す喫茶店で、先日の模擬試験の結果について話し合っていた。だが、突然こういった時期に金子がこんなことを聞いてきたので、僕は金子の気が触れたのか、怪しげな宗教にでも影響されたのではないかと思った。
「なんだって?」僕は試しに聞き返してみた。
「超能力だよ、ち・ょ・う・の・う・り・ょ・く」金子は至って平然と答えた。
「スプーン曲げたり、手使わないで物を動かしたりってやつか?」
「そう」
「それがどうかしたのか?」
「だから信じるか?」
「なんだよ、突然。んなもの信じるわきゃねーだろ」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃあお前、んなもの見たことないしな。テレビのは全部トリックだろ。何でそんなこと聞くんだ?」
「・・・実はおれさ、それができるようになっちまったんだよ、これが・・・」
 やれやれ、と僕は思いながらもう二杯コーヒーを注文した。「ほら、おれのおごりだ」
「おお、サンキュー。珍しいな」と金子は一口啜った。
「それ飲んだら家に帰って一日ゆっくりしてろって。勉強を忘れてさ。一日くらいどうってことないって。お前疲れてるんだよ。だからそういうたわごとを・・・」
「おい!おれの言ってることはマジだぞ!」と金子はドンとテーブルを叩いて興奮しながら怒鳴った。
「だってよ、誰がんなこと信じると思う?んなこと他人に話したら即気違い扱いされるぜ。こんな時期だから、おれもお前の頭がどうかしたのかと心配してるのによ」
「だってほんとなんだよ」と金子がなおも力んで言っている時に、石田と永野が店にやって来た。二人は浪人しているくせにバンドをやっているため成績も悪く、他の仲間からからは二浪を確信されているのだった。二人は僕と金子の隣りにそれぞれ座って、メニューも見ずにコーヒーを注文した。
「よう、模擬試験どうだった?」と石田が聞いた。
「滑り止め以外はD判定だよ」と僕は答えた。
「どれ、見せてみろ」と永野が勝手に、テーブルの上に無造作に置いてあった僕の成績表を取って見た。石田もコーヒーを飲みながら永野の隣りに席を移して覗き込んだ。
「お、A判定があるじゃないか。ここ滑り止め?ナメてんのかよ。おれの志望校だよ、ここ。おれなんか全部F判定だぜ。やんなってくるぜ、まったくよ・・」と言って永野はズボンの後ろポケットから潰れてクシャクシャになったタバコの箱を取り出して吸った。『BLACK DEATH』という銘柄で、黒いパッケージに骸骨が描かれた悪趣味なタバコだった。
「ああ、おれの場合は文学部だからな。やさしいよ。お前経済だろ?じゃあ、F判定でもしょうがないよ」と僕は言った。
「気休めにもならんよ。おい、金子はどうだった?」と永野は金子の方を向いて言ったが、金子はテーブルの上の石田のコーヒーカップをじっと見つめていた。
「何だ、あれ?」と石田が僕に聞いた。
「ああ、あいつ超能力に目覚めたんだとよ」
「超能力?あいつとうとうキレたのか?」
「さあな」と僕が言ったとたん、石田のコーヒーカップがテーブルから十センチほどふらふらと頼りなげに宙に浮いた。
「お、おい!なんだよこれ!金子、おい!」と三人は絶叫してしまったが、金子は静かに!と鋭く言って、まるで演歌歌手のように右手の握りこぶしを強く握りしめ、コーヒーカップが割れるんじゃないかというくらいに凝視した。
「マ、マジかよ!」
「て、手品じゃないのか?」と永野が言うと、今度はコーヒーカップの中からさっき石田が入れたはずのミルクと砂糖が分離してふわふわと空中に浮いた。
「手品じゃないぞ!」
「す、すげぇ!」
「どうやってんだよ!おい、金子!」と三人が口々に言うと、金子は突然気が抜けたように息をふっと吐き、その瞬間、ミルクと砂糖がまたコーヒーカップの中にポチャンと落ちた。
「どうだ?これで信じてくれるか?」と金子は自信に満ち満ちた表情で言った。
「おいおい・・・お前どうしちゃったんだよ?いつからそんなことができるようになったんだ?」と僕は聞いた。
「そうだな・・・一ヶ月くらい前からかな?道端で高校時代の嫌な野郎が前を歩いてるのを偶然見つけてな、コケりゃいいのにって思ってたらさ、ほんとにコケちゃったんだよ。まあその時は偶然だと思ってたから気にしなかったんだけど、ある日タバコに火をつけようと思ったらさ、ライターがふわふわって浮いたことがあったんだよ。びっくりしたよ、その時は。で、びっくりしたらすぐライターは床に落ちちゃったんだけどさ、もしかしたらと思って今度はテレビで見たようにうーんって唸りながら浮けっ!て心の中で叫んで集中したらさ、また宙に浮いちゃってよ!お、こりゃ練習次第でなんとかなるかなって思ってさ、一ヶ月間ずっと練習してたんだ。お前らに見せるためにさ。どうだ?すごいだろ?」と金子は今度は手を使わずにコーヒーカップを浮かせてコーヒーを飲みながら言った。三人は金子をまじまじと見つめながら、しばし唖然としていた。
「お、おお。マジですごいっちゅうかなんて言うかよ・・」と永野はしきりにタバコの煙を吐き出しながらそう言った。
「練習した、って言ってたな。どこまでできるようになったんだ?」と石田が聞いた。
「うん、自分の両手で持てる重さぐらいなら自由に移動させることができるようになったよ。最初はずっと神経を集中させなければならなかったんで、ほんとに疲れたんだけど、今じゃその物体が移動しているところを頭で想像するだけでいいようになったぜ。軽いもんさ。他には予知能力だな。初めはさ、さっき言ったやな奴がコケたのは超能力だと思ってたんだけどさ、これはひょっとしたら予知能力かもしれないと思ったんだよ。それで試しに競馬やってみたらさ、その日の単勝連式のレースが全部当たっちゃったよ」
「マジかよ!大儲けできんじゃねぇか!」と永野はまるで自分が超能力が使えるようになったかのように、叫んだ。
「ああ、おれもそう思ってさ、その次の日曜に十万ある貯金を全部つぎこんだらさ、これが見事に大はずれなんだよ。それでおかしいなと思ってまた次の日曜に残りの三百円でやってみたら、今度は大当たり。たぶんさ、悪いことにこの予知能力を使おうとすると、力が出なくなってしまうようになってるんだよ。良心によって歯止めがかかるようになってるんだな。幾らぐらいまでなら大丈夫かなと思ってやってみたらさ、五百円までなんだよ。これじゃ全然儲からないよ。ほんと」と言って金子は首を振った。
「でもよ、塵も積もればってことを考えると結構馬鹿にできないんじゃないか?」と僕は言った。
「それがさ、一回のレースで賭けられるのは五百円が限度なんだけど、儲かった金額が千円までなんだよ。つまり手持ちの金が千五百円以上になると、それ以上当たらなくなるんだな」
「千五百円か・・・そりゃしょうもないな。でもよ、千五百円くらいでお前の良心が痛むっていうことはさ、考えてみりゃ貧乏臭い良心だよな。お前の良心ってやつはよ」と永野が言って三人は笑った。
「ほっとけ!でもよ、結構便利なんだぜ、これ。おれは満足してるけどな」と金子は言った。
「ということは入試の答えを知ることはできないわけか・・・なんか残念だな。どうにかならないのか?」と永野はしつこく迫った。
「無理だよ。実力でやれよ」
「それができりゃいいんだがな・・」と永野は妙にしんみりとした顔を見せた。
「なに一人で途方に暮れた顔してんだよ」と僕は言って永野のタバコを勝手に取って吸った。「相変わらず糞まずいや」
「なら吸うなよ。いつもおれの取って吸うくせによ。コーヒーの一杯でもおごれよ、たまにはよ」と永野は言った。
 それから三十分くらい、超能力や大学や模擬試験の結果や音楽や女についてダベってたが、他に誰も店に来なかったので外に出た。
「これからどうする?」と金子が皆に聞いた。
「満々亭でラーメンでも食うか?」と石田が言った。
「んな金ねーよ。おれの晩飯はヤニだからな」と永野が答えた。
「おれもだ。さっきのコーヒーで十分だ」と僕も同意した。
「腹減って死にそうだよ。丸本ん家行こうぜ」と石田が言った。
 丸本というのは同じ予備校仲間の一人で、青森から出てきている男だ。親が金持ちで、代々木にマンションの一室を与えられている。丸本の家に行けばカップラーメンが腐るほどあるのだった。別にこれといってやることもないので四人して丸本のマンションに押しかけることに大決定した。

 そう決めてから駅に向かって歩いていると、安田と野中が駅の方から歩いてくるのが見えた。この二人は僕らの仲間内の唯一の女の子である。二人共かなりかわいく、僕ら野朗共の十倍ぐらいは頭がいい。安田はちょっと文学少女が入った中谷美紀似で、今時珍しいロングヘアーだが、全然陰気な感じがしないのがいい。一方野中は鈴木蘭々似のショートヘアーの茶髪で、背がそんなに高くないのが実に愛くるしくてこちらもまた実にいい。つまり、どっちでもいい、ということだ。他の奴らもそうに違いない。
「おい、」と永野が金子を肘でつっついた。
「何だよ」と金子。
「見てみろよ、安田と野中だぜ。安田はスカートだけどよ、野中はジーパンだな」
「それがどうした?」
「おれは安田が白で、野中は黒に賭けるぜ。それぞれタバコ一箱ずつだ」
「おいおい・・・おれに超能力を使って野中のズボンを下ろせってか?この街中でか?」
「察しがいいねぇ。その通りだ。まさかこのくらいで良心に邪魔されて出来ないってんじゃねぇだろうな?タバコ二つだから千五百円以上にはならんぞ」
「わかんないよ。そんなことやったことないしさ」
「いや、やってみる価値はあるな」と僕はスケベ心を真面目くさった思慮深げな顔で覆い隠しながら口を挟んだ。「お前はどんどんその力を試す必要がある。そしてどこまでが限界なのか、又、どうやったらその限界を超えて力を引き伸ばすことができるかを知る必要があるとおれは思うぞ。ちなみにおれは安田がグレーで野中はブルーだな。それぞれコーヒー一杯だ。石田は?」
「そうだな、安田は白だな。野中は薄い黄色だと思う。満々亭のラーメンをそれぞれに賭けるぞ」
「残念でした。白は売り切れました。他の色にしろ」と永野。
「そんなんありかよ。ずるいな。じゃあ、二人とも薄い黄色でいいや。金子は?」
「他にどんな色がある?」と金子が聞く。
「うーんそうだな・・・ピンクとか紫とかノーパンとかアソコに穴空いてるやつとか」と僕はまるで夢見るように答えた。
「安田はそんな子じゃねぇぞ!!」と言って永野がヘッドロックをかけてきた。永野は安田のことが好きで、何度も告白をしているのだが、十三回も断られ続けているのだった。
「じゃあ、二人ともピンクでいいや。賭けるものはそうだな・・・丸本ん家のカップラーメン二個だ」
「おお!その手があったか!じゃ、おれも賭けるものは丸本ん家のカップメンでいいや」と永野が言って、結局みんなの賭けるもの全てが丸本のカップメンになってしまった。
「じゃ、いくぞ」と金子が言った。そうこうしている間に安田と野中は僕らの目の前まで来ていて、安田が「あら、もう授業ないの?」と口を開いたところで、安田のスカートがビラっと限界までめくれ上がり、野中のジーパンがズルッと勢いよくズリ落ちた。安田は白で、野中はブルーだった。僕らだけでなく、周りの人々も一瞬色めきだった。なんだか周りの空気までもが春に戻ったかのように、とても柔らかく暖かい空気に包まれた。そして僕らは心の中で「ありがとう」と呟いていた。多分、周りの見知らぬ人々もそうに違いない。
「やった!白はおれでブルーは瀬田だな!はっはっは!!よくやったぞ!金子!!」と永野は喜んだ。
「な、何、今の?金子君がやったの?」と安田。
「嘘でしょ?」と野中が慌ててジーパンを上げながら言った。
「こいつさ、超能力者になったんだよ。で、お前らのパンツが何色かを賭けて、こいつにズリ落としてもらったわけ」と永野が説明した。
「信じらんない。金子君が超能力者?何かの偶然でしょ?」と野中。
「偶然でズボンが落ちるかよ」と石田。
「ねぇ、金子君、見せてくれない?その超能力」と野中は石田を無視して言った。
「ここじゃあな・・・今から丸本ん家行くんだけどどう?」と金子。
「ああ、丸本?いいわよ。ねぇ、典子?」と野中が安田に聞いた。
「今から英語の授業に行くんじゃなかったっけ?」と安田。
「いいのよ。あのじじいでしょ?関西弁でやたらに背が高い奴。あたし関西弁嫌いなのよね。ね、行こうよ」
「あたしは出るわ。終ったらすぐ行くから」
「後でノート見せてね」と野中は言い、安田は授業を受けに行った。
「あの子、真面目なのよね」と野中は永野のズボンのポケットから勝手にタバコとライターを取り出して、火をつけながら言った。永野はタバコとライターを必ず右後ろポケットに入れている。
「そこがまたいいんだよなぁ。文学的で」と永野は鼻の下をこれ以上伸ばせないくらいに伸ばす。
「わけわかんねぇな」と石田。
「お前の女はヘビメタ狂いのイカれた女だからな」と永野。
「ああ、あの自分で耳にピアスの穴を空けようとして耳が化膿しちゃった子のことか?」と言いながら、僕は野中から永野のタバコとライターを取って火をつける。
「ヤリマンだって話だ」と金子。
「いいんだよ、おれはよ。おれ自体やらせてくれる女だったら誰でもいいんだからよ」と石田は答えた。
「ねぇ、そんなことよりも早く丸本ん家行こうよ。金子君の超能力が早く見たい」と野中。
「おお、おれも腹減ってるんだった」と思い出したように石田が言って、五人は丸本の家に直行した。

 丸本の部屋はマンションの十一階にある。やたらと無意味にだだっ広い部屋だ。もともと4LDKあった部屋の壁を全てぶち抜いてワンルームにしたものだから、四十畳くらいはある。なぜワンルームにしたのかと以前聞いたら、騒ぐためだと答えた。とんでもないボンクラ息子だ。もちろん防音設備は完璧である。ちなみに丸本以外は全員一浪なのだが、丸本だけは今年で三浪目だった。別に医学部志望なわけではない。丸本は文系だった。もっとも、みんな文系なのだが。とにかくわからない奴だ。
 丸本は家に居た。五人はぞろぞろと中に入った。
「よお、丸本。飯食わせてくれ」と石田。
「カップラーメンしかないぞ」と丸本。
「それを食いに来たんだよ。お前の家にある食い物でカップメン以外見たことないからよ、他の物なんて期待してないって」と石田はさっそく戸棚の方に向かった。
「お、スゲーな!みんな見てみろよ!ナポレオンだぜ、ナポレオン!」と永野が叫びながら戸棚に無造作に置かれてあったブランデーを持って来た。「いいよな、お前ん家来ると酒盛りができるしな」
「どうした永野。試験の結果が悪かったのか?」と丸本。
「おれはいつも悪いよ。ヤケ酒じゃないからな、言っとくが」と永野は反論する。
「ねぇねぇ丸本、金子君が超能力使えるようになったんだって」と野中。
「嘘こけ」
「見せてやるよ」と金子は言って、また例によって唸り始めた。
「何唸ってんだ?糞か?」と丸本は金子の顔を覗き込む。
 そして、でやっ、と金子が声を上げると、石田がすすっていたカップメンの麺が一本一本、ふわふわと宙に浮き、ピンとまっすぐ横一列に並んだ。全部で六十八本あった。
「おい、おれの飯・・・」と石田が呟く。
「すげぇ!おい、浮いてるぜ!おい!」と丸本は叫んだ。
「悪い悪い、それじゃ、ほっ!」と金子が一発気合をかけると、石田はアチィィィイ!と叫んで口の中の麺を全部ぶちまけて、しばらく床を転げまわった。
「何したの?」と野中が聞く。
「瞬間移動を使ってさ、あの麺をまとめて石田の口の中に放り込んでやったんだよ。おもしろいだろ?」と言って金子はゲラゲラ笑った。
「おい!てめぇ!口の中ヤケドしちまったじゃねぇか!ふざけんな!」と石田は怒って金子に殴りかかろうとしたがやめた。「チッ、超能力者にケンカ売ってもしょうがないか・・・」とひとりごちて、石田は戸棚から新しいカップメンを取り出してお湯を注いだ。
「瞬間移動か?そんなこともできるのか?」と僕はブランデーをコーラで割るという、悪趣味なガブ飲みをしながら金子に聞いた。
「ああ、十メートルくらいだけど」と金子もブランデーを自分のコップに注ぎながら答えた。
「やっぱりあれか?両手で持てるぐらいの重さまでか?」
「そうだな・・・そのくらいだな。でもやっぱもう少し軽いものでないと失敗するよ。まだまだ瞬間移動は練習しないと」
「でも、ほんとだったのね。金子君が超能力者になったっての。どんな気分?」と野中が口を挟んだ。
「どんなって・・・まあ、楽でいいよ。部屋の中で何かが見つからない時なんかイライラするけどさ、ちょっとその捜したいものをイメージするだけで、ポッとタンスの裏からでてきたりなんかしてさ」
「捜しまわらなくてもいいのね?いいなぁ。でも体動かさない分だけ太りそうね」
「いや、そうでもないよ。結構疲れるんだぜ。ただ、腕や足がなまってきちゃうんだけど。多分、このままこの力ばかり使ってたら頭でっかちになって腕や足が退化してしまうんじゃないかな」
「E・Tみたいに?」
「そう。E・Tみたいにさ」

「おい、永野、あんまり飲みすぎんなよ」と石田が声をかける。
「あいつさっきから一言も喋らずに飲んでるぜ」と僕。
「前にあいつとここに来て飲んでた時によ、あいつずっと黙ったまま飲んでててさ、いきなりぶったおれたんだぜ。急性アルコール中毒で救急車まで呼んじゃってよ、すげー大変だったぜ」
「んなことがあったのか?初めて聞いたぜ」
「ああ、あいつがカッコ悪いからみんなに言うなって言っててさ」
「バカな隣の住人がよ、警察まで呼んで面倒臭かったぜ。あいつ未成年だったからさ」と丸本。
「みんな未成年だぜ。お前がオジさんなだけだ」と金子が突っ込む。
「好きで長年浪人してるわけじゃねーよ。お前らもおれの方が先輩なんだからタメ口聞くなよな」
「バカみたい」と野中。
「あれ、そういえば酒って十八歳からじゃなかったっけ?」と石田が思いだしたように言う。
「バカ、それはタバコだろ?酒は二十歳からだ」と丸本が答える。
「ああ、ブランデーが十八からなんだよな、確か。おい、永野、おい」と石田は永野を呼んだ。
「お、何だ?安田が来たのか?」と永野は的外れなことを言う。
「まだよ。あんたも諦めが悪い人ね。何でそんなに典子にこだわるの?もう二十回近く断られてるんでしょ?」と野中があきれたように聞く。
「十三回だよ。二十回も断られちゃいないよ」と永野。
「似たようなもんでしょ」
「そういや何で安田は永野が嫌いなんだろうな。あいつ、顔は悪くないのにな。おれには劣るけど」と僕。
「女の子のファンも結構いるんだぜ」と石田。
「バカだからじゃないのか?」と丸本が突っ込む。
「おい、そこの外野!なに人のこと言ってやがる!」と永野が既にろれつの回らなくなった声で叫んだ。永野は酒に弱いくせに酒好きで、しかも自分の限界を考えずにガバのみする悪い癖がある。
「外野はテメーだよ!おとなしく飲んだくれてろ!」と石田が叫び返す。
「チッ、それがヴォーカルに向かって言うことかよ・・」と永野はよく分からないことを呟きながら、ふらふらとコンポの方に向かって歩いていってイングウェイ・マルムスティーンのCDをかけた。「おお!やっぱイングウェイのギターだけだな!おれの気持ちを分かってくれるのはよ!もっと泣いてくれ・・」
「あいつ、楽器は何もできないくせによ・・」と石田はそんな永野を横目で見ながら、独りごちる。
「多分、あーゆーところよね。典子が永野のこと嫌いなのは」と野中も永野の方をちらと見ながら言う。
「あーゆーとこって?」と僕は聞いてみる。
「何か嘘っぽいのよね。やることなすことが」
「ハッタリかましすぎってやつか?それならおれらも似たりよったりだぜ」
「でも、金子君の超能力は本物じゃない?そこが違うのよね」
「そんなもんかな・・」と金子。
「何となくね」
「じゃあ、安田は誰がいいんだ?」と石田。
「さあね。何でそんなこと知りたがるのよ?」
「聞いてみただけだよ」と石田は言い置いて永野の方に行き、一緒にブランデーを飲み始めた。

「そういや野中、試験の結果どうだった?」と僕は聞いた。
「良かったわよ。偏差値が七十三だったからね」
「すげーな。頭良いよな、お前ら」と丸本。
「見かけの割には、って言いたそうね」
「ああ、もっとチャラチャラしてそうだったもんな。安田は別だけど」
「典子は真面目に見られがちだけど、結構あの子もキレたとこがあるのよ」
「どんなとこが?」と金子が聞いた。
「読む本なんてすごいわよ。フランスのよくわからないエッチなのから、アメリカのビ―トニックも読むし、江戸川乱歩のような猟奇小説も好きだし、怪しげな実験映画やカルトビデオもいっぱい持ってるし」
「部屋でお香焚いたりとか?」
「そんなことはしないわよ。あの子宗教嫌いだし」
「ふーん。一度安田の部屋に行ってみたな」と金子。
「びっくりするわよ。いきなりウォホールのポスターが天井に貼ってあるから。『カウチ』ってSMのビデオ見せられたわよ」
「ビデオ出てんの?『カウチ』の」
「知ってるの?金子君。じゃあ、典子と気が合うかもね」
「おれはご免だな。そんな女の子は」と僕。
「安心しなさい。あなたも典子の趣味じゃないから」と言って野中は一人笑っていた。

「お待たせー」と言いながら安田がやって来た。右手に何かのビニール袋を持っている。
「なに?それ」と野中。
「お酒足りてるかなぁと思って。ワイン買ってきたわよ、二本」
「お、気が利くねぇ」と永野が早速取りに来た。「なんだ、五百円の安物か」とがっかりした割には、自分でコルクをはずしにかかっている。
「ささ、駆けつけ三杯」と永野が安田のコップに注いだ。それを安田は一口飲んで顔をしかめる。
「ずいぶん苦いのね」
「ほら、安物だから」
「ネズミの血でも飲んでるみたい」
「ネズミの血なんて飲んだことあるのかよ」
「あるわけないでしょ。でもネズミってドブの中をうろついてるわけじゃない?そういう所に居ると体が臭くなるでしょう?・・・何を言ってるのかしらね。ハハハ。実はここに来る前に高校時代の友達に偶然会って、ちょっと飲んできちゃったのよね」
「どおりで顔が赤いと思った」と野中もワインで顔を赤く染めながら言う。
「ところで、金子君の超能力を見たいんだけど?」と安田は金子の方に体ごと向き直って言う。
「いや、今日はもう無理だよ。こいつらに見せる前にも何回か使ったもんだからさ、クタクタで駄目だ。明日にしてよ」と金子は本当に疲れきった顔と口調で弁解した。
「残念ねぇ。じゃあ、明日ね、金子君。指切りげんまんしよ」と酔った調子で安田は小指を突き出してきた。きれいな指だ、と金子は思った。金子は思わず安田のこのほっそりとした指が、薄荷入りの細いタバコを挟むところを想像してしまって、変に興奮した感じで自分も小指を突き出し、安田と指切りげんまんをした。
 そういったやり取りを不機嫌そうな顔で永野は眺めていたが、チッと言い置いて石田の所に戻って行った。
「お前、完全に無視されてんのな」と石田はすかさず言う。
「ほっとけ」と永野は冷蔵庫からビールを持ち出してきて飲み始めた。
「お前、まだ飲むのか?いい加減もうやめたらどうなんだよ」と石田は忠告したが、永野は聞き入れずに飲み始めた。だが、さすがにもうこれ以上は辛いと見えて、舐める程度だった。
「そういや今度のライブいつだ?」僕は二人の方を向いて聞いた。
「月末の土曜日だよ。『ガレージ・クルー』で七時から。来るか?」と石田が答えた。
「ああ、どうせ暇だからな。もう店から幾らかもらってんのか?」
「三万」
「あんな無茶苦茶なのに金を払うなんて無謀な店だな」と丸本。
「フフン。女の子のファンさえできりゃこっちのもんよ。お前もくるか?典子」と永野。
「気安く典子なんて呼ばないでよ。行くわよ、息抜きにね」と安田。
「ほんとか?じゃ、はりきっちゃうぞ、おれ!君の勉強のつかの間のオアシスとなれば幸いだな」
「オアシスか・・・いいバンドだよな。ストーン・ローゼス、ブラー以来かな、イギリスのバンドとしちゃ」といい加減酔っ払ったのか、金子は全く関係のないことを言い出す。
「イギリスのバンドは黒くないからおれは好かん。ポール・ウェラーぐらいだろ、イギリスでまともなのは」と僕。
「ブラーってアイドルよね、テイク・ザットみたいに」と野中。
「ねぇ、美希、ちょっとお金貸してくれない?さっきのワインでお金使っちゃったから明日のお昼代がないのよ。来週返すから」と安田。
「金って言えば、永野、まだ返してもらってないぞ、前のボーリング代とカラオケ代。三千円」と金子。
「三千円?二千円の間違いだよ、そりゃ」と永野。
「なあ、音楽止めてくれよ。いくら防音設備が完璧ったって、限界あるんだぜ。この前苦情が色んな所から来たんだからな。うるさいってよ」と丸本。
「いや、三千円だよ。お前一人でカラオケ歌いっぱなしだったじゃないかよ。比率から計算するとそうなるんだよ」と金子。
「なあ、みんな知ってたか?満々亭のラーメンが少しうまくなってたぜ」と石田。
「黒いってんでおれ思うんだけど、野中ずいぶん日に焼けてたよな。夏に海に行った時にさ。今はすごい白いけど」と僕。
「あたしも今お金無いのよ。いい機会だからダイエットしたら?典子」と野中。
「二千円だよ、二千円!悪いな、まだ金無いからよ、今度のライブの時にな。四人で分けて七千五百円か。それまで待てよ、二千円」と永野。
「旨いわけないだろ?あそこの鬼のようなラーメンが旨いなんて、お前どうかしてるんじゃないのか?」
「おいおい、おれはマジだぜ!音楽止めろっていったら止めろよ!」
「ごまかすなよ!とにかくお前は三千円なんだよ!」
「あんたが止めりゃいいじゃない。あんたのコンポなんだから」
「浪人中に痩せてもしょうがないじゃない。大学に入ったらダイエットするのよ。今はちゃんと食べて体力つけなきゃ。だからお願い!千円でいいから」
「あの麺だよ、麺。なんかこう、シコシコってしててさ、粘りがあるんだよな。多分あれは若い野朗がバイトに入ったからだと思う。あのジジイじゃ死んでもできっこないって」
「あたし、こう見えても生まれは北海道だからね。元が白いのよ」
「おお、もう酒ないのか?シケてんなあ」
「話変わるけどさ、誰かタバコ買ってきてくんない?」
「ふざけんな!とにかく二千円だ!わかったな?ええ?おい!」
「おい、誰かこのCDのジャケットどこにあるか知んない?」
「シコシコなんて言わないでよ」
「北海道にはゴキブリいないってほんと?」
「てめえで買ってこい!」
「おい!このCDのジャケット割れちゃってんじゃねえか!もっと大切にあつかえよな!売れねえじゃねえか!」
「ジャンケンで決めないか?ジャンケンで」
 こんな具合にして夜は更けていった。僕たちが一緒に飲む時はいつもこのようにあちこちで勝手に我先にと喋りまくる為に、最後のほうにはなにがなんだか解らなくなる。朝まで起きてる奴など一人もいない。いつのまにか一人二人と寝込んでしまうし、又、いつ寝たのか本人はおろか他の連中も全く覚えていないし、そもそもそんなことには全く興味がないといった始末だ。丸本の家には時計がないというのもその原因の一つかもしれないが、まあとにかく僕たちには時間は関係なかった。その場その時が楽しければ、それで良い。

 次の日の朝、最初に起きたのは僕だった。辺りを見回すと、皆思い思いの格好で寝ている。丸本と永野と石田はコンポの近くで、丸本はCDのジャケットを数枚積み重ねて枕にしており、永野はワインの空き瓶を枕にして寝ている。瀬田は部屋の真ん中で大の字になっていて、野中と安田はテーブルの下で寝ている。僕は超能力を使って押し入れを開けたが、二枚しか毛布がなかったので、野中と安田にそれぞれ一枚ずつかけてやった。ついでにまた超能力を使って、永野のタバコとライターを取り出して火をつけた。
 コーヒーを入れようかとも思ったが、お湯を沸かす音で他の連中を起こしてしまうのが嫌だったので、ベランダに出てタバコを吸いながらぼんやりしていた。季節はもうすっかり冬だった。まだ風は暖かさを幾分かは残していたが、人々の服装の色や木々の色の落ち着いていたので、尚のこと季節が老けて見えるようでもあった。木々の枝にはまだ落ち残った枯れ葉が、次の乾いた一風をゆっくりと待っているかのようだった。空は灰色に曇ってはいたが、時折どんよりとした重々しい雲の間から見せる遠くの太陽が、ジメジメした梅雨とは違ってさわやかな気分にさせた。僕はタバコを吸いながら三十分くらいベランダに突っ立って外の景色を眺めていると、安田が起きてベランダに出てきた。
「おはよ。金子君」と安田は伸びをした。
「みんなは?」
「まだ寝てる。なんかわかんないけど、永野裸になって寝てるわよ。風邪ひかなきゃいいけど」
「この部屋は暖房設備が完璧らしいからね。一年を通じて同じ温度なんだってさ。だから大丈夫たよ。ま、あいつはミュージシャンの割には体が丈夫だからね。タバコいる?永野のだけど」
「うん」
 僕は超能力を使ってタバコを取り出し、火をつけてやった。
「すごい。ほんとだったんだ」と安田はまじまじと一連の動作を見つめながら言った。「金子君が超能力者になったのって」
「ああ、そうか、まだ安田には見せてなかったんだっけ」
「うん。いいわね、楽で」と安田は言ってから、まずそうに顔をしかめながらタバコを吸った。
「あまり使いすぎると疲れるけどね。それまずいだろ?永野のタバコなんだけど、『ブラック・デス』だってさ、見てみなよ、この箱」と言って僕はタバコの箱を安田に手渡した。
「悪趣味ね。永野いつもこんなタバコ吸ってんの?」
「ここ最近はこれだね。でもよく変えるからな、あいつは。永野以外は誰もタバコ買わないからしょうがないんだけど」
「何で?」
「おれの場合はタバコがないならないで別に構わないから。多分他の奴らもそうだよ。永野はありゃ完全にニコチン中毒だよ。瀬田もそうなりつつあるけど」
「瀬田君か・・あの人も変わってる人よね」
「そう?」
「うん。永野も石田も丸本も普通だもん。それに比べて瀬田君やあなたはどこか違ってるって私思ってたのよ。うまく言葉にできないんだけど、予測ができないっていうか」
「予測?例えばおれがこんなわけのわからない超能力が使えるようになったこととか?」
「うーん、そうじゃなくて、瀬田君も金子君も見かけはまじめなのに永野達と付き合ってるようなこと。あの人元ヤンキーでしょ?信じらんないのよね、そういう人達と付き合ってるのが」
「ヤンキーじゃなくてチーマーだよ、永野は。そうかな?真面目かな、おれと瀬田。でも、永野達とは割にノリが合うからさ。なりゆきかな?」
 そこで二人はしばらくの間タバコを吸いながら外を眺めていた。マンション前の下の道路では遠足なのか、黄色い帽子をかぶって思い思いのリュックサックを背負い、水筒を肩から下げた幼稚園の集団が一騒ぎしながら通り過ぎて行った。このマンションから左手の二百メートル程先には、春になるとこの辺りの自治会が花見をするくらいの大きな公園があり、ここからもカップルの姿が数組見えた。彼らは一様に寄り添うようにぴったりと体をくっつけあっていた。
「コーヒーでも飲む?」と僕は安田に聞いた。
「でもみんな起きちゃうんじゃない?」
「大丈夫」と言って僕はまず超能力を使って蛇口を静かにひねってコーヒーカップに水を入れ、次にインスタントコーヒーの粉を入れると、コーヒーカップをベランダに移動させてから、そのままカップの水を一瞬で沸騰させてお湯に変えた。
「すごいわね。色んな事ができるのね、金子君」
「まだ他にも色んなことができるよ。予知能力とかさ」
「ほんとに?じゃあ、私の未来を占ってくれる?」
「百発百中だから、占いじゃなくて事実なんだけどね。どんな事が見たい?どこの大学に受かるか見ようか?」
「いや、それはいいわ。なんだか怖いし。これでどこにも受からなくて二浪だなんて言われた日にはどうしようもないじゃない」
「大丈夫だよ。安田はおれたちの中じゃ一番頭いいんだから」
「・・・でもいいわ。他のにして。そうね、何でもいいんだけど、何か事故に遭うようなことがあれば、前もって知っていれば避けられるしね」
「事故か・・。わかった。じゃあ見てみるよ」と言って僕は目をつぶった。ふと、僕はあることを思いついて、それを実行しようかどうか迷ったが、結局この場を借りてやってみることにした。
「うーん、交通事故には遭わないよ。大丈夫。病気もしないしね」
「よかった」
「ただ・・・」
「ただ、何?」と安田は不安そうな顔をしてみせた。
「いや、悪いことじゃないよ。まあ、一応これも事故って言えば事故なんだけど、つまり安田の隣を歩いている男の顔が見えるんだ。腕組んでるところを見ると、これは彼氏ができるということだね」
「彼氏?」と安田は嬉しそうな顔をした。「それはいつ頃?」
「近いうちにだよ」
「どんな人なの」
「それは・・その・・ごく身近にいる人らしいけどね、うん・・心当たりある?」
「まさか永野じゃないでしょうね?」と安田は本当に嫌そうな顔をした。それは僕にとっては非常に嬉しいことだった。
「いやいや!違うよ!」
「じゃあ誰なの?」と安田はじっと僕の顔を見つめながら聞いた。
「・・おれ・・」と僕はなんとも情けない、蚊の鳴くような声で答えた。
「金子君?」と安田は驚きながらも顔を赤くしながら聞き返した。
「そう・・おれ。あのさ、おれずっと安田のことが好きでさ・・」
 そう言うと安田はプッと吹き出した。それを見て僕も少し安心して照れ笑いをした。
「で、OKかな?」
「だって、金子君の予知能力は百発百中なんでしょう?じゃあしょうがないじゃない。私も金子君のことは気にはなってたし」
「ほんと?マジで?」
「うん・・・」
 そのようなやり取りをしながら二人はコーヒーを飲み、タバコをふかしていた。空の雲は既に晴れていて、素晴らしい秋の一日が二人を歓迎しているかのようであった。僕は超能力もいいもんだな、と改めて思っていた。
「ねえ、午後から授業でない?」と安田。
「もちろん。連中を起こさないようにして、二人で行こう」と僕。
 そして二人は他の連中を起こさないように静かに部屋を出て、駅に向かって手をつないで歩いた。彼女の細くて暖かく柔らかい手と、道路に落ちているカサカサの落ち葉を踏みしめる時の、パリパリという乾いた音が僕の気分をうきうきさせていた。


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