冬ソナ
冬のソナタ(原題:冬の恋歌)の再々放送が終わった。遠からず、韓国オリジナル版も放送もあるらしいから、まだまだブームは続きそうだ。
なぜ、このドラマがここまでブレークしたかについては、既に様々な角度から論じられてきたので、今更駄文を重ねるのも恐縮だが、暇なかたはお付き合い願いたい。
このドラマを批判する人は、たいてい、わざとらしい演技や、強引で非現実的なストーリー展開を指摘する。確かにそれはそうなのだが、私にとっては、その非日常性こそが、冬ソナの魅力に他ならない。これは、一種の御伽噺、もっと言えば神話なのだ。
古来から受け継がれている御伽噺や神話、民話の類は、その非日常的な話を通して、しばしば人間にとってある程度普遍的な心理学的内容を伝えている。冬ソナを見てすぐに連想するのは、例えば、美女と野獣のような話であろう。
道に迷い、野獣の館で捕らえられてしまった父の身代わりとなって、美女の娘がその館に住む。ふたりの間にはやがて愛が芽生えるのだが、それが実を結ぶまでには、野獣は傷つかなければならない。それを乗り越えて二人は結ばれる。そしてそれは同時に、野獣が本来の王子としての自分を取り戻すことでもある。
ヒーローの側から見れば、ヒロインの献身的な愛と、またヒロインを獲得するための戦いを通して受ける致命的なほどの傷を通して、失われた自分を取り戻していく話であり、ヒロインから見れば、住みなれた故郷を離れてヒーローと出会い、献身的な愛に目覚め、かつ逆説的ではあるが真の自立を獲得しつつヒーローと結ばれる話である。これは、太古の昔から、様々な形で語り継がれている典型的な「神話」である。
このように見ると、冬ソナは、この典型的「神話」の構造を持っていることがわかる。ヒーローは父を探すことによって自分捜しをしている。その途上では、文字通り記憶喪失にまでなってしまう。しかも、ヒロインを救うために、命まで失いそうになる。しかしヒロインのひたむきな愛のなかで、紆余曲折はありながらも、ついに傷ついた彼は本来の自分を取り戻していく。一方、ヒロインは、幼馴染という故郷から旅立たざる負えない。そしてヒーローのところに行くわけだが、ヒーローの愛は、非常に強力であると同時に、彼女を束縛するようなものではなく、むしろ彼女の独り立ちを促す。そしてついに自己を見出し、自立したふたりは結ばれるのである。
このシナリオの作者は、まだデビューしたばかりの人で、しかも二人の合作だそうだ。おそらく、古今の神話を研究してひねり上げて作った話ではなく、いわば筆のおももくまま、内側から流れ出てきた話を、あまり凝った編集をする余裕もなくまとめたのではないか。だかろこそ、御伽噺、神話的な魅力を持って、多くの人の潜在意識に訴えるのではないだろうか。
「冬」は、まさに現実世界のすぐ向こうにある「非」現実の世界、神話の世界である。冬が終わってみると、すべては幻であったかのように見える。しかし、その非現実こそ、実は現実よりももっと真実な世界でもある。最終回、「冬の終わり」で、すべて過ぎ去ってしまったかのように思えた「幻」が、春の日差しの中で蘇るこの一瞬こそ、まさに「神話」こそが私たちの内なる真実を表していることを強烈に知らしめる、至高のクライマックスなのだ。
2004年8月26日